タレイアを笑わせる   作:くものい

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7-1:お魚たずねて、秘密基地

7:お魚たずねて、秘密基地

 

「どーもありがとうございましたーっ!」

 昼時の混雑も大分落ち着いた頃、朗らかな声でお客さんを見送ったリシェルが戻ってくるのを待って、俺は食堂の皆へと声を投げ掛けた。

「おーい、今ので昼のお客さんは最後か?」

「うん、そうみたい」

「そんじゃ、洗い物が終わったら俺たちも飯にすっか」

 洗い終わった包丁やまな板を片付けながら言えば、テラス席から外の様子を窺っていたルシアンも残った食器を重ねていたリシェルも、揃って嬉しそうな顔をする。その遣り取りが聞こえたのか、それとも二人の笑みから察したのか、空いたテーブルを拭いていたコーラルも瞳を輝かせていそいそと近寄ってきた。

「今日のメニューはなになになにっ?」

「肉団子とアロットのスープに、半熟卵のせサラダってとこかな」

「やたっ、大好物っ♪」

 うきうきと見るからに浮き立ってはしゃいでいるリシェルに代わって、ルシアンは皆を呼びに行ってくれたらしい。軽やかに遠ざかる背中に釣られてか、そわついた様子でいたコーラルも俺の袖をちょんと引いて主張する。

「僕、セイロンたちを呼んでくる。ナチも……」

 言うが早いがくるりと踵を返して廊下を早足で進んで行く。すっかり手伝いにも慣れた小さな背中を見送って、俺はこっそり笑みこぼしている。

「ごちそうさまでした!」

「はっはっは、今日もまた一段と美味であったぞ」

 皆の手伝いもあって手際よく配膳を終えたプレートがテーブルに並んだのも束の間、和やかな会話と楽しげに食器が擦れ合う音が響くうち、綺麗に空になった皿があちこち現れていた。ナチねぇが一緒に食べれなかったからだろう、少し気落ちした様子でフォークの動きが鈍かったコーラルも、絶品かと、と控えめな声で賛辞の言葉を告げてくる。大袈裟だなと思いつつも悪い気はしなくて頬をかいていた俺は、そっと身体を傾けてコーラルの耳元に囁いた。

「な、コーラル?ナチねぇの分は、後で差し入れに行ってやろうぜ?」

 解読した文献の書類まとめは終わってるけど、どうしてそういう結論になったのかって言う説明、ちょっと横道に逸れての解説や推論のメモをまとめるのに忙しいらしい。キリのいいところまで進めちゃいたいの、と申し訳なさそうに声を落として昼食の誘いを断ったらしいナチねぇだけど、病み上がりなのに根を詰め過ぎなんじゃないだろうか。でもまぁ、調子のいい時に一気に進めちまいたいって気持ちは分からなくもないしな。

「……うん」

 小さく首を縦に振るコーラルの表情は変わらない。けど、そんな起伏の少ない表情や声からでも分かってしまう程度にコーラルはナチねぇに懐いている。竜の姿しか取れなかった時にナチねぇの運ぶバスケットで散々寝ていたからか、今でもよく肩やら膝に頭を預けてうたた寝してるくらいだ。共同墓地での獣皇戦を終えてから前より少し口数の増えたコーラルだけど、自分から話しかけることが多くないのは変わらない。呼び捨てにしてる俺やリシェル、セイロンたち御使い相手だって、毎度の呼びかけで名前を出すってほどでもない。それはナチねぇだって例外じゃないけど、それでもセイロンたちに対するのとは別の甘え方をしてるってことくらい、コイツの親代わりを務める俺からすれば一目瞭然なわけで。

 好きな相手と一緒に飯を食いたいのはもちろん、つい昨日まで調子を崩していた身内が心配でならない気持ちもよく理解出来るしな。そんな思いを手のひらに込めてぐしゃぐしゃと頭を撫でてやっていれば、アロエリとリシェルはまたもや漫才めいた遣り取りを繰り広げていたらしい。食いしん坊がどうのこうのとリシェルが一方的にからかってるようだけど、見回りついでに玄関からひょいと顔を覗かせてきた兄貴にまで楽しげな声が飛んでいく。

「残念だけどお昼はもう品切れよ。アロエリが全部食べちゃったから」

「だ、だからっ!?」

 散々にからかわれちまってアロエリの顔は真っ赤だ。必死になって否定してるけど……やれやれ、他人のお代わりをチェックしてるあたり、食いしん坊なのはリシェルも同じだと思うけどな?まあ、それだけ気に入ってくれてるんなら作り手の俺としちゃ、正直こそばゆいくらいだ。

「それは残念な気もするけどな。用事があるのは俺じゃなくて、彼の方なんだよ」

「ど、どうも……」

 格好の玩具になっているアロエリに少しばかり同情していると、軽く笑って兄貴は一歩身体をずらした。そこから居心地悪そうに顔を覗かせたのはよく知った顔で、向かいの席で茶を啜っていたセイロンまで軽く目を見張る。

「おお、アルバ殿か!」

 あれだけの怪我だったのに、もう歩けるようになったのか!松葉杖を突きながらだけど安定感のある足取りで、思わず感心していればアルバは苦笑交じりに頭をかいた。

「うん、なんとか。まだ杖を突いてなきゃダメなんだけどさ」

「彼が、どうしてもきちんとお前たちに礼を言いたがってな。イオスが来るのを待ってもよかったが、せっかくだから付き添いがてら連れてきてやったのさ」

「律儀だなぁ……そんなのわざわざ気にすることなんかねーのにさ?」

 生真面目なのはイオス譲りなのかと呆れてしまえば、アルバは真面目な顔をして大きく首を横に振った。

「そうはいかないよ!あの時は頭の中がいっぱいいっぱいで感謝の言葉ひとつ満足に言えなかったし……本当にありがとう。おいらに色々と親切にしてくれて」

 そう言って深々と頭を下げるあたり、アルバも随分と真面目な性分らしい。ミント姉ちゃんの家に居候して、現在進行形で身の回りの世話を受けているのも大きいだろうけど……見習いでも騎士だからかな?ルシアンとリシェルも同じく思ったようで、ひそひそ話をしているのに内心相槌を打っていると、セイロンが感心したようにアルバを見た。

「しかし、そなたは肝が据わっておるな。我も含めてこの場には人間ではない者たちがこんなにも揃っておるというのに」

「ああ、そのことか。おいら、小さな頃から色んな世界のひとと暮らしてたからさ」

 慣れてるっていうか気にならなかったんだ、と。あっさり言ってのけたアルバだけど、それってなかなか珍しいんじゃないか?けれど、アルバは気にした様子もなく笑って言葉を続ける。

「うん。それにさ、違う世界の人たちだからって何にも変わらないさ。変に構える必要なんかないって思ってるよ」

 裏表のないその言葉に、リビエルもアロエリも意表を突かれたように黙り込む。セイロンの方は案の定と言うべきか、ただでさえ心証の良かったアルバのことをすっかり気に入ったらしい。

「あっはっはっは!気持ちのいい若者だ、あっぱれであるぞ」

「は、はあ……ども…」

 鷹揚に笑いながら親しげに肩を叩くセイロンだけど、アルバの方はどう反応すればいいのか困ってるような困惑顔だ。だけど、突如割り込んできた剣呑な声にその顔が引き攣った。

「アルバくんっ!グラッドさんっ!」

 珍しく怒気をはらんだ声の主はミント姉ちゃんだった。形のいい眉を吊り上げて見るからに怒ってますといった顔をしたミント姉ちゃんの足元では、オヤカタまで一緒になって両腕を組んでの怒り顔だ。揃って顔を引き攣らせる兄貴とアルバ、不機嫌そのもののミント姉ちゃんを見比べて俺は首を傾げた。

「どうしたんだよ?怖い顔して」

「どうしたもこうしたもありませんっ!お散歩ぐらいだったらしてもいいって私は許可しましたけど、私の家の周りだけって約束だったでしょ!?」

「いや、その……彼がどうしてもここに来たいと……」

「グラッドさん!?」

 ああ、たった一言で完全に押し込められている。たじたじな兄貴に生温い視線を送っていると、アルバが庇うように前に出た。

「無理に頼んだのはおいらなんだよ!ごめんなさい……」

 真摯な訴えに少し勢いが削がれるミント姉ちゃんだったけど、深く息を吐くと真剣な顔をしてアルバを見つめた。

「いい、アルバくん?ストラの助けもあって君の身体は普通よりも順調に回復してるわ。でもね、それは怪我の話で消耗した体力までは戻ってないんだよ?」

 それは俺も知ってる。何もないところから何かを生み出すことは出来ないって話だ。ストラは身体に備わった治癒力を気で増幅してるだけだから、怪我は治っても相応の体力を消耗してしまう。そこで話に入ってきたリビエルが言うには、肉体の不調や欠損さえ回復できる治癒の奇跡にしたってその即効性と引き換えに魂へと負荷を掛けるものなんだとか。だけど……ミント姉ちゃんとリビエルの真に迫った話し振りからして、ようやく俺にも理解出来てきたぞ?騎士を目指してるだけあって目を見張っちまう回復力だなあ、なんて呑気に感心してたけど……アルバの奴、ただ無理してたってことじゃねえかよ!

