タレイアを笑わせる   作:くものい

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9-1:再会、そして・・・

9:再会、そして・・・

 ~喧嘩御免!暴れん坊皇子旅日記~

 

 激戦のランチタイムを乗り切って、最後のお客さんを見送りがてら、クローズの札を表に下げて戻ってきたところで思わず溜め息がこぼれ出た。

「っはああぁ……、何とか終わった……っ!」

 カウンターの椅子を引いて腰を下ろした途端、それまで忘れていた疲れがどっと来た。全身の力が一気に抜けていくような脱力感に身を任せるまま、両手をテーブルに投げ出して深々と息を吐く。食堂にはもう人っ子一人残っちゃいない。手伝いの皆には先に賄いを食べて貰ったし、食器を下げたり洗ったりは済んでるし、あと残っているのは自分のメシと厨房の片付けだけだ。ちょっと前まではやっと一息つけたと同時、汚れた皿で山積みになった流し台が視界に飛び込んできて、さあもうひと踏ん張り!と気合を入れ直すのが当たり前だったのになぁ……リシェルたちが時々助っ人に来てくれるのでも十分助かってたけど、いつも手伝ってくれる誰かがいるって有難さにすっかり慣れちまった気がするぜ。

 今となっちゃ遠い日々をしみじみ振り返っているうち、カウンターにあった一人分のサンドイッチとティーセットに気付いて勝手に緩んでしまう頬を堪えきれずに破顔する。大方、セイロンが気を利かせてくれたんだろうな。いそいそと手元に引き寄せた皿にはサンドイッチが行儀よく並んでいて、カリカリに焼かれたベーコンや瑞々しい野菜の断面、粗く刻まれた茹で卵にとろりと絡んだソースがその切り口から覗いている。食欲をそそる見た目は文句無しの満点、気になる味の方も作り手を想像すれば期待しか湧かないところだ。早速両手を合わせて大きく齧り付けば、しゃきしゃきした野菜の食感に塩気の効いたベーコンとまろやかな口当たりの卵、ピリッと辛いマスタードにハチミツや黒コショウを混ぜたソースがこれまたよく合っていて……さっすが器用なもんだなぁ!?正直売り物にだってなるレベルだ。感心しきりで唸ってしまいながらお茶を一口飲めば、こっちはリビエルが用意してくれたんだろうか?多少冷めても渋みの出にくい茶葉を選んでくれたみたいで、落ち着く香りとスッキリした味わいが広がっていくのが心地いい。カップ一杯も飲み終わる頃にはどこか緊張の残っていた背中も気持ちも緩んで、ほう、と息がこぼれていた。

「……本当、皆に助けられっぱなしだなぁ、俺」

 一人じゃ到底回し切れなかっただろう大賑わいの食堂を思い返して呟く声も、自然、気の抜けたものになった。それが嬉しさや安堵の滲むものだったならまだしも、悔しさやら不甲斐なさ、少しの苦さが滲んだ声だったことに我ながら苦笑してしまう。情けねえな、と思うものの、それ以上は頭が回らない。なにせ今の今まで立ちっぱなしの働きどおし、どんな戦闘や鍛錬の後よりくたくただ。こんな状態でろくな考えが浮かぶはずないし、今日はこれで店仕舞い、午後の仕込みもなければ急ぎの用事が入っているわけでもないのだ。それなら少しはゆっくりしたっていいだろうと誰へともない言い訳を胸に、俺は残りのサンドイッチにゆっくりと手を伸ばした。

 今日の食堂の様子を一言でいうなら、まさしく大繁盛だった。お昼時は前から満員だったけど、一人で注文取りから調理配膳までやっていた頃に比べて今は毎日のように手伝ってくれる皆がいる。それで回転率が上がったのが大きかったんだろうな。宿屋としてはともかく少し前から客足が伸びてる実感はあったし、魚菜薬膳や日替わりメニューもどれも好評で手応えは感じていたけど、それにしたって今日の客入りはすごいものがあった。店を開けてからずっとお客さんが途切れず、ランチタイムは目が回るような忙しさ、事前に仕込んでおいた分も見事品切れ、あと少しでメニューボード全部に横線を引かなきゃいけなかったところだ。ワケあって暫くカフェタイムとディナータイムを休止するってお知らせを出したからだろうけど、そのお知らせを貼ったのだって店前と宿屋に続く坂道下の看板だけだ。ランチタイムは変わらず営業するんだし大して影響ないだろうと踏んでいたけど……いやぁ、見込みが甘かったな。常連さんから噂を聞いて新規のお客がちらほら増えていたのが一気に爆発したのか、あんまり繁盛しすぎてせっかく足を運んでくれたお客さんを何人か断ることになっちまったし、今後はせめて持ち帰りの出来る軽食くらいは用意しといた方がいいかな?それこそこないだ考えたキノコや肉を具材にしたパイなんて、とちらっと考えたところで空き箱だらけの厨房奥が目に入って笑いがもれる。

「いやぁ。ギリギリ間に合ったからいいものの、皆が集めてくれた食材もおかげですっからかんだな?」

 日持ちのする食材や予備の分も引っ張り出してどうにか注文分は捌き切ったけど、普段使いの野菜の他は軒並み底を突いちまった。となると早めに食材を補充しておきたいところだけど、少し身体を動かしたい気もするんだよな。さて、これからどうしようか?

 お腹が満たされて人心地ついたら頭もいくらか回り始めたようで、カウンターに突っ伏し気味だった身体を起こして俺はうーんと唸る。

 ひとまずミント姉ちゃんのところに野菜を貰いに行って、ついでにトリモチを仕掛け直しておこうか。あれから少しずつ場所を変えて罠を張ってるし、そろそろ何か掛かってもいい頃なんだけどな……それが済んだらちょっと鍛錬でもしたいけど、コーラルの稽古は朝見てやったばかりだし、皆で無限回廊に潜ったのもつい昨日だしなぁ。それぞれ仕事や用事があるのを連日付き合わせるのは気が引けるし、リビエルやセイロンは部屋にいるはずだけど、さっきまで散々店を手伝って貰ったばかりだ。働かざるもの食うべからずとは言うけれど、居候だからってその厚意に甘えっぱなしってのも逆にこっちの据わりが悪い。昨日デザートを盗み食いしようとする現場を押さえたついで、リビエルの奴にプリンを作るところから見せてやったら、今日なんて仕込みからやる気満々で手伝ってくれたもんなぁ……俺の秘伝レシピを分量から手順までしっかり覚えていたようだし、そのうち一人で菓子作りに挑戦したいなんて言い出してもおかしくないくらいの意気込みだった。料理人としてはちょっと寂しい気もするけれど、ある程度は自分で好きなものを作れた方が気晴らしになるだろうし、そもそもデザートの仕上げ方からして凝り性っぽかったしな。剣の軍団の襲撃から御使い連中はただでさえ色々気にしてるようだし、少しでも気を楽に出来る時間が増えるならそれに越したことはない。俺としても出来るだけのことはしてやりたいけど、その出来ることにもやっぱり限度はあるわけで……

「……もっと力になってやりたいんだけど、なぁ」

 何となしに自分の手を見下ろしながらの声も小さくなる。あちこち剣ダコや切り傷だらけの、けれどどうしたって子供のものでしかない、小さな手。兄貴やセイロン、イオスたちのそれとは違う自分の手を何をするでもなく眺めるうちに思い出していたのは、さっきまでの苦みと、つい昨日あったばかりの出来事だった。

 

「だけど、本当にそれでいいのか?任務もあるのに俺たちの手助けをしてくれるだなんて」

 カウンターの中から躊躇いながらに返した俺に、食後のコーヒーを傾けていたイオスは悠然と、並んで座っていたアルバは朗らかに言い切った。

「構わない。昨晩も言ったとおりだが、きみたちの状況を鑑みるに僕らの任務とまったくの無関係とも言い切れないからな。アルバを襲った暗殺者と、昨日の無色の連中。そいつらが同じ一味かは分からないが、何らかの繋がりはあると見た方が自然だろう。巡りの大樹騎士団としても僕個人としてもここで手を引く理由はないな」

「おいらもかまやしないよ。任務も大切だけど、それを理由にして困ってる君たちを放っておくことなんて出来ない。ルヴァイド隊長やイオス副隊長の言葉がなくってもきっと、そう決めてたよ」

 大道都市タラントに旅立って一週間、再びトレイユの町にやってきたイオスは最初から俺たちに力を貸してくれるつもりだったらしい。昨日俺たちが相手をした無色の連中とはまた別の犯罪者連中……アルバも襲われた紅き手袋の奴らがどうもこの頃タラント周辺をうろついてるそうで、その目撃情報が多かったカルセド峠の調査も兼ねて早々に舞い戻ってきたんだとか。物騒な連中が何を狙っているかは知らないが、警戒が高まっているタラントでは関所の手続きも一時的に厳しくなっていて、大商隊なんかも手形や身元の照会に留め置かれる時間が延びているそうだ。それで空いた時間の分、商品の仕入れや新規販路の開拓に近隣の町村まで足を延ばす人間が増えているのだと聞いて、今更ながらに数日前の門前の広場の混みようが腑に落ちた。なるほど、そういった理由で……にしても本当ならただの視察の旅だったのに、悪党どもの逃走ルートや拠点の調査にまで駆り出されるんだからイオスたちも大変だよな。だけど疑問はまだ残ってる。

「自由騎士団からの増援を待って、情報共有のためにタラントに残ったって体なんだよな?こっちに来てる間に伝令役とかが来ることはねーのか?」

 ルヴァイドがイオスに命じたのは、聖王国にいる騎士団との情報共有のために大道都市タラントに残ることだったはずだ。時々様子を見に来るとは聞いてたけど、それなりの割合でこっちに滞在するとなれば話が大分変わってくる。あくまで任務のついでに俺たちの手助けをしてくれるはずが、うっかり聖王国からの伝令役と行き違ったりするようなことあれば本末転倒、それこそ大事な任務に支障が出ちまったりするんじゃねーだろうか……?同じ心配をしていたルシアンと一緒にハラハラしながら聞いた俺だったけど、当のイオスは涼しい顔をしてなんてことないように言ってのけた。

「これくらいは了解される解釈の範疇さ。情報収集のための数日、拠点を離れるくらいは裁量の内だよ」

「うわっ、案外したたかね……」

 定期的にタラントに戻る必要はあるけどね、としれっと付け加えるイオスに恐れをなしたように呟くリシェルの横でアルバが苦笑をこぼしている。足の具合はともかく本調子にはまだ遠かったアルバだけど、最終的に参戦の許可を出したのがイオス自身ということもあってか、案外お咎めはなかったようだ。むしろあの時の敵の戦力やアルバ自身の力量、仮に一人で加勢した時の影響だとかを冷静に勘案した上で援軍を呼びに走った判断力は滅多にないお褒めの言葉まで貰ったらしい。気を抜けば緩みそうになる頬を慌てて引き締め直すアルバの姿を今朝から何度見たものか。怪我のことで焦るアルバをとりわけ気に掛けていた兄貴が笑みを浮かべて、良かったな、とばかり満足げに頷いている様子に俺も温かい気持ちになっていると、また別の方向から声が聞こえてきた。

「で、シンゲンさんはこのまま力を貸してくれるということで……いいんですか?」

「ええ、用心棒の仕事もまだ終わっていませんし。どのみち、路銀を稼がねば旅を続けられない有様なものでして」

 四人掛けのテーブル席の方では、お心遣い感謝です、とミント姉ちゃんの確認を受けたシンゲンがお茶を啜りながらにこやかに返している。ナチねぇの依頼もあってもう数日滞在する予定のシンゲンだったけど、昨日みたいなことがまたないとも限らない。何なら契約破棄でも構わないと昨晩のうちにナチねぇから申し入れがあったようだけど、意外なことにシンゲンの返事は決まっていたようだ。

「これも乗り掛かった船、くだらないちゃんばら芸も使い道ひとつで変わるもの。どうせ捨てられぬならよろしく使ってやるのが利口なもんです。どのみち、好き嫌いだけでは世の中渡っていけませんしねぇ」

 したいけど出来ない、出来るけどしたくない。そういったことに妥協しながら落とし所を探っていくのが大人なのかもしれないけど、言うは易し行うは難し、シンゲンみたいに割り切るのは中々難しいんじゃないだろうか?確かに確かに、とお茶のお代わりを注ぎ回りながらポムニットさんが頷いて、大人なんですね、と複雑な表情のミント姉ちゃんが曖昧な相槌を打った。厨房で氷を補充していたナチねぇも困ったような微笑を浮かべるけれど、そのまま微妙に重くなりそうな空気を打ち破ってくれたのもシンゲンだった。

「芸人は汚れてなんぼですからねぇ、あっははは♪それにここに滞在中はご主人が真っ白なご飯を振舞ってくれるそうですし?ええ、ええ、自分としては一向に構いませんともっ!」

「魂胆みえみえ……」

 あっけらかんと笑って目配せを寄越すシンゲンに呆れ返った様子のコーラルがお盆を抱えて呟くと、こいつはどうにも手厳しいっ、といよいよ声高らかに笑って三味線をかき鳴らしてみせる。そのおちゃらけ具合には呆れ笑いも誘われてしまうけど、まあ、これでひとまずは一件落着かな。心強い味方が一気に増えたんだしまずは一安心ってところだろうと、嬉しそうに話を締めたルシアンと笑みを交わした矢先だった。

「でも、それだけじゃ足りませんわ」

「リビエル?」

 神妙な顔のリビエルが食堂に入って来るなり、俺たち全員を見渡して厳かな声を放ったのは。

「皆さん、あちらに集まって下さいな。先代の遺産を利用して、これからこの建物に結界を張ります」

 それがどういう意味なのか。御使い同士で一体、どんな遣り取りを重ねた上での宣言だったのか。何も分からないまま裏庭まで移動したものの、リビエルたちがどれだけ昨日の事態を重く受け止めていたのか、実感することになったのはすぐだった。

「三種の遺物に宿りし偉大なる竜の息吹よ。大いなるその力よ。御使いの声へと応え、汝の後に続く者を守る城壁となりたまえ……。天地万象……星命流転……百邪万精……破邪龍声……、至竜の名において、疾く、為し給え!!」

 三者三様の真剣な声が響いていたのは数十秒にも満たなかったはずだ。それでも低く高く重なる声での詠唱が終わる頃には俺でも分かるほどの魔力が場に満ちていた。そして、勢いよくリビエルたちの声が響いたと同時、急に目の前で強い光が弾ける。アプセットの目くらましとはまた違う、強いていうならコーラルの卵が割れた時みたいな明るくて真っ白な光が目蓋の上から突き刺さって、けれどそれも一瞬で収まって。一体何がどうなったのか……恐る恐る薄目を開けた俺は思わず声に出して呟いていた。

「……終わり、か?」

「……別に、何も変わってないみたいだけど?」

 ルシアンがまさに心の声を代弁してくれる形になったけど、見える限りその場に目立った変化はなかった。きょろきょろ周囲を見回してしまっても、いつもどおり見慣れた裏庭の景色でしかない。ああ、いや、だけどこの感じ……?ふと思い立ってリシェルたち召喚師の皆を見てみれば、感心したような驚いたような、それぞれ何とも言えない表情を浮かべていることに気付いた。

