20240804一部修正
4:素敵な若様、大暴走!?
次の日はいつもより早く起きた。庭先で剣を振るえば少しはもやもやしたものを振り落とせるんじゃないかと思ったからだ。
「……せっ!ふっ!」
ひとしきりカカシ相手に剣を振るうと、ナチねぇが餌やりを担当しているガゼルの小屋へと近づいた。薄目を開けて俺だと確認したガゼルは面倒くさそうに鼻から息を噴き出す。まったく、可愛くない奴だな。汚れた草藁を年季の入ったピッチフォークで片付けて、新しい草藁を敷き詰める。粗い目のブラシでがしがし背中をブラッシングしてやってから家に入ると、ちょうど起き抜けのナチねぇがシズクを連れて階段を下りてきたところだった。ふあ、とあくびをかみ殺しながら段差を降りるナチねぇは、まだ俺に気づいていない。
「おはよう、ナチねぇ」
「あ、ライ君!?お、おはよう!」
俺の声に動揺したナチねぇは目を白黒させて髪や服を整え直した。何を恥ずかしがってるんだろうか。別に、ひどい顔じゃなかったけどな。
「別にあくびなんて見てないぜ?」
「それも見られてたの……いや、いいんだけどね、それは」
よく意味が分からなくて続く言葉を待っていると、ナチねぇは恥ずかしそうに呟いた。
「……ちょっと、昨日は。恥ずかしい姿を見せちゃったな、って……今頃恥ずかしくなってきて……その」
「あ、あー……」
俯きがちに頬を染めて目を逸らしながら言われると、昨日本音をぶつけあった時のことを思い出して俺の頬も熱くなってくる。よく考えれば、相当恥ずかしいことを言ってたんだよな……
ぎゅい!と濁った鳴き声にびっくりして目を向ければ、ナチねぇの袖を引っ張るように身体を伸ばしたシズクがいい加減にしろとばかりの視線を送ってきた。
「……あっ、そうだ!俺、朝食の支度しなきゃならないから!また、後でな!」
「う、うん!そうだね、じゃあとで!」
ぎくしゃくしたまま互いに笑ってその場を後にしたけれど、うう、まだ頬が熱い気がするぜ。ぱんぱんと頬を叩いて気合を入れてみても、その赤みが痛みと照れとどっちから来てるのか、俺には分からずじまいだった。
「で、結論としては。他の御使いの人たちが見つかるまで彼女はここで匿う、ということでいいのかな?」
「ああ、どうせ部屋数は余ってるわけだし」
昨日の夕飯時にナチねぇとリビエルの三人で話した結論を皆に言えば、ミント姉ちゃんたちも同じ考えだったようですんなり通った。対策を早めに立てるに越したことはないからと、それぞれ朝食を食べたばかりだというのに宿屋に集合してくれたんだからありがたいことだ。
「だけど、うまく全員が合流できるものかしらねえ」
「姉さんてば。そういう不吉なこと言わないでよ」
ぼやくリシェルをルシアンがたしなめるが、ぎろりと半眼で睨まれて小さくなる。
「不吉も何も本当のことじゃん。リビエルにだって追っ手がかかってたわけだしさ」
「確かに、リシェルの言うとおりだな」
ふむ、と兄貴が顎を撫でながら呟いた。
「敵の追撃をかわしてここに辿り着くのは難しいかもしれない。最悪の事態を考えておくことも必要だ」
兄貴の意見もまったくの正論だ。けれどリビエルの目の前で言うのはいかがなものか、とちらちら様子を窺っていたルシアンが思い切った様子で反論を口にする。
「それはわかるけど、でも、そんなに露骨に言わなくても……」
「心配は無用ですわ!私とて、御使いの端くれ。いざという時の覚悟はちゃんとしています」
けれど、その声を遮ったのは当のリビエルだった。自分自身を鼓舞するように言い切ってしまうと、それに、と少し悔しげに続ける。
「……他の仲間たちは私よりずっと強い。お日様が西から昇って東に沈んでいくことがないくらいに、負けたりなんかはしないですわ!」
うん……比喩が長えよ。それでも張り切っているリビエルに水を差すのはなんだったんで、俺は黙って頷いてみせた。
「ま、お前がそこまで言うんならきっとそうなんだろう。どのみち、信じるしかないわけだしな」
「そうだね……」
ほっとした表情で何度も頷くルシアンの横で、ですよ、とポムニットさんもこくこく首を縦に振る。
「けど……問題なのはむしろ、私たちのほうなのかもしれないね」
「え?」
何か考え込んでいたミント姉ちゃんの呟きに俺たちは視線を一斉に向けた。
「敵を避けて動き回れる御使いの人たちと違って、私たちは彼らを待つためにもこの場所に留まっていなければならない。これって、ものすごく不利な状況だよ。警戒をずっと維持するっていうのも、私たちが考える以上に大変なはず」
「かといって店をほっぽり出して町から逃げ出すなんてできないしなぁ」
分かっちゃいたけど、不利な状況はとことん不利な状況のようだ。それに、とナチねぇが言いずらそうに口を開く。
「おそらく、敵はまだ様子を窺っている段階だったと思うんです。けど二回も戦ったいま、様子見は終わりにしたはず。本気で攻めてくると思ったほうがいいですね」
「もしかして、町ごと一気に攻撃するってことですか!?」
ど、どうしましょう、とポムニットさんが目に見えて狼狽え始めた。
「いや、流石にそれはないだろう。そんなことをすれば帝国そのものを敵に回す羽目になるしな」
「よかったぁ……」
宥めるように兄貴が言えばほっとしたように胸を撫で下ろすポムニットさんだが、安堵交じりにお茶を一口飲もうとして失敗する。ちょうどカップに口を付けたところで、黙り込んでいたルシアンが何かに気づいたように叫んだのだ。
「ちっともよくないよ!」
「えふっ!?」
驚いた拍子にお茶が気管に入ってしまったのか、むせ返ったポムニットさんが派手に咳き込む。
「ポムニットさん、大丈夫ですか?はい、落ち着いてゆっくり呼吸して」
「す、すみませっ……」
隣りにいたナチねぇがポムニットさんの背中を優しく撫でつつ、こっちは気にしないで、と目配せを寄越してくる。驚かしちゃってごめんねポムニットさん、と前置きしたルシアンは静かに口を開いた。
「……だってさ、それってつまり、確実に目的を果たすため少数精鋭を僕たちに差し向けてくるってことでしょ?」
「そうね……それが正解だと思う」
ミント姉ちゃんの珍しく深刻な表情と声色に、リシェルが場違いに明るい声を上げた。
「だっ、大丈夫よ!今までもなんとかなってきたんだし!これから、だって……」
けれど次第に尻すぼみになっていく声は、最後には聞き取れなくなってしまった。しんと静まり返った食堂で、俺は言いにくい現実を噛み締めるように口にする。
「きついのは承知だが、自信たっぷりってわけにはいかねえな。戦える俺たちはともかくとして、コーラルは捕まっちまったらそれでお終いだ」
こっから先は単純に自分たちの身を守るだけでなく、コーラルをあいつらから隠し通せるような戦い方が必要になる。戦場で戦うメンバーとコーラルを守って隠れるメンバーに分ける必要が出てきてもおかしくないだろう。問題はそれだけの戦力なんて逆立ちしたって出ないことだが、と渋すぎる結論が出そうになった時、俯いていたリビエルが躊躇いがちに口を開いた。
「……その心配をなくす方法、一つだけですがありますわ」
全員から集まった無言の視線を居心地悪そうに浴びながら、リビエルは続けた。
「私たち、御使いが追われていたのには理由があります。それが、これです」
「これは……?」
その懐から大事そうに取り出された何かがきらりと光った。食堂に差し込む光を反射してきらきらと輝くウロコのようなそれを、ガラス細工でも扱うように丁寧な手つきでリビエルは捧げ持つ。
「守護竜のウロコ。先代の守護竜様の形見の一つですわ。亡くなられる直前、守護竜様はご自身の強大な魔力と知識をこれらの品々にこめて遺産として御子様に託されたのです。これらを受け継ぐことによって、御子様は先代の守護竜様の力と知識をそのまま継承することが出来るようになるのです」
なんだかとんでもない代物だということは分かった。まじまじとウロコを見つめていたリシェルがあっと息を飲んで呟く。
「じゃあ、あの連中がアンタを追い回してた理由って……」
「当然、この遺産を奪い取るためですわ。悪用すれば、それこそとんでもないことになりかねませんから」
なるほどね、と険しい表情で呟くリシェルはおそらくオーナーのことを思い浮かべているのだろう。オーナーはそこまで悪い人じゃないと思うんだが、ここで余計なことを言うのは藪蛇って奴になるしな。リビエルは伏し目がちにウロコを見つめると、両手で包み込むように持ち上げた。
「本当は、貴方たちにも隠しておくつもりだったんですけど場合が場合ですもの。この際、仕方がないということで……」
最後にちらっとナチねぇを見た意味が気になるが、俺が口を開く前にリビエルがコーラルへと呼びかける。
「さあ、御子様。先代から託された力をお渡しいたします!」
「ぴぎゃあああ!!」
ウロコとコーラルを中心に、卵が割れた時のような光が生まれる。白い光が収まった時、そこにいたのは人間の姿のコーラルだった。
「人間に……なっちゃった……」
「それだけじゃないよ。強い魔力が体から溢れてきてる。これでも力の一部でしかないなんて……」
「竜は世界で最もエルゴに近い存在といいますけど、納得する強大さですね……」
ミント姉ちゃんとナチねぇが険しい表情で言えば、兄貴がリビエルを振り返った。
「全てを受け継いだらどうなっちまうんだ?」
「まあ、貴方たちの手を煩わせる必要は無くなりますわね」
「それ、本当ですか?!」
ポムニットさんのはしゃいだ声にリビエルはこくりと頷く。
「ええ。今の時点でもご自分を守れる力は付いているはずですわ」
「これで一安心ですね」
ナチねぇが微笑めばリビエルは一瞬躊躇いつつも、そうですわね、と同意した。一応、信用すると言ったのは本当だったようだ。
「まあ、これで心配事が一つ減ったのは間違いないか。よかったな、コーラル?」
黙ったまま突っ立っているのは緊張してるんだろうか。そう考えて安心するように笑いかけてやれば、コーラルの口元が微妙に動いたのが分かった。
「ん?な、なんだよ?俺の顔になにかついてるのか?」
黙ったままじっと俺の顔を見上げてくるコーラルは何も言わない。何も言わないまま瞬きもせずに見つめてくるものだから、俺も反応に困ってコーラルを見つめ返した。子供の相手がうまいのはルシアンだよな。そう思い至って縋るように振り返るが、ポムニットさんと一緒になって喜んでるルシアンは俺の視線に気づく気配もない。
「と、ともかくよろしくな?」
友好的にしておけば間違いないだろ、と手を差し出せばふいっとそっぽを向かれてしまう。この邪険な態度、なんなんだ?