「無茶するわねぇ」

 あのリシェルにさえしみじみ言われてるようじゃ世話ないぜ。そして実際、無理を押して動いたせいだろう。アルバの額に手を当てたミント姉ちゃんが難しい顔をしたまま眉尻を下げた。

「ほら、やっぱり下がった熱がぶり返してる……私はイオスさんに君のことを頼まれてるし、一日も早く怪我を治してあげたいって思ってる。でも、当の本人である君がそんなふうに自分の身体を蔑ろにしてたら治るのも遅れるばかりなんだよ?」

「あの、そんなに責めないでください、ミントさん。彼は一刻も早く仲間に追いつきたいと願ったわけで」

「気持ちは分かるけど、それなら余計に見過ごせません!」

 ぴしゃりと返された兄貴が項垂れるのを尻目に、とにかく今すぐ横になって休まなきゃ、と引きずるようにアルバを連れ帰っていくミント姉ちゃんの後ろ姿はすぐに見えなくなる。それだけ心配してたんだろうと思いながら、俺は知らず眉根を寄せた。

 それにしても、何事もそうそう都合良くはいかないもんだな。召喚術やストラにしたって別の何かで埋め合わせたり前借りしたりするわけで、便利で楽な力には必ず代償が付き纏う。それでも何とかしてやりたい、力になってやりたいって思うのは止められなくて……今の俺にしてやれることは、一体何があるんだろう?

 そんな胸のモヤモヤを持て余すまま、気づけば頭を捻って考え込んでいるのだった。

 

 剣の軍団の襲撃から早二日。つまり、ルヴァイドとイオスが立ち去ってからもう二日が過ぎていた。

「あいつは何かと不調を隠して動こうとするところがあるからな、頼んだぞ」

 ルヴァイドに数時間遅れる形で出発したイオスは、去り際あれこれアルバに言いつけて、ミント姉ちゃんには頭を下げて、それから俺には改めてナチねぇのことを頼み込んでいった。相変わらずの生真面目ぶりに心配性まで加わったような仰々しさだったけど、真剣な表情を浮かべるイオスに負けず劣らずの顔をして大きく頷き返したのは記憶に新しい。なにせ、中々起きてこないと思ったナチねぇは熱を出していたのだ。

「ごめんね、ライ君。情けない姿ばかり見せちゃって……」

 イオスたちとの再会を心から喜んでいたナチねぇだけど、それは結果論でしかない。どう思われるか、何を言われるか、過去の恐怖と今の不安で散々緊張していた心が一気に緩んだせいで、その帳尻を合わせるようにバランスを崩した身体が熱を出したのだ。身体を起こしてるのも辛いようでベッドに横たわったまま苦しげに目を伏せるナチねぇだったけど、そんなの謝るようなことじゃない。少しでも消化のいい物を、と大慌てで作ったパン粥をベッドサイドの机に置いて、俺はわざと軽く笑ってみせた。

「あれだけ気を張ってたんだ、仕方ないって。それにむしろ、こっちの方がお礼を言わなきゃ。そんだけ言いづらいことだったろうに、あの時、俺にも話を聞かせてくれてありがとな?」

 魔力の流れは繊細なんだってリシェルからも口を酸っぱくして言われてる。術者の精神状態が大きく反映されるものだから、例えば深手を負っていたり、そうでなくても心が乱れていれば、それだけで魔力の流れはずっと不安定になる。動揺したままじゃ上手く魔力を練り上げられないし、怒りに飲まれていれば出力を誤ってサモナイト石ごと壊しかねないって具合にだ。あの時託されたプニムとシズクはせめての埋め合わせのつもりだったらしいけど、俺だってそこまで子供じゃないんだ、毎度おんぶに抱っこじゃ立つ瀬がない。ちょっと寄り掛かられたくらいで倒れる俺じゃないぜ、とカッコつけて笑ってやれば、ナチねぇはふっと表情を緩めた。

「ライ君ったら……何だか色々とお世話になっちゃってごめんね。それと、本当にありがとう」

 その言葉だけで十分だってのに、見舞いに部屋を訪れたセイロンたちにもわざわざ詫びを入れていたあたり、本当気にしすぎなんだよな。それだけ我らの事情に真摯に向き合ってくれているのだろうよ、なんてセイロンはしたり顔で言ってたけど俺としては釈然としないものがある。そんなこんなで朝っぱらから怒涛の展開が続いたおかげで久々に夢で会えた友達、エニシア相手にもイマイチ元気な顔を見せられなかったけど、良いこともそれなりにあった。心配して傍にぴったりくっついてたコーラルのついでを装いつつも、リビエルやアロエリも、寝込んだナチねぇのことを随分気遣ってくれたのだ。

「リビエルちゃん、もしこれが風邪だったら移るといけないし……私のことは大丈夫ですから……」

「見くびらないで下さいます?貴方のそれが心因性の物だってくらい私にも分かりますわ。話相手をするのだってただの休憩の一環ですし、余計な気を回さないで欲しいんですけど!」

 照れ隠しも入ってつっけんどんな言い方だったけど、廊下からこっそり覗いていた俺の目には赤く染まったリビエルの耳もそれを見上げるコーラルの口元がほのかに綻んでいるのもよく見えた。アロエリの方はもっと不器用な言い方だったけど、それでも弱った相手を労わろうとする姿勢が伝わったんだろう、ナチねぇとの遣り取りは想像していたよりずっと和やかなものだった。ともあれ、俺の大切な身内のナチねぇが俺の知らないところでも皆と仲良くしていたり大事にされているっていうのは、何だか胸がむずがゆくなるくらい、嬉しくてたまらないことだった。

 そうして今朝からやっと起き上がれるようになったナチねぇは、隠すようなことでもないし情報共有ということで、と御使いたちも揃った朝食の席でルヴァイドたちと仲間だった頃の話をしてくれた。傀儡戦争と呼ばれているおよそ五年前に起きた悪魔の大規模侵攻、それに旧王国デグレアや黒騎士のことを絡めてざっくり搔い摘みながらの語り口が穏やかだったこともあって、途中からは茶飲み話みたいな雰囲気になっちまったけど、俺もコーラルも真剣な顔をして耳を傾けた。トレイユは幸い直接の被害は受けなかったけど、一時的に治安が乱れて影響が出たのは覚えている。ここにリシェルたちもいれば当時のテイラーさんの奮闘ぶりも聞けただろうけど、と何となしに連想したところで、不意にナチねぇが表情を曇らせた。

「それとね。イオス君はわざと言わなかったみたいだけど……本当は、私も……」

「ちょ、ちょっと待った、ストップ!ナチねぇの話を色々聞きたいって言ったのは俺だけどさ、そんな無理に話して欲しいわけじゃないって!」

 言いにくそうに口ごもったナチねぇが意を決したように目をつぶって息を吐き、口を開こうとする。その直前で押し留めた俺の隣ではコーラルも何か言おうと口を開けたところだったみたいで、言葉を切ったナチねぇに大きく安堵の溜め息を吐きながら俺はゆっくりと顔を上げた。

「セイロンたちも、いいよな?コーラルの問題に直接関わる話でもないんだし、ナチねぇが言いたくないのを無理に聞き出すようなのは俺が嫌だからさ」

「勿論だとも。むしろ、こちらの話を伏せたままだと言うのにここまで事情を詳らかにしてくれたこと、礼を言わねばなるまいよ」

 鷹揚に笑って承諾してくれたセイロンへと感謝を込めた視線を投げて、困ったように眉尻を下げているナチねぇを振り返る。ルヴァイドやイオスだけじゃない、ナチねぇにもまだ何か隠し事があるのは察しがついていた。けど、あのイオスがわざと説明をぼやかしたのなら今は深く突っ込むべきじゃないだろう。少なくとも、ナチねぇから自分から話してくれるのを待つくらいの甲斐性はあるつもりだ。

「こう見えて待つのは苦手じゃないしさ?」

 そのうちミニスに聞いてみるか、と算段を付けながら安心させるような笑みを浮かべてみせたあたり、俺も少しは腹芸が上手くなってきたのかもな?