「当然だ、目には見えないものだからな」

「うん、見えないけど魔力が張り詰めている感じは分かるよ」

「この結界は御子様に向けられた悪意に反応するの。該当する人物は結界の内部には侵入出来なくなるし、近付いただけでも反応して私たちに警告をしてくれるわ」

 淡々としたアロエリの声に納得いったようにミント姉ちゃんが相槌を打てば、ほっとしたように虚空を見上げていたリビエルが補足するように言葉を続けた。見えないし触れもしないけど、今もすぐそこに結界が張られているってわけか……魔力を見て取れないイオスやアルバたちもリビエルの説明を聞いて口々に感心したような声をこぼす。

「不意打ちや騙し討ちを防ぐ効果があるっていうことだな」

「とはいえ、誰に反応したかまでは分からないわけだ。不特定多数の人間が訪れている場面では、結界が反応した相手を特定するまでに些か時間が要るか」

「あー、となると暫くカフェタイムは無しだな」

 真剣な声での遣り取りに、それなら、と俺も腕組みしながら頷いた。ランチタイムの他に最近はディナータイムやカフェタイムもやっていたけど、少なくともこの状況が改善するまでは休止しといた方が無難だろう。実質ウチの唯一の収入源であるランチタイムまではさすがに閉められないけど、ディナータイムは元々曜日限定、カフェタイムなんて余裕のある時に不定期でやっていただけだ。そこまでお客さんの入りが見込めるわけでもなかったし、数日休むくらいなら手痛い打撃ってほどでもない。それにもし怪しい奴が宿屋の敷地まで入ってきても真っ昼間なら見つけやすいだろうしな。

 さっきのシンゲンを真似るわけじゃないけど、現実的な落としどころを探るような気持ちでそんなふうに考えていたから、直後、俺は心底びっくりすることになった。

「今の我らではこんな気休め程度のことしか出来ぬが、それでも何もないよりはマシだろう」

「出来ることなら御子様には結界の中だけにいて欲しいが……無理ですか、やはり」

 見るからに沈痛な面持ちのセイロンが苦しげに呟いて、隣に立っていたアロエリも無言のコーラルと見つめ合うこと暫く、物憂げに目を伏せて深い息を落とす。その遣り取りを横目で眺めるリビエルもきゅっと悔しそうに唇を噛みしめていて、こんな事態になってしまったことを三人がどれだけ心苦しく思っているか、ありありと伝わってきたからだ。

「ならば外に出る時は我々か、店主をお供にして下さいませ。窮屈でしょうが御身のためです」

 少しだけ真剣な顔をしたセイロンが言えば、コーラルは不満げな顔すらせずに小さく頷いた。聞き分けの良すぎる様子にやるせない気持ちになるのはいつものことだけど、不自然なほど俺の方を見ないセイロンにやっぱり昨日のことを引きずっているのだと感じて、何だかひどく胸が苦しくなった。

 自分たちのせいであんな事態を招いてしまった、詫びのしようもないことだと言いながら、それでももう少しだけここに留まらせて欲しいと頭を下げたセイロンがどれだけの思いでその頼みを口にしたのか。どれだけの心苦しさ、申し訳なさを堪えて、あんなふうに懇願してきたのか。少しは分かったつもりでいたけれど、そんなんじゃ全然足りなかったんだな……お前らはもう俺の身内も同然なんだって、だから気にしないでくれって伝えたつもりでいたけど、そんな言葉くらいじゃ気休めにも慰めにもならないくらいセイロンは、御使いの皆は、昨日の出来事を気に病んで引きずったままなんだ。

 俺やポムニットさんがどれだけ気にしなくっていいと言ったところで、はいそうですか、なんて割り切れはしないんだろう。自分たちが厄介事を持ち込んだ当事者であると同時、どこにも行き場のない身の上だと自覚があるからこその負い目に引け目。こうして話している間もそうしたものに苛まれていることがはっきり分かって、ならやっぱり、このままじゃいけないだろうと強く思った。

「守りの方はこれでいいとして、だ。ただ襲撃に備えるだけじゃジリ貧だよな……」

「やはり最後の御使い、クラウレさんとやらを見つけませんと」

 兄貴やポムニットさんの言うとおりだ。このまま後手に回り続けていても先はない。一刻も早くクラウレを見つけないことには手詰まりな現状、便りがないのは元気な証拠だなんて悠長なこと言ってられない。ルシアンが不安に思ったように、もしかすると既に敵に捕まってしまってる可能性だってあるのだ。

「そんなハズはないっ!兄者は屈強な戦士だ、不覚を取ることなど有り得ないっ!!」

「けど、それならなんで一向に姿を現そうとしないワケ?随分と時間だって経ってるじゃないの」

「それは……」  

 声を荒げて食って掛かったアロエリも、直球すぎるリシェルの疑問を受けて言い淀んでしまった時点でその内心は透けていた。そして多分、胸に不安の影が色濃く渦巻いているのはアロエリだけじゃない。それを察してしまったから、俺はあえて強気な口調で言い切った。

「ぐだぐだ言ってても仕方ねーだろ。待っていても来ないんだったら捜しに行くだけのことだし、捕まってんなら助け出せばいいんだ。そうだろ?」

 いくら考えても埒が明かない時はとにかく動くっきゃない。言葉だけじゃ安心して貰えないのなら行動で示すしかないように、がむしゃらにでも出来ることをしているうちに何かが変わることもあるはずだ。何より、やれることがまだ残っているのに勝手に膨らんだ不安に負けたり挫けたりしてるようじゃ、せっかく力を貸してくれた人たちに面目次第もないってもんだろう。

「ともあれ、町の外を本格的に捜してみる必要はあるだろう」

「よし、皆の都合と準備が出来次第……そうだな、遅くても数日以内には出発しよう!」

 とは言っても、さすがに昨日の今日で遠出するわけにはいかないし、イオスやシンゲンとの連携の取り方も少しは確認しておかないと。町の外に出るとなると敵に見つかる可能性も跳ね上がるし、出来たらシャオメイの店でいくらか鍛錬を積んでいきたいところだな。昨晩はそれぞれの事情や経緯を話すので精一杯でとても細かい話をする余裕はなかったし、あれから何があったとかミニスとどんな話をしただとか、イオスにはとりわけ話したいことがある。いっそ今日は午後から無限回廊に向かわないか、この場で皆に提案してみるか!

 そんなふうに少しでも前向きに動こうとしていたのに、水を差すような出来事が起きたのはたった数時間後のことだった。

 

「ああ、ナチさん!どうか、僕の想いを受け取って頂けませんかっ?」

 ランチタイムのピークを過ぎて大分お客さんも捌けてきた頃、そいつはいきなりやってきた。この日も午前中からお客さんがひっきりなしで忙しいことは忙しかったけど、ナチねぇやコーラルの手伝いで十分回るぐらいだったから、セイロンたちには自由に過ごして貰っていた。それがどうやら凶と出たらしい。聞き覚えのあるやたら浮かれ調子の声が響いて、いらっしゃいませと続くはずだったナチねぇの声が不自然に途切れると同時、俺はパスタをよそっていた手を止めて厨房から飛び出していた。

「おい、あんたまたかよ!?」

「何かと思えばまた君か……やれやれ、前にも言っただろう?子供が大人の話に首を突っ込むものではないと」

 店に入ってすぐのところで勢いよくナチねぇに花束を差し出していた男がいかにも鼻白んだ様子でこっちを一瞥する。グラッドの兄貴と同じか少し若いくらいの、そいつの相手をするのは残念ながら初めてでもなかった。イオスやシンゲン、コーラルたちは知らなくて当然だけど、トレイユの町に暮らしていれば一度はこいつの噂を耳にする。旧街道沿いの町村を行商して回っているこの男、その仕事ぶりよりも異様な惚れっぽさと熱の上げ方で、何よりろくでもないナンパ野郎として町中知られている奴なのだ。

「これでも店長なんで。ウチの従業員にそうちょっかい出されると困るんスよね……それにお客さん、商店街の店でも似たようなことして出禁食らったって聞いてますけど?」

「うぐっ……生意気なことを!」

 図星を指された恥ずかしさにか、顔を真っ赤にして声を荒げているけど、何とも迷惑極まることにこいつが今ご執心なのはナチねぇだ。トレイユに立ち寄るたびに手を変え品を変え少しでも気を惹こうと躍起になっているけど、何度断ってもしつこく迫られて心の距離が遠く開いたナチねぇの方はもはや顔を見ただけで逃げ腰だ。怯えていると言ってもいい。ただでさえ男が苦手だってのに、言葉が通じるようでまるで話の通じない相手にこうもぐいぐい来られたら……そりゃあビビっちまうのも仕方ないよな。実際、ナチねぇの前に言い寄られていたミント姉ちゃんもあの時はすっかり参っちまっていた。何を言っても自分に都合の良いよう変換して言い寄ってくる、大して親しくもない相手だなんて扱いに困って当然だ。兄貴もリシェルも鬼気迫る形相で見つけるたびに追い払っていたけど、ほとほと弱り切った様子で溜め息をこぼすばかりのミント姉ちゃんを見ていられなかったのはナチねぇもだった。これ以上付き纏うのを止めるよう、ある日ミント姉ちゃんを背中に庇いながら厳しく言ってのけたんだけど……なんて友人思いな方なんだ、その凛々しさに胸を打たれただとか何とか言って、まさかその場で最悪の鞍替えを決められちまうとはなぁ。

「あのっ……本当に、止めて下さい……!何度言われても、貴方のお気持ちには応えられません。ですから、っどうかお引き取りを……!」

「ああ、そんな恥ずかしがり屋なところも愛らしい……大丈夫、ちゃんと分かってますよ。ナチさんは本当は僕のことが大好きなんだって!」

 その話を知った時の俺やリシェル、兄貴たちの反応なんて言うまでもないだろう。驚愕と憤怒と混乱に声を荒げながら矢継ぎ早の遣り取りを交わすも束の間、ふざけんな、という全会一致の結論に達するのは早かった。普段ナチねぇと距離のあるリシェルだってこいつが絡むと話が別だ。お釣りを渡そうとしたナチねぇの手をいきなり両手で握り込んだり、それで完全に固まっちまったナチねぇの姿を見たことがあるからだろう。いつの間にか食堂から姿を消していた幼馴染にきっと兄貴を呼びに行ってくれたんだと確信を抱きつつ、俺はずいと身を乗り出して二人を遮るように割り込んだ。

「何度も悪いんだけどさ……他のお客様の迷惑になりますので、どうか速やかにご退出を!」

「はぁ……だから邪魔をしないでくれよ。ほら、今いいところなんだから」

 こっちが下手に出てりゃいい気になって、よくもまあ好き勝手言ってくれる……ナチねぇの手を引いたコーラルが、今のうち、と小声で後ろに下がるよう促しているのを視界の端に、こめかみの辺りがピキピキいっている感覚を必死に宥める。比べてつくづく頼りになるもんだなぁ、ウチのコーラルは。ナチねぇの方も驚きと安堵の交じったような声で、コーラルちゃん、と小さく呟くのが聞こえたけれど、生まれて間もないコーラルから見たって脈があるようには到底見えないこの状況がこいつの目には一体どう映っているんだろう。一応はお客さんだから、と今この瞬間も我慢に我慢を重ねている俺の内心など露も知らずに虫でも払うような素振りをした男へと、ついに何かが切れるような音がした。

「……なあ。いい加減にしてくんねえと」

「失礼」

 無意識に一歩、身体が前に出た時だ。怒りで狭まっていた視界を一掃するように白いマントがはためいて、瞠目する俺の頭ふたつ分は高いところから落ち着き払った声が響いた。

「女性に無体を強いるような真似は軽々にすべきでない、と忠告させて貰おうか。痛い目を見たくないのならなおさらね」

 その日の午前中、宿屋までの荒れた道のりをアルバと一緒に整えてくれていたイオスが目の前に立っていた。入り口から一番遠い壁際の席に座っていたはずなのに、いつの間にこれだけの距離を詰めたんだろう。足音や気配も感じなかったと唖然としていれば、同じくいきなり現れたイオスに気圧されたように目を見張っていた男がはっとしたように息を吸い込んだ。

「は、君、いきなり出てきて何を……」

 毅然とした面持ちのイオスに厳しい眼差しを突き付けられて、大いに狼狽えながらもどうにか立て直そうとした男の努力は、けれど実ることはなかった。

「僕は彼女の友人でね。個人の付き合いに余計な口を差し挟むものではないと静観していたが、さすがにこれ以上は目に余る。あまり過ぎた真似をするようであればこちらにも考えがある……そう言ってるんだ」

 静かな口調で告げたイオスがどんな顔をしていたのか、後ろに庇われていた俺には分からない。だけど、男の顔が見る見るうちに引き攣っていくのはよく見えた。そして、一拍遅れて耳に馴染みしかない血気盛んな声が聞こえてくる。

「ほらっ、急いでってば!性懲りもなくまた来たのよ、あいつっ!?」

「分かった、分かったからちょっと待て、少しは息を整え……」

 息を切らしながら坂道を上ってくる兄貴と、その背中を蹴っ飛ばす勢いで活を入れているリシェル。二人の姿が目に入ったのは男も同じだったんだろう。トレイユの町で駐在軍人をしている兄貴からもこいつは要注意人物として目を付けられている。これまでも何度かお咎めを食らっている事実を思い出してか、凍り付いたように固まっていたのから一転、我に返ったそいつの動きは早かった。

「ひっ、日を改めてまた伺います!それではまたっ!」

 そう言って、店に入るところだった兄貴たちを押し退けながら物凄い勢いで逃げ去っていく。おい待て、と怒号を上げながらすかさず跳ね起きて追い掛ける兄貴だったけど、その首尾はすぐに怒り心頭で戻ってきたことで知れた。

「くっそぉ……またしてもか!ライ!今のうちに塩撒いとけ、塩!」

 顎を伝う汗を拭いながら悔しげな舌打ちをこぼしているけど、兄貴の登場で食堂にいたお客さんたちの緊張が一気に緩んだことには気付いていないらしい。日々町の平和を守っているグラッド兄ちゃんの存在は町の人たちにとって安心と密接に結び付いているものだ。場の空気が見るからに緩んで、さっきまで息苦しい静寂が張り詰めていた食堂に少しずつ、談笑や雑談の声が戻ってくる。

「本当、女の敵ってああいうのを言うのよねぇ。どうしようかしら、次は私に惚れちゃったりなんかしたら?」

「まあ、想像するだけなら自由ですし」

 リビエルの冷淡な返しを受けてリシェルが一気に眉を吊り上げるのを横目に、俺はやっと落ち着いてきた息を吐き出し大きく胸を撫で下ろした。

 イオスが前に出てくれなかったら、俺は、何をするつもりだっただろう?

