タレイアを笑わせる   作:くものい

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20251222過去話(4年前)の描写微修正


6:疑惑と不審の黒いヤツ

6:疑惑と不審の黒いヤツ

 

「はぁぁぁっ!!」

 明朝、もはや恒例となった守護竜の遺産を継承する儀式が早速行われた。

 宿屋の裏手に揃った俺たちが固唾を飲んで見守る中、アロエリの裂帛の気合に呼応して角の形をした遺産がいよいよ輝きを増していく。真昼の太陽みたいな白い光がふっと収まってしまうと、そこには前回通り、小さな竜の姿に戻っちまったコーラルの姿があった。

「先代より預かりし力、お渡しいたしました」

「ピィッ!」

 ごきげんに鳴き声を上げるコーラルに知らず張り詰めていた肩の力を抜きながら、これで遺産の継承も三度目を迎えたことをふと思い出す。そうか、もう三度目にもなるのか……

「この調子で、残りの一つも終わらせたいもんだよな?」

「ですとも、ですとも♪」

 何事もなく無事に終わったことに気の抜けた笑みをこぼしていれば、和らいだ表情の兄貴と嬉しそうに頷くポムニットさんが顔を見合わせて笑っているのが目に入った。何となしに皆の様子を見てみれば、ミント姉ちゃんやナチねぇ、リシェルやルシアンたちまで、示し合わせたみたいに安心したような笑みを浮かべている。どことなく安堵に満ちた空気が漂う中、それで、と好奇心いっぱいに顔を輝かせたルシアンがリビエルを振り仰いだ。

「今度はどんなふうに強くなったの?」

「やっぱぴかぴかで光るとか、やたらでっかくなっちゃうとか?」

「雨が降ったらお休みになるぐらい、お気楽な発言ですわね」

 興味津々で言葉を重ねるリシェルとルシアンに溜め息交じりで眉尻を下げるリビエルは見るからに呆れている。セイロンも扇の先を口元に当てたまま苦笑をこぼした。

「今回はこれといってなにがどうなるというわけではないのだよ」

 えぇー、と思いっきり不満の声を上げるリシェルに向かって、リビエルはそれでもこれ以上なく誇らしげに胸を張る。

「アロエリへと託された遺産は知識の集大成なんですの。ニンゲンが到達できていない真の世の理や、過去に失われた秘法の数々。先代様が身に着けた英知が御子様に継承されたのです!」

 アロエリの遺産なのにまるで自分に託された遺産のごとく誇らしげな様子だったリビエルの気持ちが、ようやく分かった。リビエルは知識の天使だ。今回の遺産が知識の集大成とくればリビエルのお家芸、知識を紐解き実戦に役立てるという特性にもバッチリ噛み合ってくる。なるほど、それなら我が事のように胸を張るのもよく理解できるってもんだ。

「うひゃあ……パパがそれを知ったらいくらになるのか絶対計算するわね」

 スケールのでかさに呆れ果てるリシェルの隣では、ルシアンも苦笑を浮かべながら控えめな相槌を打っている。

「知識は宝、知識は力。コーラルちゃんをこれ以上なく支えてくれる財産になること、間違いなしですね」

「派閥の幹部の方々もきっと、目の色を変えちゃいそうね。でも、お野菜を育てるコツだけはこっそり教えてほしいかも?」

「あっはっは!それぐらいならお安い御用だとも!……と、言いたいところなのだがそれは無理なのだよ」

 穏やかな遣り取りを交わすナチねぇとミント姉ちゃんだけど、そんなに役立つ知識と言ったら金儲けに繋げそうなもんなのに、やっぱり二人とも研究者タイプなんだなぁ。しみじみ思い入っていると、景気よく快諾したかと思ったセイロンが残念そうに却下する声が聞こえてきた。

「どうして?」

「封印がかけられているの」

「封印?」

 ルシアンと俺からの疑問にリビエルが更に答えようとしたところで、別の声が割り込んだ。

「遺産が敵に奪われても悪用されないようにするための備えだ。その封印を解くには残る最後の一つの遺産である、先代の記憶が必要となる」

 声の主は、まさかのアロエリだった。昨日までとの変わりように内心驚きながら足先を向け直せば、ひどく真剣な顔をしてアロエリは言葉を続けた。

「そして、その遺産はもっとも信頼が厚い御使いへと託された。我々の長にして、アロエリの兄であるクラウレにな」

「!?」

 御使いの長っていうのが、アロエリの兄貴だったのか!驚きに目を丸くする俺とルシアンに黙って目を細めたアロエリは、さっきのリビエルみたいに重々しく、噛み締めるような口振りで締め括った。

「兄者は俺の何倍も強い、セルファン族最強の戦士だからな。どんな苦境にあっても必ず御子様のもとに駆けつけるだろう」

「つまりは、引き続き様子見ということになっちゃうんですね」

 身も蓋もない結論を導き出したポムニットさんが溜め息交じりに呟いたけれど、となると、また待ちの姿勢に入るってわけか。待ってるだけってのはイマイチ性に合わないんだけどな……何だか俺まで肩透かしを食らった気分になったところで、いや、と否定の声が割り込んできた。声の主は、意外にも兄貴だ。

「むしろこちらから探しに行くべきだろうな。今までの状況から見て追手がかかってるのはまず間違いない。彼女の兄さんがどんなに強かろうと多勢に無勢は不利だ」

「うむ、そうだな」

 険しげな面持ちで頷きあった兄貴とセイロンを見比べてしまったのも束の間。ナチねぇと目配せし合ったミント姉ちゃんが、ぱん、と手のひらを打ち合わせて朗らかな声を上げる。

「じゃあ、情報を集めてからみんなで探しに行きましょうか」

「ぴぎぃっ♪」

 そこに弾むようなコーラルの鳴き声まで響いちまえば反論の声なんて出るはずもない。それなら準備を、と区切りよく解散となり、それぞれ去っていく皆の背中を見送りに明るい庭先まで出てきたところで俺は足を止めた。朝の日差しはさんさんと惜しみなく降り注いで、手で庇を作らないことには少しばかり目に痛い。宿屋のこともある以上、昨日今日と連日遠出するわけにはいかないし、ミント姉ちゃんの提案はまさに渡りに船と言うべきか、俺にとっては願ったり叶ったりだった。ひとまず明日の午後までは余裕が出来たし、それまで何をしておこうか。これだけ天気がいいなら客室のシーツを一気に洗濯しちまうのは決定事項として、まあ、後は考えるまでもないな。

「なあ、セイロン。俺、言ったよな?ナチねぇは男が駄目だから、不用意な接触はしないでくれって」

 そう結論付けて、俺はぐるりと首を回す。声を低く抑えて吐き出せば、少し離れたところを付いてきていたセイロンは不思議そうな顔をして視線を持ち上げた。苦虫を噛み潰したような顔をしていただろう俺をゆっくりと見つめると、やにわに目を細めて高々とした笑い声を上げる。胸が空くような、さっぱりした気持ちのいい笑い声に、俺はただ沈黙を返す。

「ああ!いや、すまなかった!他意はなかったのだぞ?彼女の髪に何やら付いておったようだからな」

「……それなら一声掛ければ済んだ話だろ。あんたに考えがあったのは分かるけど、試すような真似は止めてくれないか?」

 不愉快だ、と言外に込めて目を細めた俺に何を思ったのか、セイロンはきゅっと瞳孔を狭めると小さく口元を綻ばせた。

 実際、セイロンの言うとおりだったのだろう。他意はなかったと悪びれもせずに言うとおり、セイロンの取った行動は特段おかしなものじゃなかった。ひとまずは情報収集ということで解散を決めた直後、何かに気づいたような顔をしてナチねぇの髪へと手を伸ばしたセイロンに違和感を覚えたのは誰もいなかった。セイロンの指先が触れた途端、びくっと肩を跳ねさせたナチねぇだって、セイロンの手が木の葉の一枚を掴み取っていることに目を留めると照れ隠しめいた笑みを浮かべてお礼を言っていたくらいだ。それがナチねぇの髪から掬い取ったものじゃない、舞い落ちる木の葉を目に追えないほどの速さで掠め取っただけのものだと気づいたのは、俺以外、いなかったはずだ。

「どれだけのものなのか、見極めておかねば今後の戦で支障も出よう?なに、そう睨むものではないよ」

 のらりくらりと交わされて思うことはあるが、セイロンに悪気があったわけじゃないことは分かっている。俺でも、それくらいの分別はつく。タイミングを見計らっていたんだろうアロエリの背中を押して、俺に守護竜の角を預けさせた、その一連の遣り取りの間にまさかそんな真似をするとは思っていなかったけどな。

「いつ何時、敵が攻めてくるかもしれんからな。貴様も戦士の端くれなら気を緩めたりしないことだ」

 アロエリが言っていた言葉を思い出して、俺はかすかに口角を吊り上げた。コーラルはナチねぇに付いていかせたし、アロエリはあの後、どっかに飛び去っていっちまった。こないだ勝手に飛び出していったことを謝るだとか言ってたけど、ナチねぇにはまだ謝るどころか顔を合わせることすら出来てないようだし、あいつも分かってんのかね?謝る相手が違うんだって理解していないままじゃ、許してやれる日なんて来てくれそうにない。

「ああ、確かにな。どこの誰が敵になるかも分かったもんじゃねえんだ、お互い気を付けようぜ?」

 屈託ない笑みを浮かべて握手のための手を差し出す。片眉を跳ねて興味深そうな笑みを浮かべたセイロンが握り返すまでを待って、俺はゆっくりと握る手に力を込めた。

 

 ま、何はどうあれ空いた時間は上手く使わないとな!

 最後の御使い探しは大事だけど、本業だって言うまでもなく大事なことに変わりない。宿屋業務を疎かにしてちゃあ冗談抜きで首が吹っ飛ぶし、本腰を入れてやってかなきゃ星集めだって叶わない。成り行きとはいえ居候が増えたのは人員増強と言えるんじゃ!?と一周回ってポジティブに考えることにした俺は、リビエルやセイロン相手に掃除や洗濯、簡単な料理を教えることにした。これまでの付き合いで衣食住に大した違いがないことは知っていたけれど、詳しく話を聞いてみれば守護竜のところにいた時にも細々とした持ち回りの当番なんかはあったらしい。飲み込みの早いリビエルは一度教えただけで大抵のことはすぐ覚えてしまったし、セイロンは何をやらせても最初から余裕綽々と言った具合で、これなら心配なさそうだと確信を得るまで大した時間は掛からなかった。予備のシーツや枕を仕舞ってる部屋、日持ちのする食材置き場なんかはコーラルが率先して案内役を買って出てくれてるし、おかげで想像したよりもずっと余裕を持って動けるようになったのは嬉しい誤算だった。

「ふぅっ!やっぱお客さんの喜ぶ顔をみてると、疲れなんかどっかに吹っ飛んじまうな!」

 料理目当てのお客さんが多く来てくれることもあるし、厨房だけは絶対に譲れない。だけど注文取りや配膳をしてくれる誰かがいるのといないのじゃ大違いだってのも今更のように思い知った。額の汗を拭いながら小休止を迎えた食堂を眺めていれば、玄関先までお客さんを見送ってきたコーラルがほくほくと無表情の中にも伝わる満足顔で戻ってくる。もっと手伝いがしたいとばかり、期待のこもった目で見上げてきた黄色い頭をぐしゃぐしゃと撫でてやりながら俺は笑いかけた。

「ありがとな、コーラル。俺はちょっと片付けがあるから、先にナチねぇと食べててくれよ?」

 コーラル用にこっそり準備してた木製のランチプレートを指し示しながら言えば、小さい旗の飾りが目に入ったんだろう、寡黙な瞳がきらりと輝いた。腰回りだけのシンプルなカフェエプロンを外したナチねぇもそんなコーラルの様子に顔を綻ばせているけれど、真剣な面差しでプレートを持ち上げたコーラルは今や完全に集中しちまってるらしい。そろそろとテーブルに向かって歩いていくコーラルの傍らに付き添いながら、頑張って、と声は出さずに口の動きだけで伝えてきたナチねぇへと俺は軽い笑みを投げ返した。コーラルの足元を陽気に飛び跳ねようとするプニムをすかさずシズクが抑え込みにかかってる光景を視界の端に、一時的に人気のなくなった食堂をぐるりと見渡して口元を緩ませる。

