苦い血液を啜る離脱症状 Ⅰ 『取引』
妖怪になって数日が経過した。人間の頃を知っていた地霊殿のペット達や鬼の方々は僕の変わり様を見て驚いていた。特に、さとりさんは僕の心を読めるが故に、酷く悲しんでくれていた。よくもまぁ、他人の不幸を嘆くことが出来るものだ。若しくは、人を哀れむことで自分の慈悲深さを虚飾しているとも考えられるが、それならば態度を変えずに接してくれていることの説明はつかないだろう。さとりさんの本質を知ることが出来、同時に本当に妖怪なのかと疑ってしまう。普通は僕の事を嫌うと思うのだが、よく分からない方だ。
そんな、良くも悪くも変わらない日々を送っていたが、今日の朝は部屋のドアをノックする音で目が覚めた。トサカのような頭でドアを開くと、さとりさんが気まずそうに立っていた。
「どうしました?」
「あの、神田様がいらしてて…直人さんに用があると仰っています。」
こんな朝っぱらからなんのようなんだ。反吐が出る程気分が悪いが、さとりさんを困らせるわけにもいかない。僕の心を読んでいるさとりさんに意味の無い笑顔を向ける。
「分かりました、すぐ行きますね。」
「はい…お願いします。」
僕は扉を閉めて、近くにあった空のゴミ箱を蹴飛ばした。
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地霊殿の綺麗なソファに座ったクソったれは僕の姿を見るなり、手を振ってきた。僕はそれを無視して「おはようございます。」と挨拶をする。
「やぁ、あれからどうだろう。何か変わったことはないかな?」
「特に気になるようなことはありません。」
コイツが僕の心配をするのは、僕を何かに利用するためだ。利用するものが不具合を生じさせていたら困るから、奴は今まで心配した素振りを見せていただけなのだ。
「それで、用というのは?」
「そうだね、ここで話せないからマヨヒガへと案内したいのだが…」
そう言うと、神田零はさとりさんの方を見た。幻想郷において神のような存在だとこいしさんは言っていた。そんなものに目を向けられては、さとりさんにとっての選択肢は一つしか無いのだ。
「私は大丈夫ですよ。」
「それなら良かった。直人くんも、いいかな?」
「いいですよ。」
今は少しでも奴に関する情報を集めたい。いつかくる、奴との決戦の時のために。
そう考えていると、さとりさんは少し落ち着いた様子で神田零に声をかけた。
「あの、その代わり一つよろしいですか?」
「どうした?」
「お燐も直人くんと一緒に連れて行ってくれませんか。」
「お燐を…?別に構わないが。」
もしかすると、さとりさんなりの考えなのかもしれない。確かに、お燐が近くにいれば何をしでかすか分からない僕一人が行くよりも安心できるだろう。というように納得していると、さとりさんは苦笑いをしていた。
違ったのだろうか。
「わかってるくせして。」
僕の心臓が跳ねた。誰に言った言葉だ?
違う、何を言ってる。誰の声だ。いや、知ってる。この声を僕は知ってる。落ち着こう。
この声は、八雲紫だ。神田零と同じ僕を陥れた奴だ。神田零の背後から赤と白の陰陽太極図模様が描かれた球体が現れた。そこから声が聴こえる。
「さとりがお燐を寄越すのは、上嶋直人の監視役としてでしょう?」
「えっと…」
その言葉に、さとりさんは嫌なものを見るような顔をする。彼女も、八雲紫を好ましくは思っていないらしい。
いや、それよりも───
「あの、地上の妖怪は地底に不干渉なんですよね…これはどういうことでしょうか。」
僕はその浮かんだ球体を指さす。その声の先にいる八雲紫は地上の妖怪だ。それが、地霊殿の中で話しかけてくるのだから疑問に思うのも無理はないだろう。
「あぁ、異変が起きた際には妥協策としてこういう遠隔通話をしているんだ。」
「へぇ。」
なんとも、違和感のある言い訳だ。しかしハッキリとおかしいと言える部分が霞んでいる辺り、八雲紫や神田零らしい狡猾さが垣間見える。
「つまり、今はその異変とやらが幻想郷内で発生したと?」
「そうだ。いや、正確に言えば発生している。現在進行形で起きているんだ。」
それに関しては心当たりがある。僕は顎に手を置いて神田零に目を向ける。
「囁き声、ですか?」
「あぁ、お燐や妖夢が暴走した原因だ。実はこれよりも以前からこのような報告は受けていた。」
「『陰惨異変』…」
さとりさんがそれを呟くと、神田零はいつになく真剣そうな表情で頷いた。
「直人くんを借りたいのも、実はそれが関係しているんだ。」
「僕が…?」
僕とその陰惨異変とやらがどう関係するのだ。その疑問符に気が付いた神田零は憎たらしく微笑む。
「詳しいことはマヨヒガで話したいんだ。」
「…分かりました。」
「ありがとう。それじゃあ、すまないがお燐を呼んできてもらっても良いかな?」
さとりさんに顔を向けて指示をする。彼女は無理やり笑顔を作って了承した。なんだか、それが無性に腹立たしい。僕は立ち上がってさとりさんを止める。
「僕が行きますよ。」
そう言って、その場を後にした。しかし、今思えば僕が行かなければあの空間からさとりさんを解放してあげることが出来たという事実に若干後悔した。
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イヤイヤ期の子どものように我儘を言うお燐を引きずり、皆のもとへと戻ってきた。お燐曰く、神田零の前で無礼を働いたら殺される!とのことだ。恐らくそれは無いとは思うが、逆に言えばそれだけこの幻想郷において奴は権力を握っているということだ。
