世界の背表紙で、君と踊ろう   作:厳冬蜜柑

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備えてさえいれば、死は忍び寄っては来ないだろう。
最も警戒すべきは、事を成した、その直後。


#0x0C Farewell, my childhood (2/2)

 旧電波塔第二展望台は、千束とたきなさんの二人がこの数日に亘って続けてきた奮闘の終着点となった。いや、もしかしたらそれは千束にとって、これまでの十年という彼女自身の半生そのものに対する、一つの区切りですらあったのかもしれない。

 全てが終わったこの場所には、今まさに彼女たちの労をねぎらうかの如く、迎えの影が差している。

 ミズキさん操るヘリコプターだ。クルミもまた、その中にいる。二人ともに手を振って、千束を、たきなさんを、近くへと誘った。

 

 果たしてまずたきなさんが、全面に広がる窓ガラスの一部を破壊する。外から響くローターの風切り音が、ひときわ大きく響き渡った。

 その後限界まで幅寄せしたヘリコプターにリコリスの二人が無事乗り移ったことを見届けて、僕は漸くカメラを切った。

 

 ヘッドセットを外し、いつぶりかの地下駐車場の景色に、ほっと息をつく。

 車内の時計を見れば、現在時刻は午後五時を示している。作戦開始から、一時間半あまりが経過していた。

 しかし僕の主観としては、それよりもっとずっと長い間、戦い続けていたような気もする。一切の弛緩が許されない局面がひたすらに続いていたからだろう。

 そして自分がそうなのだから、前線で戦い続けた千束やたきなさんの張りつめ方はいかばかりか。僕もあとで労わなければならないな、などと埒もないことを考えていた。

 

 徐に、身を起こす。

 気を取り直して、延空木方面の情勢を改めて確認するか、と思ったタイミングで、車のドアが開いた。

 

「あれ? ミカさん」

「やあ、隼矢くん。その後、どうなった?」

 

 僕が目線を向けたその先には、防弾チョッキで身を固め、銃を手に取るミカさんが立っていた。

 

 

 

 彼からの問いに答えようと口を開いて、直後僕はどこか違和感のようなものを視界の中に覚えた。

 殆ど直感に等しいそれに、数秒頭を悩ませる。しかし疑問は、唐突に氷解した。

 

 つまり、ミカさんの格好だ。

 彼は今、()()()()()()()()()()。杖をついていなかった。

 

「ミカさん、その、杖は……?」

「ん? ああ、これは……」

 

 しまった。そんな表情を一瞬だけ浮かべたミカさんが、数秒の逡巡のあと口を開いた。

 

「あれは、ブラフなんだ」

 

 曰く、「ブラフ」と。つまり、普段は足に不具合を抱えて歩けないふりをしているが、実際は歩けるということだろう。

 彼のことだ、そこにはそうするべき何かの理由が、きっとあるに違いない。

 

「……まあ、詳しくは訊かないでおきます。命が惜しいので」

 

 冗談めかして言うと、ミカさんもどこかニヒルに口の端を歪ませた。

 

「長生きできるタチだな、隼矢くんは」

 

 一頻り笑い合って、しかしミカさんから訊かれていたことがあったことに気づく。

 

「そうそう、進捗ですが、とりあえず一頻り片付きました。真島は千束がたきなさんと一緒に無力化。それと電波塔の第二展望台に吉松がいて、予備の心臓のケースを持っていました。こちらも確保してます」

 

 簡易にまとめたその報告に、ミカさんは大きく頷いた。

 

「完璧だな。シンジは、どうした?」

「吉松に関しては、少しいざこざがありまして。……第二展望台で、彼付きの女性戦闘員と一緒に拘束して放置しています。千束とたきなさんは、ミズキさんとクルミが用意したヘリで離脱しました。たった今」

 

 なるほど。そう言って、彼はまた頷く。

 