 しっかし、色んなモンが作れるようになったよなぁ。

 少しずつ、少しずつ、時間を掛けて試行錯誤を繰り返して、作れる料理の幅を広げて生み出せる味を深めてきた。でも、世界にはまだまだ美味いもんがあって、それを生み出す過程には星の数ほどの創意工夫が溢れているんだろう。

 テーブルに残ったいくつかの皿に目をやりながら、考える。青菜が僅かに残った皿はクリーンサラダ、油汚れのある大皿は肉料理を詰め合わせたもりもりプレートで、とろみのある黄金色が僅かに見えるスープ皿は安らぎポタージュ、それに細かいカスみたいなのが散らばる皿はぺらぺらピッツァを乗せていたものだろう。お昼時のピークを終えた直後、まだ片づけ終えていない食器があちこちに点在しているけれど、今日もこれだけのお客さんで賑わったのだと思うと洗い物だって苦にならない。そろそろメニュー表を更新してみようか、なんて思い付きを胸に握りしめがら、俺は意気込み新たに頷いた。

「……よし、俺も頑張らないとな!」

 とは言っても、料理だとか洗い物だとかに比べて格段に面倒な仕事ってものはある。その筆頭が伝票の処理だ。今はナチねぇもいるし、俺がどうにも忙しい時は代わりに帳簿を付けてもらっていることもあって、テイラーさんへの報告が滞ることはない。けれど、そうやって余裕があったところで金勘定ってのはどうにもややこしい。基礎の基礎、収支計算のいろはから教えてもらったおかげで今じゃ俺ひとりでもちゃんとした帳簿がつけられるようになったけど、どこの出費を削るとか新しい備品を購入するだとかはやっぱり、ナチねぇに相談しながらが殆どだ。俺の視点だけよりナチねぇの視点も交えた方が理想の宿屋を作っていってるって感じがして、なんかこう、やる気も出るしな!

 そんなふうに自分を励ましながら遅い昼食片手に難しい顔で唸っていた俺を見つけたのは、昼食の皿を下げに来たリビエルだった。

「ちょっと?この山盛りの伝票はなんですの?」

「ああ、溜まったのを整理しようと思って出しといたんだよ。色々と忙しかったから溜めちまってさ」

 不意に降ってきた影に顔を上げれば眉を吊り上げたリビエルが目に入り、俺は疑問符交じりに小首を傾げた。むむむ、と腰に手を当てて真剣な顔をするリビエルが見つめる先には、束になった伝票の山……鉛筆を握ったまま難しい顔で唸っていた俺……まずい、これは誤解されるんじゃないか!?そう心配になったところで、予想どおりの非難めいた声が飛んできたことに俺は慌てて身の潔白を主張する。

「違うっつーの!帳簿にまとめたりするのはとっくの昔に済んでんだよ!つっても最近はナチねぇに頼りっきりだったけどな」

「あ、あら?そうですの?」

 でもそれならなんで、と伝票を摘まんで首をかしげるリビエルに、椅子の背中にもたれかかった俺は言葉を探して唸った。

「あー……ほら、客の好みとか把握しようと思ってさ。大体の人気は分かるけど、もっと詳しい分析が出来ればそれをメニューだとかに反映することもできるだろ?」

「あなた……意外と考えているのね」

 まじまじと見つめてくるリビエルだけど、相変わらず失礼な奴だな。甘味でも増やそうかと思ってたけど、やめとくか?じとりと視線に不満を込めて投げ返してやれば、リビエルもまた、明後日の方向へとそれとなく目を逸らす。様子を覗きに来たナチねぇとコーラルが控えめな声を掛けてくるまで、俺とリビエルの無言の攻防は続くのだった。

 

 人手が増えた分、余裕も増えたおかげだろう。前まではトンボ帰りで済ませていた買い出しを終えても時間が余ったもんだから、ついでに市場まで足を延ばすことにした。

 門前の広場まで行けば果物だって珍しいもんがあるし、食器だって異国情緒あふれるもんが安価に扱われていたりする。あくまで食材ついでに足を運んだわけだけど、大店の他に個人商店も沢山出る露店市がタイミングよく開かれていることに気づいちまえば、目移りしちまうのも仕方のない話だった。何か掘り出し物は、と時折足を止めては雑多に並ぶ品をあれこれ眺めていた俺だったけれど、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできたことにひくりと頬を引き攣らせて思わず顔を上げてしまう。案の定というべきか、ばっちり目が合ってしまったのはあの薬売りのアカネ姉ちゃんだった。

「お♪」

「げ!」

 またこの姉ちゃんか……そんな気持ちが顔に出てしまうが、どうやらアカネ姉ちゃんは店の場所を変えることにしたらしい。確かに、まるで人気のない水道橋公園から場を移したのは賢い判断だと言えるが、商売の上手い下手は場所をちょっと変えたくらいで変わるもんじゃない。実際、いつぞやのテンションで話しかけてくる姉ちゃんは呆れるくらいの笑顔だけど、その勢いに気圧されてかどうか、隣のスペースとは若干の距離がある。これじゃ水道橋公園で売っていた時と大して違わないんじゃないか……?

「ふふーん、照れるな照れるな♪あたしの魅力が忘れられなくってフラフラ来ちゃったんでしょ、男の子っ♪」

「んなワケねーだろ」

 何を勘違いしたのか調子に乗ったことを言ってくれるアカネ姉ちゃんにばっさり言い切ってやったが、それでも陽気に笑ってるんだから根っからの気質なんだろうな、きっと。どんどん冷めていく俺にはまるで構わず、いつものセールストークもどきを勢いよく炸裂させていた姉ちゃんの手にぱっと薬湯の包みが現れた。まるで手品のような取り出し方に、ちらちら様子を見ていたらしい周囲からも感嘆めいた声が上がる。

「今度のおすすめはずばり、これね!効き目ばっちりのこんだけっ!!さぁ、どうだっ!!」

「まぁ効くんなら買うけどな」

 4800バーム。薬湯というよりは姉ちゃんの元気さと小器用さに払ったつもりで潔く財布を出すと、姉ちゃんは小躍りして喜んだ。

「ありがとーっ!お客様はもう神様ですっ!ところでさぁ、あんたの名前ってなんていうの?」

「え?」

 不意の質問に怪訝そうな顔をすれば姉ちゃんはむふふと笑う。悪だくみでもしているような笑みに警戒心が芽生えそうになるも、あっさりと続いた声に疑問も解ける。

「常連さんなんだから名前くらいは知っておきたいじゃない?」

「あー、ライだよ」

 それならば、と名乗りながら金を渡せば、満面の笑みとお礼の言葉が飛んでくる。何だろう、この姉ちゃんにはこうやってずるずる貢献しちまう気がするな……何だか妙に疲れたような気分で誰へともなく溜め息を吐くと、すっかり長居してしまった後悔を噛みしめながら俺は踵を返した。今日はもう戻ろう、そう決めて大通りへの道を歩き出す。日頃からちょっとした親切心と正義感で面倒を背負い込んじまってる自覚があるだけに、厄介なんだよなぁ。腕組みしながらそんな自省を深めていた矢先だったこともあって、緩やかな上り坂の途中で見かけた人影に、俺は何となしに片眉を跳ねた。

 妙にきょろきょろしている、女みたいに綺麗な顔をした兄ちゃんはこの辺りじゃ見かけない格好をしている。まるで絵本に出てくる騎士様みたいな、そうだ、ルシアンがああいった挿絵の入った本を見せてくれたことがあったっけな。大通りの両端にはいくつもの宿屋や飲食店が並んでいるけれど、目当ての物が見つからないのか、一か所に落ち着くことなく次々と移っていく視線はまるで研ぎ澄まされた槍の穂先のようだ。その眼光の鋭さと言い、隙の無い身のこなしと言い、ただの旅人にしては随分と物々しい雰囲気を纏っている。これは関わり合いにならない方がいいかも……と思ったところで目が合うんだから、全く今日はツイてない。

「おい、そこの少年」

「お、オレですか?」

 見た目通りに綺麗な声が飛んでくるけれど、それもやっぱり上等な槍を思わせる鋭さだ。軍人みたいにきびきびした口調に思わず姿勢を正した俺に、その兄ちゃんは構わず続けた。

「そうだ、君はこの町の子供だな?ならば、ひとつ教えてほしいことがあるのだが。町のはずれで、どこか泊まれる場所を知らないか?」

「え?」

 思ってもみない質問に知らず呆けた声が出た。けれど、目の前の兄ちゃんは動じた様子もなく、僅かに声をひそめて先を続ける。

「事情があって盛り場の近くは避けたいんだ。贅沢は言わない。夜露さえしのげればそれで構わないが、どうだろう?」

「じゃあ……ウチに来る?俺、こう見えてさ、宿屋をやってるんだ。あんまし立派じゃないけど、それでもいいんなら……」

 今度は兄ちゃんが呆気に取られる番だった。え、とハトが豆鉄砲くらったような顔をした兄ちゃんはまさか俺が宿屋の主人だとは思っていなかったのだろう。冗談と思われちゃたまらないと、なるだけ真面目な顔を作った俺は、こう見て本当に宿屋の主人なのだと信じてもらうべくあれこれと誘い文句を並べ立てた。滅多にない宿泊客になってくれるかもしれないなら、少しくらい怪しくたっても構わない。むしろ大歓迎だ。下心が顔に出ないように細心の注意を払いつつ期待を込めてじっと見上げた俺だったけれど、迷うように黙り込んだ兄ちゃん越しにぬっと影が落ちてきたことに固まった。

「……いや、折角だがそれは遠慮しておこう」

 突然割り込んできた声の主は、明らかに一般人じゃなかった。大きく首を倒して見上げる先、赤い長髪をなびかせたおっさんは精悍な顔つきに重厚そうなゴツイ鎧を着こんでいて、あの鋼の軍団のおっさんに負けず劣らずの体格だ。

「万が一の時、子供を巻き込むわけにはいかぬだろう。敵のやり口を考えれば用心しておくべきだ」

 おまけに眉根を寄せた兄ちゃんと何やら剣呑な会話を始めてしまう。俺、ここで聞いていていいんだろうか……?そんな居心地の悪さを覚え始めたところで、長髪のおっさんが不意に振り返った。その目は俺みたいな子供相手に向けるには随分と真摯なもので、またもや背筋がぴんと伸びてしまう。

「余計な手間をとらせてすまなかったな、少年」

「あ、いえ……」

 真っすぐに向き直って謝罪を告げてくれたかと思えば、おっさんは上等な生地の外套を翻して足早に去っていく。険しい表情の兄ちゃんを連れ立ってあっという間に見えなくなった後ろ姿をぽかんと見送ってた俺は、金縛りから解けたような気持ちで詰めていた息を吐いた。あれが、もしかして騎士ってやつなのか?帝国軍人や冒険者とはどことなく違った雰囲気で、すっかり圧倒されてちまったな……

 暫く呆けて、そこでまだ用事がひとつ残ってるのを思い出した俺は気を取り直すべく頭を振って、大通りから横道に入る路地へと急いで入り込んだ。小さいころ散々通っていた場所だから迷うわけもないけれど、予定外の道草を食っちまったから果たして間に合うかどうか。私塾から出てきたんだろう小さい子たちはいてもお目当ての姿はなかなか見つからない。ひょっとして、もう帰っちまったのかな?

