世界の背表紙で、君と踊ろう   作:厳冬蜜柑

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「生きて」。

それは、祈り。
そして、願い。
原初的で、単純で、凡庸で。
愚直で、素朴で、ありふれた。

君の嘘を暴くための、たった一つの僕の切り札。



#0x0A Stay alive (原作第十話)
#0x0A Stay alive (1/3)


 DAが真島一味の掃討作戦を行うと周知していたその日が、とうとうやってきた。

 その朝のこと、僕は早くから起床して、自室で作業をしていた。

 

 デスクトップマシンの上で、メーラーを開く。

 作業の目的は、複数にまたがっていた。

 その第一として、DAとの交渉についての進捗を確認する。

 それは一昨日あたりにたきなさんに対して言ったことだった。つまりDAに対して、今後の作戦の中で彼らの想定外の事象が起こったとき、オペレーターとして千束の動きの監督権をこちらに譲渡してもらおうとしていた。

 その交渉自体はは昨日持ちかけたものなのだが、当然と言うべきか、彼らは最初難色を示した。

 理由など、問われるまでもないだろう。DAの中の最高の単体戦力について、この重大局面においてその監督を全くの他人に委任させるということなのだから、普通に考えればあまりにも無理がある依頼だ。

 しかしそれでも、僕は根気よく説得を続けた。

 

 もともと千束自身がDAからの指示命令に諾々と従うような人間性をしていないことを、指摘する。第一、真島掃討作戦自体に参加するかも怪しいのでは、と彼らの図星を突いておくことも忘れない。

 そこから、それに対して自分は喫茶リコリコの一員として過ごした半年余りの時間で、彼女との信頼関係の構築に成功していることを示していく。錦木千束という個人の戦力の運用に関するノウハウを蓄積できていることもまた、その中には含まれていた。

 そして締めくくりに、千束の人工心臓の問題を挙げながら、彼女の突発的リスクに対応できる人員として僕以上にふさわしい存在はいないことを、強く主張した。

 

 そうやって一つ一つ積み上げた論拠を前にして、最終的に彼らは折れた。

 僕にとっては、今日以降の一連の動きの中で、千束を救うための第一の手立てを手中に収めた瞬間であった。

 

 

 

 その次に進めるのは、全く毛色の違う話だ。とはいえそれも、千束の命をどうにか救うための仕込みには相違ない。

 つまりそれは「プランB」、千束の人工心臓をどうにかする手立てが期限の中で見当たらないとなった場合の、命綱ともいうべきものだった。

 市ヶ谷経由で、()()()()設備と()()()()()()()()()()()()()()()の用意のある病床を確保してもらう。

 昨日、クルミと合わせていた話だ。何とか現代の医療技術で、つまりは人工臓器のブリッジ使用で、千束の命を繋ぎ止める。そして同時にこの病床は、もし仮に人工心臓の替えが確保できた場合には、その置換術のために転用することも想定していた。

 そういうこともあって可能な限り早く確保してほしい旨を依頼したところ、彼らは三日後には病床の空きを作る旨の連絡を返してきた。そのスケジュールの中で確実に病床を使うことになるとは限らないというこちらの不躾なお願いにも、しかし彼らは文句ひとつなく応えてくれた。

 

 ありがたいことだ。彼らの無限とすら思える好意に、涙まで出そうになる。

 そして悟った。彼女の命脈はまだ尽きていない。救えるのだ、まだ。クルミも、たきなさんも、言わずもがな僕も、()()()()()()()()()()

 その決意を新たにして、そして最後の準備へと移る。

 

 

 

 それは、真島掃討作戦そのものに対する手当てだった。

 都度来る連絡からしても、たきなさんの口ぶりからも、DAは今日中に真島との決着をつけるつもりで、そして自らの作戦の成功を疑っていないように見受けられる。それは彼らの任務遂行に対する絶対の自信の表れではあるのだろう。今までこの国の治安を守ってきた自らに対する矜持と言うのも、そこにはあるのかもしれない。

 

 しかし僕からすれは、それはもはや過信の類にしか思えなかった。今までの真島にまつわる事件の経過を考えれば、当然といえるだろう。

 武器取引に始まり、地下鉄テロ未遂に、リコリス襲撃まで。その一つ一つの事件の中で、真島は常にDAの想定を上回っていた。出し抜き続けていたのだ。それが彼個人の資質によってか、どこからかの――いやこの際ぼかす必要もない、()()()()()の力を借りてのものであるのかは、分からないが。