 だけどやっぱり、それで大人しく引き下がってくれるナチねぇじゃなかったらしい。

「せっかく呼びに来てくれたのに、さっきはごめんねコーラルちゃん。それにライ君も」

 部屋にこもっていたナチねぇが階段を降りてきたのは昼を過ぎて暫くの頃だった。どうやらオマケの方も少しは見通しが付いたらしく、段差を滑るように降りてくるシズクも気が抜けたように伸びきっている。ちょっと前までは昼時のランチタイム、夜のディナータイムしか店を開けてなかったけれど、最近じゃ食材の余り具合や体力気力の余裕を見ながらカフェタイムなんてのもやっていた。メニューは軽食や甘味、飲み物だけに限ってあるからそんなに気負うこともないし、そもそも滅多にお客さんの来ない時間帯。この日のお客さんも片手の指に満たないくらいで、コーラルに野菜の皮むきを教えながらそろそろ差入れの準備を考えていた俺だったけど、急いで包丁を握り直したことは言うまでもない。

「どうぞ。微力ながら貢献……実は結構、緊張」

「わぁ、おいしそう。ライ君とコーラルちゃんの合作なんて、何だか食べるのが勿体なくなっちゃうなぁ」

 細切りにしたパリパリ芋のガレットに歯触りのいい茎菜のサラダを添えた一皿が出来上がると、すぐさまコーラルの手によってナチねぇの座るカウンター席へと運ばれていく。最後の一人だったお客さんも会計を終えて帰って行ったことに内心感謝を抱きつつ、俺はにこにこと笑うナチねぇへと目をやった。本当に嬉しそうな笑みを浮かべているナチねぇだけど、疲れているはずなのに普段より明るい表情、弾んだ声色というのもそれはそれで注意予報なのだ。それとなく水を向けてみれば案の定、フォークを運んでいた手を止めて、ナチねぇは躊躇いがちに口を開いた。

「ねぇ、ライ君。何か、私に出来ることってないかな?皆にも色々してもらってばかりで、宿屋のお手伝いも何も出来なかったし……」

 どうやら急ぎの仕事が一息ついたことで思考がそっちに戻ってしまったらしい。居た堪れないと言うよりは据わりが悪そうな様子でごにょごにょと言うナチねぇに、思わずコーラルと顔を見合わせてしまった俺は間髪入れずに返した。

「いやいや、十分頼らせてもらってるって!ていうかナチねぇ、何も出来なかったって言うけど色々相談に乗ってくれただろ?グルメ爺さんの課題に、メニュー表の更新内容、野菜のフルコースのことだって」

「実際、気にすることはない……かと」

 うんうん大きく頷くコーラルと一緒になって否定を返しちまったけど、本当にまったくこれっぽっちも気にするようなことじゃない。洗濯したシーツの取り込みやベッドメイク、野菜の皮むきやら下拵えまで全部一人でやってた時ならそりゃキツかっただろうけど、今は手が空いていればセイロンたちも手伝ってくれるし、時間にも心にも前とは比べ物にならないくらい余裕がある。おかげでメニュー表の更新だとか新メニューの考案だとかの贅沢な悩みを持て余すようになったわけで、その悩みだっていつも楽しそうに話を聞いてくれるナチねぇがあれこれ助言をくれたから出口が見えてきたところだった。

「うーん、ライ君はどんな雰囲気のお店を作っていきたいのかな?」

 昨日、宿屋をもっと盛り上げるためには看板娘がどうこうと提案してくれたリシェルに丁重な断りを返した話をぼやき交じりに語った俺へと、ナチねぇは目を細めてどこか楽しげに声を転がした。ベッドから背中を起こして肩には薄手のカーディガンを掛けて、熱心に相槌を打っていたナチねぇの瞳と言葉に促されるまま頭に浮かび上がってきたのは、リシェルとの遣り取りで当然のように返した言葉だった。

 俺はやっぱり、今の雰囲気を大事にしたいんだよな。

 町外れにある宿屋まで食堂を利用するためだけに足を運んでくれるひとはそう多くない。常連さんは若いひとからお年寄りまで幅広いけど、どれも馴染みの顔ばかりで新規客なんて滅多にない。料理の味自体はそこそこ評判みたいだけど、ただでさえ色んな飲食店の立ち並ぶ町中からわざわざ足を延ばしてまでウチに来るような物好きはそうそういないわけで、それなら一人でも多くのお客を引っ張ってくることが大事であり、そのためには看板娘が必要というのがリシェルの展開した持論だった。確かに一理あると途中までは頷きながら聞き入っていた俺だけど、そういうので釣られてくる奴らが増えれば店の雰囲気はどうなるだろう?個人的にそういった客引きの仕方が好きじゃないってのもあるが、そうやって身内を見世物にして店が繁盛したところで俺は満足出来るんだろうか?そういうふうに考えれば、悩むまでもなく答えは否、だった。

 俺はこの宿をきちんと切り盛りして、じいさんになるまで真っ当に生きていきたい。そのために店を繁盛させたい気持ちはあるけれど、それはちゃんとナチねぇに胸を張れるような、俺自身の実力で叶えたいものだ。

 改めて自分が大事にしたいもの、目指したい店の雰囲気を自覚した途端、色々なことがすとんと腑に落ちた。なら、メニュー表のことだって同じだ。常連さんたちが好きそうなもの、新規の客を呼び込めそうなもの、落ち着いた雰囲気を守りながらも新鮮な驚きや楽しさを所々に感じられるもの。どんなメニューがあれば理想の店の雰囲気に近づいていくのか、思い描いた賑わいの形が見えてくるのか。食材の仕入れ易さや料理の手間、コスト単価だとかを考えるのも大事なことだけど、一番重心を置くべきところはきっとそこになる。それこそ目の前が一気に晴れたような気さえしたってのに、当のナチねぇはその自覚も無かったらしい。

「だって、何もご褒美出来てないんだもん」

 だもん、と皆の前ではしないような子供っぽい喋り方をしてまで不満を訴えてくるナチねぇに顔が笑ってしまいそうになるのを堪えて、俺はもっともらしく真面目ぶって返した。

「それはそれでちゃんと考えてるって。だからさ、貸し借りだとかの水臭い考えはしないでくれよな?それに新メニューとか野菜のフルコースとか、まだまだ相談させてもらうつもりだし」

 元々俺には少し砕けた喋り方をするナチねぇだけど、今は俺とコーラルしかいないから本当に気が抜けてるんだろう。まるで甘えてるような態度に気分が浮つきそうになるのを必死に押し留めて、軽い苦笑に肩を竦めてみせる。実際、野菜のフルコースはまだダイコンやクレソンを活かすこと以外決まってないし、メニュー表を新しくするなら完全な新作メニューのひとつくらいは盛り込みたい。課題ついでにグルメ爺さんにも相談させてもらってるけど、俺にとって一番頼りになるのはナチねぇの意見だってことに変わりはないしな。

