鋭い瞳孔に囁くリビドー Ⅰ 『愛玩』
「着いたぞ。」
吐き気を催しながらも、零さんの声をきっかけに目を開く。そこは広い洞窟の中に鎮座する洋風の豪邸が、視界を埋めていた。僕は道のど真ん中に立っており、高い街灯の磨りガラスの向こうに火が灯っていることから、電気の通っていない時代の日本、明治時代の文化を思わせる光景だった。
「ここが、地霊殿…」
「感動したか?今日日見ないだろ、こんな浪漫を感じる建物は。あぁ、でも、観光地とかで見たりはするのか?」
「いえ、あまり旅行とかはしてこなかったので…感動してます。」
とても綺麗な建造物に、思わず目を奪われる。仄暗い世界に存在するそれは、妖しい美しさを魅せる。単純な感想としては、好きな建物だ。
「それは嬉しいですね。」
幼いが落ち着いた声が聞こえる。僕はその方向に目を向けると、地霊殿の扉が開かれているのが見えた。その中からは、少し癖のある薄紫のボブが似合う少女が瞳を閉じて現れた。そして、僕の姿を確かめるように片目を開く。
服は可愛らしいフリルが施され、彼女の周りには赤い紐状の何かと、それに繋がった猫目の瞳がこちらを見つめていた。
僕は学習をしている。見た目は年齢に関係がないことを。恐らく、この地霊殿の主人なのだろう。
「よく分かりましたね。」
「なにが、ですか?」
「私がここの主であることです。」
「え!?」
口にした覚えは無い。しかし、彼女はまるで僕の思考に答えるようなことを言っている。どういうことなのだろうか。
「単純ですよ。私は貴方の心を読んでいるのだから。」
「へー。」
「…なんですか、その反応。」
「いやぁ、流石異世界だなぁと思いまして。」
「能天気な人だこと。」
そうだろうか。ただ単にそういった超能力的なものに対して実感がないからだと思うのだが、心を読める彼女がそう言うのだから妙に説得力はある。
「…普通は心を読まれることを嫌がる人が殆どですよ。」
「あぁ、そういう。」
「零さん、この方は面白いですね。これで自分のことをなんの特徴もない人だと思っている。」
そう言ってくれるのは素直に嬉しい所だ。
「そういう所ですよ。」
「…?」
「さて、紫さんから大体のことは伺ってます。私は貴方の監視を任された『古明地さとり』という者です。」
「上嶋直人です。」
丁寧に頭を下げたため、僕も頭を下げながら自己紹介をする。
それにしても、納得がいった。紫さんは何故か僕のことを嫌っている。そんな嫌いな僕を監視するのは、心を読めるさとりさんが適任だろう。だから、地霊殿に定住させようとしていたのだろう。
「さとり、直人君のこと頼んだよ。」
「はい、任せてください。」
「すみません。よろしくお願いします。」
改めて、僕は頭を下げる。紫さんの時に学習した。力のある人には必要以上に媚びなければ命は危ういことを。皆が零さんや永琳さんのように優しいとは限らないのだ。
まぁ、要はとりあえず媚びを売っておこうということだ。
「読めますよ。」
「あ。」
幸先は悪い。
____________________________________________
中に入ると、まず目に飛び込むのは大きなステンドグラス。色鮮やかな光が床に落ち、煌めいている。その下には踊り場があり、正面に階段、そして左右に広がるように二階へと繋がる階段がある。手すりは深みのある色をした木でできており、ここにも西洋チックな造形が施されている。
「地霊殿は多くの動物がいますが、何かアレルギーのようなものはありますか?」
「いえ、そういったものは特にありません。」
「なら良かったです。」
動物と言うと、猫とか犬とかだろうか。いや、あえて動物と言う大きな括りで訊く辺り、その両方やそれ以外の多くの種類がいるのだろう。
「そうですね。犬猫は勿論、所謂猛獣と呼ばれる動物や外の世界ではレッドリストに載っている動物なんかもいますよ。」
「それって大丈夫ですなんか?」
「猛獣は私の言うことを忠実に聴きますし、天然記念物は外の世界の話ですので法は通用しません。繁殖もしてますし。」
流石心が読めるだけあって、二つの意味で心配していることを少ないプロセスで察してくれる。ただ、この会話形式に慣れてしまうと、普通の人と話す際に不都合が増える気もするため、丁寧に話すことは忘れないでおこう。
「あら、それなら私も心の声に答えるのはやめておきますか?」
「お気遣いありがとうございます。でも、さとりさんはいつも通りで大丈夫ですよ。」
「そうですか?それならいいのですが…」
さとりさんが紫さんのように高圧的では無いのは非常にありがたかった。少しは肩の力が抜けそうだ。
「私は心が読めるので、彼女が貴方を嫌う理由は分かりますよ。一応フォローとして、なんの理由もなしに嫌っている訳では無いことだけは伝えておきますね。」
「そうなんですね…」
尚更、何故嫌われてしまっているのかが分からない。しかし、今は考えても仕方がない。
「そうですよ。あまり気にしなくてもいいと私は思います。まぁ、八つ当たりな部分もありますが…」
「え…?」
「それではあなたのお部屋に案内しますね。」
「あ、はい。よろしくお願いします。」
