【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」   作:旧王朝史編纂所教授

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【解説】両国征服事業に見る人材登用の特徴

 以上のように、こと人材登用との面から拡大戦役を見た場合、先帝ルドルフの御代に活躍した人物が退き、今まで表舞台に立てなかった人物が積極的に登用されており、またエックハルト男爵アルフレッドのように、中央の政府や軍との関係が薄い領主貴族の子弟で、貴族身分のみ保持する者達が台頭してきた事も指摘できる。

 

 これは、親政の開始を見据えて、自身の手足となる人材を貪欲に求めた皇帝ジギスムントの意向もあったが、政治史的観点からすれば、先帝ルドルフが創始した貴族制度が社会に定着してきた結果、貴族社会内部が爵位を持つ上級貴族と、貴族身分しか持たない下級貴族に分化、格差が生じてきた事に対する下級貴族側の異議申立とも見なせる。拡大戦役は、下級貴族が格差解消を求めて、出世する機会を得る場になったとも言えるのだ。

 

 これは旧帝国史上、決して珍しい事ではなく、戦争や政変を契機に、政府や軍を牛耳る上級貴族が没落、皇帝から直接登用された下級貴族、ひいては富裕平民達がその手足となり、新たな権力者集団を形成する事態が生じている。王朝史に囚われない観点から言えば、開祖ラインハルト陛下による旧王朝の簒奪と新王朝の開闢も、この動きの1つだと見なせるだろう。

 

 この結果、必然的に貴族社会における人材の新陳代謝を図られ、有能かつ清新な人材が登用される契機となった。前巻でも指摘した事だが、身分制社会たる旧帝国が約500年近い命脈を保つ事が出来たのは、このような形で、支配者階級たる貴族社会内部の流動性が一定程度、確保されていたからだと考えられている。

 

 さて、前節までで取り上げなかった、残り①~③のグループについて解説したい。しかし、結論から述べれば、父親ノイエ・シュタウフェン公を事実上の引退に追い込み、シュタウフェン派を自らの統制下に置く事に成功したジギスムントにとり、同派の軍人達を排除する積極的な理由は存在しなくなっていた。

 抑も、ジギスムントがシュタウフェン派に対抗できる政治勢力の構築を目指したのは、攻守連合の征服時、功績を焦った一部の貴族らが現地勢力と裏取引をして、皇帝支配の貫徹を阻害する事実上の間接統治を容認してしまった事を問題視したのであり、彼ら貴族達の手綱をしっかりと握る事が出来れば、経験豊富なシュタウフェン派の軍人や官僚を登用する事は、占領政策の効率的な遂行を図る上でも、むしろ必要だったと言えるだろう。

 

 また、攻守連合と比較すれば、征服すべき領域は倍近くになり、さらに間接統治を厳禁した事で、統治に要する人員も増加。この結果、シュタウフェン派を積極的に排除せずとも、反シュタウフェン派の軍人や官僚、更には領主貴族の子弟らを登用する余地は十分にあった。

 

 しかし、シリウス・共同体の征服事業で活躍した人物を分析していくと、攻守連合へのそれとは明らかに違う面も見出される。前述した経済官僚の登用はその最たるものだが、それ以外でも、以下のような特徴がある。

 

 まず、全体的に若い人物が活躍しており、30~40代の人材登用が目立つ。そのため、攻守連合を征服した遠征軍に従軍したのは、貴族家の当主、及び同世代の人物が大多数だったが、シリウス・共同体への征服事業には、現当主の息子に当たる世代が参加している。

 これは、自分と同世代の学友達に功績を挙げさせたいジギスムントの意向だった。事実、次代の帝国を担う人材の発掘と育成を図るべしとの名目で、各貴族家には当主ではなく、その後継者達を参加させよと、わざわざ勅令を発して命じている。この結果、両国への征服事業で頭角を現した人物の中には、ジギスムントの治世後半、そして第3代リヒャルト1世の御代に活躍、重臣となった者もいる。

 

 次に、占領後の統治を担った人材に変化が見られる。攻守連合領の占領後は軍政が常態化しており、勢い軍官僚が占領統治に当たる事例が極めて多かった。対して、シリウス・共同体の場合は、戦闘行為自体が少なく、敵対勢力が進んで降伏する事も少なくなかった。そのため、占領後は軍政を経ず、そのまま総督府が設立される事例が大半だった。