 お客さんが大勢いる前だったってのに拳の形に握り締めていた手をゆっくりと解いて、腰の横へとさりげなく下ろした。どきどきとまだ早鐘を打っているような心臓から目を逸らして、ひとまず礼を言おうと顔を上げる。

「悪ぃ。さっきはありがとな、イオス」

「まったく、店が盛況なのはいいが招かれざる客まで来るとはな。悪意よりも好意の方が厄介とは皮肉なものだ」

 何事もなかったかのように食事の席に戻っていくイオスの姿に、どうも気遣いじゃなく本音での言葉らしいと察してこぼれかけた苦笑を飲んだ。気にするな、と言われても気にしちまってたところだけど、こんなの騒ぎ立てるほどでもないと言わんばかりの態度にいい意味で肩の力が抜けてしまう。それなら次は、と探すまでもなく近くにいたナチねぇに駆け寄って、俺は早口に尋ねた。

「大丈夫だったかよ、ナチねぇ?」

「うん、おかげさまでね。このとおり、素敵な騎士様もいてくれたから」

 ちらりと目配せするように微笑んだナチねぇに、隣に座っていたコーラルが心なし胸を張って鼻を鳴らす。

「当然……かと」

 どこか誇らしげなすまし顔に何だか胸がいっぱいになるような心地になって、堪らず小さな頭を抱き寄せてぐりぐりと撫でてやる。今やホールの主戦力となった実力をこんなところでも発揮してくれるとはな……あんまり頼もしい成長ぶりを見せつけられて親としては感動と情けなさの入り混じった心境になりつつ、改めてコーラルに感謝の言葉を伝えた俺はナチねぇへと視線を戻した。

「あのさ、あいつがいつまで滞在する気か知らねえけど、ナチねぇも無理しなくっていいからな?食堂の手伝いもだけど、ガゼルの散歩とか商店街への買い出しとか、そんなの全然こっちでやるし。他にも出来ることがあるなら俺、何でもするからさ。……言うだけでも言ってくれよな?」

 人前に出なければあいつに絡まれることも早々ないだろう。根本的な解決にはならないけど、差し当たっての対策としてはそう悪くはないはずだ。もっとバシッと一発で解決できれば格好も付くんだけど、と眉を曇らせながらごにょごにょと言えば、きょとんとしていたナチねぇがふっと気の抜けた笑みをこぼして表情を和らげた。

「ふふ、そんなふうに気遣われると何だか照れちゃうな?ありがとう、ライ君。コーラルちゃん。さっきはまるで物語の王子様……ううん、主人公みたいで十分格好良かったよ」

 イオス君もありがとう、と首を傾げるようにして笑い掛けたナチねぇに、お前な、とパスタを巻いていたイオスが片眉を跳ね上げてフォークを置いた。アルバに説教する時みたいな厳しい目を向けられて、あちゃあとでも言いたげな、それでいてどこか楽しげな笑みを浮かべたナチねぇだけど、思ってもないものに例えられた驚きと衝撃で俺は呆気に取られてしまっていた。

 主人公って……俺が?王子様も大概だけど、ナチねぇの目には本気でどう映ってるんだろう。一日も早く自立した大人になりたくて奮闘してるのは事実だけど、色んな人に迷惑や面倒を掛けながら悪戦苦闘している姿はどう考えたって格好いいとは正反対なはずだ。主人公らしくスパッと気持ちよく問題事を解決するってことなら、それこそ俺なんかより……

「ナチ、お前もお前だ。ああした手合いをまともに相手するんじゃない。下手に増長させれば手に負えなくなると知っているだろう」

「あはは、イオス君のお説教も久しぶりですねぇ。相変わらず耳に痛い……」

 困ったように眉を下げながらも心地よさそうに小言を浴びるナチねぇと、その様子にいよいよ眉を吊り上げていくイオス。見るからに気心知れた様子の二人を眺めながら、思ってしまう。

 色々あって男が駄目になったナチねぇのことをイオスも知っていた。だけど実際にその様子を見るのは初めてだったはずなのに、さっき、イオスは一切動じず戸惑わなかった。ナチねぇもそんなイオス相手には変に気が引けることもなく、すっかりいつもどおりの対応だ。そつなくスマートに問題を解決して、怯えていたはずの相手も安心させて……主人公みたいな、と言うならそれはイオスの方だろう。凄んだだけで相手を退かせることはもちろん、何を言ってもガキの戯言扱いで、まともに取り合っても貰えなかった俺とは比べ物にすらならない。

 俺なんて結局、何もしてやれなかったのに。

 そんなふうに思った途端、ずん、と音を立てて胸に鉛が沈むような心地がした。

「……あーっと、料理に戻らないと!」

 不快な感覚から咄嗟に目を逸らして、わざとらしく声を張る。

 まだ注文分を作り終えてなかったし、兄貴やリシェルの奴にも何かお礼をしたいところだ。午後からの予定を思えばあまり悠長にはしていられないし、余計な邪魔が入った分も急がなくっちゃ!

 そうやってほんの少しの雑念も入り込めなくなるくらい、やるべきことを片っ端から数え上げつつ厨房へと駆け込んだ。そんなことで誤魔化せるものじゃないと分かっていたけど、悪足掻きをせずにはいられなかった。痛みにも苦みにも似た重苦しい気配の正体が、俺には出来ないことが出来てしまう相手への情けない嫉妬、イオスみたいに頼りになる大人へのみっともない劣等感でしかないなんて、本当は最初から分かっていた。

 

 それでも、イオスのことは決して嫌いってわけじゃない。尊敬できる身近な大人って意味じゃむしろ、セクター先生みたいにちょっと憧れてすらいるくらいだ。女みたいに綺麗な顔をした兄ちゃんなんていう第一印象からは随分遠くなっちまったけど、冷静沈着に見えて苛烈で容赦のない戦いぶりも、責任感が強くて真面目だからの厳しい物言いも、実のところ俺としては好ましいばかりだった。

 どんなに耳に痛くたってイオスの言葉は信頼できる。言わないことも言えないこともあるんだろうけど、子供騙しの嘘や誤魔化しで大事な話から遠ざけたり、こっちを蔑ろにすることはないって信じられる。俺みたいな子供相手に頭を下げて正面切って礼を告げてきた時点で、自分で思うよりずっとイオスに対する好感度は高かったんだろう。だからまあ、何だかんだと思うところがあってもイオスにあれこれ打ち明けるのに迷うところはなかったし……

「お前もつくづく厄介事に巻き込まれるな……」

 ひとしきり話し終えたところで呆れ返ったようなイオスに労りの視線としみじみした声を掛けられても、こそばゆいような気分でしかないのが自分でも少しおかしかった。

 予定どおりに午後、シャオメイの店に足を運んで無限回廊を潜っていた時のことだ。第一階層から二階層へと試練場を進んで暫く、休憩に入ったところで俺はいの一番にイオスに話し掛けに行った。話したくてたまらなかった話が山ほどあるのだ。身体を動かしたことでの心地いい疲労と高揚感もあって、口は滑らかすぎるくらいに動いた。

「そうか、ミニスの奴が……他にその話を知っている奴はまだいないんだな?なら、僕からも改めて頼む。あいつが僕たちと同じデグレア側だった事実はまだ伏せていて欲しい。少なくともあいつが自分の口で語ろうとするまでは」

「そうだよな……うん、俺もそのつもりだよ」

 この間はたまたま都合があったセイロンたち御使い組とリシェルにルシアンしか一緒に来れなかったから、今日は皆にもシャオメイと無限回廊のことを紹介するつもりでやってきた。なにせこの場所、町の外まで出なくても人目を気にせず思いっきり戦える上、出てくる奴らは強者揃いで変に加減したり遠慮する必要もなく、おまけに時間の流れも緩やかと来ている。敵の連中にバレないよう秘密の特訓をするにはまさに打ってつけ、こうもお誂え向きな場所もないだろう。常識外れにぶっ飛んだ場所っていうのも確かだから、前みたいに呆気に取られたり感心したように息を呑む顔ぶれがずらりと並んじまったけど……意外だったのはイオスとナチねぇの反応だろうか。荘厳たる威容の大階段を前にイオスはちょっと眉根を寄せて押し黙り、ナチねぇは少し目を見張ってから苦笑交じりに目を伏せた。その様子を見たシャオメイもしーっと唇に人差し指を押し当てて微笑んでいたし、ひょっとすると前にも来たことがあったのかな?セイロンもこないだシャオメイに意味ありげな視線を送っていたし、案外世間は狭いのかもしれない。ともあれ目下の課題はそれぞれの実力と連携を高めることだし、深掘りすることでもないだろう。そう結論付けて目の前の敵に集中してからは余計なことを考える暇もなかったし、イオスに話すだけ話したせいか、気が付けばスッキリした気分になっていた。

「ナチねぇってさ、色々話してくれる割に黙ってることも多いんだよな。気付いたら一人で危ないことに首突っ込んでるし、何かと不調も隠しがちだし。ミニスもイオスも心配性だなって思ってたけど、何だかそれも分かる気がするよ」

「それは、否定出来ないな。普段はやたら聞き分けがいいくせ、ここぞという時に勝手な判断で無茶をするのが僕の知るあいつだったから……確かに少し、口喧し過ぎたか?」

 新たに戦列に加わってくれたイオスやアルバ、シンゲンとの連携や戦い方のクセを掴むのに意識を向けていたのもあって、イオスがナチねぇと何か話している様子も何度か見た。いい加減別の杖にしろ、とかも言ってたけど、随分年季が入っていると思っていたナチねぇの杖は昔イオスに貰ったものだったらしい。思い出の品ですし、とにこやかに返すナチねぇに、ただの既製品だろうが、と呆れ顔を浮かべていたけど、ナチねぇがその杖を愛用しているのは本当のことだ。気が利くとは前から思っていたけど、イオスは相手の好みとか拘りとかを見抜くのが上手いんだろうな。そういった意味じゃ、イオスが得意にしている敵の攻撃に先んじて反撃を食らわす技……先制っていうんだろうか?あれも相手をよく観察していないと出来ないもんだろう。対峙する相手をよく見て、その動きを予測して、相手の武器が届くよりも早く反射で攻撃を叩き込む。無駄なく華麗なその技が気になったんだろう、抉るような拳を敵に叩き込みながらイオスに熱い視線を送っていたコーラルを思い出して、吐く息だけでちょっと笑った。

 先制そのものはともかく、次の稽古ではああいった返し技をするのに必要な体さばきも教えてやるか。基本の型と動作を入れてからと思っていたけど、流れるような足さばきや体さばきが身に付いているかどうかで技の習得し易さは全然違ってくるからな。

「ここだけの話、イオスはそのままでいいと思うぜ?ナチねぇが無茶をするってのは正直、そのとおりだし。杖にローブなんて薄っぺらな装備でさっきも前線ギリギリまで突っ込んでただろ?」

 召喚師としては抜群に身軽で立ち回りも上手いナチねぇだけど、だからと言って前衛に出るなんてのは土台無理な話だ。左の足首に捻挫ぐせがあるようでちょっと跳んだり走ったりするのでも挫きやすいのに、日常生活とは桁違いの運動量になる戦闘の、それも前衛の負担になんて耐えられるはずがない。なのに当人はどうも楽観的というか、少しの無理なら利くからと気にせず動き回ってくれるから地味に困りものなのだ。ポムニットさんを庇いながら召喚術を使っていた昨日のことはさておいても、いくらか奥まったところにいた複数相手に召喚術を落としたかったんだろう、さっきも槍やら大剣やらを構えた敵兵の間合いスレスレまで単身踏み込んでいったのには肝が冷えた。

「むむむ……気持ちは分かるところね。固まってるのを召喚術で一気に蹴散らすと気持ちいいんだもん」

 見事に敵をまとめて落とした後、イオスから容赦ない叱声を浴びて身を縮めるナチねぇを見ながらうんうん訳知り顔をしていたリシェルだけど……お前もさっきそれで一発退場を食らったばかりだろうが。子供か、とがっくり肩を落として溜め息を吐くイオスに曖昧な苦笑を返しつつ、俺はあぐらをかいた膝の上で緩く頬杖を付いた。

「一応、さっきのは無茶っていうか……ちょっと楽しくなっちゃって、つい?の範疇なんだろうけどさ。でも本当、そういうとこは子供みたいで心配になっちまうよな」 

 今更フォローになるかは分からないけど、テンションが上がってはしゃいじまってるリシェルやナチねぇの気持ちも分からなくはない。負けたらコーラルを連れてかれちまう普段の戦いと違って、ここでの戦いはそういうプレッシャーや責任から解放されてるし、試練場って言うだけあって多少怪我する危険はあっても命まで取られる心配はない。相手をする奴らも少しでも強くなるため、今の限界を超えるために立ってるって意味じゃ、同じ志の連中だ。肌にびりびり来るような敵意や戦意はぶつけられても粘っこい悪意や害意なんかは微塵もないし、気持ちが軽くなるのもよく分かる。かく言う俺も皆の動きや戦い方……ちょっとした小技や返し技を使う様子についわくわくしては見入りがちだし、あんま言えたことじゃないんだけどさ。

 にしても、さっきイオスがやったのは格好よかったよな……間合いに入った敵を押し返すなり、くるんと回転させた槍の柄尻で床を突いて、来い、と鋭く声を張って。まさか戦いながらサモナイト石に魔力を注いでたのか、一呼吸の間に攻撃力を上げる憑依召喚を自分に掛けて猛然と駆け出すんだからあれには痺れたぜ。そんなに召喚術の素質がない俺でも真似出来そうってのもあるけど、あんな揺らぎない声で呼ばれたら召喚された奴もそりゃ力を貸したくなるよなぁ。

「確かに一人で動きがちだよね、ナチさん」

 宙に浮かんだナックルキティ似の召喚獣を思い出しつつそんなことを話していたら、ふふ、と笑い声がした。顔を上げてみれば、ちょっと離れたところにいたミント姉ちゃんが斜めに揃えた膝の上で頬杖を突いている。階段上方でセイロンたちと話し込んでいるナチねぇを横目で見て僅かに笑みを深めたミント姉ちゃんへと、気負いなくイオスが返した。

「貴方から見てもそうか?」

「ええ。戦いでもそうでなくても、一人で何とかなるって思ったらナチさん、黙って動いちゃうところがあるんです。出来たらもっと頼って欲しいんですけどね……」

 あの男のことで感じなくてもいい心苦しさを感じてるんだろう、このところ言葉少なだったミント姉ちゃんが苦笑交じりにイオスと話す様子をちょっとだけ意外に思う。アルバのことで接する機会は多かったものの、人見知りの気がある姉ちゃんにしてはやけに早くイオスに慣れたように感じたからだ。そんな疑問が透けていたのか、ミント姉ちゃんは何とも言えない笑みを浮かべてみせた。

「会うのはこないだが初めてなんだけどね、イオスさんのことは前に先輩に聞いたことがあったから」

「ああ。前に遊びに来た、やたら元気なメガネのねーちゃんだな?」

 ミニスちゃんともその時に面識があったんだ、と続けるミント姉ちゃんに納得して返すも、どうしてかその表情は浮かないままだ。イオスと揃って訝しむような顔をしてしまえば、実はね、と困り笑いを浮かべたミント姉ちゃんは声を潜めて言った。

「ナチさんの事情もその時に少し聞いたの。名前を出したわけじゃないけど、同じトレイユの町に召喚師の人がいて、その人と仲良くなりたいって思ってるんですって相談したらね……」

 相手が同い年くらいの女性で、メイトルパとサプレスの召喚術に通じていること。特にサプレスに造詣が深く、金の派閥から仕事も請け負っているようであること。そこまで話したところで、ふんふんと興味深げに相槌を打っていたミモザねーちゃんの様子が変わったのだと言う。

