世界の背表紙で、君と踊ろう   作:厳冬蜜柑

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それはきっと、幸せなことだった。
手遅れになる前に、気づけたんだから。

だからもう、迷わない。



#0x09 Never say goodbye (2/2)

 たきなさんに僕の思うところを伝えてから、更に一日が経った。

 真島討伐作戦の開始まで残り二日となったその日、千束とたきなさんのリコリス二人組は依頼で午前から外に出ていた。

 ――銃を使うこともない仕事だし、大丈夫だよ。

 そう、千束は僕に言い残してから店を発った。

 僕の様子はそれほどに、彼女にとっては分かりやすいものだったのだろう。何か手伝えることはないかと訊こうとした台詞も、結局は言えずじまいだった。

 

 一方のたきなさんは、未だ心の中に迷いを抱えている。最低でも、僕からはそう見えた。

 原因など、言うまでもない。昨日店にやってきたリコリスの二人から齎された、通達についてのことだ。

 

 たきなさんには現状、DAからの招集がかかっている。つまりそれは、「DAへの復帰」の打診とほぼ同義であった。

 

 DAの、本部付けのリコリスとして返り咲く。かつての彼女にとって、最大かつ最優先の目的だったことは間違いない。

 しかし今、事ここに至って、たきなさんは迷っている。あの場所に戻るべきかどうかについて、きっとまだ彼女の中で決心はついていないのだ。

 千束の現状を前にして、どうするのがよいのか。自分は何を至上命題として動くべきなのか。それは昨日、僕が彼女に投げかけた言葉にも重なるものだ。

 当然、答えなど一朝一夕で出るものではなく、それでも時間は有限で、二つの狭間に囚われたたきなさんの葛藤は、故に察するに余りあった。

 

 いずれにせよ、今朝がたの彼女の態度は、そんな揺れ動く内心の有様を克明に示していたと言えよう。

 何を話しかけても、リアクションがワンテンポ遅れる。目に見える現実に、まるで集中できていない。

 総じて気もそぞろで、仕事に身が入る様子ではとてもなかった。

 

 さもありなん、とは思う。共感するところは大いにあった。

 一方でたきなさんに対して、抱く懸念を伝えざるを得なかったのもまた事実だ。

 

 ぼーっとして、不注意で取り返しのつかないことになったら、DAに戻るか戻らないか以前に、君の命が危ないと。

 仕事中は、目の前のことに集中するべきで、他のことは忘れるようにと。

 

 至極当然の忠言だろう。しかしたきなさんはそれにすらも鈍い反応しか示さず、そのままリコリコから出て行ってしまった。

 

 リコリスとしての自覚はどこへ言ったと謗ることもできよう。しかし僕はそうする気にはなれなかった。

 余裕がないという意味では、僕だって同じなのだ。ましてや思春期の少女でもあるたきなさんに、ただ「割り切れ」と言うのはあまりに酷だろう。

 

 しかしいずれにせよ、現状のたきなさんの振る舞いは明白に仕事には差し障る。

 こればかりは如何ともしがたく、結局僕は千束に対して、たきなさんに目を配るように注意を促さざるを得なかった。

 

 本末転倒かもしれないが、背に腹は代えられなかった。

 

 

 

 昨日に続いて、鈍色の雲は上天に重くのしかかっている。そしてそれは午後過ぎから、雨になった。

 千束とたきなさんのいない午後過ぎの店内はどこまでも静かで、大粒の雨が窓を叩く音がやけに大きく響く。

 

 いつぞやの、悩んでいた僕をミカさんとミズキさんが見かねて相談に乗ってくれた日も、こんな空模様であったことを不意に思い出す。

 しかしいま外に盛んに降り頻る雨は、あの日のものとはあまりに裏腹に、どこまでも寒々しい。

 あの日の慈しみすらも感じた店内の空気とはまるで違う、底冷えするような寒さだけが、この空間を支配していた。

 

 

 

 その中で、僕とクルミは示し合わせて、一つの行動に出ていた。

 

 論文から技術仕様を追って、物理的手段で千束を救う手立てを探すのは、謂わば正攻法だ。確実かもしれないが、時間がかかる。

 翻って僕たちには時がない。悠長に資料を一つ一つ洗っていく余裕など、ありはしないのだ。

 

 ならば別の手を打つべきは当然のことで、依って僕たちは()()()()()()にその手立てを求めた。

 当時の事情を知る人から、人工心臓に関する情報を得る。そこから、或は人伝てで、開発者のことも知れよう。連絡を取ることだって、もしかすればできるやもしれない。

 いずれにせよ、やれることはなんでもすべきだろう。そう提案したのはクルミで、決めたのは僕だった。

 

 つまり僕たちは、話を聞こうとしたのだ。誰からかなど、隠し立てするほどのことでもない。

 ()()()()だ。事ここに至って、僕たちは彼から引き出せる情報の中に手掛かりを求めんとしていた。

 

 

 

 カウンターに座るミカさんは、珍しいものを持っていた。

 市販の、紙巻き煙草だ。その紫煙をくゆらせて、ミカさんは沈んだ表情のまま手許に目を落としている。

 

「ミカさんほどうまくできた自信は、ないんですが。……どうぞ、コーヒーです」

 