「なら、シンジについては私に任せてくれ。後の()()は、こちらがやろう」

 

 頼もしいその言葉に、お願いします、と首肯しかけて――しかし彼の言い草に、少しばかり引っかかるものを感じた。問い質す。

 

「それはありがたいですが……吉松を、()()する、と仰いましたか、今」

 

 返ってきたのは、数秒の沈黙だった。そしてその後、ミカさんはどこか決まり悪げに口を開いた。

 

「前言撤回だ。早死にするぞ、君は」

 

 裏にどんな意味があるのか、もはや言うまでもなかった。

 ミカさんは、吉松を文字通り「処理」するつもりだ。今回の顛末の――否、四月から続く一連の騒動の裏側を知ったことで、恐らくミカさんは覚悟を決めたのだ。

 

 「吉松の存在は、千束を不幸にする」。ミカさんは、そう結論付けた。

 故に、殺す。全てはただ、千束のために。自らの想いに、蓋をしてでも。

 

 確かに、一つの答えではあるのだろう。尊重するという選択肢だって、排除すべきではないのかもしれない。

 それでも、僕は断じた。彼の選択を、受け入れるべきではないと。

 

 何となれば、他でもない千束が、そんなことを望まないだろうから。吉松が死ぬことも、ミカさんが手を汚すことも、等しく彼女の願いではないだろうから。

 僕もまた、ミカさんが選んだ道の先に僕たちが望むべき未来があるとは、どうしても思えなかったから。

 

「千束は、しっかり吉松に『さよなら』をしました。彼女の中で、彼は思い出になった」

 

 言葉を選びつつ、口を開く。

 

「でも彼女は、吉松に死んでほしいと思っているわけじゃない。いや、彼女は最後まで吉松の傷の手当てをしていました。死んでほしい、訳がない」

 

 ミカさんは、何も言わない。知っている。そう思っているのだろうか。

 ならば、別のアプローチで後押しをしようか。

 

「僕からしても、彼は公安の重要な捜査対象になります。身勝手な理由で、()()されては困ります」

 

 嘘は言っていない。今回の顛末が終わったあとの報告書には、「アラン機関」とそのエージェントである吉松についての記述は外すことができず、結果として彼が公安にとって重要な取り調べの対象になることはほぼ確実だ。そのとき、身柄を確保する前に何者かによって殺されていましたとなれば、困るのは僕になる。

 

「丁重に、身柄を確保していただけますか? その後は、公安に引き渡していただくことになりますが」

 

 僕の言は依頼でありつつも、しかし有無を言わせぬ要求にも等しかった。

 その言葉に、ミカさんは押し黙る。そして数秒の沈黙の後、渋々と言った様子で口を開いた。

 

「可能な限り、善処しよう」

 

 

 

 その後、旧電波塔へと乗り込んでいくミカさんを見送って、僕は運転席へと移った。一路喫茶リコリコへと戻るためだ。

 クルミに連絡を取れば、彼女たちはチャーターしたヘリを、どう言いくるめたのか知らないが錦糸町駅近くの病院屋上にあるヘリポートに一度降ろすつもりのようだ。その後ミズキさんだけは羽田空港にヘリをトンボ返りさせ、彼女以外の全員はそこから一度リコリコに帰ってくるらしい。

 ミカさんが旧電波塔に「後始末」に出かけた旨を伝え、そしてリコリコで一度合流することを全員で確認してから、僕は漸くにして車を発進させた。

 

 

 

 三十分後、ミカさんとミズキさんを除いた四人は、リコリコのホールに集まっていた。

 天窓から差す夕日が、店の中の遍くを橙色に染め上げている。

 その空気の中、千束は「ようやく気を緩められる」とばかりに、座敷の上に寝っ転がった。

 

「いやぁ、疲れたぁー……」

 

 その声には、確かに心底からの疲労が見え隠れしていた。

 たきなさんの方はといえば、カウンターに座りながらもいつの間にか付け替えていたDA側のインカムでなにやら会話をしている。

 