 ただなんにせよ、これまでDAのことをいいようにあしらい続けたあの男が、その本拠地が割れた程度であっさり音を上げ、お縄につくわけがない。殺されてくれるなどと思うのは、以ての外だろう。それは一昨日、たきなさんとの話の中で共有した認識でもあった。

 

 だから真島は今回の作戦の中、ほぼ確実に何か仕掛けをしてくる。或は割れた本拠地に向かってDAがリコリスを集中させる今の状況を、逆手に取るかもしれない。

 例えばそのコンテナ船はもぬけの殻で、リコリスたちをその中に誘引したところで、()()()()()()()()()()()()、とか。

 

 いや、それはあくまで現場のリコリスを一掃する策でしかない。日本の治安にとって、もっと最悪の事態を引き起こす可能性を、僕は疑っていた。

 

 結局未だに、千挺もの銃火器のうちほとんどの行方が分かっていない。その行方が分からなくなった銃を、このタイミングで市中にばら撒く。あらかじめダークネット経由などで集めたこの国の不満分子に武器を渡し、リコリスの手が薄くなるこの瞬間を狙いすましての()()()()()()()()()()()()を狙う。あり得ない話ではない。

 

 そしてこの可能性に気づいた三日前の夜から、本庁の公安課の連中に依頼して国内の公安監視団体に関する動静の確認を急いでもらっていた。

 その経過について、結論から言えば、今日までに上がった報告の中では特にそう言った情報は未だ入ってきてはいない。しかし彼らの組織に潜伏中の公安捜査官が、同時並列的に気になる情報をエスカレーションしていた。

 

 ――DAが想定している、真島討伐作戦の決行日の翌日。つまり明日、東京の治安システム全般に混乱が起こる可能性を指摘する非公開情報が広まっている、と。

 

 詳細は全く分からない。しかしDAが極秘裏に進めているはずのスケジュールとの奇妙な一致に加えて、その情報が真島一味とは関係のない場所からも漏れ聞こえてくると言うことが、ある一つの蓋然性の高い可能性を指し示している。

 つまり真島一味は、DAの彼らに対する襲撃計画をどこかで掴んでいるのだ。そしてそれに対しては相応の準備があって、いなせる確信も持っている。故にそのことについて、大々的に吹聴しているのだろう。

 DA側もそれに対して何か情報を掴んでいると信じたいが、しかし今日に至るまで彼らからは計画の変更についての提案すらも聞いたことがない。そして僕の方も、彼らに対してそんな提案をやったところで、彼らにそれが受け入れられるとは思っていなかった。

 だから、僕は独自に動くことにした。それが、二日前のことだった。

 

 その動きの中、まず僕が連絡したのは内調だった。つまり自分が修習生として初期配属された組織だが、その縁を頼って僕は彼らに二つの仕事を依頼した。

 

 まず一つ目として、総理レクの実施を打診した。その第一義的な目的は、現在の東京都下における治安上のリスクを伝達することにある。しかしその実は、東京都全域に対する緊急事態宣言の発令をいつでも可能にする内諾を得ることが真の狙いだった。

 

 そしてもう一つ、そちらこそが僕にとって本命であり――盤面全てをひっくり返せる、鬼札の用意でもあった。

 つまり同じく総理に対して、万が一に備えての()()()()()()()()()()の態勢準備を、働きかけてもらおうとしていた。

 

 内調からの緊急の情報となれば、政府もそれを無視するわけにはいかない。事態はそこから、異例かつ異常な速さで展開した。

 今しがた届いた内調の連絡先からの情報共有が、その事態の急展開ぶりを何よりも物語っている。

 まずは治安出動に関して、防衛大臣が極秘裏に、東京方面の駐屯地に所属する自衛隊員を対象とした治安出動待機命令の発出を検討しているらしい。

 僕の連絡それ自体で動いたというよりは、やはり公安捜査官たちからの例の報告と、DAの動きに関する情報を総合的に勘案した内調側の警戒感がそれを実現したのだろう。

 そして今日午前中の閣議によって、事態が最悪の方向に動いた場合には、東京都への緊急事態宣言の発令を、都としてではなく国として行う異例の対応が閣議決定されるとの情報も、そこにはあった。

 

 事態はもはや僕の手を離れ、より大きな意思の元に動き始めた。十年前の電波塔事件以来の、いやそれ以上に大きなうねりが、この国の水面下で巻き起ころうとしている。

 そこに僕は、どこか暗い歓びすらも覚えていた。DAを出し抜いて、DAの鼻を明かして、そして彼らの手落ちをリカバリーできる絶好の機会だと。

 

