【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第2巻「拡大期~強堅帝ジギスムント1世」 作:旧王朝史編纂所教授
これまで述べてきたヴィンクラーは帝国軍の第一世代、そしてケッテラー兄弟は第二世代と言えるが、続いて述べるビューローは第三世代と言えるだろう。皇帝と同年代の彼らこそ、親政を目指すジギスムントが拡大戦役で武勲を上げさせて、積極的に登用したい軍人達であった。
皇帝ジギスムントの従弟、学友でもあり、一時期は皇太孫の地位を巡るライバル関係とも目されていたアンドレアス・フォン・ビューローは、その出自を見れば歴とした名門の貴族軍人だが、少なくともその前半生は破天荒そのものだった。
ルドルフ大帝の三女アグネスを母に、帝国有数の軍需企業を経営するビューロー伯爵家の当主ヨハネスを父として生まれたビューローは、本来ならば父親の跡を継いで企業支配人(経営者)となるべき人物だったが、当人は「軍人になりたい」と言い出し、母親の反対を押し切って帝国軍士官学校に入校。卒業後は軍大学に進学して、戦略・戦術論を専攻、優秀な成績で卒業すると、軍務省または帝国中央艦隊への勤務を断り、敢えて最前線勤務を希望した。
母親アグネスは半狂乱となり、勘当も仄めかして翻意させようとしたが、当人はどこ吹く風とばかりに、勘当するならすれば良いと嘯き、幼少期と同様、家出同然に生家を飛び出すと、単身、攻守連合との激戦地、ムスペルヘイム軍管区に着任した。彼の行動の背景には、幼少期から帝位を目指す事を強制し、事あるごとに従兄ジギスムントと対抗させようとした母親への根強い反発があったと見られている。
当時はルドルフの治世末期、皇帝の孫という立場は周囲を敬遠させたが、当人は一向に意に介さず、自ら志願して攻守連合軍との戦闘に参加した。生来、勇敢な性格で、胆力もあり、判断力も確かだったビューローにとって、軍人は確かに天職だったのだろう、戦闘のたびに武勲を上げ、その毛並みの良さも相俟って、瞬く間に出世の階段を駆け上がった。
また、自らを評して「俺は運の良い男だ」。その言葉通り、幸運の女神に寵愛されていたのか、彼が指揮する部隊は驚異の生還率を誇った。さらに、子供の頃のガキ大将的気質は未だ健在で、事あるごとに部下や兵士たちに大盤振る舞いするのが常だった。
例えば、敵軍に勝利すると、麾下の将兵全員に高級なシャンパンを振る舞うなどは日常茶飯事で、この他にも、部隊内で射撃大会や白兵戦技のトーナメントを主催、優勝者には多額の賞金を贈った。尤も、自ら優勝して、その賞金を掻っ攫う事もあったが、ビューローは「優勝祝賀会を開く」との名目で、賞金は兵士達との飲食に全額使い、1帝国マルクたりとも私する事は無かった。
その奔放な姿勢は上官たちの眉を顰めさせたが、兵士達からの人気は圧倒的で、最前線に行く事が分かっていながらも、その麾下に加わりたいと望む者達が多かったと云う。
なお、ビューローがこれらの大盤振る舞いが出来た理由は、父親ヨハネスからの密かな援助があったからだと、後年、彼自身が語っている。ヨハネスは企業支配人として決して無能ではなかったが、極めて有能な経営者で、時流を見る目も確かだった父ディートハルトと何かと比較され、気位が高い妻アグネスからも蔑ろにされる事が多く、そのアグネスに平然と逆らい、自由奔放に生きる息子を羨みつつ、その生き方に共感、応援したいと願った父親の気持ちの表れだったのかもしれない。
地上軍所属の独立連隊を率いていたカイザーリング大佐と親交を結んだのもこの頃だった。軍中央や上官の意向を意に介さず、自らの生き方、戦い方を貫く姿勢に共感したのか、ビューローは進んでカイザーリングの下を訪れ、射撃や白兵戦技の指導を請うている。
カイザーリングも、皇帝の孫という立場でありながら、敢えて最前線勤務を望んだ反骨精神を気に入ったのか、ビューローを年少の友として遇し、その親交は死去するまで変わらなかった。傲岸不遜と言っても良い性格だったビューローだが、彼カイザーリングと、後述するヴィンクラーの両名だけは、軍事上の師匠として深く敬愛していた。
なお、ビューローは後年、数多くの美姫と浮名を流すドン・ファン的人物としても有名になるが、それも「戦場ごとに女を変えた」とも評されたカイザーリングの影響を受けての事だった。