「ふーん、そっかそっかぁ……ねぇ、ミントちゃん?それって他にも誰か話しちゃったりした?そうじゃないならここだけの話にしておいてくれないかな?」

 疑問符を浮かべたミント姉ちゃんに眼鏡の奥の瞳を細めながら、ミモザねーちゃんはこう続けたそうだ。その子はおそらくミモザねーちゃんとも交流のあった蒼の派閥側の人間で、けれど今はワケあって所在すら掴めなくなっていた相手であること。どうして金の派閥寄りになってるかは想像が付かなくもないけれど、それもまた易々と語れる話ではないこと。確かに言えることがあるとすれば、本気でその子と仲良くなりたいなら、知りたいと思うのなら、自分の話をしてもいいと思って貰えるくらい信頼と交流を積み重ねていくのが一番の近道であること。

「派閥間を移ること自体、滅多に聞かないから薄々想像はしていたけど……その時思ったの。ナチさんが置かれている状況はそれだけ厳しいものなんだって。ミモザ先輩みたいに気遣ってくれる、親しかった相手にも事情を打ち明けられないような、難しい立場にあるんだって。だからその分も助けになれるよう頑張ってたつもりだけど……結局、私の方が頼ってばかりで。ダメダメだね?」

「そんなことないさ。そうした気遣いのおかげで、少なくとも僕が知るあいつよりずっとマシになっていたよ」

 肩を竦めて力なく眉を下げて笑ったミント姉ちゃんに、だけどイオスはすかさず返した。

「でも……」

「他人のことは言えないが、あいつも合理的すぎるきらいがある。他人を頼らないのも結果論でしかなく、単にそうせずとも解決出来ること……仲間の手を煩わせずとも済む話だと、そう判断したからだろう。それは決して他人行儀な遠慮から来るものではないと僕は思うよ。貴方がたをそれだけ信頼し、好意を抱いているからこその選択だ」

 その上で、と目元を和らげたイオスが口角を不敵に持ち上げる。

「あいつが一人抱え込みがちなのは事実だからな。これ以上貴方がたを不安がらせて良しとするようなら、そのうち僕からお説教のひとつもくれてやるさ」

 最後は冗談めかして笑ってみせたけど、はたしてこれは本気なのか冗談なのか……どうとも判断しがたい表情のイオスにぽかんと口を開けていたミント姉ちゃんがぷっと噴き出すように笑って、釣られて俺も笑ってしまった。いきなりミント姉ちゃんを励ましたのにも驚いたけど、イオスの奴にこんな茶目っ気があるとは知らなかったな。それだけ気を許し始めてくれているのだと思えば何だか頬が緩むような気分で、けれどひとつ気になって尋ねた。

「マシになったって、どうしてそう思うんだ?」

 休憩の終わりを呼び掛ける兄貴の声に、皆が続々と立ち上がり始める。隣に立て掛けていた大剣を腰に下げ直すアルバの奥では、組んだ両手を思い切り上に突き上げてリシェルが伸びをしている。アロエリと何か話しながら階段奥に視線を向けているセイロンや、紫色のサモナイト石を手にリビエルと話し込んでいるナチねぇを見ながら言えば、ちらっと視線を動かしてイオスは答えた。

「昔からあいつは頼み事が下手だった。力を貸して欲しい、助けて欲しいと訴えるどころか、そうした悩みや困り事があることすら中々白状しなかったからな。だが今は自ら進んで助力を乞うようになったんだろう?それが仕事の話だとしてもだ」

 町の郊外にある農場までの用心棒。それか護衛の振り、あるいはお出かけの付添い。

 ナチねぇがシンゲンに頼んだ仕事のことを言ってるんだろう、イオスはまったくの自然体だった。本に書かれた文字を読み上げるような、極々当たり前のことを語るような淡々とした口振りでその考えを綴っていく。

「対価なりを提示した上で、という前提こそ付くが、これは大きな前進だ。他者に頼るという選択肢が増えた。それを選ぶことへの抵抗が薄れた。なら、本当にどうしようもない局面でまで無茶をすることはないだろうさ」

 ナチねぇのことを本当によく理解してるんだろう、その声は揺らぎない確信に満ちていた。ただ理解するだけじゃない。ナチねぇのことを思いやって寄り添って、押し付けがましくも素っ気なくもない好意を示している。だからこその衒いも気負いもない言葉に、俺は思わず感心してしまって。同時にどうしようもなく……負けたと思ってしまったのだ。

「はぁー……我ながらカッコわり」

 こんなの勝ち負けの話じゃないって分かってる。分かってるのにもやもやしたものを感じてしまう自分が情けなくて仕方なかったし、込み上げる苦い痛みも誤魔化せなかった。一度振り払ったと思ってもこうして事あるごとに胸を埋め尽くしていくもやもやは、まるで長雨の時の雲みたいだ。大人の余裕や貫禄ってものを見せつけられるたび、素直な憧れと苦い嫉妬がよぎるたび、じわりと胸に染み出して重苦しい気持ちを連れてくる。慣れた包丁でうっかり指を切ってしまった時の恥ずかしさやバツの悪さを何十倍にも膨らませたらこんな感じだろうか……そんな明後日のことまで考え出したところで、とにかく、と俺は強引に思考を断ち切った。

 イオスの言い方を真似るなら、少なくともこんなところでぐだぐだ時間を潰してるような場合じゃないはずだ。

 よし、とスッキリしない気分を振り払うように勢いよく立ち上がって、空になった食器を流しに置いた。そのまま財布をポケットに突っ込んで外に出る。こういう時は一人でいるもんじゃない。用事を片しながら誰かと話でもしよう……そう思ったんだけど、誰かしらいるだろうと覗いた店の裏手に人気はなかった。セイロンが井戸の近くで乾物作りをしてたり、木陰でコーラルがプニムやナチねぇと花を摘んでたり、少し木立に入ったところでルシアンが稽古をしていたり、いつもなら一人くらいはいるはずなのに今日はタイミングが悪かったらしい。お日様の光を浴びてはためく白いシーツを眺めて立ち尽くすこと暫く、それでもあそこなら……と期待を込めて水道橋公園に続く木立に踏み込んだ判断か正しかったのかどうか。その結果はすぐに見えてきた。

 

「やっほー♪」

 木漏れ日の道を抜けた先には案の定、こっちまで元気を貰うような溌溂とした笑みのアカネ姉ちゃんがいた。

「よう、アカネ。景気はどうだい?」

 こないだは門前の広場に店を出してたけど、やっぱりこっちを定位置にしたのか。露店市なんかは賑わうけど出店許可とかもいるもんな。慣れた遣り取りに安心感すら抱きつついつものように広げられた敷物へと視線を落とせば、前よりいくらか減っただろうか……?といった具合の薬包やらが並んでいる。

「んー、ぼちぼちねえ。あんた以外のお客も来るには来るけど、いまいちこの手のお高めな薬には手を出してくんなくてさ」

「まあ、そうだろうな」

 アカネ姉ちゃんがひらりと手で指し示した先にある薬はマジでバカ高いもんな。思わず遠い目をして微笑んじまうくらいには見当外れの値段だ。と、相槌を打っていればやけにきらきらした瞳が見つめてくる。

「で、あたしとしてはお得意様に期待してみたりして……」

「……いくらだよ?」

 じぃーっと期待の眼差しが注がれるけど、思わず半眼になった俺は慎重に尋ねた。姉ちゃんがつまんだ薬包の、その見た目だけなら今まで購入した薬と大して変わらない。けれど、しっとり落ち着いた色合いにくしゃっと柔らかなシワが入った紙はそれだけでお高そうな雰囲気で……これは値が張りそうだと睨んだ俺の予想は当たっていた。

「18000バームか……そりゃまた高いな。ぼったくってないか?」

 こんだけっ♪と明るく答えるような値段じゃない。それだけあれば帝都でだって暫く暮らせるだろう。だけど、心外なと眉を吊り上げたアカネ姉ちゃんは身振り手振りも交えて必死に訴え掛けてくる。

「してないってば!お師匠の話だとね、使ってる薬草が4年に一度しか取れない貴重品とか何とかだって!」

 なるほど。とは思うものの、それでも腰が引けてしまうお値段だ。薬ひとつにそんな値付けをするアカネのお師匠様とやらも随分強気だけど、逆に言えばそれだけの効能は裏付けられているというわけで……

「ねえねえ、お願い。買っていってよう。買ってくれたらお姉さん、特別なサービス……」

「それはいらない。どうせ勘定もこっち持ちなんだろ?」

 すげなく返しながら、改めて薬包をじっと見つめて悩み込んだ。確かに高い。尋常じゃなく高いのだが、しかし実のところ、今の宿屋の財政的には決して買えなくはないのだ。実際、効き目の方はこれまでの経験からしたって文句無しだしなぁ……。むむむ、と腕組みをして悩んだものの、十数秒の後、俺は溜め息をこぼしながら財布を取り出していた。

「ありがとーっ!お客様はもうカミサマですっ♪」

 せっせと揉み手をしていたアカネ姉ちゃんが飛び上がって喜んでるけど、そんなに喜ばれたらさすがに悪い気はしない。いい買い物だったんじゃないかって気もしてくるんだから、我ながらチョロいもんだよな。それじゃ、と受け取ったばかりの薬と財布を仕舞い込んで背中を向けようとして、ふと思い立って質問を投げ掛ける。

「そういやうちの居候が言ってたけど、この薬ってシルターンの製法で作られてんのか?」

「ぎくっ!べ、別にいいじゃん。作り方なんて効きさえすれば♪」

 まあ、そりゃそーだ。やけに早口での返しに少しの不自然さを覚えたものの、アカネ姉ちゃんの言うことに別段おかしなところはない。もしシルターンの薬だってお墨付きが貰えたらシンゲンやセイロンには効果倍増かなと思ったけど、今の時点で十分効き目は保証されてるんだしな。だからまあ、またのお越しお待ちしてまーす、と弾む声に軽く手を振って溜め池の方へと足を向け直した俺の思考は早速、別なことへと移り始めていて。一度でもシルターンのことを考えてしまったせいだろうか、連想ゲームみたいに昨日シンゲンと交わしたばかりの会話に占められていくのは早かった。

「夕方ですか?農場に行ってたんですよ、例の付き添いで」

 風呂上がりのシンゲンと廊下で立ち話のついで、そういえばと話を振ったのはただの流れだ。無限回廊を引き上げた後、まだ日も高かったし大通りで解散したんだけど、それから夕飯まで姿を観なかったから少し気になったのだ。てっきり吟遊詩人の仕事をしに行ったと思っていたけど三味線は部屋にあったし。その割に、一仕事した後のご飯はまた格別……!なんて美味そうに舌鼓を打ちながら夕飯はお代わりまでしていたし。何をしていたか単純に疑問だったけど、あっさりした返しに納得する。ははぁ、それでナチねぇが夕飯作りを手伝ってくれたのか……大量のお米を研いでいた俺の手元を覗いて、ご飯なら何か合いそうなスープでも作るね、とどこか機嫌よく手際よく、半干にしたキノコと小カブで味噌汁を、それに輪切りにしたナスやシシトウを焼いて甘辛い味噌だれを絡めたデンガクなんておかずまで作ってくれたのはやはり、シンゲンへのサービスだったのだ。

 ナチねぇが調べている召喚獣失踪事件のことで何か進展があって、その礼を兼ねていたってことなら話も通る。白いご飯を愛して止まないシンゲンだけど、どうせ美味い飯を食うなら美味いおかずもあった方がいいもんな。

 そんなふうに頷き掛けていただけに、いえ、と緩く頭を振ったシンゲンの続けた言葉に俺はすっとんきょうな声を上げてしまった。

「進展といったものは特には。というより、調査の目処はもう付いているようですよ?」

「えっ!?」

 驚きに目まで見張ってしまったけれど、シンゲンに聞くところ、失踪事件の調査の方はもう終盤に差し掛かっていたらしい。前にミント姉ちゃんも召喚獣が自分で逃げ出したんじゃない可能性を言ってたけど、テイラーさんや農場主と話したナチねぇも、失踪した召喚獣は自発的に姿を消したんじゃなく何者かに浚われたんじゃないかって線で考えていたそうだ。それなら失踪した召喚獣の身内や知り合いからの証言も期待できると踏んだそうだけど、まさか農場主のアルマンさんじゃなく直接召喚獣相手に聞き込みをしていたとはな……ともあれ、おかげで失踪したのが子供や大人しいタイプの召喚獣ばかりだとか一人になっていたところを浚われたんだとかの情報が集まるのも早く、この頃はもっぱら浚われた召喚獣が捕まっていそうな場所を調べていたそうだ。

 なにせ失踪事件は依然として続いている。浚った召喚獣を一旦どこかに閉じ込めておいてまとめて売り払うつもりだろうけど、さすがに一匹二匹どころの話じゃないし、逃げ出さないよう見張りを用意する他にも食事の用意だとか健康状態の確認だとか、相当な手間と人手が掛かるはずだ。そして、それが出来るような場所となると自然と絞られてくる……そう考えていくと、水車小屋の辺りは現場に近すぎるし、大石橋の辺りは通行量的に人目に付く。シリカの森の方面は鬱蒼としすぎて出入りするだけでも困難だし、厄介なはぐれも出れば方向すらも見失いやすい。反対にルトマ湖の方面はこないだの異変で注目が集まってるし、カルセド峠からの街道沿いもこのところ往来が増えている。ここまで失踪した召喚獣の目撃情報もないことも合わせて考えれば、おそらくシトリス高原からカルセド峠の間に伸びる山脈の裾野辺りでは、というのがナチねぇの見解だったらしい。

 気になるのは最近カルセド峠の方で目撃されてる紅き手袋との関わりだけど、こんな小悪党じみた真似をする連中じゃないとイオスの断言もあって残る懸念も消えたんだとか。

「そっか、イオスの奴も協力してるのか……ん?だけどそれじゃ、農場にはもう顔を出さなくていいんじゃ?聞き込みは終わってるんだろ」

 これだけ目星が付いたなら調査はまさに佳境だ。寄り道なんてしてる場合じゃないだろうにと疑問を口にした俺にシンゲンは目だけで笑って、それでも、と続けた。

「何度も話すうちに思い出すこともあるかもしれないから、と。それに農場主の方も毎度話すことがお有りのようで」

 シンゲンの仕事はあくまで用心棒らしく農場入り口まで付き添って、ナチねぇが戻ってくるまでの間、ガゼルの様子を見ていることだ。あのガゼルがそんじょそこらの奴に浚われるとは思えないし、実際、悠々と道草を食う姿を眺めるばかりらしいけど、そのうちに亜人の子供が話し掛けてくることもあったらしい。

