【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
帝国暦71年2月16日、今上帝としてルドルフ大帝追悼式典を主宰したジギスムントは、式終了後に昏倒、長期間の療養を余儀なくされる。皇后アデルハイドの指示で、新無憂宮の一室、帝都オーディンの街並みを見晴るかす、平素よりジギスムントが好んでいた大部屋を病室に改装させて、24時間体制で治療に当たらせた。
皇后自身も予定の許す限り、皇帝の病室に詰め、昼夜を分かたず自ら看護を行ったが、逆にジギスムントは妻の体調悪化を心配し、少なくとも夜は自室に下がり、十分な睡眠を取るように、と諭すのが常だったと云う。
また、体調が比較的良い日は、病室の窓を開放させて、帝都オーディンの街並みをじっと眺める事を好んだ。ある日、皇后から「代り映えのしない街並みなど、そう毎日眺められても、ご退屈ではございませんか」と問われると、ジギスムントは静かに微笑み「そうだ、全く代り映えがしない。だがな、だからこそ良いのだ。臣民達が日々を平穏に暮らせている事の証なのだから。少なくとも余にとって、これほど嬉しい光景はないのだ。アデルハイドよ」と答えたと云う。その治世の全てを帝国の支配体制の確立に捧げ、先帝ルドルフと同様、臣民の生存と安寧を終生の政治目標としていた、皇帝ジギスムントの為人を良く表す挿話だと言えよう。
帝国暦71年4月15日、小康状態を保っていたジギスムントの容体が急変。侍医団による診察の結果、もはや崩御は時間の問題との判断が下されると、皇后アデルハイド、摂政皇太子リヒャルト、次子ルードヴィヒら皇族達を始め、国務尚書ノイラート侯アルフォンスが謹慎中のために、事実上の筆頭尚書となっていた軍務尚書ビューロー侯アンドレアス以下の各省尚書、統帥本部総長ザウケン大将ほか軍高官、また枢密院議長マールバッハ伯ヴィルヘルムら枢密院議員たち、重臣や大貴族が新無憂宮に陸続と参内、目前に迫った皇帝の死に備えている。
自らの死を悟った皇帝ジギスムントは、意識が明晰な間に最後の意思を伝えておこうとしたのか、家族や重臣達を枕頭に呼び寄せ、各人に遺言を伝えている。しかし、同帝崩御後、遺言を受け取った者たちが書き残したその内容は、先帝ルドルフが示した大帝遺訓の様に、自身の政治哲学や帝国統治上の指針を伝えるものではなく、例えば皇太子リヒャルトに与えた遺言の一節「ビューロー侯爵は臣下ではあるが、血縁上はそなたの従叔父に当たる。一族の長老として遇し、よくその助言に従え」など、個別具体的な内容に終始している。それもまた、徹底したプラグマティスト、有能無比な実務家だったジギスムントらしいと云えよう。
同年4月18日、断続的な昏睡状態に陥ったジギスムントは、枕頭に侍る皇后アデルハイドと摂政皇太子リヒャルト、そして次子ルードヴィヒらに向かい「意識が混濁してきている。これ以降、余の発言は全て妄言とし、遺言としての効力を認めぬ。そなたらが証人となるように」と告げると、「疲れた。もう黙るぞ」と呟き、静かに息を引き取っている。帝国暦71年4月18日午前8時56分、享年54歳。
同年4月25日、「余の葬儀は死後1週間以内に、速やかに執行せよ。また、喪に服する事は無用である」との遺言に基づき、摂政皇太子リヒャルトを喪主とする、先帝ジギスムントの国葬が挙行。続いて、皇太子リヒャルトの即位式が執り行われ、新帝となったリヒャルトの勅命で、先帝ジギスムントには「強堅帝」の諡号が贈られた。以降、第2代銀河帝国皇帝ジギスムントは、歴史上、強堅帝ジギスムント1世と呼ばれる事になる。