 カウンターの向こうから、僕はミカさんにコーヒーを出す。初めはクルミが淹れると言い始めたのだが、しかしそれは断った。なんとなく、手ずから僕が淹れたかったのだ。あの日、ミカさんにそうしてもらったように。

 

「……ああ、ありがとう」

「煙草、吸われるんですね」

 

 僕の言葉に何を思ったか、ミカさんはその口元に、苦い笑みを浮かべた。

 

「罪悪感を覚えると、吸いたくなるんだ」

 

 自分を痛めつけるのには、丁度いい。そう言いつつ、また目を下に落とす。

 そこに居た堪れなさを覚えたか、また或はガラでもないと思ったか、そんなミカさんの横に腰を下ろすや、クルミが呆れたように声を上げた。

 

「そんなマズそうに吸うなら、やめろ」

 

 どこか棘のある物言いだ。ミカさんは何も返さず、ただ皮肉げに笑った。

 

「クルミ……」

 

 彼女らしいはらしいのだろう。それでも今のミカさんには、それは酷な追い打ちにも思える。

 だからそれを少しばかり窘めつつ、しかし僕もまたミカさんに言葉を投げた。

 

「でも実際、似合わないですよ、その顔は。……レコード、かけてきましょうか」

 

 ミカさんがその提案に頷く。ならばと僕がカウンター裏から出ようとしたところで、「ボクが掛けてくる」と言い残し、クルミが席を立った。

 向かった先は二階席の下だ。そこにある飾り棚の上には、アンティーク調のレコードプレイヤーが鎮座している。先日のチョコパフェ狂騒曲の最中に、ミカさんが仕入れたものだった。

 

 彼女が視界から消えて暫くして、果たしてその場所からは音楽が流れ始めた。落ち着いた雰囲気のジャズピアノの音が、店内に沁み入るように響く。

 

「……いいセンスですね」

 

 僕の言葉に、ミカさんは少しだけ、それでも楽しそうに笑った。だろう? と、得意げな声色で言いながら。

 

 

 

 

 

「少しばかり、調べました」

 

 一呼吸おいて、僕は再び口を開いた。まずは本題に入る前の前提部分として、認識合わせを試みる。

 

「千束の言うところの『ヨシさん』。彼女に人工心臓を与えた、『アラン機関』の人間。フルネームは、吉松シンジ。……本名かは、わかりませんが」

 

 ミカさんは、黙って頷いた。

 

「ウェブ上には、その素性や動向に関する情報は見当たらない。全て、徹底的に消されている。残っているのは、痕跡ぐらいだ」

 

 そして僕の言葉を、クルミが継ぐ。ミカさんは目を瞑って、だろうな、と呟いた。

 クルミの言葉を、今度は僕が引き継ぐ。

 

「彼と付き合いが長いミカさんには、非常に言いにくいことではありますが。僕とクルミは、その『吉松』という男に、疑いを持っています」

 

 つまり、と繋いで、その根拠に言及する。

 

「初めは、『松下』の護衛依頼でした。あの最終局面で、『松下』が千束に言ったこと。『殺す』ことを、『使命』だと言った。『アランチルドレンならば』、と」

 

 ミカさんは、何も言わない。

 

「二つ目は、先日のバーの件です。あの時はご迷惑をおかけしましたが、でもあの時『ヨシさん』――吉松が千束に言ったこと」

「『松下さん』と、同じだった。そう言うことか」

 

 彼の言葉に、頷く。

 

「そして、今回の件。千束の人工心臓のことを知っている人は、決して多くないはずです。その技術仕様や、欠陥についてなら、猶更」

 

 その言葉を聞いて、ミカさんは僕の方を向いた。

 

「つまり、千束の心臓に細工をした看護師は、シンジの手の者だ、と。そう言いたいんだな」

「……合理的な推論を積み重ねると、それが最も蓋然性の高い結論になります。ミカさんには、申し訳ないですが」

 

 お互いに、押し黙る。そこに横から、声がかかる。クルミだった。

 

「これは、千束のためだ。……ミカ」

 

 それはいつもより、幾分か低い声だった。有無は言わさぬとばかりに、彼女はミカさんに畳みかけた。

 

「聞かせてくれ。吉松はなんで千束に心臓を与えた? ミカ、お前とはどういう関係だったんだ」

 

 彼は、すぐには答えない。故にそこには、沈黙が広がった。レコードから聞こえるジャズと、外の雨音だけが、相も変わらずこの場を繋いでいる。

 そのままただ待っていれば、堪えきれなくなったか、ミカさんはうなだれ、そして天を仰いた。そのまま一つ嘆息し、とうとう徐に口を開いた。

 

「十年前の話だ」

 

 

 

 十年前。千束が七歳のころ。それは旧電波塔事件が発生するほんの少し前の話だ。

 千束はその当時ですら、当代最強の、或は歴代最強のリコリスとして名を馳せていた。訓練では全戦全勝。多対一、オープンスペースでの、本来ならば自殺行為としか言いようがない編成での組み手ですら、彼女は一切の被弾すらもなく、尋常ならざる強さで以て訓練相手を寄せ付けなかった。

 

 しかし、彼女は己の裡に一つの問題を抱えていた。

 ――先天性心疾患。訓練などによって激しい運動を行った後、彼女はかなりの確率で倒れた。発作の発症においてチアノーゼ反応がみられなかったことから、病態はおそらく、心房中隔欠損症か、心室中隔欠損症と推測される。ただミカさん自身が話した発作の症状から考えると、かなり深刻な心室中隔欠損症だというのが、話を聞いた僕の見立てだ。

