「……」
目が覚めたら、白い床が見えた。誰かの話し声が聞こえる。起き上がってカーテンを開くと、羽柴理事長達が心配そうにこちらを見てきた。
「あぁ気がついたか。大丈夫か?」
「えっと……僕は……」
「生徒に囲まれて質問攻めに遭って、パニックになって気絶してしまったんだ」
「あ……」
その言葉に、俺は下を向く。授業後に生徒に囲まれ、質問攻めに遭い、不祥事のことについて聞かれた辺りからは記憶が無い。
「すまない。私がもう少し君の状態に気を配っていたら……」
「いえ、自分でも大丈夫だと思っていたので、理事長達の責任では無いですよ」
「いいや。もう少し様子を見ておくべきだった。軽率だったのは否めない。しばらく休んでくれ。まずは病院に行って、体調を整えてくれ」
「……わかりました」
羽柴理事長の言葉に、俺は唇を噛む。羽柴理事長達は自分達が軽率だと言っているが、俺にも責任の一端はある。改善されたとは言え、まだ完治したとは医者には言われていない。油断していたと言えば嘘になる。そもそも生徒からはああいう質問が飛んできても何らおかしくないのだ。それを予想できなかった俺はバカだ。
・・・
「お兄。お客さんだよ」
「客?」
数日後。医者から『症状悪化のため、落ち着くまでしばらく休んだ方がいい』と言われた俺は、羽柴理事長の計らいで在宅ワークになった。在宅ワークになってからも、ブリッジコンプや羽柴理事長、村山先生は様子を見に来てくれる。
結の言葉に俺が玄関に出ると、そこには園田トレセンの青いジャージを着たジュエルトパーズが立っていた。
「……」
「何の用かな?」
「……ちょっと付き合ってよ」
「?」
「いいから」
「ちょ、おい」
いきなりジュエルトパーズに腕を引っ張られた俺は、そのまま引き摺られるようにして外に出た。途中から焦れったくなったのか、ジュエルトパーズは俺をおんぶすると、そのまま峠道に入り、あっという間に山の中に入って行ってしまった。
「着いた」
舗装がなくなり、荒れた道をしばらく走った頃、ようやく降ろされた俺の前には、周囲を木々に囲まれた開けた場所が広がっていた。開けた場所には白いラインが引かれ、ターフのようになっている。手書きで書かれたハロン棒もある。正確に測らないと分からないけど、ザッと見た感じでも1周1000mはありそうだ。
「なんだここは」
「ここ、昔は林道で作業する人達の休憩所兼資材置き場。で、今は色々あって所有者があやふやな場所。寮から30分ほどの場所だけど、そもそも公道レースする子じゃないとここまで入ってこないし、殆どの人が知らないと思う。私も見回りから逃げるときに偶々見つけただけだし。1周は1000mジャスト。ちゃんと測りました」
「……」
「伊丹トレーナー」
そこまで言うと、ジュエルトパーズは少し躊躇った後、突然頭を下げてきた。
「私を、中央に連れて行ってください!!」
「……は?」
いきなりの言葉に、理解が追いつかない。思わず漏れた言葉に、ジュエルトパーズは不安な表情を見せる。
「その、あの後色んなトレーナーに当たったんですが皆断られて……ダメ……ですか?」
「いや……いきなりだったから。君、中央に行くってどういう意味か分かってるのかい?」
地方から中央に行く。その難しさは全国の地方トレセン学園に通うウマ娘達なら嫌と言うほど説明されるから、分かっているはずだ。ただレースで勝つだけではなく、話題性……例えばその地方シリーズG1で大差勝ちをしたり、それこそ地方シリーズで3冠を達成したり、下バ評を大きく覆す走りをしたり、観客を引きつける何か……などが必要になる。更にそれに加えて生徒会長や中央トレセンの理事長などの特別推薦が無い場合は編入試験もクリアする必要がある。
編入試験は面接、筆記、レースの3種類。試験官がそのうちのどれかに興味が湧いたら基本的に合格する。例を挙げれば、スペシャルウィークは筆記は平均以下だったが、レースや面接で試験官の興味を引いて合格。ハルウララに至ってはレースと筆記はかなり悲惨だったが、面接で合格したと聞いている。
ジュエルトパーズに関してはまだデビューすらしていない。つまり全くの無名なのだ。どれだけ伸びしろがあるのかも未知数だし、俺は園田トレセンではトレーナーとしての勤務をまだしてないから正確な適性も知らない。
「わかってます。並の……いや、それなりに地方レースで勝っていても届かない場所。でも、私は行きたいんです。そして、姉を超えたいんです」
「しかし、今の俺の状況を知っているだろう。まだまともに人前で振る舞えない。何時また誹謗中傷に晒されるか分からない都落ちトレーナーなんだ。君にも迷惑が掛かるかもしれないんだぞ」
「構いません」
俺の言葉にジュエルトパーズは迷い無く即答する。
「私は周囲に何を言われても、自分の夢のために選択したと言います。その夢が叶わなかったとしても、伊丹トレーナーが真剣に向き合ってくれていれば、きっと文句は言いません。それだけ私は本気で中央に行きたいですし、真剣に伊丹トレーナーに担当になって欲しいんです」
「……」
「ひとまず、私の走りを見てください。距離は1870です」
俺が黙っていると、ジュエルトパーズは俺にストップウォッチを押し付け、俺に何時のタイミングでストップウォッチを止めるか指示を出し、柔軟体操を済ませてコースを走り出した。ブリッジコンプによく似た走り方。ただ、ブリッジコンプ以上に体が柔らかく、動きがしなやかで、体幹も強いのか、走る姿勢もブレが少なかった。ただ、公道レースをしていた頃からの癖か、コーナーに差し掛かると異常な程体を傾け、それでスタミナを無駄に消耗し、すぐに立て直してはいるものの、一瞬バランスを大きく崩している。並走者がいないから確証はないが、まだ何か悪癖があるかもしれない。
「こりゃ、苦労するかもな……」
俺は誰ともなしに呟いた。