ES達の亡霊 Ⅰ 『空気』
自室。お燐さんが恥ずかしさから布団に閉じこもってしまったので、歩いて戻ってきたのだ。
ベッドに座り、僕は自分の足を見る。そこに、傷一つなかった。立ち上がっても特に支障はなく、サッカーの練習でよくやった腿上げをわざと大きく行うも、痛みより息切れが先に訪れた。
僕が舩坂弘のような軍人では無い限り、傷の回復はこんなに早いわけも無い。つまり、今僕が考えられる可能性としては、彼の存在だった。
「零さん。」
「正解だ。」
部屋の扉が開かれる音。そちらに目を向けると、優しくも心強い笑みを向ける零さんの姿があった。僕は慌ててお辞儀をすると、彼は軽く手で挨拶をする。
「体調は良さそうだな。」
「えぇ、お陰様で。」
彼は部屋の中に入ってくると、近くの椅子に手を付いて「座っていいか?」と訊いてきた。僕が頷くと、零さんはゆっくりとそれに腰かけた。
「それで、ここでの生活は慣れたか?」
「そうですね。お燐さんの暴走以外には慣れました。」
「それは良かった。」
自分で言っていて、お燐さんに怒られそうだと苦笑いをする。
「しかし、太陽の光に浴びないのも健康に悪い。たまには地上へ行ってみないか?」
「え…?」
地上。それはとてつもなく魅力的な話だった。しかしながら、僕には温泉の番台をしなくてはならないのだ。さもなくば、さとりさんが過労死してしまう。
「安心しろ、さとりにはこちらから人材を派遣することで了承を得た。」
「そうなんですね。ちなみにどんな方なんですか?」
「そこら辺の妖怪だ。封印と労働を選ばせたら快く働くことを選んだよ。」
零さんもやはり地位の高い人であることは確かなようだ。しかし、どうして彼は妖怪を脅してまで僕に良くしてくれるのだろうか?僕の嫌な性格が「彼には裏があるのでは?」と疑ってしまう。
「さて、それじゃあ外を案内してあげよう。」
「え、今からですか?」
「そうだよ?それとも先約があったか?」
「いえ、ないですけど…」
「それじゃあ大丈夫そうだね。」
零さんは立ち上がり、部屋を出ようとする。僕もそれに従うように立ち上がり、後ろに付いていく。零さんが扉開こうとすると、その前に扉が開かれた。
「え?」
「やぁ、君がお燐だね?」
「………」
零さんの背中でよく見えないが、何か驚いているように見える。すると、お燐さんは崩れるように尻もちを着き、彼を見上げる。
「あ、あ、えっと、あの…」
「そんなに怖がらないでくれないか?流石の俺も傷ついちゃう。」
「すすすすすすみません!!」
一体どうしてしまったのだろう。彼女は慌しく立ち上がり、零さんに大きく道を空ける。その間にも、口をワナワナと震わせて、目を見開いている。
「あの、お燐さん?」
「え、あれ、な、なんで貴方が神田様と一緒にいるのよ!?」
「なんでって、ここ僕の部屋なんだけど。」
「あれ、そうじゃん!?あたい、貴方に会うために来たんだった!!」
このお燐さんの動揺に、僕は零さんの方を見る。彼も彼女の大袈裟な反応に困っている様子だった。零さんは一体何者なのだ。
「それで、僕にどのような用が?」
「そ、そうね。えっと、その…」
「一回深呼吸しましょうか。」
「うん…」
お燐さんは胸に手を当てて、ゆっくりと大きく息を吐いてから、また大きく息を吸った。それを数回繰り返し、漸くいつものお燐さんに戻った。
「さっきのことも含めて、改めて諸々を謝りに来たのよ。」
「え、あぁ。」
「ごめんなさい。」
「気にしないでください。」
さっきのこと、とはきっと僕に馬乗りした時のことだろう。そして、諸々とは昨日のことを指しているのだ。
彼女も彼女なりに責任感を抱いているのだろう。お燐さん曰く、声が聞こえた後に暴走してしまったらしい。つまりはその声が原因であると考えた方がいいだろうが、それでもやはり彼女らしく申し訳ないと思っているらしい。
「そうだ、ちょうどいいや。お燐も付いてきてくれ。」
「付いていくって…それは一体何処にですか?」
「地上。」
「へ?」
目を点にするという表現がこれほど似合う人は、僕のこの先の人生で見ることは無いだろう。
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「あのー、神田様?」
「零でいいぞ。」
「零様?あたいは旧地獄の妖怪です、そんな妖怪が地上に出るって…」
「みんなには秘密だぞ?」
事情は分からないが、決してそういうことを言っている訳では無い気がする。
「それに、不可侵は地上の妖怪だ。旧地獄の妖怪が地上に出る分には問題ないよ。」
「うぅ、それはそうですけど…」
なんだか、法の穴を突こうとする人に巻き込まれているような気分だ。しかし、実際許されることなのだろう。
幻想郷のルールに対して知識は微塵もないのだが、話から察するに地上の妖怪は旧地獄への不可侵を約束しているらしい。しかし、それならば旧地獄は地上に対して何か見返りのようなものを行っているはずだ。
「そういえば、零さんは地上の人ですけど地底に来て良いんですか?」
「妖怪じゃないからな。」
妖怪が不可侵であるだけで、それ以外の種族は良いようだ。なんとも不思議な条約だ。
「さて、もうすぐで地上の入り口だ。」
「うへぇ…もう手遅れだぁ…」
「だから、なんの問題もないって。」
久しく見なかった光が、洞窟の奥から漏れ出ている。本当に太陽の光が奥にあるらしい。何故だか緊張をしてしまう、当たり前だった光を浴びる機会に。
「そういえば、どうして零さんは瞬間移動を使わずに歩きでここまで?」
「お燐の心の準備が必要だろ?」
「なるほど。」
しかし、残念ながらその心の準備は間に合わなかったらしい。情けない表情を浮かべながらカクカクな動きで後ろを歩いている。
「うおぉ…」
「まぁ、いきなり地上を出るよりはマシかもですね。」
「そうだな。」
ロボットダンスで歩くお燐さんを無視して、僕はあの光の先にある景色を見るために足を動かす。
徐々にその光は強さを増していき、僕たちの体を包み始める。そして───
「空気が美味しい。」
「ようこそ、地上へ。」
木漏れ日に混じる小鳥たちの囁き、そしてハッキリとわかる緑の風の涼しい香り。本当に僕は地上の土を踏んでいるのだ。
幻想郷に来て一週間半。僕は人生で初めて太陽の光に感謝することが出来た。
来週は少し忙しいためお休みいたします。ご理解の程よろしくお願いいたします。