坂本優一の朝は早い。
日課の早朝ランニングに向かう妹を見送った後、朝食と今日の弁当作りに取りかかる。
自分の分は作り置きと昨晩の余りで簡単に済ませるが、妹の……そして山田の分はそうはいかない。
音楽やるのは体力必要だって言ってたし、栄養バランスと、あと彩りも……ちゃんとしてないと妹にあまりいい顔はされない。
冷蔵庫から取り出された茶色いおかずたちに埋め尽くされた俺の弁当の横で、小さめの弁当箱には出来立てのおかずが詰められていく。
最後の仕上げに玉子焼きを作り始めた辺りで玄関の方からバタンと音がする。どうやら妹が帰って来たらしい。
「ただいまー! ごめんお兄、もうシャワー浴びるから朝ごはんの準備お願い!」
「あいよー」
慌ただしく足音を立てながら風呂場の方へ向かう妹に返事を返しつつ、焼きあがった玉子焼きをキッチンペーパーで巻いてやる。
玉子焼きが落ち着くまでの間に三人分の朝食の用意。とは言っても簡単なもので、さっきまで使っていた玉子焼き用フライパンに再度油を敷いてそれに卵を三つ割り入れ目玉焼きにする。
それと同時進行で食パンを三枚……弟はもう少し起きてくるまでに時間があるから俺と妹の分だけ先にトースターに突っ込んで焼いておく。
あとは焼きあがったそれらを皿に乗せ、冷蔵庫から取り出したカット野菜とプチトマトを添えてやれば準備は完了だ。
「わっ、相変わらずタイミング完璧。いつもありがとね、お兄」
「いいっていいって。朝練遅れないように早く食っちゃえよ」
「はーい、いただきます」
合掌をして妹が食べ始めたのを見てから、俺も合掌する。
それから数分、お互い特に何か話すわけでもなく食事が進んでいきそして、食パンが半分に減った頃。俺は話を切り出した。
「なあ──晶。話したいことがあるんだ」
「何よお兄。急に改まって」
「実は、お前に謝らなきゃいけない事がある」
謝らなければいけないこと。そう言われても心当たりはないようで、妹——晶はきょとんとした表情でこちらを見ていた。
そりゃそうだ、そもそもこいつは山田がまたバンド組んだことは知らない。俺は同じ学校で交流があるから聞けただけの事だし。
だからと言って、それを知らせずにこっそりとライブに行くというのも寝覚めが悪い。それに万が一バレたりなんかすればどうなることかわかったものでもない。
だから予め伝えて、落とし所を決めた方が後の憂いは無いというわけで。
なので俺は、ライブチケットを机の上に取り出す。
「ライブチケット? やだなぁお兄、別にライブ行くくらいじゃ怒ったりしないわよ。今は推し活禁止期間だし……それにリョウ様も居ないんだから」
「それがな、山田。またバンド組んだらしいんだよ」
「は?」
「それでこれが山田の居るバンドの出るライブチケット」
「は???」
「今日の夕方からやるみたいなんだけど」
「きょっ……!」
「いやお前がライブ行けないのに悪いとは思ったんだけど、俺もカッコイイ山田の演奏見たいし……」
「ちょっと待ってお兄。なんで今その話したの、自慢? それともマウント!? 妹いじめて楽しい!?」
「いやそうじゃなくてさ」
まだ少し穏やかな口調ではあるものの、露骨に眉がしかめている。
案の定めちゃくちゃ怒らせてしまっている。けど多分後でバレたらこれの比じゃないんだろうし。
「晶が頑張ってるのは知ってるし、学校側から釘刺されてるからどうしようもないのもわかってるけど、こればっかりはどうしようもないからさ。だからできる埋め合わせならなんでもするし、できる範囲でなんでもお願い聞くからさ。どうしたらお前に許してもらえる?」
真っすぐに妹を見つめ、問いかける。
正直あんまりよろしくない、ずるいやり方なのはわかってる。去年まであれだけお熱になってたんだから何よりも推しを優先したいだろう気持ちを他のもので代替できるとは思ってはいない。
その証拠に、晶は「あ……うっ……ゆ……」なんて呻き声を上げながら頭を抱えて考え込んでいる。
「一か月……」
「ん?」
「一か月毎日お兄の手作りお菓子……」
「それだけ?」
「それと……絶対、絶っっっ対にライブの感想とかあたしに聞かせないで。これから一年リョウ様がどれくらい活動するかわかんないけど、受験終わるまで絶対」
「わかった、約束する。何があっても聞かせない」
出された条件は思っていたよりも簡単なものだった。
お菓子一か月なんて、自慢の可愛い妹の為なら苦でもない。何も聞かせないのもライブが素晴らしすぎて今すぐにでも語りたい、なんてことが無い限りは大丈夫だろう。
「うん……じゃあ明日からお願い。一日目はそうね、チョコチャンクがいい!」
「お前それ好きだなー……うん、任された」
笑顔でリクエストをする妹を見て、安心する。
なんとか落とし所を見つけて兄妹間の不和は起こらずに済んだし、これからは俺が気を付けてるだけでオーケーだ。
なんならお菓子は多めに作って、山田に持っていってやるのもアリかもな。なんて考えながら朝の時間は過ぎていった。
──―
そして、それ以降の一日はつつがなく過ぎていき。
いつも通りに登校し、授業を受けて。昼休みに伊地知さんに隠れて山田に弁当を献上する。
不思議とお互いライブの事は口に出さなくて、普段より少しだけ口数の少ない昼食の時間も終わり。
そして放課後、一度家に帰り妹と弟の分の夕食を作り書置きとロインでメッセージを残して、俺はライブへ向かった。
「えぇ……」
ライブ開始直前、思わずそんな声が出てしまう。
山田から教わった住所とアプリの案内を頼りに向かったライブハウス「STARRY」
薄暗い独特の雰囲気と恐らく伊地知さんの友人であろう学校で見た事のある女子たちの浮かれた空気の中、ステージに立っていたのは見慣れた二人と──。
完熟マンゴーの段ボールを被った正体不明の人物……人? とにかく段ボールだ、そりゃそんな声も出てしまうだろう。
「初めましてー! 結束バンドでーす! 今日は皆も多分知ってる曲を何曲かやるので、聞いてください!」
そしてその異様な光景にツッコミも言及も無いまま、伊地知さんのバンド紹介が終わり演奏が始まる。
正直なところまだ心も頭も追い付いていないのだが、それでも鳴り始めた音は止まることなく耳へと届く。
結束バンドの演奏は……なんというか、慣れていないというか、まだ馴染んでいないというか。
「演奏に大事なのは何よりも一体感」だと妹はよく俺に語っていたが、その意味がようやくわかった気がする。
山田にも伊地知さんにも完熟マンゴーの人にも本当に申し訳ないけど、ライブの事を妹に話さない約束をして良かったと少し思ってしまった。
「まあでも……」
異常なほどに目線を奪う段ボールにも慣れ、バンド全体を見る余裕が出て来たことでようやく山田へ目を向けることができた。
相も変わらずカッコイイ、普段の眠たげな態度とのギャップを感じさせる立ち姿と真剣な表情に、心の底から思った。
またバンドを始めてくれて、ベースを弾いてくれて、誰かと一緒に演奏する元気があって──本当に良かったと。