それでは、本編をお楽しみください。
デートと言うには笑顔が少ない食事処、黙々と中華を口の中に放り込む光景は、外の世界で見たことがあった。唯一違うところは周りの騒がしい怒声のような会話だ。マスクでも付けて黙ってて欲しい。
「あの、今日ってなにかお祭りでもあるんですか?」
「え?」
唐突の質問に、お燐さんはあどけなく開いた口にスプーンを運ぶ動作を止め、顔を上げる。
「いえ、なんだか騒がしいなと思いまして…」
「あぁー、いつもよ。鬼は喧騒と酒が大好きなの。」
「いつも…?」
この喧騒を毎日繰り返しているのか。静かな空間が好きな僕にとっては恐ろしい情報だった。これから僕が街に訪れる頻度は、きっと少ないだろう。
「私も、あまり好きではないわね。友達に会うためだけに街に来てるぐらいだもん。」
「そうなんですか…」
それでもなお、この店を選んだということは、どこもかしこも似たような光景なのだろう。百物語に紛れ込んでいても震え上がれる自信がある。
巻き込まれないように、背中を丸め込ませながら食べるとしよう。
「おぉ、お燐じゃないか!」
そんな対処も虚しく、声をかけられたのだ。
「あら勇儀じゃない。」
「いやぁ、久々に見た気がするな。さとりは元気にしてるかい?」
「一昨日会ったばっかりでしょ…」
お燐さんの肩を掴み、嬉しそうに笑う女性の鬼。額に立派な赤い角が生え、星型のデティールが施されている。学校の体操服のようなTシャツに、透けたロングスカートを豪快に靡かせる。その透けた先はブルマのようにも見え、完全に昭和の体育を行う女生徒だ。盃を持っているが。
しかし、どうやらさとりさんとは仲の良さそうな鬼みたいだ。先程の鬼のような嫌悪感は感じられない、好意的な印象だ。
「コイツは?」
「一週間前から温泉の番台をやってる人間よ。」
「初めまして、上嶋直人と言います。さとりさんの下で働かせていただいてます。よろしくお願いします。」
「うへぇー!堅いなぁ。」
わざとらしく驚く彼女はその後、屈託のない笑顔で手を伸べてきた。
「私は『星熊勇儀』だ。よろしくね。」
「あ、はい。」
僕はその手に触れた。その瞬間、まるで目の前の女性が巨大な怪物のように思えた。指で潰されてしまうほどの、そんなゴジラのような怪物に。
僕は直ぐに手を引っこめ、腰を抜かしたように地面に尻もちをついた。
「どうした?」
この人が怖い、それだけだった。僕は目をつぶり、大きく深呼吸して立ち上がる。
「すみません、ドン臭くて。」
「…なるほど。面白いな、アンタ。」
「え?」
どこをどう見て、僕のことを面白いと思ったのだろう。少なくとも、僕にとって面白くないところだろう。
「酒、呑めるか?」
「呑めません。」
「うわ、マジか。いや、それでもいいや。お燐、ちょっとコイツ借りるよ。」
「え!?ちょっと…!!」
『借りる』?僕のことを言っているのだろうか。非常に嬉しい誘いだ。丁寧に断らせていただきたい。
しかし、僕が口を開く間もなく勇儀さんは僕の腕を掴んで店の外へと連れ出した。
「なんなのよ、もう…」
そんな声が、騒がしい店の中から聞こえた気がした。
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あの人間が連れ去られた後、あたいはお店に代金を払い帰宅することにした。勇儀の気まぐれには逆らえない。一体あの人間のどこに面白い魅力があったのだろうか。あたいには分からない。
あたいは街から外れた帰り道を一人で寂しく歩いていた。
「…」
さとり様も、最近はあの人間と話していて、あたいとの会話は減ってしまった気がする。どうして、あの人間ばかりが、あんなに持て囃されているのだろう。
気に食わない。単純に、新人が先住猫のあたいよりも愛されているようで、気に食わなかった。
「ねぇ、そこの子猫ちゃん?」
あたいの耳元で聞いたこともない女性が囁いた。あたいは後ろを振り向く。しかし、そこには誰もいない。
「誰ッ!?」
「貴女、あの人が気に入らないのでしょう?」
「誰だって訊いてるのよ!」
囁きは止まらない。周囲に目を凝らしても、誰の姿も捕えることが出来ないのだ。
すると、細く冷たい指があたいの頬を包んだ。体が硬直する。生気の感じられない冷たい闇が背中を這っている感覚。
「ねぇ?それなら、あの人、私に頂戴?」
息がしづらい。首を絞められているかのように、酸素が血液に入らない。目が霞んでくる。
「あの人がいなかったら、貴女はご主人様に愛されるのよ。」
苦しい。
「貴女は愛されない。」
痛い。
「それは、誰のせい?」
こんなにツライのは…誰のせい?
