【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
本論からは逸れるが、旧王朝における諡法制度について一言しておきたい。同制度の開始は、形式的には第2代皇帝ジギスムントからではあるが、先帝ルドルフを深く敬慕するジギスムントは、未熟な若輩者である自分が偉大な先帝を評価するなど不敬の極みであるとして、当時すでにルドルフの美称として通用していた「大帝」との表現を採用。「先帝陛下を評するのにそれ以外の言葉は無用である」と、事実上、諡号を贈っていない。
よって、本来の意味での諡号を贈られた帝国皇帝は、第2代ジギスムントを以て嚆矢とするのが一般的な認識である。また旧王朝史上、痴愚帝や流血帝、敗軍帝など、その治世を明らかに非難、貶める諡号が贈られた皇帝も存在するが、不敬罪が存在した旧帝国で、何故このような諡号を定める事が出来たのか、その理由は大きく2つに分かれる。
まず1つは、彼ら暗君、暴君に次いで即位した皇帝は、先帝から円滑に帝位を譲られたのではなく、監禁や叛乱など、武力行使の結果、即位している例が多い。よって、自己の行為を正当化するため、先帝の治世を殊更に貶める必要性があった事から、マイナスの評価を示す諡号を贈ったと考えられている。
なお、史上名高いダゴン星域会戦時の皇帝・敗軍帝フリードリヒ3世に不名誉な諡号が贈られた理由だが、同帝の死自体は自然死で、弑逆された史実は存在しない。だが、次いで即位した盲目帝(または慈愛帝)マクシミリアン・ヨーゼフ1世は、敗軍帝の異母兄であり、マクシミリアンは即位前から一貫して弟フリードリヒの治世を批判、反フリードリヒ派の領袖を務める強力な政敵でもあった。よって、敗軍なるマイナス評価を示す諡号を敢えて贈ったと思われる。
そして、もう1つは、崩御直後はマイナス評価の諡号を贈られてはいなかったが、その後の政治状況の変化、特に皇帝の意向により、既に定められていた諡号を変更されたためだ。例えば、帝国暦399年に即位した残暴帝(または凶軍帝)ウィルヘルム1世は後世、ルドルフ原理主義を鼓吹し、同盟との和平の可能性を潰して、対同盟戦争を泥沼の状態に陥れた暴君として強く批判されており、その意味で、残暴との諡号は同帝に相応しいと言えるのだが、同帝崩御後、後継者として即位した弟ウィルヘルム(前名ハインリッヒ)は、暴力的な兄ウィルヘルムの精神的奴隷に等しく、その即位も兄帝が暴飲暴食と荒淫の果てに急死した結果、兄帝の側近集団に傀儡として擁立されただけでしかなく、自身の主体性など皆無な人物であった事から、兄を非難する残暴帝なる諡号を贈ってはいないと推定される。
しかし、帝国暦410年、ウィルヘルム2世の長子コルネリアスが即位すると、聡明で勇気ある為人だった同帝は、同盟との戦争は帝国にとり百害あって一利無しだと、伯父や父の治世を批判、父帝までの対同盟強硬路線を改め、専守防衛を対同盟戦略の基本に据えている。
その結果、軍部を中心に、先々帝ウィルヘルム1世の治世を大義名分として、今上帝コルネリアスを批判、対同盟戦争の再開を求める勢力が台頭。その代表的な人物が、例えば、前巻で言及した当時の憲兵総監バルトルト・フォン・ハーゼなどだが、彼ら対同盟強硬派を放置しておけば、軍の統制が弛緩、辺境域に駐留する地方軍の独断で、対同盟戦争の戦端を開く事にも成りかねないと、コルネリアスは皇帝直属の秘密警察的存在となっていた社会秩序維持局を用いて、対同盟強硬派を密かに粛清している。
あわせて、彼らの大義名分を失わせるために、先々帝ウィルヘルム1世の諡号を「残暴帝」に変更させている。その際、皇帝の評価に関する事であるため、ウィルヘルムのそれまでの諡号は、コルネリアスの厳命により、あらゆる記録から削除されている。その結果、現在まで伝わるウィルヘルム1世の諡号は残暴帝のみとなっている。
以上2点が旧王朝の歴代諸帝中、マイナス評価の諡号が贈られた皇帝が存在する理由だが、関連して、第36代フリードリヒ4世から第38代カザリン・ケートヘン1世の諡号について、最後に言及しておきたい。
フリードリヒ4世の諡号は「亡国帝」(非公式ながら「再誕帝」との諡号が用いられる事もある)であり、同帝崩御後に即位したエルウィン・ヨーゼフ2世は「廃帝」、また、未だ存命ではあるが、カザリン・ケートヘン1世は「末帝」との諡号が用いられる。
開祖ラインハルト陛下は、そもそも諡号制度自体に興味をお持ちではなく、新王朝開闢後、宮内・学芸両省から、三帝の諡号を定めるべきと提議されたが、ラインハルト陛下は積極的に諡号を定める意思を持たなかったため、現皇太后ヒルデガルド陛下に対応を一任。その結果、フリードリヒ4世は、初代軍務尚書オーベルシュタイン元帥が強く推した「亡国帝」と決定。エルウィン・ヨーゼフ2世は、帝国政府の公文書で便宜的に用いられていた「廃帝」を採用。カザリン・ケートヘン1世は未だ乳幼児で、在位中、その意思による政治的行為が皆無であるため、ただ旧王朝最後の皇帝である事だけを示す「末帝」と定められた。