「ねえねえ、そこで何してるの?」

「おや、こんにちは。少し人を待ってるんですよ」

「ヒト……あっ、おねーちゃんの友達?」

 果樹園で働く召喚獣は押し並べて人間に対する警戒心や不信感が強いけど、子供は別だ。果樹園を囲う柵のギリギリまで出てきて話し掛けてくる子供はどれも外への好奇心と憧れでいっぱいの目をしていたそうで、それでシンゲンも得心が行ったらしい。外の世界にどれだけの悪意や邪心が渦巻いてるか、それを知らない純粋無垢な奴らが目を付けられて、浚われたのだと。残された身内の悲しみや嘆きが深くなるのも当然で、憔悴しきった相手を労るように気遣いながらナチねぇはその話に耳を傾けていたんだと、亜人の子供とシンゲンを通じて知ることになった俺が咄嗟に何を思ったか。顔色から見て取ったんだろうシンゲンが、しかし、と独り言ちるように言った。

「あの人も不思議な御仁ですねぇ。美味しいお米の炊き方しかり、様々なことに通じてらっしゃるのに誰を相手にも腰が低い。温良恭倹を絵に描いたような人となりですが、他人様の召喚獣相手にまでその調子とは……些か奇矯な振舞いじゃあありませんか」

「それは……」

 召喚獣の側に肩入れしているように見えたと、いつかアロエリも言っていたことを思い出す。ナチねぇは優しい。優しいのはいいことだけど召喚獣相手に、それも自分のモノでもない相手にそこまで親身になるなんて普通じゃない。ミニスの仕事にオマケ作りに、決して余裕があったわけじゃないのにそんな普通じゃないことをし続けたなら、そこにはきっとナチねぇなりの理由が、何かの考えがあったはずだ。それが一体どんなものなのか、今の俺にはさっぱり見当も付かないけれど……

「誰しも言えないことのひとつやふたつあるもんです。自分だって脛に傷持つ身ですからね、おいそれと他人様の事情に首を突っ込むような野暮はいたしませんよ」

 話はここまで、と軽く笑って打ち切ったシンゲンに何て言って返したんだったか。それも覚えていないくせ、ナチねぇが何を考えているのか、何を思って動いているのか。またしても気になってたまらなくなっている自分に気付いて、俺は慌てて頭をぶんぶん振った。

 いくら好きだからって相手の全部を知ることは出来ないし、それを無理にでも知ろうってのは傲慢だ。ナチねぇから話してくれるまでは勝手に調べたり探ったりはしないって決めたはずなのに、ちょっと不安に駆られただけで弱い心が顔を出しちまってる。もっと心を強く持たないと……そう自分に言い聞かせながら溜め池までの道を下ってきたところだ。

「……ん?」

 溜め池のほとり、遠目にも見たことのない顔が見えた。白い長毛種の犬みたいな姿の亜人で……確かバウナス、とか言うんだっけ?俺と同じか少し年上くらいに見えるそいつがぼーっとすることもなしに突っ立っている様子に思わず首を傾げてしまう。近くに主人の姿もないようだけど、あいつ、何してるんだろう……?最近は町中でも召喚獣だけにしてると浚われちまうって噂されてるのに。

 どうしようか少し迷ったものの、声を掛けることに決めたのは結局、いつものちょっとした親切心からだ。もしこの相手が町に訪れたばっかりなら噂を知らなくたって不思議じゃないし、被害に遭うかもしれないのをみすみす見逃すのも寝覚めが悪い。変に警戒されないよう、なるべく人当たりのいい笑みを浮かべて近付いていったけど……

「あ、どーも。こんにちは」

「はい、こんにちは、ええと……」

 不思議そうに見つめ返してくる亜人の兄さんの気持ちも正直分かるぜ。いきなり知らない奴にこんな笑顔で話し掛けられたって困惑するだけだよな。リビエルと初めて話した時のことを何とはなしに思い出しつつ、外面を取り繕うのを早々に諦めた俺は、いやさ、と話を切り出した。

「たまたまここを通りかかっただけなんだけどさ。最近、この町では召喚獣が行方不明になってるんだよ。だから、その……あんたも気をつけた方がいいぜ?」

 上手いこと言えずに妙な説明になっちまったけど、ちょっと驚いたような顔をした兄さんがふっと目を和らげる。

「キミは、ボクを心配して声を掛けてくれたのかい?」

「まあ、そーなんだけど」

「ふふっ、ありがとう。親切なんだね、キミは。だけどボクたちはその行方不明事件の犯人に会いたくてここでこうして待っていたんだよ」

 柔らかい笑みを浮かべた兄さんを前に、え、と間抜けな声がこぼれるのと殆ど同時だった。足元にぬっと影が差して、やたら深みのある声が降ってくる。

「ほら、スバル。この子は犯人とは無関係みたいだよ」

「ああ、どうやらそうみてえだな」

「うわっ!?」

 い、いつの間に背後に……!?それまで感じなかった気配と声に大きくその場を飛び退ってしまえば、いきなり出てきた長い黒髪の大男は軽く両手を掲げてすまんすまんと豪快に笑いながら詫びを入れてきた。

「脅かしちまって悪かったな?お前の足取りがただ者じゃなさげだったもんだからこっちも用心して気配を消してたんだ、勘弁してくれ」

「あ、うん……」

「俺の名はスバル。で、そっちが相棒のパナシェってんだ」

 どうやら怪しい奴だと疑われていたようだけど……あんまり開けっ広げに言われたもんだからか、何だか毒気が抜けてしまう。相手のペースに呑まれるまま頷いてしまえば、スバルと名乗ったそいつに代わってパナシェと言うらしかった亜人の兄さんが話し掛けてきた。

「よろしくね、キミの名前は?」

「ライだよ。この町で宿屋をやってるんだ。あんたたちってもしかして、はぐれ召喚獣なのか?」

 すっかり二人のペースに呑まれていたけど、宿屋の主人を名乗った以上、気を取り直して尋ね返す。何だかんだでここは帝国だからな。悪い奴らじゃなさそうだけど、はぐれだって言うんなら一応兄貴にも説明しなきゃならない。

「はぐれ、ねぇ……」

「まあ、端から見るとそうなんだろうね。でもボクたちは普通の召喚獣とは色々違うんだよ」

 けれどスバルたちの答えは予想のどれとも違っていた。普通の召喚獣とは違うって……コーラルやリビエルたちみたいにか?疑問符を浮かべていれば、見かねた様子でがりがりと頭をかいたスバルが唸るようにこぼす。

「腰を落ち着けられる場所がありゃ説明してやれるんだけど。何分、オレたち人間じゃないからさ。普通の店には入れてもらえないんだよな」

 ここで話すのもなんだし、と躊躇うように視線を揺らすけれど、なんだ。そういうことなら話は早い。

「なら、ウチに来るといいよ。ちょっとした事情があってさ、ウチの宿にはもう何人も召喚獣が泊まってるんだ」

 だから大丈夫だと身振り手振りも交えて言ってやれば、二人はそれぞれ表情をぱっと明るくした。

「ホントか!?うひゃーそいつは助かるぜ!久しぶりに屋根のある場所で寝れるぞ、パナシェ♪」

「もう、スバルったらはしゃぎすぎ……あ、ちゃんとお金は持ってるから心配しないでね?」

 ははは……不安になることを聞いちまった気がするけど、まあいいか。ひょっとするとクラウレのことを知ってるかもしれないし、失踪事件の犯人に会いたいって事情も気になるし。そんな淡い期待もあって二人を招いた俺はまだ、スバルたちの事情もまたとんでもないものだってことを知らずにいたのだ。

 

「じゃあ、スバルたちは人間の暮らしぶりを勉強するために旅をしてるってワケか」

「ああ、そうさ」

 ひとまずお茶を出してスバルたちの事情とやらを聞き始めたものの、その話の途方もなさに俺は度肝を抜かれてしまっていた。

 二人は船も滅多に通り掛からないような遠い海の果てにある島出身で、そこにあるシルターンやメイトルパといった異界の特徴を持つ4つの集落のうちに暮らしていたそうなんだけど、人間の都合で召喚された召喚獣同士とはいえそれぞれ文化や価値観の違いもあって集落間での付き合いも長いこと下火だったらしい。それがある出来事を切っ掛けに少しずつ交流が進むようになって、知らない相手を知ろうとすること、関わろうとすることの大切さに気付いた二人は、さらに外の世界を知ってこれからの関わり方を考えるために島を出てきたのだと言う。

「ボクたちが暮らす島は長いこと外の世界と交流がなかったけど、それじゃいけないって考えるようになってきてるんだよ」

「そこで若い世代のオレたちがこうやって外の世界を見て回ってるのさ。どういう形で人間と関わっていくべきか、見極めるためにな」

 なんともまあ見上げたことだ。無色の連中や紅き手袋じゃなくっても野盗にはぐれに荒くれ者、どこを歩いてたって悪党にぶつかるようなこのご時世にそんな志で旅をして回っているなんて、大したもんじゃないか。

「ひゃあ……俄かには信じ難い話だわ。中々思い切ったことするわね」

「召喚獣だけじゃ入れないお店も帝国には多いのに。泊まる場所や食べ物だとかはどうしてるの?」

「よっぽど街中でもなけりゃ寝床も食いもんもそこらで調達できるしな。さすがに塩やミソだとかは店じゃないと手に入らないし、売ってくれて助かったよ!」

 にかっと人懐っこい笑みを向けるスバルに、ちょうど遊びに来ていたリシェルとルシアンが砕けた調子で次々と話し掛けている。初見ではビビっちまう図体のデカさだけど、ちょっと話すだけで気のいい兄ちゃんだってことが伝わってくるもんな。見知らぬ匂いに興味津々とばかりその膝に上ろうとしていたプニムも、懐っこいなコイツ、とスバルの大きな手で撫でられてすっかりご満悦だ。途中までは触手を伸ばしてプニムを引き留めようとしていたシズクも、こんな賢い子がいるんだね、と目線を合わせたパナシェに褒められて照れたように椅子の下へと引っ込んじまったし……普段よりちょっと子供っぽい様子だけど、そういえばプニムもシズクもメイトルパの召喚獣だもんな。やっぱり故郷を同じくする同士、気心知れるところがあるんだろうかとアロエリの様子も窺おうとして、驚いているような戸惑っているような、何とも複雑な顔を見つけた俺は内心首を傾げてしまった。

「熟れた果物が多かったからな、一度戻ってきたんだが……バウナスとは珍しい客人だな?」

 クラウレや敵の痕跡がないか、偵察ついでに食材集めに行ったアロエリが戻ってきたのはスバルたちを座らせてお湯を沸かし始めたあたりだった。アルバに薬膳料理を作った頃からぽつぽつ出先で食材を見繕ってくれていたアロエリだけど、昨日ちょっとした遣り取りをしたのを覚えていてくれたんだろう。不思議そうな顔をしながら突き出してきた籠の中に鮮度も質も抜群な果物をたくさん見つけて、何か事情があるみたいでさ、と返す声も弾んでしまったのはついさっきの話だ。

「常々不思議に思っていたんだが、なぜニンゲンはカネとやらと品物を交換したりする?必要な物と物を交換するのは理解できる、だがカネは食べられないし何かの材料になるわけでもない。役に立たないではないか」

 そんな疑問の声に始まったアロエリとの問答が初めに思ったのとまったく違う場所に着地したのは、俺の中でのアロエリの印象を大きく変えることに繋がった。具体的には、なんだ、案外話が通じる奴じゃないかって方向にだ。

 アロエリが何を言おうとしてるのか。理解するのに少し時間は掛かっちまったけど、それが見えてからは早いものだった。お金を使って物を遣り取りすること、いわゆる貨幣経済ってもん自体にケチを付けてる訳じゃなく、金を貯めるのに宿屋をやってるのなら貯めた金は使わず済ませた方がいいんじゃないかっていう、つまりは俺への親切心からの考えだったらしい。思ってもみない相手から気遣われていたことに感じ入ってしまいつつ、必要なものは自分で集めるべきではというアロエリの提案を真面目に検討してみたけど……そのとおりにするのはやっぱり、はっきり言って難しい。アロエリの言いたいことは分かるし、どちらかと言えば俺も賛成寄りの考えだけど、現実的にそれを実行するだけの余裕がないのだ。鍛錬ついでにシリカの森や水車小屋に足を運んでの食材集めは前から時々やっていたけど、客足が思いのほか伸びている現状、そうして日々の食材を調達しにいくような時間も体力もさすがに残っていない。なるだけ節約した方がいいってのはごもっともなんだけどさ……

 説明に迷いながらもそんなふうに返した俺は、だけどさらに驚くことになった。

「ならば、オレが代わりに取ってきてやろうか?」

 想像もしなかった言葉にぽかんと呆気に取られてしまったけど、それを呆れられたとでも受け取ったのか。ねぐらを共にしているのだから当然だろう、それぐらいのことはちゃんと出来るぞ、と照れ隠しの交じった怒声で捲し立てられてしまったけど、耳まで真っ赤になったアロエリの言葉が冗談でも何でもないことくらい、ちゃんと伝わっていた。ニンゲンではないから役に立つ仕事は出来ないが、なんて殊勝なことを言いつつも、それを理由にするどころかそれでも手伝えることがあるって主張してくるとはなぁ……何だか本当にびっくりしてしまって、それで声が出なかっただけなんだけど。

「貴様は貴様の仕事をしっかりとやれ、オレもオレで出来ることをする!」

 そんな俺に業を煮やして、分かったなっ、と宣言するように言ってどこか飛び去って行ってしまったアロエリが、その時もしていなかったような表情を浮かべている。何とも言えず気まずそうな表情を浮かべているのはリビエルも同じのようだ。スバルやパナシェに思うところがあるようには見えなかったけれど、一体何が引っ掛かったんだろう……?不思議に思っていたけど、なるほどな、と感心したようなセイロンの声でやっと気付いた。

「ある意味、隠れ里とは正反対の考えだな」

 外界から隔絶された空間に作られていた隠れ里と、物理的に外部との繋がりが断たれていた絶海の孤島。

 人間の都合でこの世界に呼び出された召喚獣を、それも人間を恨んでいただろうはぐれたちが始まりの住人だったことも、その記憶から長いこと人間との接触を断って暮らしてきたことも鏡写しのように似ているのに、そこに暮らす住人たちが選んだ道は真逆と言っていいほどかけ離れていた。何もなければこれまでと変わらず、外の人間と関わることなく暮らしていくつもりだったアロエリやリビエルにとって、外の人間のことを知って学んでこの先の付き合い方を探って行ことしているスバルやパナシェは、どうしようもなく複雑な存在に映ってしまうのだろう。

「事情は分かったよ、しかしなあ……今の話だけで君たちがはぐれじゃないと認めるのは厳しいぞ。実際、そんな島があるなんていう話は聞いたことが無いし」

 何とも言えない顔をして押し黙っているアロエリたちにどう声を掛けようか、迷っているうちに事情聴取のメモを取っていた兄貴がうーんと難しい顔で唸った。荒唐無稽な与太話とまでは言わなくとも半信半疑ではあるんだろう、ふらふらとノートの上で迷うペン先がその困惑ぶりを語っている。休憩ついでに顔を出した先でこんな途方もない話にぶち当たるなんて、そりゃあ思わないよな。結界の様子を見ていたセイロンにリビエル、リシェルたちの後を追っかけてきたポムニットさんと違って、何しろ兄貴のこれは仕事だから手も抜けない。信じてやりたいって気持ちだけじゃ報告書は埋まらないのだ。

