あの後雨が降り、芳香が手配してくれたらしい宿にてその雨から逃げてきた。
美鈴に泊まる所がないことが分かると、どうやら芳香は人望が厚いようで、美宿泊を宿主に頼んだところ「芳香ちゃんが言うなら。」ということで許可が出たらしい。
その宿の夜、女性と男性に別れて就寝する予定が、雨漏りが酷いらしいので一緒の部屋になった。ちなみに小野妹子や、他の遣隋使はもっと豪華な宿に留まっているらしい。羨ましい。所詮は護衛の扱いだった。
「そんなに強いの?」
「初めて負けましたもん。しかも一瞬で。」
「へぇ~今度、手合わせ願おうかしら。」
美鈴が芳香に、先程の俺との決闘の話をしていた。傍から聞いてると物凄く絶賛されており、非常にむず痒い。
「手合わせなら、いつでも構わんよ。」
「凄い自信ね。」
「まぁな。」
神とも戦ったことがあるぐらいなのだからな。自信なんてもんじゃない。傲慢になってしまうぐらいなのだから。
「ところで師匠、いつから修行をするのでしょう?」
「そうだな…。美鈴、君はいつから修行をしているんだ?」
「多分60年程です。」
「60年でその技術か…うむ。修行はお前の自由にやってくれ。俺はそれに手を加える。明日、早速やろう。」
「はい!」
元気な返事に、師匠は思わずニッコリしてしまう。美鈴は修行に励む良い弟子です。
それしても、たった60年でこれほどまでの戦闘技術を持ち合わせているのは驚きだ。俺が戦闘技術を学んで60年目ぐらいの頃は、美鈴の3分の1の実力だったと言える。素直に感心する。
「もう師匠って感じになっているじゃあないの。」
美鈴の才能に心の中で称賛していると、青娥が俺の姿を見て茶化すように言ってきた。しかし、自覚していないため、首を傾げる。
「そうか?」
「そうね。私も弟子にしてもらおうかしら。」
青娥に便乗するように、芳香も面白がる。が、青娥が少し慌てるように止める。
「コラコラ、弟子になっちゃったら日本に行かなきゃならないわよ。隋での仕事はどうするのよ?」
「冗談よ、冗談。」
青娥と芳香は本当に仲がいいのだな。この和やかな光景を見ると、少し微笑ましい。しかし、時間というのは流れるもの。明日も仕事はあるため、休息を取らなくてはならない。というのは言い訳で、俺は欠伸を大きくする。
「そろそろ寝ないか?眠くてしょうがない。」
「そうね。寝ましょうか。」
俺の言葉に肯定した青娥は、せっせと布団の中に入る。灯を消し、寝ることにする。暗闇の中、それぞれが布団に入る。そして、今日を終えようと目を閉じる。
その時、カサカサと何かが這う音が聞こえる。虫だろうか。豪華な部屋に泊まりたかったと嘆いていると、その悲鳴は聞こえた。
「キャァァアアアッ!?」
「芳香、どうした!?」
「レイィィィィ!!」
暗闇の中、芳香が恐怖しながら勢いで抱きついてきた。腕と足でしっかりと俺に抱きつき叫んでいるのは、まるで蝉のようだ。
「一体どうしたんだ?」
「怖いよぉぉぉ…」
何が、彼女をここまで怖がらせる?青娥から聴いたところによると、彼女は決して弱くは無いらしい。そんな彼女が、ここまで...?
すると、青娥が呆れたように話し始める。
「ああ、虫が出たのね。」
「...虫?」
「そう、虫。芳香ちゃんは虫が苦手なのよ。」
戦闘技術に長けて、コミュニケーション能力も、人を引きつける力もある、そんな芳香が、小さな虫に恐怖している。あまり想像がつかないが、現に芳香は恐怖のあまり俺に巻きついている。
「へぇ、意外。」
「女の子に抱きつかれながら冷静でいる貴方が、男として意外よ…」
青娥の若干引くようなその視線には納得いかないぞ。
「と、取り合えず、灯…つけましょうか?」
「おう、よろしく。」
我が弟子は気を利かせて、近く灯台に火をつけてくれる。青娥には美鈴を見習って欲しい。
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「怖いよ…」
「芳香。」
「うぅ…」
「芳香!」
「うへぁ!?」
明かりをつけ、虫を青娥に虫を追い出してもらったのだが、芳香は恐れから目を閉じていたために虫がいなくなったことも気がついていなかった。
仕方なしに呼びかけると面白い反応を見せる。
「もう虫は居ないよ。」
「あ、ありがとう…」
と言いながらも俺のことを離そうとしない。
「あの、取り合えず離れてくれないか?」
「……ごめん。もうちょっとこのまま。」
「どうした?」
顔を埋めたままの芳香。今日初めて会った男に色目を使う訳でもないだろうし、何か理由でもあるのだろうか。
「力入れすぎて固まっちゃった。」
「どんだけ怖いんだよ。」
「お願い…」
涙目の顔をこちらに向けて、まるで子どものようにお願いする。なんとも断りずらい。それより、力入れすぎて固まる人を初めて見た。この1億年で、だ。
「よしよし、もう安心だからなぁ。」
かつて諏訪子の頭を撫でていたように、芳香の頭も撫でる。こうすると安心して眠っていたのだが、芳香はどうだろうか。そうやって顔を覗いてみると頬の筋肉を緩ませていた。これで脱力して、いつかは眠りにつくだろう。
それにしても、先程の虫は初めて見た。新種の虫だったか、隋にだけに生息する虫だったのか、それは分からないが、妙に気になっていた。
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「ふむ。零という人間が厄介だな。彼女が欲しいなぁ…芳香ちゃん。」
暗い部屋に、男は深く椅子に座り、グラスに入った血を飲む。
「彼を始末したあと、彼女を…大好きな
愛する女性との夢のような結婚生活を想像するかのように、その男は微笑んでいた。その後ろに、女性の死体が積み重なり、虫が無感情に貪っていた。