20240804一部修正
3:ドキドキ、初めての御使い
「なるほどな。あの竜の子はお前らが最初に見つけた時から、得体のしれん連中に狙われていたっていうことなのか」
早朝、昨日の騒ぎに関わってしまった人たちを食堂に集めてこれまでの話をした。チビを拾った経緯について洗いざらい話すことが巻き込んでしまった俺たちの義務で、責任の取り方だと思ったからだ。念押しするように復唱する兄貴に向けて、俺は肯定の意味を込めて無言で頷き返した。
「そんな危険な騒ぎに巻き込まれてらしたなんて……どうして、黙っていたんですか!?」
リシェルもルシアンも答えられずに黙りこくっている。俺も、ナチねぇからの視線が痛くて黙ることしか選べない。巻き込みたくなくて黙っていた、こんな大事になるとは思わなかった。何を言っても足りない気がした。それどころか本当に言いたいことから離れていく気がして、ますます口ごもってしまう。
「まあまあ、三人ともちゃんと反省してるみたいですし。ポムニットさん、ここは抑えて」
「しかしですねぇ」
一番落ち着いた様子で俺たちの話を聞いていたミント姉ちゃんが、興奮するポムニットさんを宥めるように穏やかな口調で話しかけた。
「やり方は間違っていたかもしれないですけど、この子達はこの子達なりに竜の子を拾ったことに対する責任を取ろうとしていたんですもの。その気持ちはけしていい加減なものではないと思いますよ」
「はぁ……過ぎたことをいくら掘り返してもどうにもなりませんし。始めに本当のことを教えてもらえなかったのは思うところありますけど、今回ばかりは許してあげましょう?きっと色々と学んでくれたでしょうし、今後に期待です」
「むむむむむ……」
黙りこくっていたナチねぇも溜め息をひとつ吐いて説得側に回ったことで、納得できないと唸っていたポムニットさんも渋々折れてくれたようだ。ポムニットさんの深い溜め息を背景に、兄貴が威厳たっぷりに通告する。
「まあ、これにこりたら二度と同じ真似だけはしないことだな」
「悪かったよ……」
「ごめんなさい……」
素直に謝れば、ポムニットさんから早速の念押しが飛んできた。
「もおっ……、約束ですからね!?」
どうにかひと段落といった雰囲気になったところで、本題とばかりに兄貴が話を切り出す。
「さて、それじゃあ今までのことはこれで水に流すとしてだな。問題は、ここから先どうするかってことだ」
そう、それが問題なのだ。
「いったいあの連中は何者なの?」
「ただのゴロツキや野盗の類でないのは間違いないな。指揮官の下で戦いの取れた戦い方をしていた」
「あのおっさん、レンドラーって名乗ってたぜ。剣の軍団の将軍とか言ってたな」
そういえば、と何かを考えていたルシアンが主張する。
「でも、最初に僕たちと戦った悪者たちはあの人たちとは全然違う雰囲気だった気がするけど」
「軍団と名乗るからにはいくつかのグループに分かれているのかも」
ミント姉ちゃんが真剣な表情で口元に指を当てながら呟いた。
「てことは、俺たちが最初に出くわしたのはその別のグループだったってことか」
「ええ、そしてもしこの推測が正しいとするならば……」
「その悪者さんたちの背後には、間違いなく指示を出す組織が存在してますね。それもかなり巨大な」
困ったなぁ、といった雰囲気で頬杖を付くナチねぇに頷き返した兄貴が、難しい顔をして締めくくった。
「そして、おそらくそれは犯罪行為も厭わない一味に間違いないな」
「犯罪組織ですって!?む、無茶苦茶に物騒で危険な状況じゃないですかっ!?」
犯罪行為と聞いてまるで火事になったかのような慌てっぷりを見せるポムニットさんを宥めようとルシアンが横から声を掛ける。が、大変です一大事ですとその勢いはまるで削がれず加速していくばかりだ。自分たちが予想していた以上に大変な事態になっていることを突きつけられて、俺もリシェルも言葉を出せずに立ち尽くした。
「正直に言えばこれはもう俺の手には余る。軍本部に報告してしかるべき処置をとるべきだと思う」
「是非にそうしてくださいまし!」
「ちょっと待ってよ!」
勝手に決まっていく流れに我に返ったリシェルが大声を上げた。
「そんなことしたらあのこは一体どうなるの!?」
「当然、軍が保護することになるだろうな」
「そんな……」
意気消沈し項垂れるリシェルを励ますように兄貴がぽんぽんと肩を叩く。
「心配は要らないさ。軍に任せておけば安全なんだから」
「うそだっ!」
だと言うのに鋭い否定の声が飛び、驚いて声の方向を見やれば滅多に見ないようなきつい目を向けるルシアンがいた。
「僕は知ってる。本で読んだから知ってるんだ。帝国軍には珍しい召喚獣を研究してる施設がある……あのこは、きっとそこに連れて行かれちゃうんだ!!」
「!?そうなのか、兄貴?」
そうなったらどんな扱いを受けるというのか。そんなの根も葉もない嘘っぱちに過ぎないと否定して欲しくて見上げるけれど、兄貴は困ったように頭をかく。
「まあ、そりゃ……放し飼いにもしちゃ置けないし」
「ひどいじゃない!?」
「いや、だからといって別にひどいことをするつもりは……」
興奮したリシェルが兄貴に掴みかかろうとするのを止めたのはミント姉ちゃんだった。
「グラッドさんを責めないであげて。召喚術の研究にとって、至竜は貴重な研究の対象になるの。蒼の派閥だろうと、金の派閥だろうと、それは同じのはず。帝国軍だけに限ったことじゃないわ」
「だからって……」
「物珍しい召喚獣は、なんだって研究の対象になります。それが至竜ならどこの組織でも目の色を変えて欲しがるでしょう。対象からできる限り有益な情報を引き出す、それが研究の目的ですから」
淡々とした調子で紡がれた言葉はナチねぇのもので、これもやっぱり聞きたくない内容だった。ミント姉ちゃんを見るも、悲しそうな目をして首を振るだけだ。派閥も軍も、こいつの存在を知れば利用するためだけに手に入れようとするのか。
「善処はする!そうならないように俺がかけあう!」
「でも、絶対じゃあないんでしょ!?」
「それは……」
「そんなのいやよ!!それじゃあ悪者に捕まるのと変わらないじゃないのよ!?」
一方的に激しさを増していたリシェルと兄貴の遣り取りも、悲鳴のようなリシェルの叫びでぷっつりと断ち切れて、部屋の中がしんと静まり返ってしまう。気まずい沈黙を破ったのは、さっきまで誰より狼狽していたポムニットさんだった。
「気持ちは分かります、お嬢様。ですが……わたくしはやはり軍に任せるべきだと思います」
「なんでよっ!?」
射抜くようなリシェルの瞳をしっかと見つめ返してポムニットさんは言う。
「お嬢様があの竜の子を心配しているようにわたくしもまたお二人のことを心配しているからです。……わたくしのことを軽蔑なさったって構いません。ですが、ここはどうか聞き入れてくださいまし。あまりに相手が悪すぎます……」
これはもう、大人の意見に従うしかないのだろうか。チビが不幸になると分かってても従うしかないのだろうか。それが一番いい選択なのか分からず俯いた俺に、声がかかった。
「ライ君、君はどうしたい?大人に任せたほうがいいって思う?それとも、自分たちでなんとか面倒を見てあげたい?」
ミント姉ちゃんがじっと俺を見つめている。質問の意味が上手く飲み込めず瞬く俺に、促すように問いかける声が続いた。
「ライ君、他の誰でもない、ライ君の意見を聞かせてほしいんです。君は、どうしたい?」
少し離れたところで椅子に腰かけたナチねぇの目は、俺を見ていた。俺を見つめて、俺の言葉を待ってくれていた。俺の本音を促すような柔らかい声で問いかけるナチねぇは、まるでミント姉ちゃんとアイコンタクトでもしていたかのような意思疎通っぷりで、こんな場面にも関わらず少し笑ってしまいそうになるほどで。だから、俺は。
「俺は……やっぱり、最後まで俺たちでなんとか面倒を見てやりたい」
「なに無茶なことをいってるんです?相手は、犯罪組織かもしれないんですよ!?」
呆然とした表情のポムニットさんが見る間に興奮に頬を染めて怒鳴った。それは至極最もな反応なんだろうと思いながら、俺も譲れない意志をぶつけるように、決して負けないように腹の底から声を張り上げた。
「犯罪組織でも!そうじゃなくても!俺たちは自分の意志でチビすけを連れてきたんだ。だったら、最後までその責任を取るのが当然じゃないか!?都合が悪くなったから係わり合いになるのを辞めろなんて……俺にはどうしても納得できねえよっ!!」
親父が馬鹿なことを仕出かして町から姿を消したあの時、俺はそれまでいた友達を一気に失った。あんな非常識な父親のいる子と付き合うのはやめなさい、親のいない子と付き合うのはやめなさい、言い方はそれぞれ違ったけれど意味することは同じだ。都合が悪くなって、俺は切り捨てられたのだ。親にも、町の人間にも。
「……っ」
チビと自分を重ねてみるつもりは無かったが、感情には溢れてしまったようでポムニットさんが気圧されたように言葉を失う。しまった、とどこかで思うが、撤回するつもりは無かった。
「気持ちは分かるさ。けどな……」
ぴぎぃぃっ……。
兄貴の言葉を遮るようにか細い鳴き声が響いた。驚いて顔を上げれば、部屋に寝かせてきたはずのチビが俺の胸に飛び込んでくる。胸元に頭を擦り寄せるのはいつものことだが、鳴き声を上げたまましっかり引っ付いて離れようとしない様子に面食らう。
「チビすけ!?お前……」
「離れたくないんだよ、ライさんと。きっと……」
ルシアンの言葉に改めてチビのことを見てみれば、全身が小刻みに震えているのが分かった。服にだって皺が寄るほど、必死になってしがみついている。
「心配するな、大丈夫だからな」
頭を撫でてやればほっとしたように小さく鳴いたチビに、俺はそっと笑いかけた。
「どうやら、答えは最初から決まってたみたいだね」
「一度関わった以上見て見ぬ振りは出来ぬ、がライ君ですからね」
「ずるいですよ……こんなの……。これじゃあ、まるでわたくしたちが悪者じゃあないですか」
にこにこと会話するミント姉ちゃんとナチねぇに、唇を尖らせて不平をぽつりと漏らすポムニットさん。一番反対していたポムニットさんも折れてくれたと分かるや満面の笑みに変わったルシアンに、ポムニットさんはがっくりと肩を落とした。
「はぁ……仕方がありません」
「ありがとっ!だからポムニットだぁーいすきっ♪」
そう言って飛びつくリシェルと受け止めて苦笑するポムニットさんの様子は、年の離れた姉妹にしか見えない。
「しかし、町の治安を守るものとして……」
「そこをなんとかお願いしますよ、グラッドさん」
いまだ主張の折れていなかった兄貴に対しては、ミント姉ちゃんが困ったような顔をして正面から頼み込むことであっさり解決した。
「み、ミントさんがそこまでおっしゃるのならばっ!」
「あははは……」
「良かったですね、ライ君」
真っ赤になって翻弄される兄貴の様子を見てつい笑ってしまったけど、隣でにこにこ笑ってるナチねぇのことを考えると、俺も他人のこと言えないかもしれないな。
「まあ、軍への報告はとりあえずおいとくことにしてもだ。じゃあこれから先、どうするんだ?」
「どうって……今までどおりじゃだめなの?」
疑問符を浮かべるリシェルにポムニットさんが人差し指を立てて解説する。
「この子が小さいうちはそれでもいいのかもしれませんけど、大きくなっていけば流石に旦那様にもばれちゃいますよ?」
「確かに……」
まあ、オーナーにバレるより先に街の人に見つかっちまうだろうけど。……実際のところ、どれだけ大きくなるんだろう……やっぱ破産もあり得るか……?
