息抜きに描いた深海棲艦ワッチョイ短編。続かない

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打ち上げ花火を勇気に変えて

 

 

 

 立派に。しかも、優しい子に育ったものだ………。机に立ててあった、つなぎ姿で色白の若い女の写真を見ながら、初老の男は物思いに(ふけ)っていた。

 

 謎の生物、深海棲艦との戦いが始まって何十年にもなる。艦娘たちを率いて戦った、かつては提督と呼ばれていた彼は、自分が養子に引き取ったこの女の子の事をいつも考えてばかりいる。

 

「また(そら)の事を考えているんですか? 相変わらず心配性ね」

 

「…………当たり前だ」

 

「いい加減、放っておいても良いと思いますよ。あの子ももう今年で22歳なんですから。」

 

「そうは言うがな……」

 

 トン、と目の前にカフェオレの入ったコップが置かれる。目線を上にやると妻が居た―――もう引退して久しいが、彼女もまた、駆逐艦の暁として自分の部下だった女性だ。もう何度目かわからない応対だが、彼女はいつも娘の心配をする彼に呆れ気味だ。

 

「一人暮らししたいなって言ってましたよ。自分用の車買ったその次の夢は、自立することだって。前から言ってたでしょう?」

 

「整備士になりたい……車がほしい、ときて、次は一人暮らしか。夢の多いヤツだな」

 

「いい事でしょうに。まぁただ少し、女の子なのにのろけ話とかはな〜んにも聞かないのは、そこだけはちょっと心配だけど……」

 

「ふふ……お前と同じで男を下敷きにしそうだけどなアイツは。」

 

「ちょっとそれどういうことよ」

 

 飲み物を口に含みながら睨んできた相手に、だが、小さい背丈と童顔なせいでまるで怖さを感じなかったので少し笑う。冗談だとわかりきっているので妻も別に激しく怒鳴ったりはしない。

 

「…………本当に、深海棲艦とは思えない子だ。みんながみんなあぁなら、余計な血も流れなかったんだろうが」

 

「……………………………同意しますけど、空には言わないようにしてね。今でも気にしてるみたいだから」

 

「当たり前だ。言うわけ無いだろ」

 

 ため息混じりに、男は無意識に手に取っていた写真立てを戻す。

 

 この元軍人夫婦が養子に取った女の子―――フルネームで高橋(たかはし) (そら)という彼女は、今だ人類の敵である生物、深海棲艦だった。

 

「覚えてるか。初めてあいつにあった時のこと」

 

「まさか。忘れた事なんて一度も無いわ。……………薄気味悪い培養装置みたいなものが並んでた基地でしたよね。そこの、なんだかよくわからない機材に隠れて震えていて……」

 

「俺の中に初めて芽生えた感情だったな。まさか、深海棲艦が相手で憐れみを感じるとは…………」

 

「鈴谷と鳥海がすごく狼狽(うろた)えててさ。その横で、銃口向けた初風と、それを止めた摩耶が喧嘩してたよね」

 

「笑い話、にしていいのかねアレは。北方棲姫の例があるから見た目に騙されるなって初風と、見りゃあ害はないだろと怒鳴ってる摩耶が脳みそにこびりついてるよ。」

 

 もう20年近く昔の事を思い返す。深海棲艦とはどういう生態なのかもよく分からなかった頃、彼が部隊を率いて制圧した拠点に居た、人型の深海棲艦の幼体。それが、この夫婦が引き取った養子の正体だ。

 

「若葉には感謝している。無傷で捕縛したほうがメリットがあるなんてアイツがあの場で言ってなければ……」

 

「あまり想像はしたく無いです」

 

「ふふ……まぁ、ただ、アイツでなくとも他の奴が言ってたさ。確かに、いたずらに始末するよりも、解剖するなり実験体にするなりしたほうが有意義に使えたのは間違い無いからな。今と違って深海棲艦の情報もそんなに無かった」

 

「まさか上層部から「人として育てろ」なんて言われるとは思ってませんでしたけどね」

 

「まぁな」

 

 大きく伸びをしてから、妻は立ち上がって半開きになっていたカーテンを開ける。窓の外は雲ひとつない快晴だった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 食べ終わったコンビニ弁当のゴミを投げ、口に残った物を麦茶で流し込む。休憩室のソファにゆったりと腰掛けながら、空はのんびりと午後からの仕事をどう進めようかと考えていた。

 

 ぼんやりと携帯電話で遊んでいると。耳に付けていたインカムから、営業の人間の声が入る。

 

『13:00予約のオイル交換・車検見積もり佐々木様入りました〜、高橋、玄関までダッシュ!』

 

「うぃ〜っす」

 

 10分ぐらい早く着たな。気の抜けた返事をしながら、彼女はスマホを仕舞って走る。

 

 建物から出てすぐ、駐車場に入ってくる常連客の白いフリードが目に入る。車の後ろに回り、誘導する。降りてきた客にビジネススマイルを向けながら、空は口を開いた。

 

「お久しぶりです。お見積りの佐々木様ですね、お待ちしておりました〜。受け付けあちらですので、お願いしまーす。あ、お車の鍵お預かりしますね〜」

 

「どうぞ。頼むね高橋さん」

 

 相手が営業所の自動ドアをくぐっていったのを見届けたあと、座席と床とハンドルにカバーを付け、車両を工場の中に運び込む。

 

 開きっぱなしになっていたシャッターを通り、窓から上半身を乗り出しながら運転する。車両用リフトの位置を確認して停車すると、たまたま近くにあったドラム缶に座って休憩していた後輩を見つけ、大声で呼び出した。

 

湯川(ゆかわ)〜!! 電気見てー!!」

 

「はぁ〜い!」

 

