【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
このリヒャルトとルードヴィヒの兄弟のうち、どちらを自分の後継者、第三代の銀河帝国皇帝とすべきか、傍観者の立場であれば、自分の好みや価値観で好きな事が言えるだろう、だが、当事者の皇帝ジギスムントにしてみれば、これほど悩ましい難問は無かった。
こんな史実は無いのだが、緻密な性格だった皇帝ジギスムントは、いくつかの条件を設定し、帝位継承者として見た、息子2人の優劣を密かに検討した事があったかもしれない。その空想に基づき、先に示した、先代との血縁関係・候補者の能力や器量・被治者(臣下・部下含む)側の支持、これらの条件を設定し、あったかもしれない皇帝ジギスムントの思考の軌跡、葛藤を表現してみようと思う。
まず、先代すなわち自分との血縁関係では、長子であるリヒャルトに、僅かに軍配が上がろう。だが、自分は先帝陛下の外孫で長子ではない。そう考えると、帝位継承において、長子である事を優先する先例は無い上に、先帝陛下と自分との血縁関係よりも、自分と次子ルードヴィヒとの関係の方がより近い。よって、血縁関係の親疎は、この場合、絶対的な優劣には成り難い。
候補者すなわち息子2人の能力や器量はどうか。才能だけを見れば、圧倒的にリヒャルトが優れている。しかし、器量ならばどうか。リヒャルトは才走りすぎ、他者を見下す悪癖がある。数多の臣下をまとめ、貴族らの支持を得て、平民からも敬意を払われるためには、人望というものが必要なのだ。リヒャルトにはそれが決定的に欠けている上、あいつ自身がそれを欠点と思っておらず、改善しようとする意思が全く無い。これは致命的な問題だ。
その点、ルードヴィヒには及第点をやれる。才能は兄に遠く及ばぬが、あいつ自身がそれを自覚し、常に努力する姿勢は好感が持てる。臣下達も、その姿勢を好意的に見ているようだし、それは人望を得る事につながる。あいつ自身がそれを自覚しているかどうかは別にしてだが。能力や才能も、兄には及ばぬとは言え、ルードヴィヒは決して愚昧でも無能でもない。それに、政務とは経験値で処理できる部分も数多ある、為政者として経験を積み、努力を忘れなければ、十分に優秀な皇帝になれるだろう。
最後に、被治者たち、臣下や部下、貴族や平民たちの支持だが、これはもう、ルードヴィヒに軍配を挙げざるを得ない。ルードヴィヒの素直さや健気さ、真面目さを褒める者は多く、リヒャルトの傍若無人さ、高慢さ、そして不品行に眉を顰める者もまた多い。ルードヴィヒの周囲には、誠実で優秀な人物が多く、リヒャルトの周囲には阿諛追従しかできない下らぬ者が多い。救いがあるとすれば、リヒャルト自身が周囲の連中を追従者だと分かっており、当座の遊び相手としてしか見ておらず、内心では軽蔑しきっている事だろう。
だが、物事の上辺だけを見る者からすれば、完全に放蕩者でしかない。聡明で思慮深い義弟のアルフォンスさえも、リヒャルトを放蕩者としか見ておらぬ。尤も、あの者の場合は、姉である皇后アデルハイドがルードヴィヒを可愛がっている事に影響されているのだろうが。
だが、余も人の事は言えぬ。客観的であれ、公平であれと、常に言い聞かせていても、リヒャルトの不品行、特に女性関係の事が耳に入ると、反射的に不快感を覚えてしまう。感情の面では、品行方正で礼儀正しいルードヴィヒに好感を抱いている自分自身を自覚している。まあ、顧みれば、若かりし頃の余も、アデルハイドに夢中になり、17歳の時にリヒャルトを儲けたのだから、あいつの不品行を責める資格など無いのだが。
こと感情の面では、余はルードヴィヒを後継者に定めたがっている。そして、理性もそれを後押ししている。ルードヴィヒは偉大な皇帝にはなれないだろう、しかし、暴君や暗君に堕す事は無いと断言できる。幸い、銀河帝国の支配体制は、ほぼ盤石になったと自負している。これからは、先帝陛下の如き英雄、英傑よりも、ルードヴィヒのように、才は乏しいが、生真面目で温和な人物こそが皇帝に相応しいと思う。
リヒャルトは余よりもむしろ、先帝陛下に似たのだろう。そう考えると、あいつは遅く生まれすぎたのかもしれん。連邦末期の如き動乱の時代に生まれておれば、先帝陛下の麾下に参じて、その抜群の才能を十全に発揮し、帝国建国の功臣として称えられたであろうに。平和な時代に生まれ落ちてしまったが故に、その才能を持て余し、放蕩無頼で日々を送らねばならないとは。あたら英雄児が哀れな事だ。
だが、もはや時計の針を逆転させる事などできん。リヒャルトを説得して、帝位を諦めさせる代わりに、大貴族としての豪奢で気儘な生活を保障してやれば、あいつは案外、その境遇を素直に受け入れるようにも感じている。ルードヴィヒを後継者に定めたと言えば、皇后のアデルハイドは一も二も無く賛同するだろう、重臣のアルフォンスやアンドレアス達も、決して否とは言うまい。だが、本当にそれで良いのだろうか…
ジギスムントが残した日記や手記、決裁した書類への書き込み、ノイラート候アルフォンスやビューロー侯アンドレアスら重臣達、皇后アデルハイドやその側近だったフリードマン男爵夫人ソフィアらが書き残した日記等、そして皇帝起居録などを参考に、敢えて想像の翼を逞しくして、あったかもしれない皇帝ジギスムントの内面を再構成してみたが、少なくとも皇帝ジギスムントは自身の後継者として、感情と理性の両面から、次子ルードヴィヒが相応しいと考えていた事は間違いないと思われる。
そして、それは決して妥当性に欠けた謬見ではなく、皇后や重臣達を始め、当時の文武官から意見を聴取したとしても、大多数が首肯する客観性を有してもいた。
では何故、皇帝ジギスムントは自身の意思を枉げて、次子ルードヴィヒではなく、長子リヒャルトを皇太子に定めたのであろうか。筆者の私見では、この謎を解明する事が、同帝が長子相続の祖法化に固執した理由を解明する事に繋がるのだ。以下、節を改めて、その事を解説したい。