「それに、竜の寿命は人間よりも遥かに長いものだからね。残念だけど、ずっと一緒にいることはできないわ」
「だよね……この子だって本当は仲間と一緒のほうが一番なんだもんね」
何となくしみじみとした雰囲気になってしまったところで、俺は名案を思いついた。
「それだ!卵があったってことは、チビすけにも親がいるってことだ。なら、親のところに連れてってやればいいじゃないか!」
「そっか!」
「確かに、それなら悪者に狙われたってへっちゃらよね」
まだ親が見つかったわけでもないのに問題が全て解決したような勢いで言い募る俺たちに、ミント姉ちゃんが優しく微笑む。
「じゃあ、それまでは君たちがこの子のパパとママだね」
「ちゃんと面倒見てやるんだぞ?」
「分からないことがあったら、ミントさんや私に聞いてくれれば大体のことは教えられると思うから」
元気のいい返事をしつつも、リシェルと俺のなんちゃって夫婦扱いをナチねぇが何とも思っていない様子なのは少し悔しい。やっぱり子供にしか思われてないのかとチビを抱えながらこっそり肩を落としていれば、リシェルに背中をつつかれた。
「ねぇねぇ、それじゃ、きちんとした名前をつけてあげましょ!ライ、あんたがつけてあげなさいよ」
「俺が?」
「ライさんに一番懐いているもの。きっと、この子も喜んでくれるよ」
懐かれてるのは知っていたが、端から見てもそんなに懐いてるように見えたのか思うと、なんだか照れくさい。
「へへっ、それじゃあ、えーと……よし、今日からお前の名前はコーラル……コーラルだ!」
響きで決めた感が強い名前だから文句を言われるかと思ったけど、コーラルという名前ははすんなり皆に受け入れられた。
「よろしくね、コーラル」
ぴぃっ!と元気な返事にこいつも喜んでいるのかと思うと嬉しくなって、俺も笑ってしまう。これからよろしくな、コーラル。
「ああは言ったものの、やっぱりわたくし心配です……」
「とはいえ、あいつらの喜びようを見たらなぁ」
「ですよねぇ」
賑わっているライたちに水を差すような真似は避けたいと考えたのは、その場にいた大人たちに共通する気持ちだった。いったん宿屋の外に出てから、しゅんとした様子で肩を落とすポムニットと困り笑いを浮かべるグラッドに、ミントがすまなそうな苦笑を浮かべる。
「子供たちの真剣さを理屈で曲げてしまいたくなかったんです。そのせいでお二人には迷惑をかけちゃいましたね」
「それを言ったら私なんて思いっきりライ君側についちゃいましたし、ミントさんの倍は迷惑を掛けちゃったと思いますよ。本当にすみません」
深々と頭を下げるナチとミントに、グラッドとポムニットは慌てたように言葉を掛けた。
「ちょちょ、二人ともそんな謝ることなんてないですよ!?」
「そうですよ。こういう苦労には馴れっこですし!」
それでも申し訳なさそうな顔をするナチと困ったような表情のミントに、グラッドが励ましを込めた笑みを浮かべてみせる。
「それに、足りない分は俺たちが支えてやれば問題ないでしょう」
「ですね……」
自分に出来ることを考えると、とポムニットはにっこり微笑んで宣言する。
「じゃあ、わたくしは様子を見守りながらお三方にご報告を」
それなら、とミントは両拳を胸の前で軽く握り締める。
「私はもう一度竜のことについて調べてみますね。まだ目を通していない文献があったと思いますし」
うーん、と腕組みをして唸ったナチは頬に片手を当てる。
「私は竜の子と一緒にいる時間が長いと思うので、その生態の観察を。またサプレスの竜の記述で使えるものがあったらミントさんに提供しますね」
最後にグラッドは槍を構えなおし、きびきびとした声を上げた。
「自分はより一層注意深く巡回し、トレイユ近辺の情報を収集するということで!」
「頑張りましょう!」
「おーっ!」
大人たちの連帯意識もこうやって高まっていくのだと、ライたちはまだ知らない。
皆の立ち去った食堂で俺はひとり考えていた。
「コーラルのことはなんとかなりそうな感じだけど、例の星集めのほうはそう簡単にいきそうじゃないよなあ。一体、どこから手をつけたらいいのやら……」
「でしたら、まずは徹底的にお掃除なんていかがでしょう?」
ぼやいていたのはあくまで独り言だ。まさか返事が返ってくるとは思わなかった俺は目をかっぴらいて驚いてしまう。
「ポムニットさん!?」
なぜここに!というか、どうして話を知っているんだ?そんな疑問が顔に出ていたのか、俺が何も聞かずともポムニットさんはうんうんと頷きながら説明してくれた。
「ことのあらましはこっそりと聞かせていただきました。お掃除というものは、お客様をもてなす基本中の基本です。塵も埃も無いくらいピッカピカに磨き上げれば、爽やかな雰囲気でお客様も大満足間違い無しです!」
「けど掃除するだけでいきなりお客が増えるもんかなあ?」
熱弁をふるうポムニットさんには申し訳ないが、ビラでも配って宣伝するほうが効果が高い気がする。しかし、ここはわざわざやってきて助言してくれたポムニットさんを無下にするのも忍びないし、意見を取り入れてみるか。
「ポムニットさんがそう言うなら、掃除してみるかな?」
「そうです、そうです。わたくしがご指南いたしますっ!」
ぱぁっと顔を明るくするポムニットさんの様子を見ると、お客の入りが本当に良くなる気がする。本当に客入りが増えるといいんだけどな。そう祈りつつ徹底的に掃除をした効果が出るのはもう少しだけ、先の話だ。
「さて、もうじき昼の仕込を始めないとな」
ポムニットさんが張り切って掃除を手伝ってくれたおかげで時間に余裕が出来たし、夜の分も見越して多めにやっておくとするか。
そう思い立った俺は早速、厨房に移動して適当な木箱を引っくり返し、根菜の箱を引き寄せた。逆さまの木箱に腰を下ろして、とりあえず芋の皮むきでも、と手近なのをひとつ手に取ったところで、ライくーん、と軽い調子の声に呼ばれて振り返る。そう、反射的に振り返ってしまって、固まった。ばっちり目が合ったナチねぇが浮かべているにこやかな笑みに、げ、と知らず腰が引く。
「お昼の仕込みをするの?それじゃあ私も手伝うよ」
「あ、や、多分俺だけで大丈夫だと思うから、ナチねぇは派閥の仕事してていいって」
「少し、話したいことがあるんだけどな?」
口元は微笑んでいるのに目はしっかり怒っているナチねぇに、俺は視線をさ迷わた挙げ句、こくりと小さく頷くのだった。
「私が言いたいこと、分かってるよね?」
「悪者に狙われてることを黙ってたこと、だよな」
しゅるしゅると芋の皮をむきながら返せば、当たってるけど足りない、と不満そうに返される。ナチねぇの栗色に近い濃い茶の髪は三つ編みに結われて、その先っぽは邪魔にならないよう背中側に垂らされていた。肩を動かすたびにゆらゆらと揺れる毛先が気になるのか、意外に俊敏な動きでじゃれついていたシズクもナチねぇの言葉に同意するように不満げな唸りを上げて、開け放った勝手口の向こうで草を食んでいたガゼルまで呆れたような視線を寄越してくる。こいつら……と八つ当たりに近い感情を持て余しながら俺は無言で頬をひくつかせた。
「あのね、ライ君。私が怒った、というより悲しかったのは、ライ君が危険な目に遭ってることを知らずにいたことだよ」
知らずにのうのうとしていた自分が悔しくて情けなくて、嫌だったの。
てっきり黙ってたことを怒られると思っていた俺は、皮むきの手は休めないままちらりと視線を上げた。ナチねぇは片手に持った芋を見つめて、一見すると皮むきに没頭しているようだった。
「俺のこと、怒ってるんじゃなかったのか?」
「怒ってるよ。そんな大事なこと言ってくれなかったんだもの、私だって怒っちゃうよ」
ねぇ、とナチねぇが包丁を動かす手を止めた。その横顔にほつれかかった髪の間、どこか辛そうな色をした目を見つけて、俺も手を止める。
「言ってくれないと、何も分からないよ。ライ君が危険な目に遭っててもそれを知らずにいたら何も、出来ないの。私たち、家族だって思ってて……いいんだよね?」
「当たり前だろ!ナチねぇは俺の家族だ!」
寂しげに揺れる声を聞いた途端、俺は勢いよくその場に立ち上がっていた。がたん、と派手な音を立てて木箱をひっくり返した俺に、大きく肩を震わせて見上げてくるナチねぇの瞳はうっすら滲んでいるように見えて、怖がらせちまったかと慌ててその場に腰を下ろす。
「ご、ごめん」
「ライ君、手の中のお芋、潰れちゃってるよ……」
どれだけの力を込めて握ってしまったのか、折角半分まで剥いた芋がぐしゃりと潰れていた。なんてことだ。
「あーあ……あ、とにかく、俺はナチねぇのこと大事な家族だって思ってるから」
「じゃあ、今回みたいな隠し事は絶対もうしないでね?約束だよ」
気を遣った結果が逆に傷つけるだけだったと学べたのは、不幸中の幸いだったと言えるだろうか。次は許さないからね、と唇を尖らせるナチねぇに俺は重々しく頷いてみせた。
昼の混雑を捌ききって表の扉に準備中の札をかけると、テイラーさんの屋敷へと足を運んだ。いつもの定期報告って奴だ。
その途中、水道橋公園近くの木立でルシアンを見かけたのは偶然だった。一心不乱に剣を振るっている横顔は真剣そのもので、リシェルの姿が見えないあたり一人稽古でもしているのだろうか。何となく気になって声をかけてみれば、やっぱり秘密の特訓中だったらしい。
「うん、ちょっとでも強くなりたくて。今の僕じゃ、弱くてちっとも役に立たないし」
「そんなことねえって。習い始めた頃と比べたら、随分強くなってきてるぜ」
「だと、いいんだけど」
しっかり保証してやったが、不安は拭い切れないようでルシアンは剣の柄をぎゅっと握り締めた。その手のひらに剣ダコができてるのを俺もリシェルも知っているけど、ルシアンはいつも、より強い自分になろうと努力を重ねている。こいつはもっと認められて然るべきやつだよなあ。しみじみとルシアンを眺めながら、俺は何となしに呟いた。
「けど、気弱なお前が剣を始めるとは正直思ってなかったぜ」
「父さんの言いつけだったからね。僕は姉さんと違って召喚師には向いてないみたいだから、軍学校を出て軍人として出世しろって」
「はあ、出世ねぇ……」
出世になんの意味があるものか、と感じてしまう俺は根っからの庶民なんだろう。
「でも、言われたから続けているわけじゃないんだよ?強くなりたいって気持ちは、元々僕にもあったし」
「そっか……」
余計なことまで考えそうになっていた俺を明るい声が引き戻す。ルシアンの瞳は活き活きと輝いていて、嫌々やっているようにはとても見えない。誤魔化しじゃないようだな、と少しばかり胸を撫で下ろした俺に、それにね、と恥ずかしそうに声を潜めてルシアンは囁いた。
「剣を習い始めた頃に、町の近くの森ではぐれに会っちゃって……その時、助けてもらったんだ。ナチさんに」
「えっ?」
「相手は一匹だったんだけど、その時の僕は攻撃を避けるのに精一杯で、あちこち擦り傷とか負っちゃって。もうだめだって思った時に、散歩に通りかかったナチさんが助けてくれたんだ」
初耳だ。どうしてナチねぇは黙っていたんだろう。そんな疑問が顔に出ちまったのか、ルシアンは苦笑に頬を緩めた。
「ほら、コーラルを拾った日のお昼に、言ってたじゃない?ナチさんがサプレス専門の召喚師だって知ってるってこと」
「ああ、そういや言ってたよな」
「はぐれの撃退も、僕の治療も、全部紫色の石から呼び出した召喚獣でしてくれたから。家に帰った後、本を読んで初めて知ったんだ。あれがサプレスの召喚術なんだって。あと、治療の時に……誰にも言わないでって僕が頼んだから黙っててくれたんだと思う」
「どうしてそんなこと頼んだんだ?」
「恥ずかしかったのと、もし僕がはぐれに怪我を負わせられたなんて知ったら、父さんは外出を許さなくなるかもしれないでしょう?」
なるほど、と俺は深々と頷いた。
「ああ、親父さんならやりかねないな」
テイラーさんの怒り顔を思い出して納得してしまった俺だが、それはつまり、今度は守られる側じゃなくて守る側に立ちたいって気持ちが芽生えたってことか?それとなく窺えば、やっぱりルシアンは照れくさそうな顔をして、はっきりと明言はしなかった。それでもその表情を見れば、わざわざ聞かなくたって分かってしまうと言うものだ。
「そっか。よし、ならそのうち俺が稽古つけてやろうか?教本どおりにやってるだけじゃ限界あるだろ」
「ホントに!?」
喜色満面なルシアンに俺も自信満々に笑い返す。
「ああ、お安いご用さ。」
