【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
帝国暦24年、ジギスムント7歳の時、旧帝国史上初の立太子式が挙行され、ルドルフはジギスムントを皇太孫に冊立、正式に自身の後継者として承認した。ジギスムントが皇太孫に立てられた原因とも言える寵姫マグダレーナの一件は、当時の帝国政界では公然の秘密だったが、当人はこの事を知っていたのか、史料上から窺い知る事は出来ない。ただ、ジギスムントは崩御するまで、寵姫(側室)として、正式に遇した女性を持つ事は無かった。また、皇后アデルハイドが長子リヒャルトを出産した後は、褥を共にする事も少なく、性欲自体が乏しい為人だったのではないか、と指摘する史家もいる。
だが、筆者としては、祖母エリザベート、母親カタリナの過保護と言えるほどの溺愛ぶりからして、ジギスムントがこの両名、またはどちらかから、マグダレーナの件を悪意と共に知らされ、寵姫を持つ事が如何に誤った事か、幼心に植え付けられた結果ではないかとも考えているが、もちろん史料上の証拠は無い。
また、後世からの視点ではあるが、即位後のジギスムントは政務に精励、自身の権力を私欲の充足に使う事を厳しく戒め、かつ政務遂行に支障が生じる可能性があると判断した場合は、如何なる事であっても行わない、強烈な克己心を発揮してもいる。
詳しくは後述するが、少年~青年期のジギスムントは、周囲の学友達と共に学業に励み、祖父ルドルフや父ヨアヒムの様に、常に首席を堅持するという訳ではなかったが、倦まず弛まず、努力する才能に恵まれ、成績は上位を維持し続けた。結果、統治者の必須教養として、人類史に関する知識も豊富に有していたと思われる。歴史を知ったジギスムントは、地球時代、また宇宙時代に至っても、権力者が複数の子供を儲けると、その地位を巡って権力闘争が勃発する可能性が高くなる事、そして、権力闘争の結果、政治が乱れ、社会が混乱して、国家の弱体化を招き、ひいては滅亡の扉を開いてしまう事が非常に多い事を理解し、成人後、正妻以外とは濫りに子を為す事はせぬと、心中密かに考えていたのかもしれない。
皇太孫に立てられたジギスムントだが、その生活が大きく変わった訳ではない。変化と言えば、父親ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムが選抜した教授達による帝王教育が本格的に始まった事、そして宮内尚書ノイラート侯爵の孫娘、アデルハイドが許嫁となり、結婚を前提とした交際を始めた事くらいだろう。帝王教育の内容と教育体制、また皇太子の結婚問題は、このジギスムントの事例が後世の範となった面があるので、節を改めて解説したい。