「たきなさん、そういえばDAとはどうなったんだっけ」

 

 僕の問いかけに、彼女は顔を上げた。

 

「今、確認していました。私の方から、真島を旧電波塔で確保した旨の連絡はすでにしてあります。延空木のほうは、自衛隊の方々が突入されてきたこともあって、彼らに場を任せて順次撤収中のようです」

 

 あ、と呟きが漏れた。楠木さんに対する報告を忘れていたことに思いが至ったからだった。

 急いでDAのホットライン相手に、今回の顛末を軽くまとめたものを送信する。

 

 こちらの独自情報から、電波塔に真島がいることを掴んだこと。

 緊急性が高いと考え、千束をそちらに向かわせて、またたきなさんを救援要員として急遽呼んだこと。

 これらの対応の結果として、真島の身柄を確保することに成功したこと。

 

 嘘は言っていない。吉松に関する事情を端折ったのも、DAに伝える必要のある事実ではないというだけだ。不誠実な物言いではないはずだ。

 とりあえずこれで、義理は果たした。あとはリコリスたちの撤収を待ち、治安出動中の自衛隊が内部の制圧を完了させ、延空木内部の安全が確保できれば、今日の全行程は終わりと言うことになる。

 

 そうなると、次は千束の心臓に関する話だ。クルミに話しかける。

 

「クルミ、千束の心臓移植手術に関してだけど」

 

 僕の言葉に、顔を上げたクルミがこちらを見る。

 

「一応こっちで、市ヶ谷関連の病床を確保してある。万が一に備えて、体外循環設備とブリッジ目的の外部設置型人工心臓の用意もしてもらってる。明後日には使えると」

「……準備がいいな、さすがに」

 

 半ば呆れたような物言いで、クルミが僕にそう返してきた。僕たちのそのやり取りに、千束ががばり、と身体を起こす。

 

「そうだ、手術があるんだった……痛いんだろうなぁ、やだなぁ……」

 

 頭に手を当て、心底嫌そうな顔で僕たちの方を見る。

 

「注射も苦手ですもんね、千束」

 

 背後から、たきなさんが彼女に声をかけた。面白がっているような口調だった。

 言わないでよぉ、と情けない顔でたきなさんの方に歩いていく彼女を見ながら、僕とクルミはどちらともなしに顔を見合わせた。

 

 ともあれこれで、やるべきことは済んだのだ。

 リコリコの騒がしくも愛しき日常を、無事に取り戻すことができたのだ。

 どこかそんな達成感を、僕たちは共有していた。

 

 

 

 ――しかし、話はそこで終わってはくれなかった。

 

 丁度そのタイミングで、僕のスマホが鳴動する。ポケットから取り出して見てみれば、それは内調からのメッセージだった。

 どうにも、今更のことに感じられる。或は何か、喫緊のことでもあったか。思いつつ、手早く内容を検めた。

 

 果たして彼らは、延空木に関しての続報を送ってきていた。

 物理的な話としては、DAのリコリスと協働する形で、自衛隊の人員は概ね内部の掃討と安全確保を完了させたとある。撤収作業自体はあと三十分程度で終わる見込みだと彼らは言っていた。ただしそこには一つだけ問題が残っているとも、書かれていた。即ち、どうやら延空木の中にあるテレビ放送用電波の送信設備の制御が、依然として取り戻せていないらしい。

 

 また同時に、DAからも連絡があった。

 延空木の電波送信設備に加えて、DA側の情報収集や情報統制を担う中央システム――彼らは「ラジアータ」と呼んでいるようだ――の制御が乗っ取られており、これが未だ回復できずにいる、と。

 