 ウインカー、ヘッドライト、フォグランプに、ブレーキと矢継ぎ早に操作して灯火類を点滅させる。次に、彼女は色々とインパネに出ていた数字のメモを取って車から降りた。

 

「助手席側の車幅灯切れてますね。ぶっ叩いても反応ないです」

 

「球切れかナ。湯川って午後イチなんだっけ?」

 

「山本さんポルシェのコーティングだったんですけど、キャンセルになりました。今暇ですよ」

 

「お、じゃあ手伝ってくれる? 車検見積り(シャミツ)ねコレ」

 

(クー)さんの仕事なら全然手伝いますよ」

 

「あんがと。アシかけといて〜」

 

「わかりました〜」

 

 

 深海棲艦である彼女が、港町に構えているこの整備工場で働いて今年で3年目になる。拠点に居る人間は、たまに入る新入社員を除き、ほぼ全員が彼女の出自を知っていた。一つ下の後輩である湯川に至っては、通っていた学校こそ違うが小学生の頃からの知り合いだ。

 

 最初の頃は上司とぎくしゃくする事もあるにはあったが、特に問題なども起きなかった。というのも、一般人にとっての深海棲艦とは、人里離れた山に住むクマやイノシシのような認識だ。普通に話せる空のような存在は、(はた)から見ればただの一般人とみなされていたのである。

 

 時折、稀に見せる異常性と言えば、「本気で力んだときに軽自動車を持ち上げた」なんてものもあるが。これにしたって、鍛えた人間ならできない事もないレベルであり。別段、危険な生物だなんだと騒がれることは皆無に等しかった。

 

 

 どぎついピンク色の作業着の袖を捲くる。タイヤを外した車のブレーキを外すなりして作業中だった空に、湯川は手を止めずに声をかけた。

 

「クーさんって背が高いですよね」

 

「何? 口説くつもり??」

 

「やめてくださいってそんなつもり無いですよ。いや、女の人で170超えてるって珍しいじゃないですか」

 

「そうかな。ウチの石橋(いしばし)さんとかのほうがでっかいじゃん」

 

「いや、190ある人に身長で勝てる女性なんてそう居ないですって(笑)」

 

「まぁね(笑)」

 

 無駄話に笑いながら、やる気が無いようでいて、しかし2人は正確かつ手早く分解した部品に油を指していく。ブレーキパッドとタイヤの溝の測定値を書類に入れる彼女に、後輩は続けた。

 

「前から気になってたんですけど、空さんって日焼け止めとかって塗ってるんですか?」

 

「ん〜。どうして?」

 

「アルビノの人とか白人って日差しに弱いって言うじゃないですか。すぐに火傷とかシミになっちゃうみたいな」

 

「さぁ、どうなんだろ。気にしたこと無いな。わたし深海棲艦だし」

 

「それ言います?」

 

「事実だし」

 

 少し引いていた湯川を気にせず、空はタイヤをインパクトレンチで締め付けた。

 

「深海棲艦か。ぜんぜんイメージ沸かないんですよね。ちょっと僕には」

 

「なんでさ。めっちゃ身近じゃん」

 

「だってニュースに出てくるのって、深海魚みたいなやつですよね?」

 

「駆逐イ級じゃないそれ?」

 

「あ、たぶんそれです。よく出てくるヤツ」

 

「アレは低級深海棲艦。わらわら出てくる雑魚キャラね、スライムみたいな。私は上級だから、人の形してるんだってさ」

 

「そんな等級みたいなのがあるんですか」

 

「らしいよ? だいたい「〜級」みたいな言い方されてるけど、すごい強いのは「鬼」とか「姫」って付くんだってさ」

 

「へぇ………じゃあクーさんってその鬼ってやつなんですか」

 

「私は「装甲空母姫」だってさ。自分でも最近知ったんだけどね」

 

「ソーコークーボヒメ……なんか強そうですね」

 

「ちょっと前に母親から聞いたんだよね。自分のこと気にならないのかって言われたときにさ、別に?って答えたのになんか教えてくれた」

 

「あ〜…………クーさん無頓着そうですもんね〜そーゆーの」

 

 予定では1人で1時間ほどの作業も、2人がかりだと30分もしないで終わる。リフトをおろし、タイヤを増し締めしている後輩を横目に、空は見積りを終わらせた。

 

「エアクリ交換、窓に飛び石、ブーツ漏れあり……下回り錆止め補修……かな。古いしこの車」

 

「もう寿命では? 今年で13年目ですよ」

 

「そう言いなさんな。私らからボロくても思い入れがあるかもしれないし」

 

 「じゃ、軽く掃除機かけといて〜」 そう言って湯川に雑用を任せ、彼女は営業所の方に車両の診断カルテを持っていった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

「高橋〜! ちょっとここ外してくれ!!」

 

「あいよォ!」

 

 安全ゴーグルを目元に下ろす。大ぶりで自分の腕より長いメガネレンチを手に、空はサビまみれで固着したボルト・ナットに工具をかけ、ぶん殴って強引に外す。

 

「いやぁ〜助かるわぁ、力強い子が居て。もう腰痛くて力入んないんだよぉ……」

 

「なーに言ってんですか。石橋さんにはまだ鞭打つってオーナーが言ってましたよ」

 

「勘弁してくれよぉ……」

 

 頼りない動きで工具を振っている上司に、空はふざけながら応対する。昼頃の湯川と同じく、彼女も今は手持ち無沙汰だった。

 

 手早く済ませたり他に暇をしていた同僚に仕事を奪われた結果、今日は暇になってしまったのだ。というわけで、今年で定年も間近の御老体の手伝いに回っていた。

 

 デスクチェアに座って、工具箱を机がわりに書類仕事に入る上司の指示を受けて次々と部品を外す。待ち客も無く、時間制限が無い仕事だからと気ままに作業していた時だった。どういうわけか、工場に大量の打ち上げ花火を抱えた受付スタッフの女性がこちらに来る。