 

 

 しかし、それでも。思い直して、僕は首を振った。

 自らを、律しなければならない。僕がしている全ての準備は、たった一つの目的を果たすためのものだ。それを忘れてはならない。

 

 千束の命を救うためだ。死なせないためだ。

 その本道を、絶対に見失ってはならない。僕は自分に、そう強く言い聞かせた。

 

 

 

#0x0A Stay alive

 

 

 

 一頻りの準備を終えて、喫茶リコリコに出向く。

 クルミへの成果の確認や報告、今日以降の流れの再確認と、そして千束にこれからの動きに関する事項を伝えるためだ。

 準備中の札のかかったドアを開き、中に入る。そこには対真島作戦に参加するためにDAに戻ったたきなさん以外の全員が集合していた。千束はこちらに背を向けていて、ほかのメンバーはカウンターに座っている。

 しかしその顔は、どこか暗かった。

 どうしたものか、そう思うより先に、千束から声がかかった。

 

「おー、隼矢さん! 待ってたよ!」

 

 底抜けに明るい声色だった。振り返った彼女は笑みを浮かべている。努めて陽気に振る舞う、ここ最近の千束の態度そのものだ。

 そしてそこから続けざまに放たれた言葉に、僕はこの店内の空気の原因を察した。

 

「ごめんなんだけど、喫茶リコリコは閉店することにしました!」

 

 どこまでもあっけらかんとした表情で、彼女はそう言った。

 

 

 

 反射的に、クルミを見た。この反応は、何かがあったと。

 

「なあ、もしかして」

「……すまん隼矢、千束にバレた」

 

 思わず、頭に手を当てた。彼女のこれまでの言葉のいくつかが、瞬時に頭を巡った。

 

 ――誰かの時間を奪いたくなんかない。

 ――楽しい場所にしたいんだ、この店を。

 

 それこそを存在意義とする彼女が、今の僕たちの在り方をみて何を思うかなど、火を見るよりも明らかだろうに。

 

「私のためにみんなの時間を無駄にするのは、よくないって。このお店でみんなが楽しい時間を過ごせないのなら、もう閉じた方がいいじゃん?」

 

 果たして、彼女はそう言った。いつも通りの笑顔のまま。

 

「それでね、皆のこれからの道を確認してたとこ!」

 

 千束は語り続ける。

 ミズキさんは、婚活サイトで知り合った、バンクーバー在住のイケメンに会いに行くと。ミズキさん自身がどんな顔でそれを言ったか、知りたいところだが。

 一方のクルミは、この店に潜伏できなくなる以上、外国に飛ぶ。それで自分が、ボードゲームの本場であるドイツを勧めたところだと。

 

「で? 隼矢さんはどうする?」

 

 そして当然の流れで、そう訊いてくる。しかし直後に、彼女は気づいた。

 

「あ、それについてはもう聞いてたか……」

 

 その通りだ。四日前、あの中野の展望台で、僕は確かに彼女に話した。元の職場に戻るだけだと。

 気まずい沈黙が場を支配する。なんだか少しだけ申し訳なかったが、しかし僕の心中に渦巻く腹立たしさの方が、はっきり今は勝っていた。

 

 そうだ、腹立たしかったのだ。

 彼女の主義を理解していても、その思想がどれほど尊かろうとも。

 

 

 

 ミカさんの過去の傷を抉ってでも、手立てを考えたのに。

 たきなさんに前を向いてもらったのに。

 クルミと覚悟を確かめ合ったのに。

 

 千束は、当の彼女は、()()()()()()()()()

 それが、僕にはどうしても受け入れられなかった。

 

 

 

「……今日の作戦。結局千束は参加することにしたの?」

 

 だから僕はそれには何も答えずに、千束に言うべきことを言うことにした。

 

「いや急だな……いや、まだ保留。というか、多分しないかな。それよりもほら、まだやることがあるかなってさ。店仕舞いの準備とか」

 

 千束の調子は、どこまでも変わらない。いつもならそれには頼もしさすら感じていたのに、今の僕にとっては、見ているだけで苦痛でしかなかった。

 

「そっか……昨日、DAに連絡したんだ。今回の作戦で君を戦力として運用する時には、僕を通してもらうように、許可を取った」

 

 わざとらしく、彼女は驚きの声を上げる。

 