 延空木が電波塔としての機能を取り戻すため、そしてDAの通信インフラを元に戻すため、まだ事の全てが終わっているわけではないようだった。

 そしてそれが、僕にとっての最後の仕事になるのだろう。双方からの依頼として、延空木の電波送信設備の制御を正常化してほしいというのが、畢竟この連絡の趣旨だった。

 

 

 

「ああ、それな。ボクも気になっていた」

 

 今来た二つの情報についてクルミに共有すれば、彼女はさっきとは打って変わって真剣な面差しで僕に返してきた。

 そしてそのまま、一つのUSBフラッシュメモリ様のデバイスを取り出す。

 

「ボクの腕をもってしても、って言い方はあれだが、とにかく今の延空木を外部から攻撃して制御を取り戻すことは難しい。かなり強固にアクセスコントロールがされている。というより、送信設備への干渉が、多分VPN越しに行われてるんだろう」

 

 クルミは言いつつ、取り出したデバイスを手の中で玩ぶ。

 

「恐らく延空木の制御を乗っ取ってるヤツも、()()いった物理的に設置されたバックドア越しに攻撃をしてるはずだ。……恐らく、相手はロボ太だな」

「あいつか……」

 

 一時間ほど前、回線越しに話していた若者の声を思い出す。

 真島一味に協力していたあの男は、通信路の向こうの僕にも伝わるほどに、肥大化した自己顕示欲を抱えていた。最低でも、こちらからはそう見えた。つまりあの男は悪い意味で、ギークらしいギークだった。

 

「だから、やるならこっちも物理的バックドアを仕込まないといけない。つまりこれだ」

 

 そして、僕に手に持っていたデバイスを差し出す。

 

「隼矢。延空木の送信機室か制御室の中央管制サーバーを見つけて、これを挿し込んできてくれ。そうすれば後は、ボクがどうにかする」

 

 その言葉に、たきなさんが一早く反応した。

 

「なら私も同行します。隼矢さんを今の延空木に一人で向かわせるのは危険です」

 

 その言葉に、千束も頷いた。

 しかし僕は首を振る。彼女たちを易々と、今の延空木に送れない理由があったからだ。

 

「そうかもしれないんだけど。……僕が依頼している報道管制、多分自衛隊の撤収作業が終わり次第解除される。基本的に国としての報道管制は最小限度に留めなくちゃいけないんだ。これは超法規的措置で、恐らくことが終わったら今の時点でも国会は紛糾する。延長を依頼するのは、ちょっと厳しい」

 

 クルミが、頭に手を当てた。何のことかわからないという顔をしたたきなさんに、彼女が補足すべく、僕の言葉を継いだ。

 つまりはだ、そう前置きして、クルミは人差し指を立てた。

 

「今の延空木は遠景からしか撮影が許可されていない。仮にリコリスが戦っていても、見えない状態なんだ。だけど報道管制が解除されて、報道ヘリとかが近づいたタイミングで、例えばたきなが内部の誰かと銃撃戦をしている姿でも抜かれた日には……」

「……リコリスの存在が、露見しかねないと」

 

 たきなさんの言葉に、頷く。

 

「そうなると、僕や僕と協力してくれた人たちの努力が、無駄になる。それは、避けたい」

「隼矢さん、ですが……」

 

 なおも言い募る彼女を、手で制する。

 

「たきなさんの心配もわかる。というか僕も少しだけ、()()()()はしてる。……だけどそのために、これまでの努力を無にされたくはない。或は君の命が危なくなるかもしれないんだ」

「ですがそれで隼矢さんが危険に巻き込まれるのは――!」

 

 なおも反駁しようとしたたきなさんに、改めて首を振る。わかっていると。

 そして、だから、と言葉を継いで、今度は千束へと声をかけた。

 

「一応、準備はしていくよ。……千束」

「なぁに?」

「ここの弾薬庫に、防弾チョッキとか軍用ヘルメットの類ってある?」

 

 その言葉に、千束は表情を引き締めた。

 

