ただどうしてもポイントポイントでは使わざるを得ないんですよね。悩ましいところです。
地図上でこそ狭く見える東京という街は、移動してみればわかるが、思った以上に広い。それはあらゆる建造物が密集して建っているからでもあり、不完全な都市計画に起因する複雑な道路網が構成されているからでもあり、そして人口密度の高さが移動の妨げになるからでもある。
その「広い」東京という街のなかで、今回千束さんは自らのホームグラウンドでもある城東地区を、観光のロケーションとして選んだ。
自身の活動区域として勝手知ったる場所だから、という理由も当然あるだろう。しかし同時にこの一帯は今、下町情緒を残しながらも再開発に沸いていて、新旧の要素が入り混じるまさに過渡期の中にある。そんな東京らしい東京を味わえる、つまり松下さんを楽しませるのに最も向いたエリアこそがここ、城東地区なのだという判断も、そこにはあったに違いなかった。
一行はまず、今日一日の動きの一大動線とするべく、隅田川水上バスの乗り場へとその足を向けた。
隅田川水上バスは、川風の涼しさを感じながら快適な移動時間を満喫できる、城東地区の魅力の一つだ。千束さんは移動手段一つとっても妥協をすることはなく、松下さんに対するホスピタリティを全力に発揮していた。乗り場となった両国から第一の目的地のある浅草へと向かう船上で、彼女は松下さんに向けてその魅力を余すところなくレクチャーしている。
「……楽しそうだな、千束さん」
喫茶リコリコのいつもの奥間の中、僕とクルミはお互いに肩を並べる形で、彼女たちの様子をドローン越しに観察していた。思わず零した僕に、クルミは意地悪げな声色で問いかけてきた。
「なんだ? 羨ましいのか?」
「そうじゃないって。……銃を持ってドンパチしてるより、今みたいにはしゃいでるときのほうが、ずっとずっとあの子らしいって思っただけだ」
しかしその僕の言葉に、クルミは一転げんなりとした表情を浮かべた。
「……その千束崇拝は、どうにかならないのか?」
そろそろ気持ち悪いぞ、と。なかなか失礼なことを言ってくれる。
「事実を言っているだけだろ。……戦闘能力はともかくとして、千束さんはああいうことをやってる方が楽しそうだし、向いてるよ」
反駁した僕に、クルミはやれやれとばかりに首を振った。
浅草の船着き場に到着した一行は、その足で最初の目的地である浅草寺へと足を運んだ。
本物のガイドも顔負けの解説で、観光客でごった返す道中も松下さんを楽しませようと、千束さんは全力を尽くしている。たきなさんの方はと言えば、そんな彼女の観光案内を聞きつつ、しかしどちらかと言えば周囲に気を配りつつも常に逃走経路の確保と死角のカバーに動いていた。それはお互いに、らしい姿だった。
斯くして四方から押し寄せる観光客と戦いながらも浅草寺でお参りを済ませた千束さんたち一行は、その足で第二の目的地である合羽橋の七夕まつりへと出向く。程なく辿り着いた合羽橋本通りを歩きながら松下さんそっちのけで出店を全力で楽しみはじめた彼女の様子を横目に、いつの間にか奥間へやってきていたミカさんに、クルミが問いかけた。
「なあミカ」
「どうした」
「今もそうだが……ほら、千束の。ここを出るときに言っていただろう、
そう言って、クルミは自らの胸を人差し指で叩く。思わず、横で聞いていた僕の方が息を呑んでいた。
「リコリスとしての活動を支えられるだけの性能の人工心臓……ボクはそんなもの寡聞にして知らないが、DAの技術なのかい? あれは」
その声色は好奇心の色を帯びながら、どこか別の真剣さすらも宿しているものだった。
人工心臓を埋め込まれた人間が、瞬間的にでもあれだけの戦闘技能、運動能力を発揮できるというのは、そう言われてみれば相当に不可解だ。千束さんという身近な人間が、人工心臓を必要とするほどの深刻な心臓機能障害を抱えているという事実そのものの衝撃ばかりに意識が向いて、僕の認識からはその視点がすっかり抜け落ちていたと自覚させられる。
