妹が酒臭いベーシストのお姉さんに弟子入りして数日が経った。
その間に妹がしていた事はといえば聞く限りだと機材を運んだり、酒が切れて素面になった廣井さんに酒を補給したり、泥酔した廣井さんを運んだり。
吹奏楽部に入ったばかりの頃を思い出すよー。なんて本人は楽しそうに言ってるけど体のいい小間使いだと思われていないだろうか、それだけが心配だ。
一応スタジオでの練習? の見学とか、わざわざ学校から拝借してきたらしいベースを使って演奏見てもらってるらしいけど……。
まあ部活を休む許可が出たのは週末にある合宿までの間まで、今が夏休みで本当に良かった。
夏休み。そう、夏休み。
家事とバイトだけで終わると言った俺の夏休みも、完全に崩壊してしまった。
「いや~、やっぱり坂本くんの作るご飯おいし~」
「どうも……」
そう、この師匠という立場をいいことに家に入り浸るようになってしまった酒クズのせいで。
食事を要求するどころか寝床とか風呂まで要求してくるし、夜が遅ければ朝も遅いこの人の面倒を見るのは少しだけ辛いものがある。あと冷蔵庫にどんどん酒が増えていってるのも辛い。
飲ませてればいずれ寝るけど、酔った勢いで吐いたりされて困るしそれまでは起きていなければいけない。
そうなると当然、つまみを要求されるわけで。作り置きから出したり、余った食材で作ったりもしたり。料理は嫌いじゃないけど勝手に居座ってる酔っ払いに作ってると思うと時々虚しくなってくる。
まあ……美味しいって言って食べてくれるのだけは嬉しいけど。これで不味いとか言われてたら本格的に叩き出してしまいそうだ。
「はいこれ、追加のおつまみです」
「おっ、ポテサラじゃ~ん! なになにサービスいいけどどうしたの」
「ちょっと、話を聞きたくて」
正直なところ、音楽の事にはあまり詳しくないから妹に対してはなるべく日常的なサポートとか、家事とかの自分にできることに徹するようにしてきた。
食事のカロリー計算して作ったりとか、お菓子を作ってやったりとか、生活の時間を妹に合わせたりとか、買い物に付き合う時は負担にならないように荷物を多めに持ったりだとかそれくらしかやれてない。
親はあまり家に居ないし、かと言って顧問の先生に連絡するのも変な話だから、頑張ってる事は伝わってくるけど詳しい心情はわからないまま。
だからだろうか、妹は本当に大丈夫かなんて弱気なことを聞こうとするのは。
「晶ちゃんのこと、不安なんだ?」
「まあ……結構。表には出さないようにしてるけど晶が壁にぶち当たって落ち込んでるのはわかるので」
「なるほどねぇ……ん-」
何かを思案するような声を上げながら、廣井さんはパックの鬼ころをストローで吸う。
そして酒臭い呼気と共に、語りだした。
「技術的には問題ないと思うよ。むしろ中学から始めたにしては伸びてる方じゃないかな。晶ちゃんモチベーションもすっごく高いしね~」
そしてポテサラを一口。そして鬼ころを飲んでまたポテサラ。鬼ころ。
どうやら気に入ってくれたらしく、箸もお酒も進んでいる。ビール飲みた~い! とか言い出してるし。
今回の料理も口にあってくれたみたいで良かった。少しだけ顔がほころぶ。
「まあ全国大会の壁とか
と、さらに続けて廣井さんは言う。
妹曰く変態的なテクニックを持つらしいこの人から総評として問題ないと言われたのならば、そうなんだろう。後半の方にちょっと不安になるワードはあったけど、むしろ調子のいいことを断言されるよりはハッキリ畑違いだと言われた方が真実味がある。
「やっぱ問題なのは精神的な部分じゃないかな。顧問の先生もその辺わかっててベーシストになれ~! なんて言ったんだろうし?」
というかイカレてるよね生徒に
いや、本当に。そこに関しては同感です……。
「だから晶ちゃんにはこの天才ベーシストを近くで見て、ベーシストのなんたるかを感じてもらおうって訳。あと年の近いバンドの子に合わせてみたりとかさ~」
だから安心しな、と廣井さんが目で訴えている……ような気がした。
どうやら本当にこの人に預けて大丈夫か? と内心思ってたのも見透かされてたらしい。
いや、もしかして案外自分でも大丈夫じゃない人間な自覚があるのかもしれない。
「先輩の背中を見てどこまで成長できるかは晶ちゃん次第だけど……信じてやんなよ、家族なんだから」
少しだけ微笑んで廣井さんはそう言う。
あぁ、やっぱり酒癖の悪さがなかったら基本的にカッコよくて良い人なんだなこの人は。
廣井さんが妹の師匠になって、初めてこの人に任せて良かったと思えたかもしれない。
「じゃあ……八月の初週にコンクールがあるから、見に来てくださいよ。妹の修行の成果」
「もっちろん! 行くに決まってんじゃーん!」
その答えに安心する。よかったそこまで適当な人じゃなかったんだ。
まあ正直酒に酔ってる状態で入場できるのかとか不安はあるけど、来てくれる意思があるなら良かった。
「あー……でもチケット要るんだっけ、いくらすんの~?」
「千五百円ですね」
「あはは、じゃあお金無いから無理!」
空気が、凍る。自分の中で上がっていた廣井さんに対する評価が一気に下がっていく音がする。
山田といい、ベーシストはどいつもこいつもどうしてこうもマイペースで金欠なのかと頭を抱える。
さっきまでちょっとカッコイイと思って感動してたのが恥ずかしい!
「まあ全国大会の予選の予選なら晶ちゃんなら余裕だって~! どうせ見るなら全国の方がいいじゃ~ん!」
行くと言った手前気まずいのか少しだけ焦りながら廣井さんはそう言う。
この人知らないんだろうな……全国大会は名古屋でやるしチケットは倍の値段になること……多分知ったら来ないだろうな……。
こいつ本当に叩き出してやろうか。と、そう思いながらも夜はまた更けていく。夏の夜も、廣井さんが潰れるまでも、まだまだ長い。