凍える村   作:さんかく@

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別れ

黒澤家に続くその橋は「囁き橋」と呼ばれていた。深い闇と濃い霧で橋は途中からぽっかりと消失しているように見えて、向こう側まではとうてい視認できない。その橋の入り口に2人の女性と少女が立っていて、先ほどから闇の方へ視線を向けていた。少女は古めかしいカメラを持ちながら、長身の女性は右手に剣を持って、そして黒づくめの美しい女性は両目を血のように輝かせて。

 

「足下気をつけてください」

 

長身の女性が動き始めると、その後ろから凛とした声で少女――天倉澪が注意を促した。

 

「わかったわ」

 

長身の女性――美樹さやかは闇の方へ目を凝らしながら頷く。そうしてボロボロになったデニムに包まれた脚をゆっくりと動かして、橋を踏んだ。

 

ギシリ――

 

橋の軋む音があたりに響く。スニーカーが橋板を歪ませた。眉を潜め微かに舌打ちするさやか。先ほど家屋内で床を踏み抜いたことでも思い出したのだろう。2歩、3歩と同じようにゆっくりとした歩調で橋を進む。歩調をあわせて澪がさやかの背後をついてくる。

 

「さやか」

 

さやかの傍を音もなく歩いていた黒づくめの美しい女性――暁美ほむらが囁いた。歩を止めてさやかがほむらを見つめる。

 

「何?」

「貴方は私の後ろにいてバックアップに徹するのよ」

 

ほむらを見つめたままさやかは驚いたように目を見開いて。

 

「わかるでしょ?ここでは魔法は通用しない」

「ええ、さっき霊に殺されかけたわ、私の剣が全く通用しなかった」

 

さやかは視線を己の剣に落として囁く。

 

「でももしかしたら今度はうまくいくかもしれないし、それに・・・」

 

さやかが橋の下を覗きながら言葉を続ける。

 

「もしかしたらここの池の水を操ることはできるかもしれない」

 

どんよりとした黒々とした水、だが、それでも水であることに変わりはないはずだ。水を司る魔法を保有するさやかとしてはそれに賭けてみたいらしい。たゆたう黒い水をみつめるさやかを横顔を美しい悪魔はただ無表情に見つめて。

 

「そうね、その可能性はあるわ、でも戦闘の時に不確実なものに頼るわけにはいかない。通用するのは私の悪魔としての力とあの子の射影機だけ」

「・・・・・・」

「別に貴方が足手まといってわけじゃないわ」

 

さやかが顔をあげた。悪魔の表情からは何も読みとれなかった。だが、こんな風に悪魔がさやかの気持ちを汲み取って言葉を重ねるのは希だった。

 

「本当・・・って聞きたいけどそれも野暮ね」

「ええ、貴方だって心は読めるでしょ?」

「まあね」

 

さやかは少しだけ口元を緩めながら、ゆっくりと移動し、ほむらの背後に隠れた。村に到着した時のように。

 

「最初に示し合わせたこと思い出した?」

「ええ、あんたの力の庇護の下で動くわ、よろしくね」

 

悪魔の背中に向かってさやかが囁いた。返事の代わりに華奢な悪魔の体が少しだけ揺れた、息を吐いたのだ。顔は見えないが、さやかは悪魔が微かに笑ったように思えた。

 

「来ます」

 

澪が射影機を構える。少女の手が射影機の振動で小刻みに揺れている。3人の周囲にひんやりとした冷気が漂い始めた。

 

「澪、そっちよ」

 