そんな僕を特に気にすることもなく、「機会があればDA技術開発部のサーバーを覗いてみたいものだ」、などと本気か嘘かわからない調子で呟くクルミに対して、しかしミカさんは顔に手を当てながら、首を振った。
「覗いても無駄だよ。……あれはDAの技術じゃないんだ」
そして返されたその言葉も、また僕の内心を激しく揺さぶった。
DAの技術
反芻するのは
ならばそれの意味するところは、きっと一つしかありえない。
「アラン、機関……」
僕の口から、ひとりでに言葉が漏れていた。
それとほぼ同時、クルミは自らの操るマシンのモニタ上に、一つの写真を映し出す。それは数十分ほど前の、仲見世通りを歩いていた千束さんを撮ったものだ。そして拡大された彼女の胸元には、
「君たちに、隠し事は無理だな」
諦めたように零す、ミカさんの方を見る。
それはつまり、千束さんはアラン機関の支援によって、まさに文字通り今も生かされているのだということを、意味していた。
「命と引き換えに、世界への使命を与えられた……千束の使命は何だい?」
そしてその、クルミの問いに――
「それは、千束が決めることだ」
ミカさんは、答えなかった。
そして僕たちがそうしている間にも、一行は浅草の水上バス乗り場に戻り、次の目的地である皇居周辺に向かうべく日本橋行きの水上バスに乗り込んでいた。彼女たちを載せて川を行く水上バスからは建設中の延空木が映っていて、それを仰ぎ見ながらも千束さんは松下さんと何か話し込んでいるのが窺えた。
時は昼過ぎ、空に陽の高く架かる夏の隅田川のその川面は光を受けてきらきらと輝いている。彼らの間には、確かに穏やかな空気が流れているように見えた。
しかしその道すがら、事態は突如急転し始める。
まずはその嚆矢として、クルミの操っていた周辺哨戒中の偵察用ドローンが不審な人影を捉えた。隅田川から日本橋川へと水上バスが入ったその矢先のことだった。
それは黒いライダースーツを着込んだ男のように見える。首都高速6号線から箱崎料金所で下道に降りて、水上バスの向かう先へと先回りする素振りを見せていた。
クルミは自らのドローンで撮影した遠景の写真から、手早く対象を拡大、画像検索にかける。結果はすぐに出た。
「――ジン。暗殺者」
クルミが淡々と、その経歴を読み上げていく。
曰く、その静かな仕事ぶりから「
聞けば、彼はミカさんのかつての仕事仲間であったという。十五年以上前、彼がDAの訓練教官としてスカウトされるより前のことだ。
その言に拠れば、彼は必要最低限のコミュニケーションのみで、確実に目標を達成する、凄腕のヒットマンだという。ドラマの中で大人しくしていてくれ、と皮肉の一つも言いたくなる人物像だが、とにかく厄介な相手が松下さんをつけ狙っていることは間違いがなさそうだった。
「クルミ、それじゃ、手筈通りに」
クルミに声をかけ、持ち場に戻った。
仮称「サイレント」の追跡はクルミの偵察ドローンに任せつつ、僕は自動追尾モードにしていたうちの一台のドローンを手動制御に切り替える。千束さんたちが今歩いている場所は皇居の辺り、具体的には旧江戸城大手門周辺のようだ。自動追尾中のドローンはそのままに、もう一台のドローンの高度を大きく引き上げた。
そのまま「サイレント」の追跡を始めて十五分後のこと。クルミのドローンは、日本橋高架下周辺で対象に不意に道を潜られ、その行方を見失った。しかし固より相手は手練れ、その程度の展開は予想のうちで、当然にそれに対するバックアップは用意してあった。すかさずミズキさんのGPS情報をこちら側の遊撃ドローンが持つ地図情報にオーバーラップ、彼女曰く前方三十メートルほどを走行中の「サイレント」の想定位置をプロット、クルミのドローンと共有する。
斯くしてその位置情報に従ってクルミがドローンの高度を下げて、敵を追尾しようと動き始める。
しかし――その瞬間、僕は強烈な
『柱の横で止まった』
「まずいクルミ、気づかれてる!」
その本能に逆らわずに発した僕の声と、ミズキさんの通信越しの声が丁度重なる。
そしてその直後、クルミのドローンからの信号が途絶した。言うまでもない、「サイレント」の狙撃だ。
「遅かったか……クルミ!」