「そうそう、この後グルメ爺さんのとこに顔出さなきゃなんねーからさ、ナチねぇのこと頼んだぜ?」

「任務了解。適宜な休憩……病み上がりでなくても、大切だよ?」

「うっ、それを言われると返す言葉もありません……」

 コーラルにじっと見つめられたナチねぇが片手で胸を抑えて居た堪れないとばかりの呻きをこぼす。そんな二人のじゃれ合いを微笑ましく眺めながらエプロンを脱いだ俺は、カウンター席に置きっぱなしだったメニュー表を手に取りながらグルメ爺さんのことを考えた。

 そもそもグルメ爺さんってのは、コーラルが人間の姿を取れるようになった頃に知り合った不思議なじいさんのことだ。料理への造詣が異様に深い爺さんで、作った料理にいきなりダメ出しされて納得出来ずに食って掛かったことを切っ掛けに、今じゃ料理の技術を教わったり知識を学ばせてもらったりする関係になっている。その卓越した技術や知識を尊敬した俺が勝手にグルメ爺さんと呼び出したんだけど、この爺さん、習熟度の確認だとか言って突然課題を出してきたりとかなりのスパルタなんだよな。おかげで毎度毎度、散々に頭を悩ませて課題に合った料理を作っているんだけど、これが中々料理人としてのプライドをくすぐるものばかりで結構な刺激になっている。何だかすっかり手のひらで踊らされてる気がしないでもないけれど……メキメキと料理の腕が上がっていくのを実感できることもあって、今じゃグルメ爺さんと料理をする時間が待ち遠しくてならなかった。

「にしても、手軽なサンライトエッグにグリーンサラダ、人気の定番なモリモリプレートやペラペラピッツァはそのまま続投として、今度はちょっと工夫を凝らしたメニューも盛り込んでみたいんだよな。ピーク時のことを考えるとあまり手の込んだものは厳しいけど、あくまで事前の仕込みに時間が掛かるもの……大地の恵みスープとか安らぎポタージュ、冬の淡雪グラタンあたりなら追加してもイケるかなって。前にも日替わりメニューで出した時に好評だったしさ。まあ、それを考えるとやっぱり今回も何か、完全な新作メニューは欲しいんだけど……」

 選び抜いた食材を惜しみなく使って、あらゆる工夫と知恵、技巧を凝らした最高の料理をお客さんに提供出来るならそれに越したことはないが、現実問題、それは無理だ。一品あたりに掛けられる手間や時間、食材や費用のバランスの中で最大限に美味しい物を作って提供しようとするとこれが中々難しくって、むむむ、と唸りをこぼしつつメニューを眺めるうちに眉間のシワが寄っていく。

 作り置きするんなら完熟果実のプリンは出せるな。熟した果物はあまり日持ちしないし数量限定が前提として、だとすると他にも甘味はあった方がいいかも……でもスノーフローズンはまだ出したことないし、いきなり量を仕込むには不安があるような、と指折りぶつぶつ呟いていた俺を見てナチねぇが笑う。

「それならお客さんの反応を見て決めるのはどうかな?日替わりメニューに添えるプチデザートにすればそこまで量もいらないし、短期間で何種類か試すことも出来るよ」

「おっ、いいなそれ!そのやり方でちょっとお客さんの様子を見てみるよ」

 その時は試食も頼むぜ、と笑いかければ、楽しみ、とコーラルが分かりやすく喜色を滲ませた声を弾ませる。何度も試行錯誤や研究を繰り返して編み出したとっておきのメニューがどれだけお客さんに受け入れてもらえるか、喜んで貰えるものになるのか。想像するだけでワクワクと胸が弾んでしまう。期待も不安もどっちもあるけれど、期待の方がずっと大きい胸の内の理由はもちろん分かっていた。

「前よりずっと作れるお料理も増えたもんね。気になるメニューが選り取り見取りで、何を注文しようか、お客さんもきっと迷っちゃうかも?」

 そうだ、少しずつでも俺だってちゃんと成長しているのだ。顔を綻ばせながらのナチねぇの言葉に気恥ずかしさの混じった誇らしい気持ちになりながら、俺は鼻の下をこすってみせた。

 

 そう、ナチねぇの具合に気を配りつつも、この二日間だって何もせずに過ごしたわけじゃなかった。

 普段から宿屋業務に奔走してるのは否定しないけど、料理のことであれこれ試行錯誤していた他にもテイラーさんの屋敷に足を運んだり、クラウレのことを聞き込んだり、実のある時間を過ごしていたのだ。

「あら。ライさんじゃないですか。どうですか、ナチさんの具合は?」

 テイラーさんからの呼び出しや店の定期報告以外にも屋敷まで出かけることは意外とある。リシェルやルシアンを呼びに行く時だとか、急な出費があって相談したい時、それに仕事の関係でテイラーさんを訪れたナチねぇのことを迎えに行く時だとかだ。俺が店主を任されている宿屋、忘れ時の面影亭のオーナーであるテイラーさんのお屋敷までは殆ど一本道で、溜め池から続く道を下っていけばすぐに燦然と輝く屋敷の屋根が見えてくる。目をつぶってたって行けるほど通い慣れた道を歩いていた俺は、鼻歌交じりに正門前の掃き掃除に励んでいるポムニットさんの姿を見つけてふと足を止めた。リシェルと一緒の時はすっかりそんなこと忘れちまってるけど、こうして見るとやっぱり、ポムニットさんの本職ってメイドさんなんだよな。

「ん、ああ?おかげさまで大分良くなってきたみたいぜ。コーラルも看病に張り切っててさ、知恵熱みたいなもんだからってナチねぇの方は遠慮気味だけど……それにしても、こうして見てるとポムニットさんってやっぱりメイドさんなんだな」

 その仕事ぶりにまじまじと見入るあまり、うっかり聞き逃しそうになって慌てて返した俺だったけど。思いつくままを口にしたせいか、ポムニットさんの目尻がきゅっと不満げに吊り上がる。

「むむむ、聞き捨てなりませんね?それじゃ一体、普段の私めはメイド以外の何に見えるとおっしゃるのですか?」

「それは……リシェルの保護者?」

 これはマズかったかと一瞬我に返るものの、ここで誤魔化すのも悪手だろう。腕組みをして首を傾げながら浮かんだそれを口に出すと、ポムニットさんは眉を八の字に下げて微妙な顔をした。

「まあ……確かに教育係ではあるわけですけど。だからって別にそれだけが仕事ってわけじゃないんです!」

 訴えかけるように声を尖らせるポムニットさんに、悪かったって、と苦笑交じりに謝り倒したものだ。しかし、よく考えてみればポムニットさんも物凄い仕事量をこなしてることになるよな……それこそ脱帽するような思いになったのを暫くしてからルシアンに語れば、その顔が誇らしさと嬉しさの重なった笑みに緩むのはすぐだった。

「うん、そうなんだ。自分から言わないだけでポムニットさんもとっても凄いひとなんだよ?ライさんもアルバさんもそうだけど、僕の周りにいるひとは皆、凄いひとたちばかりだなぁ」

「ああ、アルバの奴はちっとばかり張り切り過ぎにも思えるけどな?」

「寝てばかりじゃ怪我が治っても体力が落ちて追いつくことが難しくなるからって、気にしてるみたい。少し話してみたけど、僕とは随分違うなぁって感心しちゃったよ」

 はっきりした目標に向かって頑張ってるのって格好いいよね、としみじみ感じ入ったように呟くルシアンだけど、おいおい……お前にだって目標がないわけじゃないだろ?消耗品の補充ついでに噂話を聞きこもうと、溜め池前で会ったルシアンと一緒に町中へと向かっていた足を止めて突っ込んじまえば、照れたように頬をかきながらルシアンは目を伏せた。

「あはは、そうなんだけどね。……誰かを守れるように、助けるために強くなりたい。やっぱり僕はそういう自分になりたいんだなって、最近のアルバさんやナチさんのことを見てたらますます思っちゃって」