「ちょっと、あんた。返事くらいはしてもいいんじゃない?一応、こいつは今日まであんたの世話をしてたのよ?」
「別に……頼んでない……」
それまでの困惑が吹っ飛ぶような衝撃だった。リシェルの厳しい声にようやく口を開いたコーラルだが、初めて聞いたその声はあまりに辛辣だった。こっちの好意をどん底まで引き下げる一言に呆気に取られる俺を置き去りに、リシェルが拳を握り締めてずんずん詰め寄っていく。
「あんたねぇっ!!まさかこんな生意気な性格だったなんてっ……!」
「姉さん!グーはまずいよ、グーは!?」
「リシェル落ち着け!こいつも混乱してんだよ多分!」
二人掛かりで止めに掛かってもじりじり前進していくリシェルは、この間ナチねぇが呼んだメイトルパのブレイドボアみたいな勢いだった。分かりやすく言うとイノシシだ。
「まあ、落ち着けって。ライの言うとおり、いきなり成長しちまって一番戸惑っているのは当の本人なんだからな。大目に見てやれよ?」
「むむむむ……っ」
今にも噛みつかんばかりにコーラルを睨みつけるリシェルだが、コーラルの方は痛くも痒くもないとった様子で沈黙を貫いている。おいおい……一体誰に似たんだ。あまりの愛想の無さにいっそ感心しているとリビエルがこほんと咳払いをした。
「なんにせよ、あとは他の御使いたちの到着を待つだけですわね」
「そうだな……」
それまで俺の神経が保つといいんだが。そんな弱音がちらりとよぎるが、いや、保たせるしかないか。何から何まで選択の余地無しだ。
「それと、これは貴方に預けておきますわ。魔力は減じていても守護竜様の加護は残っていますから、貴方たちの戦いの助けにはなるはずです。御子様のためにもせいぜい頑張っていただきますわよ?」
「へいへい……」
押し付けられたきらきら輝くウロコを懐に仕舞い込む。一番いいのは御使いが集合するまでに戦いが起きないことだけど、無理だよなぁ、それは。どうやって稽古の時間を増やしたものかと悩みつつ、俺は内心大きなため息をこぼしている。
そうして解散した直後、店先が騒がしいと思って見に来てみれば、リシェルとコーラルが何か言い合っているところだった。
「どうしたんだ?」
「コーラルが町を見てみたいって言ってるんだよ」
この中じゃ一番冷静だろうルシアンに尋ねれば簡潔な答えが返ってきて、ああ、と俺は納得した。それでごねてるのか。
「この姿だったら、人目を気にしなくていい……だったら、何も問題ない、かと」
「だからってほいほい出歩いたら危ないじゃないのよ!敵はまだあんたを諦めたわけじゃないんだからね?」
もっともな指摘に言い返せず項垂れてしまったコーラルは、その見た目もあってこっちの罪悪感がやたら煽られる。面倒見のいいルシアンも優しく宥めに掛かった。
「ね、いい子だから聞き分けてよ?」
「……どこにいたって、狙われるの同じ。だったら……」
小さすぎる声を聞き取れずルシアンは疑問符を浮かべているが、コーラルはなんでもないと短く言って誤魔化す。けれど、馬鹿力に加えて耳も目も異様にいい俺からすれば十分聞き取れる声だった。本当に、こいつはなぁ。
「ったく、しょうがねえなあ。わかったよ、後でちゃんと俺が連れてってやるから」
「ほんとに?」
小声なのは変わらないが明らかに弾んだ声と表情に、なんだかんだでこいつも子供なんだよなとどこか嬉しい気持ちになる。
「ああ。だからそれまでは大人しく待ってるんだ。分かったな?」
こくこくと何度も首を縦に振って頷くコーラルをリビエルに預けた俺は、コーラルとの約束を果たすべく、さっさと用事を片付けることにした。
「と、忘れるところだった」
稽古場の右手に建てられた小さな倉庫で、俺はあるものを探していた。お目当ては釣竿だ。こないだ久々に釣りをしようと思い立ったはいいものの、今まで使っていたものは壊れてしまっていたのだ。新しいのを買うのもいいが、記憶が確かならクソ親父の釣竿があったはずだ。
「ろくなもん釣れなくてふてくされた挙句、物置にほっぽりだしたはず……っと、あった!」
それらしいものを見つけて引っ張り出せば、思ったよりまともな釣り竿が出てきた。少し古臭くはあるが、息抜きの釣りくらいでなら十分使えそうだ。夕飯の材料とか釣れると助かるんだけどな、なんて調子のいいことを考えつつ持ち手を綺麗に拭った俺は、暇が出来た時にでも使うべく、水道橋公園側にある木立ちにこっそり隠した。こんなところまで来るのは宿屋の住人か泊まり客くらいのもんだし、まず見つからないだろう。軽く手を払っていたところで、俺はぴくりと耳をそばだてた。
「……くすりぃ、旅のお供にお薬は入りませんかぁ?素材厳選、産地直送、秘伝の製法を守って幾星霜……あかなべ印のお薬はいりませんかぁ~?」
どこからか聞こえてくるか細い女の声を頼りに歩いていくと、明るい日差しの降り注ぐ水道橋公園に出た。休日なら散歩してるひとだとかもいるもんだが、今日のところは一人しか見当たらない。今にも泣きだしそうなか細い声とは裏腹に随分元気そうな見た目の姉ちゃんがぽつんと店を広げていた。
「おっ、ねえそこの君!お薬を買ってくんないかなあ?」
「いらない」
目が合った途端にウインク交じりに明るい声を掛けてくるが、余計なものを買う余裕なんてあるわけがない。ばっさり断った俺だが、やたら元気な姉ちゃんは食い下がる。
「そう言わずにさあ、ねえ、品揃えだけでも見てってよ?おねーさんからのぉ、お・ね・が・い?」
「色仕掛けには色気が足りないぞ。それにいらないってば。大体俺、旅人じゃないし」
再びのウィンクを決められても全く心揺らがなかった俺は変わらぬ返事を口にする。しかし、色仕掛けなんて今日日やるやついるんだな。昨日ナチねぇの泣き顔を目の前にしたときはどうだったかな……とうっかり連想しそうになった俺は頭を軽く振って想像をかき消した。ま、まあ、あの時はいっぱいいっぱいだったしな。
「そうなの?」
つまらなそうに唇を尖らせる姉ちゃんに、俺は宣伝もかねて笑いかけた。
「ああ、こう見えてこの町で宿屋を構えてる主人さ」
「だったら!是非店の置き薬としてまとめてどう?」
「げ……」
まさか、こう返されるとは。げんなりした俺の表情に姉ちゃんはにやりと悪どい笑みを浮かべた。
「病気のお客さんに高めにふっかけて分けてあげたらさ、元なんか直ぐ取れちゃうってぇ!」
「ふっかけ……ってあんた、ものすごいこと平然と言うな」
「まあ、商売だしね」
にししと笑う姉ちゃんはあっけらかんとしたものだ。試しにと覗いてみるが、確かに色んな薬が売られてる……けど、どれも見たことのないものばかりだし、それに。
「しかし、道端で薬を売るのなんて初めて見たぞ。なんで店とかで売らないんだよ?」
「よくぞ聞いてくれましたっ!これには聞くも涙、語るも涙の事情がありましてぇ……」
よよよ、と一人盛り上がって語りだした姉ちゃんの話を要約すると、このアカネ姉ちゃんというひとは意地悪師匠にお仕置きとして薬を山と持たされて売りつくすまで帰ってくるなと放り出されてしまったらしい。聖王国という遠いところから季節が二巡りするほどの時間を掛けてこの薬を売り歩いているのだとか。にしては、随分な在庫の量だ。薬が悪いのか、姉ちゃんの要領が悪いのか、難しい問題だな。むむむと眉を寄せて唸っている俺をどう見たのか、姉ちゃんがずいっと顔を寄せてきた。
「ね?ひどいでしょ?可哀想だって思うでしょ?」
「まあ、すこしは」
「じゃー買って!まとめて買って!今すぐに!」
