世界の背表紙で、君と踊ろう   作:厳冬蜜柑

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#0x06 The Point of No Return (2/3)

 その次の日、僕がクルミと「例の男」の調査に関する進捗を話し合うために、リコリコにやってきた時のこと。

 店の奥間には、珍しく千束さんの姿があった。しかもリコリコのお仕着せである着物姿ではなく、リコリスとしての制服を纏った姿で。

 

「地下鉄襲撃犯とリコリス襲撃犯は、例の銃を使っているみたいだな」

 

 千束さんに、クルミが話しかけている。

 

「クルミ」

 

 そんな様子の彼女に向かって声をかけると、お、と声が上がった。そしてこちらに目線を合わせてくる。

 

「来たか、隼矢。今の話聞いてたか?」

「ああ、聞いた。じゃあ結局一連の話はつながってる、ってことでいいのか?」

「まあ、そうなる」

 

 クルミが首肯する。つまり、「例の男」、そしてその一味こそが、今回のリコリス襲撃を繰り返している犯人に他ならない、ということだ。

 

「一連の話? ってなに?」

 

 そんな僕たちの暗黙のやり取りにそう疑問の声を上げた千束さんを一瞥して、クルミは一つの写真をモニタに映した。それはもはや僕たちの間では腐るほど見慣れた、武器取引現場の写真だった。

 

「ああー……」

 

 得心がいったような表情を浮かべた千束さんは、クルミに一つの問いを投げかけた。

 

「じゃ、あん時のDA()()()()()()()のもこいつら?」

 

 その言葉に、明らかにクルミが()()()()()()()()()()。何か、図星をつかれたような。

 

「あ、ああ……それは、どうかな」

 

 怪訝そうな顔を浮かべる千束さんに、クルミは誤魔化すように言った。

 

「あ、いや……もうちょっと調べてみる」

 

 さすがにこれは、()()()()。後で問い詰めることを決めた僕を尻目に、しかし千束さんは特に気にすることなく、また別の問いを投げた。

 

「にしてもどうやってリコリスを識別してるのかな」

「それに関しては、いくつか推測はある」

 

 その問いには、寧ろ僕のほうこそ答えらしきものを持っていた。部分的には、だが。

 

「隼矢さん? 何か知ってるの?」

「いやまあ、あくまでも推測なんだけどさ」

 

 そう前置きして、続ける。

 

「地下鉄を襲撃したやつの中で、一人逃げ延びたやつがいるんだ。それは、知ってるでしょ」

「まあ、うん」

「と言うことは、そいつは()()()()()()()()()()()()()()()()、知っている状態で今回の犯行に及んでる。もし本当に、地下鉄襲撃犯とリコリス襲撃犯が同じだという推測が確かなら、だけど」

 

 ――つまり。

 

「その、服」

「これ?」

 

 自らの制服をつまんで見せた千束さんに、僕は頷いた。

 

「『誰』を襲撃するかを決めている方法は、分からないけど。それでも、目の前の標的が本当にリコリスかを『判別』するのには、おそらく君の今着ている、その制服を使っている可能性は、相当に高い。と、僕やクルミは踏んでる」

 

 そこまで続けた僕の言葉に、彼女は自分の服を見下ろす。

 

「なるほど!」

 

 そして数秒のあと、得心がいったとばかりに、そう、手を叩いた。

 

 

 

 斯くして彼女が部屋から立ち去った後、僕はクルミに歩み寄る。一瞬訝しげな顔を浮かべた彼女は、しかし次の瞬間何かに気づいたか、バツの悪そうな表情を浮かべた。

 

「クルミ。……僕が何が言いたいか、分かってるよな」

 

 彼女はその表情のまま、頷いた。

 

 

 

 彼女の弁解を聞いて、僕は溜息を堪えられなかった。

 具体的にはそもそもの元凶、つまりはあの武器取引のときのことだ。僕が聞かされていたのは、リコリスと武器商人側が「偶発的戦闘」を起こしたことで、証拠の消滅と武器の散逸を招いたという説明だったが、その実はクルミのサイバー攻撃がDA側の対応の足を引っ張っていた、らしい。