 

「みなさーん、今空いてますか〜?」

 

「どーもー。どうしたんですかそれ」

 

「倉庫に余ってた、子供連れのお客さんに配ってた夏祭りセットの在庫なんです。欲しがってる人に今配ってるんですけど」

 

「おぉー結構高そうな花火。高橋貰っとけば?」

 

「いや、いらないですよこんなに。石橋さんこそ使えばいいじゃないですか、ほら退職祝いのときにドカーンっ!!と」

 

「えぇ……?」

 

 すでにクタクタになっていた男は、空のふざけた発言にこれまたくたびれた顔で返事をする。いつもどおり、くだらないやり取りでみんなが笑っていた時だった。

 

 突如、激しく建物がぐらりと揺れ、激しい轟音が周囲に響く。あまりに突然のことに、座っていた石橋を除き空とスタッフの女性はその場に倒れた。

 

「うぉッ!?」「きゃああぁぁっ!!」「なっ!? なにこれッ地震!?」

 

 一気に周囲はパニック状態になった。咄嗟に空はリフトを下降させ、車の落下を防ぐ。揺れそのものはすぐに収まったが、何かが爆発するような音が遠くから聞こえてくる。

 

「…………? ちょっと様子見てきますね」

 

「お、おう気をつけてな」

 

 心配する声を背中に受けながら、彼女はシャッターを開けて外に急ぐ。

 

 何の騒ぎだこれは。そんな空の疑問は、夕闇の町並みを見るとすぐに解決した。

 

 周囲一体。防火設備の整っていたこの工場を除く、海に近い一体が火の海になっている。

 

 「なっ…………!?」 焦げ臭い嫌なにおいが鼻を刺す。更に、今度は街中のサイレンがけたたましく鳴り響き、アナウンスが流れ始めた。

 

〘緊急避難警報 緊急避難警報、深海棲艦が陸地に近付いています〙

 

〘市民の皆様は直ちに水辺から離れて、内陸に避難ください。繰り返します、緊急避難警報が発令されました――――〙

 

「嘘……………」

 

 深海棲艦が、軍隊の防衛網を破って攻めてきた? そんなことがあり得るのか? 燃え盛る港を見て激しく混乱する。その後ろでは、今の警報を聞いたスタッフたちによる避難誘導が始まっていた。

 

 「落ち着いてください!!」「指示に従って逃げてください!」「車をお持ちでない方は〜」 慌てて彼女もその中に混じる。

 

 「押さないで〜押さないで! 大丈夫ですから、山の方まで行けば砲撃は届きません!」 そんな気休めを言いながら、ヒステリーを起こしかけていた女性客を車に押し込んでいたとき。空は、燃え盛る海の方へと向かう湯川を見つける。

 

「あ! ちょっと!? 湯川くん何してんの!?」

 

「あっちに家があるんです!! 家族が!!」

 

「危ないって!」

 

「離して! 離せよォ!!」

 

 普段は飄々としている彼からは想像もつかない怒鳴り声をぶつけられる。必死に羽交い締めにして抑えていた彼女へ、店のオーナーが声をかけてきた。

 

「いぃ、いいんだ離してやれ高橋」

 

「えっ」

 

「!! 店長……!」

 

「湯川、行ってもいいがすぐ戻ってこい。高橋、付いてってやれ。悪い、できるか?」

 

「…………店長がそう言うなら」

 

「やった……!!」

 

 拘束がなくなり、後輩の彼は全速力で走り出す。苦い顔をしながら、空は彼を追った。

 

 

 

 そう距離もない場所だったので、湯川家にはすぐに到着する。心配したのも束の間、彼の母や祖母は至って元気そうだった。無事が確認できたからか、彼はその場にへたり込む。

 

「よ、よかった、本当に良かった……」

 

「馬鹿! お前って子はいい年して高橋さん巻き込んで! ……ごめんなさいね、ウチのバカ息子が」

 

「いえそんな! ご家族思いの良い子じゃないですか。」

 

「おばあちゃん、無駄話なんてしてる暇ないって! 早く逃げるよ、ほら」

 

 足腰の弱い湯川の祖母をおぶってあげると、空は彼女を工場の駐車場まで運ぶ事にした。湯川とその母も後に続く。

 

 爆音は耐えず後ろで轟いている。どうやら迎撃に出ている艦娘がすぐそこまで来ているらしい。よく目を凝らして見れば、火薬の弾ける光に照らされて人影が見える。

 

「戦ってるんだ……誰かが、すぐあそこで……」

 

「戦争みたいだ……」

 

 小走りで急いでいた空と湯川が何気なくそう漏らす、そんなときだ。一際激しい閃光と爆発音が奔る。そして空は、よろめきながら陸の方に歩いてきて、砂浜がある所に倒れる人影があるのを見逃さなかった。

 

「!!」

 

 体が動きそうになる。本能を理性で抑えつけ、背負っていたお婆さんを湯川に押し付けると、彼女は口を開く。

 

「ごめん。ちょっと海岸の方向かう」

 

「えっ!? 何を……」

 

「店の方戻ってな。デモカーのアルファードとかデカい車にお客さん押し込んだら、それ使ってとにかく海岸沿いから離れて。今の型のカーナビなら警報出たときの案内出るはずだから!」

 

「クーさんあんなとこ行ってどうするんですか!?」

 

「艦娘の人が倒れるのが見えた。ちょっとあっちの様子見てくる」

 

「1人でですか!? 危ないじゃないですか!!」

 

「だいじょーぶ。私ってめっちゃ強い! ……らしい。から! ほら早く行った行った」

 