ばんばん地面を叩いて主張する姉ちゃんに哀れみが浮かんだ俺は、値段だけでも聞いてみるかと寛大な心持ちになってきた。
「……いくらだよ?」
「安すぎちゃってどうもすみませーん、の、100万バーム!」
「さいなら」
誰がそんな法外な値段の薬を買うか。踵を返そうとした足に姉ちゃんが盛大なタックルをかましてきて、俺は大きくつんのめった。
「ちょっ!」
「わーん!ウソウソ、逃げないでよーっ!お願い、この一番お手軽な薬一個で構わないからさぁ?お値段たったのこんだけ、600バーム!」
600か……ちょうど手持ちの金がそれくらいだったはずだ。悩む俺だが、あまりに必死にせがまれるものだから結局財布を出してしまう。
「ありがとーっ!お客様はもう神様ですっ!」
「じゃあ、後は自分でがんばれよ?」
「うんうん!でもまたのお越しお待ちしてまーす!」
なんつーか、とことん陽気で騒がしい姉ちゃんだな。大通りへと下っていく道すがら、アカネ姉ちゃんの薬が売れるといいなぁ、なんて俺は柄にも無く他人の商売の成功を祈るのだった。
一通り商店街を回ってメモしてきた消耗品やらを買い揃えたついでに駐在所を覗けば、兄貴はパン片手に報告書を書いているところだった。
「おう、なんだライ?」
「兄貴ってさ、ここで一人暮らしなんだよな?普段メシとかはどうしてるんだ?」
挨拶がてらに話を振れば、お前は本当に食のこと中心だよな、と笑ってコーヒーを啜りながら、兄貴は記憶を掘り起こすように宙を見上げた。
「こう見えて意外と忙しいもんでな。朝や昼は商店街でパンとかを買って巡回しながらパクついてるよ。ちゃんと座ってゆっくり食べるのは夕飯くらいだな」
「自炊してんのか?」
「おいおい、買い物に行く暇も満足に無いんだぞ?もっぱら外食になっちまってるよ。結構、出費もばかにならないんだけどな」
兄貴の笑いは北風が吹くような空笑いだった。かなり財布に痛手が来るのだろう……俺はしみじみと頷き返す。
「大変なんだなあ。兄貴も彼女とかいれば料理作ってもらえるかもしれないのに、なぁ」
「独り身の男連中なんか皆そんなもんさ。お前みたいなのが珍しいんだよ。あと彼女って単語は俺に対して厳禁だ、分かったな?」
兄貴はまさか彼女いない暦と年齢が同じになるんだろうか。悲しそうな声には了承の返事しか返せない。そのまま流れで若い男性の客層獲得を相談してみたら、安さ・早さ・量に拘る激安と大盛りの美学とやらが密接に絡んでいることを熱心に主張されたものの、料理の味に拘るという俺の美学に反するものだから採用には至らなかった。ごめんな、兄貴。
「ふうっ、一段落着いたな」
昼の混雑を乗り切り、遅めの昼食を取った俺はコーラルを探しに立ち上がった。用事を片付けたり料理への造詣が異様に深いじいさんに関わったりと、何やかやしてるうちに結構な時間が経ってたから、あいつはきっと待ちくたびれていることだろう。ナチねぇがリビエルとコーラルの昼食を部屋まで運んでいくのは見てたから、腹は空かせてないはずだけど。客がいなくなって閑散とした食堂を後にして宿屋の周りを探していれば、コーラルは裏庭でぼんやり座っていた。
「待たせて悪かったな。暇じゃなかったか?」
「……相手、してもらってたから。平気……」
指し示す方を覗き込めばコーラルのすぐ横にプニムが転がっているのが見えた。はぐれだったのをナチねぇが手なずけてから、毎日のように遊びに来る奴だ。今や住み着いていると言っても過言ではない。それにコーラルの影になって全く気づかなかったが、プニムの奥にはシズクも伸びている。ガゼルはと言えば……いつもどおりに少し離れた木陰で草を食んでいた。
「ああ、ナチねぇがこいつらを貸してくれたのか?」
こくりと頷くコーラルは、ナチねぇを認識しているようだ。竜の姿の時にあれだけ一緒にいたんだから当然かもしれないな。
「なんなら、こいつらも一緒に連れてくか?ナチねぇに許可取らないといけないけどさ」
「いい……戻ったら、ここで会える……」
「そうか、じゃ、行くぞ!」
ふるふると首を横に振るコーラルの手を取って宿屋の前へと回る。さて、トレイユのどこから案内すればいいだろう。狙われていることを考えて、できるだけ無駄を省いたルートを考える。ああ、まずは、あそこかな。宿屋から大通りへと向かう途中、必ず通りがかることになる溜め池。中央の噴水が綺麗な水を噴き出している前で足を止めた俺は、早速説明のために口を開いた。
「トレイユは町だけど規模としては大きな村みたいなもんだから、ここらへんとか、外れの方に出ればあんま人もいなくて静かなもんなんだ」
「あんた、今頃町の案内してんの?ちょっと遅すぎじゃない?」
真面目に耳を傾けるコーラル相手に人差し指を立てて説明していると、聞き慣れた声に横やりを突っ込まれる。呆れたような口ぶりに口元が引き攣りそうになるのを押さえて、俺は声の主を半目で睨んだ。
「あのな、なんでいんだよ。リシェル」
「さっき宿屋まで行ったらあんたもコーラルもいないんだもん。リビエルにあんた一人じゃ心配だからって頼まれてついてきてあげたのに、その言い草はなんなのよ?」
ばちばちと音を立てて睨みあっている間に挨拶を済ませたのか、嬉しそうに笑うルシアンと無表情なコーラルの姿が飛び込んできたことに俺とリシェルは渋々矛先を収めた。それでも険悪な雰囲気は拭い切れずにいたのだが、貯水場側の草むらから猫が飛び出してきた途端にリシェルの機嫌が直る。
「あ、猫じゃない。ほらほら、こっちおいでーっ」
ころっと態度を変えて舌を鳴らし猫を呼ぼうとするリシェルに、俺は苛立っていたのも忘れてやれやれと肩を落とした。こいつの変わり身の早さにはいつ見ても感心しちまうな。
「って、あれ?なんか怯えて逃げてっちゃったよ?」
「なんでよー?しかもすごい威嚇されちゃったし」
何となく緩んだ空気になっていたのに、猫の方はなぜか凄まじい威嚇めいた唸り声を上げて再び茂みに戻ってしまった。驚かせたわけでもないのにと不思議がったり不満そうな声を上げるルシアンとリシェルだったが、そこにコーラルがぼそりと呟く。
「僕のせい……きっと……」
「どういうことだ?お前は何もしてなかったじゃないか?」
疑問をそのまま口に出せば、コーラルは首を横に振った。
「見た目、同じでも、僕人間じゃない……だから、あの子、逃げたんだ。関わると危ないって、分かったから……」
励ましも慰めも、何の言葉も掛けられなかった。次の場所の提案をしながら、俺は胸に刺さったコーラルの言葉を反芻してしまう。コーラルの呟きは独白に近く、コーラル自身を指したものだったけど、俺にもきっと同じことが言えるだろう。人間じゃない。それが結局のところどんな問題に繋がるのかは、俺自身、嫌というほど知っている。そこに存在している、ただそれだけで警戒されたり怖がられたり、疎まれてしまうのだ。
何となく沈んだ空気を引きずったまま大通りに足を運んだが、商店街まで来たところで分かりやすく賑やかになった周囲のざわめきに、コーラルが物珍しそうに辺りを見渡した。その様子に気を取り直して俺は明るい声を出す。
「ここは商店街だな。この町では一番賑やかな場所だ。大抵のものだったらここにくれば買うことが出来る。とはいえ、お前が買い物に来ることはないだろうけどな」
「ずっと、あの家に閉じ込めておくつもりだから?」
「なっ……!?」
予想もしなかった返しに少なくないショックを受けて、思わず声を失った。これまでずっと、俺たちはそんなふうに思われていたのか?