守るために強くなろうとするのは、健全な目的だと思うし。目的もなく強さを身につける奴より、ルシアンはきっと強くなるだろうな。
そうやって気分よく足を運んだおかげか、定期報告はいつもの小言を少し食らった程度で早めに済んだ。用事も済んだしさあ帰ろうと踵を返した俺だったが、玄関先で大きな溜め息を吐いているリシェルに見つかったことで足を止める。
「あーあ、あんたはいいわよねえ。何をするのでも自由に出来てさあ」
「なんだよ?藪から棒に」
まるで俺が責任もなしに自由を満喫しているような物言いにカチンと来るが、まあ、リシェルだしな。気にしないことにしてひとまず聞き返してみると、両手で頬杖をついたリシェルはタコのように唇を尖らせた。
「あたしたち、あの後ポムニットにお説教されまくったのよ?自分の立場を考えろとか言われてさあ、家がどうだのなんてそんなのあたしに関係ないわよ……。お嬢様扱いなんか、しなくてもいいってのに!」
あんまりにも清々しいリシェル節で、ぷっと噴出しそうになるのを堪えて俺は言う。
「お前って昔からそうだよな。なんでそんなにムキになって否定すんだよ?」
「だって……やなんだもん」
ぶぅ、と風船のように頬を膨らませる様子はリスかハムスターのようだ。いよいよ笑いそうになるのを腹に力を入れて耐えていると、リシェルは憂鬱そうに目を伏せた。
「町の人たちは皆言ってるわ。家が金持ちなのはお金のことしか考えていないからだって」
心無い町の人間がそんなことを言ってるだろう予想はしていたが、まさかリシェルの耳に入るほど言われていたとは。思わず目を見張ってしまう俺には気づかず、リシェルは噛みしめるように続ける。
「でもそれ、多分デタラメじゃない。パパはいつだって事業とか利益のことしか口にしないもん。離れて暮らしてるママのことも全然気にしてないし……だから、決めたの。あたしは絶対パパみたいにならない!パパが望んでいるような、可憐で清楚な箱入り娘なんかにはならないわ!徹底的に反抗してやるんだから!!」
「やれやれ……」
徹底的に、と来たか。途中までは神妙な顔をして聞いていた俺だったが、ここまで来るとオーナーが少し可哀想に思えてきてしまう。
「なんか文句ある?」
「別に……いいんじゃねえの?俺だって、散々親父のことをボロクソに言ってるし、そういう考え方もお前らしいなあって俺は思うぜ」
「ふふん、当然よ!」
そこで胸を張る意味は分からないが、リシェルはリシェルらしくしてなきゃ調子が狂うからな。お嬢様らしいお嬢様になんかならないぞー!と拳を振り上げ鼻息荒く決意を露にする様子は、ポムニットさんが見ていたら頭痛を引き起こしそうなほど気合いにあふれたものだった。
次の日、ミント姉ちゃんの家で俺たちは額を突き合わせていた。
「あれからすぐ、手持ちの記録を調べてみたのですが……本件に該当するような犯罪組織の動きは見られませんでした」
「帝国の警戒している犯罪組織というと、無色の派閥と紅き手袋ですね」
「ええ」
深刻そうに頷く兄貴とミント姉ちゃんだが、知らない単語に俺の頭上には疑問符ばかりが浮かぶ。そんな様子を見かねたのだろう、ミント姉ちゃんが噛み砕いて説明してくれた。
「無色の派閥は破壊活動を繰り返す召喚師の集団よ。召喚師が支配する世界を作るために活動を続けているの」
「紅き手袋は金で悪事を請け負う犯罪者の集団だ。窃盗、詐欺、誘拐、金額次第では殺しも平気でする集団さ」
なるほど、つまるところ。
「どっちにしろ、ろくでもない奴らってことだよな」
「まあな。だが幸い、今回の事件は連中とは関係無さそうだ」
ほっとした様子で言い切った兄貴に、ミント姉ちゃんはまだ難しそうな顔をしたまま答えた。
「一概にそうとは言い切れないかもしれませんよ?特に無色の派閥は最大勢力だった一族が壊滅したことで逆に抑制を失った各派が入り乱れているという話ですし」
「なるほど……」
派閥に属していないと知りえない事実に、兄貴が感心して何度も頷き返す。
「私も、本部の先輩にお願いして情報を回してもらいますね。師範の地位にいるし、話の分かる人だから心配は無用です」
「さすがはミントさん、助かります!おっと、そういえばナチさんは金の派閥に属しているんだっけ?」
急に話を振られて俺はナチねぇの所属について思い出すが、中々複雑な背景があるようなのでどう言えばいいか少し口ごもる。
「今は金の派閥に属している、のかな。馴染みが深いのは蒼の派閥で、ミント姉ちゃんの言う師範って人とも知り合いだったはずだし」
「すごいじゃないか!」
二つの派閥両方に関係が深い人間というのは珍しいらしく、兄貴の反応も当然といえば当然なものだった。けどナチねぇは派閥に身を置くことをそんなに重要視していないというか、どちらかと言えば厭っているような気がする。
「でも……詳しくは知らないけど、ナチさんの立ち位置は微妙なんだよね?蒼の派閥に所属しているはずだったのに、金の派閥から引抜きを掛けられて、今は事情があってどっちつかずな状況。って感じなんだって、師範からは聞いたけど」
「あー、当たらずとも遠からず?俺もあんまりナチねぇにそういう話、振りたくないんだよ」
「そうか……内部事情絡みなら仕方ないだろうなぁ」
顎に片手をやってむむむと唸る兄貴に、そう言えば、とミント姉ちゃんと話してる時だけ態度が変わることを突っ込んでみれば、動揺した兄貴は勝手に言い訳を連ねて泡を食っていた。話の矛先を変えるためにわざと振った話題だったけど、こんな調子じゃ兄貴の片思いを知らない人間なんていないんじゃないだろうか?本当、他人事ながら心配になっちまうな。
そうして事情説明から二日後、人があまり来ない駐在所に皆を呼び集めた俺は高らかに宣言した。
「よし、コーラルの親を探しにいくとするか!」
今日は一日、宿屋の仕事も休んでコーラルの親探しに使うつもりだ。ナチねぇやミント姉ちゃんにも相談済みだし、兄貴もこのために巡回時間を少しズラしてくれている。張り切って探さなきゃ勿体ないってもんだろう。
「探すって言っても当てはあるの?」
「そんなもんねえよ。しらみつぶしに歩き回っていけば何とかなるだろ」
怪訝そうに聞いてきたリシェルに当然とばかり返せば、これみよがしな顔で溜め息を吐かれた。兄貴が苦笑まじりに頭をかく。
「ホント、お前って豪快だよなあ」
「情報は足で拾うのが王道ですし、おかしなことは言ってませんけど……ライ君が言うとライ君らしく感じちゃいますね」
くすくす声を出して笑うナチねぇの隣で、ですねぇ、と兄貴が緩く頭を左右に振った。
「なら、とりあえず卵を見つけた場所に行こうよ!あのこの親が捜しに来てるかもしれないし」
「うん、それがいいかも。ひょっとしたら、何か手がかりが残ってるかもしれないわ」
確かに、メイトルパが専門のミント姉ちゃんがあの落下地点を見れば何か分かることがあるかもしれないな。それじゃあ、と俺は口を開いた。
「ぱぱっと出発いたしましょう!」
「って、ポムニット。まさか付いてくるつもり?」
いきなり横から俺の台詞を奪って高らかな声を上げたポムニットさんだが、その服装はいつものメイド服のままだ。もしあの悪者がいた場合には危険じゃないだろうか?元気いっぱいのその声に唖然とした顔で突っ込んだのはリシェルだったけど、ポムニットさんは眉尻をきっと吊り上げて食って掛かった。
「当然です!」
「き、気持ちは分かるけど止めといた方がいいんじゃないかな?悪者たちが襲ってくるかもしれないし」
「ならば、なおのこと付いていかないわけには参りません!」
断固と言い切るポムニットさんは真剣そのものだ。こいつはどうも、冗談ってわけじゃないらしい。
「けど、戦いになったらどうするんだよ?」
「足手まといになるかもしれないじゃないのよ」
言い方は悪いがリシェルなりの気遣いである厳しい指摘に、ポムニットさんの目が潤んだ。泣きそうになるポムニットさんを庇うように兄貴が片手を上げて、あれこれと言い募る俺たちを制止に掛かる。
「まあまあ、お前らそう邪険にするなよ。ポムニットさんの立場も考えてやれって」
「それに、戦わなくても色々とやれることがあるんじゃないかな。怪我の手当てとか、応援とか……」
「そうです、そうです~っ、お二人の言うとおりです。わたくしにも出来ることがあるんですから!」
あれは子供たちなりの気遣いなんですよ、と泣きつくポムニットさんの背中を優しく叩いてあやしてるナチねぇを後ろに、ミント姉ちゃんと兄貴による説得まで始まってしまった。途中途中、涙声のポムニットさんの訴えが入るせいで、早くも同行を認めざるをえない雰囲気になってきた。リシェルやルシアンもたじたじな様子を見て、俺はあっさりと白旗を上げて降参することに決める。
「ったく……しょうがねえなあ。じゃあ、無茶だけはしないって約束してくれよ?」
「かしこまりましたっ♪」
「ライ君も無茶しないって約束してくださいね」
いっつも無茶するのはライ君なんですから。そんな言葉と共に送られたじとりとした視線に気づかない振りをすれば、やれやれとリシェルが両手を広げて肩を竦めるのが見えた。
星見の丘は皇帝街道を進んだ先にある。向かう途中で草むらから飛び出してくる、キノコの形をしたプチトードスやでろでろしたスライム状のゲルアシッドを適当に追い払ってずんずん進んだ先にはあの日、コーラルが落ちてきた大穴がぽっかりと開いていた。
「ここで俺たちは卵を見つけたんだ。ほら、あの一番窪んでる辺りにあったんだぜ」
大体俺の身長くらいはあるだろうか。深々とした穴の真ん中を指差しながら説明すれば、しげしげと覗き込んでいた兄貴が感嘆と驚愕が混じった息をこぼした。
「けど、こんな勢いで落下してよく砕けなかったもんだなあ」
「多分、高密度の魔力で包まれていたんでしょうね。じゃなかったら、コーラルちゃんにくる衝撃までは無効化できなかったでしょう」
合いの手のように誇らしげに鳴くコーラルを抱いたナチねぇがおっとりと答える。
「あの、ところで竜の卵って空から落ちてくるものなんですか?」
「うぅーん……私の知る限りでは違うと思いますけど」
苦笑するミント姉ちゃんの様子から察するに、コーラルは例外に当たるようだ。
「竜の卵なんて人の目に入ること自体稀ですし、やっぱりコーラルちゃんは特別なケースじゃないかしら」
「普通じゃないよなぁ、やっぱ……」
薄々気づいていたけどやっぱり普通じゃないことは確かなようで、俺はむうと腕組みをして唸った。
「ぴぎっ!」
「ど、どうしたのよコーラル?」
さて、これからどうするか、となったところで今まで大人しくしていたコーラルが急に騒ぎ出した。ナチねぇの腕の中からもがくように飛び出すと、俺たちを導くように星見の丘より向こう、街道の奥へと向かって飛んでいく。リシェルの声にぴぎぴぎと甲高い鳴き声を返しながらもその速度はまったく緩まず、自然と全員で走る羽目になっていた。
「待ってよ!一人になったら危ないってば!」
「もしかして、親が近くに来ているんでしょうか?」
なんであれ、原因がわからない以上安心することは出来ない。コーラルの進む場所にあるものは一体なんなのか。
「とにかく追いかけるぞ!」
全速力で追いかけた俺たちが目にしたものは、予想だにしない光景だった。
「な……っ?なんだよ、コイツは」
羽の生えた小さい女の子を取り囲んで、オレンジや緑色のごつい機械がざわめいている。
「機械兵器だわ!」
息を整えながらリシェルが叫び、俺はそいつらをまじまじと見つめなおした。リシェルが召喚術で呼ぶゴレムのようなものだろうか。けど、召喚で呼ばれているにしては異様に数が多い気がする。
「こんなにたくさん召喚されてるなんて……」
「ラ、ライさん!」
圧倒されたように生唾を飲み込むリシェルに追いついたルシアンが声を上げた。その視線の先を辿れば、全体的に白っぽい服を着て緑色の頭をした何者かと目が合う。そいつは俺たちの存在に驚いたのか足を止め、目を瞑って何事かを呟き始めた。ここからじゃ何を言ってるか分からないけど、なんだか嫌な予感がする。
「アンノウン視認・対処検討……、……」
「これはまずいかもしれませんよー?」
杖を体の前に掲げたナチねぇが無色のサモナイト石を手のひらに握り込んだのが見えた。
「結論……デリートシマス」
かっと目を見開いた緑頭が片手を掲げると同時、ばらばらに行動していた機械が一斉に俺たちへと銃口を向ける。
「のわわわわっ!?」
「サモン!古の石像よ!」
兄貴の慌てた声に重なってナチねぇの声が響いた。ばらららららと雨霰のごとく降り注ぐ銃弾を、俺たちの目の前に出現した石像が受け止めていく。