「でも蒼の派閥が編纂事業をしている世界地図だって、空白のない完璧なものは未だに完成してはいないですし。私たちの知らない場所はまだまだあると思いますよ?」

「そうよそうよ!現に隠れ里の存在だってあたしたち、全然知らなかったじゃないのよ?」

「そりゃ、確かにそうだけど……」

 ミント姉ちゃんとリシェルに弱弱しく返す兄貴だけれど、仕事とは言え辛い立場だよな……頭を悩ませている兄貴の横をすり抜けて、パナシェたちの前にお茶のお代わりを置きながら俺は言った。

「わりいな、何だか疑ってばっかで。でも、兄貴もこれが仕事なもんだからさ」

「気にしないで、当然のことだし。ああ、でもそうだ。その世界地図ってやつの関係なのかな?前に島に来たことのある蒼の派閥の人に一応、聖王国内で旅券代わりになるってサインは貰ってるよ?」

「あとはそうだな、帝国での知り合いじゃなきゃダメってんなら、帝国軍にいるアズリアって人に尋ねてくれよ。オレが出会ったのはちっちゃかった頃だけど、オレたちの身元をはっきりさせたいんならその人に確認するのが早いと思うぜ」

「アズリアだって!?」

「確か、女の人では初めて将軍の地位についた人で、傀儡戦争の時に国境で悪魔の軍勢を撃退した英雄……」

 目を丸くして声を上げる兄貴とルシアンに続いて、パナシェから受け取った箔押しの紙を裏返しにしたミント姉ちゃんが小さく息を呑む。

「この等級の手形を出せるなんて……派閥の幹部まではいかなくても、きっと家格持ちだわ」

 三者三様の驚きようを示しているその横で、スバルとパナシェは何てことないように続けている。

「ダメだよ、スバル。迷惑掛かるじゃない」

「いいじゃんか。いつでも歓迎するって言ってたし。帝国の知り合いって意味じゃ確かなんだからさ」

 もうここまで来たら信じる信じないの話じゃないだろう。帝国の将軍に就いてる人の名前までさらっと出てきたし、知り合いらしい蒼の派閥の人ってのもそれなりのお偉いさんみたいだし。口から出まかせにしては信憑性が高すぎる。俺には本物かどうか判断できないけど、旅券代わりのサインなんていう物まで出てきちまった以上……

「もうこれは、疑う方が難しいのでは……?」

「う、うむ……」

 ポムニットさんの感嘆の声に畳み掛けられて、つい兄貴も折れた。となると、これで身元の問題は一応解決だ。いよいよ踏み込んだ話が出来るってことで、俺はいくらか気を入れ直してパナシェに向き合った。

「それじゃ早速だけど、パナシェたちが困ってる悩みっていうのを」

「ひとつ、聞かせてはくれませんかね?」

「えっ、シンゲン!?いつ帰ってきたんだよ!」

 そこに自然な調子で挟まってきた声に驚いて思わず振り返っちまったけど、振り返った先で俺はさらに驚いてしまうことになった。いつの間に帰ってきていたのか、しれっと椅子に腰かけているシンゲンの後ろには午前中からずっと出かけていたナチねぇにイオスの姿まであったからだ。

「ついさっきだよ。旅券代わりのサインとかアズリアさんの名前が出てきたところかな?グラッドさんにお話があったんだけど、話が白熱しているようだったから少し様子を見ていたんです」

「ひょっとして……そちらも例の事件のことで何か掴んだんですか!?」

 シンゲンに代わって答えたナチねぇに思わずといったように声を上げる兄貴だけど、それに答えを返したのはイオスだった。

「ああ。だがまずは彼らの話を聞いてからの方がいいだろう」

「そこの鬼人族と亜人の彼の困り事も、ひょっとすると繋がっているかもしれませんからね?」

 是非話を聞かせてくれないか、と真剣な目で語るイオスたちにスバルとパナシェはちょっと顔を見合わせて、それからちらっと俺を見てから笑い交じりに頷いた。何だか大事になっちまったなぁ、とでも言いたげな困り笑いの浮かんだ顔がどこか嬉しげに見えたのは気のせいだろうか。

「うん、実はね……」

 そうして語られたスバルたちの困り事、失踪事件の犯人に会いたがっていた理由を聞き終えた時、俺たちの頭の中にはまったく同じ考えが浮かんでいた。

「間違いないわね。小さくって可愛い召喚獣、しかも妖精だなんてそのマルルゥって子、今回の事件に巻き込まれちゃったのは確定よ!」

 両目をきつく吊り上げて鼻息荒く言い切ったリシェルの言葉がその場の総意だった。

 島を出て旅をしていると言ったスバルたちは、実は二人ではなく三人でずっと旅をしてきたのだと言う。全員が召喚獣ということもあって互いに助け合いながら上手くやってきたらしいけど、そのうちの一人がトレイユの町の近くで迷子になってもう何日も行方が分からなくなっている。単にはぐれた可能性も考えたけど、召喚獣がこのところ立て続けに姿を消していると噂を聞いて、行方不明になった一人も事件に巻き込まれてしまったんじゃないかと考えて。パナシェが一人っきりで溜め池のほとりにいたのも、自分自身を囮にしてマルルゥを浚った犯人の側から接触して貰おうとしていたんだとか。

「マルルゥは花の妖精なんだよ。ちびっちゃいくせにふらふら飛び回って普段から大変なんだ。旅にだって付いてくんなって言ったんだけど、聞かなくってさぁ」

「島にいた頃もボクらの仲間を浚いに来るような密猟者がいたからね。人間に捕まってしまったのかもしれないって心配で……でも釣果はこのとおりで。正直、困っていたところだったんだ」

 やっぱパナシェが餌じゃ食いついてこないのかもな、だからってスバルが餌じゃ逆に逃げちゃうよ、と説明もひと段落して和気藹々と話しているスバルとパナシェだけど、二人の話を聞き終えた俺たちの方はこぞって難しい顔になっていた。仲間とはぐれたのだとパナシェが言ったあたりでは何だか最近聞いたような話だと素知らぬ顔で交わすリシェルとイオスの後ろで苦笑いをこぼすアルバ……なんて光景もあったのだけど、探し人のマルルゥが小さな妖精だと判明するなり結論を叩き出したリシェルの剣幕が気になったんだろう。妖精だと狙われる確率が上がるのかとでも聞きたげな顔をしたアロエリに、ミント姉ちゃんとナチねぇがさっと目を交わすも一瞬、この帝国で召喚獣がどう扱われるかを誤魔化すことなく語った後の反応は、ある意味予想どおりだった。

「なんだそれは!?ふざけるにもほどがあるぞっ!」

 アロエリが激高して怒鳴ったのも無理はない。召喚術が広く普及している帝国では召喚獣が個人の財産として認められるのもあって、お金で売り買いすることも許されている。アロエリたちにしてみればその時点で許せないだろうけど、好みの召喚獣が欲しいからって違法取引に手を出すような奴らは、その召喚獣がどこかから浚われたり盗まれてきた可能性だって承知の上で大金を出すのだ。見た目が愛らしくて可愛いから、あるいは格好良くて見栄えがするから、そんな理由であっさりと。

「僕も、あるいはそうなってたかもしれない……運が良かった。ただそれだけ」

 小さな妖精は見た目の愛らしさもあってペットとして人気があること、今回浚われた召喚獣もそうした傾向にあること。ミント姉ちゃんたちの説明に憤懣やるかたない様子で身を震わせていたアロエリだけど、それが現実なのだといつにない仏頂面のリシェルに告げられて、クソ……とやりきれないように呻くなりその場深くに項垂れた。そんなアロエリの横で静かに呟いたコーラルだったけど、淡々とした言葉を否定するだけの材料を持ち合わせていない俺たちは揃って黙るしかない。目を伏せるナチねぇや難しい顔で黙っているイオスの姿もあったけど……だとしても、今やることは変わらねえ。どうしようもない現実ってものは確かにあるけれど、この場で言えばスバルたちの仲間だっていうマルルゥを探して助け出すくらいのことは俺たちにだって出来るはずだ。

「……さて!ひとまず彼らの話は聞き終えたわけだが。そちらで進めていたという調査の方も何か進展があったのかね?」

「そうだった!彼らの仲間も今回の件に巻き込まれてしまったのだとして、どうでしょうか?何か手掛かりでもありましたか?」

 ひそかに意気込みを強めた俺を見てふっと目元を和らげたセイロンが、ふと思い付いたように話の舵を切った。それで思い出したとばかり兄貴も慌ててナチねぇに話を振ったけど、どうしてかナチねぇの表情は冴えない。うーん、と頬に手を当てて困ったように首を傾げてみせる。

「そうですねぇ。浚われた子たちが捕まっている場所、ひいては犯人の拠点がある場所の当たりは付いたんですけど、まだ候補を絞り込めてるわけじゃなくって……」

「でも、大体の目星は付いたんだろ?虱潰しってわけでもないんだし、これだけ人数がいればすぐに見つけられるんじゃないか?」

 釣られて首を傾げてしまった俺に少し困ったように笑って、それがね、とナチねぇはシンゲンに目配せをした。はいどうぞ、とその意図を汲み取ったシンゲンが筒状の紙をくるくるとテーブルの上に押し広げてみれば、それはトレイユの町近郊の地図だったらしい。昨日よりもさらに場所が絞れたのか、星見の丘よりずっと東の、けれど共同墓地ほど北手ではない森の辺りにいくつかバッテン印が付いている。山の中腹までは上らないけれど草原や平地からそれなりに入った、人家どころか道もろくに通っていないような場所だ。

「印の付いている場所が犯人の拠点候補なんですけど、どれも天然の洞窟だったり過去に採掘で使われた岩窟だったりするんです。今回被害に遭った子の大まかな人数やその見張りやお世話、そういった条件から考えるに犯人もかなりの大所帯であるはず……しかも抜け道や通路がいくつもある洞窟を拠点にしている以上、短期決戦で片付けないと面倒なことになりかねません。捕まっている子たちの安全を考えても、しっかり場所を突き止めて出入口も押さえてから乗り込みたかったんですけど……」

「どうしたところで高値が確約される妖精まで手に入れたとなると、犯人たちがいつ今の拠点を引き払って取引に臨んでしまうかも分からない。多少のリスクは承知の上ですぐに踏み込んだ方がいいかもしれないな」

 厳しい表情のイオスが言葉を引き取ったけれど、ナチねぇの反応が悪かった理由がこれで分かった。スバルたちの件がなかったらグラッド兄ちゃんにこの話を共有して、シンゲンやイオスたちとまずは偵察にでも出かけるつもりだったんだろう。それが思いのほか差し迫った事態だったものだから、捕まっている召喚獣たちの安全は二の次で強行突破をしなくちゃいけない可能性に迷っていたのだ。

「なんだ、これならパナシェが無理に囮をしなくてもよかったかもな?どのみち収穫はなさそうだったし」

「もう、スバル!でもこれなら、手分けして確認すれば思ったより早く犯人に辿り着けそうだね。そんなに心配しなくてもきっと大丈夫だよ」

 眉を曇らせたままのナチねぇに優しく微笑むパナシェだけど、少しでも早く仲間を見つけたいパナシェたちからすればこの情報だけで十分すぎる収穫だろう。コーラルやクラウレのこともあるし、ちょっと手間が増えるとしても今日中に解決出来るとなれば俺たちもその方がいい。まだ悩んでいる様子のナチねぇには悪いけど、ひとまず印の付いている場所を目指していってみるかと提案しようとしたところだった。

「……でも、囮捜査っていう方法自体は有効だと思うんですよ」

 何か考え込むように黙り込んでいたミント姉ちゃんがふと口を開いた。真剣な眼差しがナチねぇとぶつかったところで、安心させるような笑みに変わる。きょとんと目を丸くしたナチねぇからリシェルに視線を流して、ミント姉ちゃんはいつものように穏やかに微笑んだ。

「ね?そうは思わない、リシェルちゃん?」

「思わずかぶり付きたくなるくらいの餌だったら結果は違ってくる。そういうことでしょ?」

 訳知り顔で頷いたリシェルに、そうそう、つまりね、とにこやかに頷き返したミント姉ちゃんの視線がさらにもうひとつ隣に動いて。

 それから少し後、さっきまでパナシェがいた溜め池のほとりには一人、心細げに泣いている女の子の姿があった。

 

 ひっくひっくと堪え切れない嗚咽をこぼして泣いている、それは小さな天使の女の子だった。

 見るからに弱弱しく愛らしい容姿、頭上に輝く金色の輪、その腰元から生えた汚れひとつない純白の翼が、その子が紛れもない霊界サプレスの天使だということを物語っている。

 いくら召喚獣の取引が許可されている帝国と言っても、その大多数を占めるのはメイトルパの亜人や獣で、他の3つの界の召喚獣となると滅多に見かけることもない。どんなに愛嬌のある見た目でもロレイラルの機械兵器は人型の兵士並みの性能を秘めているものだし、シルターンやサプレスの召喚獣となれば不思議な力を持っているものが殆どで、召喚師でもない一般人に扱いきれるものじゃないからだ。金の派閥主導で取引のルールを定めていることもあって、荷運び用やちょっとしたお使いを頼める召喚獣くらいしか商品として出回っていないのに、それでもごく稀に妖精や天使といった召喚獣を連れ歩いている人間がいる。それが合法か違法かはさておき、ただの観賞用や見せびらかして自慢するために手に入れただけの召喚獣だと、この世界の常識や注意点、悪い奴の見分け方なんかを教えているわけもなくって……

「おやおや、天使のお嬢ちゃん。どうしたんだい?」

 いかにも親切そうな顔をした男に話し掛けられて、鼻の頭を赤くして泣いていた天使の少女は瞳を揺らしながら顔を上げた。偶然通りかかったという体で佇んでいたのは年若の男で、線の細いひょろりとした体躯に召喚師のようなローブを纏っている。オレンジがかった赤毛の髪は長く、その片目は隠れているものの、優しげな笑みを浮かべていると分かったからだろう。少女はしゃくり上げながら男を見つめて、胸を打つような悲壮な声と表情で訴えた。

「ごしゅじんさまとぉ……はぐれっ、ちゃったよぉ……っ」

「そいつはいけないな。きっとご主人様も心配してるだろう。どれ、僕が一緒に探してあげよう」

 人の良さそうな笑みでにっこりと微笑んだ男に、少女は迷うように瞳を震わせた。どうしようかと逡巡する瞳に期待と躊躇いがよぎる。

「……ほんとに?」

「ああ、本当だとも。安心して僕についておいで」

 それを見て取ったように浮かべる笑みを深くした男に、うん、とやっと安心したように天使の少女は小さく微笑んで。さあ行こうか、と背中を向けた男は、少女からは見えない角度でにやりと口角を吊り上げた。そして、それを物陰からじっと見ていた俺たちは。

