その村はあり得ない存在。「地図から消えた」村。
だが時空の歪みか、強い怨念か、あるいはもっと別の...人間がまだ知り得てない自然的な法則のおかげなのか、今この瞬間だけ可視化されていた。悪魔と化した美しい女性と、そしてその相方である人でありまたそうでない者、そして姉を探す少女の前にあっては――
*****************
村に相応しくない爆音が響き渡った。
「ごほっ、ごほっ、ちょっとあんた、いくらなんでも激しすぎない?」
頭にかかった木片やほこりを乱暴にはたき落としながら、蒼い髪の女性――美樹さやかは恨みがましそうに横にいる黒髪の女性を睨んだ。黒髪の女性は、恐ろしいほど美しかった。
さやかの顔が一瞬呆けたそれに変わる。もう何度も見ている相方の顔なのに、どうやら慣れていないようだ。
ふ、と黒髪の女性――暁美ほむらの口元が緩んだ。
「…何がおかしいのよ」
「別に」
素っ気なく囁くと、ほむらはさやかから視線を外し、紅い灯篭の方へ向けた。血の様な赤からアメジストの色へと戻ったほむらの瞳が灯篭を映し出す。
――村びとが灯したのだろうか、灯篭の中は煌々と輝いておりこの呪われた村を僅かながら照らしていた。
「すごい…」
二人の背後から古びたカメラを手にした少女が出てきた。少女の背後はぽっかりと開いた大きな穴がある。日本家屋の壁が破壊されたものだ。
「どうやって…?」
整った可愛らしい顔を曇らせて、少女――天倉澪はほむらを見つめた。ほむらは少女を見つめ返し、ようやく口を開いた。
「「力」を使ったのよ」
「力……」
理解できたのか、できていないのか、それから澪は口をつぐみ黙り込んだ。少女の脳裏に先ほどの出来事が浮かんだ。
『ここは暗すぎる』
そう言って、この恐ろしいほど美しい女性は左手を壁にかざし、それから大きな音がして壁が破壊されたのだ。
「……」
少女は視線を自身の手の中にある射影機に移し、しばらくしてからまたほむらの方へと移した。おそらくほむらが人間であるのかそうでないのか計りかねているのだろう。澪の瞳にほむらの顔が映し出された。恐ろしいほどの美貌。澪の瞳の中のほむらは少しだけ首をかしげて。
「……私が怖い?」
澪はただ黙って首を振る。視線を逸らすほむら。
「そう…」
――私と似ている、とほむらは思う。性質や容姿などではなくその寡黙さが。
――中身の方はあの姉にきっと私は似ている。
妹の首を抱いて幸せそうに微笑んでいた少女がほむらの脳裏に浮かぶ。狂気を孕んだ穏やかな表情を。
――あれはきっと私の心の中にもあるものだ、まどかを想う私の。
久しぶりにほむらの心が揺らいだ。それは水面に投じた小石が生んだ波紋の様で。
「ほむら」
さやかが黒髪の女性の名を呼んだ。波紋が消えた。切れ長の目だけさやかに向けて、何、と囁くほむら。
「見て、あれ」
さやかが腕を伸ばし、空を指した。そこには闇に浮かぶ月があって。
「満月よ」
微かに震える声でさやかが囁いた。
「…そうね」
ほむらが改変した世界では月は常に半分に欠けている。ここは異界なのだから、月が満月でもおかしくもなんともない。ほむらは怪訝そうに傍にいる情けない相方を睨んだ。
「何?ここは異界よ、今更怖気づいたの?」
「違うわ、ただ満月を見るなんて久しぶりで…なんか新鮮」
間の抜けた相方の横顔は真剣に月を眺めていて。ふ、と悪魔が笑った。気づけば月明りの元、三人は横並びになって、各々外の世界を眺め始める。
灯篭の紅い明かりと月の蒼白い光が、まるでイルミネーションの様に呪われた村に彩を与えている。先ほどまでのエコーの様な家屋内とはまた違った、紅と蒼の外の世界。