「あいつら、いきなり撃ってきたぞ!?」
「えうううぅぅっ!?」
その隙に近くの岩陰に隠れた兄貴が混乱交じりに叫ぶ。ポムニットさんも一緒のようだが、いきなりの武力行使に早くも涙声だ。
「どうすんのよっ、ライ!?」
「何がなんだかわかんねえけど、相手になるしかねえだろ!」
転がって陰に滑り込んだリシェルが張り上げる声に怒鳴るように返して、俺は剣を抜いた。弾が切れた機械たちの動きが止まる。チャンスだ。
「あんな子供をよってたかっていたぶるなんて、断然気にいらねえ!ぶちのめしてやるから覚悟しやがれっ!!」
手前まで接近していた緑色した機械を剣の柄で思いっきりぶん殴りながら、俺は腹の底からの怒声を張り上げている。
機械は固い。人間相手にするように立ち回っていると、剣の方が先にお陀仏になってしまう。だからこそ継ぎ目を狙って攻撃を加えなければならず、いつにもまして集中力が必要な戦闘になった。
「ああもう、機械相手には私の召喚術じゃ効きずらいのよっ!」
加えてロレイラルの召喚師であるリシェルの術は効き目が薄いらしい。それでも勝算は充分にあった。
「姉さん落ち着いて!」
「大丈夫、リシェルちゃん。私やナチさんの召喚術は、逆に相性がいいもの」
「ええ、こちらに危害を加える前に潰して差し上げましょう」
どうどうと必死に宥めるルシアンを側面から狙おうとした機械が動けたのもそこまでだった。ミント姉ちゃんとナチねぇの召喚術をまともに食らって、ぶすぶすと黒煙と歪な音を立てながら地に沈む。
「「ね?」」
よく見ればミント姉ちゃんのお気に入りの白いマントの裾には穴が開き、一部は砂にまみれ埃を被っている。さっきの一斉射撃でナチねぇがミント姉ちゃんに覆い被さるように伏せているのが見えたが、その時に付いたのだろう。それに、後方を振り返ってみればオヤカタの怪我の手当てをするポムニットさんが見える。ナチねぇはというと、俺たち子供に容赦なく銃口を向けたという事実にふつふつと怒りを高めていたらしい。二人とも笑顔だけどこっちにまで怒気が伝わってくるような笑みで、ひくりと頬が引き攣った。
「今回は、私たちに任せてね?」
「さすがミントさんであります!」
兄貴、惚れ惚れするんじゃなくて惚れ惚れさせなきゃダメだろ。杖を握り、それぞれ緑色のサモナイト石と紫色のサモナイト石を構えるミント姉ちゃんとナチねぇの後ろ姿は、悔しいがとても頼もしいものだった。
「どうだ、まいったか!」
「ちょ、ちょっと?なんか様子が変だよ」
どうにかこうにか、形勢逆転まで持ち込んだところで俺は肩で息をしながら緑頭に剣の切っ先を突き付けた。けれど黙り込んだまま動く様子もないそいつに、ルシアンが不審そうに眉を跳ねて声に警戒を滲ませる。ここから状況をひっくり返せるはずはないと思うが……そんな俺の困惑を悟ったのかどうか、ずっと沈黙を守っていた緑頭が呟いた。
「……結論」
かっと、その目が開く。
「逃げるが勝ち!」
言い切ると同時に真っ白な閃光が目を焼いた。思わず手で目を庇いながら膝をつけば、脱兎のごとく逃げていく足音が耳に届く。追いかけたいところだが、目が眩んでまともに立つことすらできない。
「くうぅ……っ!なんなんだ、今のは」
ようやくましになってきた目を開くが、白くまばらにちかつく視界には機械たちの姿さえ見当たらなかった。
「目が、ちかちかするぅ?」
「ああ、擦っちゃダメですよ。じきに治りますから」
しょぼしょぼになった目を袖口で拭おうとするルシアンをポムニットさんが宥めている隣には、やっぱり閃光で目が眩んでいた兄貴が片膝をついて座り込んでいた。
「目くらましのようだな、逃げるための」
「目くらましって、なんでそんな真似が。……あ、あいつ、機械だったのか?」
立ち上がろうとした兄貴の身体が揺れて後ろに倒れそうになったところで、ナチねぇとルシアンが咄嗟に兄貴を支えた。
「大丈夫ですか、グラッドさん」
「ああ、っとすみませんナチさん」
「いえ、お気になさらず」
慌てて身を離す兄貴に対してナチねぇは穏やかな笑みを浮かべている。少し迷いつつ口を開こうとした俺は、深刻そうなリシェルの声に意識を引き戻された。
「あいつ、ただの機械じゃなくて機械人形だったみたいね。ロレイラルの技術で人に似せて作った人形なんて文献でしか見たことなかったわ……こんな場所をのこのこ歩いているような存在じゃないのに」
「どうやらそれはこの子も同じみたいね」
かりりと苛立ち交じりに爪を噛むリシェルの反対側、俺の後ろにいたミント姉ちゃんを振り返れば、そこには羽の生えた女の子が横たわっていた。
「光ってる……それに羽が……もしかしてこの子は?」
「うん、多分、天使じゃないかな」
信じられないと目を見開いたルシアンにミント姉ちゃんはあっさり答える。とりあえず外傷は大したこと無さそう、と首筋や手首に軽く触れて確認するミント姉ちゃんの傍らではポムニットさんが心配そうに女の子を見つめている。
「なんで天使が機械兵器なんかに襲われてたんだ?」
羽が生えて光っていることから推測は付いていたけど、それでも謎なのはそこだ。つい疑問が口に出れば、いてもたってもいられない様子でポムニットさんが俺を振り返った。
「詮索は後です!とにかく、この子の手当てをしましょう!」
「そうですね。考えるのは腰を落ち着けてからでも遅くありません。グラッドさん、この子を運んでくれませんか?」
「では宿まで運びましょう。あまり人目につかないよう、裏道を通ったほうがよさそうですね」
さくさくと今後の流れが決まっていく。この女の子がコーラルについて何か知っていればいいんだけど、それにはまず無事に目を覚ましてもらわないとな。今回の戦闘でも誰も大きな怪我を負わなかったことに安堵の息を漏らした俺は、女の子を背負おうとする兄貴を手伝うべく早足で駆け寄った。
「しっかし、竜の子に続いて天使まで拾うことになるなんてなぁ。お前、よっぽど召喚獣に好かれる性質みたいだな」
「茶化すなよ、兄貴。つうか好かれる云々の次元じゃないだろ?」
「そうですよ。不謹慎です」
「すっすみません!」
ぐったりと椅子の背にもたれていたミント姉ちゃんが声を尖らせたことに兄貴は慌てて頭を下げた。ようやく宿屋にたどり着いて一息ついた俺たちは、香りのいいお茶を手にささやかな休憩を満喫していた。あの女の子が目を覚ますまではどのみち出来ることもない。心身ともに疲れ切っていた俺たちだったが、暖かな甘味とシルドの実の香りをしたお茶を飲むうちに疑問がぽこぽこ湧いてくる。
「ねぇ、あの子の具合は大丈夫なのかな?」
カップを手の中でいじりながら心配そうな目をするルシアンに、ポムニットさんが優しく微笑む。
「擦り傷とか打ち身とかの傷は多くても深刻なものはありませんでしたし、それらの治療はナチさんにしてもらいましたから。大丈夫だと思いますよ」
「薬を塗ったりするのも考えたけど、サプレスならサプレスの治療法のがいいだろうしね」
そういってリシェルはプニムをつついた。いつもシズクやプニムを抱いているナチねぇは、天使の容態が悪化した場合を考えて一人で付き添っているらしい。
「にしてもサプレスとかロレイラルとか、そんなに術の内容が違うのか?」
呼べる召喚獣が違うくらいは分かるけど、それ以上のことはよく分からない。かねてからの疑問を口に出してみると、そうねぇ、とミント姉ちゃんは困ったような顔をして俺を見た。
「術の内容というか、まず分野が全然違うの。霊界サプレスの知識については、私やリシェルちゃんでは専門外で正直さっぱり」
「そうよそうよ、召喚師には専門分野ってもんがあるのよ。普通は一つの属性しか扱えないってなってるし、あんたみたいに節操がなかったりするのは例外なのよ」
途中からリシェルによる解説となってしまったが、そう言われてもそういうものなのか程度にしか思えない。と、そこで気づく。
「あれ、けどナチねぇはメイトルパとサプレス両方について詳しいけど、あれはなんでだ?」
「あぁ、だからナチさんはすごいんだよ」
疑問符を浮かべたままの俺にミント姉ちゃんはにこりと微笑む。
「専門分野っていう区切りを作るのは、無理に二つ以上の属性を使おうとすると色々不都合があるからなの。安定して召喚獣を呼ぶには知識に魔力、経験や才覚がとても大事なんだけど、それら全ての条件を揃えて始めて召喚術が正しい形で発動するんだ。複数の分野に手を伸ばしていたら、これらの条件を満たすのが一層難しくなっちゃって何一つ身につかない可能性も高いから、だから専門分野が存在するのよ」
「つまり、二つの分野に手を出してるあの人は常識の枠を越えてるってわけよ」
「そんなにすごいことだったのか!?」
今まで当たり前だった事実にそんな意味があると知って驚いたのは俺だけじゃなかったようで、兄貴やルシアンも目を見張っている。
「派閥には二つの分野を扱える人も確かにいるけど、やっぱりとても少ないわ。そういう意味で希少な存在なの」
「全然知らなかったや……」
感心するルシアンの瞳は尊敬に輝いて眩しいくらいだ。
「ところで、あの子が目を覚ましたら詳しい事情を聞こうじゃないか。ライ、そろそろ様子を見に行ってくれないか?」
「ああ、分かったよ」
大分時間も経ったし、ナチねぇが帰ってこないのも気になる。兄貴の呼びかけに席を立った俺は、裏庭に面した黄葉の部屋に向かって足を進めることにした。
「ナチねぇ?まだ目が覚めそうにないか?」
ノックして部屋に入れば、ベッドに仰向けに寝ている天使とその直ぐ傍に腰掛けているナチねぇが目に入った。
「まだだけど、この子がそわそわし始めたから。もうすぐ起きるんじゃないかな?」
枕元で心配げに天使を覗き込んでいるコーラルは確かにそわそわと落ち着きなく身じろぎしている。
「さっきまで静かだったのに急に反応し始めたって事は多分そうだと思うんだけど……あ」
ゆるゆると天使の瞼が持ち上がり、淡い群青色の瞳が現れた。
「起きたようですね」
「……っ!?」
ナチねぇの声が耳に届くや否や、がばりと跳ね起きた天使はベッドの向こう側に転がるように飛び退った。
「は、お前何やってんだ?」
「それ以上、こちらに近づいてきたら承知しませんわよ!?」
俺とナチねぇを敵意の篭った目で睨み付ける天使の様子はまるで毛を逆立てた猫のようだ。
「私の外見に油断して、こんな結界もない部屋に閉じ込めるなんてチョコレートケーキに蜂蜜をかけたくらいに大甘ですわっ!」
そして、右手をすちゃりと眼鏡に添えて言い放つ天使は間違いなく状況を勘違いしていた。
「ちょっとそれは甘いにもほどがあると思いますよ?」
「いや、ナチねぇその話は置いとこうぜ。お前、なんつーか、思い切り勘違いしてるだろ?」
優しく指摘してやった俺の言葉は勢いよく却下される。
「反論は却下します!」
「話をする気もゼロかよ……」
俺のやる気もゼロになりそうな話の無視っぷりだ。だが、それだけではすまなかった。
「このリビエルとて選ばれし御使いの端くれ……敵の手に落ちるならば一人でも多くの相手を道連れに……っ!」
「ちょ、ちょっと待てぇっ!?話を聞けぇっ!?」
天使を中心に空気の流れのようなものが見る見る渦を巻いていく。魔力を集めて自分もろとも召喚術を行使するつもりか!?まさか攻撃されるとは思いもよらず、武器も持たず、心の準備もしていなかった俺の背中を滝のような冷や汗が流れ落ちていく。そんな緊迫した状況に待ったを掛けたのは穏やかな声だった。
「それは無理だと思いますよ?だって、あなた、サモナイト石を持ってませんもの」
「えっ」
「万が一って事もありますし、あなたの所持していたサモナイト石は取り出しておいたんです。そこまで甘くはありませんよ」
「あ、な……」
いくら魔力を集めてもサモナイト石という媒介がなければ術を行使することは出来ない。高まっていた魔力が静かに霧消していき、天使の体から力が抜けるのが目に見えた。それに、とナチねぇは歌うように続ける。
「この子とあなたは、もしかしてお知り合いなんじゃないですか?」
「ぴぎぃっ!」
緊迫した空気の中で、すっかり存在を忘れさられていたコーラルが元気よく鳴いた。その姿を見て天使の顔がぐしゃりと歪む。
「あ、あぁっ……みこ、さま……っ……ご無事でいらしたんですね、御子様ぁっ!」
「はいいいっ!?」
よろよろとコーラルに歩み寄り抱きつくと声を上げて泣き始めた天使の言葉に、俺は混乱して素っ頓狂な声を上げる。一体全体、何が起きているのか一刻も早く情報が欲しい!
