凍える村   作:さんかく@

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邂逅

美樹さやかが保有している能力は人間世界では「魔法」という名称を与えられている。だが、その力が他の超自然的現象に対してどれだけ有効なのかは試した事は無かった。例えば今目の前に迫ってきている霊に対して、さやかの剣が有効か否かということも。

 

ヤエ――

 

今は亡き誰かを求めている女性の霊の顔にさやかの剣が振り落とされた。刃はそのまま霊をすり抜け朽ちた床板に打ちつけられた。ガキン、と音が響く。

 

「…!」

 

さやかの目が見開かれる。そして瞬時に左手で顔を防御した。霊は煙のように霧散し、さやかの身体にまとわりつく。さやかの口から悲鳴が漏れ、床に倒れ込んだ。

 

「…何…これ?」

 

身体全体が急速に冷たくなっていく――

 

さやかは苦しそうに胸元を抑えながら、回復魔法を放出した。こんなことありえない、と心で叫ぶ。魔法が通じないということが信じられなかった。だが回復魔法は有効だったらしく、さやかの体温が徐々に戻っていく。しかしまだ立ち上がることができなかった。

 

――ヤエ、ヤエ……会いたかった

 

さやかの顔のすぐ近くに煙の様に霊の顔が浮かぶ。苦しそうな表情でさやかが呻いた。

 

「ヤエ…って誰よ」

 

もはや息も絶え絶えで、常人ならばすでに事切れていたかもしれないが、さやかも正確には人ではない。だが異世界で己の力が全く通用しないというのは、ある意味さやかにとっては恐怖であった。今身体が震えているのは恐怖からだ、とさやかは自覚した。

 

『…八重』

 

と、生前の顔なのだろう突然霊の顔がくっきりと鮮明になり、一人の年若い女性としてさやかの眼前に現れた。かなりの至近距離であと数センチで顔と顔が接触するくらいで。

――綺麗

 

さやかが心で呟いた。こんなときだというのに、霊はそれくらいとても愛らしくそして可愛らしい顔立ちをしていたから。だがどうあっても霊と人(正確には人ではないが)では会話が成立しないのだろうか、可愛らしい村の娘の霊はただ生前の愛おしい人の名を呼ぶだけで。つ、とひんやりとした女の手がさやかの頬に触れた。その瞬間、さやかの脳内に洪水の様に他者の記憶が入り込んだ。それは全て白黒の映像で。

 

――儀式を始めろ

――双子の姉が妹を

――八重

――紗重

 

頭の割れそうな痛みにさやかが悲鳴をあげた。溢れる情報を消化しきれない。霊はすでにさやかの身体に手を回し、絡みついている。まるで恋人同士が熱い抱擁を交わしている様に。

 

「離…して」

『八重…八重』

 

美樹さやかは「死」を意識した。正確に言えば既に人ではない彼女にとってそれは存在のの消滅を意味するもので。

 

――冗談じゃない!

 

さやかはぞっとした。今ここで消えたくない、脳裏に黒髪の女性が浮かび、そして――

 

「ほむら!」

 

全身に力を入れて、蒼い髪の女性はその名を呼んだ。

 

********************

 

「――あの馬鹿!……犬!」

 

黒髪の美しい女性の口からまったくそぐわない罵倒の言葉が漏れる。ここは異界なのだ、さすがにほむらといえどもいとも簡単に場所を特定することはできない。テレパシーで無能な蒼い髪の相方の声を聞きながら、さも苛ただしげに暁美ほむらは朽ちた壁に拳を撃ちつけた。細い腕が半分ほど壁にめりこんだ。怒りのためか、白磁の様な肌が少し赤らんでいた。

 

――イライラするわ

 

ほむらは心で舌打ちした。どうにも腹の虫がおさまらない。

 

――のたれ死ねばいい――でも

 

――私が殺したい

 

この感情が一体なんなのかほむら自身もわかりかねていた。ただ溢れるほどの殺意と、とどめを刺すのは他の誰でもない私自身であるという意固地なまでの独占欲が入り混じったもので。「ああ、もう」とほむらは声をあげた。蒼い髪の女性と暮らし始めてから、いや正確には「受け入れた」時からこの感情が生まれていたのだ。

 

――何故あれを受け入れたのだろう?

 

もう何百回と己の中で繰り返される問い。だがそれは魔が差したとしか答えようがなくて。

 

――悪魔なのに?