「……っ、ちゃんと戻ってきてくださいよ!? 俺のせいで職場の先輩が死んだとか聞きたくないですから!!」

 

「心配すんなって、先輩(パイセン)ナメんなよ!」

 

 後先考えず、無茶な指示を出して駆けていく。

 

 目の前で人に死なれるほど寝覚め悪いこともそう無いしね。一応、人助けが趣旨みたいな仕事もやってるし。空は現場まで急いだ。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 焼けた建物から漂う焦げ臭さが、水辺に近づくほどに強くなる。痛みを覚えそうな臭気に顔をしかめつつ歩みを進めると、1人、砂浜に倒れていた人物を見つけた。

 

 ぼろぼろになってあちこちが焼け焦げた巫女服と、X字型のアームそれぞれに大砲の付いた機械を背負っている女性。間違いない、この人は艦娘だ。空はすぐそばまで走る。

 

「あ、あの〜……大丈夫、ですか……?」

 

「………………?」

 

「うぉっ……!?」

 

 血だらけの相手の体にそっと触れたとき。のっそりと頭を持ち上げた女に、思わず変な声が出る。そんな空を見て、その艦娘は目を見開いた。

 

「貴女は……まさか」

 

「えっ」

 

「高橋……高橋 空さん?」

 

 初対面の人間に名前を当てられて少し驚く。父か母の知り合いの方だろうか? 付けっぱなしだったゴーグルを首元まで下ろし、考え事をしていた空に彼女は続ける。

 

「……ふふ。そっか、こんな有名人がここに住んでいたなんて……」

 

「私のことを……知ってるんですか?」

 

「知っていますとも……高橋提督が溺愛(できあい)していた装甲空母姫……貴女、ですよね……?」

 

 先程立ち寄った湯川の家からひったくってきた救急箱を使う。義務教育で習うような最低限の応急処置を、必死に学生時代の記憶を頼りに再現した。包帯を巻いて患部にガーゼを当てるだけの単純極まりない手当だが、何もしないより良いはずだと空は自分に言い聞かせる。

 

 手当をする(かたわ)ら、どもりながら空は話してみる。艦娘の女性は目が(うつ)ろで、心ここにあらずな様子で、見ていると不安に駆られた。

 

「あってます。私は確かにあなたの言う通りの深海棲艦です。」

 

「そう、ですか……手当なんて、いいのに。死にはしませんよ」

 

()せ我慢しないでください。見ただけでわかります、こんな酷い怪我。あの、安全なところまで送りましょうか?」

 

「駄目、よ……まだ、敵が…………」

 

「!!」

 

 てっきりこの人が全部倒したかと思っていたが、まだ攻めてきた深海棲艦は居るのか!? 女の言葉に、空が凍ったとき。ふと、艦娘は声を上擦(うわず)らせてこんな事を言ってくる。

 

「お願いがあるの……いい、かな?」

 

「お願い?」

 

「本当は私がやらなきゃいけないのに…………こんな事、普通の人に頼むのは間違ってる、けど…………」

 

 ぎゅっと、血の(にじ)む手のひらで、その艦娘は空の手を握ると。静かに呟く。

 

「私の艤装を使って。そして、この町を守って……私には、出来なさそうだから………さ―――」

 

「え!? あっ、ちょっと!?」

 

 ぐったりとこちらに寄りかかってきた艦娘を慌てて支える。まさか亡くなったのかと思い脈を測ったが、幸い、ただ気絶しただけらしかった。

 

 気を失った主に連動するように、彼女の体から艤装が剥がれ落ちるように外れて砂場に浅く埋まる。

 

「代わりにやってくれったってもさ……いきなりでできるものなのか???」

 

 

「なぁ、聞いてたで。キミ、頼まれてくれんかな……?」

 

「!!」

 

 

 横から女の声がして、体ごと顔の向きを変える。そこに居たのはこちらも艦娘なのだろうか、赤い服に頭にはサンバイザーを被り、茶色の髪を2箇所でまとめている女性だ。

 

「…………ちょっと待ってください……んしょっ」

 

 話しかけて来た相手に待ったをかけると。空は、気絶してぐったりしている名も知らぬ艦娘の彼女を、近くにあったドアの吹き飛んだ車の助手席に座らせる。

 

「一体いま、ここで何が起きてるんですか……もう何が何やら」

 

「!! 教えたら、やってくれるんか?」

 

「ふふ……意地悪なコト言いますね。艦娘の人は昔から相変わらず……」

 

 すううぅ、と。深呼吸をしてから彼女は呟く。

 

「やれ、と言われたからにはやりますよ。……………自分の育ってきた町をこんなめちゃめちゃにされて落ち着いてなんていられないもの。」

 

「!! ふふふ…………こんなの見といて、けっこう度胸あるやないか。さっすが、姫級の深海棲艦やなぁ」

 

 頼み事を快諾(かいだく)されて気が抜けたのか、赤い服の艦娘はふらついて倒れそうになる。顔色の悪い相手を支えながら、空はこの女の傷の手当にも当たることにした。

 

「ちょっと、貴女もひどい怪我じゃないですか! あんまり喋んないで、傷開きますよ」

 

「ほぉーん……やっぱり噂のソラさんは優しい子やね……。ウチは龍驤(りゅうじょう)や。ま、名前なんぞ忘れてもええけどな」

 

「あぁ!? だから体動かすな、血が出てんですよ!?」

 

「死にはしないから気にせんといてーや。それより、後もう少しの辛抱や。横須賀の精鋭部隊がこっちに向かっとる」

 

「!! そ、そうなんですか。なら…………」

 

「ま、安心するのはまだ早いけどな。大体はうちらが沈めたけど、まだ敵が残っとる」

 

「でも、他の艦娘の人に任せておけば……避難誘導ももう済んでると思うし」

 