 ならば、たきなさんがここに配属されるに至った遠因ですらも、クルミにあるのではないか。そう思いはしたが、さすがにそれを口に出すほど僕も心無い人間ではなかった。

 しかしそれでも、彼女の言い分に呆れたような溜息が出てしまうのは、どうしようもないことだった。

 

「何と言うことを……それも君の『好奇心』が理由なのか?」

「間接的には。……ボクが本当に近づきたかったのは、『アラン機関』。そいつらからの依頼で、DAの中央サーバーを指定の時刻にアタックしてほしいと。奴らに近づくためには、しょうがなかったんだ」

 

 それを聞いて、思わず顔が引き攣ったのを自覚する。

 また、「アラン機関」か。あまりよろしくない文脈でこの結社の名前を聞くのは、今日でもう何度目だろうか。

 そう言えば、と思い返す。クルミがここに居候することになった直接の原因について、彼女はあくまで「厄介な相手に命を狙われた」とだけ言っていたが、この経緯を聞く限りではそれもまたアラン機関のことなのではないか、と思い至る。

 つくづく、きな臭い組織なものだ。もしかすればただのバイアスなのかもしれないが、それでもどうしても、僕はもはやあの組織に胡散臭さを覚える自分を止められなかった。

 しかしそうなると、やはり例の武器取引を成功させるに至らしめたのは、彼ら自身の幸運というよりは、アラン機関の、つまりより大きな組織の力が背後で動いていたと言うことなのだろうか。

 成功した大規模武器取引と、それと同時刻にアラン機関からクルミへと発された依頼に、その影響と。それらが全く無関係なものだとは、流石に思えなかった。

 それはともかくとして、クルミには釘を刺しておこう。

 

「とりあえず、僕の方から店には言わない。ただどこかのタイミングで、話しておいた方がいいと思うぞ、これは」

「……そうすることにするよ」

 

 決まり悪げな彼女に、僕は努めて気遣いながらも言葉を重ねる。

 

「とりあえずは罪滅ぼしだと思って、やつらのリコリス特定のやり口を引き続き調べておいてくれ。僕はホールに行く」

 

 力なく頷く彼女に背を向けて、僕は表に出向いた。

 

 

 僕がホールに出向いたタイミングで、ちょうど千束さんが更衣室から出てきた。

 

「組長さんとこに配達行くわー」

 

 相変わらずの調子でそう口にする彼女は、少しばかり異様な格好をしていた。つまり、いつものリコリス制服の上に、黄色いポンチョを纏っていたのだ。無論、今日の天気は雨ではない。

 たまたまか、或は何か別の用事があったのか。僕の他にもクルミを除いた全員がこのホールに勢ぞろいしていたが、全員が何とも言えない表情で千束さんのことを見ている。おかしな空気が、場を支配していた。

 

「何よ」

「いーえ、別に」

 

 きょとんとした顔の千束さんに、たきなさんが半ば腹立ちまぎれのような声で答える。それは千束さんの格好の異様さに対するもののようにも思えたが、しかしいくら奇異な格好と言っても、それでたきなさんが千束さんに腹を立てるような理由はないと、すぐに思い返す。

 となれば、僕が来る前に何かがあったのだろう。まあ、今気にするようなことではないか。

 

 そしてそこから気を取り直したかのように、一呼吸置いてから、たきなさんが口を開く。

 

「それで、千束」

「なぁに?」

「その恰好は?」

「あー、これね」

 

 彼女のその問いに、千束さんは自分の服へと目を向けて、そして訳を話し始めた。

 それはつまり、先ほど僕が言ったことの焼き直しだった。リコリスの特定に、制服が使われている可能性が高いと。

 そしてそれゆえの、このポンチョなのだと。

 

「これならぁ、絶対ぃ、分かんなぁーい」

 

 歌うように彼女は言う。つまるところ制服の上からポンチョを身に纏うことで、制服をカモフラージュすれば狙われないのではないか、というアイディアだった。

 

「なら、私もそれで」

 