 

ふ、とほむらの美しい唇が歪んだ。自嘲気味に笑う。どうやら落ち着いてきたようで。彼女のアメジストの瞳の発光が強くなり、その色が赤に変わった。朽ちた日本家屋の闇の中で血の様に彼女の瞳が輝く。悪魔化だ。力を(少量だが)解放し悪魔化したほむらは異界の魔なる者も凌駕できるのだ。黒衣の裾をゆったりとはためかせて、ほむらは蒼い髪の相方が消えた方向へと歩を進めた。

 

あの馬鹿はすぐには死なない――。美樹さやかの回復魔法は魔法少女の中でも突出していたのだ。7年経った今なら尚更増力されているはずだ。それに仮死状態でも全く問題ない、私がとどめを刺すだけだ、とほむらは心を躍らせながら考えた。自然と笑みが浮かぶ。とても凄惨な笑みが。もはや彼女に取って、美樹さやかの知人を救うことはどうでもいいことだった。

 

*   *   *   *   *   *

 

「お姉ちゃん……どこ?」

 

古ぼけたカメラを手にした少女は必死に姉を追っていた。誰か一人でもこの少女を認識できる者がいれば、その美しさに見惚れただろう。肩まで伸びた黒髪、白い肌、そして

整った美しくもどこかあどけない顔立ち――だがこの朽ちた家屋には消えた姉以外生きている者は誰もいなかった。少女――天倉澪は凛々しい顔立ちを曇らせて無意識に手の中に収まったカメラを見つめる。彼女はそのカメラが「射影機」という名称であることと、撮影することで霊を浄化できることをようやく知ったばかりだった。

 

不思議と怖いという感情は澪にはなかった。

 

「お姉ちゃん」

 

澪がまた姉を呼ぶ。まるで忠実な犬が主人を探すように、まっすぐに切実に少女は姉を追う。どういう原理でそうなったのかは不明だが、澪と姉――天倉繭は片時でも離れることができないほど強い結びつきをもっている。双子であるという以前に、まるで前世があるのなら何度も近しいものとして輪廻転生しているか、あるいは元々は一人だったものが二人になったかのように。

 

――来なければよかった、ここに。

 

澪は心で呟いた。夏休みに久しぶりに遊びに来たのだが、森になんて入るべきではなかったのだ。姉はものすごく楽しみにしていたのだが、澪にとってはここは懐かしいというよりも辛い思い出が残っていたから。姉の怪我をした足を思い出し、澪は目を瞑る。人ではないような青白い肌。

 

『澪、私怒ってないよ?』

 

自分とよく似て、そして似ていない姉の優しい眼差しを思い出す。思えばいつも自分の事を許してくれたと思う。

 

「絶対に見つけるから…お姉ちゃん」

 

そしてここから出て家に戻るんだ、と少女は決意する。そして大広間に向け歩き出す。

大広間までの廊下は先ほども通っていた。そこで白い着物の女の霊が現れて必死に回避したばかりだった。

 

「もう一度通らなきゃ…」

 

さすがに勇敢な少女でも、せっかく回避できた通路を引きかえすのは気が滅入るもので。はあ、と軽く息を吐いて澪は歩を進めた。

 

――……が、…………ゃ……フフフ…

 

微かに囁きと笑い声が聞こえ、澪は足を止めた。射影機を構え廊下の横にある暖炉の間に入ると、奥に障子の衝立が見えた。 

 

「……誰?」

 

衝立の横に何本か蝋燭が立っており、灯りが見えた。そこに影が映し出されている。姉…に見えた。

 

「お姉ちゃん?」

 

姉が何かを手にして話しかけているようだ。一体何を持っているのだろう?澪が衝立の中を覗く。

 

誰もいなかった

 

衝立の奥には雛人形が置かれていて、さっきまで誰かいたように赤い座布団も敷かれていた。澪は首をかしげながら、暖炉の間を後にした。そうして大広間の襖の前で澪は立ち止まる。射影機を胸元に構え襖に手を掛けた。

 

――ガタリ

 

音を立てて襖がゆっくりと開いた。懐中電灯で中を照らす。深い闇の中目を凝らすとようやく中の様子が視界に入ってきた。と、澪が驚きの表情を浮かべた。

 

「あれは…」

 

大広間の中央に白い着物の女がいて、何かに覆いかぶさっている。人だ。

 

「やめて!」

 

澪は駆け寄りながら射影機を向けた。

 

***************

 

意識が遠ざかる中、美樹さやかは誰かの声を聞いた。

 

「ほむら?」

 

だがぼんやりとした視界の中で映ったのは見知らぬ少女で。ほむらではなかった。

 

――誰?