「まっじで!? それ楠木さん納得したんだ」

「どうにかして、説き伏せた。……そもそも君が、楠木さんの言うことなんか聞くわけがないだろうと言ったら、割とあっさり折れたよ」

 

 僕の言葉に、彼女はたははー、と笑い声を上げた。

 

「言うねぇ隼矢さん。ま、分かったよ。行くかは分かんないけど」

 

 僕たちのやり取りを聞きながら、何か言いたげな顔でこちらを見るクルミに、目配せをする。

 その視線の先、彼女が頷いたのを確認して、そしてもう一度千束に向き直った。

 

「まあ、()()()()()()これが僕のリコリコ最後の『仕事』だから。……その時が来たら、頼んだよ、千束」

「了解! 最後だもんね、バッチリ二人で決めようぜ!」

 

 大仰な敬礼と一緒に、彼女は僕にウインクした。

 僕はもはや、それを正視できなかった。

 

 

 

「で? 本当のところはどうなんだ」

 

 リコリコから出るために、荷物の片づけをする。そう言って奥へと引っ込んだクルミを追って、いつもの奥間に入る。

 入り口の襖すら締め切って、そしてクルミは僕にそう問いかけた。千束に万が一にも聞かれないように。

 

「それはこっちのセリフだ。……本当に、ドイツに行くつもりか?」

 

 その言葉を、彼女は鼻で笑った。

 

「行くわけがないだろ? まあ、空港までは行くつもりだが」

 

 そして、真剣な顔つきで続ける。

 

「昨日言った吉松の件、調べを進める。タイムリミットは、恐らく明日だ。それまでにどうにかする」

「……頼む」

「それよりお前だ。あの話、本当なのか?」

 

 返す刀で、彼女が問うた。つまりは、千束のオペレートの件だろう。

 

「ああ。……嫌な予感がするんだ。今日、DAの連中は真島の本拠にカチ込むみたいだけど、それで終わりだとは思わない。いつか絶対に、千束の力は求められて――」

 

 言葉を切って、目を閉じる。呼吸を一つ、目を見開いて、そのまま言い切った。

 

「そしてその瞬間を、真島が待ち構えているような、そんな気がするんだ」

 

 クルミもまた、目を閉じた。

 

「それは、()か」

「ああ、()だ」

 

 その後数秒の間をおいて、彼女は目を開く。そして小さく数度頷いた。

 

「前、お前がボクに頼んだ()()()()()()()。いつもの押し入れに入れてあるから、後で確認しておけ」

 

 使うことになるとは、あんまり思っていなかったが。

 言いながら、彼女が笑う。それは見慣れた、不敵な微笑みだった。

 

「それは、助かる」

「……抜かるなよ」

「当たり前だ。あの子を助ける前に、死なせたりはしない」

 

 僕の言葉に、クルミは満足そうに頷く。

 しかしそこから数瞬の時すらもおかず、彼女は真顔になった。そして真剣そのものの声色で、忠言とばかりに口を開いた。

 

「隼矢。一つだけ言っておくぞ」

 

 頷く僕を、どこまでも真っ直ぐな眼差しで見てくる。そして、念押すように言葉を継いだ。

 

「今の千束を繋ぎとめられるのは、お前だけだ。……或はたきなも、そうかもしれないが」

 

 一瞬だけ目を逸らして、しかしすぐにこちらを見る。

 

「たきなは、脆い。千束が『そう』だと言えば、恐らくアイツは押し切られる。あれは、依存なんだ。元から対等じゃない。……でもお前は、違う」

 

 一歩、クルミが歩み寄り、そして屈め、と僕に言う。

 膝をついたところを、両肩に手を置かれた。

 

「隼矢。お前は、自分の意思によって()()()()()()。だからアイツと、ケンカが出来る。アイツの思い違いを、糾してやれる」

 

 誇れよ? そう、クルミは笑う。

 

「それは、ミカにも無理なことだ。お前にしか出来ない。お前だからこそ、出来ることなんだ」

 

 言いながら、彼女はさらに一歩踏み込んで――そのまま軽く、僕を抱きしめた。

 

 少しだけ高い体温を、前面に感じる。吐息すら間近に聞いて、クルミの心情すらも読み取れそうだと、錯覚してしまうほど。

 しかし彼女は、すぐにその身体を離す。そしてまた僕を見て、くすりと笑った。

 

「気張れよ、隼矢。……千束を、頼んだ」

 

 そう言った彼女が、僕の肩を二度ほど小突く。

 それは小さくとも、内に宿る願いを感じる、そんな声だった。

 

 

 