 その言葉に、ルシアンがナチねぇのことを心配してくれていたことに今更のように気づいた。初めてルヴァイドやイオスと顔を合わせた時のナチねぇはひどく怖がってるようだったけど、ルシアンは宿屋でやった事情聴取の場にも居合わせたんだもんな。たった数日前のことを遠い昔のように振り返っている間にも、ルシアンの視線は足元深くに俯いていく。

「だけどまだまだ、ナチさんにも召喚獣の子にも助けられてばっかりで……」

 力不足を恥じ入るように小さく呟くルシアンだけど、それを言っちまえば俺だって同じだ。シズクにもプニムにも、ムカつくけどガゼルの奴にだって普段から助けてもらってばかりだもんな。それでも、何も返してやれないなんてことはないはずだ。日常でも戦闘でも何かと助けてくれるアイツらに、差し当たって俺が出来ることと言えば……

「そうだな……それじゃあ、シズクやオヤカタたちには普段の感謝を込めて、召喚獣向けの料理でも作ってみようかね?」

「えっ。そんなこと出来るの……って、ああ!そういえば確かに父さんも召喚獣向けのフードを持ってたかも」

 目を丸くしてから納得したようにこぼすルシアンだけど、そのテイラーさんから貰った空き缶もあることだしな。前にミント姉ちゃんから聞いた召喚獣用のおやつを参考にすれば、そこそこ悪くない線を狙えそうな気がする。味の好みもあるだろうし、チョコみたいに甘い味だけじゃなく苦いのだとかも作ってみるべきか。浮かんだアイディアを思いつくまま声に出していけば、顔を明るくさせてうんうん大きく相槌を打っていたルシアンが破顔した。

「やっぱり流石だね、ライさんは。でもそうだよね、出来ないことばかり考えるんじゃなくって、少しずつでも僕たちに出来ることを増やしていかなきゃ」

「そうそう、その意気だって。料理を作るのに必要な材料集めだとかは、お前にも手伝ってもらうつもりだったしな?」

「それはもちろん!……だけど、もしかしてライさんも何か、気になることでもあるの?何だか浮かない顔をしてるように見えるけど……?」

 にやりと口角を持ち上げて笑ってみせれば明るい笑みを浮かべたルシアンだったけど、不思議そうに首を傾げながらの言葉に今度は俺が言葉に詰まった。うっ、さすがは幼馴染だけあって鋭いな……ルシアンが打ち明けてくれたような引け目、負い目の話とは毛色が変わってくることもあって口に出すのを躊躇っていれば、向けられる眼差しがいよいよ心配の色を濃くしていく。

「話したくないならそれでもいいけど……誰かに話すと少しは気が楽になると思うし、僕でよければいくらでも相談に乗るからね?」

 優しい声色で励ますような微笑みを浮かべるルシアンだけど、うう、これは何か完全に誤解されちまってる気がする。単に気恥ずかしくって話すのを躊躇っていただけなのに、いつの間にかすっかり重く受け止められてしまっているようだ。ここで言わないと誤解されたままになるよな、これは……仕方なしに観念した俺は、迷いながら口を開いた。

「いや、本当に大した話じゃないんだけどさ?……ルヴァイドたちとの件で色々あってナチねぇの昔の話を聞かせてもらったんだけど、なんつーか……俺ばっかナチねぇの過去を知るのはフェアじゃない気がしてさ。どうにも据わりが悪いっつーか、ムズムズするっつーか……かと言っていきなり自分の昔話をするなんてのも変だろ?」

 俺が勝手に気にしてるだけなんだけどさ、と、ここ数日胸の端っこに引っ掛かっていた情けないモヤモヤを白状した俺に、そうだったんだね、とルシアンは優しい声色で頷いた。

「でも、それならきっと大丈夫だよ。昔のライさんの話なら前に話したこともあるし」

「……えっ?」

「……あっ」

 前に、話したことがある?昔の俺の話を、ナチねぇに話した?

 思いもしなかった言葉にぽかんと目を見張って声をこぼした俺に、しまったとばかりルシアンは口を閉ざした。その顔色が見る見るうちに悪くなっていくのを眺めながら、たった今告げられたばかりの言葉を頭の中で反芻する。昔の俺の話を、ナチねぇに話した。それは一体、どれくらい前の話なんだろう。クソ親父に置いていかれてすぐの頃か、リシェルたちと悪ガキらしくトレイユの町を駆け回っていた頃か、それともひょっとして、ナチねぇと出会う少し前の頃なのか……

 一体いつの話をしたかは知らないが、と速やかに結論を叩き出した俺はにっこりと口角を引き上げて、いつの間にか動きを止めていた足先をルシアンへと向け直した。じり、とルシアンの足が一歩後ずさる。

「ルシアン……とっとと吐いた方が身のためだぞ……?」

「なんでそんな悪役顔!?わーっ、黙秘!黙秘しますっ!」

「こらっ!逃げるな、ルシアンっ!?」

 叫ぶや否や脱兎の勢いで逃げ出したルシアンを躍起になって追いかけたものの、結局、ナチねぇに話した内容を聞き出せなかったのが悔やまれる。一体何を話したのか今も気になってならないけど、ルシアンも何だかんだで口が固いからなぁ……その後の聞き込みでも目立った収穫はなく、クラウレの手がかりも掴めず仕舞いだったけど、それでも収支がとんとんどころか大きく黒字になった一日だったのは確かだろう。なにせその帰りに寄ったシャオメイの店で、人目に付かない最高の鍛錬場所なんてのを知ることが出来たんだからな。

「ねぇ、お兄さまって確か、宿屋さんをしてるんだよね?でもその割にさ……なーんか傷だらけじゃない?」

 雑談ついでに運試しのスクラッチを削っていた時だった。不思議そうに俺の手元を見ていたシャオメイから不意打ちの一言が飛んできて、うっかり言葉に詰まってしまえば眼鏡の奥の瞳がきらんと輝いて。

「お兄さまとシャオメイの仲じゃないのよ?隠し事されてるとシャオメイ……すごく悲しくて泣いちゃう……っ」

 うるりと瞳を潤ませながら声を震わせる仕草はどこかわざとらしかったものの、自分より小さい子を泣かせているような状況に大慌てになってしまった時点で勝敗は決まっていたんだろう。呆気なく事情を話すことになった俺だったけど、驚くでも疑うでもなく、淡々と納得したように相槌を打ったシャオメイは目を細めて呟いた。

「なるほどねぇ……どうやらそれがお兄さまの持つ星の行く末を左右する最大の転機みたいね。こうして私に出会ったこともまたきっと必然だったワケか」

 その意味を尋ねようと口を開きかけた俺だったけど、シャオメイが続けた言葉にそんな疑問もすっ飛んでいる。

「それよりも。もしお兄さまが今よりも強くなりたいなら、とっときの方法、教えてあげてもいいよ?」

「そんな方法があるのか!?」

 美味い話には裏があるって言うけれど、考えるより早く目の色を変えて飛びついてしまった俺をどう思ったのか。すっと真剣な目をしたシャオメイは俺を見つめて、静かな声で告げた。

「うん……だけど簡単なことじゃないわ。それなりの苦労は覚悟してもらう必要があるけど」

 どうする、と問い掛けてくる眼差しは底知れない深みがあって、背筋がぞわつくような緊張と畏怖に呑まれかけそうになったけど。そんな弱気ごと振り切るように大きく顔を振り上げて言い切った。

「構うもんかよ、どんな苦労だって耐えてみせるさ。俺は……コーラルやナチねぇを、皆のことを守れるように、もっと強くならなくちゃいけないんだ!」

 どんなことでも一長一短、リスクのひとつもなしに得るものなんてない。どれだけ大変でも辛くても、それに見合うものを得ることが出来るって分かっているだけ上等だ。思わず椅子から立ち上がって啖呵を切るように声を張っていた俺に、シャオメイはどこか満足そうに目を細めて頷いたのだった。

「悠久の輝きを秘めし時の龍玉よ……我が呼びかけに応え至源の力をしばし貸し与え給え……四界天輪、陰陽太極……龍命祈願、自在解門……星の巡りよ、克己を望む者たちに果てなき試練の門を開き給え……王命に於いて疾く為したまえ!」