「あるけど……つまり、それを着てくつもりなんだ。なら、銃は? 公安でも警察官だし、携帯できないわけじゃないんでしょ?」

 

 いつになく真剣な眼差しで、彼女は僕に言う。その言葉に、頷いた。

 

「確かに、そうだね。なら、一つ貸してもらえないかな。……それと」

 

 首を傾げた千束に、僕は一つのお願いをした。

 

「地下の射撃訓練場。ちょっとだけ貸して」

 

 

 

 千束と二人、連れ立って店の地下へと降りる。そしてその先、辿り着いた地下射撃場のブースの中で、僕は千束から貸してもらったオートマチックを構えている。

 利き手の足を引き、半身になって両手で銃を持つ。「ウィーバースタンス」と名付けられているその構えは、僕が唯一知っている、拳銃の射撃姿勢だった。

 

「へぇ……なかなか様になってんじゃん、隼矢さん」

 

 横から千束が口を出してくる。

 

「まあ一応、警察官としての研修があったからね、これでも」

 

 すでにセーフティは外れていて、あとは撃つだけ。

 両手にずしりと、重さを感じる。それは命を容易く奪う凶器を持っているという事実からくる、緊張と責任がなせるものか。

 硬い引鉄に手をかけ、片目を閉じて、そして覚悟を決めて指を引いた。

 

 重い銃声が、辺りに響き渡る。強烈な反動(リコイル)が手を抉った。痛みすら覚えるそれを一身に感じながら、過去一度だけ経験した射撃訓練の記憶が、思い出された。

 硝煙の匂いがする。向こうに目を凝らせば、視線の先に立つ人型標的の中央やや右、「九点」を示す部分が、射抜かれていた。

 

 千束が、驚いたように声を上げる。

 

「結構うまいじゃん。一回射撃訓練しただけなんだよね?」

「まあ、そうだね。ただこんなのは所詮道場剣法だよ。実戦じゃ役には立たない」

 

 痺れる手を一度だけ振って、もう一度構える。そのまま息を入れずに立て続けに三射を放った。

 手を、腕を通り越して肩すらも苛む凄まじい反動に、思わず奥歯を噛んでいた。くぐもった声が漏れる。そして放ち終えたその後に、成果を確認した。

 見るに、狙いをしっかり付けずに撃った関係で、その弾着位置は見事にばらけている。

 左側、八点に一つ。上に外れた、七点に一つ。そして最後の一射は、的を完全に外れた場所を穿っていた。

 

「ま、こんなものさ。リコリスには、到底敵わない。当たり前だけど」

 

 僕の至極普通の感想に、しかし千束は笑った。

 

「十分でしょ。拳銃持って、構えて、すぐ撃てる。それができる人は、そうはいないよ」

「……まあ、それもそうか」

 

 言われてみればそうだ。というか、今回もし僕が誰かに襲撃されたとしても、基本的には逃げること、生き残ることが第一だ。自分が手向かって撃退できる戦闘力を持っていると考えるほど、僕は思い上がってはいない。あくまで、いざという時にためらいなく銃を撃てるようにしておきたいという、これは心構えの話でしかなかった。

 手に持った銃にセーフティーをかけ、そして置く。マガジンを抜き、使った分の実弾を補充、そして装填した。

 

「じゃあ、準備しますかね」

 

 そこでもう一度、気を落ち着かせるようにひと呼吸入れる。その呼気と共に呟いた言葉は誰にも拾われず、静かに虚空へと消えた。

 

 

 

 出立の前、最後の確認をしていく。

 防弾チョッキと戦闘用の防弾ヘルメットが、正しく装着されていることを視認する。問題ない。次だ。

 ()()()()()の中でも千束が使わなかった最後の一つを、これもまた目で確かめる。それは本当の万が一、何かの間違いが起こってしまった場合に備えた、最後の砦だった。

 それを背負い、そして最後、ホルスターに拳銃を提げて、表口の近くに立つ。

 

