「すみませんでした。」
永遠亭の居間にて、改めて僕は永琳さんとうどんげさんに頭を下げていた。
僕の横には縄で宙吊りになったてゐの姿があった。決して彼女の無惨な姿を見たからでは無いが、僕は全力で謝っている。
「まぁ、話を聞く限り私の説明も不十分だった所為でもあるし、今回は不問とします。ただ、次は無いわよ。」
「心に刻みます。」
僕の畏まった態度に二人は苦笑いをしている。そんな中、廊下から誰かがこの居間に入ってくる。
「よう、永琳。今日も可愛いな。」
左右で黒と灰色のツーカラーに分かれている和服を着た長身の男性が入ってきた。なんだか見た事がある気がするが、幻想郷に知り合いなどいる訳もなく、きっと気の所為だろう。
そう思っていた矢先。
「お、直人くんもちゃんといるね。」
「え?」
その男性の口から知るはずもない僕の名前が発せられた。一体、どういうことなのだろう。
「やっぱり貴方…」
「あーあー、後で説明するから。直人くん、俺の名前は『神田零』だ。よろしく。」
「あ、はい。よろしくお願いします。」
零さんは明るい笑顔を向け、僕に握手を求めてくる。もちろん、僕はその手を取る。零さんの手を握っていると、どうしてか安心してしまう。きっと優しい人なのだろうと、直感で思ってしまう。が、人の印象というのは当てにならないことを知っている。
僕はその手を離す。
「へぇ…」
「…?」
何か感心したように僕を見ている。その目はどこか僕の全てを見透かしているような気がしてならない。一筋の汗が頬を伝う。
「申し訳ないんだけど、幻想郷に来てしまった外来人は外に出られないんだ。」
「え?」
今、重大な悲報を聞いた気がする。僕の脳が上手く零さんの言葉を飲み込もうとしない。僕はもう一度、彼に聞くことにした。
「あの、どういうことですか?」
「なんて言うか、正確に言えば帰れることは帰れるんだけど、時間軸が違うから浦島太郎になっちゃうんだよね、君。」
ウラシマタロウ?浦島太郎になるとは一体どういうことだ?僕がおじいちゃんになるということなのだろうか。思考をいくら巡らさせても、結論を見い出せずにいた。
「つまり、帰っても君を知ってる人は全員寿命で死んでるよ。」
「…は?」
全員死んでる?家族も、クラスメイトも、好きな子も、教師も、近所の子どもも、全員?
何よりも大切にしていた、人との繋がりが全て、一瞬にして、なくなったということ?目の前の優しい笑顔が、まるで悪魔の微笑みのように見えた。
「そういうわけだから、君にはこれから幻想郷に住んでもらうよ。」
「ちょっと、零!!」
「…どうした?」
「いくらなんでも、いきなりそんなこと…」
「だが、それが現実だ。彼は不運にもこの幻想郷に紛れ込んだ可哀想な青年だ。」
永琳さんと零さんが何かを話している。しかし、僕の耳には何も入ってこない。零さんの言葉は、全てが真実であると信じさせる力を孕んでいた。だからこそ分かる。僕はまた孤独になってしまったのだ、と。
「彼の精神衛生上、一気に全てを伝えるのはあまりにも…」
「あの。」
僕は永琳さんの言葉を遮った。いつもの僕の口調で、一切の淀みのない声色で、遮った。皆一様にして驚いた様子でこちらを見ている。零さんを除いて。
「とりあえず、分かりました。それで、僕はどうすればいいんでしょう。」
「うむ、幻想郷の管理者の所で手続きをしようか。」
「分かりました。」
防衛機制だろうか。今、とても穏やかな気持ちだ。いや、これでは語弊を生む。それら事実が悲しいことは変わらないが、それを受け入れた上で、心は穏やかなのだ。
皆は僕の態度にまたもや驚いている。確かに、僕を客観的に見たら絶望に精神が飲まれた人か気が狂ってしまった人だと思えてしまうだろう。しかし、僕は平常だ。
「それじゃあ付いてきてくれ。」
「はい。」
僕は立ち上がり、零さんの後を付いていく。皆の視線が背中に刺さる。しかし、声をかけようとする様子もなく、そのまま僕は永遠亭を去っていった。