 しかしいずれにせよそれは、幼いころ、或は出生直後の手術を行えば、問題なく治癒するはずの病気だった。しかし千束の出自は孤児だ。その親はわからず、或は産み捨てられたかもしれないような、そんな存在だ。手当など、されていようはずもなかった。

 

 そこにきてDAのリコリスとしての激しい訓練が千束の心臓を散々に痛めつけ続け、結果彼女は致命的な破局にまで至りかけた。いや、ほぼ至っていたと言ってよい。

 つまり千束の病状は悪化の一途を辿り、本来ならば騙し騙しではあっても成人後も生きていける程度だったはずの千束の心臓の病気は、彼女が七歳時点ではもはや、余命半年を宣告されるほどにまで進展してしまっていたのだ。

 

「だから、私はシンジを頼った」

 

 そこで、吉松シンジという男が登場する。ミカさんは訓練教官になる前から彼とは知り合いで、そしてその時点から既に()()()()()()()()ただならぬ関係でもあったようだ。

 その彼に、ミカさんは千束の価値を示した。それを示すことで、「アラン機関」のエージェントとしての彼に、千束を救ってもらおうと考えた。

 つまり、吉松はその事の発端から、千束の戦闘能力こそを才能だと見出したのだ。類稀なる「殺しの才能」を持った少女として。他ならぬ、ミカさんの売り込みが、そうさせた。

 

 斯くして、千束には「命」が与えられた。

 「無拍動・完全置換型人工心臓」。それが、その「命」につけられた、名前だった。

 

「つまり、ミカさん。あなたが千束を救おうと考えたのは、それが『千束』だったからという理由ではない、と」

「殺しの、道具。ミカ、お前もそう思っていたんだな、千束のことを」

「クルミ、お前……」

 

 クルミの、そのあまりに直截的な言い方に、抗議の目を向ける。

 

「今更取り繕ってどうする。ミカには本当のことを話してもらわなくちゃいけないんだぞ」

 

 しかし思いのほか強い調子で、彼女は反駁した。

 その通りだ。何も言えなかった。

 

「シンジは言ったんだ。この、現在の医療技術の数世代先を行く人工心臓にも、欠陥があると。それが、耐久性」

 

 ミカさんは答えなかった。そのまま、話を続ける。

 

 持っても、千束が成人するまで*1。つまり、十年と少し。それが人工心臓の耐久性の限界だった。そういう意味では、今年の春の時点で既に十七歳だった千束にとっては、今回のことがなくても、固より時間はあまり残されてはいなかったのだろう。彼女自身が言った通りに。

 

「しかし、リコリスの現役期間は長くても十八歳。その期間をカバーするシンジの人工心臓は、その頃の私にとって十分に実用に足る代物だった」

 

 そして、事態は核心へと近づいてゆく。

 その千束への心臓の移植に当たって、ミカさんは吉松と一つの約束を交わしたらしい。

 

 ――彼が、いや彼()が見出した千束の「殺しの才能」を、必ず世界へと届けるように、と。

 それこそが、「錦木千束」という一人の少女に命を与えた、アラン機関のエージェントとしての吉松シンジという男の使命であるが故に。

 

 ミカさんはというと、確かに多少の驚きはあったというが、しかしそれに関してはあっさりと受け入れたのだという。何故なら千束はリコリスで、そうである以上その約束は必ず果たされると思っていたからだ。そのことについて、深く考えることはなかったと、彼は釈明した。

 

「あの時の私には、人工心臓の耐久性も、シンジとの約束も、或は千束だって、その程度の存在だったんだ。……君たちの、言うとおりだ」

 

 悔悟の念すらも滲ませて、ミカさんが僕たちに言う。

 ひたすらに項垂れて、その目もずっと伏せられたままで、まるでどこからか罰が下されるのを待っているようだとすら、僕には見えた。

 でも、僕は知っている。ミカさんが今、千束にどのような心持で以て相対しているのか。

 

「それでも、今のミカさんはそうじゃない。千束を、『千束』として見ている。違いますか」

「……隼矢くん」

「何かきっかけが、あったんですか。千束を、あの子を見る目が変わった、きっかけが」

 

 その言葉に、溜息をまた一つつく。そして彼は再び、昔語りを始めた。

 

 

 

 きっかけは、些細なことだったという。吉松は、心臓移植によって命を与えることになる千束を、ミカさんに託した。DAではない、ミカさん個人にだ。

 そこにはいくつかの思いがあったのだろう。

 アラン機関として、DAよりもミカさんをこそ、信頼に足る存在だと見定めた、とか。

 千束の経過観察において、自分と関係の深いミカさんを使えば、直接の接触が難しくなる今後においても有利に働くという打算が働いた可能性もある。

 そしてまた或は――あの時冷徹な瞳でこちらを見据えて、何の情動すらも感じられなかったあの吉松をしても、ミカさんという個人に対するなにがしかの情が、働いたのかもしれない。

 

 その真相は、ミカさんをしても分からないと言うが、しかしとにかくその吉松の願いを受けて、ミカさんは千束を受け入れた。ある種の、「娘」のように。

 そうして暮らしていけば、いずれ必ず情が芽生える。それが人間だからだ。

 敢えてロマンのない言い方をすれば、つまりは「単純接触効果」に他ならない。兎も角それは、例外なく当時のミカさんにも働いた。

 