僕は彼女の後に続くように、この広い豪邸を歩いていく。途中に様々な動物が寛いでいたり、餌を食べていたりして、まるで檻のない動物園に来ているみたいだった。臭いもこの辺りだけ動物園の独特のものに近かった。ライオンをあんなにも近くで見たのは初めてだ。
動物園のような臭いが薄まると、廊下に部屋のドアが壁に並んでいた。
「貴方のお部屋はここになります。」
「入ってもいいですか?」
「どうぞ、遠慮なく。」
僕はその部屋のドアノブに手をかけ、ゆっくりと開く。すると中はまた洋風の調度品が置かれており、机の上には羽根ペンと紙が置かれていた。入口のすぐ近くにはバスルームに繋がる扉があり、良い値段のするホテルのようだった。
「ベッドのシーツなんかはご自分で交換してください。シーツの場所は後で紹介しますので。」
「ありがとうございます。」
「それでは、次のご紹介をします。荷物は重いと思うのでここに置いていって貰っても大丈夫です。」
なんだか、少し身構えていたのもあって、こうも丁寧すぎる対応をされると少し落ち着かない。そんなソワソワした感覚を紛らわすように、持っていた荷物をベッドの傍に置く。
「私は別に貴方のことが嫌いなわけではありませんからね。」
「そうですか…」
「はい。ちなみに、貴方の部屋の右隣に私の部屋があります。」
「え、あぁ、監視するために。」
「それもありますが、貴方が困った時にすぐ私に相談できるように。」
…本当に、落ち着かないな。頭を少し掻きながら、僕はさとりさんの後ろを付いていった。
____________________________________________
食堂、トイレ、図書室、キッチンなど、生活していく上で必要な部屋を紹介してもらった。それぞれとても広く綺麗な外見なのだが、難点としてはその部屋と部屋との距離が少し離れていることだ。大きな建物故のデメリットだ。しかし、それも慣れてしまえば苦ではないだろう。それまでは暫く家の地図を身体に覚えさせる時間だ。
「そして最後ですが、その前に確認させて下さい。」
「なんですか?」
こちらに身体を向けて話してくる。心を読めるさとりさんからの確認。どういうことなのか少し疑問に思う。
僕はその目を見ながらさとりさんの言葉に耳を傾けた。
「直人さんは、紫さんから『地霊殿の仕事を手伝うよう』に言われていますか?」
「…いや、言われてないですね。」
「やっぱり。直人さんの思考に全くなかったものですから、そういうことだろうとは思いました。」
今初めて聞かされた。しかし、無力な僕にできる仕事なんかあるのだろうか。まだまだ若い運動部の男子高校生であるため体力には自信があるが、それも妖怪からしてみると大したものでは無いだろう。
「そうですね。ですから、頭を使うような作業などをしてもらいます。」
「と言うと?」
「この先に妖怪化したペットたちの仕事場があるのですが、そこの近くで温泉を営んでおります。」
「温泉…!」
幻想郷にも温泉というものがあるという事実に興奮が抑えられない。マニアというほど好きな訳では無いが、温泉がなければ寂しいくらいには好きだった。まさか幻想郷にもあるとは思わなかった。
「仕事終わりに入ることもできますよ。」
「本当ですか!?」
僕の心を読んでか、さとりさんはそんな誘惑を口から零す。非常に嬉しい話だ。
「はい。それで話を戻しますが、温泉の金銭や温度の管理はペットには難しく、私が行っていました。しかし、私には他にも仕事があります。そこで、貴方には温泉の管理を行ってもらいます。」
「なるほど…」
衣食住の提供が付いてくると考えれば、かつてないほど魅力的な仕事だ。断る理由は無い。そもそも断る権利もないのだが。
「喜んでやらせていただきます。」
「そう言っていただけて良かったです。それで、ここがその温泉の入口です。」
さとりさんは大きな両開き扉の前で止まると、そう紹介した。この奥に温泉があるのだと思うと、少し心が踊る。
「仕事の説明は中にいる私のペットにしてもらって下さい。」
「え、さとりさんは?」
「私は、申し訳ないのですが他に仕事があって…」
「そうですか。いえ、お忙しい中案内していただいてありがとうございます。」
僕は本心から頭を下げて礼をする。幻想郷に来て不安がとてつもなく大きかったが、住む先の主人がこんなにも優しい方であることに、そんな不安も掻き消えた。
本当に安心したのだ。
「ふふふ、それでは失礼しますね。」
「はい、ありがとうございます。」
物腰が柔らかいというか、話しやすかった。
さて、ペットは飼い主に似ると言うし、ここに住む他のペットの妖怪達も心配しなくていいだろう。安心して暮らしていける気がしてきた。ライオンやワニなんかには本能的に怖いと感じてしまうが。
そうして僕は扉を開いた。
「失礼します。今日から住み込みで働くことに…」
「アンタが噂の人間か。」
僕の言葉を遮る妖怪。深紅のおさげを二つ垂らし、黒い生地に緑の模様が書かれたワンピースを着た妖怪。先が湾曲を描いて尖った耳に、二股に別れた長い尻尾から、彼女が猫の妖怪であることは明確だった。
「あ、はい。上嶋直人です。」
「あたいはこの地霊殿の中でさとり様に最も愛されている猫、そう!あたいこそが『火焔猫燐』だ!!」
全くもって飼い主に似ないペットがその部屋でキメ顔をしていた。