メイクを受け、気持ち良くなった77は、物事を前向きに捉えることにした。『そうだ! ランウェイを歩いてパパにセックスアピールしよう!』と。
ランウェイ裏手、スモークが焚かれ、幾人ものスーパーモデル達が列を成し、自分の出番を今か今かと待っている最中、クルーガーに扮した77は随分遅れてやって来た。
「クルーガー! 何をやっていたの? もう時間が押しているし、何より一番に行くのは貴方じゃなきゃいけないってのに、どうして遅れてくるのよ!」
「まあまあ、そこまで言わなくても、なあ?」
暗闇と緊張感もあってか、スタッフもモデル達も誰一人としてクルーガーの正体に気が付いていなかった。勿論、77の変装術もあってのことであるが、彼は先程から、何やら「ヘヘッ」と悪戯小僧のようなにやけ笑いをしているので、変装が露見する可能性は十分にある。
しかし、77は随分嬉しそうであった。このサイコホモジジイが考えることは九割がパパで残り一割が殺しなので、碌な事ではないのは明らかだ。
「バッチリよ、クルーガー。ガツンと決めて!」
その声と共に77は駆け出した。しかしその時すれ違い様に「(選曲が)ド素人!」と呟いたのを聞いた者はいなかった。
観客のボルテージは最大にまで高まっていた。新作ファンションショーの常と言えば常であるが、ヘルムート・クルーガーの名前は伊達ではない。何やら不手際があり、幾らか登場が遅れたこともあって、彼を待ち望む人々の目、カメラの輝きは尋常ではなかった。
遂にクルーガーが登場するその時、急に流れていた曲が変わった。すわ特殊な演出か、と人々は期待したが、どうにも奇妙な曲であった。
日本語が分からぬ者は幸いであった。アップテンポの曲の中に、変に低い声が挿入されているだけである。しかし、少しでも日本語が分かる者は途端に顔を引き攣らせた。彼らは今、確かに「糞遊び」と聞いたのだ。
「く、くそ……?」
「ヘルムー……だよな、あれ? 何か顔が……」
「何だこの曲……く、糞遊び……!? 何を、何だこれは……!」
これが77の企てだった。彼はパパへのセックスアピールとして、自分がお気に入りの変態糞土方MAD曲を、フランスはパリのランウェイで流しながら登場したのである。
パラパラと気のない拍手が響く中、カメラのフラッシュの中を77は悠々と歩き、ターン。見事な歩き方だった。場内を流れる曲の汚さとは裏腹に、ヘルムート・クルーガーとして申し分のないパフォーマンスだった。
「糞遊び」「糞遊び」「糞遊び」何度も繰り返される。77の後に続き、幾人もの美麗なモデル達が糞と小便という言葉が降る中を歩いて行く。笑みまで見せて、新作の衣服を観客達へと見せびらかす。「糞」と「小便」に気付かずに。
異常に気が付いたスタッフが、77がランウェイを歩き終える直前に曲を停止させたが、全てはもう遅かった。この時撮られた映像は後に全世界へと拡散し、特に東洋で爆発的な再生数を誇ることになるのだが、それはまた別の話である。
一仕事を終えてすっかり満足した77であるが、ランウェイ裏手に現れたパパことノビコフの登場により、再び興奮してしまった。自分がクルーガーに変装していることも忘れ、果敢に話しかけに行く。
「パパァ^~」
「ははは! すばらしいショーになるぞ。ただあのモデルの髪はダメだ。豪華な感じがまったくない」
「ね~ね~ね~(モデル頑張ったよ)。……おぇ?」
彼はパパにランウェイの感想を聞きに行ったのだが、話しかける直前にある事に気が付いた。入口で警告したストーカーこと、ノビコフのボディーガードが、まだパパに付きまとっていたのである。
「だろ? な? 他のがいい、お団子とか。ははは!」
「…………」
その時77とすれ違う女性モデルがいたが、彼女は77の視線の鋭さに全く気が付かなかった。彼は、自分をパパの恋人と勘違いしているストーカーが、疑似デート風景を見せ付けてウザいので殺そうと決意していた。
彼の内心は殺意に満ちた。奇矯な言動はなりを潜め、目的こそ見当外れだが、確かなプロとしての技量を発露しようとしていた。
