あれからほぼ毎日、俺は椿から軽い誘惑を受けている。あの時のように体が動かないということは無かったが、それでも娘のような存在の椿に誘惑されるのは精神的に苦しい。
しかし、それは椿からしても同じことが言えるだろう。何度誘惑しても俺は振り返らない。好きな人に振り向いて貰えない気持ちを俺は知る由もないが、それでも苦しいことは変わらないだろう。
このままではいけない。ハッキリと伝える必要がある。仮に彼女が『黄泉からの刺客』であろうと、椿は椿だ。命を狙われるかもしれないが、彼女は他の誰でもない、椿なのだ。
「零…本当にいいの?」
「あぁ。」
旅の面子を連れて、街の外れにある草原までやってきた。万が一のことを考え、諏訪子たちに迷惑をかけまいとここに椿を呼び出した。
青娥の表情は浮かない。いや、青娥だけでは無い。美鈴や丸も同じ表情をしていた。芳香は、いつも通りで安心した。
「来た。」
椿の姿が『ナビゲーター』に引っかかった。俺の言葉に、後ろの四人は反応しない。しかし、少し身体が緊張して固まったのを感じる。きっと、それは俺も同じなのだろう。
椿の姿が見えてきた。
「零様、お待たせしました。…青娥様方もいらっしゃるのですね。」
「あぁ、いや、話の内容が内容だからな。コイツらは少し外してもらう。」
「そうなのですか?」
流石に、今までの誘惑を拒絶される瞬間は見られたくないし、青娥達も見たくはないだろう。
後ろに目配りし、芳香以外の三人は無言で頷く。彼女らはそのまま振り返り、遠くへと歩いていった。姿が見えなくなるほど。
「二人きり、ですね。」
椿は何かを含んだような言い方で、妖しく笑った。しかし、俺の表情は一切変わらずに椿を見つめる。
「大事な話だ。」
「…どうされたのですか?」
いつもとは違った俺の様子に、流石の椿もその笑みは止め、いつもの優しい笑へと変わった。しかし、それでもなお椿の目は虎視眈々と狙う獣のような鋭さを感じる。そんな心臓を刺すような感覚が、椿がかわった、もしくは変えられてしまった事実を証明しているようで、悲しみが脳内に満たされる。
「前に、椿は俺に好きであることを告白してくれた。」
「はい、今でもお慕いしておりますよ。」
「その気持ち自体は、嬉しい。だが、俺は君をそのような目で見ることは出来ない。」
その言葉を言い放った瞬間、椿の笑顔が無くなった。というより、笑顔を保つ筋肉の力が抜けた。代わりに、椿の眉が若干吊り上がっている。
「零様、いいのですよ?無理はなさらない方が…」
「俺は君を娘のように思っている。」
「や、やめてください。」
「君のことを好きでいるのは、家族としてだ。」
「やめて…」
「君の気持ちは受け取れない。娘に恋など出来ない。」
「やめろ!!」
椿は荒らげた声を草原に響かせた。これまでに一度も聞いた事のない声だった。
肩で息をして、俯き、拳は血が出るほど握りしめていた。声の残響が静まると、彼女は俯いたまま目線をこちらに向ける。
「なんで、なんでなんでなんで!!なんで私の愛を受け止めてくれないの!?」
口調も、声色も、今までの彼女からは想像もできないほど変わってしまった。当たり前だ。唐突に現実を突きつけられた彼女には心の拠り所がない。
「俺は、椿を家族として愛しているんだ。」
「それじゃダメなのよ!!何が家族よ、体のいい逃げ道じゃない!!」
「そうじゃない!俺は本当に愛して…」
「私の気持ちはどうするのよ!!」
返す言葉もなかった。家族として愛しているなど、それは俺の気持ちであって椿の肥大化した想いに対する応えではなかった。
「…アハハ!アハハハハ!!」
唐突に笑い声をあげる。それは、自暴自棄をしているようにも見えた。目は血走り、口角を思い切り吊り上げ、自分の髪を掻きむしる。
俺は、何も出来ずにただ見ていた。
「ハァ…じゃあもう、殺すしかないですね。」
「…やっぱり、君は『黄泉からの刺客』だったんだな。」
「うへへ、そうですよ。死んでからずっと貴方様を恨んでおりました!」
彼女は天を仰ぎながら、高らかにそう言い放った。どういう訳か、彼女の木の葉の色をした美しい髪は、まるで紅葉のような紅の髪へと変色していく。
「身体が腐って、ガスで破裂して、烏や野犬がこの身を啄んでいくんです。その感覚を貴方様はご存知ですか!?」
椿の惨憺たる姿がフラッシュバックする。変色した肌さえも、僅かに残っていた程に肉は骨についておらず、椿だと判断することも困難だった。
俺は彼女の苦しみを分かってあげられない。
「貴方様が八意永琳を好いている所為で!貴方様が女性を引き連れている所為で!貴方様が諏訪子様に好かれている所為で!!」
「………」
「貴方様が…零様が私を愛してくれない所為で、私が死んだ。」
その一瞬だけ、椿の顔が曇る。狂っていなければ生きていけないのだと、声のない悲痛な叫びを俺に伝えようとしている気がした。
椿は真っ直ぐに俺を見つめ、いつもの見慣れた優しい笑顔をする。
「零様、お慕いしております。ですので、私に殺されてください。」
優しい殺意が、俺の心臓を撫でた。