「いらっしゃいませ~」
結局、ブリッジコンプに誘われるがままに彼女のお気に入りのブリティッシュパブに来てしまった。店名は『British Pub Sonoda』店内は広く、カウンター席は勿論、テーブル席や立ち食いスペースまである。イギリスの雰囲気に近づけようとしているからか、店内は異国情緒溢れる雰囲気になっていた。
「あ、ブリッジコンプさん。いらっしゃい」
「マスター、大人2人で」
「カウンター席でいいかい?」
「ええ。できればあまり人目につきたくないんですけれど……」
「わかった。じゃあ何時もの席を用意するね」
ブリッジコンプの言葉にマスターと呼ばれた中年の店主は軽く頷くと、手際よく準備し、俺達に店の一番奥のカウンター席を勧めてきた。丁度柱やドリンクバーの陰になっているから、人目にもつきにくい。そもそも店内は俺達しかいないのだけれど。
俺はカウンターに座るとメニュー表を開いた。パブの定番であるフィッシュアンドチップスやハンバーガーの他に、聞き慣れない料理名が並んでいる。料理名の下には丁寧に説明がついている。飲み物もクラフトビールやワイン、ソフトドリンクが揃っている。
「何にしますか?」
「えっと……じゃあフィッシュアンドチップスとハンバーガーで。飲み物は……ウーロン茶で」
「私はフィッシュアンドチップスとダブルチーズハンバーガーとビッグハンバーガー。それからクラフトビールの黒で」
「かしこまりました」
注文を受けたマスターは笑顔で厨房の奥へ消えていっが、すぐに飲み物を持ってやって来た。
「先に飲み物です。ウーロン茶とクラフトビールの黒です」
「ありがとうございます……ぷはぁっ!!もう一杯お願いします」
マスターからビールを受け取ると、すぐさまブリッジコンプは一気にビールを飲み干しておかわりを注文した。あまりの速さに呆れてしまう。
「おいおい。いくら何でも飛ばしすぎじゃないか?もっとゆっくり飲んだらどうだ?それに、空きっ腹に酒は良くないぞ」
「いいんですよ。今日はもう上がりですし、伊丹トレーナーも飲んでいいですよ?」
「いや、俺はいい」
「そうですか」
~数十分後~
「れすからぁ!!私はぁ!!一生懸命生徒のことを思ってるのにぃぃぃんっ、は、あの子達はぁぁぁあっあっあ!!」
「うん、落ち着け。水飲め水」
数十分後。ブリッジコンプは見事に出来上がっていた。空きっ腹にアルコールを大量摂取した所為で、酔いの周りも早かったのだろうが、泥酔して仕事の愚痴が濁流のように口から出てくる。
ウマ娘のトレーナーは地方でもあまり多くないせいか何かと好奇の目に晒されたり、自分の経歴を担当と比べたりして時には担当が拗ねてしまったりと苦労も多いのだそうだ。
「伊丹トレーナー。あなたには分からないでしょうねぇ。縁もゆかりもない公道でレースする生徒が補導されて連れ帰るために休日出勤させられる私の気持ちわぁ!!」
「いや、中央でも全く無いわけでは無かったし」
公道レース。一般道で早朝や深夜に勝手に集まってレースをする人達。車やらバイクやらの走り屋もいるけれど、近年ではウマ娘達の公道レーサー達が問題になりつつある。レースで走ることができない憂さ晴らしや、スリルを得るために走るのだが、芝やダートのコースに特化した繊細なウマ娘の脚で固いアスファルトの道を全力で走るのは、危険としか言いようがない。深夜徘徊の補導は勿論だが実際に無茶な走りをした結果、再起不能の怪我をしたり、車やバイクとレースをして跳ねられて命を落とすウマ娘もいる。犯罪に巻き込まれるリスクも高い。
中央にいた頃も問題になっていた話で、走り屋達が集まりそうな様々な峠道や山道をトレーナーをはじめとした教職員で巡回していた時期もある。とは言っても、理事長秘書や警備員、歴代寮長達が優秀で大抵はすぐに抜け出しているのが分かるし大きな問題にはならなかった。
「う~……最近は妹が言うこと聞いてくれないし……何度止めても公道レースに行くし……」
「……おーい」
「zzz……」
先程まで凄い勢いで話していたブリッジコンプが、突然勢いをなくしたかと思えばそのまま寝てしまった。困って軽くブリッジコンプの肩を揺する俺を見て、マスターが苦笑しながら話しかけてきた。
「この子、いっつも酒飲んだら仕事の愚痴や嬉しかったことを言って、最後には潰れちゃうんだよ。毎回親や同僚に家まで送って貰ってたんだけど最近は流石にマズいと思ったのか酒は頼んでなかったんだ」
「そうなんですか」
「うん。ま、ストレスがたまってたのか、何かいいことがあったのか……」
店や同僚に迷惑を掛けるなよ……と思いつつ、まだまだ経験も浅く苦労も絶えないんだろうなぁとも思う。俺もこれぐらいの時はこんな感じだったし。仕事は上手く行かないし、担当は中々付かないし、先輩達と比べては落ち込んでいた。
「よかったら彼女の家に電話しましょうか?ご両親に連絡先は頂いているので」
「いいですか?すみません」
マスターの計らいに頭を下げつつ、俺はブリッジコンプの分のお会計も済ませる。しばらく待っていると慌てた様子で見覚えのあるウマ娘の女性と、ジャージ姿のウマ娘が入って来た。ブリッジコンプの母親と、恐らくは妹だろう。
「すみませんマスター。またうちの娘がご迷惑を……」
「いえいえ。お客さんもいませんでしたし、こちらは気にしてませんよ」
「あの、お代は……」
「そちらの方がお支払いを」
マスターの言葉にウマ娘の2人が視線を向けてくる。すると、ブリッジコンプの母親が目を丸くして近づいてきた。
「あなた、伊丹トレーナーじゃないですか」
「お久しぶりです」
「まぁまぁ。こんな所で会うなんて……」
「本日より、園田トレセンに勤務することが決まりまして……」
「あら、本当に!?」
園田トレセンの言葉が出てきた瞬間、後ろにいたウマ娘の耳と尻尾が微かに揺れた。何か気になる言葉だったのだろうか。
「うちの下の子も園田トレセンなんですよ。伊丹トレーナー、よかったら担当してみてくれませんか?流石に姉妹で組むのは嫌みたいで……」
「今すぐ快諾は……まだ入ったばかりですし。それに、ご存じかと思いますが、あんな事があった後ですので」
「あ……」
ブリッジコンプの母親はハッとした顔になると、シュンとした顔になった。耳もぺたんと倒れている。ブリッジコンプの母親には申し訳ないが、今の俺が担当するべきではない。
俺は軽く頭を下げると店を後にした。