「はい、お茶をどうぞ。気分が落ち着きますよ」
とりあえず場所を移動して皆のいる食堂に天使を連れてきた。ポムニットさんが新しく淹れ直してくれたお茶が前に置かれるが、警戒しているのか天使は一言も喋らず、お茶に手をつけようともしない。
「心配しなくたっていいんだよ。僕たちには君をどうこうするつもりなんてないから」
「そんなたわごと、これっぽっちも信用できませんわ」
安心させようとルシアンが話しかけるものの、きつく睨まれながら刺々しい言葉を返されて言葉に詰まる。
「優しい言葉で油断をさせて、懐柔しようというのでしたら。お生憎様!そんなやり口にはひっかかりませんわ!」
「あっ、あんたねぇっ!?」
全く俺たちを信用していない、それどころか敵と見なしての言葉にリシェルがかっとなって詰め寄ろうとするのを俺は静かに引き留めた。
「待てよ、リシェル。相手は俺たちより年下みたいだし、寛大な心を持ってだな」
「ちょっと、貴方!」
年長者としての対応を語ろうとした俺に不機嫌な声が飛んだ。目をやれば、天使が馬鹿にするような目を向けている。
「見かけだけで相手を判断することしか出来ないなんて程度が低いですわね。おつむの底の浅さが丸見えですわよ。あーあ、人間てどうしてこんなに愚かなのかしら……」
「ぐっ……」
なんなんだ、この取り付く島もないつっけんどんな態度は。
兄貴やナチねぇたちがはらはらし始めているのが横目に入り、俺は深々と息を吸い込んだ。せっかく竜の子に関しては俺たちの意見を優先してくれているのに、こんなところで怒ってしまったら申し訳がないにもほどがある。少しでも大人らしく、少しでも落ち着いて対応するべきだろう。我慢だ、我慢。
そんなことで怒らないという懐の深さと、ミント姉ちゃんたちの穏やかさを少しでも表現するために、にっこりと俺は微笑んだ。天使は毛虫か何か、気持ち悪いものを見るような目をして言った。
「なに、薄気味悪く笑ってるんですの?ま、悪人にはお似合いですけどね」
「ぐぎぎぎ……っ」
穏やかさとか温和な対応なんて、俺には土台無理だったんだ!説教をぶちかますべく前進しようとする俺を、今度はルシアンとリシェルが羽交い絞めにして止めにかかった。
「ライさん、おさえておさえて!」
「あんたが切れてどうすんのよっ!」
無理やり椅子に押し戻されてしまったところで、ルシアンが再び天使に話しかける。
「君も、なんでも悪くとってるばかりじゃ良くないよ?気に障ったのかもしれないけどさ、僕たちはきちんと君と話をしたいと思ってるんだ」
「う……」
天使がしゅんとしたように視線を落とした。ダメ押しとばかりにルシアンが畳み掛ける。
「言いたくないことは無理に聞かないから、ソレくらいのお願い、聞いてくれたっていいでしょう?」
「うう……分かりましたわ。そういうことなら話して差し上げます」
頑なだった天使が小さく、けれど確かに首を縦に振るのが見えた。やれやれ……これでようやく話をすることが可能になったわけだ。ふと兄貴たちの方を見れば、黙って様子を見ているだけで十分気疲れしたようで、ぐったりとしていた。なんか、ごめんな。
「じゃあ、あなた方があの場所に居合わせた理由というのは御子様の親を探すため、と?」
「ま、そういうことだ。その途中でこいつが突然勝手に飛び出して行っちまって、追いかけてったらお前を見つけたんだ」
ひとしきり事情を語ったところで天使から尋ね返された俺は首を縦に振って頷いた。コーラルも誇らしげに鳴いて、そんなコーラルを見つめる天使も嬉しそうに瞳を緩ませる。
「もしや御子様、私の危機を察して、それで……」
「ははっ、まっさかぁ?」
盛り上がっているところに堪えきれず突っ込みを入れてしまったリシェルには、逆に鋭い眼光が向けられた。
「御子様への侮辱は許しませんよ!?」
ところで、皆が気になっている単語がもう何度出ただろうか。いい加減詳しい内容を知りたかった俺が口を開く前に、同じことを考えていたらしいポムニットさんがおずおずと口を開いた。
「それなんですけど、御子様ってどういうことなんですか?なんとなく、尋常じゃない雰囲気なのは理解できるんですが」
少しの沈黙を挟んで、仕方がないと溜め息を吐いたのは天使の方だった。
「本来なら黙秘すべきところなのですが、どうやらあなたたちはあの連中とは関係ないようですし、御子様をお世話になった手前、説明せぬのも無礼ですし」
長々と理由付けをしてる様子からして、どうやら説明してくれそうだ。皆の注目が一気に天使へと集まる。
「特別に!説明して差し上げましょう」
そう得意げに言い切ると、天使は厳かな調子で口を開いた。
「御子とは私たち御使いがお仕えするお方。ラウスブルグを守護する偉大な竜の後継者なのです」
「幻獣界の古い言葉で、呼吸する城……そのことですよね?」
耳慣れない言葉に困惑していた俺たちに説明するようにミント姉ちゃんが言えば、天使は頷きながら続けた。
「ええ、そうですわ。召喚獣たちの集落と理解してもらえたら、それで充分です」
「それじゃあ、このこはその集落を守っている竜の跡継ぎってことなんだ……」
改めて確認するようにルシアンが呟けば、天使はどこか歯切れ悪く認める。
「……まあ、そういうことですわ」
「へえ、この子がねぇ」
こんなチビがそんな大層な存在だったことが驚きだ。しげしげと覗き込めば、何にも分かってなさそうな顔をしてコーラルはぴぃと鳴いた。
「その竜に仕えるのが御使いさんってことでしたら……もしかして、貴方はお迎えにやってきたってことですね?!」
「ええ、まあ……」
ああ良かったです、と頬を染めて喜ぶポムニットさんに続けて兄貴も弾んだ声を上げた。
「良かったじゃないか。これでわざわざ捜しに行かなくても、この子に任せればもう安心だぞ!」
「ええ、そうですとも!」
はしゃいだ様子の二人に対してナチねぇとミント姉ちゃんは思案気な表情をしているのが気にかかる。天使もどこか青ざめた顔をして押し黙っているし、一体何だというのか。尋ねた方がいいか迷っていると、リシェルが指先でとんとんと机を叩いて注目を集めた。
「まだ問題が解決したわけじゃないってば!この子はさっきの機械人形たちに狙われてるんだから」
「そうだね、ちゃんと親元のところまで送っていってあげないと」
ミント姉ちゃんが頷き、ナチねぇもそうですねと柔らかく同意する。
「じゃ、とりあえず今日はここでゆっくり休んでいくといいよ。いいよね、ライさん?」
「ああ、別にかまやしないけどさ」
特に問題もなかったから了承すれば、ルシアンはほっとしたように微笑んだ。
「それじゃ、今日は一旦解散にしましょう」
まだ日は高く、各自やることも残っている。ナチねぇとミント姉ちゃんの浮かべた表情が気になるけど、後で聞いておけばいいだろう。天使に部屋を案内するついでにコーラルを預けた俺は、今日明日の分の食材を調達すべく大通りへと足を向けることにした。
「ん、兄貴とルシアンじゃないか。珍しいな、ルシアンが駐在所にいるの」
「あ、ライさん。軍学校の話を聞こうと思って」
駐在所の前を通りかかったついでに覗いてみれば、さっき解散したばかりの兄貴とルシアンが一緒にいることに気づいた。兄貴の手伝い、と言うわけじゃないのか、手にはメモ帳を持って何やら真剣な様子でメモしている。
「そういや、将来軍学校に行くつもりだとか言ってたもんな」
「うん。けど、どんなところかあまり詳しいことは知らなくて……」
「それで、俺から話を聞こうってわけだったらしい。先輩として後輩に頼られることはこの上ない喜びだしな」
胸を張る兄貴にルシアンは混じり気のない憧れの視線を向けてはきはきと声を上げた。
「うん!よろしくお願いします!」
「よし、それじゃあ……まず軍学校ってのはな。全部で四つあるんだ。工船都市パスティス、丘段都市ファルチカ、学究都市ベルゼン、そして帝都ウルゴーラ。俺はファルチカの基礎科で軍人としての最低必要な訓練を受けて、そのまま駐在軍人として派遣されたんだよ。とりたてて成績が良かったわけじゃないし、な」
兄貴がこの町にやってくる前の話は聞いたことがあったけれど、軍学校ってのはそんなあちこちに散らばってるもんなのか。帝国の領域を考えると少ないような気もするけど、聖王国とかでもそんなもんなんかな。ふむふむと熱心にメモしていたルシアンが顔を上げて尋ねた。
「成績がいいと、何か特別なことがあるの?」
「ああ、優秀な成績だと上級科って言う特別な訓練に進めるんだ。パスティスは海戦隊、ファルチカは陸戦隊、それぞれに特化した精鋭を育成してるのさ。操船技術とか測量術のような専門知識を学んだり、海洋への航海訓練に山岳での耐寒訓練といったきつい訓練をしなくちゃならない」
「うへぇ……」
聞いてるだけでしんどそうだ。うんざりした顔の俺を見て兄貴は楽しそうに笑う。
「逆に、ベルゼンには頭の出来のいい奴が集められてな、召喚術や医療技術、戦術や戦史、それに異世界の技術とかの軍に有益な研究をしているんだ」
「それじゃ、帝都の軍学校は?」
きっとすごいんだろうなと目を輝かせるルシアンに、兄貴はどこか困ったように視線をうろつかせた。
「あそこは、まあ……なんというか……金持ちの子息たちの社交場に近いもんだよ。軍人の肩書きだけが欲しいって連中が結構いてな、そういうやつらが寄付金積んで行くところさ」
「それってちっとも意味無いと思うけどな」
俺には金の無駄にしか思えないけど、それでも行くやつがいるから潰れず続いているのだろう。わざわざ高い金を払って、不思議なもんだ。
「まあな……しかし学生時代に聞いた噂だとそれは表向きのことで、あそこには最上級の選抜クラスがあって有望な士官候補生とか皇宮を守護する近衛隊。それから単独で密命をこなす諜報員の育成とかをやってるらしい」
「秘密の訓練なんだ!?」
「ま、証拠は何にもないんだけどな」
はっはっは、と笑う兄貴にがっくりと力が抜ける。ひどいよと不満の声を上げるルシアンに、すまんすまんと軽い調子で謝りつつも兄貴は笑ったままだ。
「まあ、話半分に聞くのが妥当なんだろうさ。上級軍人の多くが帝都に在籍していたりするからそういうデマが広がったんだって、俺は思ってるよ」
「もう……けどちゃんと強くなるには、帝都よりいっそファルチカやパスティスを目指したほうがいいかもしれないな。参考になったよ」
意気込むルシアンに兄貴はやめとけと半笑いで手を振るが、ルシアンは真剣な顔付きで何やら考え込んでいる。ルシアンが納得した道に進めればそれに越したことはないと思うけど、果たして帝都の噂は真実なのか、気になるところだな。
すっかり好奇心を刺激された買い物帰り、ふと思い立って忘月の泉まで足を運んでみれば先客がいた。泉の淵ぎりぎりに座り込んでぼんやりしていたリシェルは俺に気づくと片眉を跳ねて、呆れたような顔をする。
「なーに、あんたここにどれ位の頻度で通ってるのよ?それにしても呆れるくらいに汚れてるわよね。まさにどぶ池って感じ」
「俺の勝手だろ。あと勝手に変な名前付けて呼ぶなよ。それにここは池じゃなくて泉だ」
はいはい分かってますって、と面倒くさそうに返事をしながらリシェルは足元の小石を蹴った。
「この場所の本当の名前は忘月の泉。ちょっと前までは町の水源として大切にされていた。パパからしつこく聞かされたから知ってるわよ」
「分かってるならそう呼べよ?」
ここが母さんの住む場所だって知ってる俺にはどうしてもこの泉を無碍に扱えない。母さんに対しても思うところはあるけど、それでも母さんは母さんだし、あまり否定したくないのだ。ムキになんないでよ、とリシェルが頬を膨らますのが視界の隅に入った。
「でもなんでまたパパはこんな町外れの方角に宿屋なんか建てたりしたのかしらねえ」
「元々クソ親父が借りてた借家だったんだけど、土地を遊ばせとくのも勿体無いから建て増しやら改装やらをして宿屋にしたって聞いてるぞ」
実にオーナーらしい発想だと思う。守銭奴とまでは言わないけど、まさに経営者目線ってやつだ。
「で、無料で住ませて上げる代わりに雇われ店長をあんたに任せてるってわけだ」
「ま、そーいうこったな」
しかし、雇われ店長として任せてもらえなかったら俺には住む場所も何もなかったわけだ。宿屋を経営する以外に選択肢はなかったわけだが、そう考えると俺の人生って他人の敷いたレールの上を邁進し続けている気がしないでもない。
「あ、そういえばナチさんは宿屋代払ってるの?そこらへん、パパのことだからがめつく請求してそうだけど」
「オーナーもそこまで鬼じゃねえよ。つうか、ナチねぇはオーナーより上からの命令でここにいるっぽいしな。詳しいことは分からないけど」
「ふぅん、複雑なのねえ」
ホント、複雑なんだよ。適当に誤魔化した俺は、まだここでぼんやりするというリシェルに別れを告げて一足先に宿へと戻るのだった。
「お。もうこんな時間か、そろそろ夕飯の支度をしないとな」
買い込んだ砂糖や塩、スパイスの類をしまい終えて窓の外を見れば、山の端を焦がしそうなくらい太陽が降りてきていた。買い置きの食材は揃っているが何一つ下拵えをしていないことを思えば、そろそろ手を付けないとやばそうだ。あ、でも天使って何食うんだろ。包丁を握った手を止めて悩んでいると、ナチねぇが階段を降りてくる足音が聞こえた。引きずるような音がしないあたり、どうやらシズクではなくプニムと一緒だったらしい。
「ライ君、おかえり。なにか悩んでるみたいだけど、どうしたの?」
