山田リョウの飯炊き   作:ナメクジ次郎

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廣井きくりの世界

 ベーシストの廣井さんに新宿まで連れてこられた後、あれやこれやと引っ張られてライブハウスまで連れてこられてしまった。

 新宿FOLT、あの人が拠点にしているらしいライブハウスで、あたしは開演の時間を待っていた。

 結局流されて来ちゃったなとか、そもそもライブに行くのを自分で禁止にしてたのに破っちゃったなとか色々思うところはあるけど、それ以上に不安なことがあった。

 このライブハウスにたどり着いた時、あの人バンドメンバーに怒られていたというか既にリハも終わってるって言われてた気がするんだけど。

 お酒飲んで遅刻して、それこそがロックだって言われたらそうなのかもしれないけど……ベースが、バンドの縁の下の力持ちが。屋台骨がそんなにふらふらしてて大丈夫なの? 

 

 そんなあたしの不安をよそに照明は落ち、フロアは暗闇に包まれる。

 そしてゆっくりと上がるステージの幕と共に、色とりどりのライト、観客たちの歓声、そして楽器の音が目と耳にダイレクトに襲ってくる。

 まるで目が回るような変拍子、そこに加わる視覚への刺激はある種陶酔的なものを感じさせて。これがドラッグによる幻覚や幻聴を再現した音楽、サイケデリックロックだと否応なしに理解させて来る。

 こんな難しいリズムを完璧に叩きこなすドラム、そして確かな技術によって演奏される感情表現豊かなギター。

 そしてその全てを支えるベースの音色。廣井さんはバンドの屋台骨としての役割を十全、いいやそれ以上にやってのけている。

 しかもそれだけじゃない。SICK HACKのベーシスト廣井きくりは、それだけの演奏者じゃなかった。

 この場に居る全員をステージに惹きつけて離さないカリスマ性。このバンドにおいてはベースは縁の下を支えるものじゃない、主役だ! 

 

 ベースは音が聞こえにくいとか、目立たないとか地味とか。そんな心無いことを言われてしまう楽器だ。

 あたしが演奏するコントラバスなんて特にそう。うるさい場所で弾けば自分の出した音さえも見失ってしまいそうになるくらいで。

 だけどあの人の演奏は、違う。アンプに繋いでいるからとか演奏する人数の違いだとか、そういうのじゃない。

 圧倒的な存在感でもってバンドを、観客を、このステージの全てを引っ張っていく。それが廣井きくりという演奏者! 

 

 だからこそ。酔っていても、今ちょっと歌詞飛んでるなって露骨にわかっても。MCでめちゃくちゃ言い出しても。

 最前列のお客さんを踏んでも、挙句にはお酒を吹きかけ始めても。

 上手いだけじゃなくて。自分勝手で、めちゃくちゃで、それなのに……それなのに、心地いい! 

 はちゃめちゃだけど、だからこそブレない。それこそが私だと言わんばかりの廣井きくりの世界、SICK HACKの世界——! 

 これが、これが見せてあげると言われたあたしの悩みの答え。

 こんな世界があるんだ、あっていいんだ。

 

「すごい……」

 

 不思議な脳の痺れに身を任せたあたしは、そう小さく言葉を漏らす事しかできなかった。

 

 

 

 

 ──

 

 

 

 

 

 二時間、長いようで短かったシクハックのライブは終わりを迎えて、私は廣井さんに楽屋に招かれていた。

 

「晶ちゃ~ん! どうだった~? 私のライブ!」

「何もかも初めての体験でもうなんて言葉にしたらいいか……とにかく最高でした!!!」

「おお~なら良かった~、晶ちゃん見どころあるねぇ~」

 

 あたしの隣に座って肩が当たるくらいの距離まで廣井さんは近づいてくる。

 ちょっと、いやかなりお酒の匂いがするけど、興奮しすぎてそれも気にならない。

 

