【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
上記のうち、施政方針演説は、新帝ジギスムントの治世初期、特に拡大戦役の遂行と深い関わりがあるので、後節にて解説したい。まず、戴冠式の式次第と即位詔書に込められた意味について説明する。
まず、帝国皇帝に即位した事を内外に宣言する即位詔書の内容を見るに、即位の根拠は、建国者ルドルフ大帝の血統を継承するゴールデンバウム家の新当主であるから、この点が理由として挙げられている。
抑も、連邦の終身執政官ルドルフが皇帝専制の世襲国家・銀河帝国を建国して、自らは帝国皇帝に即位した理由は、連邦末期、人類社会の統治はゴールデンバウム家が家業として継承する事の是非を問う国民投票が実施されて、賛成多数の結果が出た事に由来する。
即ち、人類社会の統治を家業とするゴールデンバウム家の当主となったが故に、帝国皇帝に即位できるのだ、その地位の正当性は、連邦末期の国民投票の結果によって担保されている、との論理が示されている。同盟などでは、旧帝国は民意を無視した非人道的な国家として非難、罵倒されていたが、帝国皇帝という地位の正当性は連邦市民の民意に由来する、との論理が公式に表明されていた事実は興味深い。
もとより、これが形式的なものでしかなかった事は筆者も同意するが、建国時より、旧帝国には皇帝専制を否定する回路が皇帝自身の中に内在していたと言えるだろう。この論理を展開すれば、民意に由来する皇帝の地位は、同じく民意によって否定されるからだ。後世、皇帝や貴族の暴政に対抗できる市民を育てるべきだという、帝政に従順な平均的帝国人から見れば、過激な思想を有する開明派貴族が誕生した原因の1つは、この回路の作用だったのかもしれない。
また詔書は、貴族達に新帝の補佐と統治への協力を呼びかけて終了している。戴冠式に先立ち、新帝が文官・武官・領主、各貴族家の代表者を伴い、建国者ルドルフ大帝の霊廟を訪れ、拝礼している事も、帝国の統治は独り皇帝のみが行うのでは無く、皇帝と貴族、この両者の協力関係によって担われるべきである、との思想の表れだと見なせる。
ここから、旧帝国の皇帝とは、全貴族家の比較的第一人者であるとして、旧帝国の連合国家的性格を論じる歴史家も存在するのだが、筆者はその見解を否定する者である。旧帝国の貴族は、帝国皇帝の勅書によって、その地位を与えられる以上、彼ら貴族の存在が皇帝という地位の前提条件になるとは考えられない。帝国の支配権を有するのは、国民投票という人民の推戴によって、その地位に就いた皇帝ただ一人であり、貴族たちは皇帝から支配者階級との身分と、人類社会の統治権を一部与えられた存在、と定義されるべきである。
上述した戴冠式の式次第で、参列した貴族たちは「皇帝万歳!」と唱和して、その即位を寿ぐだけの役割しか与えられていない事からも、それは看取できるだろう。戴冠式の主役はあくまで新皇帝のみであり、その新帝はルドルフ大帝の血統を継承するゴールデンバウム家の当主である事を根拠として即位したのである。必ずしも貴族達の承認と協賛を必要としてはいなかった。
戴冠式と即位詔書で、皇帝が貴族を支配者階級だと宣言し、その協力を求め、共に統治に当たるべき事が強調されているのは、建国者ルドルフが人為的に創出した貴族身分の脆弱性を補填するため、というのが現時点での筆者の見解である。旧帝国末期に生きた者からすれば、貴族の存在は確立しており、特に門閥貴族の持つ権力と財力は圧倒的で、脆弱性などは感じられなかっただろう。しかし、それは建国時の常識では無かった。
大帝ルドルフに貴族身分を与えられた者達は、大多数が政府や軍の高官であり、または国営企業の最高支配人(経営者)や公益団体の長など、ほぼ例外なく、高い社会的地位を有していた。彼らの意識では、自分達の地位は主君ルドルフに認められて得たものであり、貴族だから与えられた、とは思っていなかっただろう。よって、彼らの忠誠心はルドルフ個人に向けられがちで、ルドルフ死後、彼ら貴族たちを統合する求心力が霧散する恐れが多分にあった。
よって、帝国の支配者たる皇帝が貴族たちに支配者階級としての自覚を促し、ルドルフ個人にではなく、帝国皇帝に忠誠を誓わせ、統治者としての責務を意識させる、戴冠式と即位詔書は、そのための文化的装置だったとするのが筆者の見解である。それは、貴族階級が決して自然発生的なものではなく、建国者ルドルフが人為的に創設したものであるが故に、その立場と意義を繰り返し鼓吹しなければならなかった、貴族階級の脆弱性を表わしていると言えないだろうか。
無論、時代が下り、貴族が代数を重ね、その存在が自明のものとして社会に定着すれば、殊更にその存在意義を鼓吹する必要は無くなった。後世、皇帝権が凋落し、権臣が専横を極める時代に至ると、即位詔書の文言にも若干の変化が生じ、むしろ貴族の力を借りて、皇帝がその地位を保つ事が出来る旨、宣言された時さえあった。
以上、戴冠式と即位詔書に込められた意図について解説してきたが、この戴冠式を始め、旧帝国末期まで続く国家儀礼の多くは、ジギスムント1世の御代に制定されている。先帝ルドルフが構築した旧帝国の支配体制を国家儀礼との形で可視化し、その権力構造を明らかにして、国家の体裁を整えたのは、ジギスムントの隠れた功績とされている。宮内尚書、次いで国務尚書として、ジギスムントを補佐し、これら国家儀礼の制定を主導したのは、同帝の義弟ノイラート候アルフォンスだった。詳しくは後章にて述べたい。
さて、戴冠式を無事に終え、第2代皇帝として即位したジギスムントだが、その治世前期、父親ノイエ・シュタウフェン公に補佐されている間は、先帝ルドルフの方針を基本的には踏襲し、一部を除いて、独自の政策を打ち出す事は無かった。それは、ルドルフの治世を尊重する事で、先帝恩顧の臣下達の動揺を抑えようとした、先帝の死が与える混乱を最小限に止めようとした、これらの意図があったと考えられる。
だが筆者は、その最大の理由は、これから始まる共和主義者の叛乱を鎮圧し、その余勢を駆って、辺境域に存在する敵諸国を討滅、全人類社会を銀河帝国の支配下に収めた、後世「拡大戦役」と称される一連の戦争を遂行するため、新規の政策に割ける余力が乏しかったため、だと考えている。
次節以降、ジギスムントの治世前期を特徴付ける拡大戦役について、その推移と内容を概説したい。