 じゃあ今すぐここにお仲間を連れてきて、そしたらその方法を教えてあげるから、と言われるままに皆を集めて戻ってくれば、目を疑うような驚きの展開が待っていた。論より証拠、まずは門を開いてあげると背中を見せたシャオメイが何やら粛々と唱え出すと同時、信じられないくらい清涼で膨大な魔力が場に渦巻いていき。次に気づいた時はもう、そこは店の中じゃなかった。目の前に広がるのは紅色を基調に様々な文様が描かれた店の奥から、俺の腰ほどもある高さの大階段が壁のようにそびえたつ光景へと変わり、どこまでも続くような階段のはるか上方には厳かな威容の巨大な門が閉まっている。

「これが……無限回廊の入り口ってわけか……」

 無限回廊。それは現実世界とは違う空間に設けられた試練場、様々な異界の存在と戦って勝ち抜いていくことで何倍にも自分の力を高められる場所。

 シャオメイから事前にその説明は受けていたものの、どこかで拭い切れずにいた疑いがチリひとつ残さず吹き飛んでしまったような衝撃に俺は唖然と呟いた。いきなりの話だったから都合がついたのはセイロンやリビエルたち御使い組と、たまたま遊びに来ていたリシェルにルシアンくらいだったけど、その表情はどれも唖然呆然、声の出し方さえ忘れちまってる驚きようだ。そんな俺たちの反応を気にした様子もなく、ふぅ、と息を吐いて額を拭ったシャオメイはにっこりと可愛らしい笑みを浮かべて振り返った。

「奥へ進めば進むほど敵も強くなっていくわ。ここでは時間の流れも緩やかだけど、戦闘での疲労は着実に溜まっていく……くれぐれも無茶をしちゃダメなんだからね?」

「すごい……深く、感謝」

 深々と頭を下げるコーラルの声には、寝込んでるナチねぇから離れるのを心配して最後まで渋っていたのが嘘みたいな感謝が滲んでいる。だけど、現金なもんだとそれを笑う気にはならなかった。この場所なら軍団の奴らの目や宿屋の仕事を気にすることなく鍛錬に励むことが出来る。この時はあくまで試しに一戦交わしただけだったけど、考えなしに剣を振るってちゃすぐにやられちまうような難敵揃いだって身に染みて分かったこともあり、期待以上の修練場所を見つけた興奮に誰もが沸き立っていたのは気のせいじゃなかったはずだ。

 どうにか暇を作って、ここで鍛錬を積もう。各々の力量を高めて行こう。

 そんな結論を導き出すまで大した時間は掛からず、セイロンたちからも異論のひとつも出ることなく、その日は俺たちにとって最高の実力試しの場が見つかった、最良の一日になったのだ。

 

 そんなふうにここ数日のことを振り返りながら地面を蹴っていると、あっという間に大通りに着いてしまった。グルメ爺さんの家へと続く路地は広々として道脇の花壇もいつも華やか、割合生活にゆとりのあるひとが住んでいる区画だ。緩やかな坂道へと踏み込めばすぐ家が見えてくるけれど、そこで俺ははたと足を止めた。

「おっと、これじゃ約束の時間にはまだ早いか?兄貴のところで少し時間でも潰して……って、のわぁぁっ!?」

 遅刻厳禁、少し早めに到着するくらいが丁度いいとは思うけど、少し駆け足が過ぎたようだ。駐在所かシャオメイの店にでも顔を出そうかと振り返ろうとして、突如背中にぶつかってきた衝撃に俺は勢いよくひっくり返った。

「うわわわっ!?だいじょうぶ……じゃないよね?」

「大丈夫なワケないだろっ!いてててっ……」

 寸前で受け身を取りはしたものの、背中から腰にかけて響いた衝撃は凄まじいものがあった。どうやら幸い、大した怪我は負わずに済んだようだけど……いきなり後ろからぶつかってくるなんて一体どこを見てたんだ!?

 そう、怒鳴りつけるつもりで顔を上げたものの、本当に申し訳無さそうに垂れ下がる青い耳と尻尾を生やした女の子を前に思わず言葉を見失っちまう。召喚獣……いや、はぐれか?慌てふためきながら頭を下げているそいつは確か亜人って奴で、アロエリと同じメイトルパの住人なはずだ。前は獣人との違いがよく分かっていなかったけど、確か悪魔の影響を受けて変容しちまった亜人のことを獣人って呼ぶんだったか……そんな受け売りの知識を思い返しつつ、俺はしげしげとそいつを眺めた。

 でも、なんだってこんなところにいるんだ?

 訝しげな視線に気づいてかどうか、うん?と不思議そうな顔をしたそいつが顔を近づけて鼻を引くつかせる。いきなり匂いを嗅がれていい気がするはずもなく、止めてくれよ、と後退りしながら軽く睨んでやれば、そいつはワタワタと手を動かした。

「わわっ!?ご、ごめんね、気のせいかもだけど、知ってる匂いな気がして……本っ当にごめんね。ユエル、探し物をしていたから。前を見ていなくてぶつかっちゃったの」

「……まあ、わざとじゃないんだったら別にいいけどさ。一体何を探してたんだよ?」

「紙っきれだよ。とっても大事なものなの。見つからないとユエル、お使いが出来なくて困るの」

 主人の言いつけで買い物でもしてたってことか。しょんぼりと声を落とすユエルにどこで落としたか心当たりはないのか尋ねるも、力なく首を横に振ってますます深く項垂れてしまう。

「それじゃあ探すのは無茶ってもんだぞ。いったん戻ってお使いの内容を聞く方が早いって」

「それは……そうだけど……」

 しょぼくれたその様子に俺は失言を悟った。そりゃそうだよな、失敗がバレたら主人に叱られちまうもんな……

「叱られるのが嫌なら付いて行ってやろうか?」

「い、いいよ!迷惑かけちゃうし!ほんとにごめんねっ!バイバイッ!」

 もし町外れの農場主だとかが主人だと面倒なことになりそうだけど、ここで見捨てるのも後味が悪い。逡巡しつつも提案した俺に、なぜだかユエルは弾かれたように耳を逆立てて駆け出した。呆気に取られる俺を置き去りにその背中はぐんぐん小さくなっていく。俺、そんなおかしなこと言ったっけ……?まるで疾風のように去っていく背中をぽかんと見送って、俺は呆然とその場に立ち尽くすのだった。

 そんなことがあったから、と言い訳する気はないけど、どうやら気がそぞろになっていたらしい。食器や調理器具のみならず、什器も調度品も明らかに値の張る代物ばかりが並ぶグルメ爺さんの家で動き回るのにも大分慣れてきたはずだったけど、調理中にうっかり肘や足をぶつけたり、逆に動きを止めてしまったり。メニュー表の更新に合わせて甘味を増やすつもりだったから本当はカスタードクリームやベリーソースの出来も見て欲しかったんだけど……集中出来てないことが丸分かりの仕上がりになってしまって、俺はがっくりと肩を落とした。

 あぁ……出来たら召喚獣用のフードも相談したかったけど、こんな有様じゃそれも無駄骨に終わるかもしれない。

「どうした小僧?今日のお前は全然身が入っておらんぞ。調理する背中を見ればそのくらいのことははっきりと分かる、食べるまでもないわ」

 あんまり様子がおかしかったからか、活を飛ばすでも檄を入れるでもなく、グルメ爺さんも訝しげな視線を寄越してくる。全くもって仰るとおりで、つくづく参っちまうな……言葉もなく項垂れる俺だったけど、続いた言葉に無意識に顔を上げていた。

「……しかし、お前ほど料理に熱心な奴が思い悩むとはな。一体何があったのだ?」

 真摯な眼差しには俺を気遣う色しか見当たらない。呆れるとも失望するとも違う、心配するような眼差しが俺を見つめている。同じ料理人としてとっくに爺さんのことを信頼していた俺だったけど、爺さんもそれだけの期待を俺に掛けてくれてるんだ。それに気づいた途端、それまで肩肘張っていたのが嘘みたいに素直に口が開いていた。