「それで、わかった? 私の言ってたこと」

「はい……なんとなくだけど、わかりました」

 

 技術はあっても、ベーシストになれていない。

 その意味はなんてことはない、シンプルにメンタルの問題の話だったんだ。

 全国金賞を目指す、部全体でのその目標に対するプレッシャー。そして去年飲んだ苦渋のトラウマ。

 初心者だったこともあって今までがむしゃらにやっていたけど、上にいけない焦りで安定や技術だけを求めている部分は、確かにあった。

 

「よお~し、じゃあ晶ちゃんも一緒に打ち上げ行こ~! 今日はベーシスト記念日らー!」

 

 ちゅうちゅうと自前のパック酒を飲み干しながら一人で盛り上がり始める廣井さん。

 いや……でもメンタルの問題ってわかってもこれは無理じゃない? 

 ここまで破天荒で居られるのは流石に酔っぱらってないと無理。お酒飲めないし。

 

「おい廣井、ちょっと待て」

 

 れっつごー! なんて酒瓶片手に言っている廣井さんを、止める人が居た。

 黒髪のショートで、全体的にカッコイイ印象を覚える女性。シクハックのドラム、志麻さんだ。

 

「この子……晶ちゃんだったか、お前が連れて来たんだからちゃんと送っていくように。未成年、それも中学生を連れ込んであまつさえ打ち上げに連れて行こうなんて何を考えているんだお前は」

「キクリが捕まったらシクハック解散になっちゃうヨ!」

 

 志麻さんの言葉に着物を着崩した金髪の女性、ギターのイライザさんが続く。

 そういえば学校終わりにそのまま連れてこられたので制服のままだし、確かにこのまま一人で帰ると補導されちゃうかもしれない。

 

「えぇー!? じゃあ打ち上げは!?」

「無しに決まってるだろ」

 

 そんなー! と露骨にショックを受けて次のパック酒を開けようとしている廣井さんをよそに、志麻さんはこちらを向く。

 

「そういう訳だから、キミも親御さんが心配する前に帰るように。くれぐれもこいつが居酒屋に入りたいとか言い出しても止めるんだよ」

「は、はい」

 

 絶対に止めるように、とさらに再度念押しされる。

 廣井さん、信用されてないんだなあ。まあ確かにあれだけ酔ってお酒を求めてたらそうなるのも仕方ないとは思うけど。

 

「よぉーしじゃあ晶ちゃん送ったら下北で一人飲みだー! 帰るよ晶ちゃーん!」

 

 そうして廣井さんは、新宿に連れてこられた時のようにまた私の手を引いてライブハウスの外へと向かって行く。

 あれ? この人行きの電車賃も無かったのにどうやって送って帰るの? もしかしてまたあたしの払う流れ!? 

 

 

 

 

 ──

 

 

 

 

 結論から言って、電車賃はあたしが払うことになった。

 しかし問題はそこじゃなかった。いや二人分の往復分とチケット代で夏休み初日とは思えない浪費になったんだけど、それは大した問題じゃなかった。

 一番の問題は……。

 

「お、重いぃ……」

 

 駅までの道中でも電車の中でも、私の隣でずっとお酒を飲んでいた廣井さんがついにダウンしてしまった。

 この人の体型はスレンダーだとはいえ、人間一人プラスベースの重さというのはかなり堪えるものがる。

 コントラバスは家に持ち帰れないから部活終わってからの時間はトレーニングに使っていたけど、体鍛えてて良かったと痛感する。

 というかこの人こんなに酔っちゃって、ちゃんと帰れるの? 今日はうちで介抱した方がいいのかな……。お兄、なんて言うかな……。

 

「うぅー……晶ちゃーん……」

「なんですか廣井さん、お酒はもうダメですよ」

「揺れて吐きそうだから一回降ろして……」

 

 この人担いでもらっておいてそれを言うの!? 