 それを聞いたたきなさんが出発の準備を始めようと結わえていた髪を解き始めたところで、千束さんはそれを押し止めた。

 

「ああ、大丈夫っ」

 

 それよりたきな、今日の夕飯楽しみにしてる、と。そう言い残して彼女は外へ出ようとする。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()

 

 

 

「千束さん!」

 

 思わず、呼び止めていた。びっくりしたような顔で、彼女が振り返る。

 僕は自分の顔がこわばっていることを、明白に意識していた。

 

「言ったよね、原則二人で行動してくれって。なんで一人で行こうとするの?」

「そりゃ隼矢さん、ただのお使いだからだよ。『仕事』でも何でもないしぃ」

「狙われてるかもって、分かってる?」

「分かってるって。だからこうやって、ほら」

 

 カーテシーのように、ポンチョの裾を持って広げる。

 しかし、そうじゃない。そうじゃないんだ。

 

「だからそれはあくまで可能性の話だって……そもそも顔が覚えられていたんだとすれば、その恰好に意味なんてないんだ」

「じゃ、どーやって顔を覚えられてるってのよ」

「それは……」

 

 彼女の反駁に、言葉が続けられない。でも、それでも、何か言わなくては。

 千束さんを、止めなくては。

 

「分からない……けど、分からないからこそ、リスクは避けるべきだ。そうでしょう?」

 

 どうにか絞り出した僕の言葉を受けて、彼女は目を瞑る。

 

 

 

 そして、目を開けた彼女は、穏やかに笑った。

 

「……ありがとう、隼矢さん。心配してくれてるのは、すごくわかる。でもね」

 

 そんな簡単に、やられるタマじゃないよ、私は。と。

 真剣な目つきで言われて、僕はそれ以上何も言えなくなってしまった。

 かけるべき言葉は、反論すべき理由は、まだ沢山あったはずなのに。

 

「じゃ、行ってきまーす」

 

 どこまでも軽やかなその言葉と、閉まる扉が奏でた鈴の音と。

 その二つを残して店から立ち去った彼女を、僕は黙したまま見送ることしかできなかった。

 

 

 

「何してるんだ? 隼矢」

 

 その暫く後、僕はいつもの奥間で押し入れに向かっていた。クルミは自らのいる場所の真下あたりでガサゴソと音を立てている僕に、そう声をかけてくる。

 僕が今しゃがんで覗きこんでいるのは、クルミの定位置の直下にある収納だ。そしてそこは主にクルミ自身の遊び道具に加えて、彼女が製作してくれた僕用のガジェットをしまっておく倉庫にもなっている。

 彼女のその問いに答えることなく、しかし程なくそこから取り出したものを、彼女に向かって掲げて見せた。

 それをみたクルミが、わずかに眉をひそめた。

 

「ドローン……? 何のために」

 

 彼女がその視界におさめるは、黒く塗装された、二基のドローンだ。

 一瞥して問いかけるクルミに、僕は答えた。

 

「……千束さんが、一人で外回りに行った」

「はぁ? 昨日の今日でか? 正気か、アイツ」

 

 呆れたような声が上がった。

 これまで度々命を狙われてきたであろうクルミからすれば、まさしくそれは自殺行為にすら思えたことだろう。

 彼女がリコリスで、さらに言えば当代随一の実力を持つ、ファーストなのだとしても。

 ただ、僕にとっては全く以て他人ごとではない。

 

「起こったことはしょうがないだろ。だからこれを」

「千束につけるのか?」

 

 黙って、頷いた。

 

「胸騒ぎがするんだ。僕のこういう勘は、よく当たる」

「確かに。それこそ地下鉄襲撃の時も、そうだったな」

 

 そこでしばし、クルミは目を瞑る。

 二度三度と小さく頷いて、再びその目を開きつつ、彼女は続けた。

 

「……ボクも、準備だけはしておく。二基飛ばすんだろ? 一基はバックアップ要員か?」

「いや、違う」

 

 はぁ? と疑問の声を上げる彼女に、僕は答えを示す。

 