「なるほど。怪我をした友のために何かしたい、か」

「そいつ、ものすごく真剣に騎士を目指してるみたいでさ。何とかして力になってやりたいんだよ。でも、俺の取り柄は料理を作ることぐらいだから」

 力になってやりたいと思っても、何が出来るかさえ分からない。グルメ爺さんに促されるまま語り出した俺だったけど、言葉にした途端、自分の無力さを突き付けられるようで自然と視線の先が落ちてしまう。

 少し話をしただけでも、アルバがどれだけ真剣に騎士を目指しているかが分かった。ルヴァイドやイオスに憧れるだけじゃなく、努力と研鑽を積んで一歩ずつでも近づこうとしているアルバの言葉は真っすぐで、まるで朝日を受けた水面みたいに瞳もきらきら輝いて。見てるこっちまで嬉しくなっちまうような真っすぐな喜びと興奮に満ちた瞳は、そこれそ目を細めてしまうくらいに眩しくて。

「イオス副隊長たちはすごいんだ。おいらも一日も早くあんなふうになりたいな……」

 興奮したような語り口のアルバに静かに相槌を打つルシアンも眩しそうな表情を浮かべていた。そうやって何度かお見舞いに足を運んでいたけれど、決定打になったのは病み上がりの身体に無理してお礼を言いに来たアルバとそれを窘めるミント姉ちゃんの遣り取りを目の当たりにしたことだろう。アルバの思い描く立派な騎士様。その夢に向かって一日も無駄にしたくないと奮闘する姿を見たら、どうにも力になりたくなってしまったのだ。

「ならば、その取り柄を最大限に活かせばいい」

 けれど、今の俺に一体何が出来るんだろう。またもや堂々巡りの思考に呑まれかけていた俺は、爺さんの言った言葉の意味が咄嗟に理解出来ず顔を上げた。どういう意味かと疑問が顔に出るが、爺さんはまるで試すような目をして問いかけてくる。

「小僧よ、ひとの身体は何から出来ておる?」

「そりゃあ、血とか肉とか……」

「その血肉を作っておるのはなんだ?日々、我々が食する多種多様な食べ物であろうが?……健全な肉体はな、健全な食事によって育まれるのだよ。であるならば、お前がすべきことはひとつ!」

 淡々と紡がれる言葉に次第に熱がこもっていく。ついに断言するような力強い響きを放ったその声に、ようやく爺さんの言おうとしていることが分かった。ぱっと思考に明かりが灯り、勢いよく浮かんだ答えを口にする。

「俺の料理でアイツを元気にしてやること!」

「そういうことだ。さあ、分かったら行くがよい、小僧よ」

 微笑み交じりの言葉に背中を押し出されるまま、俺は大きく首を縦に振って頷いた。今の俺に出来ること、アルバのためにしてやれること。グルメ爺さんの言葉を受けて大いに発奮した俺は、身体中が熱くなるような興奮も冷めやらないまま宿屋への道のりを駆けて、いつも以上の意気込みを持って少し早めに夕飯の支度を終えてしまうと、思い立ったばかりのそれを意気揚々と宣言するのだった。

「ということで、俺、アルバのために特別料理を作るぜ!」

 お茶を飲んでいたセイロンたちに、野菜を運んでくれたらしいリシェルにルシアン、それに付き添ってきたらしいミント姉ちゃんの顔を順繰りに見ながら言えば、ほう、とセイロンが感心したように呟いた。

「医食同源、だな」

 いしょくどーげん、と不思議そうに繰り返したルシアンに、セイロンはぴしりと扇子を閉じて目元を和らげる。

「シルターンでは療法として広く信じられておることでな、足りないものを食事によって満たしてやろうという考え方なのだ。しかし、この世界にそれを正しく理解しておる者がいようとは……グルメ老人とやら、侮りがたし御仁よ」

 真剣な表情を浮かべるセイロンだけど、確かに不思議な雰囲気を漂わせてる爺さんだよな。

「よく分かりませんけどそれで治りが早くなるって言うのでしたら、ちゃっちゃと作って食べさせてあげればいいのですわ」

「簡単に言うなって。そもそも材料を調べるところから始めなきゃいけないんだぞ。それで皆に相談しようって思ったんだけどさ」

 ああ、それで、と納得するミント姉ちゃんやセイロンに力を借りることになっちまうが、そういった話は専門家に頼るのが一番だろうしな。付け足すように言えば、セイロンは軽やかに笑ってみせた。

「あっはっはっ!得意分野だとも!」

「薬草のことならいくらか力になれるとは思うけど……でも骨折に効く食べ物って一体何なのかしら?熱を下げたり痛みを取ったりするのとはまた違う話になってくるし……」

 頬に手を当てて悩ましそうに眉根を寄せるミント姉ちゃんだけど、そこに予想外の方向から声が挟まってきた。

「牛の乳や魚だ。特に魚は小魚がいい、骨を食べることで骨は作られるからな」

「へえ、詳しいなアロエリ」

「メイトルパに暮らすものなら誰もが知る常識だ、自慢にもならん」

 少し意外な気がして目を丸くするも、アロエリは照れた様子もなく軽く鼻を鳴らす。確かにな、とセイロンも頷くと、その記憶を探るように視線の先を虚空に投げてどこか懐かしそうな顔をした。

「骨まで食せる魚ならヒメミズハに勝るものはあるまい。澄んだ真水に住む、細身の美しい魚だ。熱を加えてやると頭から尻尾まで丸々食べられるのだよ」

「ああ、それはきっとキュリアンのことね。確か、この近くのルトマ湖でも取れるお魚だったはずだよ」

「善は急げ、かと……」

 どんな食材を使ってどんな料理を作ればいいのか、やっと朧気ながらに形が見えてきた。魚の名前も判明してすっかり勢い込んだコーラルは鼻息も荒く両手を握り締めているけれど、その前に、と俺は声を掛ける。

「キュリアンって魚の他に必要なもんを先に集めとかなくちゃな。まさか魚だけを食わせるわけにはいかねえし、料理にするなら付け合わせだとか汁物だとかもいるだろ?」

 塩焼きだけでも美味い魚なのは確かだろうけど、今のアルバのための特別料理がそれだけって言うのはさすがに無しだ。香草を使うかソースを使うか、まだ決まっていないにしろ、必要なあれそれを揃えた上じゃないと足の速い魚を扱うのに不安が残る。後先考えずに走り出すんじゃなく、こういうのはまず準備を万端にしてから掛からないとな?

 冷静沈着な落ち着きぶりを見せたからか、リシェルやルシアンから向けられる視線が感心したようなものへと変わる。その反応にこっそり満足感を覚えていた俺だったけど、セイロンが事も無げに言った言葉に思わず耳を疑った。

「なら、ナチ殿にも尋ねてみればいいだろうよ」

「は?」

「そうですわね。この間のお夜食のスープに使われていたスパイスも確か、漢方って言うものなんでしたっけ?」

「え?」

「うむ。ネギやショウガといった香味野菜があれだけ使われているのにも驚いたが、よもや八角まであるとは……何より味付けも素晴らしいものだった。知見があることはまず疑いないだろうよ?」

 あれは美味しかったですわね、としみじみスープの味を振り返っているのか遠い目をするリビエル。アロエリが腹を鳴らしたおかげだな、あれこそ怪我の功名と言うものか、と笑いながら続けようとするセイロン。わーっと大声を上げてその口を塞ごうと躍起になっているアロエリ。三者三様の反応を見せるセイロンたちを唖然と見つめる俺だったけど、いいな、と羨ましそうなコーラルの呟きが落ちたことで我に返った。

「……っな、なんでお前らがナチねぇの料理を食ってんだよ!?」

 セイロンとアロエリの遣り取りで大体の経緯は分かった、が、それで納得出来るはずもない!?ナチねぇの料理を他のやつらに食わせたくない一心であれだけリシェルたち相手に誤魔化してきたってのに、まさか最大の敵はナチねぇ自身の親切心だったとは……動揺と困惑に狼狽えるあまりに腹の底から声を張り上げた俺だったけど、いきなり難癖をつけるような物言いをされちゃリビエルたちだって面白いはずがない。