「あはは……その、言いにくいんやけどなぁ……残った奴、たぶん6人かそこらしか居ないんよ」

 

「えっ」

 

「ほんっっとだらしないわぁ。若いのに押し付けてさっさと逃げるとか。せめて武器ぐらい置いてけって話や」

 

「に、逃げた!? そんな、だって港町には最低でも2、30人は防衛部隊が居る筈じゃぁ……?」

 

 「なんや、やっぱり詳しいんやね。」 薄笑いを浮かべながら、ため息混じりに、龍驤は重たい口を開く。

 

「そ。初めに6人、救援を呼んだり避難誘導しに散ったんや。ま、それはええわ、問題は残り。新人2、3人とウチと、キミに艤装貸してあげる比叡(ひえい)ってそこの子以外はな? 基地の偉い人が護衛に付けるって言って持って行きよったわ」

 

「そんなっ………!?」

 

 自分の身かわいさに仲間を連れて真っ先に逃げるだなんて……。基地の司令官に呆れ果てて怒りを覚えたその時。当然、そんな空の感情は予想していたのか、龍驤は落ち着いた声で続けた。

 

「まぁ、あんまり責めないでや……人間、みんな自分が1番大事やしな。なってしまったモンはどうしょうもないわ、今できることをせーへんとな」

 

「ッ………!」

 

「さて、と。みんな。この娘を助けたってや。深海棲艦だけど、悪い子じゃない」

 

「え?」

 

 瓦礫に寄りかかっていた龍驤は、背中から巻物を取り出して広げる。そして指を鳴らした彼女の手から、青い炎が発された。驚いていた空を他所に、その火を巻物にかざして紙を燃やすと、そこからミニチュアサイズのゼロ戦みたいな飛行機が現れた。

 

「!?」

 

「がってん!」「任せろー!」「おれだおれだおれだ〜!!」

 

「多少なら妖精さんぐらい知っとるやろ? この子達を預けるわ。……ゴメンな。うちにできるのはこれぐらいや」

 

「…………。わかりました。援軍、ってのが来るまでどれぐらいかかりますか?」

 

「長くて10分かそこらや。その時間耐えられればええ、いくら姫級ってもキミは素人(しろうと)やろ。とにかく生き残ることを考えてな。」

 

「…………そうですか。では」

 

 そうか、この人は空母の艦娘だったのか。上空を旋回している航空機を見る。

 

 艤装の付け方は知っている―――(もっと)も、実戦なんて初めてだけど。空は気絶している比叡と休んでいる龍驤を交互に見やり、砂浜に置かれた戦艦の艤装を背負う。

 

「やれる……だろうか。私一人で?」

 

 無茶だ。国の監査や身体検査で何度か動かしたり海を艦娘の人らと併走したりしたことこそあれ、演習の経験すら無い。なのに、相手は軍の警戒網を突破してきた連中だ。万に一つ勝ち目があるとは思えない。だけど――――

 

「ッ……!!」

 

 周りは既に瓦礫の山だ―――春には桜、秋には紅葉が見れる公園も、小さい頃によく遊んでいたゲームセンターも、そして仲間たちと働いていた職場周りの風景も―――思い出の場所がことごとく破壊された跡だ。

 

 そうだ。「勝つ」なんて考えるから駄目だ。誰でもできるような事を地道にやっていく。いつも私はそうして生きてきて、みんなに認めてもらって来た。……それに住んでいる町をめちゃめちゃにされて黙っているほど、私はお人好しじゃない。

 

「…………………………」

 

 血濡れの彼女から託された戦艦の艤装。少し重いが身動きがとれないというほど酷いものでもない。手のひらを握ったり閉じたりしたあと、主砲らしき武器のグリップを握り締め水平線を睨む。

 

 きっと軍の援軍は来てくれる。自分にできるのは、時間を稼ぐこと。装甲空母姫……高橋 空は、海面に降り立つ。

 

 付いていた金具を形状から察して外し、カバーの一部をめくると中に入っていた砲弾が見える。弾は残っているのかとまず安心した。次に刺さっていたマガジンのような部分も引き抜いて、もう一度付け直してとやってみる。どうやら見た通りの弄り方で問題なさそうだと、小さくため息を吐いた。

 

 最後の確認として、前後に加減速して海面を滑ったあと、安全装置は切れているだろうかと空の雲目掛けて引き金を引く。

 

「目詰まりとかやめてよこんな時に……頼むよ〜……?」

 

 祈るように指に力を込めた。

 

 カチリと機構の差動する感触が伝わる。ドン! と、思ったよりも小さな騒音と共に、無事に一発の砲弾が発射され、それは闇に消えていった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 客の避難誘導をやっていたついさっきまでは聞こえた砲撃の音が今は聞こえてこない。なんだか嫌な予感を感じながら、不安混じりに沖の方へと空は海面を滑っていく。

 

 程なくして人影を見つけた。やった、味方か―――――? そんな希望的観測も、近づくに連れて甘い想定だったと考え直した。

 

「…………ん? なんだ、また雑魚が来たか」

 

「っ!!」

 

 そこに立っていたのは艦娘では無かった。自分と同じ、血の通っている様には見えない白すぎる肌。真っ黒な闇色の長い頭髪と、手元に立ててあった幾つもの砲塔が重なった巨大な武装。戦艦ル級とか言ったか。よりにもよって強力な深海棲艦だ。

 

 金色に輝く女の瞳が、夜の闇も相まってよく目立つ。目が慣れてきた空には、この女はニタニタと薄気味悪く笑っているように見えた。しかもよく見れば、その手には傷だらけで気を失っている艦娘が襟首を掴まれている。

 

「暇つぶしにちょっかいをかけてやったが、まぁ弱かったなぁ〜……どいつもこいつも、逃げるか、攻めてきて無様を晒すか、だ。暇つぶしにもならない木っ端だった」

 