「はいよ」
「今遊撃に回してるドローンを貸す。予備のドローンに関しては
「わかった、
押し入れの中から急いで駆けだし、クルミが予備のドローンを飛ばしにいく。
ならば僕はその間、この現場を統制しなければならない。開いている音声チャネルに、声を吹き込んだ。
「ミズキさん、聞こえますか?」
『聞こえてるけど、今アイツを追いかけるのに忙しいんだけど!』
「相手は手練れです。下手に正面から突っ込むと返り討ちに遭います。こちらが護衛対象の周辺哨戒にドローンを二機飛ばしています。一度撤退を」
『発信機つけなきゃ追えないでしょ! どーすんのよ!』
「それであなたが死んだら元も子もないでしょう!」
こちらの剣幕に、彼女は押し黙った。そこから暫しの時をおいて、彼女の車が「サイレント」の追跡ルートを外れたことを目視し、目線を切る。
クルミが戻ってくる前に、上方から空撮していたドローンに時間差分映像パターンマッチ検索を試みる。起点は先ほどクルミのドローンが通信途絶した地点の周囲十メートルから、現在千束さんたち一行がいる学術文化ミュージアム――美術館周辺に至るまでの全ての道路を地理的な対象とし、検索期間はクルミのドローン信号途絶から現在までの約五分を指定する。マッチ対象となるのは、黒いライダースーツに、同じく黒いバイクだ。
そしてそれに対しては二十秒ほどで、結果が返ってきた。確認して、一人頷く。
――なるほど、音もなく忍び寄る殺し屋とは、よく言ったもの。どこでこちらの護衛対象の足取りを掴んでいるんだか。ただなんにせよ、その結果については共有しなければいけない。
「対象はすでに美術館周辺でバイクから降りています。……千束さん、たきなさん、聞こえる?」
『はい、聞こえています』
先んじて、たきなさんが答えた。
「プランは二つ。護衛対象をオープンエアーに誘導して、誘引した『サイレント』をこちらのドローンが見れる状態にした後、その測位データをもとに迎撃するプラン。もう一つは、護衛対象を美術館の群衆の中に紛れ込ませておいて、二人のうちどちらかが遮蔽物を利用した閉所戦闘で『サイレント』に遅滞戦闘を挑んで、その間に護衛対象を引き離してから挟撃するプラン。時間はない、やりやすい方をすぐに選んで」
しばしの沈黙の後、彼女が回答を寄越してきた。
『二つ目のプランでお願いします』
「ならば一度二人で館内に入ってくれ。室内の監視カメラシステムをクルミが掌握した後、どちらかが打って出る」
言った直後、クルミが予備のドローンを上空に放ち、帰ってきた。
「今の話、聞こえたか?」
「わかってる。美術館の監視カメラの掌握だったな? 任せてくれ。それと予備のドローンは千束たちのGPS情報をもとに自動操縦で現在地上空までは到達する。そのあとは共有したアクセスコードで制御してくれ」
「了解した。監視カメラの掌握にどれぐらいかかるか見積もれるか?」
「んー……オープンNIC越しにOSコマンドインジェクション、shadowを引っ張れたらレインボーテーブルで照合する。無理そうなら監視カメラの形状から割り出したファームウェアのゼロデイ使って特権昇格を試す。それも無理ならブルートフォースだけど、まあないか。そうだな、長くて大体五分だと思ってくれ」
「わかった。……千束さん、たきなさん。聞こえた?」
一連のやり取りの結果について、千束さんとたきなさんに対して認識を合わせるべく問いかける。
『聞こえています。五分後、私が打って出ます』
『え、ちょ、たきな!?』
『護衛対象に対しては、より高い戦力を張り付けるのがセオリーです。大丈夫です、バックアップがある以上こちらもやすやすとやられるつもりはありません』
千束さんの戸惑いを押し切って、たきなさんが出撃を決めた。
「わかった。クルミの合図で動き出してくれ。……ミズキさん!」
『はいはーい』
そして、ミズキさんに後詰の指示を出す。
「すみませんが、東京駅の丸の内中央口に車を回せますか? たきなさんが『サイレント』を追いまわしている間に、千束さんと落ち合いつつ急いで松下さんを車内に回収してください」