 そこから始まったのは、彼にとって未だ輝く、黄金の日々だった。幼気な千束と二人過ごした今は遠い記憶を、彼はここにただ手繰る。

 はしゃぐ声や浮かぶ笑顔に、恥ずかしいほど真っ直ぐに見上げてくる、透明なまでの彼女の目線も、まるで昨日のことのように彼の心の中にはあるのだろう。

 そしてその無邪気さと清らかさは、今になってもきっと、変わってなどいない。

 

 そうだ。だからこそミカさんは、彼女に()()()()()しまったのだ。彼女という、人間に。

 

 そうしてそこから、幾日かの時が過ぎた、ある日のこと。

 ついに到った千束の心臓移植術の日に、手術を行う病棟の中で、彼女は出会った。アラン機関のエージェントとして、手術の監督に当たるために現地に入っていた、吉松と。

 

 その生来の鋭い洞察力で、彼女は初対面の吉松を、「私を助けてくれる人」と認識した。

 そして、尋ねた。どう礼をすればよいのかと。

 吉松は答えた。「君には使命がある」と。だからこそ、自分は君にとっての、さしずめ「救世主」になったのだと。

 

 

 

 斯くしてその日、彼女は自らの信じるところの「使命」を得た。自らの命を救った「救世主」に、託された使命を。

 

 

 

「皮肉だな」

 

 クルミが、言い捨てる。苦い顔だった。ミカさんは、何も答えない。

 

 僕は、千束が殺しを忌避するようになったのは、あくまで自分を救った吉松の行動に倣おうとしたのだとばかり、思っていた。

 しかし、それは間違いだ。彼女自身の言葉は、ある意味では彼女自身を騙している。

 

 吉松が、千束に伝えた言葉を。「使命」の意味を、「救世主」という、名乗りを。当時の千束はきっと、自身の信じるあり方のままに捉えたのだろう。文字通り、一人でも多くの人を救うことこそが自らの使命なのだと、そう考えたに違いない。

 そう考えれば彼女は、その記憶の深い場所に眠る、自らが与えられたと信じるその「使命」に、未だ愚直なまでに従っていることに気づかされる。

 つまりその日の出来事は、本人すら意識できないほどの心の奥の底の底に、まさに礎石の如くに据えられているのだろう。己の人格の根幹を形成するにも足る、原初の約束の記憶として。

 

 何という精神性だろうかと、感嘆するよりない。

 そして思う。彼女の心の中で、その礎石がしっかりと根を張って、どこまでもその心の拠り所となっているからこそ、彼女の心の美しさは、長じた今この瞬間においても寸毫たりとも色褪せてはいないのだろう、と。

 

 しかしもしそうなのだとすれば、その原初の記憶、思想の礎石とは、致命的なすれ違いの上に立脚している酷く不安定なものでもあるのかもしれない。

 何故ならば吉松の言う使命とは、誰かを「殺す」ことに他ならないから。千束に彼が期待するのは、「殺しの才能」を、世界に大きく誇示することなのだから。

 

 認めようとも思わないが、しかし吉松のそれもまた、一つの透徹たる信念ではあるのだ。

 そして二人の考えは、価値観は、その無垢さゆえにどこまでもすれ違い続けて、今に至る。

 

「なぜ千束の命を狙う」

 

 だから、そう問うたクルミの声には、僕が答えた。

 

「吉松は、千束の命なんて狙っていない」

「どういうことだ? 現にヤツの手下の女が、千束の心臓を壊したんだろ?」

「違うんだ。だってクルミ、おかしいとは思わないのか」

「は? 何が……いや、そうか」

 

 言いかけて、クルミは気づく。聡い彼女が気づかないはずがない。

 そうだ。本当に命を狙っているのであれば、あの女は千束をいつでも殺せたはずだ。あの診療所の中、深い眠りに入って、無抵抗の彼女を殺すことなど、全く容易いことだったはずだ。それなのに、そうしなかった。ただ、人工心臓の稼働日数だけを、減らした。

 

「世界に才能を送り出す、それが彼らの至上命題だ。今の話を聞くに、吉松という男は、その信念の向き先こそ理解しづらいけど、でも歪んではいない。ならば、その信念に逆行するようなことを、するはずがない」

 

 前に僕が洞察したことは、間違っていなかった。彼の持つ精神性は、狂信者のそれだ。才能を神とした、絶対的な信徒であるとも言えよう。ならば、彼の行いの狙いは、多少は推論できるかもしれない。

 誰も言葉を発することのなくなった空間で、息を継ぎ、言葉を継ぐ。

 

「千束の残り時間を、ギリギリまで減らすことに、何かの意味を見出した。例えば……()()()()()()()()()()()()()()ため、とか」

 

 その言葉を言った瞬間に、僕の背後でガタリ、と音がした。振り返る。

 

「……今の話、本当ですか」

 

 そこには、雨に濡れた格好をそのままにした、たきなさんがいた。

 

 

 

「聞いていたのか……?」

 

 驚いたような、ミカさんの声。たきなさんは頷き、そして横を向いた。

 

「ミズキさんもいます」

「ちょ、ちょっと、アタシまでバラすことないでしょ!?」

 