 ホールの中へと目を向ける。たきなさんにクルミ、そして千束の三人が、そちらの方から僕を見ていた。

 

「じゃあ、行ってくる。今からだと、夜八時ぐらいには帰ってこれるかな」

 

 彼女たちは、答えない。しかしそのしばらくあと、何かに気づいたように千束が座敷席へと走った。こちらからの死角でなにやらごそごそとした後、戻ってきた彼女の手にはリコリスのサッチェルバッグが握られていた。

 

「隼矢さん、これ持っていって」

「……何かあったとき、盾に使えばいいってことか」

 

 千束は力強く頷いた。

 

「普通に構えても盾になるけど、隅っこに紐あるでしょ。それ引くと、防弾性の布で作られたエアバッグが出てくるんだ。アサルトライフルの掃射ぐらいなら、防げるから」

 

 鞄の隅を指さして、彼女が言う。確かに見れば、何かの紐のようなものがそこから出ていた。

 

「こりゃまた謎技術だな……でも、有難く使わせてもらうよ」

 

 そう言って、渡された鞄を背負う。

 そしてまた彼女たちに目をやれば、千束が僕のすぐそば、鞄を渡した距離のまま、真剣な眼差しで僕を見ていた。

 

「前も言ったと思うけど、無茶はしないで」

 

 目を瞑って、開いて、そして彼女は続ける。

 

「どうしようもないと思ったら、助けを呼んで。生き延びることだけを、考えて」

「でも、君たちは延空木では――」

「つべこべ言うな」

 

 肩を、握られた。至近距離から、千束の目に射竦められる。

 

「私に生きろと言ったのは、あなただよ。そのあなたが死んだら、私はこれからどうすればいいの」

 

 何も言えなかった。口が、彼女の視線に縫い合わせられたかのように開かない。

 

「隼矢さんの心配もわかる。だから、もし助けに行くようなことになったら、頭を使うよ、私たちも……だから」

 

 肩を握る手に、力が込められた。

 一度顔が伏せられて、呼吸の音が聞こえる。そして上げられた千束の顔は、祈るような表情だった。

 

「絶対に、生きて帰ってきて。お願いだから」

 

 その声に、その顔に、僕はただ頷くことしか出来なかった。

 

「……ああ。約束する」

 

 

 

 リコリコから出て、今度は延空木へと向かう。錦糸町駅近くに位置するそれは、一応この店からは徒歩圏内だ。

 避難指示は未だ解除されておらず、街に人の姿は見えない。無人となった錦糸町駅を横目に見ながら、ガード下を通って、南口方面へ進む。

 そこから徒歩十分もしない位置に、延空木はその威容を見せていた。

 

 すぐ近くを通る国道十四号線には、相も変わらず自衛隊の車両が多数停まっていたが、しかしそれは一時期から比べれば随分と減っているようにも見えた。

 スマホが鳴動する。着信の内容を確認すれば、延空木内部からは自衛隊、リコリスどちらの撤収もほぼ終了したとの連絡だった。

 返信として、延空木の制御を取り戻すにあたって内部に物理的手段でバックドアを仕掛けるため、延空木内部に入場する旨の連絡を送る。その返答はすぐに来た。基本的に安全は確保されているが、万が一に備えて防弾装備などを徹底し、作業完了後は速やかに撤収するように、と。

 それを確認して、スマホをしまう。

 

 これが、今日最後の仕事になる。泣いても、笑っても。

 

 

 

 仕事の内容そのものは、単純だ。延空木入口から入場し、高層階用エレベーターで中層部の関係者専用エリアにある制御室の置かれたメンテナンスフロアに入る。

 このフロアには電波送信設備と、建物全体のインフラを管轄する制御室がある。このどちらかにサーバールームも併設されているから、そこにある中央サーバーのUSBジャックにクルミから渡されているUSB型デバイスを挿し、そしてそれをクルミに報告すれば所定の任務は完了となる。