「ただいまナチねぇ。あのさ、天使って何食うんだ?」
厨房の入り口を覗いて不思議そうな顔をするナチねぇにこれ幸いと尋ねると、そうだ言ってなかったね、とプニムを腕に抱えたまま、ナチねぇはあっけらかんと言った。
「人間と同じで何でも食べれるよ。サプレスの子たちは魔力さえ補給できれば何にも食べなくても平気なんだけど、それぞれ嗜好があって好きなものや嫌いなものはあるみたい。さしずめあの子は、甘いものが大好きと見たね」
「へぇ?そうなのか」
しかし食事で甘いものって何があっただろうか。頭を捻っている俺を見て、ナチねぇは腕のプニムを抱え直しながら口元をかすかに綻ばせた。
「本人に聞いてみるのが一番早いと思うよ。実はさっき、ホットココアを渡してきたからそれを回収するって名目で行ってみたらどうかな」
「だよなあ……。じゃ、ちょっくら行ってくる」
さっさと聞いてちゃっちゃと作るべく、ほとんど走るような速度で部屋へと向かった俺は中から聞こえてきた声にドアを開きかけた手を止めた。小さくか細い、泣き声がする。わずかに開いたドアの隙間からはあの天使がコーラルを抱きしめて涙をこぼしている様子が見えた。
「ひっく……っく、だいじょうぶ、だいじょ、ぶですっ……しっかり、しなくちゃ……っ」
どう見たところで、声を掛けていいような雰囲気じゃない。いったん出直すか、とドアを閉めようとした俺の耳に、とんでもない一言が飛び込んできたのはその時だった。
「ひとりっきりでも、帰るところが、もうなくても……私が、がんばらなきゃダメだもの……っ」
「おい!今のってどういうことだよ。ひとりっきりって、帰るところがないってなんなんだよ?!」
気づいたら部屋の中に踏み込んでいた。考えもしなかった展開に詰め寄るような口調になった俺を呆然と見上げていた天使が、口元を押さえて後ずさる。
「あ、あぅ、……っ!!」
「おいっ、待てよ!どこいくんだよ!?」
慌てて追いかけるが全力疾走で廊下を駆け抜けた天使は、入り口でナチねぇとぶつかるもそのまま外へと飛び出していく。見る見る遠ざかる後ろ姿に舌打ちして走り出そうとする俺の腕を掴んだのは、ナチねぇだった。
「ライ君、簡単でいいから説明をお願い。皆に連絡するにしても状況が分からなくては困るもの」
そうだ、俺には頼る人がいるんだった。皆に助けてもらうため、たった今目にしたばかりの事態をかいつまんで説明すると、ナチねぇが真剣な顔をして頷いた。そして俺は皆への連絡をナチねぇに任せて、がむしゃらに走り出している。
「まさか、帰るところがないだなんて……」
「予想はしてましたけど、まさかこんな形で的中するとは思いませんでしたね……」
咄嗟に連れてきたプニムをミントの菜園に預けたナチは、ミントを引き連れ駐在所に向かう道すがら、口早に事のあらましを説明していた。
隠れ里の跡継ぎが行方不明となったのに、その探し手がたった一人とは到底考えられない。大事な存在だからこそもっと多くの人員を割いて捜索するだろうし、あのような連中に狙われているのだからそれなりの対処が出来るような人員をより多く選出するはずだ。そのはずだが、しかし、現実はそうなっていない。となれば考えられるのは、と思い浮かんだ可能性はどれもこれもが悪い想像ばかりで、正直覚悟はしていたところだった。
「あの子以外の、隠れ里の人はどうしたんでしょう?」
「分かりません。あの子自身に教えてもらわないと、全ては推測どまりですから」
遅くても今夜には、天使に事情を尋ねるつもりだった。今はまだ気が動転しているだろうからコーラルと二人になって落ち着いた時にでも伺おう。ミントとナチの、そんな心ばかりの配慮だったのが裏目に出てしまったというべきか。思ったとおりに進まないのが現実というものだけど、と沈んだ顔をするミントに、けれどナチはにこりと微笑む。
「大丈夫ですよ。まずはあの子に詳しい事情を聞いてからです。今はあの子を見つけることだけ考えて、頑張りましょ?」
「…そうですよね!よぉし、早くグラッドさんに伝えなくっちゃ!」
俄然張り切りだしたミントを横目で見つつも機械人形が先に天使を見つけた場合を考えるナチの口元は、ひどく固い線を保っていた。
町でひときわ大きなブロンクス邸は遠目にも目立つ。物憂げな表情で庭先にいたルシアンを捕まえた俺が急いで事情を説明すると、驚いた表情に納得を浮かべてルシアンは呟いた。
「あの子、やっぱり隠し事をしていたんだね……」
「気づいてたのか?」
強気な態度を取り続けてまだ名前すら名乗っていない天使のどこに不安の陰りがあったと言うのか。全く気づかなかったこともあって俺が疑問を投げ掛けると、情けないんだけど、と前置きしてルシアンは苦笑した。
「昔の僕もそうだったから、なんとなく分かったんだ」
「あ……」
俺たちが今よりずっと子供で、周りからの悪意の受け流し方をちっとも知らなかった頃。当時に思い馳せるように遠くの空を見ながら、ルシアンは続ける。
「僕は弱虫だったから自分の中に何でもためこんじゃって、苦しくてたまらないくせに何も言えないで一人で苦しんでた。だけど、僕にはライさんや姉さんがいたから、なんとかやってこれたんだ。……あの子は、僕と似てる」
ぽつりと呟いて、ルシアンは何かを噛みしめるように目を閉じた。
「溜め込んだものの重さに潰されかけて、それと戦うためにわざときついことを言ってる。……お願いだよ、ライさん。あの子を助けてあげて。僕も手伝うから、出来ることだったら何でもするから!だから……だから!」
「……ったく、しょうがねーなあ」
一転して必死な様子で頼み込んでいたルシアンに、俺が返す言葉なんて決まってる。
「分かったよ。俺が何とかしてやる。」
安心させるような笑みを浮かべて言ってやれば、それだけでぱっと明るくなる表情に噴き出しそうになるのを堪えて俺は息を緩めた。そんなの、頼まれなくたって助けてやるに決まってるだろ?一度関わっちまった以上、放っとくなんて出来ないんだからな。
どうやら町中にはいないようだと判断した俺たちは、町の外に捜索範囲を広げた。大石橋の方までは行ってないと思うんだけど……森の中に入られても探すのは難しいし、かなり困った状況だ。それでも街道沿いに必死に探していた俺は、水車小屋の近くまで来たところで足を止めた。小屋の前、風や雨をしのげる小さなスペースに天使が座っているのが見えたのだ。
「おい、ルシアン。ミント姉ちゃんや兄貴たちを連れてきてくれ。俺はあいつと話してくるけど、万一機械人形が来たら厄介だからな」
「うん、分かった!」
こくりと頷いて身を翻すルシアンを目だけで見送ると、俺は天使に向かってゆっくりと足を進めた。あと三歩も進めば触れられるほどの距離になって、ようやく天使は俺の存在に気がついた。
「あ……」
今の今まで全く気づいていませんでした、とばかりにふらりと顔を上げた天使の顔は呆然としている。
「ったく、迷惑ばかり掛けさせやがって。いきなり飛び出してどうするつもりだったんだよ?」
「……っか、関係ないでしょう!?」
自分を奮い立たせて強気な態度を再現しようとしているが、肝心な瞳が揺らいでいるせいで気迫が足りない。まるでなっちゃいない。
「関係ないことねえよ。少なくとも、いきなり置いてかれたコイツはものすごく心配してたぞ」
背中のリュックを下ろせば、顔を出したコーラルが勢いよく鳴き声を上げた。町の人間に見られたらヤバそうだからリュックに入ってもらったけど、散々走り回っていたし乗り心地は最悪だっただろう。だけど、そんなことを気にした様子もなく天使の近くでくるくると飛び回っているコーラルは元気づけようと必死なのか、天使に話しかけるように短く鳴くのを繰り返している。
「御子様……」
はっとして、それから深く項垂れる天使に、コーラルは励ますような声を上げっぱなしだ。
「なぁ、御使いってのはコイツの傍にいるものなんだろう?だったら、勝手に離れたりすんなよ」
「だって……」
言いにくそうに口ごもる天使に、訝しく思いながら俺は先を促した。
「だって、なんだよ?」
「だって……もう、意味がないんですもの……ラウスブルグには帰れない……帰ったって、守護竜様はもういない……っ!」
震える声で吐き出すように言い切った天使を呆然と見下ろして、俺は声を失っていた。
守護竜っていうのはコーラルの親だったはずだ。そいつがいない?
「どういう、ことだ?」
「亡くなられたの……奴らが来て、戦いが始まって、御子様を守るために……私たちに、託して……そして……っ」
後はもう言葉にならないようで、天使は俯くとわっと泣き出してしまう。薄い肩が震えるたびに地面に水滴が落ちて染みを作っていく。
「……なんだよ、それ。それじゃ、チビすけは二度と自分の親には会えねえのかよ……くそっ……!」
親は子供にとってものすごくでかい存在だと、俺は身をもって知っている。良かれ悪しかれ、親の影響を受けずに育てる子供なんていないだろう。今の話が理解できずに不思議そうに首を傾げているコーラルは、そんな親と触れ合うこともなく終わってしまったのだ。頭の中に真っ暗な暗雲が立ち込めたような気分に襲われた俺は唇を噛み、けれど、すぐさま顔を上げた。
けど、生きてる。チビすけはここで生きてる。なら終わってない。まだ、続いている。
「……泣くなよ。泣いてたって何も変わらない」
まだ泣き止まない天使にしゃがんで目線を合わせ、話しかける。
「それを知ってたから、お前は今まで頑張ってきたんだろ。ここで投げ出しちゃだめだ」
「でもっ……私には分かりません。これから、どうしたらいいのか……っ。他の御使いとも離れ離れになってしまいました、一番未熟な私だけが残ってしまった……」
薄い群青色の瞳が瞬いた。自分で言った言葉に感情が煽られてしまったようで、じわじわと涙が滲んでいくのが見える。けれど俺は、天使の発言で逆にどんどん前向きな気持ちになってくるのを感じた。なんだ、それなら想像したほど最悪ってわけじゃない。どん底にはまだまだ程遠いじゃねえか。
「離れ離れってだけならこれから集まるかもしれない、なら最悪な状況には程遠いだろ。なにより、ここにはお前がいる。コイツはお前と出会えたじゃないか。コイツは一人じゃねえんだ」
ぴぎゅううとコーラルは身を振って声を張り上げる。案外、意味を分かっているのかもしれないコーラルを撫でてやってから、俺の言葉を反芻しているらしい天使に向き直って言った。
「なあ、お前はこいつのなんなんだ。お前の役目は何だ?」
「御使い……私は御使い、守護竜に仕えるもの。そして、その後継者となる御子を守り抜くことが使命」
始めは確認するような頼りない響きだった言葉が、最後にはしっかり意志を伴ったものになっていて、俺はにっと笑ってみせた。
「ほら、ちゃんと自分で分かってるじゃないか。だったら、それをやるしかねーだろ?」
「あ、貴方ごときに言われなくたって!」
調子を取り戻した様子の天使に、待て待て、と俺は片手をあげて制止した。
「それだけ元気があるなら大丈夫そうだけど、俺の名前は貴方じゃなくてライだ。そろそろお前の名前も教えてくれよ?」
「リ、リビエルですわ……」
「うっし、分かった。後で皆にも自己紹介しとけよ。とりあえず腹減ったし、考えるのは帰ってからでいいだろ」
「あ……」
難しい話はこれで終わりだと水車小屋の前から移動しようとすると、リビエルから躊躇いがちな声がかかった。振り向いてみれば、戸惑いを含んだままの視線が俺をじっと見つめている。
「なにゆえ、貴方は私のことを気にかけてくれるんですの?同情?それとも、哀れみ?」
自分で言ってまたもやしゅんとした表情になるコイツは本当に不器用な奴に違いない。はぁと溜め息を吐くと、がしがし頭をかいて俺は言った。
「あのなぁ、心配だったからっていう選択肢はねえのかよ?そりゃあ、そういう感情がまるっきり入ってないとは言わないさ。けど、同情や哀れみだけで俺はここまで他人に関わらねえよ」
ここまで言ってもぽかんとしたままのリビエルに俺はひらひらと片手を振る。
「お前さ、俺なんかよりずっと頭の回転が速いみたいだけどそのせいで余計なことも色々考えてないか?一応言っておくけどな、俺は裏表を使い分けられるほど器用じゃねーよ。少しは安心したか?」
「……ですわね、愚かな人間の中でも貴方は輪を掛けて愚かっぽいし、気を回し過ぎても疲れるだけそんなのかもしれませんわね」
「あのなあ?」
元気になるとすぐこれだ。わざと皮肉たっぷりの言葉を選んだんだろ、とじと目で睨めばくすくすとおかしそうに笑う。
「ったく……」
まあ、元気になったならそれでいいとするか。で、それで終わらないのが近頃のパターンなんだよなぁ……。コーラルの警戒するような鳴き声に応えるようにがしゃがしゃした機械音が川を挟んだ向こう側、大橋へと続く街道の方から聞こえてきた。覚悟を決めて視線を上げれば、こないだ戦ったばかりの緑頭が悠々と歩いてくるのが見えた。
「お前、こないだの機械人形だな!」
持ってて良かった武器一式。腰に引っさげた剣を引き抜いて構えれば、まだ距離があるせいかこちらに近づくことなく緑頭は口を開いた。
「ターゲット補足です、お姉さま」
「非常によろしくてよ、アプセット。後で花丸をあげましょう」
今度は青い長髪の眼鏡をかけた機械人形まで出てきやがった。
「おまけにまた変なのが出てきやがった……」
「あいつはローレット!機械人形三姉妹の長女よ!」