「竜の子とはうまく仲直りできたかな?」

 そんな不安が胸に広がり始めたところで降ってきた声に、自然と笑みを浮かべた俺は勢いよく振り返りながら声を返した。

「うん、おかげさまでね。ていうか、すっかりお礼を言うのが遅れてごめんな、先生」

 いつの間に回り込まれてたんだろう。すぐ近くで優しい笑みを浮かべて立っていた先生にそう言えば、落ち着いた声がひそやかに笑う。

「いいんだよ。そんなことは。ただ、あれからすぐ街中で乱闘があったようだけど、あの騒ぎもやはり君の言っていた悪人が関係しているのかい?」

「う……」

 たじろぐ俺を先生はじっと見る。濃い灰色の瞳は静かに凪いでいて、ナチねぇの目もそうだけど俺はこういった目にひどく弱いのだ。そうなるともう誤魔化すなんて選べるはずもなく、気づけば口は勝手に開いて、セクター先生相手に俺はこれまでの経緯を語り出していた。

「そうか……無色の派閥のクラストフ家か」

「驚かないのかよ」

 一通り話しきってもまるで動じた様子のない先生につい尋ねてしまえば、ふっと暗くなった目を向けられる。それにたじろぐ間もなく、先生が口を開いた。

「これでも、かつでは軍属の身だったからね。無色というものの恐ろしさも、間近で見たことがあるよ……」

 淡々と文字の羅列をなぞるように感情のない声で呟く先生だけど、きっと俺には想像も出来ないような景色を過去にいくつも目の当たりにしてきたのだろう。そう思わせるだけの静かな圧力に口を閉ざせば、暗がりに沈んでいた目がふと夢から浮かび上がるように瞬いた。さっきまでが嘘だったみたいに、いつもの先生の顔に戻っている。

「関わるな、と言いたいところではあるけれど手遅れだろうし、何より君は承知しないだろう?」

「ゴメン……」

「謝らなくてもいいさ。だけどこれだけは心得てほしい。連中は目的のためなら相手が子供だろうと決して容赦はしない。くれぐれも、気を付けて」

 真っすぐ見上げて大きく首を縦に振った俺に、先生は僅かに表情を和らげた。

「困ったことがあったらいつでもおいで。私にできることならいくらでも力になってあげるからね」

 ああ、やっぱり先生は先生だ。俺の憧れる格好いい大人の人の言葉に、みるみる胸の内が温まっていくのが分かった。静かで優しい表情を浮かべた先生に、勢いのまま声を返す。

「っ、ありがとう!それから、先生も気を付けてくれよ。とばっちりで先生に迷惑かけるのは俺、絶対にイヤだからさ」

「うん、ありがとう。十分に気を付けるよ」

 大きく振り返って力強い笑みを投げかければ、先生は目元を和らげて微笑んだ。浮き立つような気持ちで大通りを駆け抜ければ、宿屋までの道のりもあっという間だった。

 

 次の日、いつもより早起きして身支度を済ませた俺はこっそり、忘月の泉に出向いていた。

 ナチねぇはミント姉ちゃんに用事があるからと早々にガゼルの散歩に出かけたし、寝起きで目をしょぼつかせていたコーラルにはプニムを預けて留守番を頼んである。誰かと一緒じゃないとご飯を食べてくれないの、だからお願い、とコーラルにお願いする形でプニムを預けていたあたり、ナチねぇは子供の気持ちに寄り添うのがやっぱり上手い。セイロンやリビエルも一緒なんだしコーラルの無事は約束されたようなもんだけど、ただの留守番じゃなく仕事を頼まれた形だと俄然やる気が出るもんな。ちょっと前までは俺もよくやられた手だった、としみじみ懐かしいような気持ちに浸りながら泉のほとりに膝を突いた俺は、そっと水面を覗き込んだ。

「おまじない、か……」

 星見の丘に出かけるより少し前、ルシアンと話したことがあった。この泉には不思議な言い伝えがあって、月のきらめく夜に輝く泉の水を汲んで病人に飲ませるとたちまち元気になっちまう。そして病気が治った人は感謝の気持ちを花束に込めて泉に捧げたんだと言う、そんな言い伝えをなぞるように泉の中央には真新しい花束が浮かんでいた。今となっては濁った水が溜まるばかりのドブ池だけど、よくよく目を凝らしてみれば底の方にも淡い色彩がちらほら見え隠れしている。水草や藻の類じゃないのなら、未だに花を投げ入れている酔狂な奴がいるらしい。

「そんなの昔の話だろうによ」

 飲んだら腹を壊すどころじゃないだろう、濁った水溜まりと化した泉に綺麗な花束を投げ入れたところで何になるんだか。呆れたようにこぼしつつ、俺もまた、摘んできたばかりの野花のブーケを静かに水中に滑らせる。青草の茎で束ねた小さな花束は一度沈んだかと思いきやぷかりと浮かび上がって、ゆっくりと泉の真ん中へと流れていく。風もないのに水の流れのせいだろうか、なんて真相を知っているくせ白々しいことを考えながら、感謝の代わりに祈るような気持ちを捧げた俺は軽く膝を払って立ち上がった。

「そういえば昼間、珍しい雰囲気の人を見かけてさ」

 昨晩のことを思い出す。夕飯を終えて片づけの最中、何となく思い出したそれを口にすれば、ナチねぇは小さく瞬いた。

「珍しい……?その口ぶりだと怪しいひとや軍団のひとじゃあないみたいだけど」

「ん。旅人みたいな様子だったけどさ、ここらじゃ珍しい騎士っぽい風体で、鎧とか槍だとかも兄貴のとは全然違ってて」

 セイロンたちは何か話があるとかで食事を終えて早々に席を立ったし、コーラルは眠たげに目をしょぼつかせてナチねぇの膝に頭を預けていた。カウンター席に座っていたナチねぇは細い黒縁の眼鏡を掛けて何やら小難しそうな書類の束に目を通していて、てっきり仕事かと思ったけれど、例のクラストフ家やら無色の派閥の動向やらを知り合いに問い合わせた書類だったらしい。殆ど目を閉じたコーラルの髪を片手で撫でつけながら不思議そうな視線を送ってきたナチねぇに、俺は拙い記憶を引っ張り出して、昼間見かけた兄ちゃんたちの印象をそのまま並べていった。ふんふんと相槌を打っていたナチねぇが次第に口元を緩めていく様子に疑問を抱いたところで、ふふ、と懐かしむような声が笑った。

「なんだか、私の知ってるひとみたい」

 柔らかく目を細めてどこか遠くを見ているような顔をして、囁くように言った。その顔を見た瞬間、あ、と思った。

 ナチねぇにはいつか、本当にそういった仲間がいて、日々を一緒に過ごしていたんだろう。俺の知らないところで、俺の知らないひとたちと、一緒に生きていたんだろう。けど、それは優しい記憶であると同時、いつかの俺が水鏡の向こうにうっかり覗き込んでしまったような、胸を搔き毟りたくなるような過去とも繋がっているんじゃないだろうか?

「……まぁ、似たようなとこに所属してると皆、雰囲気なんて似ちまうんじゃねーの?」

 きゅ、と最後の皿を綺麗に拭いて仕舞いながら、俺はそれとなく話を逸らした。暫くはナチねぇを一人にしない方がいいな、と声には出さずに呟いた。少なくともあの兄ちゃんたちがトレイユの町を出ていくまでは、リビエルでもコーラルでもいい、誰かと一緒にいてもらうようにしようと心に決める。ナチねぇの過去を悪戯に突いたり暴き立てたりするような何かが起きてしまうことのないよう、強く強く、俺は祈っていたのだ。

 それだから、深刻さや重大さの欠片もないようなその話が飛び込んできた時には思わず、呆気に取られてしまった。

「畑の上を怪しい何かがふわふわ飛んでいたぁ?」

 間の抜けた声がこぼれてしまう俺に対して、ミント姉ちゃんは真剣な顔をして頷いた。

「そうなの。夕べ、寝る前に窓から外を見たら、ゆらゆらした光がすぅーって畑の上を横切って行ったの。それが丁度このあたりだったから見に来たんだけど……」

 ナチねぇと二人掛かりで農園の状態を調べてみても何も分からなかったのだと言う。朝早くからの用事というのはこれだったようで、連絡役を担ったオヤカタは畑の外れでくたびれたように座り込んでいた。散歩帰りのガゼルもふんふんと畑に植わった野菜の匂いを嗅いでいて……おいおい、齧るんじゃないぞ!鼻先どころか口を近づけようとするガゼルを慌てて引き戻して俺はひとつ息を吐いた。ナチねぇのシズクもぐにょぐにょと土の上で伸び縮みするばかりでまったく役に立ちそうにない。妙な魔力の名残もなく、畑の野菜にも別段変わった様子がなく、そんな状況にも関わらず額を突き合わせてうんうん唸っていたらしいミント姉ちゃんとナチねぇに、俺は思いつくままを口にした。

「……なら、見間違いだったんじゃないか?」

 そう言った途端、目に見えて二人の肩から力が抜けるのが分かった。

「だよね……きっと見間違いだったんだよね。はぁー、普通に考えればそうなんだけどね、心配しちゃって」

「ここのところ色々あったから、もしものことがあったらどうしようって必要以上に考え込んじゃって。けど、やっぱり考えすぎだよね?」

 ナチねぇの苦笑に俺はわざと呆れたように肩を竦めてみせた。

「そうだって。それにもし畑に異常があったなら、真っ先にオヤカタが気づいて知らせてくれるはずさ」

 ああ、とミント姉ちゃんが足元に視線を移して納得いったように頷いた。勇ましく首を縦に振ってみせるオヤカタを見て、ミント姉ちゃんの口元に嬉しそうな笑みが浮かぶ。

「ふふっ、そうだよね。頼りにしてるよ、オヤカタ?」

「ムギイッ!」

 和やかなやり取りに、俺もつい期待を込めてナチねぇへと視線を投げやってしまうが。

「あはっ、ガゼルも?ありがとう、優しいね」

 ガゼルに鼻先を摺り寄せられて嬉しげな声をこぼすナチねぇと、これ見よがしな目線を寄越すガゼル。その姿に俺はただ、乾いた笑いをこぼしている。

 

「大変だぞ、おい!」

 いつもどおりにミント姉ちゃんから貰った野菜の下拵えをしていると慌てた兄貴が駆け込んできて、思わずぎょっ……とはしなかった。なぜなら兄貴は大抵、いつだって慌てているからだ。

「なんだよ、兄貴。そんなに慌てて」

「今しがた軍本部から通達があったんだが、なにやら帝都方面で「紅き手袋」が暗躍してるらしいんだ」

 包丁を動かす手も止めずに返した俺だったけれど、兄貴は真面目な顔をして話を続けていく。紅き手袋……って確か。

「たしか、犯罪を代行してる集団だよね?」

「ああ、そうだ。そしてその構成員は暗殺者でもある」

「つまり殺し屋!?」

 情報共有にやって来ていたリシェルとルシアンが一気に不安そうな表情になるけれど、それが俺たちに何の関係があるんだ?……って、ああ、分かった。重々しく頷いた兄貴が険しい表情を浮かべるのを前に、話の展開に予想がついた俺はひっそりと息をこぼした。

「そういうことだ。奴らは常に背後から隙を狙って襲いかかってくる連中だ。敵に回したらこれほど恐ろしい相手もいない」

「けど、それは帝都での話で俺らとは関係ないことなんだろ?」

 冷めた目で淡々と指摘した俺に、兄貴はにやりと破顔する。

「まあな」

 まったく……リシェルたちをびびらせて面白がってたな、兄貴。

「もぉっ、変に脅かさないでよねっ!?」

「びっくりしたよぉ!」

「わははっ、すまんすまん!」

 ぴいぴいと腹を空かせた雛のように喚き立てるリシェルたちだが、兄貴は笑い交じりに両手を上げて降参のポーズを取ってみせる。けれど、不意に真面目な顔をすると改めて俺たちを見つめてきた。

「しかし、これから先も無関係でいられるとは限らないからな。「紅き手袋」と「無色の派閥」は協力関係にあるんだ。だからもしも、「クラストフ家」が支援を要請したならば……」

「「紅き手袋」から暗殺者が派遣される可能性もある……」

 そうなったら、ちっとばかり……いや、だいぶ面倒なことになるな。真剣な顔で見つめあった俺と兄貴とを見比べていたルシアンが少し俯き、意を決したように顔を上げた。

「じゃあ、そうなる前に大急ぎで最後の御使いを見つけなくちゃね」

 ルシアンの言う通り、これから先の不安や懸念は数えきれないほどあるけれど、差し当たって俺たちに出来ることと言ったら最後の御使い探しくらいのものだ。けれど、それこそが平穏な日常とコーラルの未来を守るための最前最良の一手になるんだから、もはや迷う余地なんてない。幸いにして天気は快晴、風も強くなければ皆の意気込みも相当に高く、兄貴やミント姉ちゃんたちの都合も上手いこと噛み合った。竜の姿のコーラルに鼻を効かせてもらえれば何かが手がかりが見つかるかもしれないと、予定通りに昼過ぎには揃ってシトリス高原まで足を延ばしていたわけだったが。