日本家屋の長い外壁と砂利道、所々に置かれた灯篭。三人は丁度大きな屋敷の外壁と外壁の間の砂利道にいた。背後に進めば、最初のこの村の入口である御園に戻ることになる。前に進めば大きな屋敷の外壁が現れ、左右の分かれ道に出る。
「とりあえず状況を整理しましょう」
ほむらは囁いた。
*******************************
皆神村は屋敷の密集した場所と、村の入口である御園、村のはずれにある神社、そして橋のかかった大きな池の向こうにある屋敷に分かれている。更に入口である御園の左手奥には墓地や朽木も存在する。
「村の中心にある大きな屋敷は『逢坂家』『桐生家』『立花家』、どれも儀式に大きく関わる家ね、そして橋の向こうにあるのが…」
「『黒澤家』」
ほむらの言葉に続いて、澪が喋った。
「あの家でお姉ちゃんが閉じ込められてしまって、鍵を見つけるために私は村の中を探し回って…ようやく…でも鍵を見つけて戻ったら…」
「いなかったの?」
さやかが困った様な顔で澪に尋ねる。頷く澪。
「でもどうやって一人で脱出できたのかしら、君のお姉さん何かに操られているとか?」
「……わからない」
澪が顔を伏せた。さやかがその肩に手を置く。と、何か思い出したのか澪が顔をあげた。
「あの…」
視線の先には澪より頭ひとつ分高いほむらがいる。ほむらは何も言わずただ少女を見返す。
「さっき言ってた特異点について教えてください」
澪をしばらく見つめてから、ほむらはいいわ、と呟いた。
そうして細い白い指先を地面に向ける。
「ここは現実の世界ではない、それはわかるわね?」
頷く澪、とさやか。
「でも夢でもない、目が覚めたら抜け出せるなんて簡単な構造の世界でもない」
細い白い指が今度は上を向く。
「ここは幾重もの時が重なった、歪んだ空間…そしてその原因は人の強い念。それも一人のものじゃない、数多くのもの。救いようのない後悔と怨念と悲しみ、負の感情が溢れだした故のもの」
「恐ろしいわね」
「そしてここに誘われるのは、なんらかしらこの村に縁があるものか、あるいは念に共感したもの」
ほむらが澪を見つめ、今度はさやかに視線を送り「私とあなたは違うけど」と呟いた。
「…どうやったら出られるの?」
澪が尋ねる。
「そこであなたの存在が重要になるの」
ほむらは澪を見つめた。
「正確にはあなたとあなたのお姉さん。さっき言った様にあなたはこの時空のあらゆる結末に繋がる分岐に遭遇できる特異点」
「どうして…」
「…あなた達姉妹は、この村が消えた原因である双子姉妹と精神的に繋がっている、かなり深いところで」
「…黒澤姉妹」
「彼女達は再び儀式を行おうとしている、あなた達姉妹の身体を借りて、そしてこの呪われた村もそれを欲している。その強い望みが時空を更に歪め今無数の結末が同時並行して存在している」
「む…難しいわ、バームクーヘンの層みたいにパラレルワールドが重なっているってこと?」
さやかが真顔で聞く。
「理屈は省くけど、元々無数に存在する層が更に細かく増え続けているというイメージよ。その層を彼女は渡り歩くことができる」
「すごいわね…それって、何か特殊な力をこの子が持っているってこと?」
さやかが澪の肩に手を置きながら、ほむらを見る。首をかしげるほむら。
「・・・『複雑』よ。彼女の素質かもしれないし、血縁から生まれたものかもしれない、ただ確かに言えるのは、彼女の『因果』によるものが大きいわ」
「因果?」