さやかが少女の足下を見つめながらその名を呼んだ。はっとしたように澪も足下に視線を送る。古びた橋から水浸しの女性の頭が現れたと思ったら一瞬で全身が現れ宙を舞う。少女は怯むことなく射影機を顔の前に構えシャッターチャンスを狙う。すごい、とさやかは少女の胆力に内心舌を巻いて。あと数センチで霊の手が少女に届く、その瞬間射影機から光が発せられた。澪がシャッターを切ったのだ。はじかれるように後ろに飛ぶ霊。魔獣とは全く違う、とさやかは思った。うめき声をあげて倒れ込むその姿は雨に濡れた生きた女性そのもので、その苦悶に満ちた表情も青ざめた顔も同情を誘うものだ。澪のシャッターを切る音が止まった。その表情は悲しみを抑えているそれで。ああ、この子もそうなんだ、とさやかは思った。この少女もこの霊に憐憫の情を覚えている。ここで起きた悲劇を思えばそれも無理はないが、優しい子だとさやかは思った。そして、いつの間にかさやかは少女に対してシンパシーを覚えていて。

 

「早くとどめを指しなさい」

 

ほむらが少女を促す。澪は我に返りシャッターを切る、断末魔の叫びと共にずぶぬれの女性は消失していった。何か呻いていたがさやかには聞き取れなかった。辺りに静けさが戻る。

 

「進むわよ、早くしないと間に合わなくなる」

「え?どういうこと」

 

ほむらは背後のさやかの問いに答えず、黒澤家に向かって進み出した。慌ててほむらの背中を追いかけるさやかと澪。3人の視界に日本家屋が映る。

 

「あれね」

「そうです、あれが黒澤家」

 

白黒の世界の中、そこだけ血の色の様に赤い家屋。かつての魔女の結界を彷彿とさせるいやそれ以上だとさやかは身体を震わせた。大学で「あの子」がくれた写真を見た時に感じた悪寒と一緒だ。

 

「気持ち悪いわ」

「そうでしょうね、あれは――」

 

ほむらの形のいい眉が少しあがる。その視線は境内の奥にある扉に向けられていた。じい、と赤く輝いた瞳で射る様にそこを睨む。扉まではほんの数メートル、境内は他と同じく赤い灯篭の光で照らされている。3人の周囲には誰もいない。ほむらはさやかの方へ顔を向けた。美しい無表情な顔がさやかを見つめ、ゆっくりと口を開く。

 

「さやか、ここであの子とはお別れよ」

「え、どうして?一人にしておけないわ」

「時間が無いの、それにこれ以上私達が彼女に干渉したらこの次元自体仕組みが可笑しくなってしまう。そうしたら、貴方の大学の友人も助けられない、それでもいいの?」

「そんな…」

 

さやかが澪の方へ視線を向ける。凛々しい少女はまっすぐにさやかを見つめて。

 

「大丈夫です、ここまで一緒に来てくれてありがとう」

「…だめよそんなことできないわ」

 

困惑した様子のさやか。つい先ほどシンパシーを感じたばかりの少女を置いていくことは彼女には不可能だった。澪が何かを言おうと口を開きかけたと同時に、うめき声があたりから聞こえてくる。

ギシキヲツヅケロ……ギシキヲ…

村びとの霊が集団でおもむろに現れた。既に死人である彼らは何かに操られているように、各々竿や鎌を持ち3人に襲い掛かってくる。澪が素早く射影機のシャッターを切り村びとのひとりを除霊するが、数が多すぎた。

 

「きゃあっ」

 

霊が肩に触れた途端、澪が悲鳴をあげる。

 

「澪」

 

さやかが剣を振るい霊を一刀両断する。が、剣は身体をすり抜け効果はない。

 

「ここまで効かないなんてっ」

 

空振りした剣を構えなおしながら叫ぶさやか。魔法が全く効かない。

 

「どきなさい」

 

ほむらが音もなくさやかの傍に寄り添ってくる。さやかは澪の腕を掴み引き寄せるとほむらの背後に回った。庇うように悪魔が両手を広げると、光の円形が現れ3人を囲った。シールドだ。悪魔の力はどうやらこの世界でも通用するらしい。宙を仰ぎながらさやかが無意識に安堵の溜息をもらした。

 