「その人、離してやれよ。もう抵抗する力すら無さそうだけど。」

 

「はぁ? なんだ?? 弱い弱い艦娘の分際でこの私に指図するだと???」

 

 知らない人とはいえ、痛めつけられてるのを見てあまりいい気分じゃないよな。そう思っての空の発言だったが、案の定相手は逆上する。弄んでいた艦娘をその辺に放り投げ、攻撃を仕掛けてくる。

 

 身構えてはいたので、落ち着いて彼女は持っていた武装に付いていた装甲板で砲弾を受けた。激しい衝撃と爆風で体を揺すぶられる。歯を食いしばって耐えたが、足を止めていたところを狙われ、一気に近づかれて蹴り飛ばされた。

 

「がっあ!?」

 

「はっハァ!! なんだよ、やっぱり雑魚か!」

 

 鳩尾(みぞおち)に足が入り胃液を吐きかける。が、どうにか無理やり飲み込んで体を前に倒して転倒せずに済む。何やってんだ私は。とにかく動かなきゃ! 空は息を荒くしながら砲戦を開始した。

 

 とにかく右に左に動いて弾をばらまく。ざっと確認しただけだが、まだまだ残弾に余裕はありそうだったから、適当に撒いても大丈夫なはずだと自分に言い聞かせる。龍驤から提示された10分の事と敵を陸から離すことだけを考えて空は動いた。

 

「なんだよ、付き合い悪いな。当たってないぞ??」

 

「ッ、ニタニタと笑って気持ちの悪いヤツだな……」

 

「聞こえているぞ?? 酷いこと言うなぁ艦娘ぅ??」

 

 一応は同族だ。話せば攻撃をやめてくれないだろうか? 初めはそう思っていたが、聞く限り相手はこちらを艦娘だと勘違いしていると理解する。それに様子からしても話が通じるようには思えないし、交渉なんてハナから無理な話だったんだ。空は苦い顔をしながらひたすら引き撃ちをする。

 

 だがやはりというべきか、相手は場慣れしている様子だ。苦もなく回避するかいなすか、受けても問題なさそうな軽い攻撃を無視してこちらに近づき、反撃を差し込んでくる。その度に足や顔といった重要部を狙われて空はよろめく。

 

 龍驤から付けてもらった妖精たちはよくやってくれていた。素人としか言いようがない動き方の空を守るため、どうにかル級の狙いを引きつけようと妨害を繰り返している。しかしそれも長くは続かなかった。

 

「チッ……うるさいハエが」

 

 ル級は持っていた艤装の弾を散弾に切り替え、夜空を飛び回る妖精たちを叩き落とす。100〜200近くの破片が拡散されて飛んできては、流石に腕利きのパイロットといえども回避できずに撃ち落とされてしまう。

 

「うわーん!」「んひぃ!」「こんちくしょー!」

 

「そ、そんな……まずいッ……!」

 

 助けてくれていた味方が全て撃ち落とされた。盾になってくれていた物が無くなる―――つまり相手の矛先がまた全てこちらに向くことを意味する。

 

「ははは、怯えてるのか。かわいいなおまえぇ?? (なぶ)ってやるよ……」

 

「うぅッ!? ぐ……!」

 

「……? なんだよお前ぇ……よく見たら肌が白いなぁ?? 薄汚い人間どもよか少しはマシな見た目じゃないか……」

 

「ッ…………!!」

 

「そうだ。命乞いしてみてくれよ? お前の命だけは取らないでやるからさぁ。オマエは陸地のこ汚いゴミどもよりもキレイだから、私らの世話係にしてやらないこともないぞ〜??」

 

 余裕綽々の態度で話す女から雨あられと砲弾がこちらに降り注いでくる。空は防戦一方で、相手がやってきたような反撃を差し込む真似はできなさそうだと自覚した。

 

 な、なにかできることは無いのか……? このまま、私はここで死ぬのか……………? 艦娘の艤装のおかげで、生身の部分に弾が当たれど、多少痛い程度ですぐに死ぬわけではない。が、かえってその生命維持装置が彼女を追い詰める。

 

 ジリジリと、身体のあちこちが打撲したように痛む部分が増えていく。顔だけは両手を覆ってどうにか守りつつ、当てずっぽうに撃ってみるが攻撃が止む気配がない。おまけに身を守っているせいでまともに前が見えない。

 

「あっはははは、死んでしまえよおおぉぉ!!」

 

 腕と腕の隙間から、数十m先で気持ち悪く笑う女の顔が見えた。

 

 自分の顔に照準が合う。ル級の持っていた大砲の砲口の中が赤みを帯びた光を放ち、砲弾が発射されかけたその時。

 

 

 2人の背後で、大きな打ち上げ花火が上がった。

 

 

「は??」

 

 ドォン! 陸の方からの大きな破裂音に動きが止まったル級を、装甲空母姫が見逃すはずが無かった。破損した2箇所の砲塔をパージ後、残った火力を総動員して敵を狙い撃ちにする。

 

「当たれぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

「しまっ!?」

 

 戦闘が始まってから初めての直撃を与えることに成功した。そして改めて横目でちらりとだけ港側を見る。先程は気の所為だと思っていたが違う。やはり陸の方で何発も花火が上がり、海面を色とりどりの色で照らしていた。

 

「まさか……」

 

 やっているのは、工場のみんな……? 私のために……! 誰がやっているのかは想像がついた。きっと湯川が自分の事を職場の者に言いつけたのだろう。先程の在庫の花火を打ち上げて敵の気を引いてくれたのだ。

 