「来たね。それじゃあ、行こうか。」
神田零はゆっくりと立ち上がり、玄関へと向かう。僕はそれについて行く。お燐は僕に引きずられる。さとりさんはその光景を見て苦笑いをしながら手を振って送り出してくれる。こいしさんは…相変わらず見えないがきっと一緒に来ているだろう。
玄関を出て、すぐに神田零は止まる。
「さて、それじゃあ三人とも俺に捕まって。」
「え、三人?」
お燐はその数字に疑問符を浮かべるが、構わず僕は神田零の肩に掴まる。彼女は首を傾げながらも神田零の腕に掴まる。
神田零はそれを確認すると、一声掛けた後に空間が歪んだ。暫時、吐き気に耐えつつもその眼を閉ざすことはしなかった。
「着いたよ。」
いつか見たマヨヒガは、相変わらずに儚さを帯びていた。お燐は初めて見たようで、まるで観光地のようにこの空間を見渡していた。
「お燐、さっさと行こう。」
「え?あ、うん。」
この家にあの女がいる。そう考えるだけで寒気がする。用事を済ませたら早く帰りたい。
僕は戸を三回ノックすると、暫く時間を置いた後に橙の声ともにそれは開かれた。
「あ、皆様お待ちしておりました!どうぞこちらへ。」
屈託のない笑顔に、若干申し訳なく感じる。別に、僕が彼女に対してなにかした訳でもないのに。
橙の後に続いて僕らはマヨヒガの中に入っていく。そして、廊下の先に見える部屋。あそこで僕は脚を切り落とされたのだ。完全に治ったはずの脚が痛い。
「失礼します。今、上島様が到着されました。」
「通して。」
冷たい女性の声。神田零と話す時の声色とは明らかに違った嫌悪を含んだ声だ。
橙は襖を開く。
「おう紫、呼んできたぞ。」
「ありがとうね、零。」
「…」
何を言ってくるのか。きっと不条理なものに違いない。僕は少し深めの呼吸をする。
「座って。」
彼女の言葉に従い、僕とお燐は彼女の正面に座る。隣からスマホのバイブレーションのような振動を感じるが、無視して本題に入るとしよう。
「それで、用というのは?」
「そうね、それじゃあ一つ。貴方、異変の解決をしてくれないかしら。」
「…なぜ?」
異変とは、陰惨異変のことだろう。確かに、僕は二件もの陰惨異変の片鱗を味わったが、僕が解決する理由が見当たらない。
いや、彼女らがもし陰惨異変を解決する為のコマを増やす理由で僕を妖怪にする計画を立てていたとしたらどうだろう。確かに、計画を立てていた事は分かったが、何故計画を立てたかは分からなかった。もしかすると、これのために全く関係のない僕が妖怪にさせられたのだとしたら…?
「何故とは面白い質問ね。また貴方の脚を切断してあげてもいいのよ?」
「…そうですか。」
何となく納得がいった。というより、そう考えた方が自然な気がする。そして、怒りが込み上げてきた。目の前の胡散臭いクズに衝動的な怒りをぶつけたくなった。
「あれ、やらないんですか?」
「…何?」
「脚、切ればいいんじゃないですか。それで次は殺してやろうかって脅すんでしょう?」
「…だから嫌いなのよ。」
唾を吐き捨てるように呟いた。八雲紫は僕の方に顔を向き直して睨む。
「お望み通り、切ってあげましょうか?その次は殺してあげましょうか?いや、それとも地霊殿の妖怪共にお礼をしてあげましょうか。」
他の選択肢を見せてくるということは、僕の事を殺せない可能性が濃厚になった。それにしても、次は他の人を狙って脅すとは、やっていることはヤクザと変わらないな。
「お燐にそれを言うなら兎も角、たかが数週間一緒にいただけの男にそれを言うのは、安直ですよ。勝手にすればいいじゃないですか。出来ればの話ですが。」
八雲紫は手出しができないのを知っている。地上の妖怪は地底の妖怪に不可侵だ。本気で周りの人を狙って脅すのならば、既に僕やお燐の四肢はもがれているはずだ。しかし、僕や彼女は傷一つなく、お燐はオドオドとした表情で冷や汗を流している。確信を持って言える、奴は手出しできないのだ。
八雲紫は深いため息をつき、神田零の方に目を向ける。
「今回は君の負けだよ、紫。直人くんは全て分かった上で言っているんだ。彼を軽く見ていたのが敗因だ。」
今の奴の発言は、まるで僕の思考を読んでいるかのような確信した言い草だ。
いや、今までもそのような発言はしばしばあった。さとりさんのように心を読めるのだろうか。だとすると、奴は僕が仲間を集めて討とうとしていることがバレているのか。その上で僕をマヨヒガへ呼んでいるとするのならば、大層な肝を座らせている。
「分かったならば取引よ。貴方がもし異変解決を手伝ってくれるのならば、貴方の出す条件を飲みましょう。幻想郷のバランスが崩れない、もしくは長期的では無い限りならなんでもいいわ。」
「条件…か。」
そこまでして僕に手伝って欲しいらしい。わざわざ嫌いな僕に頼むのは些か疑問ではある。僕はなにか特別なのだろうか。考えられるとしたら、無意識の世界。
しかし、それならばこいしさんがいる。神田零はこいしさんの存在を認知できることを考えると、わざわざ幻想郷外の人間を連れてきては妖怪にさせるなんて回りくどいことをする必要も無い。
それならば、何故…?
「どうするの?」
「そうですね…今決めるのは少し難しいので、後ほどいくつか条件を持ってきます。とりあえず、取引という形でしたらその依頼を受けましょう。」
八雲紫は不服そうに頷き、扇子で口元を隠した。しかし神田零は、相変わらず気持ち悪いほど優しい笑顔を向けていた。