 抗議の声を上げながら、観念した面持ちで、ミズキさんも現れた。

 まあ、いてもいなくてもよい。いや、いた方が話が早いか。

 

「僕の言っていることは、推論に過ぎない。本当のところがどうかは、わからないよ。でも」

「その可能性は、高いと?」

「高いとまでは、言えない。だけど、追ってみる価値はある。と、思う」

 

 その言葉に、クルミが声を上げた。

 

「なら、真島から追うのがいいだろう」

「……どういうことだ?」

 

 真島と、吉松。一瞬その二つのつながりが理解できず、クルミに問い返す。

 

「隼矢、お前なら分かるはずだぞ」

「何を言って、……あ、そういうことか」

 

 しかし彼女にそう言われて、そこで僕は気づいた。

 

「武器取引の背後。DAへの攻撃は、アラン機関の指図だった。その話か」

「そうだ。つまり真島は、アラン機関の支援を受けている。恐らくは、吉松からだ」

「他のアラン機関の連中からという線は、ないのか?」

 

 僕の反論に、クルミは首を振る。

 

「DAへの攻撃を依頼してきた人間の声。電話越しだから百パーセントの確信は持てないが、あの声は吉松だった」

「なら、ほぼ確定か……」

 

 思わず、呻くような声を上げていた。あの無茶苦茶な犯罪者に、吉松が支援をしている?

 僕の思った彼の人物像と、その行いがリンクしない。しかしもしそれが真なのであれば、確かに突破口はある。

 

「たきな、DAの作戦に参加しろ」

 

 クルミが、たきなさんへと声をかける。

 

「吉松の足取りを直接追うのは難しい。ならばすでに場所も面も割れている真島から辿るのが一番早い」

 

 これはチャンスだぞ。畳みかけたクルミに、しかしたきなさんは少しだけ、顔を伏せた。

 

「……今回の作戦、断ろうかと、思っていたんです」

「何故だ。望んでいたんだろう? DAへの復帰」

 

 驚いたような声で、クルミが問い返す。それでも僕は、思わざるを得なかった。やはりか、と。

 それは昨日、たきなさんから受けた相談の中、僕が突きつけた問いへの答えであって——そして彼女の心の天秤は、千束との時間を過ごす方に傾いていたのだと。

 

「諦めかけてたんだよ、たきなさんは。受け入れて、最後の思い出を作ろうと、考えたんだ。千束との」

 

 一瞬だけ、たきなさんはこちらを向く。そしてどこか残る悔悟の情にか、口を結んだ表情でゆっくりと頷いた。

 

「隼矢さんの、言う通りです。私は、諦めかけていた。……ですが、変わりました」

 

 クルミを真っ直ぐに見据えて、そして彼女は宣言する。

 

「私がDAに戻って、そして真島を捕らえることで、千束が助かる可能性が少しでもあるのなら。戦います、DAで。DAに戻って」

 

 そこで一度呼吸を入れる。そこから今度はミカさんの方を向いて、彼女は続きを口にした。

 

「千束には、私が直接伝えます。……だから明日一日、時間を下さいませんか」

 

 そこまで言い切って、頭を下げて、そして上げる。

 そうやってこちらを見据える彼女の瞳には、決意の色が浮かんでいた。

 

 やるべきことをやり通すと肚に決めた、とてもいい顔つきだった。

 

 

 

 翌日。

 その日は喫茶リコリコにとって、とてつもなく珍しいことが起こっていた。

 千束が朝一にリコリコに来ていて、そしてその場にたきなさんがいない。たきなさんは少し場を外すと言って外に行っているだけではあるが、そうであるにしても奇妙な景色であることには違いなかった。

 そもそもこの店は、大体午前中には客が来ない。だから千束の遅刻癖が許されている部分も多かったのだが、何か考えるところがあったのだろうか。

 そう思って、考えるまでもないな、と思い返す。

 

 残り少ない日々でも、彼女は必死に生きようとしている。無理にでも声を上げて、陽気にふるまうのだ。自分のせいで周りの人たちの顔が暗くなることは、きっと千束にとっては耐えがたいことだろうから。

 

 それでも、朝のリコリコに客が来ないという事実は、彼女がいくら頑張ろうがどうにかなるものではない。つまりそれは彼女には珍しく、ただの空回りと言えなくもなかった。

 

 そのまま一頻り騒ぎ立てたあと、白けきった店の雰囲気に、とうとう千束は黙り込む。

 そしてそのどうしようもない空気のなか、「暇だな」とポツリ、彼女が呟いた、その時。

 

 来客を告げる鈴が、突然に鳴った。

 今日のお客第一号か。飛びつくように迎えに出ようとした千束が、その場で固まった。

 

 扉を開けて、姿を見せたのは、たきなさんだった。

 しかし問題は、その恰好だ。

 夏頃、千束との初めてのお出かけの時に買った、()()()()()を着て、彼女は表口に立っていた。

 

 

 

 たきなさんは、千束のことをおでかけに誘うことにしたらしい。それはそれこそ、あの夏のお出かけのお返しでもあり、そして僕が三日前に千束を誘ってデートのようなものをしたのと、似たような動機の行動でもあった。

 そしてその行程の最後で、彼女は千束に伝えるのだろう。自らがDAに戻ることを。

 千束を救うための戦いに、挑むことを。

 