「むっ。逆に、私たちがあのひとの料理を食べて何か問題あります?貴方に文句を言われるような筋合はないと思うんですけど!」

「ふん、ヤキモチか……男のくせに見苦しいぞ」

 眉尻を吊り上げながらそれこそ正論を突き返してくるリビエルに続いて、呆れたように一瞥しながらアロエリがばっさりと切って捨てる。その言葉はどれも正しく図星を指していて、特にアロエリは百発百中の弓の使い手なんだったと痛感せざるを得ないほどの急所を射抜いてきたものだから、もはや歯噛みすることしか出来ずに俺は押し黙った。

 ナチねぇの料理を食わせたくないのは単に、子供っぽい独占欲でしかないって自覚は大いにあった。ナチねぇ自身は料理を振る舞うことに何の抵抗もないみたいだけど、それを誰にも教えたくなかったのは、ここまでひた隠しにして来てしまったのは俺の我が儘でしかない。俺のことを思って作られる料理、俺のためだけに作って貰える料理。ナチねぇに初めて料理を作って貰った時からずっと、それは俺にとっての特別だった。他の誰かにバレてしまったらもう俺のための料理じゃなくなってしまうかも、なんて呆れた不安を捨てきれないまま、こんなところまで来てしまったわけだけど。

「ナチさんのお料理なんて滅多に食べれないのに。私もちょっと、羨ましいかも」

「なによ、この上料理まで出来るとかズルすぎでしょ」

 ああ、ついにバレちまった……我ながらつくづく格好の付かない理由で隠し続けてきただけに、がっくりと肩を落とした俺はただ皆の遣り取りに耳を傾けることしか出来ない。どうやらリビエルたちに振る舞ったのは鶏肉の団子と葉野菜のスープで、あっさりした風味とコクのある味わい、そこに少しの刺激が感じられるものだったらしい。多分、それがセイロンの言った八角っていうスパイスで、香り付けだとかに便利なこともあって常備しているスターアニスのことだろう。鮮やかな青い葉に真っ白な茎が眩しいネギ、見た目は芋の一種みたいなショウガ、そうした薬味を刻み込んで混ぜ合わせた鶏団子はふわふわで柔らかいのに味がよく染みていたそうで、ルシアンたちに強請られるまま語っていたリビエルの頬が緩みを帯びていく。お肉の食感をふんわり仕上げたいなら余熱で火を通すんだよ、といつか教えてくれたナチねぇの横顔をぼんやり思い出してしまう俺だったけど、そこに声が降ってきた。

「店主よ。何やら思うところがあるのは理解したが、そう気を落とすものではないよ」

「セイロン……そりゃ今更駄々を捏ねる気なんてねえけどさ、何だよその含み笑いは?」

 色々あって気が抜けちまったものの、アルバのために特別料理を作るって意気込みは変わってない。身体にいいらしい「かんぽー」ってのも使って、セイロンの言う薬膳料理ってもんに挑戦してやろうって気持ちも折れていない。けれど何となく、すぐに椅子から立ち上がる気にもなれずにいた俺を苦笑交じりに見下ろすと、セイロンはすいと明後日の方向を見ながら呟いた。

「気心知れた仲であればあるほど、一方的な施しばかり受けていては気が引けるもの。手ずから料理を振る舞いたい、味わって欲しいとする店主の気持ちも分からないではないが、その逆もまた有り得るのではないかな。……その腕を存分に振るって、特別に思う相手にとびきりの料理を作りたい。少なくとも我の目に映る店主たちはそのような人間に見えるがね?」

 いくらか遠回しな言い方をしてくれたけど、それってつまり俺の背中を押してくれてるんだよな……?何も言えずに視線ばかりでセイロンへと問い返せば、無言のまま赤い瞳が静かに細められる。俺がどんな結論を出すか、興味深そうに見つめているセイロンをこちらもじっと見つめ返すこと暫く、先に降参したのは俺の方だった。

「分かったよ……そんじゃいっちょ、行ってくるか」

 どんな料理にするかナチねぇに相談するのは決めていたけれど、最後の踏ん切りが付かずにうだうだしちまってたのも確かだ。思いがけない話に動揺するまま、拗ねた子供みたいな態度を取っちまったけど、だからってこのままじゃ格好がつかないもんな。意を決して椅子から立ち上がった俺はセイロンに軽く片手を上げると、厨房に向かって足を進めた。とりあえずはお茶のお代わりでも用意して、話はそれからだ。

「お疲れさん、ナチねぇ。進み具合はどんなもんだよ?」

 意を決してドアをノックすると、穏やかな声に迎え入れられるのはすぐだった。階段を上がって、食堂を見下ろせる吹き抜け沿いの廊下を進んだ一番奥、他の部屋より少し広い角部屋がナチねぇの部屋だ。お茶のお代わりを載せたトレーを差し出しながら尋ねれば、ありがとう、と声に少しの疲れを滲ませながらもナチねぇは穏やかに微笑んだ。

「おかげでやっとオマケの方も形になった感じかな。あとは明後日、テイラーさんのお屋敷でこれまで預かってもらった分の最終チェックをするだけだけど……もしかして何かあった?」

 せめて俺の方から話を切り出そうと覚悟を決めてきたけれど、ナチねぇの目にはそんな葛藤もお見通しだったらしい。促されるような形に甘えるまま、観念して溜め息をひとつ吐いた俺はゆっくりと顔を上げる。

「あのさ……前に話してた、ご褒美のことなんだけど」

「うん」

「お願い、してもいいんならさ……俺と一緒に、薬膳料理ってやつを作ってもらってもいい?」

 セイロンの言う「かんぽー」ってのがよく分からなくって、と言い訳がましく付け足しながら、空いた両手でぎゅっと縋るようにズボンの生地を握りしめた。手のひらには湿った汗の気配を感じるのに喉はカラカラに干上がったみたいで、戦いの最中よりもよっぽど緊張に強張る身体を叱咤しながらどうにか視線だけでも落とさないよう前を見る。驚いたように軽く目を見張っていたナチねぇの、その頬が見る見るうちにアルサックの花みたいな薄紅色に染まっていき、まるで花が綻ぶみたいに緩やかに満面の笑みが広がって。わぁ、と弾むような声が響いたところで、俺はやっと息をすることを思い出した。

「もちろん!嬉しいなぁ、ライ君から何か頼んでもらえるまでは待たなくちゃって思ってたけど、ずっと気になってそわそわしてて……そうだ、お料理に使う食材は何にするか、もう決まってるの?」

「あ、ああ。ええと、キュリアンっていう白身魚をメインにしたいんだ。アルバの怪我が早く治るように、骨折に効く食べ物を使いたいなって」

「そっか、それなら丸ごとお魚を食べれる調理法がいいよね。リィンバウムで完璧な漢方を取り入れるのは難しいからあくまで薬膳風ってことにして……私の方からセイロンさんに相談して必要になりそうな食材はリストアップしておくから、ちょっとだけ待っててくれるかな?」

「それはもちろん構わない、けど……」

 いいのかよ、と喉元まで出かかった言葉を寸でのところで飲み込んだ。ご褒美を楽しみにしていた俺が喜ぶのならともかく、なんでナチねぇの方までそんなに嬉しそうなんだろう。俺に何もしてやれていないと不満がっていたのは知ってるけど、思わず不思議がるような目を向けてしまった俺を見て、ナチねぇは緩んだ苦笑に目尻を下げた。

「ライ君と一緒にお料理出来るんだもん。並んでお料理するなんて随分久しぶりな気がするし、そんなの張り切らずにいられないよ」

 俺と一緒に料理ができる。それだけのことをこんなにも喜んでくれる。一緒に料理をする時間を本気で嬉しいことだって、特別だって思ってくれている。

 真正面から浴びたナチねぇの笑顔があんまり雄弁だったせいだろう。耳まで真っ赤になった俺がどうにか御礼の言葉を絞り出せたのは、それからゆうに十を数えた後だった。

 

 




5万字越えたので分けました。いわゆるお料理回です。
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