【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
典礼職長としてのみならず、宮廷官僚の領袖たるノイラート侯爵家の世子として、今や宮内省の重鎮となったアルフォンスは、帝国暦55年、帝国宰相ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムが死去、皇帝ジギスムントが名実ともに親政を開始すると、貴族社会中の下馬評通り、宮内尚書に就任する。この時は「祖父の七光り」「皇帝陛下が姉君を寵愛しているが故」などの陰口を叩く者は一切、存在しなかった。
帝国暦58年、父親ハインリッヒが死去、その爵位を継承して、第三代目のノイラート侯爵となっている。今や帝国政界の大物、大諸侯となったアルフォンスだが、その生真面目な性格は変わらず、飲酒に女遊び、賭け事と、いわゆる「男の道楽」には一切興味を示さず、主君ジギスムントに倣うかのように、女性関係は若手官僚時代に見合い結婚した妻一人だけ、側室や愛人を持つ事はせず、余暇は読書と学問、後は軽い運動で過ごした。
口の悪い友人で、同じ尚書の地位にあったビューロー侯アンドレアスからは「古代の地球では、融通の利かない堅物を石や鉄に例えたと聞くが、宮内尚書殿の硬度はダイヤモンド並みだな」と揶揄われている。
尤も、主君ジギスムントが看破した如く、彼ら二人の間に深刻な憎悪や嫌悪が生じる事はなかった。後年、軽度の知的障碍者で、アルフォンスがその将来を危ぶんでいた末妹アンナに、アンドレアスが求婚した際は、一切異論を唱えず、侯爵家の当主として、その結婚を承諾したのみならず、二人の結婚式では、亡父ハインリッヒに代わり、花嫁の父親役を務めている。結婚式に参列した皇帝ジギスムントは、当日の様子として、以下の通り、日記に書き残している。
花嫁の手を取ったアルフォンスが、その手を新郎に委ねる時、彼は新郎アンドレアスに向かい、ただ深々と一礼した。彼らの間に言葉はなかった。いや、必要なかった。言葉に出さねばならないほど、彼ら二人が積み重ねてきた信頼関係は浅薄なものではなかった。その時、友情という言葉の具現化が余の眼前にあった。
主君ジギスムントは、彼ら二人の関係を評して「親友であり腐れ縁」と言い、上記の如く、両者の間には深い信頼関係と友情があったとしている。それに異論を唱える気はないが、筆者はそれに加えて、同志的な連帯感もあったのではないかと考えている。
彼ら二人は、幼少期からジギスムントと共に成長し、長じて後は、その臣下となり、皇帝ジギスムントを補佐して、銀河帝国の隆盛と平穏に尽力し続けてきた。彼らの間には、同じ人物を主君と仰ぐ者同士だけが感じる、連帯意識があったのではないだろうか。そして、それは主君たるジギスムントには、決して感得する事ができない想いだったのかもしれない。
帝国暦61年、国務尚書ザルツァ子爵の急死に伴い、国務尚書に抜擢、名実ともに皇帝ジギスムントの筆頭閣僚となっている。宮内官僚の領袖であるノイラート侯爵家は、国務省に地盤を持たなかったが、尚書に就任したアルフォンスは信賞必罰を貫徹、依怙贔屓をしない、公正な人事を行う事で、国務官僚たちを心服させている。
また、皇帝ジギスムントが領主貴族らの増長を掣肘し、彼らを統御するため、枢密院分院の設置、治安維持体制の再編成を実行すると、実務面を補佐すると共に、皇帝と枢密院との間のパイプ役、調整役として大きな役割を果たした。
さらに、フリードマン男爵アルノルトの如き、規格外の人物であっても、減点主義に陥る事無く、よくその長所を見極め、適材適所を以て臨んだ。前任者のザルツァ子爵は、極めて優秀な能吏ではあったが、ともすれば官僚的思考に囚われ、その枠内から出られない為人であった事から、彼と対比される形で、新尚書アルフォンスは「人事の名手」「名伯楽」とも称されている。
国務尚書時代のアルフォンス最大の功績とされているのが、前述した公式式典、各種行事の制定。以降、旧帝国滅亡まで、彼が制定作業を主導した式典、行事が挙行されている事を考えれば、その影響は約400年先の未来にまでに及んでいる。
唯物史観的な見解を主とする歴史家からは、新無憂宮と共に、旧帝国の権威主義を象徴する虚礼としか見なされなかったが、文化人類学にも造詣が深かった歴史家皇帝、文華帝エーリッヒ1世は「建国者ルドルフ大帝を淵源とする、ゴールデンバウム家の権威を可視化し、その支配の正当性を鼓吹、銀河帝国の存在を人類史上に確立させる事に成功した」と、最大級の評価を捧げている。
筆者は、必ずしも同帝の見解を全面的に肯定する者ではないが、人類が数千年に亘って培ってきた歴史や文化の持つ力を理解していた、卓越した学識と教養を持つノイラート侯アルフォンスでなければ、旧帝国末期まで継承されるだけの普遍性ある式典や行事を生み出す事は不可能だったのではないか、とは考えている。