「やっぱ演技派ねぇ、リビエルのやつ」

「やっぱり餌がいいと食い付きが段違いだな、パナシェ?」

「それはいいけどリビエルの奴、あいつが背中を向けた瞬間、すごい悪い顔しなかったか……?」

 ヒソヒソと小声で遣り取りをしながら、リビエルの名演技にすっかり圧倒されているのだった。

 犯人たちの狙いが子供や大人しい召喚獣、要は警戒心が薄くて簡単に騙せそうな奴に目を付けているのだと分かった時点で、リビエルが囮になるのは決まったようなものだった。見た目も雰囲気も条件にピッタリ、口さえ開かなければまず間違いなく犯人たちも引っ掛かるだろう。浚われた召喚獣を助けるためというのもあってリビエルのやる気に火が付いていたのも大きいだろうけど、しかしまさか……こんな才能を秘めていたとは。口さえ開かなければ、なんて失礼な考えを一瞬でもしたことを全面的に取り下げて謝罪したいくらい、リビエルの演技は堂に入っていた。その熱演ぶりは女優さながら、距離を取って男とリビエルの足取りを追う俺たちも遠目ながらついつい見入ってしまうほどだ。どんどん人気のない郊外に向かっていく男に大人しく付いていきながら、どうして町の外に行くの、と不思議そうに尋ねる表情も声色もあまりに自然でしかない。

「町の中には悪い人がたくさんいるからね。お嬢ちゃんを安心できる場所に匿うためさ」

 いけしゃあしゃあと返す男に、そうなんだと素直に頷く、世間知らずで騙されやすい天使の女の子がそこにいた。その細腕に抱える杖で機械兵器も大の獣人も容赦なく地に沈めているのだと言ったって誰も信じやしないだろう。お説教の時の厳しい目付きや鋭い舌鋒が嘘のように弱弱しく愛らしい、思わず守ってあげたくなるような女の子をしているリビエルを半ば呆れ、半ば感嘆しながら見守っていると、ほっと胸を撫で下ろすような溜め息が後ろの方から聞こえてきた。

「よかった……方向も合ってるみたい。これもミントさんのおかげです、本当にありがとう」

 物陰に身を隠しながらリビエルたちの進行方向を見つめていたナチねぇがそう言って、傍にいたミント姉ちゃんに安堵の表情で笑みこぼした。気の抜けた笑みを浴びたミント姉ちゃんがちょっと目を見張って、少しの照れと誇らしさが交じったような笑顔に頬を染める。

「うふふ、どういたしまして。とはいっても、そもそもパナシェくんたちの思い付きですし、何よりナチさんが大体の場所を絞ってくれていたからこそですよ」

 声を潜めていても二人とも嬉しさを隠しきれていない様子で、無限回廊でのイオスとミント姉ちゃんとの遣り取りを思い出して俺は勝手に緩みそうになる頬を堪える。よかったな、ミント姉ちゃん。ああ言って、実際にナチねぇの気持ちに寄り添って、ちゃんと助けになれてるんだから本当すごいよな……と、素直に思ったところで不意に思い出した。

 比べて俺は、さっき、何を考えたんだっけ?顔も名前も知らない召喚獣たちに想いを馳せて、少しでもその安全を図ろうとしていたナチねぇの優しさを、俺は少しでも面倒に思わなかっか?

 そこに何か考えや理由があるんだとしても面白くないと思った。ナチねぇには悪いけど、とその気持ちを否定する提案をしようとした。そんな自分に今の今まで気付いてなかったことに愕然として、俺は、リシェルに勢いよく脇腹を小突かれたことで我に返った。

「ほらっ!洞窟の中に入っていくわよ!」

 皇帝街道を進んで星見の丘を抜けて共同墓地の脇を通り抜けて、森に入ってからは殆ど獣道に近い細道を辿ってきたけれど、ごつごつと切り立った岩肌に突如としてぽっかり横穴が空いている。ここは確か、前に話に聞いたことがある。ズワーレ岩窟だ。

「ねえ、どうして洞窟に入るの?」

「ここが一番安全だからだよ、だって……」

 暗がりの道に進んでいく男とリビエルの姿に、俺は余計な考えを振るい落として兄貴とナチねぇ、それにスバルやリシェルたちを振り返った。

「どうやら終点はここみたいだな。それじゃあ兄貴、リシェルもスバルたちも。俺やミント姉ちゃんはここから入るけど後はそれぞれ、手筈どおりに頼んだぜ?」

「おう!お前もな!」

 ごつんと握り拳の背中を兄貴と打ち合わせて、リビエルたちの背中が見えなくなったあたりでそっと足音を殺して暗がりに踏み込んだ。過去に人の手が入った場所ならナチねぇの下調べのおかげで大体の出入口は分かっている。上手くいけば奴らを一網打尽に出来るはずだ。行き先が見えた時点で兄貴とナチねぇが打ち合わせたとおりに複数に分かれて、慎重に洞窟の中を進んで行くと……ふっと風の流れが変わって、ぼんやりと薄明るく開けた空間が前方に見えた。ルシアンやミント姉ちゃんに手で合図しながら隠れて様子を窺えば、リビエルの近くに人影がふたつ、さっきの男と髪色だけはよく似た大男が小躍りしながら何か話している。

「ふふ、でかしたぞ。我が弟バレンよ。よもやはぐれの天使をお持ち帰りしてくるとはな」

「ギムレあんちゃん。僕、頑張ったよ。ねえねえ!僕って格好いい?」

「ああ、格好いいさ。最高にイカしてるぞぉ。なあ、オマエたちもそう思うだろう!」

 面具だろうか、顔に何本もの厚手のベルトを巻き付けた大男が下卑た笑い声を響かせながら洞窟の奥に声を投げ掛けると、おいーっす、と複数の声が返ってきた。木霊のように反響する声のおかげでイマイチ分かりづらいけど、手下の連中まで勢揃いしているようだ。洞窟の岩肌沿いに陣取っているように見えるけど、その後ろの壁にも何か穴が空いているようで……何だろうと目を凝らした俺は短く息を呑んだ。

「ライさん、あれ……!」

「ああ、あんな檻の中に浚った連中を閉じ込めているとはな……」

 ルシアンの囁きに頷き返しながら眉を寄せて呟く。岩肌をくりぬいた穴にそのまま鉄格子を嵌めて檻にしたのか、怯えたように縮こまっている召喚獣の姿がいくつも見えたからだ。そんな召喚獣たちの様子に目もくれず、ギムレとバレンの兄弟は上機嫌に今回の成果を語っていく。

 ここにいる召喚獣は全部捕まえてきたもので、これだけの数をまとめて売っ払えば暫く遊んで暮らせるだけの大金が手に入る。世話に掛かった金こそあるが、元手がゼロだからどう売ったところでボロ儲けにしかならない。召喚獣が行方不明になったところで真剣に探す主人なんてまずいないし、新しいのを買ったり召喚したら前にいたのなんて忘れてしまうから足が付く恐れもない。

 ひどい、と憤然とした様子で呟くリビエルを前にしてもギムレたちの余裕は崩れず、むしろ揶揄うようなにやにやとした笑みを深めながら脅し文句を並べていく。

「うははは、召喚獣に睨まれたところで何も感じないぞ。ついでに言えば、泣こうが喚こうがへっちゃらだとも」

「さあ、お嬢ちゃん。大人しく檻の中に入った方がいい。じゃないとすっごく痛い目を見ることになっちゃうぞぉ?」

 底意地の悪い笑みで凄まれて、言葉を失ったかのように見えたリビエルだったけど……俯きがちに立ったまま、ふふふ、となぜか肩を震わせて堪え切れないように笑いをこぼした。その様子にやっと訝しむような表情へと変わるギムレたちだったけれど。

「痛い目に遭うのは……はたしてどちらの方かしらね!?」

「ひゃっ!?」

 射抜くような鋭い目と挑発的な笑みで声高くリビエルが返した途端、鋭い風切り音を残してバレンの靴先を矢が掠めた。

「つくづく呆れた外道どもだな」

「そうね、その上こんなにあっさり引っかかるなんて同じ人間として恥ずかしいわよ、まったく」

 悲鳴を上げて尻もちをつきながら後退ったバレンを見下すように、小高い岩の上に現れたのは油断なく弓矢を構えたアロエリと黒いサモナイト石を見せつけるように手にしたリシェルだ。洞窟の中でも一段高い岩場に陣取った二人を見上げて、ぽかんとした顔のギムレが繰り返す。

「ひっかか……っ?」

「お誕生日とお祭りが重なったくらいにおめでたいわね。あんな見え見えの手口にこの私が引っかかるなんてありっこないですわ。最初からお芝居していたのよ」

「貴様らの尻尾を掴むためにな!」

 甘い見た目に反して小憎たらしいほど辛い中身をついに明かしたリビエルに連中は目を白黒させている。冷めきった声が真実を告げてすぐ、洞窟奥の通路側から一目で帝国軍人と分かる格好をした兄貴が出てきたのだからなおさらだ。

「ててっ、帝国軍っ!帝国軍の兵士だよっ、あんちゃんっ!?」

「悪事は全て露見した。大人しく武器を捨てて縄に付き、真聖皇帝の裁きを受けるがいい!!」

 槍の石突をどんと突き立てながら厳しい声を響かせる兄貴に泡を食って狼狽えるバレンや手下の連中だけど、ギムレの方はまだ肝が据わっていたのか、それとも往生際が悪かったのか。ぎり、と歯噛みするなり大きく息を吸い込み、言葉で殴り返すように怒鳴り返した。

「皇帝にびびってこんな商売なんぞやってられるか!相手は兵士一人だ、口を塞いじまえば何も問題ねえ!」

「おいーっす!!」

「……召鬼、轟雷っ!」

 腰の引けていた連中もその力強い声にはっとしたように立ち直り、奮起の雄叫びを上げたものの。間髪入れずに降ってきた激しい衝撃音と目を焼くような閃光に再びの悲鳴が上がる。ゆらり、と水飛沫の向こうから現れた巨躯はスバルのものだ。

「反省するんだったら勘弁してやろうかと思ったけどさ。……こりゃあもうドカンと一発、決めるしかなさそうだな」

 険しい表情で指をごきりと鳴らしながら言ったスバルの目は怒りで燃えているけれど、俺としてもまったくの同感だ。

「ああ、口で言っても分かんない連中にはぶっ飛ばして分からせるしか無いからな!」

「あわ、あわわ……あわわわわわわわわっ」

「風雷の里の長、鬼姫ミスミが一子、雷迅の将スバル。いっくぜえぇーっ!!」

 勢いよく剣を抜き放った俺に応えるようにスバルが叫んで、それぞれ位置に付いていた皆も武器を構え、ズワーレ岩窟での討伐劇が幕を開けたのだった。

 

 洞窟の入り口こそ手狭だったけれど、昔は倉庫代わりに使われていたのか、その中は思いのほか開けていて高さのある空間が広がっていた。

 日用品や生活物資は他の場所にあるんだろうか、捕まえられている召喚獣の檻の他には連中の運び込んだ爆薬の樽だとか武器くらいしか見当たらない。整頓されてるって感じもないし、運び込んだのを適当に置いたって感じだな。洞窟奥から流れてくる地下水がまるで川のようにそこら中を分断してるけど、厚い岩板や崩れた大岩があちこちに橋を架けるような形になってるし、階段状になってる岩の層を辿っていけばかなり奥の方まで行けそうだ。ギムレとバレンの奴が今回の事件の主犯だとして、手下の連中もひい、ふう、みい……おいおい、二十人近くいるじゃないか。どこからこれだけ無法者を集めてきたのかといっそ感心してしまう。

「大方、タラントから流れてきた小悪党共だろう。あの見た目で案外統率力はあるようだな?」

「なるほどな……ならば尚更、ここで全員しょっ引いてやる!」

 イオスと兄貴の会話が聞こえてきたけど、なるほどな。光あるところには影が出来る。娯楽の充実した賑わう町にはならず者も寄ってくるけど、そうした連中でいっぱいになれば町から弾き出される奴らも出るってわけか。悪党連中にだって縄張りはあるし、後ろ暗い仕事だって無限にあるわけじゃない。ギムレたちはそこに目を付けたんだろうけど、いくらなんでも短期間に同じ手口でこれだけ召喚獣を浚っておいて、どうしてバレないと思ったのか……大方、とんとん拍子で上手くいったもんだから調子に乗りすぎちまったんだろうな。

「相手は素人と兵士一人だけだ!やっちまえ!」

 洞窟の最奥、いつの間にか一番高いところに陣取ったギムレが矢継ぎ早に怒号を飛ばしている。その声に応えるようにあちこちの岩陰や段差を盾に迫ってくる手下連中が見えるけど、舐めて掛かって泣きを見るのはそっちの方だぜ!

 天然の水路を挟んで飛んできた矢を打ち払いながら岩場を蹴りつける俺だったけど、飛び乗った先の岩場で不安な遣り取りを拾ってしまう。

「よーし、ひとつ大暴れしてやるか!弓の援護よろしく頼むぜ、パナシェ!」

「うん。だけどいつもみたいな猪突猛進はダメだよ。今日は仲間と一緒に戦っているんだからね」

「おっと、そうだった!じゃ、雷撃つ時は気をつけないとな」

「おいおい、とばっちりだけはナシにしてくれよ……?」

 真に用心すべきは身内だなんて笑えねえ……。からから笑うスバルと苦笑に頬を緩めるパナシェを横目に祈るような気持ちになっちまうけど、かなりの混戦になりそうだし、そういった意味でもコーラルに留守番を頼んだのは正解だった気がしてくるな。コーラルを守るために残ったセイロンにアルバ、それに用心棒の振りじゃなくなっちゃうからとナチねぇに留守を頼まれたシンゲンもいるんだし、宿屋の方が安全に違いないだろう。ひょっとすると今頃仲良く乾物作りでもしているのかも?

