【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
攻守連合軍の主力を撃破したノイエ・シュタウフェン公は、帝国暦42~44年、帝都オーディンと、遠征軍の策源地としたアルヴィース軍事基地を往復しつつ、同国制圧の陣頭指揮を取った。その手法は、大諸侯が一門に属する貴族家に恩恵を与え、同時に自家の権勢拡大を図る事が出来るもので、旧帝国滅亡まで、長らく受け継がれた。以下、その先鞭を付けたとも言うべき、同公の制圧作戦の内容を概説しよう。
攻守連合軍の主力を撃破したノイエ・シュタウフェン公は、迎撃軍を一旦解散。帝都オーディンの防衛と、シリウス・共同体軍の大規模侵攻が万が一、発生した場合-その可能性は限りなく低いと見込まれていたが-に備えて、約1万5000隻の艦隊を帝都に帰還させると、残り約1万隻の艦隊、及び攻守連合の領域に隣接するムスペルヘイム・ヨトゥンヘイム両軍管区所属の地方艦隊と合して、計2万隻の艦隊を編成。そして、両軍管区所属の地方方面軍から抽出した約1000万人の地上軍と、同軍管区内に駐屯する社会秩序維持局の治安維持部隊が約500万人、これらを同国占領の基幹戦力とした。
以降、ルドルフ治世時の平定戦役の手順に従い、敵勢力が支配する星系に侵攻。艦隊戦力で星系内の航路を封鎖し、かつ主星の衛星軌道上に艦隊を展開、降伏勧告を行った。かつての平定戦役であれば、無条件降伏以外を認める事は無かったが、現地住民を農奴として確保する事を目的とする拡大戦役では、勧告に先立ち、現地勢力への調略、事前交渉を行い、現地の有力者が帝国に降伏して徙民政策に協力する代わりに、その者を貴族に封じて、当該星系を領地として下賜する、との手法がしばしば取られた。
また、思想的な理由等で降伏を肯んじない者は、自治領主として認め、一定の内政自主権を認める見返りとして、同様に徙民政策に協力させた。だが、降伏も協力もしないと、抵抗の意思が固い者達には、平定戦役と同様に、地上軍が侵攻。反帝国勢力を討滅した後、軍政を経て、皇帝直轄領に編入するという形が取られた。
上記の流れを踏まえて、ノイエ・シュタウフェン公が一門の勢力と自家の権勢を拡大するために行った事は、以下の通り、整理される。
まず前提として、攻守連合軍の侵攻に対処する迎撃軍に属する艦隊司令官や参謀の多くは、同公が領袖を務めるシュタウフェン派に属する軍人が多数を占めていた事、また同国領への侵攻と占領を行う過程で、占領地の軍政に従事させた軍政家たちもまた、同派所属の軍人や官僚だった事、そして、ジギスムント即位時の施政方針演説の一節「官職を持たぬ領主達には、特に申し渡す…兵を持てる者は兵を、財を持てる者は財を、各々その持てる物を拠出して、帝国が遂行する逆賊討滅に協力せよ」を根拠として、私兵を有する領主貴族達にも出兵を促し、占領政策への協力を求めたが、参加した領主の多くが同公爵家の一門に属する貴族家だった事、これらが指摘できる。
つまり、同公は迎撃軍編成の時点から、自派閥や一門に属する貴族達を積極的に登用し、武勲を上げられる機会を斡旋していた。また、占領政策でも、同派所属の軍政家を優先採用して、軍政終了後、その施政下にあった星系が領地として下賜されるよう取り計らった。さらに、戦役に直接関与しにくい領主貴族達にも、私兵を率いての従軍を促すなど、功績を立てる機会を与えて、皇帝からの恩賞に預かれるよう裁量した。
端的に言えば、同公が行った事はこれだけである。だが、一門と自派閥の勢力拡大と自家の権勢増大に、これほど有効な策も無かった。もともと、貴族達の持つ爵位は、優れた能力を持ち、数多くの功績を立てた者達に対して、建国者ルドルフが与えたもので、爵位の継承者は、家祖と同様、優れた能力を持ち、かつ数多の功績を立てられる人物でなければならない、それが貴族社会における常識だった。所謂「爵位や地位は功績の結果」だったのである。