うんざりした俺の横からリビエルが口を出す。あの女がここに来ているということは、と機械の奴らの中から何かを探すようにきょろきょろ目を走らせていたリビエルがかっと目を見開いた。視線の先で、派手なローブに身を包んだじいさんがゆっくりと立ち上がる。
「左様、このワシも出向いてきておるというわけじゃな」
「やはり出ましたわね!召喚師ゲック!」
「教授と呼びなさい、教授と!」
憎々しげに叫ぶリビエルにぴしゃりと言い返すローレットの様子は漫才のようだが、俺は気を抜かずにじいさんを睨んだ。まだルシアンたちが戻ってきていない今、ここで時間を稼がなくては確実に俺たちの負けだ。できるだけ時間を引き延ばそうと俺はゆっくり、挑発するように問いかけた。
「召喚師ってことはあんたが機械たちの親玉なのか?」
「そういうお前じゃな?アプセットと交戦した小僧というのは」
白い髭を口元に蓄えているせいか篭り気味の声だが、どこか楽しげな色を含んでいるのは理解できる。
「だったら、どうだっていうんだよ?」
「悪いことは言わん。その天使と竜の子をこちらに渡すのじゃ」
またもや一方的な押し付けか。へっと馬鹿にするように俺は笑った。
「ごめんだね。ほいほい渡すのなら最初からとっくにそうしてるっての!」
眉を顰めるローレットの奥でじいさんが楽しげに目を細めて笑い声を上げる。
「くっくっく……確かに違いないわな。すまん、すまん。しかしなれば、次のフェイズへと進むしかあるまいて」
言いながら杖を掲げると同時、じゃらじゃらと手に持ったサモナイト石が一斉に輝きを放った。
「機界の従僕たちよ。我が指令に従いて参列せよ……アセンブル!」
突如あちこちに出現した機械の数は、なんと、両手の指を越えていた。待てよ、こういう召喚ってのはリシェルもやってるが一匹が限度なんじゃねえのかよ!?あまりの多さにリビエルも畏怖と驚愕の混じった声を上げている。いくらなんでもこれだけの数でじりじりと迫ってくる機械たちをいっぺんに対処することは……出来ない。逃げを選ぼうにも街道に戻るための木橋まで封鎖されてはどうしようも出来ない。
「はてさて、小僧よ。どうするかね?」
「く……っ」
万事休すか。後退を余儀なくされた俺の目に飛び込んできたのは、じいさんの向こうから真っすぐに駆けてくる幼馴染たちの姿だった。
「そんなこと、決まってるよ!」
じいさんの背後を守っていた機械を切りつけながら叫んだルシアンの登場に、じいさんとじいさんを守るように位置していた機械人形たちが慌てて距離を取る。
「僕たちは簡単に諦めたりなんかしないんだ!」
「ええいっ、囲みなさい!」
ローレットの指示に従いルシアンを攻撃しようとした機械たちは、槍の穂先に抉られる。
「相手が機械だろうがなんだろうが、町の平和を乱す奴は自分が許さん!」
「ルシアン!それに兄貴も!」
どんぴしゃのタイミングで来てくれた応援に胸を撫で下ろしながら声を上げれば、今度は召喚術の眩しい光が輝いた。
「巻き添え食らいたくなかったらとっとと下がりなさいよ!ぶっとべぇぇーっ!!」
「うぉっと!」
俺の目の前まで迫っていた機械たちにリシェルの放った召喚術が炸裂する。岩盤工事に使われるというグラヴィスだ。地面にめり込ませる勢いの攻撃に動きがおかしくなった機械の上で、再び渦巻くような召喚術の光が走る。
「とどめ、です」
ナチねぇの呼んだ光り輝く剣の群れがいくつもの機体に突き刺さる。足や腕に当たる部分を的確に貫いた攻撃に、機械たちはがぎぎと黒い煙を上げて沈黙していった。
「なぜなの……どうしてこの人たち、ここまでするの?そこまでして私を庇う必要なんて、ないはずなのに!」
信じられないと思っているのが丸わかりな声がして横を見れば、混乱の表情でリビエルが立ち尽くしている。こいつはもう本当に。
「……あのなぁ」
「ほうっておけないのよ」
俺が口を開こうとしたところで、動きを止めた機械の間を歩いてやってきたミント姉ちゃんがおっとりと答えた。
「困ってる誰かのため自分が出来ることを見つけてしまったら、躊躇ったりはしない。あの子たちにはそれが当たり前のことなの。ライ君も、ね」
「困ったものですよね、ホント……」
救急箱片手に続いてきたポムニットさんが、宿屋から飛び出していった時に転んで擦りむいたんだろうリビエルの怪我を手早く見ながら息を落とした。え、え、と情報を処理できずにいっぱいっぱいになっているリビエルのことは任せて、兄貴たちと一緒に戦うために俺も剣を抜いて駆けていく。
「あくまで手向かうか。それも良かろう。ローレット!アプセット!我が鋼の軍団を率いて鎮圧せよ!」
「かしこまりましたわ、教授の仰せのままに」
「活動不能寸前まで痛めつけます」
じゃきりと銃を構えるローレットと、腕をドリル形態にしたアプセットが兄貴たちの前を阻むが。
「くそっ、子供たちを傷つけさせはせんぞ!」
「自分たちが活動不能寸前まで痛めつけられる可能性は想定してないんでしょうかねぇ?」
「ナ、ナチさん……」
槍を構える兄貴の横で小首を傾げて呟くナチねぇに、ルシアンが乾いた笑いをこぼしている。穏やかなのに凄みのある笑みはここ最近ですっかり見慣れてしまったものだった。
「力を貸してね……」
「お願い、来て頂戴……」
機械相手ということで、ミント姉ちゃんとナチねぇという双璧が大活躍する展開となっていた。といっても、いくら優れた召喚師だからって魔力は無尽蔵じゃない。休まず打ち続けていれば限界が来るはず……なので、召喚術で弱った敵に物理攻撃を加えて倒していくのは俺たちの役目である。
「えぇいっ。しっかりせんかっ!」
上手いこと上流から流れてきた丸太が即席の橋になってくれたおかげで、兄貴たちと合流するのは早かった。群れで襲い掛かってくる機械たちを皆で着実に仕留めていけば、次第に動いている数が減っていく。それに焦れたじいさんが歯噛みしながら杖を掲げると同時、残りの機械が一斉に猛攻を示してきたのにはさすがに焦りを覚えたが。
「はーい、どいてくださいねー」
ナチねぇが呼び出したメイトルパの召喚獣、ブレイドボアに蹴散らされて呆気なくいくつもの機体が宙を舞った。
「ナチさん、すごいですねぇ」
どこかうっとりしているミント姉ちゃんの呼んだポックルもまた、容赦ない木の実の弾丸をアプセットに浴びせている。そのすぐ横で兄貴が槍を振るっては弱った機械を蹴散らしているが、その勇姿はまったく目に入っていないようだ。哀れ、兄貴。とにもかくにも体勢をぐらつかせたアプセットに横から強力な一撃を叩き込んでしまえば、残った敵はたった一匹。
「さて、残りは貴方だけですよ。ローレットちゃん」
吹き抜ける風に三つ編みを揺らして目を細めたナチねぇに、遠距離から弾丸を浴びせてきていたローレットが気圧されたように足を下げるのが見えた。
「ライさん、女の人って強いね……」
「こないだの戦いの時から、ミント姉ちゃんもナチねぇも少し怖いくらいだよな……」
そんなことを言う俺たちの後ろでも、黒煙を上げる機械に杖でとどめを入れている天使の姿があったのだが、見なかったことにしよう。
「もうよい、お前たちは下がれ!」
「しかし、教授……」
俺たちに散々にしてやられた現状をついに受け入れたのか。叱責するようなじいさんの言葉を受けて、子供みたいな情けない声をこぼしたローレットがふらふらと立ち上がる。
「これ以上破損されたら修復する手間がかかりすぎるわい」
「……っ」
何も言い返せずにローレットがじいさんの後ろまで下がると、そこでようやくじいさんの目が俺を見た。傷だらけの皮膚の中、目元だけ笑っているから傷跡が引き攣って、子供が見たら泣きそうな面になっている。
「小僧よ。貴様、中々やりおるな」
「ジジイに言われても嬉しくねえよ」
敵に誉められて素直に喜べるほど無邪気なガキって年じゃねえ。剣を構えたまま言い返せば、じいさんはやれやれと勿体ぶるように首を振った。
「小生意気な口ぶり。なるほどあの男にそっくりじゃわい」
「てめえもクソ親父を知ってんのかよ……?」
あいつの影響は悪い意味でどこまでもでかい。忌々しげに舌打ちをする俺に気づかず、じいさんは続ける。
「ああ、知っておるとも。光学兵器の集中砲火を剣一本でぶった切って高笑いしてのける。あんな理不尽な男、忘れたくても忘れようがないわい!」
「……デタラメだな、相変わらず」
そのデタラメで理不尽な強さは母さんの恩恵なんだろうけどな。どんだけ暴れて強さを見せ付けてもいいが、その余波を俺が受けないようにして欲しいと思うのは俺の我侭なんだろうか?くすぶった気持ちを抑えようと奥歯を噛み締めて睨んでいるうちに、じいさんが魔力を集め始めていることに気づいた。
「……じゃが、息子のお前ははたしてどうかな?」
「ちょっ、おじいさんの癖してなんて魔力よ!」
召喚師であるリシェルから見ても規格外らしい魔力がうねりを上げて収縮していく。これは、まずい。
「くっ……」
「ライ君、逃げてぇぇっ!」
「虚空からの一撃じゃ、かわせるものか……」
ミント姉ちゃんの悲鳴が耳に入るが、突然膨れ上がった濃厚な魔力に当てられたのか、咄嗟に足が動かない。焦りが募るばかりの中、じいさんの余裕にあふれた呟きが終わり、眩しい光がサモナイト石から放たれる……ことは、なかった。雨雲なんてどこにもないのに急に轟雷が鳴り響き、目も眩むような電撃が真っ逆さまに、じいさんの杖目掛けて落ちたのだ。
「が、ぐぅっ……!?げふっ、げほっげほげほっ……!!」
「教授!」
一瞬で霧散した電撃だけど、その名残にぱちぱちと音を立てて金色の竜のような電気が杖にまとわり付いている。たまらず杖を手離してうずくまるじいさんにアプセットとローレットが駆け寄って懸命に手当てを始めているが、それを止めるような考えも浮かばずに俺たちは立ち尽くしていた。本当なら追い討ちを掛けるべきだったかもしれないが、そんなことすら思いつかないくらいのあまりに強力な雷撃に、誰もが身じろぎすら忘れていたのだ。
「雷……?」
「違います。これは、サプレスの召喚獣のもの」
「だって、タケシーのものにしては威力が……」
動揺に上擦るリシェルの声にリビエルが眼鏡を上げて説明するが、雷撃の正体はすぐに知れた。
「ナチさん……?」
ルシアンの声にナチねぇを振り返れば、愛用の杖と紫色のサモナイト石を握り締めたナチねぇがハシバミ色の瞳を怒りに染めてこちらを睨んでいた。俺が睨まれてるのかと一瞬体が強張りそうになるが、ナチねぇの視線が俺の向こうを射抜いてのものだと分かり、もう一度後ろを振り返る。酸素補給を受けてよろよろと立ち上がったゲックに、唇を引き結んでいたナチねぇが口を開いた。
「私、思うんですよ。子供の責任を親が負うのは当たり前のことです。子供を育てるのは親ですものね、その責任が追及されて当然です。けど……親の責任を子供が負うって、それ、どんな理屈ですか?加えて、光学兵器での虚空からの一撃……?剣では防ぎきれないと知っていて、あなたはそれを撃とうとしましたね?」
「……おぬし、小僧の縁者か?」
「血の繋がりも法的な関係も一切ない他人です。けれど、ライ君を傷つけられたらあなたのことを殺しちゃうかもしれない程度には、思い入れがありますよ」
物騒な単語をぽんぽん吐き出すナチねぇに呑まれて、暫くの間、誰も何も言わなかった。俺も、なんて言っていいのか分からなくて突っ立っていた。
「……今日のところはこれで退いておこう」
「お、おう」
じいさんの絞りだした言葉に少なからず安堵を覚えたのは俺だけじゃないはずだ。空気が緩むのを感じ取ったのか、釘を刺すようにじいさんが付け加える。
「じゃが、わしらは絶対に諦めぬぞ。あの方の、姫様の願いをかなえるためにも絶対にな!」
捨て台詞というには不吉なそれを置き土産に去っていくじいさんを見送って、始めに口を開いたのは兄貴だった。
「ふう、今回も何とかやり過ごせたな」
「ええ、なんとかなって本当によかったです」
ミント姉ちゃんのおっとりした口調に戦闘が終わった安心感が広がる。ルシアンはリビエルに怪我がないか確認にすっ飛んで行き、俺はまっすぐナチねぇの元に走っていった。
「ナチねぇ、大丈夫か?」
「あ、ライ君……」
ナチねぇは芝生の上に腰を下ろして、ポムニットさんの手当てを受けているところだった。銃弾がかすったのか、血の滲んだ二の腕にポムニットさんが慣れた手つきで包帯を巻いている。
「ごめんなさい、嫌なところを見せちゃいましたね」
「嫌だなんて思ってねえよ!?」
ナチねぇがまたもや沈んだ顔で笑うものだから、慌てて正面に腰を下ろした俺は必死になって弁解する。
「びっくりはしたけど、嫌だなんて思ってないって。それに、じいさんを攻撃した時だってわざと杖に当てたんだろ?それくらいは俺だって分かるさ」
「そうですよ。ナチさんのとった言動はわたくしにも十分理解できるものでしたし。……わたくしだって、お嬢様を傷つけられたら相手をどうにかしちゃうかもしれません」
最後だけ低い声で呟いたポムニットさんはどこか思いつめた表情だった。掛ける言葉を迷っているうちにリシェルが走り寄ってくれば、もういつものポムニットさんだ。気がかりではあるけれど、わざわざ割り込んで言うようなことでもないだろう。それに何より、ポムニットさんの無事を必死になって確認するリシェルの様子が誰かと被って見えたのだ。
「ライ君?」
ああ、俺か。そう納得した俺は頭の中で手を打つと、ナチねぇの手を引いて立ち上がらせた。