『りょーかーい。もう車回しとくわ』
とりあえずは、これでよい。そしてそれらの根回しの間に、クルミは美術館内のカメラの掌握をすっかり済ませていた。相変わらずの早業だ。
「よっしゃ、掌握完了。『サイレント』の顔データは入手してるから、照合して位置を特定できる。少し待てるか?」
『了解しました』
クルミの声に、たきなさんが反応する。
そしてそこから一分後、再びクルミが声を上げた。
「よし、解析の準備もOKだ。そろそろ打って出てくれ」
『はい、では向かいます』
「くれぐれも、気を付けて。まずいと思ったら撤退も視野に入れるように。それと報告は密に」
クルミのゴーサインに意気込んだたきなさんに、それだけ声をかける。
『わかっています。……ありがとう、ございます』
その僕の言葉に一呼吸ほど置いて、たきなさんはそう返した。
そこから、大体二分ほど後のこと。
たきなさんが美術館三階の渡り廊下を歩いているところで、クルミが展開している監視カメラ映像のパターンマッチエンジンがアラートを出した。
「……よし、捕まえた……たきなさん、振り向かずに聞いて」
『はい、何でしょう』
「君の後方約五十メートル、エレベーターホールの曲がり角に『サイレント』。やや足早に近づいてるからおそらく十五秒後には接敵する。手近な遮蔽物に隠れて待ち伏せて」
僕の言葉に、彼女は息を呑む。
『……了解しました』
返ってきた言葉は、押し殺したような声音を伴っていた。
それを聞いて、そしてただ待つ。
やはりこの接敵の瞬間は、何度やっても慣れない。この店の方針が「いのちだいじに」だとしても、始まるのは命のやり取りなのだ。いくら高い戦闘能力を持っていようが、死ねばそれまででしかない。
いや、だからこそ僕がいる。彼女たちを生かして帰すために。気合を入れ、呼吸を整え、耳を澄ませる。そして――。
立て続けの銃声。戦闘が始まった。
『――! 相手は防弾性のコートを着用しています!』
焦ったような声で、たきなさんが報告を上げる。こちらからは内部の様子が窺えないが、射撃に効果がなかったのだろう。
「わかった。相手は向かってきてる? 逃げてる?」
『逃走中です!』
「方向は? 上? 下?」
『まだ、それは……あ、登っていってます!』
「なら、そのまま屋上まで追い立てて。こちらのドローンを待機させておく」
向かってくるのであればじりじりと下がりながらの遅滞戦闘もあったが、あちらが一目散に逃走を選択した以上、こちらは追跡するよりない。
「……クルミ、ここからのオペレートは僕がやる。大丈夫か?」
「わかった、任せる。こっちはドローンの制御と解析に集中する」
「助かる」
ここからは、僕の真価が問われる時間だ。
「千束さん。松下さんと一緒に美術館隣接のデパート地下からグランスタ方面に行って。たきなさんが美術館の屋上方向に『サイレント』を追い立ててるから地下にいれば狙われない。そこからは地下伝いに丸ビルの駐車場でミズキさんと合流、松下さんを回収してもらって、それが終わったらたきなさんと『サイレント』を挟撃。やれそう?」
『わかった、任せて!』
「頼んだよ」
まずは千束さんへの指示を飛ばす。程なくして彼女につけているGPS測位点が移動を開始したことを見届けて、美術館の監視に回しているドローン映像に目を向けた。
さすれば丁度、屋上出入口から「サイレント」が姿を見せるところだった。
「よし、『サイレント』は美術館屋上まで追い込めた。たきなさん?」
『はい!』
「屋上で『サイレント』と持久戦。遮蔽物が多い場所が望ましいから、交戦ポイントに関してはナビゲートに従って。屋上扉から右に進んでしばらく行った所に室外機の集中配置された区画があるから、そこを目指す感じで」
『了解しました』
「サイレント」の方も一目散に室外機の置いてある屋上の区画に駆け出した。考えることは同じか。しかしこちらの方が人的優位を持っている以上、持久戦を挑むのは悪手のはずだが。
しかしそう思ったその瞬間、「サイレント」は室外機の区画を突っ切り、ビルの屋上から、文字通り
「――はあっ!?」