 そんな想像に苦笑しながら大岩の上に飛び乗って、その影にいた手下を叩きのめすついでに着地する。アロエリとパナシェの的確な援護射撃にリシェルやミント姉ちゃんの威力を絞った召喚術のおかげもあって、移動先の足場が崩れたり敵の集中攻撃を受けることもなく段々、ギムレの元へと近づいてきた。他の通路から入った皆とも距離が近づいてきたからだろう。濡れた岩場や瓦礫に足を取られないよう注意しながらでも、次第にその遣り取りがよく聞こえるようになってきた。

「食らうかっ!」

「来いっ!サモンマテリアル!」

 大岩越しに放たれた矢を回転させた槍の柄で防いだ兄貴の後ろ、透明なサモナイト石に魔力を注いだイオスが声を張り上げると敵の頭上、何もなかったはずの空中から一抱えほどの瓦礫が落ちてきた。無警戒だった頭部にそいつを食らって動きが止まった手下にすかさず兄貴が追撃を叩き込み、そこらにあった荒縄で手早く縛り上げて地面に転がす。手下の連中に召喚術を使う奴はいないし、目立って骨のある奴もいないけど、これだけの人数となると下手に戦線復帰されちゃ厄介だもんな。それでも全部捕縛することは出来ないからそれなりに痛め付けるしかないんだけど、牽制がてらの槍を振るう片手間にイオスが今のことを説明してくれる。

「相手に格別の備えがあるなら別だが、そうでないなら小手先の技でも侮れない効果を発揮する。コレも召喚師でない僕が使ったところで大した威力は望めないが、相手の隙を作り出す、あるいは止めの一撃には事足りる。要は、使い時だっ!」

「なるほど……」

 一気に敵への距離を詰めて、固まっていた連中を大きく薙ぎ払ったイオスに兄貴が目を見張って呟いてるけど、近くにいたルシアンも俺もつい聞き入ってしまった。無限回廊で戦っていた時にも思ったけど、イオスの戦闘指南はやたら実戦的だ。言われてみればなるほどと腑に落ちるのに、それまで大して意識せずやっていたことも多いから、すぐに真似したり試すことが出来るのも有難い。召喚術か……大して素質もないしとあまり練習してなかったけど、確かに保険のひとつになるか。今度ナチねぇたちに習ってみようかと考えながら手下の一人を水路に叩き落とせば、嘆息するルシアンの声が背中に聞こえた。

「すごいや……召喚術をあんなふうに割り切って使う手もあるなんて、考えもしなかった」

「召喚対象が無機物であれば、確かに容易なものではありますし」

「召喚した相手の意志を縛るようなものでないのなら……それなりに有用なのかもしれんな」

 ほそっと、リビエルの解説に続けて聞こえたのがアロエリの声だったことに驚いたのは俺だけじゃなかったらしい。えっと喜色を含んだ声が揺れるけど、召喚術が得意なリビエルとしては何かアロエリに教えたくて仕方なかったのかもしれない。どれだけ使い物になるかは分からないけど、やり方を知ってるだけでも大違いだしな。これまで召喚術を毛嫌いしてたアロエリだけど、気が変わったならいつだって挑戦していいはずだ。

「助けてぇ~!」

「しっかし、思ったより厄介だな、アイツ……」

 そういった意味じゃ、まともなやり方なんて学んでないはずなのにバレンの使う召喚術は中々侮り難いものだった。サモナイト石も杖もどうせ盗品だろうけど、ああして情けない声を上げながらでも狙いは正確、メイトルパの術だけでなく無属性の術まで飛ばしてくる。さっきも兄貴と背中合わせになったところに前ナチねぇも使ってたシャインセイバーを落とされて、そこに追撃とばかり斧を振り上げたギムレが駆け込んできたのには焦った。すぐにスバルとパナシェが息の合った連携で引き剥がしてくれたからいいけど、派閥に属していない外道召喚師だろう割に当たればそれなりに痛いバレンの術と、ギムレの剛腕から繰り出される斧の一撃。両方いっぺんに食らったらたまったもんじゃない。同時に相手するとなるとこの上なく厄介、兄弟というだけあって侮れない連携だけど、要は二人揃っているからこその脅威なんであってつまり……!

「ナチ!」

 俺が思い付いたと同時にイオスが鋭く声を張り上げた。具体的な指示どころか単語も目配せすらもない、斧を構えたギムレと対峙しながらの呼び掛けひとつで、けれどナチねぇには伝わったらしい。

「はぁい!」

 透明なサモナイト石を取り出して微笑んだナチねぇが短い詠唱と共に魔力を込めて、呆気に取られるギムレとバレンの頭上にあっという間に門を開いて。そこから雨霰のように降り注いだのは闇を纏った剣やら槍やらの武器の群れ、シャインセイバーと対をなすような無属性の範囲召喚術、ダークブリンガーだった。

「おわあああっ!?」

 さっきシャインセイバーを召喚したバレンへの意趣返しか、段違いの威力が乗ったダークブリンガーを落とされた二人が裏返った悲鳴を上げながら逃げ惑う。魔力で出来た武具の切っ先を避けるのに夢中になるうち大きく分断されたとは気付いていないようで、これはチャンスだ。

 よし、と頷いたイオスが兄貴と一緒にギムレに向かって駆け出した。ナチねぇもミント姉ちゃんと目を交わすなり、自分はへたり込んだバレンの方の、ミント姉ちゃんはギムレたちの奥にあった檻の方へと駆け寄っていく。そこに余計な言葉はひとつもない。イオスもナチねぇも互いに振り返りもせず、迷いもなしに次の行動に移っていく。言葉なんかなくたって互いの気持ちも考えも分かり切っているように。

「あわ、あわわわわっ……」

 へたり込んだまま気圧されたように後退りを繰り返すバレンじゃなく、檻の奥で縮こまっている召喚獣にさっと目を走らせたナチねぇは少しして、ほっとしたように息を吐いた。離れた場所にあった檻の様子を見ていたパナシェが駆け寄ってきて、ナチねぇと二言三言、何か話してから今度はミント姉ちゃんのほうへと駆けていく。捕まっていた召喚獣たちの具合を見ていたようだけど、どうやらそこまでひどい状態じゃなかったらしい。バレンの方を警戒しながら俺もそれとなく檻の様子を見ようとしたところで、ナチねぇがふと呟いた。

「何だか、勿体ないですね」

 ぽつりと雨垂れのような声が落ちた。大勢は決したとはいえ戦いはまだ終わっていない。ギムレや残りの手下連中と戦ってるんだろう、高い金属音や剣戟がそこら中に反響している中、ナチねぇの声を拾える距離にいたのは俺とバレンくらいのものだった。凹凸の激しい岩壁に背中を押し付けるような勢いでビビっていたバレンが、へ、と間の抜けた顔をする。

「これだけの召喚獣を一ヵ所に集めて、目立って体調を崩した子もいなければ傷ついている子もいない……食事の用意だけでも大変だったでしょうに、それぞれの種族の生態や気質を理解した上で檻を遠ざけたり一緒にしていたんですね?派閥や軍学校に属しているわけでもないあなたがそれだけの知識を得るまでには並々ならない努力があったはずです。それが、日の当たる形で評価されなかったのは……とても残念な気がしますね」

「そういえば……」

 檻の中で地べたに座り込んでいる召喚獣だけど、小汚い身なりをしている奴はいない。高く売るためだったんだろうけど、見るからにやつれたりもしていないし、それなりに世話されていたんだろうことが分かる。他人の召喚獣を浚って勝手に売り飛ばすなんて決して許せないし、動機は不純でやってることも悪党そのものではあったけど、その点に限って言えば滅多に出来ることじゃないだろう。こいつらの置かれてきた環境や暮らしを思えばなおさらだ。

「せっかくそんだけの知識や実力があるなら、もっと皆に感謝されるような形でも使えただろうにな」

 やったことは最悪だけど、こいつなりに頑張ったことは確かなんだろう。それだけは共感できるし感心出来ると思ったままに呟けば、バレンはますます目を見開いた。どこか唖然としたような呆気に取られたようなその顔に、ナチねぇが手を差し伸べるように声を掛ける。

「バレン君……でしたよね?今からでもやり直してみる気はありませんか?」

「な、なに言ってるんだよぉ……俺は、あんちゃんのために……」

 狼狽えるように声を揺らしたバレンだったけど、そこで鈍い金属音が響き渡った。咄嗟に視線を投げやれば、ギムレの間合いに深く踏み込んでの兄貴の一撃が決まったらしい。どしんと派手な音を立ててひっくり返ったギムレの手にもはや斧はない。今の衝撃で弾き飛ばされたんだろうけど、さあ観念しろ、と肩で息をしながら兄貴が詰め寄ろうとするよりギムレが立ち直る方が早かった。

「……あ、明日に向かって退却だあぁーっ!!」

「あ、あ、あっ……、っ!あんちゃん、待ってえええぇぇーっ!?」

 大半の手下をやられて自分も得物を失って、ついに逃走に踏み切ったギムレの逃げ足はとんでもなく早かった。尻尾を巻いて逃げ出したギムレを追い掛ける形でまだ動けた手下の連中も一目散に駆けていく。その姿と俺たちを見比べるように忙しなく視線を行き来させたバレンもぎゅっと目をつむり、俺たちだけじゃ抑えきれなかった抜け道のひとつに駆け出して、その背中は見る見るうちに見えなくなってしまった。

「なんて逃げ足の速さだ、まったく……まあ、いいか。浚われた召喚獣の確保さえ出来れば事件の立証そのものは……って、おいっ!?」

 逃げていく連中を呆気に取られたように眺めた兄貴だったけど、歓喜の声とも驚愕の雄叫びとも付かないどよめきが洞窟いっぱいに反響したことで愕然と叫んだ。兄貴がギムレたちの逃走劇に気を取られている隙に、パナシェとスバルの奴が檻を片っ端から開けて回っていたからだ。自由の身になった召喚獣が我先にと洞窟から逃げ出していく姿にこぼれ落ちそうなほど目を見張る兄貴に、二人はあっけらかんと返す。

「あれ?もしかして勝手に逃がしたら不味かったのか?」

「あははは。だって皆、窮屈そうだったから」

「な、なんてことを……とほほほ……」

 今回の事件の報告書が顛末書へと様変わりしてしまった兄貴が力なくその場に崩れ落ちていくけれど、その遣り取りでぴんと来た。これはひょっとして、ひょっとしなくても。

「……計画的犯行ってやつ?」

「……まあな」

 コーラルがいたならきっと尋ねただろうと小声で聞けば、その瞳だけで柔らかく頷いたスバルが息を吐くように笑う。

「でも、逃がしたのは帰りたくないって連中だけだからな?」

「あの人にも話は通してあるし、ちゃんと人間を襲わないって約束もさせたからね」

 大きい身体を気持ち小さくしながら耳打ちしてくるスバルの言うとおり、がらんとした檻が目に付くけれどそれなりに残った召喚獣もいるようだ。ナチねぇを目で示しながら笑い掛けてくるパナシェも肩を竦めているけど、俺より大きな二人がまるでヤンチャな悪戯っ子のように見えて、数年前までの自分とリシェル、ルシアンの姿が重なって見えてしまって。

「大したもんだよ、まったく……」

 俺もつい、声色を緩めてひそかに笑い返してしまっている。

 

 ひとまず兄貴を除いては一件落着となったけど、ひとつ、問題が残っている。

「で、結局のところ、マルルゥはあそこにいなかったのか」

 大きく眉を下げた困り顔でアルバが言った言葉が全てだった。探していたマルルゥは、さっきの場所にはいなかったのだ。

「うん。てっきり捕まってると思っていたんだけど」

「まったく。一体どこ行っちまったんだよ、あいつ……」

 完全に当てが外れたスバルとパナシェがほとほと参ったとばかり溜め息を落としているけど無理もない。これでマルルゥ探しは振り出しに戻っちまったわけだけど、こうなると何の手掛かりもないのだ。単純に迷子となるともはや人海戦術で捜すしかないけれど、今回の件の後始末で大人たちはこぞって慌ただしくなってしまったし……ここから先どうしようか、溜め池のほとりに並んで腰掛けて思案顔を寄せ合っていた時だ。

「ムイッ、ムイーッ!」

 不意に聞き慣れた声がした。足元に視線を落とせばミント姉ちゃんのオヤカタがムイムイと飛び跳ねながら何か必死に主張している。

「ちょっとオヤカタ、どうかしたの?そんなに慌てて」

「とにかく付いて行ってみようぜ」

 ミント姉ちゃんも不思議そうに首を傾げるけれど、畑で何かあったんだろうか?ともかく行ってみれば分かるだろうとオヤカタの後ろを追い掛けていった俺たちは、けれど辿り着いた先で唖然と立ち尽くすことになった。

「うううう……っ、誰かぁ……っ。このベトベトしたの、取ってくださぁーい……」

「マルルゥっ!?」

 スバルとパナシェの声が重なった。オヤカタの案内で辿り着いたのはミント姉ちゃん自慢の野菜畑、畝の間に俺たちが仕掛けた罠の前。それに引っ掛かって身体中、トリモチでべたべたになりながら哀れっぽい泣き声を上げている手のひらサイズの妖精こそが、二人の探し人であるマルルゥだったのだ。

「まったく心配かけさせやがって」

「ヤンチャさん、ワンワンさん、ごめんなさい……」

 それから暫く後、トリモチをくっつける前の綺麗な姿になったマルルゥがしゅんとした様子で頭を下げていた。その姿はまさしく絵本に出てくる妖精そのものだ。後頭部で二つに結んだ長い緑の髪に、胸元から腰回りまでの緑のドレス、腰元と手首の辺りにふんわり黄色いつぼみを纏ったような格好がよく似合っているだけに、さっきまでの悲惨な姿がどうにも頭をよぎってしまう。

 いつもだったら朝に罠を外しているところを、今日はリシェルたちも用事があって俺も食堂が忙しかったらうっかり忘れてたんだけど……そのおかげでマルルゥが見つかったと思えば結果オーライと言えなくもないが、何とも言えずバツが悪い。

 小麦粉や油を駆使して綺麗にしたところで心底感謝の言葉まで貰ってしまい空笑いを浮かべていた俺とリシェルだけど、初めて見る妖精に感動している様子だったルシアンが思い付いたように疑問をこぼした。

「だけど、どうしてオヤカタは今までマルルゥのことに気付かなかったのかな?」

「それに、どうしてこんなところにいたの?マルルゥ」

 毎日畑の見回りだってしてるのに、と不思議そうなルシアンに続いてパナシェも優しく問い掛ける。ミント姉ちゃんにも不思議そうな顔を向けられてバツの悪そうなオヤカタの隣、するとマルルゥは小さな両手をぐっと握り締めながら力説した。

「オヤカタさんはマルルゥを庇ってくれてたのです!人間に見つかったら大変だからって、ゴハンも半分こして分けてくれたのです!それからここにいたのはですね……あんまりこの畑が素敵な場所だったからつい、ふらふらと……」

 えへへへ、と照れ笑いをするマルルゥからオヤカタに視線を移して、ミント姉ちゃんが驚いたように呟いた。

「そうだったの……」

「ふふふっ、オヤカタいいとこあるじゃん」

 リシェルに頬をつんつん突かれて照れたように鳴くオヤカタだけど、メイトルパの妖精にまでそんなふうに褒められるなんてさすがはミント姉ちゃんの畑だな。

「確かにこの畑は大地の豊かな息吹に満ちているからな。植物の妖精がつい引き寄せられたのも頷ける」

「うん、そうかも。何だか懐かしい感じがするもの」

 改めて畑を見渡したアロエリやパナシェもしみじみ同意を込めて頷いていて俺まで嬉しくなっちまうけど、ともあれこれで正真正銘、一件落着って感じかな?そう思ったところで、きゅるるる、と間の抜けた音が響いた。無言で視線が集まった先、あややや……と恥ずかしそうにお腹を押さえているのはマルルゥだ。でも、そりゃそうか。ずっとメシを半分こしていたなら物足りなくって当然だよな。

「よしっ!もういい時間だし、ここはひとつマルルゥの好きな物でも食わせてやるぜ?」

「それならマルルゥ、おナベがいいですよ♪」

 せっかくだしとマルルゥに好物を尋ねてみれば思わぬ料理名が返ってきたけれど、疑問符を浮かべてしまった俺にパナシェとスバルが笑って答える。

「ボクたちの島のしきたりなんだよ。いいことがあった時にはみんなでおナベを囲むんだ」

「皆の絆がもっと深まりますようにってな」

 なるほどな、そいつは確かに素敵なしきたりじゃないか。

「よっしゃ、だったらとびっきりのナベを作ってやるぜ!」

「お野菜はもちろん、うちの畑のでね?」

 ちょっぴり誇らしげに笑いながら言ったミント姉ちゃんに、おーっと揃って拳を突き上げながら元気いっぱいの賛成を返して、その日の夕飯は皆で仲良く鍋を囲むことに決まるのだった。

 




高く跳ぶためには一度深く沈む必要がある。とはいえ…しかし…と苦しみながらライくんを曇らせています。
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