「あたしたちは別にそんな……」
「別に責めてない。当たり前のこと。貴方たちからしたら、僕は迷惑だって分かってるから」
淡々と言うコーラルを、俺はじっと見つめた。静かな表情を見つめるうちに、それが強がりなんかじゃなく、本心での発言なんだと分かってしまった。自分自身を客観視して、俺たちを他者と認識しているこいつには、本気でこういうふうに思えちまうんだ。琥珀色の瞳には冷えた諦観が沈んでいた。
「あ……」
「……行こう?ここの景色は、もう覚えたから」
戸惑いの声をこぼしたリシェルは、俺を一度見やってからコーラルに視線を戻した。リシェルにまで気を使わせちまうなんて、俺もつくづく情けねえな……
「と思ってたのが間違いだったよ畜生。ちょっと見たいものがあるって、いつまで待たせれば気が済むんだよ?」
それから十数分後、俺はぶちぶち言いながら通りの隅に腰掛けていた。リシェルのお供に引っ張られていったルシアンは衣料店に入ったっきり出てこない。コーラルも流石に付いていきたくなかったのか、俺の傍でちょこんと膝を抱えている。
「あ……」
「なんだよ?どうかしたのか?」
ふいに声を上げたコーラルに声を掛ければ、コーラルは不思議そうに小首を傾げた。
「魔力、感じる……向こうのほうから。けど、おっきいくせいにちっちゃいような、不思議な感じ……」
「……気になるんなら行ってみるか?」
どうせリシェルの服選びはまだまだかかるだろう。もしかしたら残りの御使いかもしれないし、行って損はないはずだ。コーラルの指し示す方は表立った通りから一本入ったところで、新しい店と古い店が煩雑に並んだ路地がある。暫く足を運んでいたなかったけれど、さてどうなっているか……そんな呑気な考えで足を運んだ俺は、全体的に紅で統一された不思議なデザインの店構えに瞠目していた。
これは、まるで見たことの無い造りだ。入り口から覗ける範囲にも奇妙奇天烈な紋様の描かれた天井やら床やらが見えて、いつの間にか夢中になって眺めていたらしい。
「あらら……そこの君って、人間じゃないわね?」
「!?」
声を掛けられて弾かれたように顔を上げれば、店の奥からひょっこりと顔を出す少女がいた。手には分厚い本を抱えて、留守番でも任されているのだろうか。そんなことを思ったのも一瞬、コーラルの目の前まで来た少女の呟きに俺は再び息を呑む。
「ふぅん……至竜の幼生体とはまた珍しいわね」
「なんでそんなことがわかるんだよ?」
バシバシ言い当てていく不思議な少女に警戒心を高めながら言えば、少女はにぱっと人好きのする笑みを浮かべた。
「それはそうよ。だってシャオメイ占い師なんだもーん。こう見えて結構腕利きなんだからね?」
「占い師だぁ?」
うさんくさい職業だな。なによりこの年で腕利きってどういうことなんだ。そんな不信感が黙っていても伝わってしまったのか、少女はむむっと眉尻を吊り上げた。
「あ、ひどぉーい。信用してないわね。いいわ!本当はしばらくお休みするつもりだったけど、特別にタダで運勢をみてあげるんだから!」
「別にいいよ。俺、そういうの信じない性質だし」
ひらひら手を振るとシャオメイはにやりと嫌な笑みを浮かべた。
「もしかしてぇ、お兄様。こわいの?だったら無理にとは言えないなぁ。あーあ……」
「馬鹿にすんなよな。たかが占いだろ、十分占ってみてくれよ!」
挑発に乗った形で勢いよく椅子を引いてしまった俺に、シャオメイはにっこりと笑った。そして五分後、俺は敗北に項垂れきっていた。家族の縁に薄くて苦労性で損をして、近い将来人生の転機にもなりそうな事件が迫っている……って、悔しいぐらいに当たっている。結果を覗き込んだコーラルが無言で深々と頷いた。お前は納得しないでくれよ……
「にゃははははっ。どうやらばっちり大当たりみたいね?」
「信じたくないけど、否定はしねーよ……」
上機嫌のシャオメイにやさぐれ交じりにで返せば、すねないでよぉ、と軽い調子で肩をたたかれる。
「運勢なんていくらでも変えられるんだから。シャオメイの仕事はそのお手伝いだし、暇な時はいつでも気軽に尋ねてきてよ。手助けしてあげる!」
「だけどさっき、当分は休むつもりだって言ってなかったか?」
あんまり軽い言葉にうっかり忘れそうになってたことを尋ねれば、シャオメイはにんまりと笑んだ。
「一般のお客さんはね。けどお兄様だけは特別だよっ!……来るべくしてきたお客さんみたいだし」
お兄様とは星の巡りの導きで会えたんだから、これからもご贔屓よろしくねっ!
はしゃいだ声でそう言って握った手をぶんぶん振っていたシャオメイは、詰まるところ暇人だったのだろうか。お代はいいから酔蜜糖を頂戴、なんてのも可笑しな話だし、キツネにつままれたような気分で俺は店を出た。コーラルの正体を見抜いたことしかり、俺の占いしかり。なにより、昨日まであそこにあんな店無かった気がするんだけどなぁ。
「おーいっ!どこにいたのよ、もうっ!」
腕組みをして悩む俺だったけれど、怒って駆け寄ってきたリシェルの機嫌を取るうちにそんな疑問がどこかに消えていくのは早かった。
「それにしても、改めて歩いてみると結構広いもんだね」
「その割りにあんまぱっとしたもんがないのよねえ。山脈の向こうにある大道都市タラントとは偉い違いだわ」
そびえたつ城門が見える場所までやって来ると、後は一本道だ。めぼしいものを一通り見て回った俺たちはぶらぶらと下り坂を歩いていた。黙って後ろをついてくるコーラルには思うところが大いにあるが、トレイユとタラントのどっちが好きかという話で盛り上がっているルシアンとリシェルの邪魔をする気もなく、俺はそれらしい相槌を打った。
「タラントには大商隊が、トレイユには個人で旅をしている連中がそれぞれ大関所での入国手続きをする前に休む場所だからな。遠回りでも、山越えのないタラントが栄えるのは仕方ねえって」
「それは分かるけどさあ……」
不満そうなリシェルはトレイユにもっと華やいで欲しいようだが、ルシアンは反対の意見らしい。
「だけど僕はタラントよりトレイユの町のほうが好きだな。自然が手付かずのまま残っているし、雰囲気も素朴でのどかだし。昼と夜の区別もなしにひたすら賑やかな大道都市よりも、長旅の疲れを癒すなら断然こっちのほうがいいって思うけどな」
「まあそのへんは個人の好みの問題だろうな」
甘いのと辛いのどっちが好みかって話と同じで、理屈は分かっても納得し難いことや同意出来ないことが世の中には色々あるんだろう。
「交易拡大のため整備された新街道と、昔ながらの雰囲気を残している旧街道。違いがあったほうが選ぶ楽しみができるだろうしさ」
「ふーん、そんなもんですかねえ」
「さて、戻るとするか!」
これで全部見終わった、と城門の石肌を眺めながら背伸びをした俺は、溜め息のこぼれる音にそろりと視線を投げた。
「……」
ふいっとそっぽを向いて目をあわせようとしないコーラルに、いい加減言わなきゃいけないことがある。俺はひとつ息を吸って、身体ごとコーラルを振り返った。
「なあ、さっきからずっと気になっていたんだけどよ。言いたいことはちゃんと口に出して言えばいいんだぞ?奥歯に物が挟まったみたいな言い方じゃなくて、はっきり言ってくれたほうがこっちも困らないしさ」
困ったような目をして黙ったままを貫かれると、どうしていいか分からなくなる。
「あのなあ、黙ったままじゃ俺もお前も困るだけなんだぞ?」
「ねえ、そんな言い方じゃ逆効果じゃないの?」
リシェルの言い分も理解できるが、これは譲れないことだ。俺は膝を折ってコーラルの目を覗き込みながら静かな声を出した。
「いや、こういうことは最初にはっきり言っておくべきなんだよ。自分の気持ちをしっかり伝えられないままじゃ、コーラル自身が一番困ることになるだろ」
「!」
目を大きく見開くコーラルに、言葉をより噛み砕いてゆっくり言い聞かせる。
「いきなりそうしろって言っても無理なのは分かるけどさ、少しずつでいいから、ちゃんと言いたいこと言えるようにしろよ?」
「……努力は、する」
「おう、頼んだぜ」
前向きな言葉に俺は破顔した。後方で小さく呟かれた無理だなんて言葉も、だからきっと乗り越えられるはずだと勝手に思っていたのだ。
「どうしたんだよ?えらく疲れた顔してるじゃないか」
「まあ、色々とあってね。ははは……」
せっかくだからと門前の広場にも寄ってみれば兄貴の姿があった。片手を上げて声を掛けてきた兄貴だが、元気の無い俺たちの様子に首を傾げている。
「グラッドさんこそどうしてここにいるの?ここって、荷運びをさせる召喚獣とかをつなぐ場所でしょ。普段見回ってる所じゃないじゃない?」
だけどルシアンの疑問を受けた途端、兄貴は顔を引き締めた。
「それなんだがな……山を越えてきた旅人が言ってたんだが、道の途中で乱闘をやらかしている一団を見かけたらしいんだ」
「それって、もしかして……!」
「ああ、例の悪人たちかもしれんからな。真偽を確かめるため、ここで聞き込み作業中だったってわけだ。用心するにこしたことはないだろ」
そういや、リビエルの話していたラウスブルグも山の向こうにあるとか言ってたよな。御使いの集合は、案外早く済むんじゃないのか?けれど、そんなことを思い巡らせていた俺の横でルシアンがきょろきょろ周囲に目を配り出す。
「なんだよ、ルシアン」
「そうよ、そんなにきょろきょろしてどうしたのよ?」
「あのさ……あの子、さっきから姿が見えなくない?」
ルシアンの泣きそうな声と、召喚獣の唸りが響き渡ったのはほとんど同時だった。
「うわああぁぁっ!わしの召喚獣が逃げたああぁっ!?」
「あのガキだ!あのガキが手綱をほどいているぞっ!?」
混沌とする中、コーラルの姿が逃げ出す召喚獣の間に見えた。嘘だろ……この状況、どう考えたってコーラルが召喚獣の手綱を解いて回っているせいで引き起こされたとしか思えない!?