『どうしました!?』
「っ……ヤツがビル屋上から跳んでいった。今丸の内口南側の補修工事現場の足場にいる」
無茶苦茶過ぎる。あいつ一体何メートル跳んだんだ。びっくり人間じゃないんだぞ。悪態をつきたくなるのをこらえ、たきなさんに現状を伝える。
『っ! ならどうしますか!?』
「落ち着いて聞いて。『サイレント』は工事現場の足場伝いに東京駅の丸の内口駅舎の屋根の方向に向かってる」
『……あそこですか』
現状ドローンは「サイレント」を追跡中で確認できないが、たきなさんもそいつが跳んでいった辺りのポイントに着いたらしい。
「場所は把握してるから、たきなさんは一度美術館の外に出て、下からヤツを追って行って」
『……いえ、私もここから向かいます』
「はぁ!? いや無茶だろ、死ぬ気か!」
『問題ありません!』
言ったが早いか、裂帛の気合に、何かを踏み切る音を聞く。
「たきなさんっ!?」
『……大丈夫です、私もそちら側に着地しました』
思わず発した叫びにも似た言葉に、しかしたきなさんは落ち着き払った返答を寄越してくる。
その言葉に「サイレント」の追跡ドローンのカメラを少しだけ遠景に引けば、確かにカメラの視界の隅に、膝立ちになったたきなさんの姿を捉えた。
「……リコリスってのは、みんなそんな無茶苦茶な身体能力なのか」
『サードは必ずしもそうでもないですが、セカンド以上のリコリスなら、これぐらいは』
なんでもないことのような声で、さらりと返してくる。
まあ、今それを問い詰める意味もない。時間も。
「まあ、いいや。相変わらず『サイレント』は足場伝いに移動中、でもそろそろこれは丸の内口の屋根に乗るかな……? たきなさん」
『はい』
ならば物陰から、「サイレント」を追跡できるか。そう指示を出そうとした瞬間、突如緊迫した声が割り込む。
『――隼矢さん、ごめん! 松下さん見失った!』
今度は千束さんからの、凶報がやってきた。
「見失った……って」
『……ごめん、地下に降りるための車椅子用のエレベーターを呼ぶときに、一瞬だけ目線を切っちゃって。その隙に……』
その言葉に、僕は天を仰いだ。
事ここに至って、今回の任務の初めから懐いていた違和感は、その疑惑は、もはや確信に変わりつつあった。
よくよく考えれば、「サイレント」の足取りは、こちら側の動きをまるで
そうなると、彼が次に現れる場所は、おのずと分かる。
クルミが寄越してきた予備のドローンが、現地に到着する。それを使って覗きこむのはただ一点、東京駅丸の内北口の、改札の外だ。
「――やっぱり、そこか」
思わず声が漏れる。やはりそこには、一人車椅子を転がして移動する、松下さんの姿があった。
僕たちの計画では、一度地下に潜ってしまえば、あとは後詰のミズキさんの車に松下さんを回収できる手筈になっていた。その流れがうまくいってしまえば物理的に暗殺が不可能になるし、何より
「千束さん、松下さんを発見した。丸の内北口改札外から中央口方面へゆっくり移動中だ。恐らく、君を待っている」
『分かった、すぐに行くね!』
「頼んだ」
駆け出す千束さんの足音を聞きつつ、今度はミズキさんへとお願いをする。
「ミズキさん」
『なにー?』
「丸ビルの駐車場から出て、丸の内口に戻ってください。千束さんと落ち合った後、松下さんはそこで回収します」
『え? でも、「サイレント」が狙って……』
「大丈夫です。……お願いします」
『……わかった』
こちらの口ぶりに何かを察したか、ミズキさんは神妙な声でこちらの指示を受け入れた。そして、最後だ。
「たきなさん」
『はい』
「松下さんはほぼ確実に丸の内中央口方面に移動して、千束さんを待ち受ける。『サイレント』はそこを狙うはずだ。松下さんが中央口に出て来たあと、ヤツが射撃姿勢を取ったタイミングを見計らって牽制射撃。後は工事現場内部で今度こそ遅滞戦闘を展開して。すぐに千束さんが行けるはずだから」
『了解しました』
斯くして、表の三人それぞれに指示を出し終えた。泣いても笑っても、これが最終局面だろう。誰がこの盤面をコントロールしているのか、どうにも気味が悪いことは確かだが。