 

 延空木内部に入り高層階用エレベーターを探せば、二分と経たないうちにそれは見つかった。塔の外周部、支持部に沿う形でやや斜行する、独特なルートを通るそのエレベーターが僕を待ち構えていた。

 デザイン重視で、また不思議な設計をしたものだ、と。すこしばかり呆れが先行したが、ともかく進まないと話にならない。呼んだエレベーターの扉が開いたことを確認して、僕はそこに乗り込んだ。

 

 さすがは最新技術を使った超高層電波塔、エレベーターが動けば、着くのはすぐだった。中層の下部、地上二百二十メートル程度に位置するその階こそが、制御室などの通信インフラの集まる、メンテナンスフロアだ。

 エレベーターから降り、無人の廊下に足を踏み入れる。見れば戦闘の痕跡がそこかしこに残り、壁には弾痕も少なからず刻まれている。そしてそこには誰かが出血した跡もあった。落成直後から随分とケチがついてしまったものだ。これの清掃や原状復帰には骨が折れるだろう。未来の建設業者の苦労に思いを馳せ、僕は道を進む。

 

 制御室は割と近くの位置にあった。特に鍵はかかっておらず、そして扉は静かに開いた。

 中に入る。サーバー室特有の冷風が吹き付け、思わず体を震わせた。冬であろうがなんであろうが、マシンには熱は敵だ。わかってはいても、しかしこの冷気は人間が長時間滞在するには些か寒すぎる。早く仕事を終わらせようと、急ぎ足で奥へと進んだ。

 

 部屋の最奥には、まさに中央制御室を名乗るに相応しい、延空木全体のインフラを監視する超大型のモニタが鎮座していた。そしてその下部には、所狭しと様々なマシンが置かれている。その大部分は、ネットワーク機器だった。

 中央サーバーは、恐らくここに設置されている。ほぼ確信に近い直感のもと、僕は大型モニタの下、テーブルの影になっているマシン群の方へと身体を潜らせた。

 スマホのライトで辺りを照らす。果たして、下部に設置されているサーバーラックの中の一つに、目当てのものとみられるブレードサーバー群があった。ラックの半分を覆うガラス製のドアには延空木を模したロゴのステッカーが貼られ、そしてもう半分のドアは開かれて、USBの差込口が露出している。

 

 その中の一つに、すでにUSB接続のデバイスが差し込まれていた。黄緑のスリーブに、ロボットの意匠のそれは、まさしくロボ太のものだ。

 クルミの言葉を思い出す。もし先客のデバイスがあった場合、そのままにしていてほしい。こちら側のバックドアから中に入った後、特権昇格で得たNICの構成情報から攻撃に使われているバックドアを割り出し、そこから攻撃者のアクセス元を特定する、と。

 故に僕はそのデバイスをそのままにして、その隣の空きスロットとなっているUSBジャックに、クルミのデバイスを挿し込んだ。

 そのまま、スマホでメッセージを送信する。作業完了の連絡だ。果たしてしばらくの後、クルミから延空木のシステム内部に侵入できたとの返信があった。

 

 ならばこれで、任務は完了だ。取り敢えず何事もなく終わらせることができて万々歳。さあ、後は帰るだけ。そう思って、物陰から出る。

 立ち上がって、一歩外へと踏み出す。

 

 

 

 しかしその瞬間――僕の背後が、赤く染まった。

 

 

 

 振り返る。さっきまで青が基調のモニタリングシステムの表示がなされていた大型ディスプレイが、赤と黒の警告表示に染まっている。

 クルミの攻撃によるものか、咄嗟に彼女にメッセージを打ち込むが、彼女としては心当たりがないという。クルミは無事にシステムに侵入、延空木の電波送信に関する管理システムの制御を回復させ、そしてすでに攻撃者のアクセス元の特定を始めている。そう返してきた。

