【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
ジギスムントの真面目で責任感ある態度は、帝国の支配者階級である事、それに相応しい人物にならねばならない事を親たちから厳しく躾けられていた学友たちの多くから支持され、ジギスムントは自然と彼らのリーダー的存在になっていった。
しかし、彼らが思春期を迎える頃になると、若者らしい自意識の目覚めから、親を始めとする既存の権威への反骨精神を逞しくする者も現れて、彼らはジギスムントの優等生的な態度を殊更に冷笑するようになった。彼らはジギスムントの従弟の1人で、叔母アグネス(ルドルフの三女)の長子アンドレアスを中心に別グループを形成した。
アンドレアスは、シュタウフェン公爵家の一門、ビューロー伯爵家の当主ディートハルトの孫。同伯爵家は、連邦首都テオリアに本社を置く大手軍需企業の経営者一族で、ディートハルトはルドルフが連邦政界で台頭、国防大臣に就任した時からの支援者だった。連邦首相となったルドルフが主要企業の国有化を断行すると、逸早く自社の経営権を政府に差し出し、最高支配人に就任している。その経歴は初代国土尚書ゲルラッハと通じるものがあるが、ゲルラッハが経済人との意識を捨てられなかった事とは対照的に、帝国が開始した統制経済も積極的に受け入れ、経済人ではなく経済官僚、政府の指示通りに生産活動を行う国営企業の支配人として身を処した。
また、帝国建国以前から交流があった初代軍務尚書シュタウフェン公エリアスとも誼を通じ、自社の生産工場が立地する星系を領地として与えられた領主貴族でありながら、武官貴族たるシュタウフェン公爵家の一門に属している。
当時の帝国軍で使用されていた戦闘用艦艇の約3割を納入していた同社は、帝国のみならず、敵国・経済共同体所属の企業を含めても、この時の軍需産業界において、五指に入る超大手企業だった。その生産能力を確保しておきたいルドルフの意向と、軍務尚書シュタウフェン公爵の推薦もあり、ルドルフの三女アグネスがディートハルトの長子ヨハネスに嫁ぐ事となった。
帝国暦18年、アグネスは姉カタリナに続くように、長子アンドレアスを出産。ジギスムントの僅か一歳下、他の従弟達は彼らより5歳以上年下だった事もあり、ジギスムントとアンドレアスは、生まれた時から何かと比べられる間柄だった。
成長するに、アンドレアスは長身で体格にも優れ、祖父ルドルフの少年期を髣髴とさせると評された。また、性格も強気で自己主張が強く、勉学は比較的苦手だがスポーツや格闘技は万能、喧嘩とお祭り騒ぎが大好きで、実家の経済力を背景に大盤振る舞いも辞さない、典型的な「ガキ大将」だった。尤も、粗暴で粗雑な少年だったのではなく、上に立つ者としての配慮や面倒見の良さもあり、一定以上の人望を集めた。ルドルフの息子を孕んだ寵姫マグダレーナの死後、帝位継承レースにおいて、彼がジギスムントの対抗馬と見られたのは当然だっただろう。
母アグネスは、我が子アンドレアスこそ父ルドルフの後継者に相応しいと、ジギスムントの立太子後も、密かに両親へ働きかけたが、寵姫マグダレーナの一件が骨身に沁みていたルドルフを翻意させる事は出来なかった。だが、当時のルドルフの書簡には、アンドレアスの豪放磊落さを好ましく思いつつも、周到さや細密さに欠けると指摘、今のままでは帝位に就ける訳にはいかないと書かれており、マグダレーナの一件が無くとも、アンドレアスが第2代皇帝になれる可能性は低かった。
だが、このアグネスの動きは、姉カタリナの動揺を招いた。カタリナ自身、気の強い性格で、息子ジギスムントの子供らしく無い生真面目さに飽き足らない思いを抱いていただけに、父ルドルフが大人しいジギスムントに失望し、若い時の自分に似ているというアンドレアスを皇太孫にするのではないか、との疑念に憑りつかれた。マグダレーナの一件では強い味方だった皇后エリザベートも、今度はどちらも同じ自分の孫、当てには出来ないという思いが疑念を焦りに変えた。結果、ジギスムントとアンドレアスが比較されてしまう学友制度こそ諸悪の根源なのだとの思いから、カタリナは夫ノイエ・シュタウフェン公に何度となく制度の廃止を要求したが、前述の通り、ルドルフの意向もあり、同公がそれを承知するはずは無かった。
夫を敵視するようになったカタリナは、今度は息子ジギスムントを呼びつけ、従弟のアンドレアスのようになれと叱咤したが、既に確固たる自我に目覚め、勉学を通じて祖父や父の偉大さ、優秀さを改めて実感し、自分もあのような人物になりたいとの思いを募らせていたジギスムントにとって、尊敬する父親を悪しざまに罵り、別に否定もしないが、取り立てて評価もしていない従弟のようになれという母親の姿は、まるで理解できない上に、嫌悪の対象にさえなった。
このため、思春期を迎えた12~13歳ごろから、ジギスムントにとり、実家たるノイエ・シュタウフェン公爵邸は決して居心地の良い場所ではなくなっていた。父と母の仲は険悪になり、仲の良かった妹テレーゼも母の味方ばかりするようになり、共に父の悪口を言う家庭内の雰囲気に嫌気がさしたのだろう、勉学が忙しくなったとの名目で、新無憂宮内の皇太孫宮で寝泊まりする事が多くなっていった。
だが、現在的視点からすれば、この事はジギスムントの将来にとり、決してマイナスではなかった。ジギスムントが皇太孫宮で昼夜を分かたず勉学に励むようになると、周囲の学友達もそれに倣って、同宮に泊まり込み、共に勉学に励むようになった。この勉強合宿を通じ、彼らの同志的連帯感が強まった事は想像に難くない。
さらに、極めて皮肉な事に、当事者のアンドレアスも実家を離れ、皇太孫宮に半ば住み着いてしまったのだ。母アグネスから常に、ジギスムントに負ける事は許しません、貴方が皇太孫になるのです、と言われ続ける事に辟易としたアンドレアスは、そもそも帝位に就きたいなどと思った事はなく、ジギスムントに対しても、その堅苦しい態度が面倒だっただけで、深刻に嫌悪していた訳ではなかったようだ。皇太孫宮なら母親が乗り込んでくる事もあるまいと計算したアンドレアスは、ジギスムントに今までの非礼を詫び、即位の暁には、その臣下となって働くと忠誠を誓約する代わりに、ここに住まわせて欲しいと懇願した。
この時、ジギスムントがどう感じたのか、何も史料は無いのだが、敢えて想像すれば「開いた口がふさがらない」という心境だったのではないだろうか。ともあれ、周囲の大人達の思惑をよそに、両者は和解して、共に成人するまで、奇妙な同居生活を続ける事になる。なお、詳しくは後述するが、彼アンドレアス、そして同じく学友の1人で、許嫁アデルハイドの弟アルフォンス、この両名が親政開始後のジギスムントを文武両面で補佐する名将・名臣となっている。