千束さんが松下さんに追いつく。彼は予想通り、中央口付近で千束さんを待ち受けていた。
駅舎が作り出す日陰の中で、車椅子ごと千束さんへと向き直った。
『ジンが、来ているんだね』。
『奴が生きている限り、私は狙われ続ける』。
一旦店に戻ろうと説得する千束さんの前で、松下さんは淡々と語る。
千束さんがここから避難するようにいくら言って聞かせても、聞く耳すら持たずに一方的にまくしたてる。
ジン――「サイレント」に家族を殺されたことを、その恨みを。それはまるで、
それをただ聞かされ続ける千束さんからも焦りや苛立ちが見え隠れし始めた頃、彼はようやくにして己の言葉を結んだ。
――私の本当の依頼は、ジンを殺してもらうことだ、と。
そしてそれこそが、事態の動き始めるタイミングだった。
「たきなさん!」
『――っ!』
銃声一発。「サイレント」がその背後、丸の内駅舎の屋根付近の足場から松下さんに狙いを定め、そしてたきなさんがそれを阻止した。千束さんが、弾かれたように上を向いた。
「ナイス。何回か妨害すれば、『サイレント』の注意は君に向く。比較的広めな足場を選んで遅滞戦闘を展開して。こちらから観測はできなくなるから、健闘を祈る」
『了解しました。大丈夫です、そのための普段の訓練ですから』
頼もしいその言葉に頷いて、今度は千束さんへと声をかける。
「千束さん、『サイレント』とたきなさんが戦闘に突入する。できるだけ迅速に援護に向かって」
『……わかった』
だが千束さんの反応は鈍い。松下さんにかけられた言葉が気にかかるのか、いつもの快活さが鳴りを潜めていた。
理屈は分かる。理由も。ならば僕が、奮い立たせなければ。
「依頼人の言うことは気にしないでいい。
『……うん!』
そして駆け出した千束さんを視認してから、最後に残ったミズキさんに、後詰の依頼をかけておく。
「ミズキさん、見える位置にいると思いますが、速やかに松下さんを回収してください」
『オーライ』
すぐそこに止まっていた赤いSUVから、ミズキさんが顔を見せた。しかし彼女が松下さんに追いつくよりも先に、松下さんは自ら動き始める。
その行く先は言うまでもなく、千束さんが去って行った方向だった。
――もう、いいだろう。あれは護衛対象などではない。何を考えているか知らないが、しかし何を見届けようとしているのかは、明白だ。
彼の、或は彼の背後にいる「何か」の目的は、つまりは千束さんなのだ。護衛依頼など、結局のところ方便に過ぎない。そういうことだった。
そこから、十分弱。
激しい銃撃音はその間、断続的に響き渡っていた。たきなさんはじりじりと後退を続けながら「サイレント」を開所に誘引しているようで、上方からクルミが監視中のドローンにたきなさんの姿が映ったとき、彼女の服には何箇所か銃弾が掠めたような擦り傷が出来ていた。
そちらへと注意を向けた途端、また銃撃の光が走る。たきなさんは射線を避けるべく、横っ跳びで物陰に隠れた。それを追いつつも周囲を警戒しながら、油断なく銃を構える「サイレント」の姿を、そこでようやくドローン空撮が捉えた。
そしてその刹那、階上から急襲する少女の姿が突如割り込む。それは赤い制服をたなびかせ、銃声を響かせながら舞い降りた。
千束さんだ。慌てて振り返る「サイレント」が放つ銃弾を相変わらずの見切りで躱しながら突撃、流れるようにマガジンを交換し、懐に潜り込んで銃身で以て鳩尾を抉る。その態勢のまま、まるで殴り飛ばすようにしながら、彼女は非殺傷弾を文字通りのゼロ距離からワンカートリッジ分ぶっ放した。
それには「サイレント」もたまらず吹き飛ぶ。その先、足場のパイプに強かに身体を打ち付けた「サイレント」はそのまま身を横たえ、そしてそこから起き上がることはなかった。
大きく、息をつく。これでとりあえずの脅威は去った。
「これで、とりあえずは片付いた、かな。……お疲れ様、二人とも」
『そちらこそ、完璧なオペレートでした。相変わらず、お見事でした』
しかし、話はそこでは終わらなかった。
『殺すんだ』
物騒な台詞が響く。それと共に彼女たちの背後から、車椅子に乗った男が姿を見せた。松下さん――いや、