「どこへ行く!?今のオレたちには無関係だぞっ!?」

 真っ先にその異変に気付いたのがアロエリとは、さすがは野生と言うべきか。ちっとばかり呆れてしまいながらも足を止めることなく俺は語気強く怒鳴り返した。

「うるせぇっ!だからって知らん顔して放っとけるかよ!」

 最後の御使い探しに足を運んだ高原だったものの、俺たちの他にもキナ臭い事態に巻き込まれている奴がいたらしい。漂ってきた血の匂いがクラウレのものじゃないと分かってすぐアロエリは興味を無くしたようだったけど、俺たちまでそんな言い分に従ってられるかよ!アロエリへの好感度が一貫してダダ下がりのまま、俺を引き戻そうと伸ばされた手を乱暴に振り切ってコーラルが先導する方に駆け出すのは早かった。シトリス高原なんて大層な名が付いているけれど基本的には見晴らしのいい原っぱだから、見つけるのはそう難しくないはずだ。人間全般に対するアロエリのきつい態度は皆も予想の内だったのか、それより大事なことがあるからか、いつの間にか全員でコーラルの後ろを追いかけ始めていることに気づいて間もなく。

「ライ!あれ!」

 リシェルが指さした方向に勢いよく顔を向けて、俺は無言で目を見張った。やっと見つけた怪我人はどっからどう見ても不穏な状況、真っただ中だ!俺と同じくらいの背格好をした茶色い髪の少年に、へんてこな仮面をつけたヤツの爪が勢いよく迫っていく。これはもうどうこう言ってられる事態じゃない!足裏に思いっきり力を込めて地面を蹴った拍子、みし、と軋むような音を上げた腕輪には気づかなかった振りをして、無理矢理二人の間へと割り込んだ。

「させるかぁぁっ!!」

 普通じゃない身体能力のおかげで間一髪、どうにか滑り込んだ俺の剣が振り下ろされた鋭い爪を受け止める。ぐっと踏ん張り、腹に力を込めて押し返せば、鍔迫り合いに合った均衡が見る見るうちに傾いていく。 

「よってたかってたっただ一人をいたぶるなんて……気にいらねえったらありゃしねえぜ!!」

 がきん、と音を響かせてついに剣を横薙ぎに振り払えば、仮面の相手は素早く飛び退って俺から距離を取った。急に出てきた俺や追いついた兄貴たちの姿に警戒したのか、さらに飛び退って仲間たちと何やら相談しているような雰囲気だ。こちらの人数や構成、手持ちの武器を確認しているような素振りは気になるが、まずは怪我人の相手が先だ。

「君は、いったい……」

「いいから怪我人はおとなしくしてろよ。俺が代わりにぶっとばしてやる!」

「無茶だって!そいつらは野盗なんかとは違うんだぞ!?」

 安心させようと明るく笑ってみせたのがマズかったのか、食って掛かってきた怪我人の声は険しい。さてなんて説明するべきか、困ったところで息を整えていたミント姉ちゃんが穏やかに歩み出た。

「紅き手袋の暗殺者だってことですよね?」

 驚きに目を丸くする怪我人を前にミント姉ちゃんは静かに膝をつく。怪我の具合を手早く診ていきながら、にっこりと優しい笑みを浮かべてみせた。

「危険な相手なのは分かっていますから心配しないで、ね?」

「そうそう。こっちだって派閥の召喚師に現役軍人、戦闘民族とより取り見取りなんだから!」

 勢いよく答えるリシェルに怪我人は目を白黒させはじめちまったけど……おい、嘘はつくな嘘は。賑やかが過ぎる遣り取りを横目で見ていると、ミント姉ちゃんから手当て役を引き継いだポムニットさんが深々と項垂れながら息を吐く。

「結局のところ、無関係じゃいられないってことなんですよねえ。はぁ……」

「仕方がないってばポムニットさん」

「人助けしてんだからグチらないの!」

 さっきまでの緊迫した状況と漫才めいた会話がぽんぽん飛び交う現状との落差についていけないのか、ついに怪我人が自分の頬を抓り始めた。疑いたくなる気持ちは分からないでもない。でも、こんな気の抜ける会話が出来ているのは仮面の男たちをけん制している兄貴やセイロンたちのおかげでしかないのだ。今はまだ、な。

「帝国陸戦隊所属トレイユ駐在武官グラッドだ!!紅き手袋の走狗め、神聖皇帝の名のもとに裁きの刃を受けよ!」

「シャアァァァッ!!」

 だからこそ、まずはきっちり相手してやんねえとな!刀を握り直し、あちこちに湧き出した黒ずくめの仮面たちを睨み据える。さて、やるとするか!

 

 街道へ戻る道を塞ぐように散らばっている仮面の男たちは幸いそれほど多くはなかった。暗殺者と言うだけあって構える武器も爪やら短剣やら、いわゆる近接武器ばかり揃えている。すばしっこいのは確かに厄介だが、麻痺なり暗闇なり眠りなり、足さえ止めてしまえばどうにかなるだろう。だからこそ、気になることがあった。

「ライ君、気づいてるよね」

「ああ、こいつらは俺たちを疲れさせようとしてるだけだな」

 こっそりと耳の後ろでで囁かれた声に小さく頷き、電撃によろけた敵の腹を思いっきり蹴り飛ばす。ナチねぇのサポートは今日も的確で、俺の呼吸をきっちり把握しきった上での援護は有り難いの一言に尽きた。セイロンやアロエリ、兄貴やリシェルたちもそれぞれ優勢に戦闘を進めているようで、時折聞こえてくる苦悶や呻きの声は敵側のものしかないようだけど。ただ、あまりに他愛ない。不自然なほど呆気ない。それならこれは違うだろう。

「気を付けて。多分、そろそろ……!」

 その言葉を受けたように右方、草原のあちこちから黒い人影が現れた。ようやく全貌を露わにした仮面の男たちを前に、けれど俺たちが自然、浮かべていたのは混じり気のない笑みだった。

「逆に言えば、こいつらをのせばそれで終わりってことだろ?分かりやすくて助かるぜ」

「ようやく節約しないで召喚術が打てると思うと……はぁ~、テンション上がってきたぁ!」

 このためにわざわざ声を抑えて、ひそひそ話なんかしてたんだからな。爽快さすら感じる笑みで指と指の間にサモナイト石を挟んだリシェル、杖を抱え直してにっこり微笑むミント姉ちゃんの背後には渦巻く魔力が見えるような気さえした。それはナチねぇも例外ではなく、肌にびりびり来るような魔力の圧力こそが何よりも雄弁だ。

「さぁてライ君、いきますか!」

 輝く笑顔で振り返る、無邪気な子供みたいなナチねぇへと俺も威勢のいい返事を投げ返している。

 そうして、やっと我慢しなくてよくなった解放感からリシェルやミント姉ちゃん、ナチねぇがそれぞれ強力な召喚術を使い出すと、戦況は完全にこちらの有利に傾いた。リビエルも若干ハイになっているのか、召喚術を打つたびに普段まず見ないような微笑みを浮かべている。遠目に見ても、ちょっと怖い。潜めていた伏兵が消えて戦力差もひっくり返らず、狙っていた怪我人の元に辿り着くことすら難しく、明らかに自分たちが劣勢だと悟ってしまえば敵も馬鹿じゃなかったんだろう。次の行動は早かった。

「ジャッ!!」

 奇妙な掛け声一つ残して撤収してしまったのだ。あまりにあっさりした幕切れに拍子抜けしながら剣を収めていると、アロエリが何か言いたげな目を向けていることに気づいた。

「……なんだよ?」

「ふ、ふんっ!深追いをしないだけの知恵はあったようだなっ!」

 何を言いたいか、分かった。が、戦闘の疲れもあったし、そんな挑発に乗るほど暇じゃないからな。それよりも、と意識を切り替えて周囲に目を配った俺は、怪我人の傍で膝を突いているルシアンへと駆け寄った。

「ライさん、この人の手当てだけどやっぱりちゃんとしないとダメみたいだよ」

「大丈夫だって。いまセイロンたちも来るからさ、そんな心配すんな」

 困りきった表情で見上げてくるルシアンの頭をぽんぽんと叩いて、あっちを見てみろよ、と親指でセイロンを指し示す。足早に近づいてきたセイロンはすべて心得ているとばかりに跪くと、早速とばかりに怪我人の具合を確かめ始めた。腕やら足やら、遠慮のない触り方をしていくセイロンに訴えるような呻き声がたびたび上がっているけれど、まあセイロンのことだし心配ないだろう。

「ふむふむ、足の方はどうやら骨までイってしまっておるな。が、他の傷は致命傷をギリギリで避けておる。よく守って戦ったといってもいいだろう。あっはっは!」

「ほら、ちゃんと診てるっぽいし」

「ライさぁん……」

 それでもまだ心配が収まらない様子のルシアンだけど、実際、セイロンの判断は信じてよさそうなもんだけどな。ナチねぇへの対応については思うところあれど、そのナチねぇやコーラルからも信用され始めているセイロンを俺は内心高く買っていた。念のためにと周囲の警戒を保っている間にも、駆けつけたリビエルとセイロンとの遣り取りが耳に飛び込んでくる。

「分析はいいですから、とっととどいてくれませんこと?早く治癒の奇跡を使いたいんですけど」

「おお、それなのだが骨折した足の方には使わないでくれぬか。説明は後でするからともかく止血を最優先で頼むぞ」

 この頼み事が俺の想像通りの意味でなら、やっぱセイロンには一目置いとく必要があるなぁ。しかし、勝手に怪我が治っちまう俺には無縁のやり取りだな、なんて遠い目をして心中頷いていれば、ひとまずの準備が整ったらしい。

「応急処置が済み次第、ここを離れた方がよさそうですね」

「じゃあ、私の家まで運んであげてください。薬や包帯なんかは一通り揃っていますし」

 持参した救急箱を手に立ち上がったポムニットさんにミント姉ちゃんが答えた。と、そこでナチねぇが首をかしげる様子が目に入る。

「ねぇ、ミントさん。ミントさんのお家に氷ってまだ、残ってましたっけ?」

「あ、そういえば……」

「氷が必要なのか?なんなら宿屋まで取りに行ってくるよ」

 食材を扱う都合上、いつだって厨房奥には氷を確保している。その出所は主にナチねぇの呼び出した召喚獣だったりするんだけど……アイコンタクトで尋ねれば、どうやらナチねぇはそのサモナイト石を置いてきてしまったらしい。眉尻を下げてすまなそうな顔をするナチねぇに片手をひらめかせて、俺は軽く笑い返した。戦闘後に召喚するのはキツイだろうし、それくらいなら取りに帰った方が早いだろう。

「ありがとう。体力を消耗して熱が出ているみたいだから、冷やしてあげないといけないの」

「結構量も必要だし、私もついていこっか?」

 ほっとしたような顔をするミント姉ちゃんの隣でナチねぇが提案するけれど、俺は迷わず首を横に振った。

「大丈夫だって!あとナチねぇ、まだ重い物は持つなって言っただろ?すぐに取ってくるから、皆は先にミント姉ちゃんちに行っててくれよ!」

 あれだけの威力の術を連発してたんだから、ミント姉ちゃんもナチねぇも少しでも休んだ方がいいだろう。特にナチねぇなんてこないだ刺された左腕が治ったのは見た目だけなのに、ちょっと目を離すとすぐに無茶をするんだからこっちも気が気じゃない。念押しを繰り返して宿屋までの道を駆け抜けた俺は、急いで必要なものを取り出していく。普段から整理整頓をしていてよかったと思うのは往々にして切羽詰まっている時で、バスタオルに氷にと、指折り数えながら引っ張り出していった俺はようやく息を吐いた。うん、これで全部だな。崩れないよう抱え直したそれに意識を払いつつ、ドアを肩で押し開ける。

「よし、急いで……っ!」

 こんな町外れにある宿屋には客なんて滅多に来ない。だからまさか、そこに人がいるなんて考えもしなかった俺は勢いよく飛び出そうとしたそこで、見事に正面衝突をして盛大にひっくり返った。幸い、氷は袋に入れてたしバスタオルも腹の上に落ちたから無事だけど、ぶつかった相手こそが問題だった。

「お前は、昨日の?」

「商店街で見かけたうさんくさそうな二人組っ!?」

 やべ、思ったままつい口に出しちまった。相変わらず綺麗な顔をした金髪の兄ちゃんが剣呑な目つきでじとりと睨み付けてくる。う、この兄ちゃん、やっぱり眼力が異様に強い……!