「な、なんてことを……」
「ともかく、急いで騒ぎを収めなきゃどうしようもない!お前たち、手伝ってくれ!」
「おう!」
混乱しつつも威勢のいい返事をしたけれど、荷運びをする召喚獣だけあって巨体な奴がほとんどだ。そんな奴らが暴走してるとなると、兄貴はともかく俺たち子供じゃ一歩間違えれば大怪我に直結してしまう。とどめにと言うべきか、俺もルシアンも剣のひとつも持ってきていない。万が一、召喚獣に突っ込んでこられたら受け流すことも出来ずにまともに衝撃を食らっちまうだろう。
「くそっ!多すぎる!このままじゃ怪我人が出てしまうぞ!」
「でも、他人の召喚獣に攻撃を加えることなんてできないし……!?」
ルシアンの悲鳴じみた声が召喚獣の唸り声の合間に聞こえる。四苦八苦しながら暴れる召喚獣を抑えようとするものの、混乱の最中かつ人でごったかえしている中じゃ得意の連携をきかせることも出来ない。
「きゃあっ!」
「リシェル!大丈夫か!?」
召喚獣に押しのけられてリシェルが膝を突いたのが見えた。くそ、どうすりゃいいんだ!?
「お願い、力を貸して……壺に潜みし形無きもの、スライムポット」
そんな喧騒の中、静かな声が聞こえた。きらりと緑色の光が輝いたと思えば、地面いっぱいにどろどろしたゲル状の何かが広がっていく。
「ぶもおおおーっ!?」
そいつらはあちこちで暴れる召喚獣の足にまとわりつくと、するする胴体へと上っていき全身を覆うように絡みつく。異変に気づいた召喚獣が我先にと逃げ出そうとするも、纏わりついたもののせいでその場に固定されていく。
「癒しの水精セイレーヌ。どうか一時の眠りを……」
間髪入れず、上空に人魚のような生き物が召喚された。それが聞いたことの無い言葉で歌いながら竪琴を爪弾くと、どろどろしたものから抜け出そうとしていた召喚獣たちの動きが鈍くなっていく。俺たちはこれっぽっちも眠くならないのに、暴れていた召喚獣たちだけが眠りに落ちていってるようだ。
「すごい……」
唖然としたルシアンの声は、その場にいた全ての者の気持ちを代弁していた。瞬く間に酷い喧騒を収めてしまった人物が俺たちに微笑む。
「怪我はしていませんか?ライ君、リシェルちゃん」
「ナチねぇ……!」
メイトルパの召喚獣を連続で呼び出したにも関わらずおっとり笑ってみせるナチねぇとは対照的に、俺はどうしようもない情けなさと悔しさに眩暈がしそうな思いだった。
あちこちで眠りこけている召喚獣を飼い主に引き渡して、平謝りに謝って、それから傷の手当ても兼ねて家に戻ってくれば、ちょうどミント姉ちゃんが訪ねてきたところだった。ぼろぼろな俺たちの様子に目を丸くしたミント姉ちゃんに兄貴が手早く事情を説明すると、労わるような眼差しを向けられるのはすぐだった。
「災難だったわねえ、それは……」
同情と憐憫の入り混じった表情で、ミント姉ちゃんはぐったりした様子の兄貴に声を掛ける。
「幸い深刻な被害は出ずにすみましたが、荷運び用の召喚獣を相手にするのは相当骨が折れましたよ。それでも、ナチさんが見事な召喚術で動きを止めてくれなくては大変なことになっていたでしょうね。ご協力、ありがとうございます!」
「いいえ、気になさらないで下さい。まあ、ガゼルの散歩に出かけてあんな大騒動を目撃するとは思ってませんでしたけど、誰も大きな怪我をしていなくて安心しました」
ぺこぺこ頭を上げる兄貴にとんでもないと胸の前で手を振るナチねぇだけど、実際、ナチねぇがいなかったらどうなっていたか分からないほどの大騒動だった。
「ほんと、とっくみあいの大騒動だったもんねぇ……いちちっ!ポムニット、もっと優しく!」
「消毒は沁みて当然ですっ!まったく、あちこち擦り傷やら打ち身やらだらけで……旦那様にばれたら、わたくしまで大目玉ですよぅ……」
興奮する召喚獣に押しのけられたり突き飛ばされたりで、俺もルシアンもリシェルもあちこち傷だらけだ。リシェルの手当てに精を出すポムニットさんの瞳は安堵と心配の二色が目まぐるしく行き来している。ルシアンは半ば強引にリビエルから治癒の奇跡を受けて、大きな擦り傷がついていたはずの膝が元通りになったのを見て驚いていた。
「ありがとう、リビエルちゃん」
「これくらい、大したことじゃ有りませんわ。それよりっ……」
ぎろり、とリビエルが俺を睨みつけながら振り返った。
「大体、どうして未然に防ぐことが出来なかったんですの?!監督不行届としか言いようが無いって思うんですけど!」
俺はリビエルの問いには答えず、すぐ傍で俯いたままのコーラルを見下ろした。俺の視線には気づいているくせに、コーラルは強情にも口を一文字に引き結んで何も言わない。
「なんで、あんなことしたんだよ?」
険を含んだ言い方になっているのは自覚しつつも、止められなかった。
「あんなことをしたらどうなるかってことは、わかるだろう?!黙ってるばかりじゃ、分かんねえだろ!?」
「……話しても……きっと、分かってもらえない……」
ようやく口を開いたコーラルの言葉に俺は息を呑んだ。息を呑んで、それからかぁっと頭に血が上るのを感じる。こいつは、そんな理屈で事態が収まるとでも思っているのか?口を開いたら暴言が飛び出しそうで無理やりにでも息を吸い込めば、見かねたポムニットさんが優しくコーラルに話しかけた。
「でも、話してくれないと余計に分からなくなっちゃいますよ?分かってもらえるかどうかはとりあえず置いておいて、話すだけ話してみてくださいませんか?」
宥めるように言われて少しの躊躇いの後、コーラルは唇を動かした。
「助けて欲しい……そう言ってたから助けたんだ……。人間から、助けて欲しいって……」
ミント姉ちゃんが目を見開いた。その隣で、ナチねぇが深く目を伏せるのが見えた。
「つながれるのも、命令されるのも、もううんざり。自由になりたい、生まれた世界に今すぐ帰りたい、だから……助けたんだ……」
「だからって、勝手に他人の召喚獣を逃がすなんて」
「僕、間違ったこと何にもしてない!」
召喚獣側からの言葉に動揺しながらもリシェルが反論するが、コーラルは頑として引かない。自分の行動が正しいと主張するコーラルに、兄貴が言い含めるように言った。
「理屈は分かるが、仕方が無いことなんだ。召喚獣は召喚した者に従って使役されるものなんだ」
ちろ、と兄貴を見上げたコーラルは直ぐに視線を落とす。
「ほら……やっぱり分かってもらえない……」
「御子様のお考えは間違っておりませんわ。ですが、人間は絶対にそのことを認めたりしないでしょう。今までもずっと、そうやって来たのですから」
それを言われると、人間である俺たちは何も言えなくなる。皆が押し黙ってしまった中で、けれど、俺は納まりきらない憤りを吐き出した。
「言いたいことはよく分かったよ、けどな……そういうのは、自分で全部責任取れるようになってから言え!!」
「……っ」
コーラルの言っていることは分かる。理解できる。召喚獣の恩恵に預かっている人間の身じゃあ何も言えなくなる。けれど、その行動の責任を誰が被るかってことを知らないのか?俺に全ての責任が追及されるってことぐらい、想像できないのか?火が付いたような苛立ちは止まらず、俺は感情のままに言い放った。
「お前の好き勝手に振り回されるのは、うんざりだって言ってるんだよ!」
「ちょっとライ!」
嗜めるリシェルの声にすら苛立ちが煽られる。
「それが保護者としての口の利き方ですか!」
目尻を釣り上げるリビエルの声が耳を打つ。けれど、俺の中で燃え滾った炎は一層勢いを増すばかりだった。
「気にいらねえならそんなもん、今ここでやめてやるっ!たまたま出くわして、なりゆきで世話をしていただけで、俺とコイツは本当の親子なんかじゃねえんだぞっ!?」
「ライ君!」
ナチねぇが苦しげに俺を呼ぶのが分かった。コーラルが頬を打たれたように目を見開くのも見えた。
「ライさん、言いすぎですよ?」
嗜めるような、誰かを気遣うようなポムニットさんの声も全部全部、耳に入った。けれど止められなかった。
