【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
同時刻、ノイエ・シュタウフェン公も動いている。自ら直属の部隊を率いて、帝都防衛司令部に乗り込むと、軍務尚書の権限で、同司令官アイレンブルグ少将の即時解任を通告し、憲兵隊に身柄を拘束させた。また、司令部員も事情聴取の必要があるとして、全員を拘束すると、憲兵隊本部へ密かに連行させた。
そして、同道してきた地上中央軍・第3軍団長イザーク・フォン・ケッテラー少将を司令官代行に任命。大帝陛下の国葬の前に、帝都に潜む共和主義勢力が騒擾を起こす可能性がある、それに備えるべしとの名目で、オーディン各所の要地に防衛部隊を派遣させたが、真の目的はクーデター派の貴族や文武官の拘束。そのため、防衛部隊には社会秩序維持局の治安維持部隊を同行させている。
クーデター派において、ほぼ唯一の実戦部隊だった帝都防衛部隊がノイエ・シュタウフェン公によって制圧された事実は厳しく秘匿された。警護に参りましたとの口実で、ケッテラー少将指揮下の防衛部隊がクーデター派の屋敷等を訪れると、逮捕状と銃口を突きつけられるまで、大多数の者が全く疑わなかったと云う。
なお、この時の副産物として、武器等を集め、国葬時のテロ行為を画策していた共和主義者の団体が複数、検挙されている。
この陰謀に関与していた者がどれ程いたのか、新史料を分析しても、詳細は不明のままである。それは、大帝ルドルフの長女が夫の追放や義理の娘の処刑を企んでいたなど、第一級の醜聞と言うべきで、史料自体がほとんど作成されていない為だと思われる。社会秩序維持局に残されていた逮捕記録等も、本クーデターについては、発覚した月からの命名だろう、単に「二月事件」としか記載されておらず、同事件の関係者として逮捕されている貴族や文武官は、上記のアイレンブルグ少将を始め、十数名程度にとどまる。
だが、各貴族家に残る記録や、典礼省所蔵の諸家譜の記載などを総合すると、国葬の前後、突然死や事故死、不審な失踪を遂げた貴族が相当数、存在する事が分かる。この事実は、クーデターに関与した人物への粛清活動が行われた事を示唆する。社会秩序維持局または憲兵隊が正式に逮捕、拘禁しなかったのは、ルドルフ崩御直後との時期を考え、政界に過度の動揺を与えたくなかった、ルドルフの長女カタリナが首謀者だった事から、帝室の醜聞を表沙汰にしたくなかった、などの理由が考えられる。
かくして、皇女カタリナを領袖とする宮中クーデターは、その企てが表面化する前に、新帝ジギスムントと、ノイエ・シュタウフェン公の両名によって鎮圧されている。現在的視点ではあるが、この陰謀が成功する可能性は皆無だったと言わざるを得ない。カタリナがジギスムントを説得し、意のままに操れるという前提自体が誤りだった以上、帝国軍と社会秩序維持局をほぼ完全に掌握しているシュタウフェン派の優位が覆るはずは無かった。
もともと、カタリナと宮内尚書ノルデンの間で交わされた陰口に端を発する程度のもので、クーデター派に属する者達は、その成否を真剣に検討するどころか、成功後のポストの分配で争う程度の人物ばかり。本クーデター構想を敢えて酷評するなら、嫉妬に囚われた女性の妄想を芯にして、愚か者達が寄って集って欲望や野心、私怨という名の粘土を被せて出来上がった泥人形、とでも言えるだろうか。
だが、この陰謀を自ら兵を率いて鎮圧、首謀者の母親に対しても、情に絆されず、断固として処罰したジギスムントの姿は、理想に燃える青年皇帝らしい、鋭気に満ちた威厳あるもので、改めて周囲の人物達の尊敬と忠誠を勝ち取り、偉大なるルドルフ大帝の後継者に相応しい人物だとの印象を植え付けた。
さらに、このクーデター構想に対し、積極的に参加はしなくても、シュタウフェン派への反感から、消極的な同意を示した貴族や文武官は少なくなかっただろう。彼らは粛清からは逃れられたとは言え、クーデター派と接触した事実を消す事は出来ず、いつ、その事を理由に罪を問われるか分からないとの恐怖と不安は、勢い、新帝への忠誠と帰服という形で表れた。或いは、新帝ジギスムントと帝国宰相ノイエ・シュタウフェン公は、この事を狙って、社会秩序維持局による正式な逮捕では無く、密やかな粛清という形で、貴族間に不安と恐怖の種を蒔いた可能性もあるが、史料上の根拠は存在しない。
この結果、新帝ジギスムントは、鋭気と威厳に満ちた、堂々たる青年皇帝との姿を臣下に見せつけただけではなく、自身の政治的基盤たるシュタウフェン派に反対する者達の力を大きく削ぐ事ができ、偉大なる建国者ルドルフ大帝の後継者という、極めて困難な責務を課せられた皇帝としては、最高に近い船出となった。極めて皮肉な見方をするならば、母親カタリナは息子ジギスムントの門出に当たり、最高の「贈り物」をしたと言えるかもしれない。