ICA……International Contract Agencyと言う組織が存在する。裏社会の有力者達の間で、時に畏怖の念を込めて、時に便利屋として扱われる彼らの正体とは、秘密裏に実在する暗殺組織である。その理念は単純に一つ、「依頼を受けて殺しを行う」。
そのために彼らは、政治・宗教・思想・社会階層等、あらゆる対立軸から逃れ、その何れもに味方をし、その何れもに敵対する。この蝙蝠的な性質を長年にわたって堅持し続けて来られたのは、ICAが保持する権力構造にあると言えるだろう。
さて、ICAは確かに表の社会では都市伝説として語られている。「依頼を受けて殺しを行う」など、誠に馬鹿馬鹿しい、ふざけた噂話のように聞こえるだろう。だが、真実だ。裏社会では誰一人としてICAの影響力を認めぬものはいない。
しかし……その裏社会でも、都市伝説としか言わざるを得ない一つの噂話が存在する。その名も47(Fourtyseven)。伝説の暗殺者だ。
ICAに所属すると言われる彼、或いは彼女は、完璧に仕事をこなすプロとして、幾多もの歴史的暗殺事件、或いは歴史的な「事故死」と共に語られている。その存在を語るとき、裏社会の人間達は決まって神話でも語るように……或いは十代の少年少女が、大人ぶって教師の言葉を馬鹿にするように語る。
「まさか」
「あんなのは所詮、噂さ」
「ICAのでっち上げだ。自分達の権威を高めようとしてな」
ICAも、表立ってその存在を肯定はしない。かといって否定もしない。噂は所詮、噂として、裏社会の渦巻く数多もの同類達と共に深い闇の中に沈んでいる。
しかし、はっきり言ってしまおう。47は実在する。彼(……)は伝説的な噂話そのままに、幾多もの依頼を完璧にこなしてきた。銃器の扱いに精通し、侵入の技術に卓越し、そして何よりも他人になりすます天才……変装のプロとして、47は完璧だった。
闇の中の闇、神話的存在……幾多もの賞賛、幾多もの畏怖を糧として、姿を見せぬまま47の影は広がっていった。それは裏社会を恐怖、そして英雄的興奮の渦へと巻き込み、47は確かに現代の神話となったのである。
――そして、数十年が過ぎた。
ダイアナ・バーンウッドがどうやって彼を見つけ出してきたのか、知るものはいない。だが、大多数の人間は手段よりも何故を思った。「なんであんなものを引っ張り出してきやがった」と。
伝説が引退を表明してから十数年。老いて弛んだ皮膚と刻まれた皺。依然変わらぬスーツとネクタイの風貌。変わったのは、眼鏡を掛けるようになったことともう二つ、胡乱な瞳と開いて塞がらぬ口だ。
その口からは、十数年前までは決して放たれることの無かった言葉が飛び出してきた。
「パパぁ^~~~~~」
かつての伝説的暗殺者47は、77歳になってすっかりボケていた。
カメラのフラッシュが瞬く中、一人の老人がレッドカーペットを闊歩する。東洋人である。禿げ上がったごま塩頭に弛んだ皮膚は、とてもでは無いがこの場に招待されるような気品も風格も持ち合わせていない。
フランスはパリ、ヨーロッパでも最先端のブランド「サンギーヌ」が主催するファッションショーで、その風貌は余りに場違いだった。高級なスーツ姿に、老人の顔だけがコラージュされたように浮き上がってしまっている。
思わず前に出て止めようとした警備員を遮ったのは、他ならぬその老人が懐から取り出した招待状だった。確かに本物。それも、物怖じもせずごく当然のように取り出したのを見、警備員は認識を改める。「どうぞ」と示したジェスチャーを無視し、77は危なげなく侵入を果たした。
彼の目の前に広がるのは、祭典として飾り立てられた建築物に、照明に照らされた噴水、頭上にはためく三色のフランス国旗である。
「Oh^~~~(驚き)」ぐるりと周囲を見渡し、るんるん気分で彼は言った。「あぁ凄い~~(観光客気分)」
彼の表情は喜色満面である。とても今から人を殺そうという人間の顔ではない。それもそのはず、彼は暗殺をするつもりなんて欠片もないのだ。彼はただ、自らが思慕する「パパ」に会いに来ただけなのだから。