「うるせぇっ!!なんでもかんでも俺が悪いみたいに言いやがって……もう知るもんか!勝手にしやがれっ!!」
叫ぶように怒鳴りつけて、無我夢中で食堂を飛び出した。振り返りもせずに走って走って、街中に通じる小路まで降りて来て、俺はようやく勢いを緩めて立ち止まる。肩で息をしながら恐る恐る後ろを振り返るけれど、誰も追いかけてきていない。はっ、と自嘲の息を吐き出すと、目に付いた切り株にどっかりと腰を下ろして俺は空を仰いだ。
「あー……やっちまったな……」
泣きたい気分だった。頭に来た勢いで暴言を吐いて乱暴に喚いて飛び出して、まったくガキ以外の何者でもない。途中でコーラルの瞳を見つけた時、ナチねぇの声が聞こえた時、ここで止まらなきゃダメだ、その先は言っちゃだめだと気づいていたのに我慢が出来なくって、無理に気づかない振りをして叫んだのだ。
一人になった今、少しだけ落ち着いてきた思考はどんどん暗い方へと沈んでいく。あれはコーラルを傷つけると同時に、俺もナチねぇも傷つける言葉だった。もう、愛想だって尽かされたかもしんねえな。
「……戻りたく、ねえな……」
出ていった手前、直ぐに戻るのはしゃくだし何より気まずいものがある。俺は行くあてもないまま、重い足取りで町へと続く道を降りて行った。
しっかり自立して宿屋を繁盛させて、親父を知る奴にも知らない奴にも認めてもらって、ナチねぇと一緒に生きていきたい。そんな俺の目標には邪魔が入りまくっている。俺はナチねぇを守りたいと思っているけど、実態は逆だ。困った事態が起きると、自分のことすらままならなくなり結局、誰かの手伝いなしじゃ何にも出来ない。せめて宿屋業務だけでも地道に頑張って町の奴からの評価を上げようとしても、さっきみたいに騒動を起こす原因と睨まれてばかり。
「はぁー……」
大通りをぶらいついても気晴らしにもなりはしない。門前の広場まで行けば物珍しい交易品を並べた店もあるだろうけど、さっき平謝りしたばっかの場所に進んでいく度胸はない。どんどん沈むばかりの心を持て余しながら歩いていた俺がやっと足を止めたのは商店街の端まで来たところだった。
「これ、そこな童よ」
「は?」
まったく知らない声に呼び止められたのだ。やたら明朗で落ち着いた声だったけど、考えるまでもなく聞き覚えのない声に足を止めていたのは多分、それがあまりに真っ直ぐ俺に向かっていたからだろう。情けなく肩を落として歩いていたのも忘れて周囲に目をやっていると、通りの向かいからやけに落ち着いた足取りの男が近づいてくる。
「そうだ童よ、おぬしのことを呼んでやったのだ」
な、なんだ?この妙な格好をした偉そうな男は?
いきなり上から目線で話しかけてきた男は、どこからどう見ても初対面の相手だった。短く切り揃えられた真っ赤な髪、黒と紅を基調にした長袖長ズボン……というには妙に気品のある服装。頭の天辺から靴の先まで見慣れない尽くしだけど、何より目を惹くのは赤い髪の合間から突き出ている立派な角だ。
「我はこの地に来たのは初めてでな。土地に明るくない。そこでおぬしに色々と尋ねてやろうと考えたわけだ。光栄に思うが良いぞ、はっはっは」
何の用だと身構えていたら、更に偉そうな態度でそんなことを言われてしまう。最近、こういう手合いにしか会ってない気がするな……どうして俺の人生笑えるくらい災難まみれなんだ。内心嘆きながらさっさと話を終わらせようと腹を括って、俺は口を開いた。
「で、一体何を聞きたいんです?」
「なあに、簡単なことだ。このへんで小さな竜を見なかったか?」
さらっと聞かれた内容に意表を突かれたのも一瞬、警戒を一気に強める。こいつは……見た目こそあれだが、ひょっとしてジジイやおっさんと同類の敵なのかもしれない。もしかするとリビエルの言っていた御使いの仲間って可能性もあるけれど、今の俺には判別がつかない。それなら、どうするのが正解だ?
「これ、黙っておっては分からんだろう?」
「……知らないよ」
無難な答えを返してやると、男の目がにやりと細まった。
「ほう、知らぬとな。……はて、面妖なこともあるものよなあ。わざわざおぬしを選んで声をかけたのは、竜の魔力らしき気配をまとっておったからなのだがのう?」
「!?」
「本当におぬしは、知らぬのかな?」
扇子をぱしぱしと肩に当てながら問い詰められて、俺は退却を決めた。
「だから、知らないって言ってんだろっ!」
くるりと背を向けて近くの路地へと飛び込む。男が追いかけてくる気配は無かったが、振り返りもせずにひたすら走った。普段あまり使わない路地を抜けて息を整えていると、ふとここがどこなのか気づいた。ああ、と気が付けば独り言ちている。
「セクター先生の私塾まで来ちまったのか……」
ナチねぇと出会う少し前まで通っていた私塾は、宿屋の経営を任されるようになってからは一度も訪ねていない場所だ。道端で先生と挨拶するくらいはあっても長話をするような関係でもないし、思えば近頃なんて顔を合わせてさえいない。
「おや、ライ君じゃないかい?元気がとりえの君にしては、ちょっと顔が暗いようだがどうしたのかな?」
「先生!」
ぼんやりと懐かしい建物を眺めていたら、ちょうど外出中だったらしい先生が軽く目を見張って俺を見ていることに気付いた。まさかこんな時に出くわすとは思わずにあたふたしていると、先生は柔らかく目を細めて苦笑する。
「久々に会ったというのに、随分暗い顔をしているものだから声をかけてしまったんだよ。何か悩み事でもあるのかな?」
「……嘘みたいな話だけど、先生、聞いてくれないか?」
何も知らない先生相手に自然と口を開いてしまったのは、事情を知ってる人たちには言えない不安やストレスを吐き出したかったのかもしれない。何も知らない誰かから見ても、さっきの俺の行動は正しくなかったと諭されたかったのかもしれない。あんなふうにガキみたいに怒鳴って喚き散らして逃げ出したのは間違いだったのだと、突き付けて欲しかったのかもしれない。
久しぶりに会ったのにいきなり訳の分からない悩みを打ち明ける俺に、先生は優しかった。つっかえつっかえの言葉に静かに耳を傾けて、竜や天使の出てくる無茶苦茶な話を信じてくれた。優しい声色が、少し高いところから降ってくる。
「大変な事態に巻き込まれているんだね。でも今君が気にしているのは、悪者たちのことではなくて竜の子や他の皆に対する自分のとった態度のことなんだろう?」
「うん……全部、俺が自分で決めたことなのに途中で放り出そうとするようなことしちまった。それに、一番傷つけたくない人を自分で傷つけちまったと思う。かっとなってやったなんて言い訳にならねえよ。……どんな顔して戻ればいいか、もうわかんなくてさ」
思っていたことを言葉にするにつれ俯いていってしまう俺の頭に、ぽん、と大きな手が乗った。
「それが分かってるなら十分さ。人は弱い、誰だって辛いことからは逃げ出したいし失敗を恐れる。けれど、間違いを改めようって思えるのなら何度失敗したっていいと私は思うよ」
「……まだ、やり直せるかな?」
「ああ。間違いに気づいたとき勇気を持って認めること。それを正すための努力を忘れないこと。この二つを胸に抱けるのなら、いつでも遅すぎるということは無いさ。少しは元気が出たかい?」
取り返しのつかないことをしたと思って悔やんでいても、口に出さなきゃ誰にも伝わらないし響かない。悪いことをしたと気づいたのなら、今からでもやり直さなきゃ。だったら、やっぱり、こんなところで道草食ってちゃいけないよな。勢いよく顔を振り上げた先には優しい笑みを浮かべた先生がいて、俺は大きく頷き返している。
「うん、わかったよ。ありがとな、先生!」
「ええ、良い結果が出ることを祈っていますよ」
その言葉に背中を押されたような気持ちだった。まだ少しだけ気まずい気持ちはあるけれど、さっきのアレは明らかに言い過ぎだった。その自覚があるのに謝りもせずに逃げるような真似をしてちゃ、親父以上のダメ人間になってしまう。大通りから溜め池へと続く緩やかな坂道を一気に駆け上がったところで、前方に人影があることに気づいた。
「……ナチねぇ」