『そいつは私の家族の命を奪った男だ。殺してくれ』
しわがれた老人の声だ。事の次第がはっきりしてきた今となっては、それはどことなく不気味さを孕んでいるようにすら聞こえる。
そもそも家族を殺された二十年前に、私こそが殺しておくべきだった、と。そう続けた松下の言葉に、僕は思わず鼻白んだ。
「こっちに敵さんの知り合いがいるなんて思ってないんだろうなぁ、こいつ」
隣に立つミカさんを見る。彼は複雑な顔で、僕たちに口を開いた。
「ジンは、その頃私といたはずだ」
つまりは、そういうことだ。十五年前までの同僚だったミカさんが、二十年前の「サイレント」の動向を掴んでいないはずがない。だから松下が話すそのストーリーは、真っ赤な嘘でしかない。そして僕たちの会話は、インカムを通して千束さんの耳にも入っていた。
それでも未だバレていないとでも思っているのか、尚も彼は千束さんに詰め寄る。
『君の手で殺してくれ。君は
そしてその言葉が聞こえた瞬間に、僕は一切の経緯を悟った。ああ、語るに落ちたな、と。
そうだとするならば、やはりアラン機関という組織は――。
「やっぱり、生き方を『押し付ける』んじゃないか……」
そう独り言ちる僕の言葉は余りに細く小さくて、きっと誰にも届かない。
しかしモニタの中の、そして通信越しの千束さんは、そんな彼の無体にも、柔らかな声で答えた。
『松下さん。――私はね、人の命は奪いたくないんだ』
その裏には、確かな芯を持っていて。
『私はリコリスだけど、誰かを助ける仕事をしたい』
それでも、彼女の今の信条の、その動機の、その根源が。
『「これ」をくれた人みたいにね』
彼女に命を与えた、「アラン機関」の行為にあるのならば。
『何を言……
それはあまりに、あまりに千束さんにとって残酷な巡り合わせではないか。
『松下さん、とりあえず場所を変えて一度落ちつ、……――あれ、松下さん?』
その言葉が最後、まるで「役割は終わった」とでも言いたげに、車椅子に繋がっていた生命維持装置
そして黙したまま何の反応も示さなくなった「松下」に必死に呼びかける千束さんの声が、先ほどの戦闘音を聞きつけて駆けつけてくるパトカーのサイレンの音と混じって、夕空に虚しく響いた。
ミズキさんが運転する帰投中の車の中で、千束さんたちは彼女から今回の依頼の真相を知らされている。
『つまり、「松下さん」は、存在しない……?』
語られた内容に、たきなさんの声が震えた。
「松下」と名乗った男の正体は、薬物中毒の末期症状でとある病院に収容されていた患者だった。二週間ほど前、その彼は忽然と病棟から姿を消していたそうだ。自分で立って動くことも話すこともできないはずの人間が、どういうわけかベッドの上から消えていた。言うまでもなくそれは、外部の手引きによるものだ。
そして同時にその外部の人間が、ただの薬物中毒患者を「松下」という大企業の重役に仕立て上げた。
瞑ったまま開かない目は、カメラ付きのゴーグルで隠された。
バイタルチェック用のタブレットは、でたらめなデータを映すただのカモフラージュに過ぎない。
脳波による制御のように見えた車椅子は、リモート操作されていただけ。
そして合成音声と思われた声は、単なるスピーカー越しの人間によるものだった。
それは一つとして本当のものがない、全てを嘘で塗り固められた虚構の依頼。唯一の救いは、高額の報酬金は宣言通り口座に振り込まれていたことぐらいのものだった。
『じゃあ……』
それを聞いた千束さんが、震えた声で口を開いた。
『じゃあ、誰が……? 何で、殺させようとしたの……? 何のために……ッ!?』
次第に悲痛さすら帯びていく、その声色に。
初めて僕は、彼女の声をもうこれ以上聞きたくないと、そう思ってしまった。
ミズキさん発信機のくだりは、展開の都合上なかったことになりました。
あそこでいきなりギャグ調の描写を挟んでくるエグい緩急のつけ方は、アニメみたいに映像の動きがないと難しい。最低でも自分の文章力ではどう頭をひねっても無理でした。なのでシリアス一辺倒です。