「ははははっ、それがお前から見た我らの素直な印象か。確かに、我らはこういう平和な町には不似合いだからな」

 尻もちをついたまま気圧される俺と兄ちゃんとの様子が面白かったのか、その後ろに立っていた赤い長髪のおっさんが鷹揚に笑った。すると、白衣のマントを翻して勢いよく振り返った金髪の兄ちゃんが何か言い返そうとして、項垂れるように大きく肩を落とす。

「ルヴァイド様、そんなふうに面白がらないでください。ただでさえ、やたらと不審の目を向けられて困っているんですから」

「ははは、すまんイオスよ」

「笑い事じゃないですよ。もう……」

 何だか和んでいるところ悪いんだけども、俺はそろそろ行かなきゃいけないんだけどな……?

「えーと、悪いんだけど、用事があるんだったら後にしてくれないかな。けが人の手当てに必要なものを持っていく途中なんだよ」

 本来ならお客さんってだけで大歓迎なんだけど、今この時ばかりはちっとばかりマズイ。散らばった荷物を抱え直して立ち上がろうとする俺を手伝ってくれた兄ちゃんが、不思議そうに繰り返した。

「怪我人?」

「ああ、俺と同い年くらいの男の子だけど……」

 途端、二人の雰囲気が変わった。眉根を寄せた兄ちゃんの後ろで、長髪のおっさんの眼光が鋭さを宿す。

「もしや、その怪我をしたという少年は紅い手袋をした暴漢に襲われていたのではないのか?」

「……なんであんたたちが知ってるんだよ?」

 こいつら、一体何を知っている?思いがけない返しを受けて、じり、と一歩後ずさりながら片手で剣に触れる俺に構わず、金髪の兄ちゃんが素早くおっさんを振り返って声を張り上げた。

「ルヴァイド様!?」

「ああ、アルバに間違いあるまい。無事だったか……」

 険しさを増した表情のまま、おっさんが嘆息交じりにぼそりと呟く。アイツが無事だったことに胸を撫で下ろしているような、そんな表情を目の当たりにして、俺は困惑交じりに少しばかり警戒を緩めた。一体、何がどうしたっていうんだ?こういう顔はよく知っているけれど、もし俺の想像通りなら……さっきの敵や追手とは違うような気がする。

「その少年のところまで僕たちを連れて行ってくれないか?おそらく、僕たちとはぐれてしまっていた仲間だと思うんだ」

「それ、ホントかよ!?」

 そんな疑問を一瞬で溶かす兄ちゃんの言葉に、俺は素っ頓狂な声を上げている。妙な縁に驚きながら喜んだのも束の間、兄ちゃんたちを案内した先で、もっとずっと奇妙な縁が待っているとは知らなかったのだ。

 

「目が覚めた途端に質問攻めなんてして、ごめんね」

 君は一体何者なのか、赤き手袋と戦っていた理由はなんなのか。

 気が付いた時には大勢の知らない人に取り囲まれて、帝国軍人の鎧を着こんだ相手から事情聴取を迫られている、そんな状況にアルバは心底困り果てていた。

 自分は巡りの大樹騎士団所属の騎士で、極秘任務のため赤き手袋と戦っていたのだ……などと果たして素直に告げていいものか。国家ではなく人民のために設立された組織だからこそ、その立ち位置にはずっと難しいところがある。例え窮地を救ってもらった相手とは言え、己の素性を考えなしに吐き出せるほどアルバは幼くもなければ鈍くもなかった。後ろ暗いところや疚しいところが無いとは言え、必然、沈黙しか選べずにいたアルバはふわりと落ちてきた声に瞠目する。

「頭も心もまだ整理出来てないんじゃないかな?全部話してしまえるほど、軽いものを背負っているわけじゃないみたいだし。……君の剣、見せてもらったけど、あれは騎士が持つ剣によく似てるね。任務か何かで遠征中だったとか、そんなとこかな」

「騎士だって!?」

 なんだってわざわざ帝国に、と驚きをあらわにする軍人の男性へと、その傍らに腰かけた女性は柔らかい苦笑を浮かべて首を振る。

「そこまでは分かりませんけど。だったら辻褄が合うかなって。それに、そうだとしたら他にも何人か同行している方……多分、上官に当たる方がいるはずですよ」

「なんで……」

 緩やかに編み込まれた栗色の毛先を揺らして小首をかしげた女性の言葉に、アルバは知らず呟いている。困惑と驚愕しかない胸の内を察し取ったかのように、向けられた眼差しが静かに微笑んだ。

「昔、ちょっとだけ教えてもらったんです」

 ハシバミ色の瞳ばかりを悪戯っぽく緩めて笑ってみせる女性へと、何か言おうと、アルバが口を開いたところだった。静かなノック音。次いで、ぎぃ、と軋むような音が響く。誰かがドアを押し開けているのだと気づいたそこで、ドアの一番近くにいた少女が素早くノブを掴んで向こう側にいる誰かに話しかけた。

「あ、あの……」

「なによ、あんた。いつもノックなんかしないくせに。さっさと入ってらっしゃいよ」

「いや、それがさ……ちょっと……」

 ドア向こうにいる相手はなぜか煮え切らない様子で迷っているらしい。受け答えをしていた少女も訝しそうに首をかしげて、いくつもの疑問符を頭上に浮かべたところだった。

「不作法を承知で上がらせてもらうぞ」

「ど、どちらさまっ!?」

 突如割り込んできた低音に少女が裏返ったような声を上げるが、構わず見事な長身の赤髪の男が部屋へと入り込んでくる。唖然と見開いた目にその凛々しい姿を認めて、アルバは音もなく空を噛んだ。一体どうすればいいのだろう。そう迷いに迷っていた思考の一切が吹き飛ばされるような衝撃と共に、アルバは上官に当たるその人物を見上げて呟いている。

「やはり、お前だったか。アルバよ……」

「ルヴァイド……特務隊長……」

 

 俺がそろそろとドアを潜ってみれば、ベッドサイドに立ったおっさんが静かにアルバを見下ろしていた。傍から見ているだけでも威圧感が凄まじく、まだ何の説明もしていないこの状況じゃあおっさんも兄ちゃんも招かれざる客でしかないのに、兄貴もすっかり腰が引けちまっている。

「知り合いなんですか?」

「ああ、そうらしい」

 いち早く我に返ったルシアンにひそひそ声で返していると、おっさん改めルヴァイドの後ろでじっと佇んでいた兄ちゃんが、堪えきれないとばかりに尖った声を張り上げた。

「なにをやっていた!?今の今まで!?単独での戦闘は絶対に避けるように、きつく言い聞かせただろう!」

「すみません……イオス副隊長……」

「無事だったからいいが、もし万が一のことが起こってしまったら、我々はレイド様にどう釈明すればいい!?ルヴァイド様の立場というものも……!」

「よせ、イオス」

 大通りで話した時にはあんなに冷静な物言いだったのに、アルバを叱咤する声には湯気を噴くような怒気が滲んでいる。けれど、ルヴァイドが一声告げればぴたっと収まっちまうんだから、このおっさんは一体どれだけの実力者なんだろう。改めてアルバに向き直ったルヴァイドは険しい顔つきのまま厳かに告げた。

「とにかく今はまず傷を治せ。処分も含めた今後のことは追って伝える」

「はい……」

 気落ちしたような返事をするアルバから兄貴へと足先を向け直したルヴァイドは、落ち着いた態度のまま口を開く。

「貴公の服装、帝国の陸戦隊のものだな?」

「は、はいっ!そうでありますっ!」

 声、裏返ってるぞ兄貴。

「詳しいことに次第は責任者である俺から説明させてもらおう……他に、質問したいこともあるしな」

 困惑と混乱の中、淡々としたルヴァイドの声がてきぱきと方角を示す羅針盤のように今後の流れを決めていく。部屋にいる全員、すっかり聞き入ってしまっていたその声が、不意にかすかな躊躇いを帯びた。その響きに反応したようにナチねぇの肩がぴくりと跳ねる。ふっと、誰が示したわけでもないのに一斉に視線が集まった先、顔が見えないくらい深く項垂れたナチねぇの膝元でぎゅうと灰水色のローブを握りしめた両手が震えた。ローブの生地に引き攣れるような皺が出来るほどきつく、握り込まれた両手を痛ましげに見つめながら、ルヴァイドが囁くような声を落とす。

「責めるわけではない。俺は真実を知りたいだけだ……なぁ、ナチ」

「……はい」

 想像もしなかった展開に、誰もが声の出し方を忘れてしまったようだった。

 

「で、なんでまたウチで事情聴取することになってんだ?」

「任務上、我らが所在を公にするのはあまり好ましくないからだ」

「それで盛り場から離れた場所を探していたってワケか」

 ミント姉ちゃんの家から宿屋の食堂へと引き返してきた俺たちは、それぞれ椅子を引いて事情聴取をする兄貴とそれを受けるイオスやルヴァイドの近くに好き勝手に陣取っていた。事情聴取とは名ばかりのすっかり砕けた場になってしまったけれど、気になったことを尋ねてみれば黙秘どころか打てば響くような返しをくれるし、何よりイオスの説明は簡潔で分かりやすい。納得を込めて頷いていると、訳知り顔のリシェルも話に混ざってきた。

「それ以前に怪我人の寝てる傍で話すのもアレでしょ?誰かさんに怒鳴られてかーなーり、しょげちゃってたしねぇ」

 これみよがしな咳払いをするイオスに構わず舌を突き出しているリシェルの隣、ルシアンが物憂げな顔をする。

「でも、心配だなぁ。まだ暗殺者たちが攻めてきたら……」

「そういうときのためにセイロンたちが残ってくれてるんだろ。看病の方だってミント姉ちゃんに任せときゃ安心さ」

 アルバを襲っていた奴らの正体も気がかりだけど、今は剣や鋼の軍団の襲撃だって同じくらい警戒しなきゃならないしな。そんなわけで、今晩ばかりはミント姉ちゃんの家に御使いの皆とコーラルはお泊りになったのだ。事情を知らないルヴァイドたちに竜の子だとかの込み入った話を聞かせるのはマズいし、二手に分かれるにしたって戦力が偏りすぎるのは上手くない。ルヴァイドたちには悪いが、かなりの実力者らしいこの二人がいればもしも宿屋の方に押し掛けられても何とかなる……と踏んだわけだが、さて吉と出るか凶と出るか。食堂の端っこ、少し奥まったテーブル席で調書代わりのノートを広げた兄貴が、改まった様子でルヴァイドに声を掛けた。

「しかし、聴取の場に本当に子どもたちを同席させるのですか?込み入った事情もあるようですが……」

「場を借りているのだ。出て行けと言える立場ではあるまい。それに、関わった以上説明をせねば彼らも納得がいかぬだろう。ならば俺からじかに聞いた方がよいはずだ」

「……わかりました。では、まず貴方たちが何者であるかを教えてください」

「俺の名前はルヴァイドだ、連れの名はイオス。ともに巡りの大樹自由騎士団の末席に名を連ねている」

 ルヴァイドが所属を名乗った途端のことだった。兄貴の表情が驚愕の入り混じった険しいものに変わり、ルシアンは本物の自由騎士様に会えるなんて、と見る見る頬を紅潮させていく。自由騎士……いつかナチねぇの話にも出てきたっけな?聖王国に新しく出来た、仕える主君を持たない騎士たちのことだったっけ。

「国の利益のためではなくそこに暮らす人々の平穏を守るため、大陸全土の犯罪行為を摘発し、必要とあらばその剣を持って正す。それが自由騎士なんだ。……お前ならよく知っているだろう、ナチ?」

 おもむろに声を投げかけたイオスに反応してか、俺の隣に腰かけていたナチねぇが身じろぐのが分かった。静かな目で見つめてくるイオスから隠れるように身を縮めたナチねぇは、けれど、やがて観念したように息を吐くと絞り出すような声で頷いた。