 ………………。逃げ回るのはもうやめよう。ここでこいつを倒してみんなを安心させなきゃ。夜空に咲く花火をフラッシュバックに、連装砲を構え直す。目線の先に、吹き飛ばされたル級が立ち上がるのが見える。怒り心頭といった様子で、敵は目を爛々と光らせていた。

 

「いい度胸じゃないかぁ、えぇ? おい」

 

「ッ……」

 

 格下と見た相手に直撃を貰ったのが相当気に食わなかったとみる。さっきまでは狙いを澄ましてきたのに対し、ル級は津波を想起させるような猛烈な弾幕を形成し始める。たまらず空は後退した。

 

 全速力で下がりながら、彼女は命のやり取りに震える腕を無理やり落ち着かせる。努めて冷静に振る舞うように言い聞かせながら、先程外した破損部品の1つを拾った。

 

 いったいどれだけの乱射ができるのか知らないが、自分よりも格上の敵相手に弾切れ狙いで逃げ続けるのも分が悪いだろう。なら―――思い切って近づいてみるか! 空は鉄屑を盾に突撃を敢行する。

 

「たあああぁぁぁぁ!!」

 

「あぁ……?」

 

 気のせいだろうか。意表を突けたか弾幕が薄まった気がした。それに、目が慣れてきたのか射線をそれとなく予測することができる。一か八か、そのまま空は相手目掛けて突っ込む。

 

「無駄なことを、下等動物の分際でッ」

 

 バカ正直に向かってきた女にル級は口を歪め、一発のみ、乱射に見せかけた狙撃を混ぜた。

 

「―――――――――ッ!!」

 

 空は―――装甲空母姫は精神を研ぎ澄ませる。自分の鼓動以外の物音が耳に入らない、静かに感じられた戦場で。自分に放たれた一撃を、顔を掠めるぎりぎりで(かわ)してみせる。

 

「ッ!!」

 

「かっ!?」

 

 躱しただと……!? ル級が口に出すよりも先に、空の放った砲弾が着弾した。

 

「がっ、ごぉ……!」

 

「んっし!!」

 

 至近距離から撃たれた弾は、呆気にとられていたル級の顔面を捉える。しかし油断せずに空は一度また距離を取った。

 

 この判断は吉と出る。追撃せずに素直に身を引いた彼女の足元に、顔を撃たれた女の反撃が届く。退いていなければ、今頃は穴だらけにされていただろうか。

 

「なんの真似だ? 1度だけじゃなく2度までもぉ???」

 

 ル級は額の傷から血を流しながら、顔を仰け反らせたままこちらを殺すように睨んでいる。しかし今の空には、相手の恐怖よりも勝る感情があった。

 

「…………許さない。お前みたいなやつは、絶対にッ!!」

 

 空は血管が浮かび上がるほど力んだ腕で、作業着に入れていた工具を握り込む。

 

「生まれた場所は違うけど、私はこの町で育ってきた。こんな、人と違う私と仲良くしてくれる人だって沢山居たんだ……それを、お前はぐちゃぐちゃに壊した!!」

 

 愛用のレンチを握り砕きそうな力で持ち、身を少し低くしながら相手を睨みつけた。その間も冷静に飛んでくる砲弾の合間を縫って、避けていく。

 

「みんなが安心してまたここで暮らせるようにッ! 私が、この町を守りたいとそう思ったから……だからっ!!」

 

 声を出す喉に力が入る。舌の根元が焼け付きそうな程の声量で、彼女は吠えた。

 

 

「オマエは、ここで殺さないといけないんだぁぁッ!!」

 

 

 これまでの人生に無いほどの怒りを覚え、空は強烈な殺意を向ける。そんな相手が眼前に居ながら、ル級は涼しい顔で無駄口を叩いた。

 

「何を言うかと思えば。弱い弱い人間の分際で、この私にッ………!?」

 

 だが、この後に及んでなお、余裕そうにしていたことがル級に致命的な敗因を招く。

 

 回避する暇は無かった。ル級の顔面に、瞬間移動と見紛う速度ですっ飛んできた装甲空母姫の拳が深々と突き刺さり、そのまま殴り飛ばされる。

 

 体感したことが無い衝撃を受けたル級は軽い目眩を覚えた。何だ、何が起こった??? 何度か水面を跳ねて転がった後、よろけながら立ち上がる。慌ててまた戦闘態勢に戻ろうとしたが、装甲空母姫が目の前に来ていた。

 

「KTCの工具をナメんなよ……! 最強の相棒だあああぁぁぁ!!」

 

「このガキぁァァァァッ!!」

 

「てやああああぁぁぁぁ!!」

 

 彼女の体にひっついていた龍驤の妖精が、その腕に御札を貼り付ける。すると、握られていた工具が青白く光り輝く。力一杯、空は両手に握り締めたそれを横薙ぎに払い、ル級の艤装に叩き付ける。

 

 猛烈な速度と、そして御札のおまじないが掛かっていたレンチは。まるで豆腐でも崩すように、女の持っていた武器の表面装甲を抉り取り、砕き、破壊した。信じられない事が起きた。目の前の現実が理解できず、黒髪の深海棲艦は言葉を失う。

 

「なんっ……だとォ!?」

 

 だが、当然やられたままで終わるわけではなかった。ル級は無理を承知で破損した連装砲の引き金を引く。すると、壊れていた一部は内部で暴発したが、残った1箇所だけはまだ砲撃が行えた。

 

 間一髪。たまたま大振りにレンチを振りかぶって身を捻っていた空は、そこから思い切り体重を片足にかけ、わざと海面に倒れることで回避に成功する。破れかぶれの攻撃が避けられたル級は驚いたが、しかし女は大きな隙を作った装甲空母姫を笑う。

 

 頭の悪い動きだな。肩を水面に打ち付けて転倒した彼女にそう思いながら、完全に壊れた片方を捨て、残った主砲を両手で構えて狙いを付けたその時だった。

 