 なら、これは何なのか。その疑問は、しかし瞬後に氷解した。

 

 眼前で、モニタに映る表示が唐突に入れ替わる。

 赤を背景に黒と黄色の警告色で彩られた帯の真ん中、不気味に瞬いている数字と英語が、自らをして警告のメッセージであると主張していた。

 

――「"PUNISHMENT EXPLOSION" is coming. You have: 1:00:00」。

 

 そしてそこに見える数字が今、一つ減り、二つ減る。

 カウントダウンだ。意味するところは、「残り一時間」。書かれている英文と合わせて、提示された意図を理解する。

 

 まさか、延空木を爆破するつもりか。()()()()()()()()()()()()()

 反射的に手が動き、クルミをコールしていた。

 

『もしもし、どうした?』

「まずい、クルミの攻撃に反応したカウンターだ。延空木が爆破される! あと一時間後だ!」

『何だって!?』

 

 とにかく、ここにいても仕方がない。制御室から外に出る。

 まずは下に降りなければ。そう思ってエレベーターホールに出て、ボタンを押す。

 

 つかない。下ボタンを、二度、三度。反応する気配すらもなかった。

 その瞬間に、遠くで防火シャッターの閉まる音がした。

 そこで僕は、今自分が陥っている状況について、やっと理解した。

 

「……やられた」

『どうした隼矢!』

「閉じ込められた。下向きエレベーターが来ない。非常用階段も、防火シャッターで塞がれた」

『ッ……!』

 

 最後の確認に、上向きのボタンを押す。何の抵抗もなく、それは点った。

 つまり僕は、()()()になっている。言うまでもなく、ハメられたのだ。そのことを理解して、急速に頭が冷えていく自分を自覚した。

 

「これは……誘われたな、僕は」

『隼矢……?』

 

 クルミの問う声に、答える。

 

「上向きのエレベーターは来る。仕掛け人は、多分僕に用がある。待っているのは……第二展望台か」

 

 しばらくの、沈黙が続く。

 

『これは、もうどうしようもないぞ。千束とたきなを、そっちに送る』

「……頼む」

『生き延びろよ、隼矢。千束を、泣かせるな』

「言われるまでもない。抗ってみせる。……絶対だ」

 

 その声と共に通話が切れると同時、エレベーターがやってきた。

 乗り込むと、すぐさま扉は閉まった。行先としてすでに、最上階、第二展望台のランプが点っている。他のどのボタンを押しても、反応はしなかった。

 

 高速で登るエレベーターの中で、あっという間に外に見える景色は下へと流れてゆき、そろそろ沈み切った夕日が、紫色に辺りを照らす。

 誘われる先は、恐らく死地だ。クルミにはああ言ったものの、生きて帰れる可能性はよくて半々だろう。

 誰がこれの仕掛け人かも、予想はついている。背負った()()が無駄にはならなさそうなことだけが、唯一の救いだろうか。

 深呼吸を一つする。いつでも前に掲げられるように、サッチェルバッグを手に持って、そしてもう片方の手で、ホルスターから銃を抜く。セーフティーを、外した。

 そして、エレベーターが止まり、扉が開く。

 

 

 

 前に目を遣る。果たしてその先に、一つの人影を見た。

 

「よう」

 

 緑色の髪、黒いコート。

 

「直接会うのは、初めてだな」

 

 吊り上げられた口元、ポケットに無造作に突っ込まれた両手。

 

「アランリコリスの、『参謀』サマ?」

 

 どこまでも酷薄な響きの、声。

 

 

 

 それは、僕の追っていた、武器取引事案の親玉。

 僕が、或はたきなさんが、リコリコの仲間となったきっかけを与えた人物。

 そしてつい二時間ほど前、千束とたきなさんが拘束したはずの、男。

 

 

 

「真島……」

 

 ――真島が、そこに立っていた。




次回、最終話その一。
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