 

尋ねようとした瞬間、まばゆい光がさやかの視界を遮った。

 

「うわ!」

 

あまりの眩しさにさやかは固く目を瞑った。すぐ横で人ならざる者の断末魔の叫びが聞こえる。どれくらいそうしていたのか、霊の叫びが収まりさやかの身体が軽くなった。おそりおそるさやかは目を開く。その垂れ気味な目が先ほどの声の主を捉える。

 

「……これは…驚いたわ」

 

やや間の抜けた声でさやかは呟いた。

 

*   *   *   *   *   

 

――時空間に歪みが生じている。

 

ほむらは闇の中険しい表情を浮かべた。

 

――ここに入る時に気付くべきだった。

 

ほむらは悟ったのだ、遠い昔に異界に迷い込んだ双子の姉妹と自分達が同じ時間軸に立たされているのだと。

 

――でも何故?

 

だがほむらの思考はそこで途切れる。廊下の横にある暖炉の間の奥から気配を感じたからだ。ほむらは赤く発光した双眸を向け気配の主を探す。白黒のエコーの様な世界の中、ほむらの赤い両目だけが妖しく輝いていて。

 

「……」

 

ほむらは口を固く閉ざしたまま視線の先に映る衝立へ歩を進めた。障子の衝立は灯りが灯っており、中にいる少女が影絵となって映し出されている。両手で何かを持ち上げて話かけているようだ。ほむらは衝立に近づくと、ゆっくりと奥を覗き込んだ。

 

15、6歳くらいの少女が赤い座布団に座ってほむらに背を向けていた。肩まで伸びた髪と華奢な背中。少女は何かを口ずさんでいる、歌っているような話しかけているような。ほむらは首をかしげながら、赤い瞳を少女の胸元へ向ける。そこには少女と等身大の人形の顔があった。

 

――いや、人形ではない

 

ほむらは悟る。少女の抱いている顔が少女と全く瓜二つなのだ。双子の姉妹の片割れの首を少女は抱いていた。どのように切断したのかは不明だがまるで生きているかのようにその首は美しかった。少女はさも嬉しそうに楽しそうに歌をくちずさみ、そして片割れの首に話しかけている。戯れているのだ。この永遠の闇の中で。

 

「姉妹の幾つかの結末の内のひとつね」

 

艶のある声でほむらが呟いた。それも酷い方の――と。少女はほむらの存在を認識していないのか、相も変わらず首と戯れ続けている。だがそこでほむらは本来の彼女なら行わないであろう行動を取る。手を伸ばしたのだ。現在と過去、そして異界、数多くの障壁を超えて今同じ時間軸にいるのならほむらと少女は接触することができるはずだ。ほむらの白い手が少女の肩に触れた。少女の歌が途切れ、そしてほむらが少しだけ顔を近づけて囁いた。

 

「貴女――私を認識してるわね?」

 

少女がゆっくりとほむらの方へ振り向く。少女の顔はあどけなくそして美しく、狂気など微塵のかけらも無かった。意外だとでも言う様に、ほむらはほんの少しだけ形のいい眉を上げた。つぶらな黒目がちな瞳がほむらの赤い目を捉える。その表情には怯えも驚きも何もなかった。

 

「……あなたは誰?」

「悪魔よ…この村とは関係のない遠いところから来たの」

「悪…魔?」

 

理解しがたいという様に少女が呟くが、ほむらは悪魔について特に説明する気は無かった。

 

「貴女はこの村に迷い込んだ双子ね」

「はい…繭…天倉繭です」

 

ほむらは繭の胸元の首へ視線を一瞬向けてから呟いた。

 

「貴女が姉?」

 

どうやらこの村での因習では彼女は「妹」になるらしいが――。繭はこくりと頷いて胸元の妹の首を抱きしめた。ほむらはそれをただ冷酷に見つめて少女に尋ねる。

 

「貴女はこれでよかったの?」

 

繭は答えない、目を瞑りうっとりとした表情で歌を口ずさむ。ほむらは珍しく辛抱強く待った。そうして再び少女に問いを投げかける。

 

「貴女はこれで幸せ?」

 

繭が歌をやめた。そうしてほむらの方へ顔を向けた、それは先ほどとは違い狂気を孕んだ表情で。

 

「ええ、とっても――幸せ」

 

そうしてくすくすと無邪気に笑い、歌を口ずさみ始めた。ほむらはただ眉を少しだけあげて、呟いた

 

「――その他の並行世界の貴女がこことは違う結末を選ぶことを願ってるわ、心から」

 

そうしてほむらは少女達へ背を向け大広間に向けて歩を進めた――

 

 

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