「一つは、()()()だ」

「攻……はぁ? ドローンでか?」

 

 火器を乗せるとなれば、ロクに飛ばんぞ。指摘するクルミに、そうじゃないと首を振った。

 

「直接の制圧を目指しているわけじゃない。まあ、その時になればわかるよ。なってほしくはないけど」

 

 言って、勝手口へと回る。そして開けた扉から両手に持つ二基のドローンを空に放った。昨日から無事稼働している件の監視装置の測位点を中心に、千束さんの上空五十メートル程度で周辺を哨戒するようプログラムした二基のドローンは、そろそろ傾き始めた太陽が黄色く照らす空高くに舞い上がっていく。それを見届けて、奥間に戻った。

 

「クルミ」

「なんだ」

「君のドローンの充電も、始めておいてくれ」

「わかった」

 

 その言葉に頷いて、僕はホールへと向かった。

 

 

 

 そこから数時間。カウンターに広げたラップトップには、千束さんのGPS測位データに加えて、上空からの彼女の周辺映像が映し出されている。辺りはすっかり暗くなってきているが、取り敢えずのところ、彼女の外回りの行程で特にトラブルらしきものはない。あとはそのまま彼女が無事にリコリコに戻ってくれば、僕の心配は杞憂になる。

 それなのに。

 さっきから感じている胸騒ぎは、夜の闇がその色を濃くするに比例して、大きくなっていくばかりだった。

 

 そしてそれは、突然のことだった。

 断末魔のような叫び声を上げながら、誰かがホールに転がり込んでくる。いや、誰何するまでもない。それはクルミだった。

 まずいまずいまずいまずい、と。譫言のように繰り返しながらカウンターまで駆けてきた彼女の手には、何かの写真が映ったタブレットがあった。

 

「見てくれ!」

 

 そして、それを突き出す。写真の中には、ベージュの制服を纏った、四人の少女が収められている。つまりそれは、リコリスだ。

 

「これは銃取引の時のDAのドローン映像、殺されたのはこの四人だ!」

「つまり、この情報が敵の手に渡っている、と?」

 

 言葉を発する余裕すらないとばかりに、彼女はコクコクと頷く。しかしそれだけで彼女がここまで焦る理由はない。

 いや、問題はそこではないのか。

 

「なんでこれが流出した?」

「それは……」

 

 クルミが、言い淀む。昼のやり取りがフラッシュバックした。

 

「……あの時のハッキングか」

 

 ミカさんが、己の中にあったであろう心当たりを口にした。

 「あの時」とは、つまり武器取引の時間に起きた、DA中央サーバーへのサイバー攻撃のことだろう。

 

「DAもまだそのハッカー見つけられてないようです」

「アンタの仲間じゃないのぉ? さっさと調べなさいよ!」

 

 たきなさんと、ミズキさんの、声。クルミは、追い詰められている。

 ああ、これはやはり()()なのか。眉間に手を当て、首を振って、一度だけ溜息をこぼして――そしてクルミに、声をかけた。

 

「クルミ」

「……何だよ」

「もう、これは言うしかないぞ」

 

 促す僕の言葉に一頻り逡巡する様子を見せた彼女は、往生際悪く一度だけ目線を逸らして、それでも、とうとう観念した。

 絞り出すように、それを口にする。

 

「……ボクなんだ。あの時の攻撃は、ボクがやった」

 

 僕以外の三人が、驚愕の叫び声を上げた。

 そしてその勢いのまま詰め寄ろうとする三人の前に、僕は身を滑り込ませた。

 

「聞かないでやって下さい。彼女の攻撃は、DAへの悪意からくるものではないですし、彼女が武器取引に絡んでいたわけではない」

「いや、悪意がないって言ったってねぇ……!」

 

 なおも責め立てようとするミズキさんに、僕は頭を下げた。

 

「この通りです! こいつは悪い奴じゃない。確かに違法アクセスは褒められたことじゃないですけど、今は、今だけは、聞かないでやってくれませんか」

「隼矢……」

 

 掠れた声で、クルミが言う。

 