緩い三つ編みに淡い灰水色のローブ。溜め池のほとりで腰かけているのはナチねぇだ。こっちに気づいた様子もなくぼんやり項垂れているナチねぇに、俺はそろりと近づいた。
「ナチねぇ、なんでここにいるんだ?」
「ライ君!」
はっとしたように顔を上げたナチねぇは、途端、ほっとしたように表情を緩めた。
「ライ君が飛び出していったから追いかけたんだけど、どこにもいなくって。戻ってくるならきっとここを通ると思ったの」
「なんで追いかけてきたんだ?俺、あんなに酷いこと言ったのに……」
振り返った時に誰の姿もなかったから、誰も追いかけてこなかったと判断したのは早合点だったらしい。だけど、どうしてナチねぇが追いかけてきたんだろう。理解が追い付かずに戸惑う俺を見て、ナチねぇは眉尻を下げたまま小さく笑った。
「あんな酷いこと言われて黙っていられなかったから、かな。それに間違ったことをした時に叱るのは大人の役目でしょう?」
「……ごめん」
穏やかな声色にいよいよ申し訳なさと心苦しさが募る。居た堪れなさに視線を落としてしまう俺へとナチねぇは困ったように微笑んだ。
「でも、その様子だと自分で気づいたみたいだね?口から出た言葉は取り消せないってことは覚えておいて欲しいけど……それとライ君は少し、思い込みが強いと思うよ?だって私、ライ君ばかりが悪いだなんてちっとも思っていないもの」
言いながら、ナチねぇが俺の手に触れた。きゅ、と細い指が宝物にでも触れるように俺の手を包み込む。
「色んなことが立て続けに起こって不安だったよね。でも、私とライ君が家族になろうとしてるみたいに、ライ君とコーラルちゃんもこれから次第だと思うから。互いに歩み寄ろうとする気持ちがあれば、きっと……」
「うん……俺、コーラルに謝るよ。あいつと関わるって決めたのは俺なんだ。親って名乗れるほど大した人間じゃないけど……それでも頑張ってみるよ」
この先どれだけ頑張ったところで今回の失敗をチャラになんて出来ないし、何をどうしたってやってしまったことは事実として残る。それでも、コーラルと向き合うって決めたんだ。ごめん、と最後にもう一度頭を下げて、俺はナチねぇと一緒に宿屋へと続く道を上っていった。
「僕、間違ってない。それは今でもそう思うけど。でも……迷惑かけたのは事実だから……ごめんなさい……」
「俺こそ……悪かったな、コーラル。酷いこと言って、すまなかった」
玄関前で俺を待っていたコーラルは、開口一番に謝罪を口にした。まさかそんな殊勝な態度を取るとは思っていなかったこともあって面食らってしまったけれど、動揺するより困惑するより早く、自然と俺も頭を下げていた。あの騒動に思うことはあるけれど、必要以上にキツい言葉をぶつけてコーラルを傷つけたって意味じゃ悪いのは俺だ。一人になって頭冷やしてきたようね、というリシェルの茶々にも今となっては素直に頷ける。互いに譲れないことも思うところもあるだろうけど、あんなガキみたいな間違いをした俺をコーラルは許してくれたんだ。それなら俺だって、仮にも親を名乗る以上はみっともなくない姿を見せられるようにしていかなくちゃ。
「ライ君、すっきりした顔つきになりましたねえ」
「色々と考えることがあったんでしょうね」
ミント姉ちゃんたちの会話が耳に入って、俺は気恥ずかしさを誤魔化すように話を振った。
「あ、そういえばさっき、やたら偉そうな奴に会ったぜ」
「偉そうな?」
敵かどうか分からなくて相手をせずに振り切ってしまったけれど、念のために相談しておいた方がいいだろう。思いつくまま口に出した俺に、偉そうな、でぴくんと耳を動かしたリビエルが鋭い視線を返してきた。これは詳しい説明が必要そうだと、遠くない記憶を掘り起こしながら俺は続ける。
「ああ、いきなりコーラルのこと尋ねてきてさ、胡散臭かったからとりあえず知らないって言って逃げてきたんだ。赤い髪で、確か角が生えてた気がする」
「うさんくさくて……えらそう……あかいかみで、つの……ならそれは!」
「この匂い、魔力の感じ……竜の魔力、間違いないよ」
ぶつぶつと呟いていたリビエルが勢いよく顔を上げるのと、いきなり俺にひっついて匂いを嗅いでいたコーラルが確信をもって呟くのは同時だった。
「ならばそのものはセイロンですわ。竜の魔力がして、胡散臭くて偉そうで赤いなら間違いありません!」
「それじゃあやっぱりあいつは御使いだったのかよ!?」
あんなに胡散臭そうで偉そうなのが、竜に仕える御使い?そんな疑問が顔に出ちまったのか、微妙に渋い顔をしたリビエルが眼鏡をくいっと持ち上げた。
「御使いの中でも変り種ではあるんですけどね……それでも仲間には違いありませんわ」
最後は付け足すような物言いながらリビエルの表情は自信に満ちている。こっちの仲間だってことはこれで確定だな。
「なら、とっとと探し出して合流しようぜ!」
「じゃあ、その人がいた場所まで案内してくれますか?」
立てかけていた杖を手にして小首を傾げたナチねぇに勢いよく返事をしながら玄関のドアを押し開ける。あれから遠くに移動していないといいんだけど……いや、何よりも悪党どもが集まってきていないといいんだけどな……。こんなに早く御使いが見つかるとは思わなかったと笑顔で喜んでいるルシアンにリシェルたちを引き連れて、俺は早足に下り坂を駆け下りた。
夕暮れの大通りが見える場所までやって来ると妙なざわめきに気づいた。大道芸でもやってるような人混みだけど、賑やかな音や楽しげな声の代わりに聞こえてくるのは激しい怒声や剣戟ばかりだ。やっぱり、奴らに襲われてるのか!?俄然焦ってぐいぐい人をかき分けながら足を進めていった俺は、人垣の内側に出たところで思わず目を疑った。
「ふおぉぉっ……ホアッチャァーッ!!」
さっき俺にコーラルのことを尋ねてきた、セイロンというらしい御使いがたった一人で八面六臂の活躍を繰り広げている。奇妙な掛け声と共に繰り出される蹴りは俊敏かつ強烈で、俺たちを襲ったのと同じ装束を纏った男たちが軽々と宙を舞っていく。中々お目にかかれない光景を前にして唖然と目を見張ってしまう俺の傍ら、同じく目を丸くしたルシアンが呆然と呟いた。
「な、なんかすっごく強そうに見えるけど……」
「っていうか、あのやかましい叫び声は何なのよぉ?」
うるさそうに眉根を寄せるリシェルに、俺は高らかな笑い声を上げながらまたもや相手を吹っ飛ばすセイロンに目を向けたまま眉を寄せて答えた。
「多分、あれはストラのための息吹だな」
怪我の治療に使われる認識が強いストラだけど、強制的に肉体強化する方法としても叩き込まれたからよく知っている。ええ、とリビエルが眼鏡をクイッと押し上げながら補足した。
「それにセイロンは鬼妖界の武術の達人。その蹴りは巨岩を粉微塵にする威力を秘めていますのよ」
「ふえええ……」
目を丸くして驚くルシアンに、実は俺もそれが出来るのだと言うことはわざと伏せておく。俺の場合は元々の馬鹿力に加えて肉体強化も重ねているせいだし、武術を極めてるって話じゃないからな。しかし、あれだけの戦いぶりなら……
「俺たちが加勢するまでもねーかな?」
「そういうわけにはいかんっての!」
ぼそっと呟いた声は駆け付けた兄貴にも拾われてしまったようで、間髪入れずに叱るような響きが降ってくる。やべ、と肩を竦めて振り仰いだ俺に、兄貴はまったくと言わんばかりに息を吐いて槍を構えた加勢準備に入り、その横ではミント姉ちゃんも苦笑交じりに杖を構える。
「このまま乱闘が続けば町の人にも被害が出るかも知れないよ」
「そうですよ。嫌なことはさっさと終わらちゃいましょ?」
にっこり微笑むナチねぇに賛成するように、オヤカタが威勢よくむいっと鳴き声を上げた。
「……ったく、しょうがねえなあ」
ぽり、と頭の後ろをかいて俺は腰に下げた剣を引き抜く。嫌なことはさっさと終わらせて、もっと有意義な時間を過ごした方が俺の精神衛生上もいいしな。町のひとたちが遠巻きにする悪党集団とセイロンが戦闘を繰り広げる区域へと駆け出しながら、俺は自分に活を入れるように声を張り上げた。
「助太刀して、とっとと終わらせてやるぜ!」