 

 先帝ルドルフの御代に遂行された平定戦役期の常識であれば、治安回復を最優先するルドルフの意向もあり、軍務官僚が総督に就任する事が多かったが、治安回復と同時に、現地住民を農奴として確保する事も目的としていた拡大戦役期、特にシリウス・共同体領の占領時は、地方行政に精通する国務官僚の登用が増えている。

 さらに、治安回復が求められる場合でも、軍務官僚ではなく内務官僚、それも社会秩序維持局の出身者ではなく、警察局出身の官僚が総督、及び総督府の主要ポストに登用される事例が数多く見られる。

 

 前述の通り、国務官僚の中には、領主貴族らと結んだ反シュタウフェン派が多く、彼らの登用は、やはり自派閥の勢力拡大を目指すジギスムントの意向であったと思われる。また、シュタウフェン派の牙城の1つでもあった社会秩序維持局の出身者よりも、警察局出身者を優先している事は興味深い。

 

 先帝ルドルフが劣悪遺伝子排除法の施行と共に設立した社会秩序維持局は国内軍的な性格が強く、その治安維持部隊は地上軍とも遜色が無かった。帝国領内に反帝国勢力や共和主義勢力が跳梁跋扈している時ならば、その強大な武力は治安回復に有用だったが、領内が平穏を取り戻していくにつれ、同様に治安維持を担う警察局の業務と重複する面も多く、その二重行政状態が問題視されるようにもなっていた。

 また現場レベルでは、シュタウフェン派の威光を笠に着て、警察官を蔑ろにする社会秩序維持局員も少なくなく、感情の縺れから傷害、殺人事件さえ発生しており、行政執行に支障をきたす局面もあった。しかし、先帝ルドルフの勅命によって設立された社会秩序維持局の権威は高く、また寵姫マグダレーナの一件に絡んで、現職の警察局長だったズップリンブルク男爵が不敬罪で族滅された事もあり、当時の内務省内で警察局は日陰者、非主流派として扱われていた。

 

 この事態を重く見たジギスムントは、警察局の権威向上のため、敢えて同局出身者を抜擢したと思われる。それはシュタウフェン派の牙城でもある社会秩序維持局を牽制して、同省内の力関係を均衡化する事も目的だっただろう。

 また、社会秩序維持局はあくまで平定戦役を遂行するために設立された組織、帝国領内の治安回復が実現した今、同局の機能は縮小すべきだとも考えていたようで、親政開始後、トリーア星系総督から国務省の局長職を経て、内務尚書に抜擢したヘッセン子爵に命じ、社会秩序維持局長が内務省次官を務める慣例を廃止させている。

 

 なお余談ながら、ルドルフの「暴政」の象徴とされる社会秩序維持局だが、このジギスムント帝、そして寛仁公フランツ・オットー大公ら、警察局との二重行政状態、さらには憲兵隊との確執を憂慮して、同局の規模縮小を実施した為政者もいた。特に、同大公は社会秩序維持局の廃止さえも検討していた節がある。

 その同局が旧帝国滅亡まで存続し、民衆弾圧の機関として恐れられたのは、劣悪遺伝子排除法を「改悪」して、富の収奪に狂奔した痴愚帝ジギスムント2世が皇帝直属の秘密警察として同局を使役した事が原因と見られている。同局も組織存続のために、進んで同帝の私兵となっており、これ以降、社会秩序維持局は時の皇帝の意向に迎合して、帝室の暗部に関わっていく事になる。

 

 以上のように、①~③グループに属する人材の登用では、軍内の最大派閥たるシュタウフェン派の軍人や官僚を引き続いて用いつつも、ジギスムント帝の意向で、国務省や内務省警察局など、同派に属する者が少ない省庁からの抜擢人事も目立つ。

次節以降では、この事を踏まえ、ノイエ・シュタウフェン公が率いる遠征軍帰還後、ジギスムント帝の采配によって遂行されたシリウス・共同体両国の征服事業で活躍した軍人達を取り上げつつ、同事業の推移を概説したい。

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