 と、一言くらい言いたくなったけど、流石に背中で吐かれるのは嫌だから素直に従うことにする。

 ちょうど近くにベンチがあったのでベースケースを外してもらってそこに座らせて、私も隣に座った。

 

「——晶ちゃんはさ、なんで音楽やってんの?」

 

 座った状態でしばらくうーうー辛そうに唸っていた廣井さんがふと、そう呟く。

 

「色々あるじゃん、音楽やる理由。一番になりたいー! とかモテモテになりたいー! とか、自分を変えてみたかったとかさー」

「理由……」

 

 音楽をやる理由。

 確かにある、だけどそれを赤裸々に話してしまうのは少し恥ずかしいような……。

 そう思って廣井さんの方を見ると、真っすぐにこちらを見据える瞳と視線が交差した。

 ああ、この人は真剣に聞いてるんだ。酔った勢いじゃなくて。それなら、答えなきゃ。

 

「初めはその、寂しさを埋める為だったと思います。中学に上がった頃に親が仕事であんまり家に帰らないようになって。兄と弟は居たけどやっぱり家に居るのは寂しくて。それで友達に誘われてた吹奏楽部に入って」

 

 あの頃は、突然環境が変わってちょっとだけ荒れていた。

 今はすっかり慣れて頼れるお兄も全然家事ができなくて大変だったし。少し家の空気が悪くて、なるべく学校で過ごしたかったのもあったのかもしれない。

 

「そこで見たコントラバスパートの先輩が本当にカッコよくて、その人に憧れて。そして引退の時にこのパートは任せたよって言われて、それに応えたくて」

「うんうん」

「それと今は、推してるベーシストみたいになりたいって気持ちも強くて。その先輩だけじゃなくて、リョウ様って言うんですけど凄くカッコイイ人にも憧れてて。今日その憧れの中に、廣井さんも入りました」

「おおー? 嬉しいこと言ってくれるじゃーん!」

 

 上機嫌の廣井さんに背中をバシバシ叩かれる、ちょっと痛い。

 

「だからその、俗なんだけど今はカッコイイ人になりたいからやってるんだと思います」

 

 そうやって言語化していくうちに、自分がどうしたいのか、どうなりたいのかが浮き彫りになっていくような気がする。

 任されたからとか、部全体の目標とか、そういうのもあるけどやっぱり、全国優勝ってカッコイイものだから。

 

「なので廣井さん……あたし、もっともっとカッコいい人間になる為にもっと上手くなりたいんです、だから」

 

 そう、だからこそ、あたしはもっと近くで見るべきなんだ。

 先輩はもう居ない、リョウ様もライブ中にしか見れない……この前家になぜか居てお兄と仲良さそうにしてる夢を見た気がするけど。それは一旦置いてといて。

 

「だから廣井さん。あなたの事もっと、もっと近くで見たいんです……私の師匠になってください!」

「いいよ~」

「軽っ! 私結構本気で言ってるんですよ!?」

「いやま~だってさぁ、晶ちゃんみたいな若い子にカッコイイー! って言ってもらえて嬉しいしー? それに本気なら尚更答えてあげなきゃじゃん」

 

 弟子にしてほしい、なんて突飛なお願いを廣井さんは受け止めてくれた。

 ああやっぱり、この人はカッコイイ、そういう大人の余裕? みたいなものもちゃんと持っているんだ。

 休んだとは言えお酒飲んでるから、酔って勢いで言ってるだけの可能性も無くはないかもしれないけど……無いよね? 

 

「よ~しじゃあ初弟子記念に鬼ころ追加~! おしゃけ美味しい~!」

 

 さっきまで吐きそうになってたのに追加でパックのお酒をどんどん空にしていく廣井さん。

 えっ、もしかしてまたあたしが背負って行かなきゃいけないの!? 

 そんな憂鬱な気分を抱えたまま、公園で酒盛りしながらの夜は、深まっていった。

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