「……そう、ですね。イオス君の言う通り、いつか描いた理想通りの在り様だってことは、知ってます」

 固く組んだ両手に視線を落として唇をきゅっと結んだナチねぇは、叱られることが分かっていて怯える子供のようだった。ルシアンやリシェルが戸惑うように顔を見合わせているけれど、俺は何も言わずにイオスの出方を待った。静かに椅子を引いてルヴァイドの横から立ち上がったイオスが、ナチねぇのすぐ目の前まで近づいたところで足を止め、流れるように片膝を突く。

「なら、どうして……頼ってくれなかった?僕たちでは、お前の平穏は守れなかったのか?それともお前の問題を解決するためには、まだ……当時の僕たちでは、力不足でしかなかったのか」

 だとしたなら、すまなかった、と壊れ物でも扱うような手つきでナチねぇの手を掬い取ると、イオスは深々と項垂れるように頭を下げた。綺麗な金色の頭を見下ろして、あ、と声を震わせたナチねぇの瞳が揺れた。イオスの言葉に傷ついたような、いや、イオスを傷つけてしまったことを心底悔やんでいるような、泣きそうに揺れる瞳を覗かせてナチねぇは大きく頭を振る。イオスの謝罪に、精一杯の否定を返す。

「ちが、違うんです……!私、私が悪くって……でも、イオス君たちならって、何度も思った!一緒に、いたかった……でも、それでも私!」

「イオス、ナチ」

 今はそこまでにしておけ、とルヴァイドのよく通る声が響いたことで、ナチねぇもイオスも我に返ったらしい。堪えきれないように声を震わせていたナチねぇが動きを止めると、唖然と目を見張って見つめていたイオスがゆっくりと瞬くのが見えた。泣いてるような途切れ途切れの呼吸を繰り返すナチねぇを見上げて、ひとつ目を閉じると、名残惜しむように両手で包み込んでいたナチねぇの手を離していく。席を立った時と同じように音もなく立ち上がったイオスが戻ってようやく、震える両手を隠し込むようにナチねぇは胸元でその手を重ねた。

 過去に何かがあったことは火を見るより明らかで、けれど、それが現状に影響しているものかも分からない。はたして話を振るべきなのかどうすべきかと頭を抱えている様子の兄貴にルヴァイドがすまなそうに眉を下げて二言三言、謝罪めいた言葉を告げるのが見えた。

「申し訳ない、ナチとは過去に仲間として過ごしていてな。だが、今回の件に影響するものではないことをここに誓おう。我々がこの町に訪れたのは、全くの別件だ」

「ええと、では、あのアルバという少年剣士も?」

「彼はまだ見習いだ。事情があって任務に同行させたが、途中、予期せぬ事態が起こってしまってな……軍属の貴公なら伝え聞いているはずだ。帝国領内にて紅き手袋が不穏な動きを見せている」

 微妙な空気を取りなすように短い説明を口にしたルヴァイドに、これ幸いとばかりにペンを握り直して尋ねていた兄貴が表情を硬くした。

「巡回視察の旅の予定が急きょ、奴らの企みを調査することになり、その折、敵と交戦する事態に陥り……」

 そこで、アルバとはぐれてしまったんだろう。アルバの失態と言うよりも自分の監督不行き届きを悔やむように、恥じ入るように目を伏せるルヴァイドに代わってリシェルが軽い調子で引き取った。

「で、運よくあたしらに助けられました、と」

「そういうことだ。改めて、礼を言おう。おかげで部下を失うことなく済んだ……」

「いいってば!たまたま、なりゆきで助けただけなんだし」

 言葉の代わりに目元を和らげるルヴァイドは、無言のままに笑ったらしい。険しい表情がかすかに緩んで優しげなものに変わると、きっといい奴なんだろうな、と頭で考えるでもなく直感でそう理解出来てしまうのが少し心苦しい。そんな内心をどうにか押し止めながら俺がぼんやり突っ立っていると、出来上がったばかりの調書の束を揃えていた兄貴がついでのように尋ねた。

「なるほど。ここまでの経緯はわかりました。では、これから先はどうされるおつもりなんですか?」

「今すぐにでも任務に戻りたいところではあるが……」

「彼の怪我を見るに、それも難しいですね」

 難しい顔をしてルヴァイドに進言したイオスを振り仰ぎ、ルヴァイドは重々しく頷く。

「……ああ、それに予期せぬ再会もあったからな」

 迷うような物言いにピンと来たのはナチねぇも同じだったはずだ。思わずとばかり顔を上げたナチねぇが縋るように俺を見るより早く、あっけらかんとした口調を装って俺は提案した。

「とりあえず今日はここに泊まってけよ。もともと、そうするつもりだったんだろ?」

 イオスと出合い頭にぶつかる羽目になったのは、きっと宿屋を探していたからだ。周囲に被害が出ないよう気にするイオスたちは最悪野宿も視野に入れてたんだろうけど、わざわざ足を運んでくれたお客さんにそんな真似させる気はない。せっかく星集めに精を出しているところだし、何より、と胸の奥から込み上げる感情には蓋をして俺は屈託ない笑みを作ってみせた。

「遠慮するなって!もしも暗殺者が来たって俺ならちゃんと身を守れるしさ。積もる話もあるだろうし、それに……明日もう一度、アルバにきちんと話をしてやってほしいし。突き放されることで成長出来ることもあるのかもしんねーけど、話してくれることで納得出来ることもあるって思うし、さ」

 大人のずるい逃げ道としての意味なら、俺はもうイヤというほど味わっているから。それをアルバにまで味わわせたくなかったのも本音だし、アルバのことを引き合いに出してまでルヴァイドたちを引き留めにかかったのも本当だった。神妙な顔をしたイオスとルヴァイドが視線を交差させるのも一瞬、静かに目を伏せたルヴァイドが噛みしめるように呟く。

「そうだな……では、今日のところは世話になるとしよう」

 その言葉にナチねぇがどんな表情を浮かべているのか。それを確認する勇気もないまま、俺は笑顔で頷いた。

 

 滅多にない泊まり客、本来なら存分に腕を振るって美味い夕飯を振る舞ってやりたいところだけど、今回ばかりはそうもいかない。夕飯を済ませてすぐ、ルヴァイドたちに宛がった客間に集まって、ひょっとすると昼間のよりも込み入った話に挑むことになったからだ。

 少しでも外の気配が分かる部屋、というリクエストに応えて一番端にある部屋を用意したからお茶を運ぶのがちっとばかり大変だったけど、そんなの気にもならないくらい俺は緊張していた。一緒に廊下を歩いていたナチねぇも同じくらい、いいや、比べ物にならないくらい全身を緊張に強張らせていただろう。ルヴァイドとイオス、そしてナチねぇが話をする場に同席させて欲しいと頼んだ時、誰より渋る様子を見せたのはナチねぇだった。ルヴァイドは何も言わず、イオスはナチねぇの様子を見ながら躊躇うような素振りを見せて、だから余計に俺は食い下がった。大抵のことは許してくれるナチねぇが難色を示すのがどんな時かなんて、今の俺はよく知っている。自分のせいで俺を傷つけたり困らせたり、嫌な気持ちにさせるんじゃないかって不安で仕方ない時だ。面白い話じゃないし、きっと嫌な気持ちになるからと、そう言って最後まで首を縦に振らなかったナチねぇを説得してくれたのはイオスだった。

「ナチ、お前の懸念することも分からなくはない。だが、それでも聞きたい、聞かせて欲しいと彼は言ってるんだ。それが低俗な興味や詮索からの言葉でないことくらい、お前にも分かっているんだろう?」

 きっと、イオスとナチねぇは友達だったんだろう。それも気の置けない仲、とびっきりに気心の知れた友人同士。

 必死になって食い下がる俺を援護するようにイオスが真っすぐナチねぇを見てそう言った時、俺は呆気に取られたような気持ちだった。どうして手助けしてくれるんだろうって驚いて、ナチねぇも俺とそっくりな顔をしていたけれど、くしゃりと花弁の大きい花が咲く時みたいに表情を綻ばせていったナチねぇが、やっぱりずるいなイオス君は、と困ったように呟いた瞬間。腹の底から喝采を上げたくなった。イオスのことを心底信頼しているんだろう柔らかい微笑みに胸の奥が痛んだような錯覚を覚えつつ、それでも俺は単純な上にガキだから、どうしようもなく嬉しくなるのを止められなかった。

 だって、ナチねぇは大切な家族だ。俺にとって掛け替えのない、大事な存在だ。そんな相手が今まさに苦しんでいる問題があるって分かってて俺ばっかりが蚊帳の外なんてゴメンだし、怯えたように青ざめたり緊張に強張った顔なんかよりもいつだって穏やかに満ち足りた笑顔を浮かべていて欲しいから。

 だから、所々ぼかした物言いを挟みながらもナチねぇがずっと隠してきた昔の話を一通り語り終えたところでイオスがあからさまな溜め息を吐いた時、俺は心からの同意を浮かべていたことだろう。

「どうして、お前はそう……」

 頭が痛いとばかりに片手を額にやりながら呟くイオスの声は何とも言えない呆れに満ちている。言葉を選ぶためか、話を整理するためか、時折途切れ途切れになりつつも、聖王国からここトレイユの町に来るまでの一部始終を語ってくれたナチねぇは不安そうな面持ちでじっと俺たちの反応を待っていた。

 ルヴァイドたちの情報と、ナチねぇの話とを擦り合わせると、こうだ。

 4年前、当時一緒にいた仲間の内の何人かに好意を向けられたことが始まりだったらしい。グラッドの兄貴がミント姉ちゃんに抱いているような恋心なんて目じゃない執着めいたそれを突き付けられたナチねぇは、けれど同じだけの気持ちを持ち合わせていなかったこともあり丁重に断ったのだと言う。予想だにしなかった事態に困惑はしつつも、相手の幸せを祈ってしまうくらいには大事で大切な存在だったから、万が一にも波風が立つことのないように誰にも話を漏らしはせず。けれど、それが間違いだった。ひょっとして他の奴の話は受けたのだろうかと、ナチねぇや周囲が何ひとつ変わらない態度だからこその疑心暗鬼と誤解からの嫉妬が水面下で加速していき、実力行使に及ぶものが出てしまったらしい。それでも元は自分のせいなのだからと、耐えて耐えて自分ひとりの胸に収め続けていたナチねぇの努力は、けれどある日やってきた限界を迎えて破綻した。怖い、と、一度でも思ったら最後、もう心を誤魔化すことは出来なかった。この場所にいたくない、怖くて怖くてたまらない、ここじゃないどこか遠くに逃げ出したい。その一心だけで仲間の一人だったミニスを頼り、金の派閥に身を寄せ、文献調査と言った任務をこなす代わりに匿ってもらう形でトレイユに身を置くことになった、と。

 話を聞いているだけでとことん呆れてしまったし、むかっ腹が立って仕方がなかったけれど、その先は決してナチねぇが思ってるような相手じゃない。もちろんナチねぇに対して呆れているところもあるけれど、それはこの期に及んでまでその仲間だとか言う奴らを気に掛けていることだ。どうせイオスたちには推測できてしまうだろうにはっきり明言しなかったのは、自分のせいで仲間たちの関係を微妙なものにしたくなかったからだろう。それだけ怖い目に遭ってなお、大切で大事な仲間たちに不和や諍いを招きたくないからなんて、そんな理由で。

 あんまりに甘すぎて優しすぎて、少しどころでなく心配になってしまうほどだ。だけどそんなナチねぇだから俺はこの場にいるんだろうし、イオスも話を聞かせて欲しくてたまらなかったんだろう。

「……いいか、ナチ。他の誰がどうだろうと関係ない。お前が不快に思ったのならそれが全てだ。この期に及んで僕たちを気遣う真似なんてするな、それほど軟な鍛え方はしていないと知っているだろう」

「でも……」

「繰り返すぞ。他の誰がどうだろうと関係ない、お前がしたいようにすればいいんだ。あの場所にいるのが嫌になったなら……怖くなってしまったのなら、すぐに逃げてよかったんだ」