 夕刻。クルミとミズキさんは、迎車に呼んだタクシーでリコリコから去ろうとしている。二人が向かうは羽田空港、国外に出るにあたっての第一経由地だ。その本心は、どうであれ。

 千束とミカさん、そして僕の三人は、そんな彼女たちの見送りに出ていた。

 荷物運びを手伝いながら、千束はクルミに、初めて会った日のことに絡めながらのからかいの言葉をかけている。今度はキャリーケースに入らなくても空港に行けるね、と。

 しかしクルミは、それに答えない。

 

 どこまでもちぐはぐなテンションだった。千束ばかりが明るく振る舞って、そして誰一人、この現状に納得してなどいない。そうであっても、あの二人は大人だ。腹の中に本音を飲み込んで、黙って車に乗り込んでいる。

 そしてきっと、抗うのだ。千束には、何も伝えることなく。

 それに比べれば、僕はまだ子供だ。それを自覚する。あんな風に何もかもを割り切ることなど、僕にはできない。その理不尽を、飲み込むことだって。

 

 彼女たちを乗せたタクシーが、リコリコの前から走り去る。それを見送る千束の後ろ姿を、僕は何も言えずに見ていた。

 

 

 

 三人で一緒に、店内に入る。さあ、後片付けだ。そう独り言ちた彼女に、僕は声をかけた。

 

「千束」

「なぁに?」

「一応だけど、伝えとく。真島討伐作戦の開始時刻は、今日の夜九時。参加するなら、僕に連絡して」

「おっけー。ま、行かないけどね」

 

 軽い調子で、彼女は頷く。

 

「それと、僕は一応真島の問題が解決するまでは、ここの所属と言うことになってる。もし今日のうちに決着がつかなかったら、また明日ここに来るよ」

「そうなの? じゃ、閉店作業とか手伝ってよ、明日」

 

 相変わらずの気のない調子だ。真島のことは、今の彼女にとってはどうでもいいことなのだろう。

 あれだけ必ずとっちめてやると、気炎を上げていたのに。やはり彼女自身、その本心では余裕はないのだろう。見せないようにしているだけで。

 

 明日以降の営業の予定がなくなった店内で、僕は割れ物の類をひとつづつ整理していく。

 食器棚を開くたびに。食器を梱包材に包むたびに。この店で過ごした半年と少しの日々が、その記憶が、去来する。

 

 初めて「リコリス」としての彼女たちに出会った夜のこと。その戦闘力を間近に見て、驚きを隠せなかった。

 クルミ救出作戦でのこと。それは僕にとって初めての実戦だった。その高揚感と、達成感、そして成功体験は、僕のリコリコでの「仕事」のやり方の原点になった。

 たきなさんの移籍に関する理由を知った日のこと。自分の無知を恥じて、そしてリコリコの大人たちの優しさを知った。

 

 日々の「依頼」や、喫茶店の店員としての初めての接客業の経験だって、等しく僕には価値があった。それはこの先のあらゆるところで、きっと僕にとって意味を持つ経験に、血肉になってくれるはずだと、そう信じられるに足るものだったのだ。

 

 荒れ狂う激情が、胸中を渦巻いている。

 確かに、いつか終わりが来ることはわかっていた。今の僕の立場には、初めから期限が引かれていたから。どんなに長くても来年の四月には、僕はこの場から去らなければいけない。それは事実だった。

 しかしそうであっても、その別れ際はもっと明るいもので、希望に満ち溢れたものだと思っていた。その先の永劫の未来に向けて、僕はリコリコの仲間たちの幸福を確信できるのだと、祝福できるのだと、そう信じていたのだ。信じていた、のに。

 

 だから、納得できるわけがない。こんな形の終わりを迎えるなんて。そんな未来を受け入れるわけには、いかなかった。絶対に。

 

 クルミに言われたことを思い出す。僕はどこかのタイミングで、千束と()()()をしなくてはいけない。

 彼女の本心を暴く。痛いところを突く。彼女の被る仮面を砕いて、その超然的な態度の源を、心の奥深くに沈む()()を、引き摺り出さなければならない。

 そうしなければ、始まらないのだ。そしてその先で、こんな誰も幸せにならない結末を、絶対に覆す。

 

 梱包したダンボールが二桁を数えた時。外はすっかり暗くなっていた。

 カウンターの時計を見る。

 夜は九時、真島討伐作戦の開始時刻だった。

 

 

 