「そのまま中に入るわよ、さやか扉を開けて」

「わかったわ」

 

シールドを張りながら3人は後方に下がる。さやかの腕がシールドを突き破って扉を掴んだ。ギイイ、と軋んだ音を立てながら扉がゆっくりと開く。

 

「開いたわ、早く」

 

3人はなだれ込む様にして中に入った。

 

黒澤家の内部は他の家屋と同じくエコー検査の白黒画像の様だ。だが闇は他よりも深いとさやかは思った。ほむらの眼光と澪の懐中電灯を頼りにさやかは辺りを見回した。

 

「……静かね」

 

そう呟いた途端、目の前の古びた暖簾がふわりとなびいて白い着物の男が現れた。

 

「うわっ」

 

さやかの叫びとシャッターを切る音が同時にして、男は消えていく。前にかざした両手を下げてさやかは隣の少女を見つめる。少女の方もさやかを見つめていて、そうしてくすりと口元を緩めた。それは花が咲いたようにとても可憐で。さやかは澪から目を離せなかった。

 

「そろそろお別れですね」

 

澪がさやかからほむらへ視線を移す。ほむらはただ無表情に澪を見下ろしている。さやかは悲しそうな表情を浮かべる。まだ14、5歳くらいの少女だというのに、その物分かりの良さがあまりにも健気過ぎてさやかは泣きそうになった。手を伸ばし、少女の肩に触れる。

 

「ごめんね、お姉さんを見つけるまで一緒にいたかったけど」

「いいえ、わたしこそ…ありがとうございました」

「助けられたのは私の方よ」

 

さやかが笑う。澪もまた微笑んで。

 

「さあ、ここでお別れよ」

 

ほむらが囁いた。さやかと澪の視線がほむらに向けられる。ほむらはしばらく澪を見つめると手を伸ばし右側の扉を指さした。

 

「あそこの奥に『縄の御堂』がある、あなたはそこで黒澤家当主と戦うことになる」

「……」

「あなたなら大丈夫、その意志の力があれば」

「はい」

「そして当主を除霊した後、『らせんの廊下』を見つけ『深道』に入っていくわ」

「『深道』…その奥にお姉ちゃんが?」

「そうよ、そこから先も戦いが待っている、でもこれ以上は私の口から言えない…介入しすぎてこの世界を壊

 

しかねないから」

 

「わかりました、それだけでも助かります」

 

ほむらが目を細める、珍しく優しい表情。さやかと同様この少女にシンパシーを感じているのかもしれない。そして優しい表情のままほむらは囁いた。

 

「お姉さんと一緒に村から無事出られるよう祈っているわ」

「ありがとうございます」

 

元気よく返事をして、そうして澪は奥の扉へ向かった、今度こそお別れだ。と、澪がまたこちらの方へ振り向いた。

 

「いつか、また」

「ええ」

 

手をあげる澪に応じるようにさやかが手を振った。一瞬澪が微笑んで、そうして扉の奥へと消えていった。

 

「さあ、急ぐわよ」

「わ、ちょっ」

 

感慨深げなさやかの腕を乱暴に掴むとほむらは玄関へ向かう。

 

「え、どこ行くの?」

「戻るのよ、この村の入口に」

「入口、御園に?」

 

なんで、と言おうとしたが、ほむらが扉を破壊する音でかき消されてしまう。文字通りさやかはほむらに「引き摺られ」ながら境内を駆けることとなった。風の様に二人は走る。

 

「あ、ほむらあれ」

 

さやかが大声で叫ぶ。前方の囁き橋が闇に溶けて消えていく。ちっ、とほむらが舌打ちする。

 

「飛ぶわよ」

「へ?わ、わわっちょっと!」

 

ほむらが軽々とさやかを抱えた、俗にいうお姫様抱っこだ。黒づくめのほむらの背中から黒い翼が現れて、大きく羽ばたくと一気に二人は宙に舞った。

 

