【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
男女間の愛情、恋愛とは、有史以来、悲劇または喜劇の題材として、あらゆる創作物で取り上げられ、この事に無縁な人間は凡そ存在しないのではないかとも思えるが、貴族制度、身分制秩序との関係で言えば、やはり身分違いの恋、身分を超えた恋が注目されるだろう。本節では皇族・貴族の恋愛事情について解説したい。
皇族・貴族たちにとって、結婚は自家を守り、その権力を伸長させるための一手段だった。それは帝室さえも例外ではなかった。しかし、家のための政略結婚ではあっても、婚約期間中に、または結婚後に愛情を育んだ者も多かった。ジギスムントとアデルハイドの事例のように、幼少期に婚約、その後、思春期を共に過ごす事で、相思相愛の仲になる事もあった。
なお、帝国では、結婚とは、独立した家計を営み、一家の長となった者が行える事と見なされている。皇太子が戴冠式と同時に結婚式を挙げるのは、帝位に就く事でゴールデンバウム家の家長となった、即ち一家の長になったと見なされたからなのだが、先帝の在位が長く、成人を過ぎても帝位に就けない場合は、即位以前に許嫁と事実上の夫婦生活に入る事もあり、全体的に見れば、その方が多かった。
ただ、一般的には、男女とも見合い結婚で得た配偶者とは、道徳的に批判されない程度の仲を保持し、好ましい異性と恋愛遊戯を楽しむ、という形が普通だった。中には、皇后と寵姫の間を巧みに取り持ち、双方から愛されるという猛者もいた。「気の強い皇妃と60人ほどの愛妾との間に張りわたしたロープの上を、ややよろめきつつも最後まで転落することなく往来」したと評された、第3代皇帝たる享楽帝リヒャルト1世などは、その典型例と言えるだろう。
だが、身分違いの恋に正面から立ち向かい、その想いを成就させた皇族や貴族も少なくない。正式の配偶者ではない寵姫や愛人としてならば、例え平民の子女であっても、極端な話、奴隷や農奴であっても、迎える事は難しくはないが、正妻として迎える事は「下賤の女の色香に惑った愚か者」などと、周囲の貴族から後ろ指をさされ、交際を拒絶されるだけでは済まず、皇祖ルドルフ大帝陛下が定めた身分制秩序を破壊する行為だと、枢密院の弾劾対象ともなり、貴族身分の剥奪を宣告されかねない危険な行為だった。
これは、爵位持ち貴族が平民の子女を正妻とすれば、産まれた子は爵位の継承権を有するので、例えば貴族の両親から生まれた男爵位の持ち主が、貴族の父と平民の母から産まれた伯爵位の持ち主に跪かねばならなくなる可能性が生じる、即ち爵位と血統の関係が曖昧となり、尊貴なるべき爵位の価値が落ちる事を警戒した、貴族達の自己防衛策だった。逆説的だが、人工的に創出された貴族身分の脆弱性を示しているとも言えるだろう。
そのため、平民の女性に恋をして、正式な妻にしたいとの想いに憑りつかれた貴族男性は、相応の苦労と出費を覚悟せねばならなかった。一例を挙げると、グリューネワルト大公妃殿下の御友人、シャフハウゼン子爵夫人ドロテーアは平民の女性だったが、夫たる同子爵はドロテーアを正妻に迎えるため、典礼省に財産を半減させるほどの工作費と謝礼金を支払っている。
この内訳は、ドロテーアを「養女」としてくれる適当な貴族家を典礼省の役人に紹介してもらうための賄賂、そして「養家」となった貴族家への謝礼が大半を占め、後は貴族への弾劾権を持つ枢密院議員に目溢しをしてもらうための工作費だった。なお、貴族女性が平民男性を正式に夫とする場合も、これと同じ手順が必要だったのだが、約500年に亘る旧帝国史上、貴族男性が平民女性を妻とした件数と比較すると、比べ物にならないほど少ない。やはり、女性の方が男性よりリアリストだという事なのだろうか。