ざっと見て俺たちの倍近くはいる敵を相手に孤軍奮闘していたセイロンは一体、どれだけの実力者なのか。
正直かなり気になるところだが、投具持ちや短剣使いが多い中で呑気に物思いに耽っていられる暇はない。手近な敵にビットガンマーの電撃を食らわせ、強制的な麻痺で膝をつかせたところでルシアンの剣が相手を襲った。まとめて相手出来ないのは面倒だが、確実に各個撃破していったほうが結局、一番楽な方法になりそうだ。
「むぅ、あの召喚師一人だけ奥で構えてる辺り、なんかいやですねぇ」
なんだかむっとした調子で呟くナチねぇに兄貴が苦笑する。
「前線に出てこないだけ、こちらとしてはいいじゃないですか。戦力を見くびってもらった方が助かります、よ!」
ガキン、と槍を回転させて投具を弾く兄貴を補佐する形で、ナチねぇが唱えていた詠唱を完成させる。
「力を貸してね……サモン!」
カッと眩しい雷撃が一陣空から迸り、投具を全身に装備した相手に命中する。金具は電気を吸収することを知っていて、ナチねぇは確実に行動不能にさせる手を使うのだ。麻痺は、ミント姉ちゃんの使う眠りの状態異常より強力に相手の動きを制限する。
「いちいち捕縛する暇もありませんし。とりあえず皆、麻痺って貰って、後でお縄にしちゃいましょう?」
ふぅと疲れた様子で息を吐きながら、ナチねぇは真っ直ぐ前方を見つめて杖を構えなおす。その横顔にミント姉ちゃんがどこかうっとりした目を投げかけていて、俺はなんと言えばいいか分からず曖昧な笑みを浮かべている。
「やれやれ、なんとかなったみたいだな」
兄貴が槍をくるりと回転させ、石突で石畳をとんと突いた。ナチねぇやリシェルが麻痺させてやった敵はというと、見事な連携による撤退の際に残らず回収されてしまったらしい。所々に焦げ目や凹みのついた石畳には残念ながら一人の姿も残っていなかった。悔しげに口をへの字にさせているナチねぇに、こんなこともありますよ、とミント姉ちゃんが慰めの声を掛けているのを横目で見ながら俺はセイロンへと歩み寄る。
「おやおや。誰かと思えばさっきの童ではないか」
さっきは悪い、とか、何か言うつもりのはずだったんだけど。きらんと細い目を光らせ、扇子で口元を隠しながら俺を一瞥してきたセイロンに咄嗟に言葉に詰まってしまう。
「おぬし、やはり嘘をついておったようだのう?」
「いや、あれは……その……」
嘘をついたのは確かだし、あの時の対応は酷かったとは思うけれども。だけど敵か味方かも分からない状況にあったんだし、嘘をついたと言っても……けど……?しどろもどろになってしまったけれど、ふ、と息を吐くように笑ったと思った瞬間、セイロンは扇子を下ろして高らかに笑い出した。
「いやぁ善哉善哉!御子殿を案じての采配、当然のことよ!ともあれ、助太刀ご苦労であったな!あっはっは!」
「は、はぁ……」
いきなり朗らかな調子で笑い出したセイロンに腰が引けてしまった俺を見かねてか、リビエルが溜め息をつく。
「セイロン、貴方って相変わらずですのね」
「そう目くじらを立てるなリビエル。三つ子の魂百までだ、我の性格が今更変わろうものかよ。あっははははは!」
呆れた調子で深い溜め息をつくリビエルと笑い飛ばすセイロンの様子からは、確かに変わり種という言葉は間違っていなかったんだなと窺わせるものがあった。
「ちょっとばかり、変わったお方ですねぇ……」
「我が道を行くというか、芯がしっかりし過ぎているタイプにも見えますね」
こそこそとポムニットさんが漏らした言葉にナチねぇがうんうん相槌を入れ、その言葉に兄貴がにやりとした視線を俺へと投げかけてくる。が、気づかない振りをする。兄貴、言いたいことは分かるが俺をこいつと一緒にしないでくれよ。
コーラルに対しては打って変わって真剣な様子で頭を下げ忠誠を誓った姿に、根は真面目な人なのかも、なんてうっかり評価を改める気になったけど、それも束の間のことだった。感心交じりに眺めていた俺やリシェルに向き直ったセイロンは、堂々と偉そうな態度でこう言い放ってくれたのだ。これから暫く厄介になることを光栄に思うがいいぞ、なんて雲の上から目線でな!
「……前言撤回……」
「……右に同じ……」
あっはっは、と高らかに笑い続けるセイロンを前に、ああまた居候が増えるのか、と俺は頭を抱えるのだった。
「そういえば、リビエルはともかくとしてセイロンには言っておかなきゃいけないことがあったな」
「私が聞いていてもいいことですの?」
人数が増えたキッチンでいつものように夕飯作りに追われ始めた俺はふと顔を上げた。天使も龍人もそれほど食うものは変わらない、というか美味ければ何でも食うらしい。それを知ってキッチンに立つのが俄然楽になった俺は煮立った大鍋にパスタを放りながら頷いた。
「ああ、一応知ってもらっといたほうが何かといいだろうし」
「御子殿に関わること、ではないようだが。なんだね?」
リビエルに宿の中を一通り案内してもらったセイロンは、どこから取り出したのか愛用と思われる湯飲みでこれまた持参の茶葉で淹れた茶を啜っている。リビエルには別に紅茶を出してやったからいいとして、こいつは本気で変わり者だなぁ。しみじみ感心してしまいながら俺は少し声をひそめた。
「ナチねぇなんだけどさ、男が駄目だから不用意な接触はしないよう気をつけてくれないか?」
「へっ?だってあの人、普通にグラッドとかいう駐在の人と話したり触れ合ったりしてたじゃない?」
思案気な顔で口を閉じたセイロンに代わり、素っ頓狂な声を上げてリビエルは疑問を口にする。ナチねぇが悪魔の魔力を内包してるって話も既にセイロンの耳には入っているだろうが、現実問題、それより重要なのはこっちだ。俺は重々しく頷き返した。
「兄貴とはもう数年来の付き合いだから多少なら大丈夫なんじゃないか、ってさ。けれど不意に後ろから腕を捕まれたり、二人っきりになるような場合は別。ナチねぇがびびっちまうから注意してくれ」
「了解した、が。その原因は聞かないほうがよいのだね?」
「そりゃあ、なぁ。昔色々あったみたいだけど、流石に俺も具体的には聞いたことねぇよ」
今頃は宿屋の裏手で竜形態のコーラルやシズクにプニム、俺には愛想の悪いガゼルの相手をしてやっているナチねぇを思い浮かべながら答える。じゅうじゅうと香ばしい音を立て始めたフライパンをざっと掻き混ぜ、そろそろ皿を出すかと考えたところでリビエルがおずおずと尋ねてきた。
「あの、なんで貴方は平気なの?」
「俺?そりゃあ、もちろん」
当然といえば当然、俺にしてみれば馬鹿らしいほどに答えの分かりきっている質問に緩んだ笑みしかこぼれない。
「俺はナチねぇの家族で、ナチねぇの家族は俺。お互いしかいないから、だな」
そんなこんなで長い一日が終わった。寝る前に日誌をつけるのはいつからかの慣行で習慣だ。何度も落ちかける瞼を押し上げ、俺はペンを走らせる。竜の姿でうつらうつらと眠りに入りかけているコーラルをちらりと見やり、書きつけていくのは昼間の出来事だ。
正直、コーラルの言葉はぐさりと来た。それは召喚獣が人間の役に立つため働く存在だと認識されていること、それが当たり前の感覚だと俺も思っていること……そして、俺が召喚獣と人間の狭間に立つ、どっちつかずの存在であること。あえて目を逸らしている現実を突きつけられた息苦しさを思い出し、俺は自嘲の息を吐く。
「互いをもっと思いやれれば、それを忘れないでいければ……どうしようもない現実だって変わるのかもしれない、よな」
自分に言い聞かせるように口にするものの、言うは易し行うは難し、果たして現実を理想へと変えられる日は来るのだろうか。期待より不安が多いこの先にもやもやが溜まるのを感じながら、俺はぐっと背伸びをした。
とりあえず、明日は朝イチでナチねぇと色んなことを話そう。
俺の精神の安寧を保つ清涼剤はナチねぇで、明るい未来を作りたいと願う根本もそこにあるのだから。椅子を引き立ち上がると、大きなあくびを一つこぼして俺はベッドへと潜り込んだ。
実はウブなとこのある年上のお姉さん概念に弱い。