【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
また、この皇太孫宮での生活を通じて、ジギスムントの将来を大きく変えたのが許嫁アデルハイドとの関係。7歳の立太子時、婚約関係を結んだが、その後、帝室主催の舞踏会やパーティ等で顔を合わせて、僅かに言葉を交わすだけの関係にとどまり、双方の間に嫌悪は無かったが、殊更に親しくなる事も無かった。
だが、ジギスムントが半ば実家を出て、皇太孫宮で暮らすようになると、ご機嫌伺いの名目で、アデルハイドは頻繁に同宮を訪れるようになった。これは、両者の仲が進展しない事に焦慮したアデルハイドの父ハインリッヒの指示だったとも言われるが、母や妹ら、気が強く自己主張の強烈な女性に嫌気がさしていたジギスムントにとり、幼少期から貴族令嬢として厳しく躾けられ、芯は強く、自分の意見も持っているが、自己主張は控えめという淑やかな女性は、極めて新鮮だったのだろう。
また、思春期を迎え、性的衝動を覚えつつあったジギスムントには、歴代皇后の中でも群を抜いた美貌の持ち主だったアデルハイドの魅力に抗する術は無かった。両者は忽ちのうちに相思相愛の仲となり、帝国社会の早婚化傾向にも後押しされて、10代後半から事実上の夫婦生活に入り、帝国暦34年、17歳の時には長子リヒャルトを儲けている。
ジギスムントを溺愛し、高く評価もしていた祖父ルドルフだが、生涯で唯一、この事だけは「あまりに早すぎる。許嫁を愛する事が悪いとは言わぬ。だが、女色に耽り、皇太孫としての責務を疎かにする事は許さぬ!」と、烈火の如く叱責したと云う。尊敬する祖父に厳しく叱られた事は、若いジギスムントには酷く堪えたようで、この後、アデルハイドとの間に子を為す事は、ルドルフ崩御後、かなりの時が経過してからになる。
なお余談ながら、ジギスムントの皇后アデルハイドは、国政に容喙する事も無く、皇宮の運営も夫と子供達の意向を最優先し、大まかな方針だけを立てると、実務は宮内尚書に一任する、という女性だったが、家事一般を始め、帝国女性が身に付けるべきとされた嗜みは悉く習得。特に料理が得意で、ジギスムントの即位前、皇太孫宮で夫や学友たちに手料理を振る舞う事も屡々あったが、幼少期から美食に馴れて、舌が肥えている彼らが挙って、その美味しさを絶賛するのが常だったと伝えられるので、その腕前は玄人跣だったと思われる。皇后としては、見るべき業績や逸話も無いが、帝国女性としては、夫唱婦随に撤した良妻賢母、最高の貴婦人として、後世の模範となっている。