旧帝国末期、開祖ラインハルト陛下が台頭、ローエングラム伯爵の爵位を継承された際、多くの廷臣から、諸侯の位に就くならば、それに相応しい功績を上げるべきだと批判され、その声を受けて、帝国暦486年、亡国帝フリードリヒ4世は、ラインハルト陛下が第4次ティアマト星域会戦に出征されるよう取り計らったが、それは廷臣らが主張する功績、叛乱軍(同盟軍)討伐との武勲を上げさせるための配慮だった。
爵位が既得権益と化していた旧帝国末期においてさえ、この考え方は貴族社会中の常識、少なくとも表立っては反論できない大義名分だった。実力主義的気風が強かった建国期、その感覚が色濃く残っていた拡大期には、この考え方は貴族達をより強く拘束しただろう。彼らは自らが爵位を持つ事の正当性を殊更に立証しなければならなかった。その舞台として、武勲という華々しい功績を上げられる戦場、ましてや勝利がほぼ確定している戦場ほど、うってつけの場所は無かっただろう。事実、この攻守連合、そして続くシリウス・経済共同体への遠征が発表されると、多くの貴族が従軍を望み、または何らかの形で関与しようと、あらゆる政治工作を行っている。
さらに、貴族制度が施行されて約30年、大多数の貴族家では代替わりが行われ、家祖が死去または引退、その子供らが新当主となっていた。だが、貴族制施行時から既に懸念されていたが、当主の後継者になれる子供は1人だけ、その兄弟は、他家に養子に行くか、分家して一家を立てたが、それが出来る者は決して多くは無かった。彼らの多くは、ただ貴族身分のみを保持し、実家に籍を置いたまま、生計を立てるために、政府や軍の機関、国営企業等に就職するか、自ら事業を起こすか、実家が領主貴族であれば、当主を補佐して領地経営に従事した。
この境遇を受け入れられる者は良かったが、当主に選ばれなかった事を不満とする者は、何とかして独立した貴族家の当主になろうと画策した。そんな貴族家の次男、三男達にとって、勝利が約束されている戦場は、どれほど魅力的に映る事だろうか、想像に難くない。拡大戦役は、爵位を持たない若手貴族らが功績を上げ、恩賞を得て、独立した貴族家の当主となれる千載一遇のチャンスだった。
この時、従軍できる者を決定する権限を持つ者が存在したとする。彼は、多くの貴族達から誼を求められ、阿諛追従され、忠誠と奉仕を誓われ、その見返りに、何とかして自分を、或いは自家の身内を選んで欲しいと求められただろう。ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムは、まさにそのような存在だった、いや、そうなる事を見越して、自身を迎撃軍総司令官としたのである。
この手法は旧帝国滅亡まで、勢力拡大を図る貴族にとり、常套手段の1つとなった。一例をあげると、旧帝国末期、当時最大の権門だったブラウンシュヴァイク公オットーが主催したパーティを利用、亡国帝フリードリヒ4世の弑逆未遂事件を起こしたクロプシュトック侯ウィルヘルムに対して、同公を総司令官とする討伐軍が派遣されたが、この討伐軍には、同公爵家の一門に属する武官貴族が艦隊司令官や参謀として従軍しただけではなく、略奪と恩賞目当ての領主貴族の私兵も多数、参加していた。
つまり同公は、自身が被害者である事から、復讐を大義名分として主張し、討伐軍総司令官の地位を手に入れた、そして一門に属する貴族家だけを従軍させる事で、彼らが武勲を上げる機会を斡旋した、即ちクロプシュトック侯爵家を贄とし、自家と一門の勢力拡大を画策した、これが目的だったと見られている。
同公は領主貴族家の当主で、当時は枢密院議長の地位にあり、本来ならば政府や軍に官職を得る事が出来ない立場だった。にも関わらず、一時的に隠居を申し出て、一貴族の立場で予備役から現役復帰、討伐軍総司令官の地位を得て(同公爵は当主に就任する前、帝国軍人だった時期がある)、討伐終了後、再度、当主の地位に復帰している。現在では愚劣、無能の代名詞ともなっているブラウンシュヴァイク公だが、数十年に亘って帝国政界に君臨し、大貴族としての地位を保つ事が出来た、その政治的手腕は決して侮れるものではないだろう。