 まあただそれにしても、とつい先ほどのことを思い起こす。

 このそろそろ冬にもなりそうな晩秋に、見ているだけで寒そうなあんな格好で店に現れるのは、結局最後までたきなさんらしい。恐らくまた、彼女たちの最初の予定はたきなさんの服選びになるのだろう。

 

 期待を込めた目線でミカさんを見る彼女に、彼は笑顔で答えた。行ってこい、と。

 

 

 

 その後、着替えた千束とたきなさんが連れ立って、リコリコから出て行ったあとのこと。いつもの通り午前中は客が来なさそうなことを確認して、僕はクルミのいる奥間へと向かった。今後の予定を話し合うためだ。

 

「あの人工心臓関連の技術資料は、やっぱりすぐには見つかりそうもないか」

「まあ、昨日の今日じゃ厳しい。せめて一月……いや、二週間ぐらいは欲しいな」

 

 入室してすぐ、襖の奥に向けて発した僕の言葉に、クルミはかぶりを振った。まあ、それもそうだろう。自分だって昨日の今日で何か進捗を出せと言われたら、困ってしまう。いかな天下のウォールナットでも、難しいものは難しい。それでも二週間でどうにか目途がつくというのは、彼女の信じられないほど高水準のスキルが故だ。

 

「じゃあ、結局は吉松頼みなのか……癪だな、何もかも『アラン』の掌の上ってのは」

「それも実際のところはどうかはわからんしな」

 

 クルミが痛い指摘を入れてくる。そうだ。あの話はあくまで僕の希望的推測で、吉松が何を考えて千束の心臓をいじったかは、本当のところはまだわからない。

 もし、彼が人工心臓の代替手段を持っておらず、千束の人工心臓の電池残量が足りなくなった場合、どうするか。

 あるいは、何らかのアクシデントで、彼が用意した手段が使えなくなってしまったような時に、何をすべきか。それもまた、考えなくてはならない。

 

「最悪、ブリッジの人工心臓を用意して絶対安静か。時間は、それで稼げる」

 

 そう、独り言ちる。

 そうだ。冷静に考えれば、千束を生かすことだけを目的とするなら、現代の人工臓器に関する技術を以てすれば不可能というわけではない。埋め込み型の完全置換型人工心臓にこだわりさえしなければ、心臓に相当する機能を機械の類で代替すること自体は、今の技術水準で十分に可能なのだから。

 

「だがな、隼矢。そんなこと、望むと思うか? 千束が」

「あくまでも、つなぎだよ。再生医療とかの目途が立つか、或は臓器ドナーが見つかるまでの」

 

 しかし、クルミの疑問もまた尤もなことだった。

 

 

 

 もし仮に、千束の循環器を体外式のものに置き換えて、彼女を無事に生き長らえさせることができたとしよう。

 その時、代償として彼女は、ベッドに縛り付けられることを余儀なくされる。今のように自由を謳歌するのは、到底不可能だ。

 リコリコで、あの場所で、再び「看板娘」として働く日々など、もはや夢のまた夢になり果てるだろう。

 

 それを千束が望まないことなど、僕には当然わかっている。

 彼女の女性としての、人間としての黄金期を、ベッドの上で無為に過ごす日々として空費させてしまうことの、残酷さだって。

 

 それでもなお、僕は信じていたのだ。

 ――生きているだけで、死ぬよりはマシだ、と。

 

 だからこそ、これは最後の手段だった。

 命を繋いで、恒久的な対処を実現するまでの時間を稼ぐためだけの、窮余の策だった。

 

 

 

 僕の答えに、クルミが腕を組む。

 

「なら、金はどうする。そもそもDAが千束一人のために投下した資本を、そんな形で棒に振ることを許すか?」

 

 次なる問いを放った彼女の声色は、真剣そのものだった。

 中身にしても同じだ。それは間違いなく、現状の問題点を的確に衝いている。

 気づけば僕もまた、クルミに倣うように自らの腕を組んでいた。

 

 僕にしても、今彼女の指摘したところが目下最大の懸念であることは、当然に認識している。

 「金がないのは首がないのと同じ」とはよく言ったもので、つまり僕に言わせれば、心臓の問題によってDAにおける千束の存在価値が毀損しつつある現状、彼らが彼女に下す裁定が温情含みになることを期待するのは、あまりに楽観が過ぎるのだ。

 最低でも僕はそう考えていたし、クルミにしてもきっとそうだった。今のところ、彼女を死なせないことに至上の価値を置いている、置こうとするような人間は、あの組織絡みではミカさんぐらいのものだろうから。

 

 はっきり言おう。僕とクルミは今、双方ともに強烈な危機感を抱えていた。

 何となれば現状において、DAが千束を見捨てた時が即ち彼女の命の果てる時だというのは、動かしがたい真理なのだ。特に千束を、人工心臓の替えがない状態でなお生かそうとするのなら。

 

 同時に、僕は思った。故にこのタイミングこそが、切り札の切り時なのかもしれないと。

 組んでいた腕を解く。こちらを見据えたままのクルミと、正面から視線がぶつかった。

 

「受けるしか、ないんだろうな、そうなったら。DAの、情報部の」

 

 小さく、息を吸い込む音がした。

 

 

 