抱きかかえられたままさやかが悲鳴をあげた。強風にあおられながら、さやかはほむらの首に手を回し必死に抱きつく。自覚は無かったが、悪魔に抱きかかえられて宙を舞う度に悲鳴を上げるのだから、おそらく自分は高所恐怖症なのだろうとさやかは思った。恐々見下ろすと、囁き橋が次第に小さくなり、さやかの視界に皆神村全体が収まった。ほむらの耳元に顔を近づけさやかが囁く。

 

「ねえ、時間が無いってどういうこと?」

「儀式の完了と共にこの村は崩壊する、文字通り消えるのよ、それが今回私達の干渉の影響で早まっている、

儀式の前にこの村の半分は消える。さっき黒澤家の中で『視えた』のよ」

 

「予知ってこと?」

「ええ、そうよ」

 

ほむらがさやかの方へ顔を向けた。さやかの顔が少しだけ赤くなった。

 

「…そ、それじゃあ御園に戻るのは?村から出るため?」

「そう、それとあなたの友達もきっとそこにいる」

「え?わ、ちょっと!」

 

悪魔は羽ばたくのをやめ急降下する。悲鳴を上げるさやかを抱えたままほむらは御園に着地した。未だ必死に縋りついているさやかを見て、美しい悪魔は少しだけ口元を緩めた。

 

「情けないわよ…かばん持ちさん?」

「悪かったわね」

 

口を尖らせてほむらから降りるさやか。慌てて周囲を見渡す。数メートル四方の広場は村の中心よりも少し明るい。茂みのあたりに目を凝らして見ると、人らしき姿が見えた。慌てて駆け寄るさやか。果たしてそれはさやかの友人であった。リュックを背負ったジャージ姿のまま横たわっている。さやかは友人の体を揺さぶるが目を覚まさない。手を伸ばし、首に触れ生きていることを確認してようやく安堵のため息を漏らした。その背後で腕を組みながら見下ろしているほむら。

 

「彼女生きてる?」

「ええ、生きてるわ」

「変ね…私、彼女を見たことがないわ」

「え?」

 

不思議そうにさやかが振り返る、と大きな振動で地面が揺れた。御園の中央から亀裂が走る。

 

「ここから出るわよ、最初に来た道を辿るわ」

「わかったわ」

 

さやかが友人を抱きかかえ立ち上がる。そうしてほむらとさやかは村から抜け出し森の中へと消えていった。

 

*******************

 

黒澤家当主を除霊し、澪は『深道』へと入る。深い、どこまでも落ちていくような長い洞窟の道。

 

――澪

 

澪ははっと何かに気づいたような表情を浮かべる。

 

「お姉ちゃん?」

 

今、確かに姉の声がした。

 

――澪、来ないで、何があっても澪のこと許すから…来ないで

来ないで

来ないで

来ないで

 

「嫌だ」

 

澪は首を振る。美しい少女の顔が苦悶で歪む。

 

「私は絶対、お姉ちゃんを助ける‥‥助けるんだから」

 

少女は顔をあげる、迷いのない強い意思を宿した瞳。その表情にもう迷いはなかった。

 

そうして少女は戦い続けた、戦い続けてようやく辿り着く。姉のいる場所へ――。

そこはとても深い場所、儀式の行われる場所。そこに立ち尽くす姉。

 

「お姉ちゃん」

 

澪は繭に向かって歩み寄る。が、何故か唐突にその歩が止まった。

 

――ちがう

 

ぞくっと澪の体に悪寒が走る。目の前にいるのは姉だ、だが、「姉ではない」。ヴヴヴ…と澪の右手に振動が走った。射影機が反応している。繭の可愛らしい顔が変形していく。小さな口が大きく横に広がり三日月の様にぱっくりと開いた。虚ろな闇の様な双眸。

 

「さあ、始めよう…?」

 

繭の虚ろな瞳を澪はただ見つめるばかりだった。

 

 

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