 お前の選択は間違っていない。

 深呼吸をひとつ、顔を上げたイオスが淡々と突き付けていく言葉の数々に戸惑ったような表情を浮かべていたナチねぇだったけれど、最後の言葉を受けてこぼれ落ちそうなほど目を見張った。一刀両断するように真顔で言い切ったイオスを見つめるナチねぇの瞳は思いがけない言葉に戸惑ってたじろいで、くるくると目まぐるしくその色合いを変えていく。信じられない、信じたい、信じていいんだろうか。そんなふうに右往左往していたハシバミ色が次第に緩んで、見る見るうちに膨れ上がった水膜が涙の粒へと変わっていく。ぽかんとした表情のまま、ぽろぽろと雨のように涙をこぼしていくナチねぇに、俺とイオスが一拍遅れで慌てたところだった。

「あっ、ち、違うんです。大丈夫、これはそうじゃなくて」

「……ようやく分かってもらえたか」

 労わるような声色には深い安堵と温情が満ちている。焦った様子で顔を上げようとしたナチねぇの頭にぽんと手を置いたルヴァイドが、小さい子供を寝かしつけでもするような、優しい眼差しと穏やかな声で囁いた。

「一人でよく頑張った。この4年間、お前の周囲が優しいものばかりだったことに、俺も安堵している」

 無論、イオスもな、と続いた言葉でついに堰が切れてしまったんだろう。涙腺が決壊したかのようにぼろぼろと大粒の涙を後から後からこぼし始めたナチねぇは、それでもどうにか言葉を返したいのか、頭に載せられたルヴァイドの手に縋りついて必死になって声にならない声を綴っている。

 ルヴァイド様、イオス君も、会いたかった、でも怖かった、言えなかった。

 そんな声が掠れ掠れに聞こえてきたけれど、促されるがままルヴァイドの胸元に顔を埋めるようにして小さく肩を震わせているナチねぇに声を掛けるなんて野暮な真似、出来るわけがない。すっかり冷めちまったお茶のお代わりでも入れてこようかとそろそろと立ち上がってみれば、同じ考えだったらしいイオスが先に立って部屋のドアを押し開けている。本当に気が利く奴だなぁ、と感心しながら廊下を歩き出した俺は、少し迷ってからイオスに声を掛けた。

「なんていうかさ、ありがとな」

「……は?」

 何のことだと言いたげに眉根を寄せて怪訝そうな顔をしたイオスが横目で見てくる。その反応に勝手に頬が緩んでしまうのを感じながら、いやさ、と俺は肩を竦めて適当な言葉を探し出す。

「ナチねぇに、あんた最初っから遠慮なしだったろ?正直、見ててハラハラしたけどさ……ナチねぇ、あんなにビビッて緊張してたのに、あんたの言葉であれだけの笑顔を引っ張り出されてたんだ。あんたは確かにナチねぇの味方なんだって分かったよ。それに、俺みたいな子供が話を聞くのを後押ししてくれたし、さ?」

「……本当に味方だったならこんな事態に陥ってない。一番助けが必要だった4年前に気づけずじまいだったのだからな」

 苦虫を噛み潰したように低く吐き捨てる横顔は暗いけど、俺の方はそれを見てますます安心しちまってるんだから皮肉なもんだ。少なくともイオスたちはナチねぇの味方なんだ。その実感がやっと込み上げてきて、胸がじわじわと温かくなっていくのを感じながら、ずっと端っこの方で主張している苦い痛みには蓋をして俺は思うがままを口にした。

「過去にどうだったかなんて知ったこっちゃねーよ。少なくとも今はただ、ナチねぇの味方なんだろ?それさえはっきりしてりゃそれでいいって……だから、本当にありがとな」

 これだけは言いたかった言葉を並べ立てて、すっきりした俺は勢い良く息を吐き出した。

 きっと俺は、イオスみたいにはなれやしない。あんなふうにナチねぇから気の抜けた笑みを引き出すのはもちろん、友人に向けるような信頼と親しみに満ちた瞳を見ることだって出来やしない。俺はどこまで行っても子供で、家族の括りのうちだから、友人みたいな、気心知れた仲なんてのには一生なれやしないんだろう。それを悔しく羨ましく思ってしまう反面、だからこそイオスには感謝しなきゃなあと、少しは分別のついた大人らしく割り切ろうとしたところだった。

「僕の台詞なんだが、それは?」

 は、と今度は俺は声をこぼす番だった。思わず足を止めて隣を仰ぎ見てしまえば、むっとしたような顔のイオスが俺を見下ろしている。何だか文句でも言いたげなその顔に戸惑っていると、ひとつ息を吐いたイオスはふいと視線を遠くに投げて、独り言のように呟いた。

「これでも付き合いは長いんだ。僕だって、あいつが辛い時に支えてやりたくなかったと言えば嘘になる……今となっては何とでも言えるがな。だが、それでもあいつの一番の味方にはなれなかったはずだ。互いに互いをよく知っているからこそ、最後の一線は踏み込めない。居心地のいい距離感を知るからこその矛盾とでも言えばいいのかな。……あいつの身内でもない限り、本当の意味で寄り添うことは出来なかっただろう。だからこそ、僕はきみに心から感謝している」

 ありがとう、と身体ごと向き直って目を合わせてきたイオスが、その場で深々と頭を下げてくる。そんな信じられない光景を目の前に、俺は凍り付いたように固まった。何を言われているのか理解が追い付かずにぱくぱくと口を開け閉めすること数回、それでも頭を上げてこないイオスの綺麗な金髪を見ているうちに、マグマのような感情が腹の底から湧き上がってくる。怒りじゃない、嫉妬でもない、これは。俺は、嬉しいんだ。

「……そ、んなことないって。多分、ナチねぇには全部必要だったんだよ。俺もあんたもさ、きっと……」

 しどろもどろに言葉を繋ぎながら俺は熱くなる頬を誤魔化すように俯いた。変な勘違いをして落ち込みそうになっていた自分を恥じ入る気持ちと、真っすぐに他人から認められる気恥ずかしさ。それからナチねぇに関することではとびきりタガが外れちまう嬉しさの奔流と、それに混じった頬の焼けるような照れくささ。少なくとも俺はナチねぇの助けになっている。そう認めてくれる他人が、確かにいるんだって自負心がぐるぐると渦を巻いて、胸の鼓動が忙しない。何だかずっと前から欲しくてたまらなかった言葉を思いがけず貰えたような、そんな気がして、その夜は敵を警戒してのせいだけじゃなく中々寝つけずじまいだった。

 

 そして翌朝。さすがに昨晩のことが負担だったんだろう、珍しく起きてこないナチねぇに代わって景気よく朝飯をがっついてるシズクとプニムをぼんやり寝不足の頭で眺めていた矢先だった。

「た、大変ですっ!?ライさんっ!」

 息せきって駆け込んできたポムニットさんの姿を認めるや否や、優雅に朝食を食べ進めていたリシェルやルシアンの表情がさっと険しいものへと変わる。食後のコーヒーを傾けていたルヴァイドたちも異変を感じ取ったのか、食堂に痺れるような緊迫感が張り詰めた。ミント姉ちゃんから貰ってきたばかりの野菜の皮むきをしていた手を止めて、俺は鋭く声を上げる。

「まさか……「紅き手袋」の連中が襲ってきたのか!?」

「お、襲ってきたのは襲って来たんですけど、えっと、そのぉ……」

 歯切れ悪く言葉を迷わせるポムニットさんを不思議に思ったのも束の間、あっと理解が追い付いた俺は言葉を失った。そうだ、ここにはルヴァイドとイオスもいるんだった。顔を見合わせたルシアンと二人、俺たちもまごつき始めたところで唯一動じなかったのはリシェルだった。据わった目をしてびしっとフォークの先をポムニットさんに向け、命じる声には迷いがない。

「こらっ、ポムニット!構わないからはっきり言っちゃいなさい!」

「は、はいぃっ!襲ってきたのは「剣の軍団」の方々なんですよぉーっ!」

 なんだって、と目を見開いた俺とルシアンに今にも泡を吹きそうな勢いでポムニットさんは慌てている。

「よりによって、何もこんな時にこなくてもいいのに……」

「おい、なんだ?何が起きてるんだ?」

 肩を落とすルシアンにきょとんとした顔のイオスが尋ねるが、説明する時間も惜しい。

「あんたたちには関係のないことだから追及しないで」

「ま、俺たちも俺たちで色々とワケありだってことだよ。こういう面倒事には慣れっこさ、ってね。ははは……」

 リシェルと誤魔化し文句を並べていくうち空笑いがこぼれてしまうが、どのみち迷っている暇はない。手早くいつもの武器やサモナイト石を引っ掴んだ俺たちはこぞってドアへと駆け出しながら叫んだ。

「じゃあ、戻ったらまた美味い飯作るから待っててくれよな!」

「急用にて失礼させていただきます!」

 ついさっき野菜を箱ごと運んできたばかりの兄貴もルシアンも一緒になって声を張り上げ、我先にとドアをくぐって駆けていく。その姿に異様な気配を感じたんだろう、イオスが呼び止める声が聞こえたけれどそこは手慣れたものとばかりリシェルがひらりと片手を振った。

「悪いけどお留守番よろしくねーっ!」

 呆気にとられたようなイオスの顔を想像してしまいつつも、俺の足は迷わず地面を蹴りつけている。

「ほあっ!あたぁっ!うぉっちゃあーっ!」

「乱れ撃ちだっ!りゃああーっ!」

 そうして一目散に駆けつけた先、ミント姉ちゃんの農園をぐるりと取り囲むように配置された兵士を相手に、アロエリとセイロンはまさしく八面六臂の奮闘を繰り広げていた。数が違いすぎることは分かっていても、怪我人を匿っている以上は逃げるのも難しい。なら、どうすればいいか?おそらくリビエルとミント姉ちゃんが導き出した結論は、ポムニットさんに俺たちを呼んできてもらって対抗する、と言うことだったのは考えるまでもなかった。

「うははははっ!このまま攻め込んで竜を捉えるのだ!」

「おっさんの思い通りにさせるもんかよっ!」

 高々とした笑い声にその正体を探るまでもなく確信した俺は、ミント姉ちゃんの畑を無残にも踏み荒らしてくれたレンドラーのおっさんの眼前へと躍り出た。

「出おったな、小僧め」

「それはこっちが言いたいセリフだわ。呼びもしないのにわらわらと湧いてきて、めんどくさいからとっととやられて帰ってちょうだい!」

 忌々し気に睨みつけてくるおっさん相手にキレのいいリシェル節が炸裂するが、おっさんはにやりと不敵な笑みに口角を吊り上げた。

「そうはいかんぞ?なぜなら、我が輩が直々に貴様らの相手をしてやるからだ!」

 吠えるような怒号に肌がびりびりと震える。これまでと比べ物にならない圧迫感と威圧感に勝手に震え出す膝を無理やりに抑えつけながら、それでも俺は挑みかかるようにおっさんを睨んだ。

「そら、どうした?ちびったのか?たじろいだのか?」

 なんだ?前に戦った時とはまるで気迫が違う。今度こそは本気なのだと突き付けるような存在感を前にして息苦しささえ覚えるほどだ。下手に動けばあの大斧で真っ二つにされてしまうだろう予感が、いや、確信があった。俺でさえそうなのだから身動きが取れないのは兄貴やルシアンも同じで、じりじりと下がりかける足を踏ん張ろうとするだけで汗が滴り落ちていく。どうする、どうすればいい?奥の手はあるけれど、あれはこんな場面で切っていいものなのか?まったく正解の分からない袋小路に迷い込んだ俺の前で、おっさんの覇気が急に膨れ上がった。

「攻めてこないのなら我が輩からいくぞ!」

 腰だめに構えられた大斧が、渦巻くような風を纏って襲い来る!ぢり、と腕輪が焦げ付くほど強く握りしめた剣を咄嗟に抜き放とうとした俺の前に、大きな影が割り込んだのはその時だった。

「なるほど……これがお前たちの言う事情とやらか」

 ぎちぎちと鍔迫り合いの音を響かせながら、落ち着いた声色が呟いた。おっさんの大斧を受け止める大剣もそれを構える腕もどっしりと根を張っているかのように身じろがず、まるで大樹に守られているような錯覚をする。たった一日、たった十数時間、それだけの付き合いでしかないってのに随分見慣れてしまった背中に、俺は呆然とその名前を呟いた。

