【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
帝国暦46年、ノイエ・シュタウフェン公が率いたシリウス遠征軍が帝都に帰還、事実上の解散になると、ジギスムントの勅令に基づき、シリウス・共同体両国への侵攻と農奴の確保を目的とする方面軍が編成される。
同軍は、ヴァナヘイム・アルフヘイム・スヴァルトアルフヘイム各軍管区所属の地方艦隊と地方軍を主体とし、方面軍総司令官として、長くアルフヘイム軍管区駐屯の地方艦隊司令官を務めたヴィンクラー中将が起用された。
同中将は、初代の統帥本部総長を務めた故リスナー上級大将がペデルギウス星系の治安維持部隊司令官だった時からの部下。その軍歴は、当時の帝国軍将帥の中で随一と言えるほど長く、練達の宿将と言われていた。
彼はシュタウフェン派、反シュタウフェン派どちらにも与せず、いわゆる中間派という立場だったが、それが可能だったのは、生粋の軍人で、政治に関わる事を良しとしない当人の性格も然る事ながら、帝国建国後、軍中央での勤務経験が無く、一貫してシリウス・経済共同体の侵攻に備える、辺境域での防衛任務に就いていたからでもあった。
上官たるリスナーと同様、攻勢よりも守勢を得意とする用兵家で、特に少数の艦艇で重厚な防御陣を展開する事にかけては、余人の追随を許さなかった。また、平定戦役では、敵艦隊と決戦する中央艦隊、地上軍や社会秩序維持局の治安維持部隊の支援活動を主たる任務としていた。例えば、帝国領内に侵攻してきた敵艦隊の補給路を寸断、その後背を脅かす、また反帝国勢力が支配している惑星の制宙権を確保し、軌道爆撃を行うなど、重要だが地味な軍務を率先して行った。
初代軍務尚書シュタウフェン公エリアス、その孫で後継者たるノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムともに、自派閥に属さないヴィンクラーを排除する事はせず、その堅実な為人を信任して、シリウス方面の防衛戦を委ねていた。
帝国暦32年、シリウス・共同体両国の連合軍が帝国領に侵攻、迎撃軍総司令官に起用されたノイエ・シュタウフェン公が連合軍に大勝したヴェガ星域会戦では、同公は自派閥の軍人を差し置いて、現地の事情に精通しているとの理由で、ヴィンクラーを副司令官に据えている。同公が迎撃軍のほぼ全軍を率いて、シリウス・共同体の艦隊を各個撃破できたのは、副将ヴィンクラーがその名人芸を発揮し、少数の艦艇で強固な防衛陣を構築、軍司令部を動揺させなかった事も理由の1つと評されている。
よって、シリウス・共同体への征服事業を采配する事となったジギスムントが、シュタウフェン派から距離があり、かつ有能な軍人として、ヴィンクラー中将を起用したのは、むしろ当然だっただろう。ジギスムントはヴィンクラーを帝都オーディンに召還、今までの功績を嘉し、方面軍総司令官への就任を命じた。
皇帝から征服事業の成否を問われたヴィンクラーは「帝国軍人たる者、徒に口舌を以て己の能力を喧伝すべきではないと心得ます。軍人が己の才幹を示すのは、ただ戦場での働きあるのみ。臣の働きが陛下の御心に適わぬその時は、我が身命を以て大罪を謝します」と言上。その言や良しとしたジギスムントは、征服完了の暁には、卿のみならず、卿の麾下にいた将兵も皆、必ず厚く遇すると宣言、改めてヴィンクラーに征服事業の完遂を命じた。
ただ、ヴィンクラー中将は既に齢70歳に届こうかという高齢で、廷臣の中には、その年齢を危ぶむ者もいたが、同中将は「老練という言葉をヴィンクラー提督以外に使うな」と軍内で言われるほど、経験豊富な老将として将兵の尊敬を集めており、彼を後見役として、その麾下で若手士官らに経験を積ませる事も、或いはジギスムントの意図だったかもしれない。
実際、この征服事業の結果、ヴィンクラーの薫陶を受けた若手軍人らが台頭、その代表格が皇帝ジギスムントの従弟にして学友たるビューロー大将。彼は同帝親政後、攻守連合の再平定戦を指揮し、その功績で軍務尚書に就任。ジギスムント帝の筆頭武官として、同帝の治世を軍事面で補佐したのみならず、死に臨んだジギスムントから皇太子リヒャルトの後見人の1人にも選ばれている。