【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
有史以来、権力者の地位を継承する後継者を如何に選定するか、これは人類が「政治」という営為を発明した後、未だに十全の回答を得ていない難問である。
まず、万人を納得させられる選定理由そのものが存在しない。主な理由を列挙すれば、先代との血縁関係、候補者の能力や器量、被治者(臣下・部下含む)側の支持、などとなるか。その時の政体によっても左右されるが、どれを選んでも、他の2つから異論が出る事は容易に想像がつく。
先代との血の近さを強調すれば、能力や器量は問う所ではないのかと言われ、能力や器量に優れた人物を選べば、先代と無関係な、有体に言えば、どこの馬の骨とも分からぬ者に権力を与えて良いのかと反論され、皆に支持されている事を理由にすれば、悪しきポピュリズム(衆愚政治)に陥っているのではないかと懸念される…であればこそ、人類は弥縫策として、その選定理由を正当化できる政体を生み出していった。あくまで筆者の私見だが、血縁ならば君主制、能力ならば貴族制、支持ならば民主制と。
そして、議論がここで終わらないのは、何らかの理由に基づいて選ばれた後継者が、選定された時の状態であり続けるのは、まずあり得ない事だからだ。万物は流転すると断じたのは、古代地球、ギリシャと呼ばれる地方に生まれた哲学者だが、その顰に倣って言えば、人は、生者はその死に至るまで流転、変化し続ける。広大無辺の宇宙空間においても、永劫に変化しない存在は唯一、死者のみである。そして、理の当然だが、死者が生者を統治する事は出来ない。故に、生者を権力者の地位に就けるしかないのだ。
その瞬間の最適解が、永遠に最適解であり続ける保証など無い。いや、正解でなくとも、解であればまだ良いだろう。結果的に誤りと変化した事例の如何に多い事か。古代地球、ヨーロッパ地方に生まれた、ある皇帝の警句に倣えば「悪しき結果を招いた物事は大抵、良い動機に基づいて始められたのだ」。
或いは、反論される向きもあるかもしれない。変化=悪化と断じるのは早計ではないか、良い方向に変わる事もあるのではないかと。では、問いたい。その良さとは誰にとっても「良い」と肯定できるものなのかと。
使い古されたロジックだが、誰かにとっての善は、他の誰かにとっては悪となる可能性を常に孕み、逆もまた真なりと。ゴールデンバウム朝銀河帝国の建国者ルドルフとは、この事を心底痛感したからこそ、自身を含めた生者には、万人にとって理想的な政治は無理だと、人が人を「より良く」支配する事の本源的な不可能性に絶望しきった為政者だったのだと思う。
ルドルフの後継者ジギスムントが、先帝が陥った絶望と虚無感を共有していなかった事は、史料上から明らかである。彼は崩御する時まで、人を信じ、人を愛し、人々の幸福を念願する為政者だった。だが、多くの人を愛するほどに、人を選ぶ事の苦しさは増大していく。選ばれなかった者が感じる苦しさを想像してしまうが故に。ましてや、自身の選択が、その相手を確実に不幸にすると分かってしまえば、それは苦渋の選択以外の何物でも無くなる。だから、人に絶望し、人類種の絶滅を夢想する程に、人間を嫌悪しきったルドルフが後継者問題に悩み苦しむ事無く、人を愛し、皆の幸せを願ったジギスムントが後継者問題に苦しみ抜いたのは、あまりにも残酷な評価かもしれないが、やはり理の当然だと言わざるを得ない。
尤も、心情面を排した客観的な評価としても、ルドルフほど後継者問題の解決に恵まれた為政者は、人類史上から見ても、極めて稀な存在だと言えるだろう。
まず、後継者となり得る存在が唯一、外孫ジギスムントしかおらず、彼は能力、器量、為人、そして性的嗜好や健康状態に至るまで、皇帝として申し分ない人物だった。彼の地位を脅かしかねない人物、例えば三女アグネスの長子アンドレアスは、自身との血縁関係で言えば、ジギスムントよりも遠く、皇帝として必要な気質や能力の面では劣り、そしてここが重要なのだが、当人が後継者になる事を望んでおらず、かつ他者の傀儡にはならない気概と能力は保持していた。
そして、これはルドルフが意図的に誘導していった側面も強いが、ジギスムントの帝位継承を望む勢力、即ちシュタウフェン派の勢力は、当時の帝国政界と官界、そして軍隊をほぼ掌握しており、同派の領袖はジギスムントの父親、ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムだった。また、同公自身も武勲赫々たる名将、卓越した軍人政治家であり、ファルストロングやクロプシュトックら、ルドルフ譜代の重臣達が死去または追放されていた当時、同公の権威に逆らえる者は、皆無と言って良かった。
例えて言えば、ルドルフは、既に答えが回答欄に書かれている試験を受けたに等しい、満点を取らない事の方が難しいだろう。対して、ジギスムントが受けた試験は、回答欄に答えが書かれているどころか、回答者はおろか、出題者でさえも正答を知らない、極めつけの難問だった。