今どき、異世界系に憧れる人がいるとは思わなかった。こういう時は話を合わせた方がいいのだろうか。あまり関わりのないクラスメイトがそういった系統のラノベを読んでいた気がするが、それらにも手を出しておいた方が良かったと後悔をしている。
「あの、どういうことですか?」
とりあえず、頭ごなしに否定したり馬鹿にされたりすると、逆上して何をされるか分からないため、話を聞いておこう。こういう人は自分の世界観を語りたいだけのはずだから、聞き手側に回るのが吉だ。
「さっき、幻想郷を知っているか訊いたでしょう?」
「はい、訊かれましたね。」
「ここが、その幻想郷なのよ。」
なるほど、彼女は幻想郷という世界に住んでいると思い込んでいるのか。
「この幻想郷は人間はもちろん、妖怪、妖精、幽霊などが存在する、忘れられた者が行き着く世界。」
「へぇ、そうなんですね。」
「…なんか妙に落ち着いてるわね。いや、私がそういう風に頼んだのだけれど、そこまで冷静だと不気味ね。」
初対面の人に直接不気味と評価するのは些かどうかとは思うが、確かに、リアクションは彼女の求めるようなものでは無かったかもしれない。妙にリアリティを纏っている。
何か適当に辻褄を合わせよう。
「いやぁ、異世界にいる実感が湧かないので。」
咄嗟とはいえ、少し嫌味っぽくなってしまっただろうか。僕は恐る恐る彼女の顔を見る。
「…それもそうよね。」
良かった。どうやら機嫌を損なうことはなかったらしい。
僕が胸を撫で下ろしていると、永琳さんは続けるように話しかけてくる。
「まぁ、今はとりあえずここで休んでいて。どこも悪くはなさそうだけど、安静にね。」
「分かりました。」
そう言い、うどんげさんと永琳さんは踵を返して部屋の外へと出ていった。扉の閉まる音、そして廊下を歩く音が徐々に遠のいていく。
「…よし。」
さて、この屋敷から脱出をしよう。こんな妄想癖だらけの残念なヤツらに誘拐されてしまったのだから。スマホに関しては諦めよう。家には代えのスマホがあるから、友達と繋がりが無くなることは無い。手元にないと落ち着かないという弊害はあるが。
まず初めに、この屋敷の構造を理解しなくてはならない。ならば、それを把握するためにもトイレなどを口実にして部屋の外に出る必要がある。幸い、自分を医者だと思い込んでいる一般人であるためか、監禁はされておらず部屋を出ることは容易そうだ。
部屋を出る時に脱出ができるのならばそのまま脱出するのも良いだろう。なんだかステレスミッションを行っているみたいでワクワクしているのは年相応の反応だ。
「とりあえず、出るか。」
僕は扉のノブに手をかけ、部屋の外へと出る。
「やぁ、こんにちは。」
「…コンニチハ。」
「お兄さん、誰?」
「患者ダヨー。」
初手で新たな住民に出会ってしまった。小さな女の子のようだが、この子も頭から兎の耳を生やしている。とはいえ、この子ぐらいの年齢ならアニメのキャラに憧れて、という動機で耳を付けるのは何ら不思議では無い。
そうだ、この子に出口を訊くというのはどうだろうか。
「ねぇ、君。もし良かったらここの玄関がどこにあるか教えてくれないか?」
「なんで?」
「外の空気が吸いたくてね。」
「ふーん。」
少女は少し悩んだような素振りを見せた後、角度の問題か、悪事を働こうとする所謂悪い顔をしたように見えた。
「いいよ!この先を突き当たり右に出て、暫く進んだら左手の方に玄関があるよー。」
「そっか、ありがとうね!」
「どういたしまして!じゃあねー!」
悪い顔に見えたのは気のせいだったようだ。少女は無垢な笑顔を見せ、可愛らしく手を振りながら去っていった。僕も手を振り返し、その少女を見送った。
さて、早速玄関の位置が分かったためそのまま脱出することを決めた。息を殺し、足音を消し、人の気配を感じ取ろうと十分に周囲に警戒する。
曲がり角、壁に背を付けてこっそりと角の奥を覗く。人がいないことを確認。そのまま足早に廊下を渡っていき、玄関を探す。
「…あった。」
磨りガラスの向こうに緑が見える戸を発見した。これでこの屋敷から脱出することが出来る。スマホはあちらに握られているため直ぐに警察に連絡はできないが、仕方がない。
そうして、僕はその戸を開いた。
「え…?」
目の前は僕の見知った街並みが見える…と思っていた。しかし、僕の視神経は竹林の風景を捉えた。立派な竹が乱立しており、青い空は屋敷の上のみにしか広がっていなかった。
「どういう…い、いや…」
誰も、住んでいる地域の全てを知っている訳では無い。僕がたまたま知らなかっただけだ。そう言い聞かせ、僕はその竹林の中に入っていく。後ろの屋敷がどんどんと小さく、そして竹に隠れていく。
気が付けば、僕の周りには竹だけが存在していなかった。どれだけ歩いても同じ風景、と言うよりも、同じ道を通っている気がしてならなかった。焦燥感と孤独感が僕の全身を襲う。もしこのまま、孤独に迷い続けてしまったら…そういった想像をしてしまう。
「大丈夫、僕は死なない。」
根拠の無い言葉を自分に言い続けなければ、僕は絶望をしてしまう。そう嫌な確信を抱きながら、ひたすらに足を動かし続けた。
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しかし、夜の闇が竹林を覆った。未だ、僕は竹林の外へ出られていない。既に自分に言い聞かせられるほどのメンタルを保ってはいられなかった。
足は靴擦れでとても歩けられるような状況でもない。地面に座り込み、竹に寄りかかる。竹の葉がカサカサと乾いた音を鳴らし続けているが、一向に生物の声は聞こえない。
「お腹空いたな…」
食べ物もない。スマホもない。ポケットの中はズボンの繊維が丸まったゴミのみ。どうしようもなかった。
寒さを凌ぐために丸まって夜を明かすしかない。
「このまま、死んじゃうのかな…」
独り言が増えた気がする。僕の心を蝕む孤独は、具体性を持った不安へと変化しつつあった。自然と涙が目から溢れてくる。
僕が一体何をしたというのだろう。
「…何もしてこなかったな。」
僕にはアイデンティティがない。それは常々思っていた。他人の顔を窺って、誰にも見捨てられないように流行りに便乗し、蜘蛛の糸のように細い人との繋がりを何とか保っていた。それを幸せだと思い込みながら。
しかし、スマホがない事で気がついた。そんな繋がりは僕にとってなんの意味もないものであると。ファントムバイブレーションシンドロームに悩まされていたぐらいだ。
それでもきっと、スマホが手に入れば僕はきっとまた元の生活に戻ってしまうのだろう。なんて、つまらない人間なのか。
「僕の好きなモノって、なんだっけ。」
誰かから、好きなモノを訊かれていたような気がする。しかし、その誰かは思い出すことが出来ない。
現実逃避のための思考に耽りながら、僕は徐々に意識を手放していく。これが夢であればよかったのに。