「隼矢、お前……」

「どれぐらいやれるのかは分からない。けど、切れるカードは切るしかないんだ。あっちに雇われるとき、それと引き換えにして、当面の千束の医療費を工面してもらう」

 

 僕の切り札というのは、つまりスカウトについてのことだった。

 あれは未だ保留中で、どちらとも定まっていない、宙に浮いた提案となっている。向こうとて半ば忘れかけている可能性もあるが、いずれにせよこれを受けて、そしてDA内部で成果を上げ続けることと引き換えに千束の延命治療の約束を取り付けるのは、今僕の取れる選択肢の中では最も確実なもののように思われた。

 

 両属の状態になるとはいえ、DAの一員になって、彼らの「活動」の支援をする。

 正直に言えば、忸怩たる思いはあった。あれだけ唾棄すべきだと思っていたはずの彼らの暴力の行使を、今度は後押しする立場になるのだ。当然のことだろう。

 同じように血を浴びて、同じように手を汚す。なれば以降の僕には、もはや彼らのやり口について公然と指弾する資格など残るはずもない。

 

 判っている。理解している。しかしそうなったときには、他にもう道はないのだ。

 千束の命を、贖うために。つけられるであろう値段に釣り合う働きで、時を稼がねばならない。

 

「DAが千束に投資する金を惜しむなら、千束の『時間』は、僕が買う。それしかない」

 

 だからこれは、本当に「最後の手段」だ。それでも、余地だけは残さねばならなかった。覚悟だけは、しておこうと思っていた。

 

 

 

「もしそうなったら、君もちょっとぐらい協力してくれよ」

「……考えておいてやる」

 

 籠めた含意を、どれほど汲み取ったのか。クルミはどこか重苦しく、小さく答えて、目を瞑る。

 僕から一度顔をそらして、目線がPCのモニタへと向いた。開かれた目の中、青白い光が映り込んで、無機質に彼女の瞳を照らしていた。

 

 静寂の帳が降りて、互いに何も口に出せない時間が続く。

 未だ降り続く細雨がサッシを叩く音が、遠くに聞こえた。

 

 その中で、ふいに微かな呼気の音がする。額に掌を当てて、クルミが天を仰いだのを、視界の中に捉えた。

 

「考えておいては、やるが」

 

 ポツリと、声が漏れる。言うまでもなくクルミだ。横を向いて、僕を見た。

 

「けどな、隼矢。ボクには分からないんだ」

 

 瞳に湛える光の色に、糾弾にも近い疑問の意図を感じ取る。

 そして彼女は目を眇めて、自らの問うべきところをはっきり言葉にした。

 

「何で、そうまでして千束を生かそうとする? だってお前それ、DAに自分の人生ごと売り渡そうとしてるんだぞ。分かってるのか?」

 

 問う声は、悲憤にも近い響きを伴っていた。

 

 

 

 DAに、人生ごと売り渡す。言い得て妙の表現かもしれない。聞く人が聞けば、僕のこの選択は単なる愚挙であると一刀のもとに斬って捨てることもあるのだろう。

 千束にかかる、恐らくは数千万円に及ぶ医療費を受け持ってもらうには、或は僕はあの組織に文字通り骨を埋める覚悟で臨まねばならないだろうから。

 

 だからクルミの疑問は、当然のものだ。僕にだって、分かっていた。

 それでも、分かっていてなお、僕はこの選択を躊躇しない。排除するつもりもなかった。

 

 理由が、あるからだ。決心に至る、強い動機があるからだ。

 

「千束が、あの子が死んだら。僕はまた、どうしようもなくつまらない、ろくでなしの人生に戻るだけなんだ。言っただろ? 僕のハンネが"rascal"な理由」

「……まあ、聞いたが。あれは冗談半分だと思っていたぞ」

 

 そうだ。彼女は認識している。いつかの時に千束に語った、社会人として生き始めて二年の間に懐いたどうしようもない無力感と、怠惰に溺れる日々のことを、腐り切った諦めの情のことだって、クルミは既に知っていた。

 一年ぐらい前のことだったか。そんないつかの馬鹿話の中で、僕は「ウォールナット」――クルミにそのことを話していたのだ。

 

「だったら猶更、その原因になったDAに身を捧げるのは、馬鹿らしいんじゃないのか」

「それでも、千束が死ぬよりはマシだ」

 

 強く、断言する。

 薄っぺらな自己犠牲の精神によるものではない。投げやりの、破れかぶれの破滅願望に根差すものでもなかった。

 どこまでも僕は正気で、語る全ては疑いようもなく、本心からのものだった。

 

 

 

 視線を逸らさず、正面からクルミを見据える。

 またも沈黙が二人を結んで、しかししばらくして彼女は、一度目を閉じた。

 

 そうか。ぽつりと呟く音を、耳が拾う。そこからあまり時を置かず、彼女は顔を上げて、瞼を開いた。

 やおら、手が動く。ゆっくりと擡げられた両の(かいな)が、掌が、僕の両肩へと置かれた。

 

 触れ合ったところから、体温が、熱が伝わる。瞳の中すら覗き込むようにして、視界のほど近くの場所で、唇が開かれた。

 

「なあ、隼矢。だったら二人で逃げるのはどうだ?」

 

 斯くて零れ落ちてきた言葉は、甘美な誘いの響きを持っていた。

 

 

 

「……何を、馬鹿なことを」

 