「…上嶋、直人。」
そう呟くと、背後からの気配は消え失せ、肺も噎せながら正常に酸素を取り入れ始めた。視界は徐々に鮮明になっていく。
今のは、一体なんだったのだろう。まさか、最近噂になっている『陰惨異変』なのだろうか。
「ハァ…ハァ……帰ろう。」
あたいは心臓の痛みを抑えながら、急いで地霊殿へと向かう。
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どうして、こうなってしまったのだろう。僕の手にあるグラスに烏龍茶が入っていることだけが救いだ。
「いやぁ、本当に面白い男だねぇ!」
「い、いえいえ、そんなことありませんよ。」
僕はなぜゴジラに気に入られてしまったのだろう。豪快に笑いながら背中を叩くことは鬼の中での流行なのだろうか。折れてしまうから今すぐにでも止めてほしい。
「あの、僕のどこがそんなに気に入ったのでしょう…?」
「ん?そうだなぁ…」
勇儀さんは考える素振りを見せ、ニヤリと笑った。
「アンタ、弱いよな。」
「まぁ、はい。」
なんて失礼なことを言うのだろう。だからこの世界で苦労しているというのに。
「弱いヤツって、妖怪のような命を簡単に貪る生物を前にすると心まで弱くなるんだよ。」
「圧倒的で、それこそ非現実的な力ですかね。」
「それこそ?」
「いえ、なんでもないです。」
妹紅さんのあの力が、僕が初めて見た非現実的な力だった。つい最近なのに、仕事が充実している所為か懐かしいと思えた。
「ともかく、そんな弱い奴はただ怯えるだけか、媚びへつらうのどちらかだ。」
「まぁ、そうでしょうね。死にたくない限り。」
「だが、直人はどちらでもない。」
人差し指を僕の額に付け、面白そうにそう言った。
「なんでか知らないけど、直人は私の手を触れた瞬間に私の強さを知った。アンタの言う、非現実的な力をその身で感じたらしい。その時は確かに怯えていたけど、直ぐに自分を落ち着かせ今まで通りの対応をしていた。」
「別に、何もおかしくはないように思えます。」
「いいや、飽きるほど恐れられた経験のある私が言うんだ。間違いない、アンタのその反応は初めてだ。」
自己肯定感の塊のような存在からそんな評価を頂き、僕はなんて能天気なんだろうと、能天気なことを考えていた。
確かに、今は彼女に対して恐怖もなければ、なんなら面倒だと感じている程度だった。確かに、そう言われてみれば自分でも不思議だ。
「アンタはなんと言うか、誰かを圧倒できる力も人を惹きつける力も何にもない普通の人間だけど、それだけに不思議な存在だ。」
何故僕は貶されたのだろうか。形容しがたい感情に目を向けながらも、僕は烏龍茶で喉を潤した。
「そろそろ、さとりさんが心配するかもしれません。お暇させて頂いてもよろしいでしょうか。」
「おっと、そんなに時間が経ったか。金は私が奢る。また来てくれないか、今度ゆっくり話そう。」
「ありがとうございます。機会があれば、是非。」
会いたくは無いが、きっと会うことになるのだろうな。そう思いながら笑顔でその場を去った。
お燐さんは、もう帰ってしまったのだろうか。早くお燐さんの所に戻らなくては。さもなくば、酒の匂いに飲まれて溺れてしまいそうだ。そう、足をゆらゆらと地霊殿の方へと向かわせた。