 千束が、カウンターに座っている。目を落とし、眺めているのはアルバムだった。

 それは彼女の、喫茶リコリコでの思い出の記録だ。一つ一つ噛みしめるが如く、彼女は手許のページを手繰っている。

 その姿を遠くから見ていたミカさんに、僕は声をかけた。外で、話がしたいと。

 

 ミカさんと二人連れ立って、外へ出る。すっかり暗くなった街、店内の明かりが薄く窓を照らす軒先で、僕たちは二人向かい合った。

 

「単刀直入に、言わせてください」

 

 彼の目を真っ直ぐに見つめて、僕は言葉を発する。

 

「ミカさんは、受け入れるつもりなんですか、千束の言うことを」

 

 あの時、クルミと一緒に吉松のことを聞き出したカウンターでのことを想起する。ミカさんは、千束の命を救うことに後ろ向きではなかったはずだ。

 それでも今の彼は、どことなく諦めのような感情を抱えて、千束のことを見ているようにも見える。それが僕には、どうにも納得できなかった。

 

「……私には、千束に何かを言う資格がない」

 

 ポツリと、ミカさんが答える。

 

「負い目が、あるからですか」

 

 もう、誤魔化しの必要はない。あの時聞いた話から導き出した推測を、そのままに彼にぶつける。

 彼は、僕を見て苦笑した。

 

「今日は、随分と真っ直ぐに来るじゃないか」

「最後かもしれないからです」

 

 ミカさんを、まっすぐに見る。韜晦は許さない。

 

「言っておきますが、僕はまだ諦めてはいません」

「そう、だろうな」

「そして千束が、『諦めている』ことも、分かります。しかもあれは、今日に始まったことではない」

 

 違いますか。ほぼ断定に近い口調で問う僕に、ミカさんは何も言わずに頷いた。

 

「千束のあれは、根が深い。並大抵の説得では、きっと彼女は考えを省みることすら、しないでしょう」

 

 だから、と息を継いで、僕はミカさんに最後の確認をする。

 

「率直に、聞かせてください。ミカさんから、千束の本心を引き出すことは、しないつもりなんですね?」

 

 それは、最後通牒でもあった。本来ならば、ミカさんにこそが果たすべき役割であるはずのそれを、僕が横取りする。

 十年もの付き合いの中で、親子のような情を育んできた彼らを差し置いて、僕が横から、千束を()()()()()

 それを、彼が許すかどうか。僕が訊いているのは、そういうことだった。

 

「言っただろう、隼矢くん。私には、その資格がない。千束のしたいようにさせる。それが、私の選択だ」

 

 それが答えだった。ミカさんは、自分が持っている権利を、放棄した。千束を繋ぎとめる役割を。

 ならば、僕の答えもまた、決まった。

 

「ミカさん」

 

 呼びかけてから、心を静めるように、改めて一呼吸する。

 何故ならそれは宣戦布告にも等しいからだ。千束の「父親」に対する、挑戦状にも近い。

 手を握る。覚悟を決めて、そして告げた。

 

「明日。僕は千束と『ケンカ』をします」

 

 その言葉に、ミカさんは目を瞑った。

 

「僕の考えを、ぶつけます。みんなの考えも、千束の思い違いも。――そして、僕の想いも」

 

 そして僕の最後の言葉に、ミカさんは驚いたような目で、僕を見た。

 

「隼矢くん……君は」

「僕もまだ、自分のこの感情が何なのか、整理はついていません。でもとにかく、僕は千束に死んでほしくない。生きていてほしい。彼女のいない時間には、意味がない」

 

 だから。そう間を繋いで、僕はミカさんに、頭を下げる。

 

「先に、謝っておきます。――僕はミカさん、貴方の役割を、横取りします。……ごめんなさい」

 

 言って、そのまま数秒が経つ。

 

 未だ頭を下げたままの僕の肩に、手が置かれた。顔を上げる。

 ミカさんは、笑っていた。どこか肩の荷が下りたかのような、心安らいだような、そんな笑顔だった。

 

「……アイツは、幸せ者だ」

 

 そう呟いて、彼はどこか遠くを見た。

 

「隼矢くん。……千束を、頼む」

 

 そして僕の肩を叩いて、佇む僕をそのままに、彼は店内へと戻っていく。

 叩かれた肩に手を当てて、思わず彼の背を目で追っていた。そして暫くの後、彼の言葉の意味を理解する。

 

 そして、僕は悟った。

 また一つ、思いを背負ったことを。負けられない理由が、増えたことを。

 或は、真島に。そして何より、明日向き合うと決意した、千束に対しても。




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