「それに、今はクルミのことを問い詰めている場合ではないはずです。……クルミ、それだけじゃないんだろ?」

 

 問う僕の声に、クルミは頷く。暫くタブレットを操作して、そして僕たちに画面を向ける。

 

「……いかんな、これは」

 

 その中身を目の当たりにして、ミカさんが呻くような声を上げた。

 

 

 

 そこには()()()()()姿()()()()()()()()

 つまりそれは、さっきからガンガンと頭に警告を発し続けている僕の悪い予感が、最悪の形で的中する可能性が非常に高まっていることを、意味していた。

 

 

 

 深呼吸を一つ。心を落ち着けろ。焦っても意味はない。僕の仕事は、頭を使うことだ。だから。

 

「……とりあえず、手当だ。クルミ」

「わかってる。ドローンはすでに飛ばしている」

「ありがとう。ミカさん」

「ああ」

「至急車の用意をお願いできますか。千束さんの位置はこちらでトラックしています。ルート選定はお任せします」

「わかった。銃も持って行こう」

「助かります。ミズキさんは運転をお願いします」

 

 一つ一つ、指示を出す。駆け出していく大人二人を横目に、今度はたきなさんにも声をかけた。

 

「たきなさん」

「はい」

「千束さんに至急連絡お願い。今のところは不審な影はないけど、いつ襲ってきてもおかしくない」

「わかりました」

「ありがとう……ッまずい!」

 

 ドローンの映像に目を落とす。千束さんが歩いている旧千葉街道沿いに、後ろから高速度で接近する複数の車が見える。

 

 ――リコリスへの襲撃は、車による轢き逃げから始まる。DAの情報が、否応なく脳裡に去来した。

 

「たきなさん! まだ千束さんは出ない!?」

「今かけてます……あっ! 千束!」

 

 千束さんが電話に出るや否や、たきなさんは叫んだ。

 

「千束、今狙われているのはあなたです! すぐに逃げて!」

 

 ドローン映像に目を向ける。よりにもよって電話に出るタイミングで、千束さんは立ち止まっていた。

 

「だめだ、間に合わない……千束さん、受け身取ってッ!!」

 

 届くかどうかすらわからない呼びかけを、たきなさんの持つ電話口に怒鳴った、その直後に。

 

 

 

 ドローンの映像の中で、千束さんが車に弾き飛ばされた。

 電話口からは、ここからですら聞こえる轟音が響き渡る。そしてそのまま無情に、電話が切れた。

 

「千束っ……千束ッ!!?」

 

 たきなさんの悲痛な叫び声が耳を刺す。歯を食いしばって、千束さんの監視情報に目を向けた。

 バイタル正常。衝撃検出は、当然車とのインパクトの瞬間に大きく振れたが、しかし転倒検出は、なんと反応がない。

 シグナルは継続して送信されている。さっきの衝突で壊れたわけではない。ならば、彼女はうまく受け身を取れたか。

 

「たきなさん、落ち着いて。千束さんはうまく受け身を取った。多分、大事はない」

 

 弾かれたように、たきなさんがこちらを見る。その顔に余裕はなく、目は見開かれたまま。

 

「ただ時間的余裕はない。うまく死んだふりをして迎撃はできるだろうけど、結局相手は車だ。逃げ切るのは厳しい。うまく追い立てられる可能性は高い」

「ならどうするんですかッ!」

「落ち着いて。だから車を――来た」

 

 言っている最中に、外からエンジン音が響く。暫くして、乱暴に表口が開けられた。

 

「車回してきたわよ!」

「ありがとうございます! ……クルミ、君のドローンが到着次第、オペレート頼めるか。位置情報はシェアしてる」

「わかった。隼矢、キミは?」

「……今回は、僕も現場に行く」

「隼矢さん!?」

 

 表口から出ようとした姿勢のまま驚愕の面持ちでこちらを見たたきなさんに、答える。

 

「ごめん。これは僕のわがままだ。あの時、千束さんを止められなかったから……だから」

「……わかりました。危なくなったら、車の下に潜っておいてください」

「わかった」

 