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永遠亭の外に出ると、相変わらずの立派な竹林が広がっていた。零さんは大きく体を伸ばすと、僕の方へと振り向く。
「さて、目的地まで遠いから俺の能力で移動するぞ。」
「分かりました。」
「よーし、それじゃあ俺に掴まってくれ。」
「…?こうですか?」
僕は零さんの腕を掴むと、零さんは満足そうに頷いた。一体何を行うのだろうか。皆目見当もつかないが、零さんはそんな僕に構わずもう片方の手で指を鳴らした。
すると、それをきっかけに周りの空間が歪んだ。
「うッ!?」
「あ、ごめん。言い忘れてたけど、三半規管強くないと気持ち悪くなるよ。」
時すでに遅し。僕は口に手を押えながら目をつぶる。この景色を見ていると余計に吐き気がしてくる。隣で申し訳なさそうな声が聞こえる。
「いや、本当にごめん。」
「い、いえ…大丈夫です。」
「もう着くから。」
その言葉は非常に嬉しいものだった。僕は懸命に強烈な吐き気に耐えながらも、零さんの腕を離さなかった。
そして、若干の浮遊感の後に地に足が着いた感覚を捉える。
「着いたぞ。」
零さんのその言葉を信じ、僕はゆっくりと目を開いた。そこには竹の一本も存在せず、生暖かい風に木の葉や落ち葉が共鳴している中にポツンと一つ、土臭くもどこかノスタルジックな感覚に陥る古民家が静かに聳え立っていた。
「ここは…?」
「幻想郷の管理者が住んでいる所だ。『マヨヒガ』って言うんだが、ここは本人とその式たち、そして俺しか場所を知ってる人が居ない。」
「マヨヒガ…」
不思議な場所だった。神社や寺のような特徴的なシンボルがある訳でもないのに、どこか神聖な場所のように思えてしまう。なんというか、精神的に落ち着く、心が休まる場所。
「紫ー?連れてきたぞー?」
零さんは玄関の戸を叩きながら、大きな声で家の中に呼び掛ける。そこから暫く待っていると、その叩かれた戸は横に開かれた。
「れい様!お待ちしておりました!」
「お、橙か。久しぶり。」
「お久しぶりです!」
てゐよりも若干年下ぐらいのダークブラウンの髪をした少女が出迎えてくれた。頭には猫耳、背中から二股に分かれた猫の尻尾がチラチラと見え隠れしており、この子の妖怪であることを理解する。
「あ、貴方が外の世界からいらっしゃった方ですね。『八雲橙』と言います!」
「上嶋直人です。」
子どもらしく元気に挨拶をする。そんな姿に心が癒される。
「紫はいるか?」
「はい!どうぞお入りください。」
橙は退いて玄関の道を空けてくれる。僕は零さんに続き、そのマヨヒガの中へと入っていく。
「お邪魔します…」
いきなりこの世界の管理者に会うことを、今更自覚してしまい若干ソワソワしてきた。そんな様子を見てか、零さんは僕の肩に手を置く。
「大丈夫だ。そんな畏まらなくていい。」
「…ありがとうございます。」
一度深呼吸をしよう。橙と呼ばれた少女に家の中を案内されながらも僕は一度どころではない深呼吸を繰り返す。零さんが苦笑いをしている気もする。
「ここです。」
お偉いさんが向こうにいる。マナーに厳しい人とかならどうしよう。畳の縁は踏んではいけないんだったよな。出されたお茶はどう飲めばいいんだっけ。
昔からこういう場は苦手だった。
「紫様、お客様がお見えです。」
「どうぞ。」
凛とした女性の声が響いた。僕は思わず固唾を飲む。
「では、お入りください。」
そう言い、橙は戸を開いた。
幻想郷の管理者ということは、つまりこれから幻想郷に住む僕も管理されるということだ。僕はどうも、管理者及び監視されることに苦手意識があるのだ。前世に酷い管理でもされていたのだろうか。そんな苦手意識に心臓を走らせながら、僕はその戸を跨った。畳の縁を踏まないように。