【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
前節の見解を踏まえて、本節以降では、皇帝ジギスムントが直面した後継者選定問題、そして長子相続の祖法化に固執した真意を解説していきたい。まず、その前提として、旧王朝史における帝位継承のルール、さらに長子相続の実例を列挙してみた。
元々、旧王朝において、帝位継承の明確なルールは存在していなかった。一般的な傾向として、今上帝の嫡長子が最有力候補だったのは確かだが、嫡長子に生まれれば、自動的に皇太子となれる訳ではなかった。
まず、前巻で述べたように、貴族制創設時からリップシュタット戦役時まで、家祖からの血統が辛うじて繋がっていた貴族家は、戦役時の全貴族家のうち、2割に満たない数だった。この数字だけ見ても、旧王朝下での権力闘争の苛烈さを窺わせるに足るが、それはゴールデンバウム家、帝室も例外ではなかった。
初代ルドルフ大帝から、第38代カザリン・ケートヘン1世まで、嫡長子による円滑な帝位継承が行われた事例は、決して多くは無い。以下、先帝の嫡長子が後継者となっている事例を列挙してみた。
① 第2代ジギスムント1世→第3代リヒャルト1世
② 第3代リヒャルト1世→第4代オトフリート1世
③ 第4代オトフリート1世→第5代カスパー
④ 第7代ジギスムント2世→第8代オトフリート2世
⑤ 第9代アウグスト1世→第10代エーリッヒ1世
⑥ 第11代リヒャルト2世→第12代オットー・ハインツ1世
⑦ 第13代リヒャルト3世→第14代アウグスト2世
⑧ 第16代フリードリヒ1世→第17代レオンハルト1世
⑨ 第24代コルネリアス1世→第25代マンフレート1世
⑩ 第25代マンフレート1世→第26代ヘルムート
⑪ 第29代ウィルヘルム2世→第30代コルネリアス2世
⑫ 第34代オットー・ハインツ2世→第35代オトフリート5世
以上の様に、嫡長子による帝位継承は全体の約3分の1にとどまる。また、この中には円満な帝位継承だったとは言い難い事例がいくつか存在する。
まず④は、史上最悪の禁治産者として名高い痴愚帝ジギスムント2世を長子オトフリートが軟禁、事実上のクーデターの結果である。⑥も同様で、帝政を壟断する権臣達の傀儡に甘んじるリヒャルト2世の醜態に業を煮やした長子オットー・ハインツが、やはり事実上のクーデターの結果、即位を強行している。
また、⑦も事情は変わらず、やはり権臣達の傀儡に甘んじていたリヒャルト3世に選択権は無く、積極的に廃立する理由がないと言うだけの事情で、史上最悪の暴君、流血帝アウグスト2世が即位してしまっている。
そして⑧は、晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世と並び、旧王朝史上、中興の英主と称えられるフリードリヒ1世だけに、その権威と権力は圧倒的で、長子レオンハルトへの帝位継承自体はスムーズに行われたが、晩年に産まれた子であったため、レオンハルトは即位時、僅か10歳の少年皇帝に過ぎず、それを好機と見た先々帝エーリッヒ2世の皇女マグダレーナを首謀者とする帝位簒奪未遂事件「皇女の乱」が勃発、レオンハルト1世はマグダレーナによって弑逆されている。
続いて⑨も、父帝を武力で軟禁して、強引に即位したという点では、④・⑥と同様。⑩は、マンフレート1世は生前退位し、長子ヘルムートに譲位したが、同盟との和平を推進しようとしたマンフレート1世とヘルムート、さらにヘルムートの子マンフレート2世は、叛徒どもと屈辱的な和睦を結ぼうとしていると見なされ、ルドルフ原理主義を鼓吹した、後の残暴帝ウィルヘルム1世が起こした武力叛乱の結果、全員虐殺されている。
よって、嫡長子の帝位継承12例のうち、その半分は何らかの問題を孕んだ継承だったと言わざるを得ず、これらの事例からして、嫡長子=皇太子とする規定は旧王朝には存在せず、かつ円満な帝位継承それ自体が極めて稀だった、という事情が理解できると思う。
そこで、注目して頂きたいのは①~③の事例。第2代ジギスムント1世から第5代カスパーまで、嫡長子による帝位継承が為されており、第4代オトフリート1世の御代、権臣エックハルトによる帝政の壟断、さらに第5代カスパー帝の失踪という事態が起こっているものの、後世の事例の如き、皇帝の軟禁や殺害は生じていない。
つまり、帝国暦71年のジギスムント1世崩御から、同124年のカスパー帝失踪までの約半世紀、比較的円満に嫡長子による帝位継承が行われたのではないか、そして、それを成し得たのは、後世から失政と批難される、ジギスムント1世による帝位継承の祖法化だった、というのが筆者の見解である。
次節では、皇帝ジギスムントが長子相続の祖法化を構想する契機となった、同帝の晩年に生じた帝位継承問題の内実について解説したい。