【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」   作:旧王朝史編纂所教授

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第8節 地獄への道~公人たる事を決意した皇帝ジギスムント

 主に、皇帝ジギスムントの日記に基づいて再構成したため、同帝の一人称視点による記述を用いた。人称は「余」と「私」が混在しているが、これは日記の表記に準じている。父親ノイエ・シュタウフェン公に相対する前、そして新無憂宮に帰還し、皇后アデルハイドと話している時は「余」が用いられ、父親と一対一で向かい合っている時は「私」が用いられている事は、この夜のジギスムントの精神状態が、公人(余)と私人(私)の間を揺れ動いていた事を推測させる。

 私見だが、この体験を経て、ジギスムントは帝国皇帝という公人してのみ生きざるを得ない自分自身を再発見し、その事実を恐怖と戦慄と共に受け入れつつも、ただ息子そして夫だけであれば良い私人の立場に愛着と未練を感じたのではないか、と思っている。

 

 その根拠として、同帝の夢の内容を指摘したい。心理学者に倣って解釈するならば、巨大な機械は帝国の統治機構、歯車は皇帝の比喩だろう。帝国を皇帝の上位概念とするルドルフ的価値観に立脚すれば、皇帝と雖も、所詮は交換可能な部品でしかない。歯車はその象徴と言える。

 

 ジギスムントは、皇帝として生きる事を積極的に肯定しつつも(=身体は金属だから疲労はしない)、公人たる事で、私人である事が難しくなっていく(=少しずつ身体が摩耗していく)、即ち、公人と私人の立場が衝突、相剋する可能性が高まる事を恐れているのだろう。全ての臣民に対して、価値中立的である事を求められる皇帝に徹する事へ何の恐怖も躊躇も無ければ、私人ジギスムントを愛し、癒やしてくれる存在(父親のハンカチと皇后のマッサージ)を心地よく感じて、執着するべきではなく、また執着するはずも無いからだ。

 

 しかし、公人ジギスムントは、私人たる自分を愛してくれる存在に愛着しつつも、公人たる自分が必要と断じれば、それらを切り捨てる事を躊躇わないだろう。権力者たる父親に引導を渡し、その政治的基盤を我が物としたように。その無意識的な決意があるからこそ、父親や皇后が与えてくれる温もりに「疚しい気持」を覚えたのではないだろうか。

 

 西暦時代の地球で、ある歴史家は「名君とは、人民を天国へと導くため、たった独りで地獄への道を歩んでいける者だ」との箴言を残しているが、この表現に倣うならば、ジギスムントはこの夜、地獄への道を歩む覚悟を固めたと言えるのかもしれない。

 

 だが、皇帝ジギスムントが非凡なのは、公人との立場に徹しつつも、私人の幸福を切り捨てずに済むよう、最大限の努力をして、それを成功させた事だろう。詳しくは後述するが、ジギスムントはいくつかの幸運に助けられつつも、愛する妻子が権力闘争、特に帝位継承を巡る争いに巻き込まれないよう処置し、学友を始めとする腹心達との信頼関係も損なわれる事は無く、少なくとも先帝ルドルフの晩年の様に、孤独と虚無感に苦しめられる事は無かった。

 私見だが、後世、文華帝エーリッヒ1世がジギスムント帝を専制君主の理想と称揚したのは、その業績や手腕への評価だけではなく、皇帝の立場と論理を枉げる事無く、私人としての幸福も手に入れた事への賛辞、そして羨望の表れだったのではないかと思っている。

 

 さて、皇帝ジギスムントの心情分析という脱線をしてしまったが、次章からは本線に戻り、同帝が主導権を握った後のシリウス・共同体への征服事業について、その動きを概説していきたい。ノイエ・シュタウフェン公が事実上引退した結果、ルドルフの御代から活躍していた古参の軍人達に代わり、これまで非主流派に追いやられていた軍人や、ジギスムントの腹心ら次世代の軍人達が表舞台に登場してきた。以降、両国の征服事業を通じて頭角を現した人物達を紹介していく。

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