「ナチねぇ、俺、ナチねぇが俺のことを思ってしてくれたことについて嫌だなんて思ったことないからな。だから、頼むからそんな顔しないでくれよ」
「そう、ですか。……ありがとう」
微妙に潤んでいるのが分かる瞳で微笑まれると、照れくさくてどうにかなりそうだ。
「あ、けど、他人とか言うのだけはやめてくれよ?アレ、結構ショックだったんだからさ」
「ですね、分かりました」
嬉しそうにはにかんでいるナチねぇの目に映っているのがどうにも気恥ずかしくなってきて、俺はぱっとナチねぇの手を離した。くるりと踵を返してルシアンと話し込んでいるリビエルのところまで行くと、自分でも早口に言い募る。
「なあ、リビエル。さっきの話だけどよ、関係がないってのはやっぱ間違いだわ。ゲックのじじいやレンドラーのおっさんが言ってたんだけどよ、この騒ぎには俺の父親が関係してるようなんだ」
一息にここまで話してしまうと、リビエルが目を丸くしていることに気づいた。
「あの野郎のしでかしたことの尻拭いなんて正直腹が立つし関係はないって言いたいけど、コーラルを拾ってお前と会った以上は知らん振りなんてしたくねえ。そこまで面の皮が厚くねえしな。あー、だから……」
「責任は感じなくていいって言ってるんだよ?」
ルシアンが俺の言いたいことを一言で簡潔に言い切った。リビエルはきょとんとしているが、近くにいた兄貴が楽しそうに声を上げて笑う。
「素直じゃないな」
「ほんとほんと!」
リシェルまで乗ってきたけど、ここで食って掛かったら大人気ないしな。俺は深々と息を吸って吐き出すと、よし、と気合いを入れ直してリビエルに笑みを投げ掛けた。
「さあ、帰るぞ!」
「……ええ!」
こうして、天使リビエルが宿屋の居候となることが決定したのだった。
「……ごちそうさまでした」
「お粗末様。お前の部屋はいま宛がってる部屋じゃなくて紫雲の間にするから案内するよ。ああ、風呂とかはナチねぇに聞いてくれ」
とっぷり日が暮れてから夕飯の支度になったおかげで大した物は出来なかったが、リビエルの口には合ったらしい。全部綺麗に平らげてくれた皿を見るのは気持ちがいい。キノコと野草の秋風パスタは喜んで食べる、と脳内にメモしてから声をかければおずおずとリビエルが口を開いた。
「あの、悪いんですけど寝巻きに何か貸していただけないかしら?」
「あっと、そうだな。んじゃー……」
「よければ当面は私の服を着てくれないかな?」
食べ終わって食器を洗っていたナチねぇがエプロンを外しながら振り返る。
「市販の服だと翼を出すスリットだとかが入っていなくて窮屈だろうし。私の服もちょっと大きいかもしれないけど、なるべく急いで手直ししちゃうから。とりあえず、今夜着るものだけでも見てくれないかな?」
「分かりましたわ」
こくりと頷くリビエルだが、そういえば、と眼鏡に片手を当てた。
「先ほどの戦いで、最後に貴方が放ったサプレスの召喚術についてなんですけど。あの時、一瞬濃密なサプレスの魔力を感じました。一応確認したいんですけど……その、貴方は、人間ですわよね?」
人間かどうか確認するということはリビエルにとっても気が引けることだったらしく、最後の方は恐る恐る下から覗き込むように尋ねていた。俺はというと、ナチねぇが人間以外のなんなのだとしか思わず、頭上には疑問符を浮かべていたことだろう。
「んー、色々あってちょっとサプレスに縁が深いんですけど、ちゃんと人間ですよ」
「……そうですか」
ほっとした様子のリビエルに、ナチねぇは困ったふうに眉尻を下げて俺を見た。別に気にしてないけど、まだ話せないことがあるのかと思うと少し心配になる。ナチねぇの抱え込む秘密はどれもこれも俺が傷つくことじゃなくてナチねぇが傷つくことばかりだから、一人で抱え込まないで少しは話して欲しい。そう、思うんだけど……
「これも俺の我が儘に過ぎないんだろうなぁ……」
騒動続きだった一日をしみじみ振り返って二階の談話室から町の明かりを眺めていると、自分で思った以上に気が滅入っていることに気づいた。コーラルを守ることもリビエルを助けたことも、後悔はしていない。どっからどこまで親父の筋書きなのかは分からないけど、重要なのは最後に決めたのが俺自身の意志だってことだ。自分で決めたことなら覚悟もできるし、責任だって引き受けられる。そりゃあ、得体の知れない連中相手にどこまでやれるのかわかりやしないから不安はあるけど、とにかくコーラルのことについては現時点で出来る限りの腹は括ったつもりだ。
けど、ナチねぇのことについては、なぁ。
窓から吹き込む夜風を浴びて物思いに耽っていると不意に気配を感じて、俺は勢いよく振り返った。
「な、そんなに驚かなくたっていいじゃないですの」
「あー、悪い。ちょっとぼんやりしてたからさ」
薄暗い廊下には、ナチねぇから借りた寝巻きに身を包んだリビエルが驚きに目を丸くして立っていた。
「なんか用か?」
「いえ、その少し聞きたいことがあって……」
少しの逡巡の後、リビエルは顔を上げた。緊張の浮かぶ表情でしっかりと俺を見つめている。
「彼女は、信用に足りうる存在ですか?」
「はぁ?」
いきなり何を言い出すのかと思えば。怪訝そうな態度を隠しもせず答えた俺に、リビエルは引かなかった。
「突拍子もない事を言ってるかもしれません。けど、答えて!御子様を守るに当たって、不確定要素はできるだけ避けたいの」
「なんだよそれ……ナチねぇのこと、疑ってんのかよ!?」
固い声色で繰り返される内容に、かっと頭の芯が熱くなる。何の根拠があってナチねぇを疑うのか。腹の底から込み上げるむかむかといらいらに煽られるまま僅かな距離を詰め寄れば、ひっと声を上げてリビエルは後ずさった。
「ナチねぇは。クソ親父に置いてかれて散々辛酸を舐めた俺に、偶然出会ったってだけで縁もゆかりもない知らないガキでしかなかった俺に、家族みたいに優しくしてくれた……唯一の人なんだよ。俺を疑うのはいいけどな、ナチねぇのことを疑ったりするのだけは許さねえ」
「……っ、けど、彼女はっ!」
食い下がるリビエルの肩にぽんと手が乗った。俺のよく知る白い手だ。言葉を切って見上げれば、ここまでの話を全部聞いていたのか、困ったような顔をしたナチねぇがいた。
「ごめんね?リビエルちゃん。リビエルちゃんは天使だから、そういう気配に敏感なんだよね……先にちゃんと説明すればよかった。ライ君もごめんね、今まで黙ってて」
「あ……」
話が見えないけど、ナチねぇが何かを悲しんでいて、何かを悔やんでいるのは嫌と言うほどよく分かった。あのね、と血の気の薄い唇が開く。
「私は魔力を二種類持ってるの。一つは自前の魔力でメイトルパとサプレスの力を行使できるもの。それで、もう一つがリビエルちゃんの感じ取った、大悪魔に仕えていた近衛悪魔の魔力」
「あ、悪魔の力を手に入れてるなんて……やっぱり貴方は!」
リビエルが何を言おうとしたのかは分からない。リビエルに食って掛かる寸前、いつナチねぇから指示されていたのか、暗がりに潜んでいたシズクが俺の身体を簀巻きにするようにまとわりついて指一本動かせなくなったからだ。
「うーん、多分リビエルちゃんは私が生贄を使うような儀式とか、悪い目的で力を手に入れたと思ってるでしょ?けど一応言わせてね。違うよ。あと、ライ君」
ちょっと黙っててね、と頼まれなくてもスライム特有のぶにょぶにょした身体に口元まで覆われているせいで満足に喋れもしない。俺は唯一自由な目を動かしてナチねぇの顔を食い入るように見た。どこか泣きそうな笑みを浮かべたナチねぇの唇がまた、波打つように震える。
「悪魔だけどね、私にとって恩人みたいな子だったの。私はその子が大好きで、その子も私を好きだといってくれた。幸せだったな、その子の傍にいられて。けど、その子は悪魔で、言葉で言い尽くせないような酷いこともたくさんやったから、だからもう二度と復活できないようにされちゃったの」
「……なら……なぜ、その魔力が貴方の中にあるというの?」
「その子が、今際の際に残った魔力を私に注いだから」
右手をひたりと胸元に当ててナチねぇは微笑む。ほろりと涙がその頬を転がり落ちたけど、ナチねぇは綺麗に微笑んだままだ。ありえない、と呟く声がした。
「だって、悪魔は魔力さえ残ってれば、サプレスにさえ帰れれば、その身を復元できるのよ?完全に滅ぶのは魔力のひとかけらまで滅さないと無理なのに。なんで、そんな真似をするの……?」
「分からない。逃げられないと思ったのかもしれないし、私を依代にして蘇ろうと思ったのかもしれない。けど、最後にその子、笑ってくれたから。全部あげるから覚えてて、って言ってくれたから……」
ふぅと息をもらすようにこぼしてナチねぇは首を緩く振った。それが合図だったのか、しゅるしゅるとシズクが俺の身体から退いていく。すっかり自由になった俺は、それでもまだ動けなかった。
「天使と悪魔は絶対に相容れない存在だって知っててこれをいうのは卑怯だと思うけど、リビエルちゃん。私はコーラルちゃんに危害を加えるつもりはないよ。今だけでも、見逃してくれないかな?」
「う……わ、私は……」
仕入れた情報量に対処できずパニックを起こしているのか、リビエルは困り果てた顔でちらりと俺を窺った。けど、俺はリビエルに返す言葉なんて持ち合わせなかったからそっぽを向いた。うう、と判断に悩み唸りを上げていたリビエルが長い逡巡の後、勢いよく顔を上げる。
「ひ、ひとまず信用しますわ……っ……それじゃ、おやすみなさい!」
言い切って脱兎の勢いで部屋へと駆けていくリビエルを見送ってから、俺はよろめくように立ち上がった。
「ごめんねライ君、今まで話さなくってごめんね……嫌だったらすぐに」
「すぐに出て行くとか言ったら、ナチねぇでも許さないからな」
その言葉で俯いていた顔をばっと上げたナチねぇは、涙に潤んだ瞳を堪えるように唇をぎゅっと引き結んだ。睫毛の縁にまで大粒の涙が溜まって、苦しげに眉を潜めたナチねぇが瞬くたびに音もなく真珠の粒のように一瞬光っては転がり落ちていく。目尻から頬へと涙に濡れた肌は赤く染まって見ているだけで痛々しくて、思わず手を伸ばしてそれを拭おうとすれば、ナチねぇは無意識にか後ずさった。階下にある、明かりの消えた食堂がナチねぇの寄り掛かる柱と手すりの合間に見える。
「ナチねぇ」
「ごめんっ、ごめんねライ君。ライ君の優しさに、私はきっと甘えてる、つけこんでる。家族になりたいなんて、一人は寂しいだなんて、こんな事情を黙ってたくせにずうずうしすぎる願いを抱いて、私っ」
濡れた目元を手の甲で懸命に拭いながら言い募るナチねぇは、近づいたら傷つけてしまうとばかりにもう片手を突き出して俺を拒む。たまらなく泣きたい気分だった。構わず一歩、大きく踏み出して突き出されたナチねぇの手を掴んだ。振り払われる前に力任せに引き寄せて、大きくよろけたナチねぇを抱き留める。馬鹿力の加減が出来ない。細くて薄くて頼りなくて、でも温かい血の通った身体にしっかりと腕を回して、子供みたいに抱きしめた。
「ナチねぇがずるいなら、俺だってずるいさ。俺だってナチねぇの優しさに甘えてるし、つけこんでる。自覚してるけど、止める気もない。黙ってることだってあるけど、ナチねぇが聞いてこないことをいいことに言わないでいる。ナチねぇが持つ力とか、人間だとかなんだとか、そんなんどうでもいいよ。どうでもいいから、……俺を置いていかないで……」
目の奥がじんとして、熱い液体がじわじわと込み上げてくる。やっぱり、なんだかんだいってもまだまだ子供だ。辛いことがあるとすぐに涙が滲んで、目の前さえ見えなくなってしまう。
「ライ君……」
ぎゅうと頭を抱え込まれた感触がした。温かかった。少しでも離れたら凍え死んでしまうかのように、コーラルが探しに来るまでの間ずっと、俺はナチねぇを離せずにいた。
その晩、夢を見た。
誰かの声が響いてる。この声は、夢で聞いたあの子の声だ。
認識した途端、白い光があふれた。反射的に瞑ってしまった目を開ければ、視界一面に広がる綺麗な花畑。空には円を描いた虹が輝いている。そして、そんな美しい世界の中、桃色の髪をした女の子がうずくまって一人きりで泣いていた。
お前なのか?
尋ねれば女の子は顔を上げた。あ、と声をこぼして、おずおずと俺を見る。
貴方なの?夢の中で励ましてくれたのは、貴方なの?
そういうお前は、夢の中で泣いていたお前だよな?
確認すると、なんだか笑えてきて、自然と肩の力を抜いていた。
俺はライだ。
私はエニシア。
あのさ、ここってやっぱお前の夢の中だよな?
尋ねれば、エニシアは困ったように眉尻を下げた。
よくわからないの、私もこんなこと初めてだし。貴方はどうなの?
勿論初めてだけど。けど約束守れてよかったよ、あ、迷惑だったか?
そう言えば、エニシアは慌ててか細い声を張り上げた。
そんなことないよ!気にかけてくれたんだって思うと嬉しいよ。
そっか、ならいいんだ。
ふと、鼓動のような音が響いた。目が覚めてきてるのかな、多分ね、と声を交わす間にも鼓動の間隔はどんどん狭まっていく。
あの、とエニシアが言った。
夢の中で出会えた時だけでいいから、友達になって!
勿論。けど泣いてばかりはやめてくれよな、会うんなら楽しいほうが断然いいし。
綺麗な世界が反転し暗くなる。その最後に、約束しましたからね!と声が聞こえた気がした。
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