 そして僕たちは、表に止まる車へと駆け出した。

 

 

 

「千束さんは、うまく敵を撒いたみたいです。小松川公園の方向に移動中」

 

 クルミを除いた全員で乗り込んだリコリコ社用車の赤いSUVは、旧千葉街道へ向かう道をひた走っている。

 その中、僕はミズキさんに現状を報告すべく声をかけた。

 持ち込んだラップトップに映るドローンのカメラ映像には、黄色いポンチョを脱ぎ捨てて逃走する千束さんの姿がある。どうやら「死んだふり作戦」のあと、纏っていたポンチョを目晦ましに使って相手を撒いたらしい。

 

「わかった……全速でぶっ飛ばすから、皆しっかりつかまってなさいよ!」

 

 直後、シートに体を押し付けられる。文字通りアクセルを全開にして、ミズキさんは車を加速させた。

 

 千束さんの周辺に、彼女を追跡する敵の姿は見えない。とりあえずの危機自体は去ったようにも見える。

 しかしこの程度で諦める敵なら、あの時きっと北押上駅で死んでいるだろう。どう考えても、まだ千束さんが予断を許さない状況下にあることは間違いがなかった。

 

 果たしてしばらくすれば案の定、事態はよくない方向に進み始めた。

 

「ダメか……どうやら相手のバックにも観測手がいます。向こうの車が小松川公園方向に走り出しました」

 

 千束さんへの自動追尾を切って襲撃犯の車の直上につけている観測ドローンが、隊列を組んで旧千葉街道を小松川公園方向に走り出す車の群れを捉えた。

 こちらの車との距離と相対速度から、千束さんがいる小松川公園への到着時間差を見込む。

 

「今のままの速度では、あちらが公園について約四分後にこっちも到着する感じです。展開次第では最悪、銃撃戦になります」

「……わかった」

 

 今度は、ミカさんが答えた。

 

「クルミ、君のドローンはまだか?」

『すまん、今全速力で向かわせているけど、キミたちが公園につくのと大体同じタイミングがやっとだ』

「そうか……わかった」

 

 千束さんのGPS情報と、監視ドローン自身のGPS情報をプロットする。彼我の距離は急速に近づいていて、このままでは確実に千束さんは追い詰められる。もう、一分もない。

 近づいて、近づいて、近づいて、その果てで。

 

「千束さん……ッ!」

「ッ!」

 

 画面の中の彼女が、接敵する。上げた声につられてか、たきなさんが声にならない声を上げた。

 車は近づき、千束さんはそれに振り向いて銃を向ける。マズルフラッシュが焚かれ、わずかに彼女の姿が横にぶれた。それはいつもの戦闘機動だ。銃弾を避けて、流れるような反撃に移る。そして――。

 

「……流石だな、千束さん」

 

 非殺傷弾を受け、男が弾き飛ばされる。運転手だったか、主を失ったその車が横転していく。

 突っ込んできた車を捌いて、千束さんは当座の危機を脱したようだ。油断なく銃を構え、彼女は吹っ飛んで公園の芝生の上に転がる男に近づいていく。

 

「まだ追手は次々来ますが、とりあえず先頭の一台は捌いたみたいです。後は我々が千束さんを回収できれば……」

 

 少しばかり余裕を得たと思って、僕は車を運転するミズキさんにそう、声をかけた。

 

 しかし。

 

 ドローンが撮影するカメラの中、銃を突きつける千束さんに、倒れていた男が急に振り返った。光源が照らす姿は、()()()()()()()()()()()

 瞬後、千束さんが目を覆う。男が起き上がる。銃を投げ捨て、拳を構えて、振りかぶって。

 

 

 

「――え?」

 

 そして、千束さんが、殴りつけられた。

 僕が見てきた数々の任務で、一度の被弾も、服の汚れすらも許さなかった、千束さんが。

 男に、殴られていた。

 

 

 

 自分の中で、何かのスイッチが、入った気がした。




無敵のヒーローなんて、幻想だ。
分かっていても。知っていても。
それでも、君のそんな姿は、見たくなかった。
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