また、時代が下り、爵位持ち貴族でも家産を蕩尽し、没落した家が現れると、自家を保存するためだけに、高い経済力を持つ下級貴族や富裕平民に子女を嫁がせる例が出てきたが、これは貴族社会の中では最大級に恥ずべき行為とされ、敢えて行った貴族家は、もはや貴族たるの誇りも何もかも失った破廉恥漢だと、あらゆる貴族家から絶縁されて、事実上、貴族社会から追放された。
ゴシップめくが、故ロイエンタール元帥の母親の実家マールバッハ伯爵家も、同元帥の母レオノラが元帥の父親に嫁いだ後、豊富な資産を持つロイエンタール家の援助で、爵位持ち貴族の体面を保つだけの生活を続ける事は出来たが、その代償として、貴族社会からは締め出され、三女だったレオノラの姉2人は、婚家から離縁されている。レオノラ夫人が元帥の父親に高価な買い物を強請り、多額の金銭を要求して、密かに若い愛人を囲っていたのも、貴族たるの誇りを失わせ、貴族としての交際も何もかも出来なくさせた、本来なら無能で怠惰な父親に向けるべきその恨みを、自身の夫にぶつけるための行為だったのかもしれない。
閑話休題。とは言え、これは政治的に無力、または微々たる政治力しか持たない中小貴族の場合で、圧倒的な権力と権威を持つ皇帝や大諸侯であれば、周囲に有無を言わせず、家格の合わない下級貴族や平民の子女を正妻に迎える事も出来た。その場合は、宮内省や典礼省が皇帝や大諸侯の意を汲んで、実家が婚姻を結ぶに相応しい家になるよう、後付けで高い家格が設定された。
一例を挙げると、前述した健軍帝フリードリヒ1世と皇后ユーリアがその好例だ。詳しくは同帝の巻で述べたいが、同帝は止血帝の革命戦で大きな武勲を挙げた名将でもあり、帝国軍将兵からの支持は圧倒的、流血帝アウグスト2世の大虐殺で、多くの貴族家が族滅していた情勢もあり、本来ならば皇后を出せるはずもない辺境の一領主貴族の子女でしかなかったユーリアを自身の愛情だけで皇后に立てている。そのため、クロイツェル男爵家は、実際はリヒテンシュタイン子爵家に仕えた従臣を家祖とする小貴族だったのだが、ユーリアの立后に伴い、典礼省作成の諸家譜が改訂されて、家祖ワルターはルドルフ大帝の御代、リヒテンシュタイン子爵家の家祖ヴァルターと共に、平定戦役で活躍した帝国軍人だった、その功績を大帝陛下に認められて男爵位を下賜された、と書き換えられている。
このように、貴族家の来歴を記した諸家譜は、当時の政治状況によって屡々改訂されており、歴史史料として使用する場合は、作成及び改訂された年代順に並べ、内容の異同を検討した上でなければ、使用すべきではない。貴族家の歴史研究を志す歴史学徒には、この点を留意して頂きたく思う。
なお余談ながら、ユーリアは同帝崩御後に勃発した帝位簒奪未遂事件「皇女の乱」を鎮定した女傑でもあり、旧帝国の歴代皇后の中でも、武人の妻の鑑、皇后の亀鑑として称えられている。その意味では、健軍帝は女性を見る目があったと言えるかもしれない。
このように、身分制秩序の桎梏の中に生きていた皇族・貴族の男女であっても、その中で人間としての幸福を追求する、或いは制度やしきたりと適度に付き合いつつ、人生を謳歌するという姿は、平民達と変わるものではなく、彼ら貴族達もまた、当たり前の人間なのだと感じさせてくれる。
なお、これまで述べてきた事情は、あくまで皇族や爵位持ち貴族の事例であり、帝国騎士位しか持たない下級貴族や、貴族身分のみ持つ家士、従士には必ずしも当てはまらない。彼らは平民と同様、自らの才覚と甲斐性によって、好ましい異性と交際し、結婚相手を見つけていった。爵位持ち貴族らと同様、正妻とは別に側室や愛人を抱える事も禁止されてはいなかったが、大多数は経済的事情から一夫一妻制を守っていた。