人の気を引くに最もありふれた方法は、奇妙な物音を立てることである。それが要人のボディーガードであるならば、誰よりも先に確認しようとするだろう。それを77は熟知している。だからこそ彼は扉を利用した。
たった一枚の扉の先、そんなに距離も離れていない。確認するのも、帰ってくるのも実に容易い。衆人観衆の中、壁一枚を隔てた先で自分が殺されるとは、夢にも思わないだろう。
77はコインを投げた。
ノビコフとボディーガードが佇む部屋の裏、上下階への階段へと繋がる扉を、ボディーガードは何の警戒もなく開けた。彼が確認したのは、床に落ちた一枚のコインだった。それをノビコフに報告し、「ただの物音」と片付けるのは、実に簡単な仕事の筈だった。
背後で扉が閉まったと気が付いたときにはもう遅かった。
「(お前に対する殺意を)感じるよ!」
誰がパパの恋人に相応しいか徹底的に教え込む。そんな見当違いの狂った理由で、彼はナイフで首を掻き切られ死んだ。
『非ターゲットキル……。77、多少の犠牲は仕方がないけれど、ちゃんと標的は排除するのよ』
「(血で)ヌルヌル……」
『ちゃんと聞いて……いないわね』
ミッション開始時点からのダイアナの懸念は、最悪の形で結実することになった。77は、自ら殺したボディーガードの死体を、更に辱め始めたのである。
「大丈夫?(煽り)」
死体を移動し、辺りに人影はない。構えるのはサーレンサー付きの拳銃。狙いは既に死んだ人間の頭部。
「アハハハハァハッハ~~~!(笑い)」
バスバスとくぐもった銃声が数発。それですっかり満足して、77はまた任務、もといパパへのアピールを始めたのであった。こんな奴雇った方が間違いだろ。
暫く遊んでいたこともあって、77はパパの安全が心配だった。正直に言ってこいつが離れているのが一番の安全なのだが、当人は全く気付くことなく、依然クルーガーの変装のまま上層階へと上っていく。
「パパァ^~(無事で安堵)」
豪壮な部屋の中央で、ノビコフは何やら電話を掛けており、忙しいのかな? と77は思ったのか、彼を置いてまずは面倒な仕事を片付けることにした。
「(雌豚を殺しに)いっちゃうわよ?」
『ダリア・マーゴリスを排除しに行くのね? しかもその姿なら警備も素通りで、怪しまれる事も……うん、多分ないわね。考え……かんが……考えたわね、77』
「ハッハッハッハッハッハッ(息切れ)」
本来ならば、瘋癲老人を止めるはずの警備員達も、クルーガー相手となっては何ら手出しをしてこない。階段を上りながら息を切らす77歳の老人は、誰にも変装を見破られることなく、ダリア・マーゴリスが指定した会合場所へと辿り着いた。
「余だよ(顔パス)」
77の心持ちは「決戦」その一言である。雌豚とどちらがパパに相応しいかの勝負を、ここで決着させるつもりなのだ。
一方マーゴリスは、電話口の様子とは打って変わって、落ち着いた様子で77を迎えた。流石に長年スパイ組織の長を務めているだけあって、心の落ち着かせ方を重々承知しているらしい。勿論こちらにはパパだの何だのと言う世迷い言は一切ない。あるのは私腹を肥やすための打算のみだ。
こいつと77のどちらが死ぬ方がより世界のためになるのか、悩むところである。
「ヘルムート、素敵な服ね。さ、座って」
「玉ッ……余だよ(うっかり)」
マーゴリスは、目の前の人間が変装した老人だとは気付いていない様子だったが、無理もない。元々変装として仕立て上げた無意識の雰囲気に加え、哀れにも努力を重ねたメイクスタッフの尽力により、77の容貌は並大抵の親しさ、観察眼では見抜けぬ域にまで到達していた。
「……で、ヘルムート。あなたのお返事は?」
「(お前が)先に逝っちゃうわよ? いいの?」
「へえ、行くのね? 直球勝負……嫌いじゃないわ」
「え?(難聴)」
「実は、あなたにピッタリの仕事があるの。……ジェシカ・ハイムーア」
「え?(難聴)」
「ハイムーア・コンサルティングの娘ね。だからショーに出てもらった。ジェシカがあなたに会った時にわかるように」
「え?(こいつ何の話してるの?)」
「ニューヨークに飛んで、ジェシカを探して。あとは……」