「ルヴァイド……」

「部下の命を救ってもらった礼をしよう。この戦い、我らも加勢させてもらう!」

「さあ、ここは任せてお前たちは仲間のところに急げ!」

 疾風のごとく槍を構えて駆けこんできたイオスが鋭く指示を飛ばしながら兵士たちとの間に割り込んでいく。驚きのあまりにルシアンなんて立ち尽くしてしまっているけれど、それを見たおっさんは何故か面白そうに顔を歪めた。

「ほほう、そうか……貴様がルヴァイドか。その名前、はっきりと覚えておるぞ。傀儡戦争で滅びた旧王国の崖城都市、デグレア。その特務部隊である黒の旅団を率いた苛烈なる猛将……黒騎士ルヴァイド!それが貴様だな!?」

「そういう貴様たちの鎧から削り取ってある紋章も旧王国のひとつ、鋼壁都市バラム騎士団のものと見た」

「その名で呼ぶなっ!!今の我らは旧王国の元老院の道具などではない、我らが姫のためだけに忠誠を捧げた剣の軍団だっ!」

 目を細めて淡々とした声を返すルヴァイドに対し、おっさんは激昂したように声を荒げて叫んだ。

「そんな……あの二人が旧王国の騎士なんて」

「自由騎士ってのはうそだったのか!?」

「ウソではない!しかし、我らがかつてそう呼ばれていたのもまた事実なんだ……だから僕たちは今こうして……!」

 旧王国、デグレア、黒騎士。聞きなれない言葉が山ほど出てきたことに首を傾げそうになる俺だけど、ルシアンや兄貴は動揺もあらわに疑念と警戒の声を上げ続けている。イオスも槍を振るいながら切羽詰まった弁明の声を上げているけれど、俺はいつも通りの笑みを浮かべて言い切った。

「別にいいじゃんか、そんなことはさ」

 イオスだけじゃなく、兄貴たちまで呆気にとられたような顔で振り返ってきたけれど。だってそうだ、俺の考えは最初っから何ひとつ変わっちゃいない。

「過去のいきさつなんて知ったこっちゃねーよ。今はただ、味方ってことさえはっきりしてりゃそれでいい。……だろ?」

「あ、ああ……」

 ナチねぇのことで話した時にも告げた言葉だった。過去に何があったかはともかく、問題は今だ。今の立ち位置が確かに味方であるなら文句などないのだと、たじろぐイオスに俺はにっと笑いかける。

「よっしゃ!ならおっさんの相手、暫く頼むぜ!」

 ナチねぇがいない分、俺がしっかり働かなくっちゃな!いつの間にか背中にへばりついていたプニムと足元でぐねぐねと身じろぎするシズクに軽く笑いかけて、俺は握った剣をしっかりと正眼に構え直した。

 

 農園とか菜園とか、俺たちが好き勝手呼んでいるミント姉ちゃんの畑は平坦な場所だけじゃなく、小川や斜面を挟みながら緩やかな勾配を描いている。例によって例のごとくそのうちの高所に陣取ってくれた兵士を睨みつけながら、俺は近くにいたミント姉ちゃんに話しかけた。

「ミント姉ちゃん、多分だけどルヴァイドやイオスに手助けはいらないと思うぜ」

 小川を挟んだ橋向こうでおっさんと一騎打ちの状態になっているルヴァイドには間違いなく、余計な手出しなんていらないはずだ。むしろ俺たちが何かしようとすることで却って邪魔になってしまうかもしれない。イオスにしてもあれだけの長い得物を振り回すんなら下手に近づかず、それぞれに敵を叩いていった方がいいだろう。そんな俺の提案にミント姉ちゃんはうん、と意気込むように頷いた。

「そうだね。ナチさんから預かった子たちもいるし、私たちはこっちで頑張ろっか!」

「あれ、もしかしてその子って……」

 ルシアンが目を丸くして見下ろした先には俺もよく見知った姿がある。と言うか、宿屋から俺の背中にへばりついてきてたからな。そう、ナチねぇが普段連れているシズクにプニムだ。

「ナチさんはお休みだけど、この子たちはやる気満々でライ君に付いてきちゃったんだって。ふふ、シズクちゃんは弓でも銃でも弾いちゃうんだって?」

 ナチねぇがあれだけ頼りにしてるだけあって、やっぱ強かったんだなこいつ……今更ながら感心半ばに見下ろしていると、シズクは意欲十分とばかりにゼリー状の触手で地面を打った。プニムも垂れ下がった腕だか耳だか分からない部分で空を殴りつけている。それでも、敵の兵士に比べれば半分もない大きさだ。気にかけてやらないとな、と思っていた俺は数分後、その考えを撤回した。

「ぷにぃっ!」

 なんて可愛らしい声でプニムが殴りつけた兵士がその場にずるずると沈んでいく。プニムが跳ねるように動くたび、糸が切れたように弓兵も槍兵も崩れ落ちていくのはある種異様な光景だった。プニムの拳には相手を眠らせる力があり、シズクの触手には相手に毒や眩暈を与える力があるらしい。目の前が見えなくなったように闇雲に剣を振り回していた敵が、音もなく近寄ったシズクに一瞬で締め落とされる光景に俺はごくりと固唾を飲んだ。ミント姉ちゃんのオヤカタも俊敏に駆け巡っては敵を打ちのめしているが、気のせいだろうか、ナチねぇやミント姉ちゃんの呼んだ召喚獣の奴らは妙に強いような……?

「やったね、プニムちゃん!シズクちゃん!よーし、私も負けてられないな……!」

 嬉しそうに微笑んだミント姉ちゃんの手では眩しい緑に輝くサモナイト石が熱を帯びていく。ついにおっさんを残すばかりとなった菜園を眺めて、俺は緩やかに首を横に振っている。

 俺たちが剣の軍団の兵士を無力化して少しして、おっさんの喉元にもルヴァイドの構える切っ先が突き付けられるのが見えた。これは勝負あったな。遠目にもそう確信するけれど、鋭利な切っ先が目と鼻の先にあるくせ、おっさんは怖気づいた様子もなく鼻で笑ったらしい。

「さすがは黒騎士、聞きしに勝る剛剣の使い手よ……だが、剣の腕がいかに優れようと道知らぬ君主に仕えるのなら無駄にしかならぬ。だからデグレアは滅びたのだろうよ」

「貴様っ!?」

「やめろイオス、この者の言葉は正しい」

 挑発にしては自嘲も混じるその言葉にイオスが声を荒げて槍に手を掛けるが、ルヴァイドの制止に踏み止まる。悔しそうに唇を噛んで眉根を寄せた顔はどこか苦しげで、何を言えるでもないのに俺が口を開いたところだった。

「だが、ひとつだけ訂正させてもらおう。今、ここにある俺は黒騎士ではない。巡りの大樹自由騎士団の一人、ルヴァイドだ……貴様が剣の軍団を名乗るのと同じく、な」

「……ふっ」

 その言葉に瞠目していたおっさんが少しして目を閉じた。ルヴァイドに告げられた言葉を噛み締めるように黙り込んでいたのは数秒にも満たなかったはずだけど、再び目を開いた時のおっさんはどこか清々しい顔つきに変わっていた。

「……小僧よ!今日のところはこれで引き上げておく!だが、忘れるなよ?次は必ず、竜の子をもらいうけるっ!」

「だからさせねえって言ってるだろ!?」

 かっと目を見開いたかと思えば相変わらずの高笑いを残して去っていくおっさんに、不思議と悔しそうな気配は感じなかった。あえて口に出す奴はいなかったけど、いっそ満足そうな様子だと思っていたのは俺だけじゃなかったに違いない。大怪我をするような奴も出ずに済んで胸を撫で下ろしていると、ルヴァイドとイオスは何か目配せしあって頷いた。それが何を意味したものなのか、疑問に思ったのも束の間、ミント姉ちゃんの家に入ってすぐにそれは判明した。

「アルバよ。やはり、我らは先を急がねばならぬ。お前の足の怪我が治るのを待っているわけにはいかぬ。だからお前はここに置いていく」

「ちょっと待てよ!?それじゃあ一方的すぎるだろ!」

 ルヴァイドに言い渡されたアルバが何も言えずに黙り込んでいるのを見かねて口を挟んじまったが、ルヴァイドは判断を覆すつもりがないらしい。イオスも助け舟を入れることなく部屋の端で静かに立っている。それなら急いで怪我を癒してしまえば、と思いついたのはリビエルも同じだったけれど、それも呆気なくセイロンに否定されてしまう。

「彼は成長期の身体だ。自然治癒させた方が骨もより強くなろう。安易に奇跡に頼れば逆に怪我がクセになるやもしれぬのだ」

「戦士であり続けたいのならば、傷はしっかり治すべきだろうな。耐えるときも必要だ」

 あのアロエリにまで援護射撃をされてしまえば、返す言葉なんて見当たらない。イオス、と呼びかけるルヴァイドの声に諦めきれず顔を上げた俺は、ふと目が合ったルヴァイドが眼差しだけで微笑んだことに気が付いた。

「……だが、我ら二人だけで捌き切れる敵ではなさそうだ。増援を待って情報共有を担う役割も必要となれば、中継地点として先の大道都市タラントにひとまずイオスを置くことにした」

「えっ……」

「アルバ、これを聞いてお前はどう思った?何をすべきだと考える?」

 言葉を失ってしまったのは俺もアルバも同じだったようで、壁から身を離したイオスが唇をかすかに曲げる様子を見つめることしか出来ていない。これがどういうことだか考えてみろ。そう言いたげな視線を受けて、アルバがおずおずと口を開くのが映った。

「今は置いていくって言われたけれど、帰れって言われたワケじゃない……今はちゃんと傷を癒して、ああ、そうか、おいら次第で出来ることは他にもある……そうですよね!」

「……好きにしろ」

「は、はいっ!」

 口元を綻ばせたルヴァイドがドアをくぐって出ていくのを見つめて、アルバが明るい声を上げた。何を思いついたのかは知らないけれど、高ぶる気持ちを堪えるように胸の前で固く拳を握っている。その姿を見れば何にも言えなくなって、そっと部屋を抜け出した俺はルヴァイドを無心で追いかけた。

「お前なら気づいただろうが、時折イオスが様子を見に来る。アルバだけでない、お前たちの助けになるよう言い含めてある。決して遠慮はするな、敵は強大なのだからな」

「ナチねぇのことを気にしてるのは分かるけど、ついでだからってそんな、しなくても……俺たちにまで気を遣わなくたっていいんだぜ?」

 手早く荷物を詰め込んでいくルヴァイドに躊躇いながら声を掛ければ、ふと手を止めたルヴァイドがその表情を和らげた。おもむろに振り返ったルヴァイドの手が持ち上げられて、知らず目をつぶってしまった俺の頭に、ぽん、と大きな手のひらが乗せられる。温かい、大きな手のひらからじんわりと熱が伝わってきて、俺は呆然と目を見張っている。

「そうだな、俺がそうしたいからしているだけだ。ライ、お前が気に負うようなことではない」

 気にするな、と宥めるような優しい響きにじわりと目の奥が熱くなって、俺は慌てて視線を落とした。

 言葉にしなければ伝わらないことがある。たった一言でも投げかけられた言葉で力がみなぎることもあれば深く傷つくことだってある。それほどの力が言葉にはある。アルバにはそういう勇気づけてくれる言葉の力が必要だって思っていたけれど、そうじゃなかったんだと、ついさっき思い知ったばかりだった。誰かの言葉に頼らなくてもアルバは自分で立ち直れる強い心を持っていたし、多分、ルヴァイドはちゃんとそのことを見抜いていた。ずっと旅を続けてきた仲間同士だからこそ、言葉で補わなくても分かりあえる強い結びつきがあったんだろう。そう思っていたのに、俺のことまでこんなふうに見抜かれてるなんて、本当にさ。

「……ナチねぇ、あんたがいなくなったら寂しがるよ。きっとさ」

「大丈夫だ、お前がいればナチはきっと笑えるだろう」

 そんな根拠のない言葉にいよいよ視界が滲み始めるようで、過大評価って奴だって、と俺は切れ切れの笑い声をこぼしている。




俺でなきゃ見逃しちゃうね、っていうの一度はやりたいですよね。やった。
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