澪がほむらを見上げた。
「ええ、あなたのお姉さんがあなたを強く思うことで生まれたもの」
――それを愛というべきなのか、それとも――
だがほむらはそこで口を閉ざした。どうにも、先ほどのこの少女の姉の笑顔が脳裏にちらついて離れない。
あの狂気を孕んだ笑顔を。
「じゃあ、この子がこの村で何をすれば出られるの?」
さやかが核心をついた質問をする。陰鬱な双眸を相方に向ける悪魔。
「『分岐』を選択して、なんらかの『結末』を迎えるのよ。そうすることでこの時空の歪みは収束する」
「『結末』って?」
不安そうに少女が尋ねる。そうね、とほむらは呟くと、再び言葉を紡いだ。
「私が『見た結末』をあなたに教えるわ」
アメジストの瞳が澪を捉えた。
ほむらが見た結末は『姉妹が無事村から脱出する』以外はひどいものだった。
儀式が行われ、澪が姉を殺し、一人村から生還する。
儀式を澪が拒み、姉が澪を殺し、二人永遠に霊となってこの村に留まる。
儀式が失敗し、二人村と共に闇に囚われる。
姉を助け、無事に村から生還するが、澪は失明してしまう。
「…ひどすぎるわ」
茫然とするさやかと顔をこわばらせる澪。
「それともうひとつあるわ…あなたがお姉さんを見捨てて一人で逃げる」
「そんなこと…」
「あら、それでもこの方法が一番手っ取り早いわ、そうすることでこの村からあなたは無事に脱出することができる、あの綺麗な森に戻れるわ」
澪の脳裏にあの緑豊かな森が浮かんだ。姉と一緒に遊んだ森が。
「私は逃げ道を知っている…教えてあげてもいいけど?」
「ほむら」
涼しい顔で囁く悪魔を諫めるようにさやかが声をあげる。
「私は一人では帰りません」
少女の強い意思を宿した瞳がほむらを捉える。
「絶対にお姉ちゃんを助ける…二人で村から出ます」
「そう…」
ふんわりと優しい笑みが悪魔の美貌に浮かんだ。それはとても珍しい出来事なのだろう、さやかはえ、と呟いてしばらくほむらを凝視していた。
それから三人は橋の向こう側にある黒澤家を目指す。そこから儀式の行われる場所へと続いている『深道』があるらしい。蒼白い月に照らされた静謐な世界の中、三人は足音を立てながら進む。さやかがきょろきょろと周囲を見渡しているのを横目で見て、ほむらが囁いた。
「なあに、また霊に会うのが怖いの?勇者さん」
勇者とはもちろん皮肉で、さやかは苦笑を浮かべる。
「違うわよ、家の中の白黒の世界とはまた雰囲気が違うなあって思っただけ」
それよりも、とさやかは続けた。
「さっきは悪かったわね」
「?何を」
「あんた、わざとあの子を試したんでしょう?」
「ああ…」
そのことか、といわんばかりにほむらは肩をすくめた。
「それに気づかないで私は――」
「別に気にしてないわ、そもそも犬にそこまで求める飼い主なんていないでしょ?」
「ちょっと…」
また犬…と言おうとして、さやかは黙り込んで、そして微笑んだ。これは照れ隠しなのだ、悪魔の。一緒に暮らし始めてから数年経って、ようやくさやかは暁美ほむらという人物の事を徐々に理解し始めていた。さやかの口元がいつもより緩んでしまう。
「…気持ち悪いわね」
「気にしないで」
ニヤニヤ笑みを浮かべながら、さやかはほむらの隣を歩く。つい先ほどまで恐怖のあまりほむらの背中にへばりついていた人物と同一とは思えない。悪魔はあきれたと言わんばかりに大きくため息をついた。
「橋が見えてきました」
二人の前を歩く少女が叫んだ。霧がかかった前方に微かに橋が見える。
「戦闘開始ね」
ほむらが囁いた。その目は紅い色へと変色していた――