 

 下を向いていたはずの自分の顔が、はるか上空を見ていた。そればかりか、ル級の体が宙に浮く。続いて今度は、顎から脳天に突き抜けるような鋭い痛みを知覚する。

 

 

「おぉりゃああああぁぁぁぁ!!」

 

 何が起きたかル級がわからないのも、無理はなかった。空は、無防備になった自分が撃たれるよりも早く、腕の筋肉のスジ一本まで総動員して片腕で身を起こし、敵の首の当たりに狙いを定めるとそこを目掛けて思い切り蹴り上げたのだ。

 

 空中に見を投げ出されたル級の脳内に思考がぐるぐると回る。混乱していた彼女の脳内に、とある昔の記憶が呼び起こされ、再生された。

 

「うううううぅぅぅぅぁぁぁああっ!!」

 

 避ける気力と体力が尽き、なすがまま、更にぶん殴られる。

 

 なんだ。なんなんだ、やけに白っぽいこいつはさっきまでは私よりも何もかも動きが悪かったはず―――白い肌……? まさかこの艦娘は………

 

 もう一度、顔を見ようとしてル級は頭を動かした。一瞬だけ、深々と鼻に拳が突き刺さるその瞬間、空の表情が見える。

 

 そうだ、思い出した。昔、制圧された基地から鹵獲された深海棲艦が居るんだった―――殴られる痛みに悶るより、記憶を辿る方を優先する。

 

「でぇやぁぁっ!!」

 

「ごぉっほぁ!?」

 

 名前は装甲空母姫、艦種は航空戦艦。型落ちとはいえ、砲撃・空戦・雷撃全てに対応する万能の深海棲艦。実戦なんてやる事はなく、噂では人間に飼い殺しにされ、すっかり牙など折られて無くなっているはずだ―――――

 

 

「おちろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 

 そんな凡骨に、この私がやられて、負けて、死―――――

 

 殴打で意識が飛びかけた女の体から力が抜ける。すぐさま2〜3mだけ距離を離した空は、主砲の方向を全て敵に向け、容赦なく引き金を引く。ル級の思考回路は、ここで途切れた。

 

 

 

 

 ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢

 

 

 

 

「ハァ、ハァ、ハッ……はぁ………ッ!」

 

 終わった、の? 緊張の糸が切れ、空はその場に背中から倒れた。

 

 派手な水飛沫をあげて水面に寝転ぶ。ル級は完全に沈黙し、沈んでいくのも確認している。それに、もう周囲で砲戦が行われていないのは、それとなく場の雰囲気と静かさで察した。

 

 大きく深呼吸をする。初めての本格的な艤装の使用、それも命のやり取りをやって、極度の緊張状態だった空の体から力が抜けていく。

 

 怖くなかったかと言われれば、嘘になる。しかし今の彼女には、町を襲った敵を倒したことへの安堵(あんど)が大きかった。

 

「……………………………」

 

 まだ花火は上がり続けている。戦闘が終わったことに気付けていないのか、はたまた見方を変えれば自分を祝福してくれているようにも見えた。色とりどりに輝く光に、海はそれを反射して色を変えている。

 

 一瞬にすべてを出し切って体力もない。驚異も去ったとあり、少し眠くなる。どん、どんと等間隔で上がる花火の音が、なおさら彼女の眠気を誘うそんなとき。

 

 ふと、火薬の炸裂する音とは違う。自分のよく知る女の声を耳が拾った。

 

「………ぁ! …………して!! ………………あ!!」

 

「………………?」

 

 誰だろうか。ここは陸からそれなりに離れている。自分がまだ会っていない他の艦娘の人だろうか? 謎は、声の人物がすぐに現れることで解決した。

 

「空、聞こえる!? 返事しなさい! 空ぁ!!」

 

「! か……母さん?」

 

「…………っ!! 良かった……本当に良かった!! 無事だったのね!!」

 

 薄目で半開きになっていたまぶたを開く。目の前に居たのは、艤装を身に着けた自分の義理の母………暁だった。

 

「こんな無茶して、馬鹿……! 死んじゃったらどうするつもりだったのよ!!」

 

「ははは……ごめん。あっちでノビてる艦娘の人に頼まれちゃってさ」

 

「頼まれた……? 一体何を……」

 

「私の代わりに、町を守ってって。ふふ……私もお人好しだなァ」

 

「〜〜〜!! そんな危ないこと―――」

 

 また、お説教かぁ……。長くなりそうだな。空は、母の口に人差し指を当てて強引に会話の主導権を握る。

 

「私さ……嬉しかったんだ。だから、断れなかった」

 

「……?」

 

「私は深海棲艦だからさ。人間とは違う。でも、学校でできた友達も、面倒見てくれた先生も、今の職場の人だって、大体は人として接してくれた」

 

「そんなの、当たり前よ……ッ!」

 

「うん……そーゆーのが嬉しかったし、私も楽しかった……けどさ、いつも、定期の身体検査じゃ腫れ物扱いだったでしょう? ……私は、強い深海棲艦らしいから。艦娘の人たちは、どこか怖がってるように、私からは見えたなぁ」

 

「それは……………」

 

「でも、さ」

 

 返答に困る義母に、空は屈託のない笑顔を浮かべながら続けた。

 

「今日初めて、私は大好きな艦娘の人と長話できたし……しかも頼ってくれた。大切な艤装まで貸してくれたんだ……とても、嬉しかった」

 

「………そっか」

 

「あと、最後にもう一個。私はこの町が……ここのみんなが大好きだから。こんなにされて、頭にきちゃってたから、さ。」

 

 海面に大の字で横たわったまま。空は母にピースしてみせる。

 

 

「逃げるつもりは、最初から無かったからね。」

 

 

 



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