 発した声は、自分でも分かるほどに掠れて、震えていた。

 

「世界がつまんないっていうなら、ボクとお前で、好き放題やるのさ。今の仕事なんて、辞めちまえよ」

 

 言いながら、クルミは口の端を吊り上げてみせる。いつものような、ニヒルな微笑みだった。

 

 つまらない日常を抜け出して、クルミと二人、世界にすらケンカを売りながら、好き放題に生きる。

 僕たちの力を合わせて、僕たち以外の全てを手玉に取って、どこまでも楽しく暴れ続ける。確かに彼女と二人なら、やってやれないことはないのだろう。

 

 本当に、魅力的な誘いだった。()()()()()()()()()()()()

 

「冗談でも言うなよ、そんなこと。今は千束の話を――」

「ボクが冗談で、こんなことを言うと思うか?」

 

 半ば腹立ちまぎれに答えた僕に、しかしクルミは有無を言わさぬ声で、言葉を被せてくる。肩に置かれた手の力は強く、向けられた目は真剣そのものだった。

 逃がさんとする強い意志に縫い留められ、瞳の光の引力に吸い寄せられた視線の向こうで、クルミは一度大きく息を吸う。

 

 そして、問うてきた。

 

「なあ、正直に言え。どうして、千束を助けたいと思っているんだ?」

 

 あまりにも真っ直ぐで、有無を言わせることすら許さない、本質を抉るような、シンプルな問いだった。

 

 

 

 クルミがどういう意図を以て、僕にこれを訊ねんとしているかは分からない。しかしいずれにせよ、僕は彼女の前に立って、己を偽ることはできなかった。

 意味がないことを、知っているからだ。彼女に対して、この期に及んでくだらない隠し立てをする自分を、自分で許せる気がしなかったからだ。

 

 ならばきっと、ここが年貢の納め時なのだろう。まさかクルミに最初に言うことになるとは、思ってもいなかったけれど。

 

 軽く目を瞑った。二度ほど息を吸って吐いて、その末に覚悟を決める。

 瞼を開き、視線を合わせて、出てきたのはまさしく、決定的な言葉だった。

 

 

 

()()()()()()()()()()だ。千束が」

「好きになった。そういうことか?」

「……分からない。それは本当に分からない。だけど」

 

 真正面から、最後の一言まで聞き漏らすまいと僕を見据えるクルミに、更に一拍間をおいて、己の真意を告げる。

 

「あの子は、()なんだ。僕にとって」

 

 光。小さく反芻して、しかしクルミは目を逸らさない。

 

「初めてここに、リコリコに来た日から。『こっち側』じゃなくて、客として来た日から」

 

 ずっと、誰にも言ってこなかった。千束にだって、そうだった。大仰に過ぎて、重きに過ぎて、口にするのはどうにも気恥ずかしかったから。

 でも今は、今だけは、言わなければならないと思った。言いたいと思ったのだ。

 

「こんなままならない世の中で、あの子は自由なんだ。自由だったんだ。ままならなさを正面から受け止めて、否定しないで、でも自分は曲げない」

 

 そうやって生きることの、それができることの強さは、どれほどに得難いものなのか。最低でも、僕にはできなかったのに。

 

「眩しかった。輝いてたんだ。千束が、あの子がいるここが。世界まで、ぱっと色がついたみたいで。だから――」

 

 ぐっと、腹に力を入れる。視線に意志を込めて、クルミを見据えた。

 そして今、声に載せる。抱える決意を、拠って立つ理由と一緒に。

 

「僕は、諦めない。あの子のいない世界は、時間は、僕にはもう、耐えられないから」

 

 

 

「――そうか」

 

 クルミが、笑った。

 いつもの皮肉げなそれではない。とても柔らかく、慈愛すら感じる微笑みだった。

 

「なら、いい」

 

 しかしそれもほんの一瞬のことで、発した呟きと共に僕の肩から手を放した彼女が浮かべた表情は、すっかりいつものようなニヒルなそれへと変わっていた。

 こちらから目を逸らして、モニタと向き合いながらも、不敵な声色で僕に告げる。

 

「ボクはこれから、お前が見つけた論文から辿って人工心臓の開発者を追う。ついでに吉松の足跡もだ。あいつが予備の心臓を持っているかどうか、裏取りだな」

 

 ――だから隼矢、お前は。

 

「お前は、自分の信じる通りに動け。多分明日からは、忙しくなるぞ」

 

 

 

 クルミのその言葉は、今まで僕が聞いてきた彼女のセリフの中で一番、頼もしく聞こえた。

*1
本作では、成人年齢を十八歳と想定します




この話の主題の一つが、原作アニメを見ていて気になっていたことの中の一つの回収です。

つまり、最悪寝たきりなら人工心臓止まっても体外循環とかで生かし続けることはできるんです。我々の世界の現在の技術水準でも、余裕でできます。そして余裕でやっていることです。

あと体外式人工心臓を繋ぎに使い続けるとかでも、生きることだけならできます(作中でも言及してますが、これをブリッジ使用と言います)。まあその場合、リコリスとしては死んだも同然ですが。

そういうところへの、作者なりの解答がこの話です。



そして主人公は、ようやく自分の気持ちに正直になりました。

(12/14 0:33) 千束の呼称間違いを修正
(12/23 21:47) 表現の一部修正
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