47としての彼が何時死んだのか、それは誰にも分からない。ただ、結果として今ここに居るのは77歳のメンヘラサイコホモジジイである。それもFateが大好きなオタクであり、自らを玉藻の前と同一視する錯乱ぶり。そんな彼は、ターゲットとして示された「ヴィクター・ノビコフ」の写真を見て、一目惚れしてしまったのだ。
「パパ^~(新たな恋)」
『パパ? 47、その男は今回のターゲットよ。年齢的にも貴方の父親とは……』
「ん?」
『そっちはダリア・マーゴリスね。今回は両者ともに排除を……』
「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛(自称パパの女に嫉妬)」
『えぇ……(困惑)』
そんなわけで、77本人としては邪魔な女こと「ダリア・マーゴリス」を殺害する気はあっても、「パパ」の事は決して殺すつもりなどないのだ。
『パリへようこそ77』
「え?」
定型文として発した言葉に返されたのは、間抜けた声だった。
『今季の新作を披露する大切なイベントだから、ゲストも世界のファッション界をリードするそうそうたる顔ぶれよ』
「ふぁ~~~(あくび)」
明らかに話を聞いていなかった。あくびを放ちながらふらふら歩く彼の姿は、どこからどう見ても徘徊老人か痴呆老人、或いはその両方である。
しかし77はICAが用意した最終試験を合格して見せたのだ。その実力に疑いを挟み込む余地は無いのだと、オペレーターを務めるダイアナは思い込もうとした。
今回ICAに持ち込まれた依頼とは、ファッション界の王「ヴィクター・ノビコフ」と、その恋人で元スーパーモデルの「ダリア・マーゴリス」の暗殺。彼らはファッション界に君臨しながらも、その正体は世界中の機密情報をネタに暗躍するスパイ集団「IAGO」のリーダーである。彼らは私腹を肥やすため、世界中でセキュリティリークを発生させ、大混乱を巻き起こしているのだ。
依頼元はイギリスの情報機関MI6。IAGOに入手されたMI6の機密情報が、この二人の手によって闇オークションに掛けられようとしているのである。この事態を重く見たMI6は、迅速な対処が必要だと考え、ICAに仕事を持ち込んだ。
このファッションショーも、あくまで闇オークションのカモフラージュに過ぎない。一件煌びやかな舞台には、数多の陰謀が渦巻いている。そしてその渦中へと、七十七歳のボケ老人が踏み込もうとしているのだ。
『ヴィクター・ノビコフは舞台でスポットライトを浴びているはず。ダリア・マーゴリスは厳重に警備された二階で、オークションを主催することになっている』
「え?(難聴)」
『警備の連中はどんな些細な動きにも目を光らせているはずよ』
「Oh^~~(余裕)」
『幸運を祈るわ77』
「え?(難聴)」
本当に大丈夫かこいつ、と思われながら、77の復帰後初依頼は開始された。
ヨーロッパでも最大級のファッションショーということもあり、会場内では招待客のみならず、テレビクルーなどの取材陣も犇めいている。内一人が会場となっている建物を示し言った。
「この建物こそ、大きな事を大胆に行えば誰も無視できないというビジネス哲学を忠実に表して……」
キャスターは笑みを浮かべる。カメラマンは笑みを浮かべる。道行く人々も笑みを浮かべている。ショーの名の通り、場は祭典に近い雰囲気であるが、その合間を縫って夥しく配置された警備員達が、和やかな雰囲気に水を差し込んでいる。聡い人間ならば気付くだろう。『このファッションショーには何やら後ろ暗いものがある』と。
しかし、77はそんな雰囲気も気にせずふらふら歩いていた。
「どうぞ、ショーをお楽しみ下さい」
「今度ね~(ナンパお断り)」
「え? はい」
僅かな困惑を示す警備員を尻目にして、77は一目散に会場へと入っていった。目的はただ一つ、パパの素敵な登場を見る事だ。
そして彼の思惑通り、入ってすぐのエントランスホールでは、今まさにパパことノビコフが、スポットライトに照らされつつ、階段を下りてきていた。
「彼が、おお!」
「ふっへへ、ヴィクターは大した男だな。見せ方を心得ている」
「あっ!(パパ発見)」
万雷の、とまでは行かないが拍手の嵐を受け、ノビコフはついと立ち止まり、笑みを浮かべて優雅に手を振った。オールバックの金髪にサングラス、白スーツが特徴的な白人男性である。
