【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
第1節 銀河帝国の「メンテナンス」
帝国暦52に挙行された戦勝記念式典より、皇帝ジギスムントは事実上、親政開始したとするのが筆者の見解である事は既に述べたが、同55年、実父にして後見人の帝国宰相ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムが死去した結果、名実ともに、ジギスムントの親政は開始されたと言えるだろう。
後世、名君として称えられる事が多い同帝だが、その治世はむしろ平凡、先帝ルドルフの敷いた路線を継承して、独自の政策と呼べるものは決して多くない。これは、前章で述べた通り、ジギスムントは自身がルドルフ大帝の後継者である事を自覚し、かつ後継者として自らを律し続けた結果だった。
先帝が創設した銀河帝国の支配体制を盤石とし、そして、自分以外の誰が統治者、皇帝となっても、変わらずに臣民を支配し、その生存と安寧を保障できるようにする事、換言すれば、ルドルフの個人的力量によって構築、駆動されていた統治機構のシステム化、それこそ皇帝ジギスムントが目指した方向だと言えるだろう。
だが、それは先帝の治世をなぞり、その政策を墨守する事を必ずしも意味しない。システムとは不断にメンテナンスを施さなければ、状況の変化についていけず、硬直化してしまい、円滑に動けなくなるからだ。
一例を挙げると、建国者ルドルフが創設、旧帝国滅亡まで国是として受け継がれた貴族制度、身分制秩序にしてもそうだ。本叢書内でも折に触れて取り上げたいが、貴族制度は約500年近い旧帝国史の中で、その必要に応じて、随時、改変が加えられている。例えば、貴族制度のメルクマールとも言うべき爵位は、貴族家の当主ただ一人にのみ与えられるものだが、貴族制度の創設時、爵位と貴族身分を一体とはしなかった。その結果、ただ貴族身分のみを有し、爵位を持たない者―いわゆる「家士」―が時代を経るごとに増加し、例え伯爵以上の諸侯の家に産まれても、当主の後継者になれない、もしくは分家の当主になれない者は、ただ貴族身分のみを保持するだけで、貴族としての義務遂行は求められるのに、最下級の男爵にさえなれないではないかと、貴族社会中に不平不満が高まってきた。
この状態を放置しておけば、貴族制度を運用する帝国への反感が高まる事は避けられないと、老廃帝ユリウス1世の摂政皇太子、寛仁公フランツ・オットー大公は、貴族の新しい地位「帝国騎士」を創設。男爵位の下位だが、皇帝の直臣と位置づけ、貴族年金の代わりに、高利率の債券が下賜されるとした。また、帝国騎士位は定数を設けず、帝国政府や帝国軍に奉職して、功績を上げた貴族身分の者へ優先的に賜与、騎士位は爵位と同様、当主の後継者に継承させられるとした。
結果、貴族身分しか持たない、部屋住みの貴族男性が目的を得られて、政府や軍での就職を希望、政府側も今まで埋もれていた優秀な人材を発掘する事が出来ている。このように、制度自体は変更せずとも、時代や社会の変化に合わせて、適宜、修正や補修を施していく、即ち「メンテナンス」が必要になるのだ。
皇帝ジギスムントの治世を一言で表現するならば「メンテナンス」、この言葉が最も相応しいだろう。以下、同帝の治世の中でも、比較的大規模なメンテナンスと言える、代表的な施策を取り上げ、その統治方針を概説したい。