77はマーゴリスの話を全く理解していなかった。彼女が説明しているのは、そもそもの暗殺依頼の原因、スパイ組織「IAGO」に関連する話である。彼女はハイムーア・コンサルティングの合併に関する資金の流れを掴むため、ジェシカ・ハイムーアにヘルムート・クルーガーを接近させようとしていた。
が、この話を聞いているのはクルーガーではなく77歳のサイコホモジジイである。ここに来たのもスパイ云々が理由ではなく、思慕するパパの恋敵を処理するためであった。そのため77はぶつぶつと訳の分からぬ事を呟き続ける。
「ねぇ、パパは余の(物)だよ(夫夫宣言)」
「え?(聞いてんのかこの雌豚……)」
「こんな(ボケた奴の相手する)の初めてだよ」
「キモッ」
全く話が通じないので、77は自分を棚に上げ、すっかり相手が若年性認知症だと思い込んでしまった。そして老人らしく、うとうと居眠りを始めてしまったのだった。
「はあ……問題発生よ」
「ん?(起きる)」
77が居眠りから目覚めたとき、マーゴリスは物憂げに苛立った表情で立ち上がったところだった。会合を一旦切り上げ、ショー会場を望む窓辺に佇み、スマホを耳に当てている。何やら不測の事態が発生したようである。しかし、その隙を起き抜けの77は見逃さなかった。
「こんなチャンスなかったよ?(興奮)」
「……置かれた状況は分かっているはず。彼女を監視して。もし危険な素振りを見せたらすぐに……」
「あははははは!」
「ごぼっ、ぉ!?」
77は音も立てずに近付いた。マーゴリスは当然、自分が命の危機に瀕しているとは考えてもいない。更なる算段を、輝かしい未来を想像しながら、背後から喉元をナイフで掻き切られ、断末魔も上げられずにマーゴリスは死んだ。表と裏の社会において栄華を誇った女は、実に呆気なく処理された。
「良い! 良い! 良いィィィィィィ!」
『ターゲットダウン。素晴らしいわ、77。次はヴィクター・ノビコフよ』
「こんな(気持ち良い切断)覚えたらもう忘れなくなるよ」
遂に邪魔な雌豚を処理できて、77は上機嫌だった。崩れ落ちたマーゴリスの身体へ向け、満面の笑みで銃口を近づける。
「麻呂は……」バスバスとサイレンサー付きの拳銃からくぐもった銃声が響く。パパ争奪戦における勝利の死体打ちである。「市川・玉藻・グラジオだよ?(衝撃の正体) あぁ~たまらん(勝利の感想)。あぁ~声がでちゃうどうしよ(病みつき)」
別に77は市川でも玉藻でもグラジオでもないのだが、と言うか何処からその名前が出てきたのか全くの不明だが、しかしこの瘋癲老人は玉藻と自称するより更に強く、その名乗りに自信を持っているようだった。Fateにおける真名みたいな物だろうか。性欲旺盛な爺さんが、まさかの英霊気取りである。
「(穴だらけで)うわぁ凄い。……え?(もっと撃ちたかった)」
銃弾を撃ち尽くし、マーゴリスの死体に風穴をいくつも開けて、ようやく77は正気を取り戻した……これ取り戻したんかな? いや取り戻してないかもしれへんわ。断言すんの止めとくわ。確信がないわ。
「(飽きたから)しまっとくよ」
散々辱めたマーゴリスの死体を、77は手近なクローゼットの中へと押し込み、とっとと忘れた。既に頭の中には雌豚に関することなど無く、にやついた顔で階下のファッションショー会場、輝きに満ちたキャットウォークを見下ろす。
彼が今考えているのは、パパのイベント成功を祝う『サプライズ』をどうしようか、ということであった。
そこで77は思いついた。『花火が良い!』視線の先にあるのは、会場上部に取り付けられたアーティスティックな柱状の照明器具と、それを吊り下げるワイヤー、ウインチである。
「ん゛ん゛」
するりと手すりから乗り出し、77は腕だけで壁を伝っていった。とても77歳とは思えぬ身体能力である。会場の人々は、まさかそんな場所を人間が伝っているとは考えもしない。視線は向けられず、そしてもし向けられたとしても、クルーガーの変装が役に立った。不審に思われても、その疑念を受けるのはクルーガーの方である。
「こうしてこう(熟練の手さばき)」
77はバールでウインチの機構に細工をすると、満足げにその場を去った。『サプライズ』にパパが喜ぶ姿を想像して、また興奮して息が切れた。