【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」   作:旧王朝史編纂所教授

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第19章 皇帝ジギスムントの崩御
第1節 最晩年の政治状況


 前章までの記述で、建国者ルドルフ大帝が創成した銀河帝国を継承し、その支配体制の確立を成し遂げた第2代ジギスムント1世の統治において、同帝が創始した施策は、ほぼ網羅できたと思っている。本章では、同帝最晩年の政治状況から説き起こし、同帝崩御へと至る帝国暦70~71年の帝国政界の情勢、そして第3代リヒャルト1世に残された課題等について整理。そして、専制君主の理想、最良の後継者と評された強堅帝ジギスムント1世が後世に与えた影響について概説したい。

 

 まず、前述した通り、帝国暦60年代に至り、40歳を超えたジギスムント帝は身体の不調を訴える事が増え、数日に亘って病臥する事も屡々あった。その頻度は加齢と共に増加し、同60年代後半、70年が近くなると、体力の減退が著しく、長時間に亘って政務を行う事が難しくなっていた。

 これ以前から、近い将来の死を想定していた同帝は、自身の構想に基づき、長子リヒャルトを後継者に定め、これまで公職に就いていなかったリヒャルトを皇帝政務秘書官に任命するなど、帝位継承の準備に入らせている。その総決算と言うべきが、帝国暦69年に公布された長子相続の祖法化に関する詔書であり、翌70年に挙行されたリヒャルトの立太子式であった。

 

 病臥する事が増えていたと雖も、当時、大多数の貴族を与党としていた皇帝ジギスムントの権勢は圧倒的で、政・官・軍を支配する文官・武官貴族、そして枢密院を牙城とする有力な領主貴族達は、その権力を恐れ憚り、内心はどうあれ、深く忠誠を誓う者ばかりだった。

 

 だからこそ、才能豊かだが、人望に乏しい長子リヒャルトの立太子も実現したと言えるのだが、リヒャルトの立太子に公然と異を唱えた国務尚書ノイラート侯爵の様に、同帝が強行した後継者選定に対する不満や疑問が燻っていない訳ではなかった。

 

 病臥したとは言え、その明晰さを失っていなかったジギスムント帝は当然、この事も理解していただろう。長子相続を祖法とする詔書を公布して、それだけで事足れりとする程、楽天家ではなかった同帝は、立太子と同時にリヒャルトを摂政皇太子に任命。皇太孫時代の自分と同様、先帝の崩御を前提に、実際に政務を担当させ、リヒャルトが帝国皇帝として過不足ない能力の持ち主で、かつ自身が定めた通り、政務には過度に容喙しない、その姿勢を貴族達に喧伝させている。

 恐らく、これを行う上で、皇帝ジギスムントと皇太子リヒャルトとの間で、入念な打ち合わせがあったと想像される。事実、当時の皇帝起居録を見ると、病臥中の皇帝を皇太子が訪れて、余人を交えず、長時間に亘って密談したとの記述が極めて多い。

しかし、父帝から英雄児、天才児と評された皇太子リヒャルトは、君臨すれども統治せず型の立憲君主的皇帝として振る舞うなど、自身の手足を縛るに等しい事を唯々諾々と受け入れたのだろうか。詳しくは同帝の巻で述べたいが、リヒャルトは死の淵に居る父帝が必死に自分を説得し、母と弟を保護して、決して家族で相争うなと搔き口説く様を目の当たりにして、元々有していた虚無的な人生観も相俟って、どこか他人事な、自棄的な感覚に囚われたのではないだろうか。リヒャルト帝の治世を貫く、ある種退廃的な、ペシミスティックな雰囲気は、或いはこの時を淵源とするのかもしれない。

 

 帝国暦70~71年にかけて、新無憂宮を中心とする、帝都オーディンの政界・官界、帝国軍、そして枢密院は、皇帝ジギスムントの崩御を具体的な政治日程に載せ、次期皇帝たる皇太子リヒャルトを中心に、新しい体制へと移行しつつあった。国務尚書ノイラート候の様に、あくまで今上帝ジギスムントに従う姿勢を見せる貴族も存在したが、彼の如き者は日一日と少なくなっていった。皇后アデルハイドや次子ルードヴィヒも、ジギスムントに説諭されたのか、リヒャルトの帝位継承に異を唱える事もなく、ジギスムントが想定した通り、リヒャルトへの帝位継承は円滑に進む事が確実視されていった。

 

 そして、帝都を離れた帝国領内、特に辺境域において、先帝ルドルフから今上帝ジギスムントへの帝位継承時に見られた、共和主義者ら反帝国勢力による叛乱や暴動も観測されていない。これもまた、ジギスムントが腹心たる軍務尚書ビューロー侯爵に命じて遂行した旧攻守連合領の再平定戦、帝国軍を外征から治安維持を主任務とする、軍縮を伴う軍組織の改編、貴族領をも巻き込んだ治安維持体制の大再編、有力な領主貴族を牽制する枢密院分院の創設と、これまでの諸施策の結果、ジギスムントが自負する通り、既に帝国領内の支配体制は、ほぼ盤石と言っても過言では無い状態に整備されていたためだろう。

 

 さらに、青年期からスリルを求めて、敢えて辺境域を旅していたリヒャルトは、各軍管区所属の帝国地方軍の将兵から、その快活で社交的、かつ冒険者的な為人を好まれ、あくまで帝都に住む貴族達と比較すればだが、それ相応の人望を得てもいた。

 後世、帝位継承によって生じる権力の空白期間を狙って、有力な領主貴族が地方軍を巻き込んだ叛乱を画策する事例が相次ぐのだが、少なくともリヒャルトの帝位継承時においては、そのような事例は生じていない。皇帝ジギスムントが警戒するほど、端倪すべからざる人物だったカストロプ公マクシミリアンの如き、有力な領主貴族であっても、リヒャルトの帝位継承時、何らの動きも見せなかったのは、軍管区所属の地方軍がリヒャルト支持で緩く纏まっていたからだった、かもしれない。

 

 斯くして、今上帝ジギスムントの崩御と、皇太子リヒャルトの帝位継承は、帝国の中央、地方ともに、既定路線として受け入れられていった。立太子前は、人望の無さを強く批判されてもいた皇太子リヒャルトだが、この頃は死の淵にある父帝を流石に憚ってなのか、女性関係は鳴りを潜め、母后アデルハイドにも孝養を示し、摂政皇太子として政務にも精励する姿を見せていたので、リヒャルトを批判していた貴族達の中にも「名君の素質があるのではないか」と、好意的な評が増えていった。

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