【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
皇帝ジギスムントが先帝ルドルフに輪をかけた仕事人間で、女色に耽溺するどころか、皇后アデルハイド以外の女性を知らないのではないかと噂されるほど、女性関係に淡泊、性欲自体が乏しい為人だった事は良く知られている。公式の寵姫や側室の存在は確認されず、同帝の子として認知されているのは僅かに2人、皇后との間に儲けた、長子リヒャルトと次子ルードヴィヒのみである。
この兄弟はあらゆる面で対照的だった。長子リヒャルトはいわゆる天才肌の人物で、学問、運動、芸術、武術、政務、果ては遊戯に至るまで、およそ人間が為し得る事で、出来ない事は何一つないのではないかと思わせる、将に万能の天才という言葉が過言では無い人物だった。
また、頭の回転が異常に早く、一を聞いて十を知るどころか、周囲の人間からすれば、まさか読心術か予知能力でも持っているのか、そう薄気味悪く思うほど、物事の先を読む力に長けていた。
さらに、自他ともに認める美男子で、性格は快活で社交的、人の気を逸らさぬ話術にも優れて、貴族・平民を問わず、周囲の女性の注目と関心を一身に集めた。
こと頭脳の明晰さという点では、父帝ジギスムントを遥かに凌ぎ、いや旧王朝の歴代諸帝38人の中でも、長子リヒャルト、後の享楽帝リヒャルト1世は、間違いなく随一の存在だった。歴史家皇帝として著名な文華帝エーリッヒ1世は、同帝を「仮にゴールデンバウム家に生を享けずとも、必ずや歴史に名を残す人物になったであろう」と評している。
だが、文華帝の評には続きがある。「しかし、その名は美名ではなく、悪名であっただろう」と。後世、リヒャルト帝が名君と称えられる存在にならかった理由は、将にこの点にある。
天才肌の人物にはありがちだが、リヒャルトには周囲の人間がほぼ例外なく、愚鈍に見えていたのだろう。彼からすれば、既に答えは出ている、自明の問題にいつまでも拘泥し、時間の無駄としか思えぬ議論を延々と続けて、挙句の果てには、彼には見た瞬間に分かっていた回答にやっと辿り着く、或いは、一度手本を見せてもらえれば、彼には完璧に再現できる技術や技能をいつまで経っても習得できず、努力や修練に延々と時間を費やした挙句に、習得できた技術や技能は自分よりも低レベルでしかなかった、こんな状態が少年時代からずっと続いていたら、周囲の人間を悉く見下すようになっても不思議ではないだろう。彼にとって、周囲の人間の存在価値とは、自分に従い、その指示を遵守する事だけだった。
故に、彼が周囲からどういう人物として見られたか、想像に難くない。敢えて卑俗な言い方をすれば、極めて鼻持ちならない傲慢な人物、だっただろう。
だが、傲慢で無能な人物であれば、周囲に与える影響は不快感だけで済んだのだが、前述した通り、彼は有能すぎる程に有能な人物だった。彼が周囲への侮蔑と嘲笑を隠しもせずに出した指示通りに物事が進み、解決へと至れば、人はその事に感謝するだろうか。満腔の感謝を抱ける者がいるとすれば、感情機構のどこかに致命的な欠陥があるか、真正の奴隷根性の持ち主か、或いは覚者、聖者の名に値する人物だろう。そして残念ながら、当時の銀河帝国には、その種の人物は存在したのかもしれないが、極少数派でしかなかった。
リヒャルトにはその高い能力と反比例するかの如く、人望というものが全く欠如していた。その周囲にいたのは、彼が持つ権力や財力、または表面上の快活さや肉体的魅力に惹かれた男女だけで、いわゆる追従者でしかなかった。
一方、次子ルードヴィヒを評するならば、ただ一言「兄リヒャルトの反対」と言えば事足りる。その気質は父帝ジギスムントの少年期によく似ており、才走った所など欠片も無かったが、倦まず弛まず、努力する才能には十二分に恵まれていた。
あらゆる面で兄に及ばなかったが、その事に腐る事無く、万能の天才たる兄を素直に尊敬し、両親や周囲の者達にも「自分の目標は兄上です。才能の無い自分には無理かもしれませんが、頑張って努力して、少しでも兄上の様に優れた人間になって、父上のお役に立ちたいです」と、本心から語れる健気さを持っていた。
このルードヴィヒが両親、特に優しい性格の母親アデルハイドから愛されたのは当然だろう。また、長ずるに従い、リヒャルトの傍若無人さ、また女性関係の派手さが顕わになってくると、その愛情は偏愛の域に達し、親族や臣下の中にも、例えば母方の叔父であるノイラート候アルフォンスなど、素直で健気、生真面目で誠実なルードヴィヒに好意的な人物が増えていった。
しかし、こと人間の相性とは不可思議だと思わざるを得ないのだが、傲慢で傍若無人、周囲の人間を侮蔑していたリヒャルトからすれば、才能など無い、努力しかできないルードヴィヒの如き存在は、心底から軽蔑しそうなものなのだが、何故か、この2人の兄弟仲は良好だった。
無能者を嫌悪していたはずのリヒャルトは、ルードヴィヒだけは可愛がり、気が向くと、勉強を教え、フライングボールや白兵戦技の稽古をつけ、三次元チェスやポーカーなどゲームの相手をしてやり、ルードヴィヒが好きな絵の描き方を教えて、時には新無憂宮から連れ出し、外聞を憚るような遊びに付き合わせた事さえあったようだ。だからこそ、ルードヴィヒは、自分には出来ない事が何でも出来る上に、自分を可愛がって、色々な事を教えてくれる兄リヒャルトを素直に尊敬し、慕ったのだろう。
尤も、リヒャルト本人は、取り巻きの1人に「ルードヴィヒの顔を見ると、何故か構ってやりたくなる。あいつの事など、別に好きでも何でもないはずなんだかな」と漏らしており、或いは、ルードヴィヒは本人も自覚しない、奇妙な人間的魅力の持ち主、俗に言う「憎めない奴」だったのかもしれない。