「パパァ~!」
ノビコフの姿を視界に収めた途端、77は奇態を演じ始めた。
『何をやっているの77!?』
「えっ、ちょっと」
「なに!? 何なの!?」
「パパァ~~!」
77は群衆を押しのけ、右端の一番前に陣取ると、そこで高速の屈伸を始めたのだ。老人の奇怪な振る舞いに周囲の人々は困惑し、ノビコフもまた顔を引き攣らせた。
しかし、それでも平静を保つのは流石と言ったところか、彼は77を無視し、その近くにいる一人の男へと手を差し伸べた。
「あー……ウォルシュ下院議員。いつもお世話になっております。ぜひ後ほど、私とダリアとドリンクを」
「ね! ね! ねー!(かまってちゃん)」
「……お目に掛けたい者がおります」
「パパのも舐めさして(積極的アプローチ)」
ノビコフは下院議員を間に立たせ聞いていない振りをした。隣に立つボディーガードにチラチラ視線を送り、『今すぐこの瘋癲老人を立ち退かせろ』と視線で訴えかけている。
しかし、ボディーガードは困惑したまま立ち尽くしていた。と言うのも、この会場に居るということは当然VIP待遇を受けているため、一介の警備員である彼には排除する権限がないのである。
「パパ玉藻寂しいよぉ(かまって)」
そんなわけで、このサイコジジイを誰も止められないのだった。
「あー……ん? 少々お待ちを」
ふと、ノビコフが会話を中断し、ボディーガードの口元に耳を傾けた。ボディーガードが耳元のインカムから報告を受け取り、それを直ちにノビコフへと伝えたのだ。
「ん?」
それは何てことはない報告の体だったが、このサイコホモジジイは見逃さなかった。
「え?(こいつパパのなんなの?)」
「……奴がなんだと? ……ああ、下院議員、ちょっと急用ができまして。どうぞお楽しみください」
ノビコフは下院議員もサイコジジイのことも一瞬忘れ、激しい苛立ちの表情を浮かべた。彼が受け取った報告とは、以前から険悪な仲であった新任ヘッドデザイナー「セバスチャン・サトウ」が、ショーの開催を目前として、その舞台内容に文句を付けてきたというものであった。
「クソッタレアーティストめ。今度はなにをたくらんでいるんだ!」
「ねぇ。パパ、玉藻だよ?」
何が玉藻なのかは分からないが、77はその自称にかなりの自信を持っているようであった。しかしノビコフはサイコ老人の戯言を一顧だにせず、苛立ちながら会場裏手へと回っていく。それを見て77は『(パパ忙しいから相手してくれないのかな?)』と思った。
ならば、と77は考えた。パパが忙しいなら、パパのストーカーに注意しなきゃ!
「ねぇ」
「あ、え、はい」
「パパは玉藻のだよ?(怒り)」
「…………」
「えぇ?(威圧)」
ストーカーことノビコフのボディーガードは、突然老人に凄まれてどうして良いのか分からなかった。『パパでもないし玉藻でもないだろ』と思いながらも、去って行く背中にほっと胸をなで下ろした。
それはそれとして、77は重大な用事があった。『パパへのサプライズ』のため、持ち込んだ荷物を回収しなければならないのである。サプライズが成功し喜ぶパパの笑みを思い浮かべ、77は興奮した。心臓が鳴ってすぐに息切れしちゃうのは恋する乙女だから、なわけがないだろう77歳の老人だからだ。
階段裏の従業員通路に周囲の視線は向けられていない。誰もそこにICAの手が入り込んでいるなど考えていない。ましてやこの瘋癲老人が暗殺者などと誰が考えるだろうか。
「あった(回収)」
しかし現実としてこのサイコホモジジイは仮にも暗殺者であり、その支援をこなす者もプロである。77が回収したブリーフケースの中には、リモコン式爆弾と、数種類の銃と銃弾が用意されていた。
「パパの体の中に大事にしまっとくよ」
ここでの「パパ」は自分のことを指すらしい、とオペレーターであるダイアナは思った。しかしすぐにそんな判別などどうでも良いと投げ捨てた。重要なのは、この老人がきちんと仕事をこなせるかどうかであり、それを支援するのが自分の役割である。
『77、どうするの? このままノビコフを……』
「アッハッハッハッハ(パパの喜ぶ姿を想像)」
『……準備は一任するわ』