【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」   作:旧王朝史編纂所教授

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第4節 皇族・貴族の結婚と恋愛②~皇帝夫妻に「愛」はあった?

 近代的価値観であれば、結婚は両性の合意にのみ基づくものとされるが、旧帝国では家同士の結束を強め、貴族社会での熾烈な権力闘争を勝ち抜き、自家の存続を図るための一手段だった。当主及びその後継者であれば勿論の事、それ以外の者であっても、家格の釣り合いを判断する所から始まり、婚家が持つ政治力や財力、人脈(特に帝室や有力諸侯との関係)が綿密に検討されて、見合という名の交渉を繰り返し、双方が合意に達すれば、婚約という名の同盟が締結される。それはある意味、外交交渉の一変種とも言えた。

 

 では、このようにして結ばれた皇族及び貴族の男女間には、愛情などは存在しなかったのかというと、必ずしもそうでは無かったようだ。

 

 俗に「結婚は妻と行い、恋愛は愛人と行う」など、権力者の政略結婚の不毛さを揶揄する言葉もあるように、夫が妻を蔑ろに、または形式的な配偶者として祭り上げ、自身は数多の寵姫を抱えて、肉欲の限りを尽くすという事は、確かに珍しい事ではなかった。

 

 例えば、後宮に1万人以上の美女を集めた事で有名な強精帝オトフリート4世は、即位前から荒淫に耽っていたが、先帝エルウィン・ヨーゼフ1世の退位を受け、42歳で即位すると、寵姫たちの中では比較的家柄が良かったマルガレーテを形式上の皇后に据え、これで義務は果たしたとばかりに、再び若い美女漁りに精を出し、皇后を顧みる事は無かったと云う。

 

 これは極端な例だとしても、強大で批判を受け付けない権力を握った男の性なのか、容色が衰えた皇后を無視して、寵姫に溺れる皇帝も少なくなかった。だが、寵姫を持たず、皇后との間に確かな愛情を育んだ皇帝も存在した。

 

 例えば、再建帝オトフリート2世から後継者指名されて即位した美麗帝アウグスト1世は、即位前から娶っていた妻エルフリーデを皇后に立て、同后が死去するまで、寵姫を持つ事はしなかった。

 

 また、同様に止血帝エーリッヒ2世から譲位された健軍帝フリードリヒ1世は、即位後、母の実家であるリヒテンシュタイン子爵家の一門に属する、辺境の一領主貴族に過ぎなかったクロイツェル男爵家の娘で、自身の幼馴染でもあったユーリアを皇后に迎え、自身が崩御するまで、皇后以外の女性を傍に寄せる事は無かった。

 また、皇后ユーリアは結婚後、長らく子を為す事が出来ず、その事に苦慮した同后は、夫たる健軍帝に世継ぎを産める寵姫を持つ事を勧めたが、同帝は「余はそなた以外の女性と褥を共にする気はない。帝位を継ぐのは余の子である必要などない。そもそも余自身からして、先帝陛下の子ではないのだ。帝位は、皇祖ルドルフ大帝陛下の血を引く、優れたる者が継げばよい。その選定は余の責務である。皇后たるそなたが気に病む事ではない」と、言下に退けたと云う。

 

 さらに、旧帝国史上、屈指の名君と称えられる晴眼帝マクシミアン・ヨーゼフ2世も、自身の侍女で、帝国騎士家の子女であったジークリンデを皇后に立て、やはり崩御するまで寵姫を持つ事は無かった。

 

 以上のように、数多の寵姫を抱える事が出来る皇帝であっても、皇后との関係を大切にし、欲望を恣にしない人物も少なくなかった。これは皇帝以外の皇族、また貴族であっても同様で、例えば初代の地上軍総監を務めたケッテラー伯ハンス・ゲオルグのように、妻を愛し慈しみ、円満な家庭を築いた者は多い。同盟などでは、旧帝国の皇族や貴族の男性は、須らく好色漢で没義道漢などと評されていたが、彼らの事例を見ると、それが偏見でしかない事が理解される。なお、上記の皇帝3人に共通する点として、旧帝国史上、名君・賢君として称えられる存在でもあるという事が指摘できる。やはり皇帝という激務に没頭すると、女色を顧みる余裕が無くなる、という事なのかもしれない。

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